米国留学日記 vol.1 アメリカ合衆国ウィスコンシン州マディソン市 - So-net

米国留学日記 vol.1
アメリカ合衆国ウィスコンシン州マディソン市での生活を通して
from 08/15 to 08/24, 2004
1
通じて自らを磨くことは, それが今後の学究活
渡米目的
動に大いなる影響を与えることは言うに及ばず,
今回私は 8 月 15 日から 10 月 9 日までの約
人間的に一回り成長する機会にもなり得るだろ
二ヶ月の間, アメリカ合衆国で留学生活を送る
う。更に海外の学生との比較を通して自らを内
運びとなった。渡航先はウィスコンシン州マディ
省することにより, 海外の学生にあって自分に
ソン市。今回の渡米が決まるまで詳しい場所は
不足しているものを発見出来るかもしれない。
知らなかったが, シカゴから車で約 3 時間程度
同時に, 一般的な日本人についてよく言われる
の距離に位置する都市である。緯度では北海道
ところの英語力不足を解消する絶好のチャンス
の遥か上に位置するため, かなり寒い印象を与
でもある。今回このように日記を書くことに決
え兼ねない都市だが (実際, 冬の盛りともなれ
心したのは, このまたとない機会に起こり感じ
ば氷点下 20 度以下まで冷え込むらしい!) 夏の
たことを詳細に記録することで, 自分自身を冷
期間は日本の如き猛暑が頻繁に訪れる訳でもな
静に見つめ直そうと考えたからである。以上が
く, 40 日も連続して真夏日が続く訳でもなく過
簡単な渡米目的であるが, 私の経験が同時に皆
ごし易い気候である, らしい。訪問先大学名は
様の人生に少しでも立てば, 私としてもこれに
「ウィスコンシン大学マディソン校」。日本人に
勝る喜びは無い。
は馴染みの薄い大学だが, 社会学の分野では全
米随一と, 米国を代表する州立大学であること
2
は確固とした事実である。
米国留学日記
のような国際化の風潮は, 我々研究者の世界で
8/15(日)
今日はいよいよ出発日である。だが特に不安
や緊張で眠れない, ということも無かった。朝
は実家にて 8 時半に起床。朝食としてご飯, 味
噌汁, 漬物といった日本的なものを食べた。2ヶ
月という短い期間とは言え, 当面の間日本食を
口に出来ないと思うと寂しく心苦しい気分を味
わった。人は不安心に苛まれているとき, とも
すると感傷的な気分になるものである。
メランコリーな気分もそこそこに, 午前 10 時
丁度に成田空港へ向け出発した。アメリカ行き
も例外では無い。世界的に活躍できる人材にな
の飛行機は午後出発の便が多いため, 早く出発
る事こそ一流研究者への第一関門であり, その
する必要は無かった。成田空港へは実家の近く
ためには海外での経験が必要不可欠だった。今
を通っている 408 号線を直進するだけで到着で
や私も博士課程の学生であり, 海外研修を行う
きる, という事実を初めて知った。当日の天候
には絶好の時期と言えた。
は, 前日まで続いた 40 日連続真夏日という記録
今回の渡米目的について簡単に説明しよう。
今現在の世相や社会情勢を省みるまでも無く,
社会はワールドワイドに活躍できる人材も求め
ている, という点は強調するまでも無いだろう。
日本からも多くの優れた人材が世界的活躍を見
せており, その傾向はとりわけプロスポーツの
世界において顕著である。サッカーにせよ野球
にせよ数多くの日本人スターが世界に挑んでお
り, むしろ世界に挑戦し成功を収める事のみ超
一流を証明する手段となり得る時代である。こ
留学先の「WEMPEC group」は我々の世界
的猛暑は影を潜め, 薄ら寒い雨模様が空一面に
では研究, 教育の両分野において最高峰に位置
広がっていた。まるでこれからの私を暗示して
する機関である。若い時分に海外の優れた研究
いるかの様で, 大いに不安な気持ちにさせられ
機関に籍を置き, 現地の教官や学生との議論を
た。人という生き物は不安や焦燥感に身を包ま
1
れているとき, 多少の外的要因で (天候や暗闇
な機会でもなければ読む機会も, しいては開く
がその最たる例と言えよう) それを多いに助長
機会さえも永遠に来ないような作品であった。
させられるものである。
話の内容を簡単に説明すると, スイスの精神療
そんなこんなで成田空港へ無事到着。海外便
養所で成人した純粋で無垢な心の持ち主である
なので集合場所は第一ターミナルである, とい
ムイシュキン公爵が, 故郷であるロシアに帰っ
う事実を初めて知った。ターミナル内の喫茶店
てきて, ロシア的因習のなかにある人々と騒動
で両親と簡単な昼食を済ませ, そこで別れた。
を起こしていく, というものである。話のテー
このときもし私が 10 歳, とはいかないまでも 5
マとしては同じく氏の大作である「カラマーゾ
歳程度若かったのであらば, その時点で大きな
フの兄弟」と良く似ていた。何故旅立ちのこの
不安と寂寥感に包まれていたに違いない。しか
瞬間に敢えてこの作品を選んだかと言うと, 今
し私も, もはや 25 歳。数々の出来事を経験し,
までスイスで仲間に囲まれ楽しく暮らしていた
時には修羅場と呼んでも差し支えない様な出来
主人公が, 何の縁故も無いロシアに向け一人旅
事を体験することにより, 多少のことでは動じ
立つという境遇設定が今の私とシンクロし, 言
ない強靭な精神力が養われていた。私は両親と
うなれば共感できたためである。余談ではある
別れた後, 一路出発ゲートへと向かった。
が読書愛好家, それも中級者以上の愛好家が本
出発時刻までにはまだ二時間程待ち時間が
を選ぶ基準としては, それがもちろん自らの興
あったので, その時間的余裕を利用して読みか
味がある分野であるという前提条件は別とする
けの本を読破することにした。本のタイトルは,
と, 以下に大別することができる。すなわち作
ミステリー界の女王アガサクリスティ作「そし
品のレベルで選ぶか, 作品に共感できるかで選
て誰もいなくなった」である。ミステリー史に
ぶかの二択である。私は文学を含めたすべての
燦然と輝く不朽の名作だ。作品のあらすじを簡
芸術分野の価値というものは, 人知を超えた普
潔に説明すると, 縁もゆかりも無い 10 人の男
遍的なものであり, 感情やその時々の気持ちに
女がインディアン島というロンドン郊外に位置
左右されるべきでは無い, という立場をとって
する孤島に招待され, 最終的に一人残らず死ん
いる。したがって, 本を選ぶときは作品のレベ
でしまう, となる。この飛行機での長旅を控え
ルで選ぶことが殆どである。しかし, 今回ばか
たこの時分に, 何故「そして誰もいなくなった」
りは不安にさいなまれていた精神状態だったの
でなければいけないのか, という疑問が頭を掠
で, 共感できるか否かで選んだ方が良いと判断
めたが, 後の祭りだった。この本を読破したこ
した。人は不安の気持ちの前では如何にも無力
とが, これから乗る飛行機に対する不安を大い
な存在である, という事実を再認識させられた。
に助長した事は強調するまでも無いであろう。
本の内容は傑作の名にたがわぬ素晴らしいもの
状況に応じた本選びの重要性を再認識させられ
であり, 夢中になって読み耽っている内, 瞬く
た一瞬だった。
間にミネアポリス国際空港へと到着した。現地
さて, いよいよ出発の瞬間がやってきた。マ
での入国審査は長蛇の列で, 長旅の後というこ
ディソンへの日本からの直通便は存在せず, ミネ
とも相まって多少うんざりさせられたが, 何と
アポリス空港経由であった。成田からミネアポ
か無事にアメリカ合衆国に入国することができ
リス国際空港までの所要時間は約 11 時間!大変
た。J-1 ビザ (留学ビザ) での訪問なので入国時
な長旅である。時間を持て余すことは確実だっ
に指紋を採取された。今後は観光目的であって
たので, 再度読書に勤しむ事で機内での時間を
も指紋を取られることになるらしい。空港でマ
過ごすことにした。今度選んだ作品は, ロシア
ディソン行きの NW1862 便に乗り換え, 無事現
が世界に誇る大文豪ドストエフスキー先生の歴
地に到着したのは午後 4 時 (日本時間午前 7 時)
史的名作「白痴」。見開き一面に文字がびっしり
のことであった。
と埋まっていて, かつ上下合わせて 1300 ページ
当地の天気は快晴。8 月中旬の文字通り夏本
以上と大変重厚感溢れる大作であり, このよう
番という季節にも関わらず, 当地マディソンは
2
日本の初秋を思わせる爽やかさであった。自然
し, 時差ボケの影響であまり気分は優れなかっ
と文明が見事に融和した都市であり, まだ着い
た。海外経験のある人は必ず時差ボケを体験す
て間もないにも関わらずこの都市が好きになっ
るものだが, 特にアメリカの時差ボケは酷い。
た。今は爽やかで過ごし易いマディソンである
昨年ソルトレイクシティへ行った時の経験から
が, 日本に比べてかなり高緯度に位置するとい
それなりの覚悟はしていたのだが, 今回も予想
うこともあり, 冬の最中には氷点下 20 度以下ま
を遥かに上回る辛さであった。しかし, よく考
で冷え込むことがあるそうである。しかし, そ
えてみれば当然の話である。アメリカにおける
んな事実は微塵も感じさせない程穏やかな天候
所謂深夜と呼ばれる時間帯は, 地域によって多
だった。日本の猛暑を離れ, 夏の北海道のよう
少の違いはあるものの, 日本における午後 3 時
な過ごし易い場所に来ることが出来る幸福を感
から 12 時の間に相当する。人が最も活動する
じた瞬間でもあった。さて, 空港から向かった先
時間帯であり, アメリカに来て急に眠れなくな
は現地での滞在場所である「Princeton House」
るのはむしろ当然の状況と言えた。このような
という学生寮である。私がお世話になる受け入
状況に直面した場合, 眠ろう眠ろうと努力する
れ研究グループが位置する, ウィスコンシン大
のではなく, 眠れないのだから眠らないと割り
学マディソン校工学部キャンパスから徒歩 10 分
切って別のことに集中したほうが, 肉体的にも
程度と大変恵まれた場所に位置している。部屋
精神的にも楽である。私の場合日記を書いたり
は 2 人部屋を頼んだのだが, まだ秋季講座が始
読書をすることで暇な時間をやり過ごした。特
まっていないということもあり私一人しかいな
に日記は将来的にかけがえのない思い出として
かった。流石に学生寮だけあり, テレビやビデ
残ることから, 今後海外に長期で行かれる方に
オといった娯楽に関係するものは一切存在しな
は是非お勧めしたいところである。
かった。文字通り吉幾三の「ハァ, テレビもねぇ
果, 今ではあまり不自由も感じなくなった程で
今日は受け入れ先研究機関である「WEMPEC Group」への初めての訪問日だった。こ
のグループは我々の世界では研究, 教育の両分
野において最高峰に位置する機関であり, 学生
数だけで 50 人をゆうに超える大所帯だった。特
に訪問時間も決まってなかったので, 一時間程大
学周りを散策して朝の時間を過ごす事にした。
ウィスコンシン大学マディソン校はアメリカを
代表する州立大学である。広大なアメリカ合衆
国で且つ総合大学であるという点を考慮すると
相当広い大学なのではないか, と出国前想像し
ていたのだが, それは予想を遥か超える広大な
校舎であった。とても一時間で全部見て回れる
広さでは無かった。大学は両側を湖に囲まれた
ある。人は環境の生き物である, という言葉が
大変風光明媚な場所に位置しており, 勉強や研
示す通り我々人間には思いの他適用力が備わっ
究を行うには最適な環境と言えた。午前 10 時,
ているものだった。こうして留学一日目は無事
十分に散歩を楽しんだ私は本来の目的地である
終了した。明日はいよいよ受け入れ先研究室へ
受け入れ先研究室へと足を運んだ。
∼ラジオもねぇ∼」の世界を体現していた。私
がこうして長々と日記を書く時間があるのも夜
に何もすることが無いという事実に起因する。
このような恐ろしいほど何も無い質素極まり
ない生活を送らなくてはならないという事実は,
これまでの 25 年間の人生においておよそ節制
という言葉と無縁な人生を送ってきた私にとっ
て (特にここ数年は酷い!), ややもすると耐え
難い事実になるような予感が当初した。だが,
実際はそうではなかった。読書をしたり日本か
ら持ってきたパソコンでゲームをしたりするこ
とで大いに時間をつぶすことができた。その結
研究室に到着すると, 出国前色々とお世話に
の訪問が待っている。どのような新しい出来事,
経験が私を待っているのであろうか? 何れにせ
なった事務員の Bonnie さんが私を迎えてくれ
よ, 長い一日はこれで終わった。
た。そこで私は挨拶もそこそこに入学に際する
8/16(月)
今日は記念すべき留学生活初日である。しか
膨大な事務仕事を行う運びとなった。所謂過渡
期と呼ばれる期間に煩雑な事務仕事が多いのは,
3
日米共通の現象らしかった。事務仕事の中で私
睡眠出来ていないことを考えれば, 一日が長く
を驚かせたのは「Non disclosure agreement」と
感じられるのも当然であった。むしろ時差ボケ
いう項目だった。これは, 研究室で行っている
のお陰で日記を書けているという側面もあるの
研究内容は当然トップシークレットなので, 部
で, そこは感謝しなければならなかった。それ
外者には絶対に口外してはいけませんよ, とい
にしても人は数時間程度の睡眠で生きていける
う同意を行うことである。この同意は言うなれ
のだから驚きだな, と思った。
ば研究者倫理の類であり, 当然守らなければな
何にも契約社会であるアメリカらしい一面だな,
8/17(火)
今日も時差ボケの影響で, あまり眠ることが
出来なかった (涙)。午前 7 時, 身体的疲労はピー
クに達していたにも関わらず, 一時間走を行い
更なる追い込みを図ることにした。一時間走と
はその名が示すとおり, 一時間ひたすら走り続
けるトレーニングの俗称である。ランニングは
健康に良いという点は言うに及ばず, 精神的に
行き詰っている時に行うと非常に効果的なリラ
と思わず感心してしまった。
クゼーションとなり得ることから, 今では私に
らないルールではあるのだが, 日本では契約書
まで出して同意を強いることはない。少なくて
も私の所属する研究室ではそうである。しかし,
アメリカでは恭しく契約書まで用意して同意を
要求するのだから驚きだった。要するに万が一
部外者に口外した場合, それ相応の代償を要求
しますよ, ということなのだろう。この辺が如
一通りの事務仕事を終えた私は, 留学期間中
とって趣味以上のもの, 言うなればライフワー
滞在することになる学生室へと案内された。そ
クとなって久しい。以前にも述べた通り, この
こは主に博士課程の学生が在籍する部屋だった。
季節におけるマディソンは日本で言うところの
学生数は New Comer の私を含めて 10 名程度
初秋に相当し, 一年を通じて最も運動に適した
だったが, 驚いたことに全員国籍が違っていた。
季節だった。特に早朝のマディソンは涼しいと
ブラジル, ニュージーランド, ドイツ, イタリ
いうより, むしろ肌寒い程でありジョギングを
ア等世界中から優れた学生が集まっているよう
行うには絶好のコンディションと言えた。
で, 人種の坩堝と形容されるアメリカ合衆国の
余談ではあるが, 私はランニングを行う際常々
一面を垣間見た気がした。多くの国籍の人が集
一時間弱という制限を厳密に守ることにしてい
まっているということは, 多くの文化に触れる機
る。これは一時間以内のランニングだとあまり
会があるという事実を意味し大変喜ばしい話で
脂肪燃焼効果, 即ちダイエット効果が期待出来
あったが, 何よりも嬉しかったのは Non Native
ないという点と, 一時間以上走ってしまうと疲
であるがゆえ英語が聞き取り易いという点だっ
労のため後の研究活動に支障をきたす為である。
た。これに対し Native の英語は語学力不足と
今日はマディソンでの, しいては日本国以外に
いうこともあり, 早く話されるとなかなか聞き
おける初めての一時間走ということもあり, 多
取ることが出来なかった。アメリカ人は相手が
少スピードを押さえランニングに適したコース
英語が不得手だといって, あまり (というか全
を見つける事を目的とした。走っていて感じた
然) スピードを落としてくれないので注意する
ことは (これはマディソンに着いた当日から感
必要がある。今後アメリカに行かれる人は, 語
じていたことだが), こちらにはランニングを趣
学力に対して十分な自信と実力を付けておく必
味とする人が大変多いという点である。朝であ
要があるだろう。
れ夜であれ, 少し通りに出ると走っている人に
その後は指導教官である Giri 教授と, 研究に
お目にかかれる。昨今のアメリカにおける健康
関する Discussion を行った。英語による初の議
ブームに関しては, 私も良く耳にするところだ
論だったが, 何とか無事にこなすことが出来た。
が, 何れにせよ趣味を同じくする人が異国の町
午後 7 時, 一通りの仕事を終えた私は寮に戻る
にも沢山いることを知り, 朝から大変嬉しく感
べく研究室を出た。長い一日はこうして終了し
じられた。
7 時丁度に寮を出発した私だったが, 文字通
た。しかし, 時差ボケの影響で 4 時間程度しか
4
り一時間後の午前 8 時に戻ってきた。私は時間
のが存在する。寮の周りにあまり食料品店が存
には正確な方だった。始めて通ったコースだっ
在しないという事情もあり, 着いた当初からか
たが, 信号が少なくアップダウンが適度に散り
なり重宝してはいるが, 日本と異なりメニュー
ばめられた理想的コースと言え, 明日以降もこ
が少ない (というより偏っている) ので注意す
のコースを利用し自らの精神性向上に役立てる
る必要がある。買い物を終えた私は, その足で
ことにした。一時間走を終えた私は一休憩した
一路大学へと直行した。
後大学に出発し, 研究室に到着したのは午前 9
研究室に到着した私は, 初めに昨日ブラジル
時の事だった。部屋にはまだ誰も来ておらず大
出身のクレイバーに教えて貰ったコーヒーショッ
変静かだった。午前中に学生が少ないのは日米
プへとアメリカンを購入しに向かった。このク
共通らしく, 微笑ましいというか嘆かわしいと
レイバーが中々威厳のある人で, 私はこれまで
いうか, 複雑な気分を味わった。
の人生において彼ほど慇懃な物の言い回しをす
さて, 研究室に到着した私が最初に行うこと
る人を見たことが無い。この「慇懃」という言
は, 日本でもアメリカでも変わらない。それは
葉は慇懃無礼という使われ方が示す通り, 何処
缶コーヒーを吟味しながら (私が物凄くゆっく
となく不遜な態度を表す場合に用いられること
り飲むことは一部の間では有名な話である) 一
が多い。しかし実際はそうでは無く, 威厳に満
日の予定を立てることである。しかし大変嘆か
ちた礼儀正しい態度を指すのである。同時に,
わしいことに, アメリカ合衆国には缶コーヒー
世界的大作家であるドストエフスキー先生が多
は殆ど存在しないのである!それに加えてラン
用される表現としても有名である。名作「白痴」
ニングの後遺症もある。必然的に午前中から強
に出てくる「わしはひとこともものを言わずに,
烈な睡魔に襲われ即倒しそうになった。まあ,
きわめて慇懃に, いや, まったく非の打ち所の
半分徹夜明けのところへ激しいとはいかないま
ないほど慇懃に, いわゆる洗練された慇懃さと
でもそれなりの運動をしたのだから, 当然と言
いうやつで...」という表現ほど慇懃という言葉
えば当然の成り行きだった。私は同僚のクレイ
の本来持っている意味を引き出している文章も
バーにコーヒーショップの場所を教えてもらい
少ないのではなかろうか。このように私の如き
歯を食いしばって仕事に取り掛かったものの, ど
文学マニアにとって, 作中の気に入った表現を
うにも手に付かず結局 6 時前には寮へ戻ること
見つけそれを諳んじることは, 読書における大
にした。午後 8 時から 7 時間ほど睡眠し, 深夜
きな楽しみの一つなのである。
の今現在こうして日記を書いている。これから
話を元に戻すとする。当初アメリカンは味が
朝まで長い長い夜が続くと思うと...。早く時差
薄いという先入観を持っていた私だったが, 実
ボケが解消されることを切に願う今日この頃で
際は薄いどころかむしろ濃い程であり, 朝の眠
ある。
気を覚ますには最適な手段だった。しかも値段
8/18(水)
が 1 ドル 30 セントと大変リーズナブルであり,
アメリカでの生活も今日で 4 日目になる。昨
得した気分を味合わせてくれた。研究室に戻っ
夜は午後 8 時近くに就寝し起床が午前 3 時と,
た私は, ホットコーヒーを啜りながら一日の計
約 7 時間の睡眠時間を確保することができた。
画を立てることにした。私がアメリカで行うべ
まだ現地時間とは 5 時間程度の time difference
き仕事は二種類あった。一つは日本から持ち込
が存在するが, それでも着いた当初に較べれば
んだ仕事を行うこと, もう一つはこちらの教授
日中の眠気や頭痛はかなり楽になってきた気が
から与えられた課題について検討することであ
する。徐々に時差ボケが解消されていくのが実
る。どちらを先に行うべきか十分熟慮した結果,
感でき, 朝から大変喜ばしい気分を味わった。
締め切りが差し迫っている日本の仕事を先に片
午前 7 時に寮を出た私は近くのコンビニへ朝食
付けることにした。これは研究者の分野だけで
を購入しに向かった。マディソンにも日本同様
なく, 全ての世界に当てはまる事だろうが, 比較
24 時間 OPEN のコンビニエンスストアなるも
的容易でしかも差し迫った問題から処理してい
5
くのが, 仕事を効率的にこなしていく為の最短
り易い表現で言い直してくれる。私の場合「jet
経路なのである。午前中は仕事を行ったり, J-1
lag」で理解できていないな, と察知した相手は
留学生の Welcome Session に出席している内に
「time difference」という容易な表現に変えて私
瞬く間に過ぎていった。昼食を取った私は寮で
に伝えてくれた。日本人は相手の質問の意図が
洗濯等の雑用をこなした後, 午後 1 時には研究
判らない, もしくは聞き取れなかった場合, と
室へ向け再出発した。
もすると何も言わないでモジモジするだけのこ
午後も継続して仕事を行った私だったが, 午
とが多いが, こういった態度は相手に悪い印象
前中と異なり強烈な睡魔が次々と襲ってきて, そ
を与えるだけである。アメリカ文化というもの
の都度仕事を中断せざる得なかった。どうも午
は「すべてかゼロか」で成り立っており, 日本
後 3 時ぐらいが時差ボケの影響が表れるピーク
的な曖昧さや抽象さは受け入れられないので注
らしく, この時間帯をどう乗り切るかが今後の
意する必要があるだろう。何れにせよ帰国予定
課題と言えた。仕事が一段落した私は, 大学内
の 10 月初旬には, 聞き直す必要が殆ど無いほど
の衣料品店へ足を運び寝具用のトレーナーを購
英語力が上達して欲しいものだった。
入した。猛暑に慣れ親しんだ日本人には一見信
午前 8 時に寮を出た私は, 例のコンビニへと
じがたい話に思われるが, マディソンの夜は夏
朝食を購入しに出かけた。そこで私はハンバー
の盛りとは言えかなり冷え込むのである。これ
ガーとホットコーヒーを購入した。マディソン
で今日から快適に眠れる筈であり, 時差ボケが
に到着してからと言うもの, ハンバーガーぐら
解消される日も近かった。午前 7 時には仕事を
いしか食べていない気がするが, 強ち誇張表現
切り上げ寮へ戻った。就寝前「白痴」を読んで
では無かった。アメリカの食文化は日本のそれ
時間を過ごした。相変わらず先生の文章は長い
と比較し, 極めてアンバランスな食文化と言え
な, と薄れゆく意識の中で思った。
た。日本の食卓には主食と副食が適度な割合で
8/19(木)
昨夜は午後 8 時から午前 2 時までの 6 時間,
および午前 5 時から 7 時までの 2 時間, 即ち
計 8 時間の睡眠時間を確保することが出来た。
多少変則的ではあったが十分な睡眠を享受出来
たこともあり, 起床時の気分はこちらに到着し
てから一番と言って良いほど爽やかなものだっ
た。やはり時差ボケは徐々に解消されていくら
しく, 完全に適応するのには約一週間の移行期
間が必要だった。余談ではあるが, 時差ボケを
英語で「jet lag」と表現することは周知の通り
である。私も着いた当初「時差ボケは解消しま
したか?」と尋ねられることが多かったが, 初め
分配されるが, アメリカの場合主食のみで構成
されるケースが殆どだった。その主食に関して
も極論を述べてしまえば「ハンバーガー」「サ
ンドイッチ」
「ピザ」の三種類しか存在しなかっ
た。一方, ケーキやクッキーなどの「sweets」類
とポテトチップス等の「snacks」関連は大変充
実していた。現にコンビニ商品の半分近くがお
菓子類で占められている程だった。食生活には
気を使う方の私としては, あまり好ましい環境
とは言えなかったが, 我慢する以外方法は無かっ
た。買い物を終えた私は, ハンバーガーを食べ
ながら大学へと向かった。これはアメリカでは
よく見かける光景であり, 何時の間にか米国文
は何を問われているのか理解出来なかった。何
化に溶け込んでいる自分が可笑しかった。
故なら「jet lag」を「ジェットラグ」ではなく
研究室に到着した私は, ホットコーヒーを飲
「ジーラ」と発音していた為である。アメリカ英
みながら朝の仕事を開始した。午前中の学生室
語では Hong Kong(香港) の例が示すとおり, 最
は大変静かであり, 私とクレイバーぐらいしか
後の子音を発音しないことが多い。この事実は
常時いなかった。この研究室にいて感じること
日本英語に慣れている我々にとって, 最初は大い
は, 個々の学生が独立しているという点であり,
に戸惑う事実である。しかし万が一聞き取れな
指導教官も学生の自主性に任せているのか, 研
かった場合でも, 「Sorry?」もしくは「Excuse
究室に来ること自体あまり無かった。放任主義
me?」と聞き直せば, 向こうの人はゆっくり判
と言えなくも無かったが, 個々の独立性, 積極
6
性を重んじるアメリカ合衆国らしい教育方針と
と, どうやらサッカー談義に花を咲かせていた様
も言えた。午前中の仕事を終えた私は, クレイ
だった。私は嫌な予感がした。というのも古今
バーと共に昼食を取ることにした。以前にも述
東西の球技, しいては全てのスポーツにおいて,
べたが, 大学は両側を大きな湖に囲まれた大変
サッカー程人々を熱中と興奮の渦に巻き込む競
風光明媚な場所に位置していた。今日はその中
技は存在しないからである。それが国際試合と
でも一際湖に近い場所に位置する「Memorial
もなると, その傾向は一段と加速される。つい
Union」という建物で昼食を取ることにした。
そこは大学でいう生協のような場所であり, 多
くの喫茶店が軒を連ね, ゲームセンターや劇場
まで混在する建物だった。我々はその中の一つ
で昼食を取った。湖を見ながらの食事は中々気
分の良いものだった。クレイバーは私に色々な
話を聞かせてくれた。その大半は, 博士課程に
進学しようか迷っているとか, ブラジルに婚約
者がいるだとか, あまり興味の沸かない話題で
先日中国でアジアカップが開催された際も, 決
はあったが, 例の慇懃口調で話されるため聞き
記憶しているところでは存在しない。では何故
流すという訳にはいかなかった。何れにせよ今
サッカーという球技のみがこれ程人々を熱中さ
後も利用価値がある店だなと判断した私は, 明
せるのだろうか。それは, サッカーが世界中で最
日行こうも (一人で) 訪れることに決めた。午後
もポピュラーなスポーツであると同時に, それ
も継続して仕事を行ったが, 特に眠気を感じる
が我々に与えてくれる精神的高揚感が, 他のス
こと無く順調に進んだ。午後 7 時には寮へ戻っ
ポーツに比べて郡を抜いて大きいからに他なら
た私は, その後読書や日記を書いて時間を過ご
ない。例えば (あまり良い例えではないが) 競馬
した後, 午後 9 時には就寝した。
で馬券を購入したとき, レースがスタートして
勝戦である日本対中国戦は単なるスポーツの枠
を超え, 国家間の政治的問題に発展し兼ねなかっ
た, という事実は記憶に新しいところだろう。そ
もそも, 応援チームが負けた憂さ晴らしに暴走
を繰り返すフーリガンなる集団が存在するのは
サッカーのみである。仮に野球の場合, 例え巨
人がどんなにふがいない試合をしても試合後に
サポーターが暴動を起こしたという話は, 私の
8/20(金)
から終了するまでの精神的高揚感は, 麻薬的と
今日は金曜日, 日本を出発してから早一週間
いっても良いほど大きいものである。サッカー
が過ぎようとしていた。この間は文字通り激
の場合も競馬程とまではいかないまでも, 精神
動の一週間であり, 多くの未知なる出来事を経
的高揚感は試合中途切れることなく存在し続け,
験できた 7 日間でもあった。私の住んでいる
それは否応無しに高まっていく。そして, それ
「Princeton House」という学生寮には, テレビ
らが大きければ大きいほど負けたときのショッ
やラジオといったメディア媒体が一切存在しな
ク, 絶望, 怒りは大きい。南米のある国などで
いため, この間における日本からの情報収集は
はワールドカップでオウンゴールをしてしまっ
インターネットに頼らざる得なかった。しかし
た選手が帰国後射殺される, という事件すら起
ネットのみの情報源でも, オリンピックにおけ
こった程である。この様にサッカーという競技
る日本選手団の活躍振りは, 遠く離れたマディ
は人を熱中させ過ぎるという, 大変危険な一面
ソンにもしっかりと伝わってきた。故郷を離れ
を持ち合わせているのである。
遠い異国で活躍している日本人アスリート達の
この様な危険な側面は, 何も試合中のみとは
頑張りを耳にすると, 同じような境遇である私
限らない。例え議論であっても「たかがスポー
自身も大変勇気付けられる思いだった。
ツじゃないか」で済まされないのがサッカー談
さて, 今日も例の如くコンビニへ朝食を買い
義というものである。今回の場合が正にそうで
に向かった後, 例の如く研究室へと向かった。
あった。以前にも述べたが, 私の所属する研究
研究室に到着すると, 珍しく既に数名の学生が
室の学生は, 私を含めて全員の国籍が異なる珍
在室しており, 何やら熱心に議論していた。何
しい研究室である。その結果, 議論は自然と国
について議論をしているのかと耳を傾けてみる
際的規模に発展し易い。国の威信をかけてサッ
7
カー談義を行っている内に, 自然と熱中し過ぎ
いった。今日という一日をこの上なく有意義に
てしまったらしい。私が研究室に着いた時分に
過ごそうと決心した私は, 早朝に一時間走を行っ
は, 人格攻撃にすら発展しかねない (いや, 実際
たり掃除洗濯等の家事仕事をこなした後, マディ
既に発展していたかもしれない) 勢いだった。
ソン随一の観光スポットである「state street」
このままだといざこざが起こるのではないか,
へと一路向かった。
と期待した私だったが, そこはブラジル出身の
町一番の行楽地である「state street」は, 大
クレイバーですよ。例の, いわゆる洗練された
学と市の中心である「state capital」を結ぶ 300
慇懃さというやつで「Brazil is No.1」と高らか
に指導教官である Giri 教授から渡された研究
m 程度の通りだった。その両側には多種多様な
店が所狭しと混在しており, 大変賑やかだった。
日本で言うと原宿のような場所だったが, あそ
こまで道が狭く雑然としている訳では無かった。
広大なアメリカ合衆国らしく, ある程度広さに
余裕を持って設計されており, 大変整然とした
通りと言えた。この通りにはコンピューター, 書
物, 衣類など日常生活に必要なものは全て揃っ
論文を読むことにした。難しい数式が沢山出て
ていた。中には「Tokyo Express」なる日本食
きていたが, 分野が近いだけあって基本的な考
店も発見することが出来たが, 残念ながらお客
え方は直ぐに理解することができた。来週の頭
はあまり入っていない様だった。やはり日本食
には再度教授と Discussion を行い検討課題につ
はファーストフードに慣れきっているアメリカ
いて具体的な話を聞きたいものだった。午後 7
人にとっては, まだまだ敷居が高い食事なのだ
時には仕事を切り上げ寮へと帰った。こちらに
ろう。逆にファーストフード関連の店は大変充
着いて初めて気がついたのだが, マディソンは
実していた。現に「state street」に軒を連ねて
高緯度に位置する関係上, 午後 8 時近くになっ
いる店の殆どがファーストフード関連で占めら
ても空はかなり明るいのである。明日はいよい
れており, 何処も大変な盛況振りだった。その
よ待ちに待った週末である。何を行うべきかと
中にはマクドナルドも当然含まれていた。私は
色々考えを巡らせながら眠りに就いた。
日米の味比べをしたい衝動に駆られたが, 結局
8/21(土)
今日はマディソンに到着してから初の週末で
ある。思えばこの一週間, 食生活, 言葉, 文化等
すべてが劇的に変化する中で, やはりそれ相応
の精神的緊張感を強いられてきたに違いない。
しかしこちらでの生活も, 激動の段階から我々
研究者が多用するところの定常状態に落ち着い
てきたということもあり, 今日は息抜きの意味
思い止まることにした。米国に来てまでマック
も兼ねマディソン観光を行う事にした。我が同
重く体も思い通りに動かせない有様で, 全く思
に宣言したのを機に, 皆も納得したのか否かは
定かでは無いが議論は終わった。流石のクレイ
バーだな, と思った。
議論が一段落したところで, 漸く私は仕事へ
取り掛かることができた。毎日日本から持ち込
んだ仕事を行っていても退屈なので, 気分転換
で食事をするのも興醒めだし, 何よりマックの
味は世界中で変わらない筈だった。
「state street」で必要物品を購入した私は,
一路学生寮へと帰宅した。到着したのは午後 3
時であり, 夜までには十分な時間が残っていた
ので, 読書でもして午後の一時を過ごす事にし
た。読書を始めたはよいものの, どうにも頭が
僚であり物知り博士のクレイバーによると, マ
考を集中させることが出来なかった。きっとマ
ディソンは数年前とあるアンケートで「暮らし
ディソンに到着してからの精神的肉体的な疲労
てみたい町 No.1」に選ばれるなど, 大変整備さ
がピークに達していたのだろう。私は午後 4 時
れた快適な環境らしかった。おまけに米国にも
には早々に読書を切り上げ, そのまま 12 時間文
関わらず, 深夜に一人で出歩いても全く問題が
字通り泥のように眠った。午前 4 時に起床した
無いほど (勿論 100%安全とは断言しなかった)
私は, 溜まっている日記をひたすら書き進めた。
治安が行き届いた街だそうで, その話を聞いた私
余談ではあるが, 仕事や勉強を行う場合一番効
のマディソンに対する期待は否応無く高まって
率が良い時間帯は明朝である, という事実は覚
8
えておいて損ではないだろう。
民である。当然私より遥かにマディソンやアメ
8/22(日)
今日も引き続き休日である。土曜日を利用し
て観光で見るべき箇所は大方回り尽くしたので,
リカ文化について精通している。彼は物理学の
今日という一日は読書や思索などの知的活動に
博士号取得に少なくとも 5 年は必要という点と,
当てることにした。それにしても日本にいた頃
その 5 年の間学生寮に居座り続けるという点で
と比べて, 生活が一変したものである。日本にい
ある。何故博士号取得に 5 年もの歳月が必要か
た頃は週末ともなれば (週末に限ったことでは
と言うと, 初めの数年間は授業に出席する事が
全く無かったが...) 湯水の如くお金をばら撒き,
メインであり, 研究プロジェクトに加わるのは
放蕩の限りを尽くしたものである。特に日本出
授業の単位を揃え終えた 2 年後であるかららし
国前の一週間は酷かった。月曜日「飲み会」火
い。これは約 3 年で博士号の取得が可能な日本
曜日「ダーツ」水曜日「飲み会」木曜日「ボーリ
とは大きな違いと言える。何れにせよ彼は後 5
ング」と, まるで「これが当面の遊び納めだ!」
年もこの学生寮に居座り続けるのだ!たった 2ヶ
と言わんばかりの堕落振りだった。しかし, 実
月の私とは雲泥の差である。そして, その違い
際それらは「当面の遊び納め」だった。マディ
は荷物の量として如実に表れた。私の全荷物が
ソンに来てテレビやビデオといった娯楽類, 酒
トランク一つであるのに比べ, ジールの荷物は
ボーリング等の遊び類と強制的に縁を切ること
次から次へと運んで来られ, それはそれは膨大
により, 今では聖人君子といっても差し支え無
な量だった。家族総出で引越しの手伝いを行う
いような質素慎ましい生活振りである。毎日研
というのも頷ける話だった。このように午前中
究室から帰ると読書をしながら思索に耽り, 日
は, 引越し作業の手伝いを行う内にあっという
記を書いては自らを内省する。これこそ知的生
間に過ぎていった。要するに思索活動どころで
命体である我々人類の本来あるべき生活, 姿で
は無かったのである。余談ではあるが, よく日
は無いだろうか? よく「人は中々変われない生
本の親は子供に対して過保護だと言われるが,
き物だ」と言われるが, それは身近に数多の誘
ジールとその家族を見ていると, 別に日本もア
博士号取得を目指している学生であり, 立場と
しては私と全く同じだった。ただ私と違う点は,
惑が存在するからである。本当に自分を変えた
メリカも大差は無いな, と感じた。そして午後
いと感じている人は (きっと多いだろうが), 自
に入りジールとその家族が書棚購入のため慌し
分を変える前に甘えの入り込む余地の全く無い
く寮を出て行ったのを機に, 漸く私は自分ひと
厳しい環境に自らを投じる必要が当然あるだろ
りの時間とプライベートな空間を得ることがで
う, といった事を一人静かに思索していたのだ
きた。夕食は是非御一緒に, という話だったの
が, その静寂は長くは続かなかった。それは以
で午後の貴重な時間を利用して日記を書くこと
下の理由による。
にした。それにしても, 異国の地でルームメイ
以前にも述べたが, 私が学生寮である「Prince-
トと共同生活を営むという事実, ルームメイト
ton House」と契約を行った際には, 一人部屋で
の家族と食事を取るという事実を考えると, 改
なく二人部屋で契約を行った。即ち, 私の部屋
めて凄い環境に身を投じてしまったのだなと思
にはルームメイトが存在して然るべきなのであ
わざる得なかった。
る。しかし実際は, 秋季講座が未だ始まっていな
さて 5 時半に部屋に戻った私は, 約束通りジー
いという点と, 私が早く到着し過ぎたという事
ル家の人々と夕食を共にする運びとなった。私
実もあり, 到着当時部屋には私一人しか存在し
が「state street」で日本食店を見つけたと不用
なかった。そして今日, 新ルームメイトとその家
意な発言をしたところ, ジール家ママの「それ
族は何の前触れも無く文字通り唐突にやって来
じゃそこにしましょうよ!」という予期された
たのである。約 1ヶ月半の間共同生活を営むこ
発言を見抜けなかった私は大変迂闊だった。そ
とになったルームメイトのジールとその家族は,
こで私は, 日本食という食べ物はアメリカ人に
マディソン市郊外に居を構える言うなれば地元
とって言うなれば精進料理の類であり, あなた
9
方の口に合う筈が無い, という事実を身振り手
男性群は, 概して女性から軽蔑され避けられる
振りで, 時には大袈裟なアクションを織り交ぜ
傾向にあるのも周知の事実であろう。だがそれ
ながら伝えたところ, 納得してくれたのかどう
は, テレビドラマ等によって過度に誇張された
かは定かでは無いが, 最終的に近所のピザ屋で
イメージから先行する偏見に因るところが大き
食事をする運びとなった。そこで彼らは, 私や
いのではないか? 結局極論を述べてしまえば日
日本に関するありとあらゆる質問を浴びせ掛け,
本人だけでなく世界中の男性は, 程度の差こそ
哀れな私にはとても食事を楽しむ精神的余裕な
あれマザコンなのである。軽度な症状の場合,
ど無かった。その上, どうしても日本語を教え
多少優柔不断で主体性に欠けるという欠点は存
てくれとせがむので, 私は仕方が無く「はい」
在するが (それでも十分許容されるべき欠点で
と「いいえ」を教えた。しかし覚えた言葉は何
はある), 性格は概して大らかで人当たりは良く,
故か「さよなら」だった。さて, 食事が終わり
恵まれた家庭環境で育ったことが影響し, 人を
清算の段階になったので「私は幾ら払えば良い
疑ったりはたまた騙したりといった考えは, 天地
か」と聞いた。すると「あなたは払う必要が無
がひっくり返っても思い付かない様な平和主義
い」というこれまた予期された答えが返ってき
者なのである。このジールに関しても, 軽度の
た。ここまでは全く予想通りだった。このまま
症状と呼ぶにはいささか語弊はあるものの, そ
ホテルに引き上げてくれるかな, と思ったのだ
の人となりは極めて誠実で勤勉であり, 一言で
がここから先が長かった。寮に家族全員引き換
言うなれば好青年であった。彼とならこの 1ヶ月
えし, あれやこれや相談を始めるだけならまだ
半の間上手くやっていけるだろうな, と思った。
しも, 挙句の果てにはジールママが「今からジー
さて午前 6 時に起床した私は, 昨日のピザを
ルの髪を切るわ」と言い出す始末であった。
「お
レンジで温めて簡単な朝食とした。如何にもア
まえ 23 歳にもなって母親に髪を切って貰うな
営むことになった私とジールだが, 昨日の彼お
メリカ的な生活を送っているな, と思った。朝
7 時半には研究室に到着。流石に誰もいないだ
ろう, と思ったが早起きのクレイバーが私より
先に来ており, 例の慇懃とした調子でバナナを
食べていた。彼が早朝から研究室に滞在してい
るのには訳があった。今日から 3 日間研究室で
ショートセミナーが開講されるのである。私も
参加しようと思ったが「午前中の講義は博士課
程の私にとっては簡単過ぎる話であり, もし参
加するのであれば午後からの方が良い」との話
だったので, その助言に従うことにした。する
と今度は午前中行うことが全くなくなったので,
日記を書いたり麻雀のルールを覚えたりして無
駄に過ごした。しかし, 人生に無駄は必要不可
よび家族の印象から総合するに, 大変気さくで
欠である。
よ!」という私の怒りも当然だった。結局彼ら
全員が帰ったのは午後 9 時をかなり回ってから
だった。かなり頭にきていたにも関わらず, 帰
り際に「日本からのお土産です」といって彼ら
全員に手拭いをプレゼントした私の心遣いは流
石だった。色々あったが, こうして長い一日は
終わった。
8/23(月)
今日から新しい一週間が始まる。先週の月曜
日に初めて研究室に出向いた事が, 遥か昔の出
来事に感じられる。起床は午前 6 時。当然ジー
ルはまだ寝ていた。全くの偶然から共同生活を
付き合い易い人物であるという点は間違いなさ
午後は予定通りショートセミナーに参加する
そうだ。この事実に関しては, 心理学的な裏付
事にした。このセミナーは, 外部や新しく配属
けも可能である。昨日における彼の行動をつぶ
予定の学生に, 研究分野の概要について理解し
さに観察し, 検討に次ぐ検討を積み重ねた結果,
て貰うことを目的として開講されている。セミ
「彼がマザコンである」という一点は疑いよう
の無い事実であった。一般的に言うと (勿論軽
ナーは 3 日間の短期集中型で午前 8 時から午後
5 時までの間, スケジュールは隙間無く埋まって
度な場合に限定されるが), マザコン男に悪い人
いた。午後初めからの参加にも関わらず, 慣れ
間はいない。しかし, マザコンと呼ばれる世の
ない英語での講義という事もあり, 終了した時
10
にはかなり疲弊していた。その後仕事に取りか
も為さぬどころか迷惑なだけである, という事
かろうと試みたが, あまりにも集中出来なかっ
実に彼は気付くべきだった。概して (私を含め
たため, 結局午後 7 時にはジールの待つ学生寮
た) 研究者気質の人間は, 自らの興味のある分
に帰ることにした。ところが (十分予期できた
野以外に関する注意力と観察力は, 恐ろしい程
事態ではあるが), 寮にはジールだけでなく家族
欠如しているものである。要約すると, 彼を相
一同が大挙して陣取っており, 私のプライベー
手にするのは大変疲れる事だった。しかし, こ
ト空間等まるで存在しない有様だった。ジール
れも一種の試練と思わなければならない。何し
ママの「ごめんね, 直ぐに帰るからね」という
ろ英語力向上が一番の渡米目的なのだから, そ
発言を, 私が信じる筈も無かった。9 時近くま
ういった観点からはジールは大変貢献してくれ
で保険やら何やらで話し込んだ挙句, 帰り際に
ている。きっと帰国後には彼に大変感謝する事
になるだろう, と思いたかった。
「ジール愛しているわ」等といった不愉快極ま
りない茶番劇に付き合わされた私の口惜しさは,
午前 8 時半に大学に到着した私はメールチェッ
押して知るべしというところだろう。共同生活
クを済ませた後, 9 時からのショートセミナーに
も楽ではないな, と思った。余談ではあるが, こ
参加した。そこでは様々な教授が研究に関する
の出来事を境にしてジールのマザコン度が, 軽
プレゼンテーションを行っていた。特に目を引
度からやや重度に格上げされたという事実は追
いたのはローレンツという教授だった。彼の語
記する必要があるだろう。
り口は, 例えるならばドストエフスキーの小説
8/24(火)
今日はショートセミナー二日目であったが, 珍
しく寝坊してしまったため, 8 時からの講義には
参加出来なかった。というのも昨日ジール一家
の帰宅後, 当の本人と深夜まで語り合っていた
からである。彼はマザコン男の例に漏れず, 他
人への依存度が大変強い男だった。一般的に小
さな子供は, 親と少しでも離れると落ち着かず
挙動不審になるものだが, 彼もそんな感じだっ
た。また, 彼はよく喋った。これは塾などで子供
を教えた事のある人なら誰でも経験することだ
が, 教え子の中には教師に次から次へと休むこ
となく, こちらがウンザリしている事などお構
い無しに話かけてくる (迷惑な) 子供が必ず存
在するものである。彼もそんな感じだった。彼
は自らの夢について楽しそうに語った。彼は物
理学の博士号取得を目指している学生である。
に出てくる登場人物の如きであり, 語りの構成,
滑らかさ, 劇口調, どれをとっても超一流で, 熟
練の職人芸の域に達していると言って差し支え
無かった。この様な優れたプレゼンテーション
に接する度に, アメリカ人の発表能力の高さを
感じずにはいられない。何れにせよ学ぶべきこ
とは学ぶ必要があるので, 出来る限りのことを
吸収しようと集中して聴講した。結局午前 9 時
から午後 5 時までの間, 殆ど休むことなく聴講
し続けた。これだけ聴き続けたのだから, リスニ
ング力は相当上がったに違いない, と信じたかっ
た。リスニング力で思い出したが「Listening」
と「Speaking」が英語力の大きな柱であるとい
う事実は, 疑う余地の無いところであろう。リ
スニング力に関しては (勿論意識的に聞く方が
効率は良いが) 沢山聞いている内に自然に上達
するものである。したがって, 出国時には相当の
尊敬する偉人はニュートンとアインシュタイン
実力が付いていると期待して問題ないだろう。
(共に有名な物理学者) であり, 将来の夢は自ら
一方, スピーキング力はそう簡単にはいかない。
の理論を築き上げることだそうだ。彼はニュー
ネイティブの人と根気良く話し続けないと上達
トンの古典力学とアインシュタインの相対性理
しないのがスピーキング力であり, 日本人がス
論の類似点について目を輝かせながら私に説明
ピーキングが不得手な理由もそこにある。しか
してくれた。しかし, 才能と呼ばれるものがそ
し, 私にはジールがいる。彼はネイティブであ
の存在だけでは何の意味も為さぬのと同様, 相
り, その発音の速さから聞き取り難さは天下一
対性理論どころか物理学の基礎知識さえ殆ど持
品である。しかも大の話好きときている。相手
ちえぬ私に高邁な理論を語られても, 何の意味
としてこれ以上の逸材はいない。午後 6 時に大
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学を出た私は「ジールと沢山話して英語力をつ
けるぞ!」と思いを巡らせつつ寮へと急いだ。し
かし, 寮に帰るとジールがぐったりして座ってい
た。どうやら, 一日中大学構内や「state street」
等の観光スポットを歩き回ったらしく, かなり
疲れているらしかった。この様子だと今日はあ
まり喋らないかな, と思った私だったがそこは
流石のジールだった。一日における自らの行動
を聞いてもいないのに 30 分近くも話し続ける
有様だった。結局疲れきった私は, 午後 11 時を
待たずして就寝することにした。ジール家一同
がいないのがせめてもの救いだ, と感じながら
深い深い眠りに就いた。
12