174 web用 B5 経営学論集第85集【自由論題48

【経営学論集第 85 集】自由論題
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日本的経営と人的資源管理の
制度改革
ソニーにおける職務等級制度の導入を事例として 山形県立産業技術短期大学校 佐々木 健
【キーワード】日本的経営(Japanese employment system)
,集団主義(collectivism)
,職能資格制度
(ability-based grade system),個人主義(individualism)
,職務等級制度(job-based grade system)
【要約】1968 年に職能格制度を導入するとともに,1969 年に盛田昭夫が「新実力主義」を宣言して以降,
ソニーの人的資源管理は集団主義の理念的特徴と年功序列の制度的特徴を備えた日本的経営の枠組の
中で展開してきた。ソニーが 2000 年に発表した人的資源管理の構造改革「シー・キューブド・チャレ
ンジ」は,こうした枠組のみならず,創業者精神との理念的対立も招いた。創業者精神の原点である「設
立趣意書」が「協同精神」,
「実力本位」の表現をもって集団主義と能力主義を重視するのとは対照的に,
シー・キューブド・チャレンジが,組織と社員を「自立的で真の対等な関係」とみなす個人主義と社
員の「期待貢献」に応じて処遇する職務主義を理想としていたからである。したがって,シー・キュ
ーブド・チャレンジを根拠にバリュー・バンドとコントリビューショングレードに制度転換したこと
によって,ソニーは創業者精神と一線を画すことになったのである。
1.問題設定
井深大とともにソニーを創業した盛田昭夫は,代表取締役副社長に就任直後の 1961 年にアメリ
カでの資本調達に乗り出し,連結会計を導入するなど,アメリカ型の経営を強く意識していた(佐々
木 2013a)。しかし,人的資源管理に関しては,1966 年に労使協調を表明すると「財政面以外の「人」
という点においては,日本の会社はアメリカの会社と根本的に違っている。それを私はアメリカで
の仕事を通じて痛感もし,これを同日に論じることには大変なあやまりがある,と信じるにいたっ
た」と語り,アメリカ型の人的資源管理は行わないことを明確にした(盛田 1966,p.13)。1969 年
には「運命共同体」の表現で集団主義を経営理念とするとともに,
「新実力主義」を通じて年功序
列と能力主義の共存を宣言することにより,ソニーは日本的能力主義に基づく人的資源管理を展開
していった(佐々木 2013b)。盛田は,代表取締役を退任する前年の 1993 年にも「日本企業はこれ
まで運命共同体的な労使関係を重んじてきました。これは日本企業のすばらしい点であったと思い
ます。その安定的な労使関係は,今後,柔軟に変わっていく可能性はありますが,基本的にはぜひ
守っていかなくてはなりません」と述べて,一貫して労使協調を唱えていた(盛田 2000,p.295)。
しかし,ソニーにおける日本的能力主義の制度として 1968 年に導入された「職能格制度」は,ソ
ニーが 2000 年に人的資源管理の構造改革である「シー・キューブド・チャレンジ」を発表したこ
とを契機に,管理職を対象とする「バリュー・バンド制度」と一般社員を対象とする「コントリビ
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日本的経営と人的資源管理の制度改革
ューショングレード制度」に取って代わった。先行研究は,これらを「職務等級の一種ととらえる
ことができる」とする(労働行政研究所 2002,p.58)。バリュー・バンド制度は,評価項目の中に「求
められる能力・専門性」を設定しているため,属人的要素によって職務等級が変動する可能性は残
しているが(労働行政研究所 2002,p.58),職能格制度と違って職務体系と処遇体系を一本化した単
線型の人事制度であり,定期昇給を廃止した非直線的な制度となっている。コントリビューション
グレード制度も評価項目の中に「専門性活用度」を設定している点ではバリュー・バンドと同様で
あるが,一般社員にも「グレードダウン」と称する降格が制度化されている点でやはり職能格制度
とは異なっている。退職金制度に関しても,退職時の給与に在籍期間を係数として乗じる計算方式
が廃止され,業績に応じてポイントを累積していく加算型の年功中立的な計算方式が導入された。
したがって,ソニーの構造改革が集団主義と日本的能力主義の排除を進めると同時に,個人主義と
職務主義を志向するものであることは明らかである。しかし,このことは,ソニーがもはや新実力
主義を継承していないことを意味するだけでなく,
「設立趣意書」の前文が「人格的に結合し,堅
き協同精神をもって思う存分,技術・能力を発揮できる」として集団主義を重視するとともに,経
営方針を「形式的職階制を避け,一切の秩序を実力本位,人格主義の上に置き,個人の技能を最大
限に発揮せしむ」と表現して能力主義を重視するように,創業者精神とも一線を画していることを
意味する。
ソニーの人的資源管理の制度改革に関する先行研究には,労働行政研究所(2002;2006)による
新人事制度の構造分析や伊藤(2006)による新旧制度の比較分析があり,ソニー社員の回顧録とし
ては中田(2005)がある。労働行政研究所(2002)は,バリュー・バンド制度に基づく報酬体系に
おいて年功要素は完全に排除されたと論じる(労働行政研究所 2002,p.61)。伊藤(2006)は,職能
格制度について「属人的な資格であり,段階的な序列の関係」であるがゆえに「年功的運用を免れ
られなかった」と論じる一方,バリュー・バンド制度も能力・専門性といった人の要素が影響する
構造になっていることから「職務等級の一種であるが,一般的な職務等級とは若干異なっている」
と論じる。中田(2005)は,ソニーが人的資源管理の制度改革にあたって「人を評価する」という
根本的な価値観に対して明確かつ体系的なコンセプトを持つことができず,コンサルティング企業
と共同で制度設計に当たったことを明らかにしている。このように,先行研究はソニーの新しい人
的資源管理の制度の構造分析あるいは新旧制度の比較分析に偏っており,人的資源管理の理念と制
度の関係を考察していないばかりか,ソニーが職務主義と個人主義を追求すればするほど,創業者
精神との乖離が深刻になっていく問題については全く触れていない。
本稿の問題意識は,先行研究において盛田(1969)の新実力主義と人的資源管理の制度改革との
関係が検証されておらず,ソニーもその整合性を検討しないまま職務等級制度の導入を推進したこ
とによって,ソニーが創業者精神とは異なる経営価値観を持った組織に変化していることが明らか
にされていないことにある。このことを踏まえ,本稿では以下の問題について検証する。第一に,
盛田が推進した人的資源管理は集団主義という理念的特徴と年功序列という制度的特徴を備えたも
のであり,新実力主義と職能格制度がともに集団主義,年功序列,能力主義に立脚している点で理
念と制度が一貫していたことを明らかにする。第二に,職能格制度の課題と制度改革の要因を明ら
かにする。第三に,
ソニーが 2000 年に発表した人的資源管理の構造改革である「シー・キューブド・
チャレンジ」の論理を分析して新実力主義とは対立的な概念であることを明らかにする。第四に,
バリュー・バンド制度とコントリビューショングレード制度を職能格制度と比較し,運用における
差異を明らかにする。これらの考察に基づいて,ソニーがシー・キューブド・チャレンジを根拠に
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バリュー・バンドとコントリビューショングレードへと制度を転換したことによって新実力主義は
継承されない存在となり,ソニーは創業者精神と一線を画したことを結論として導く。
2.職能格制度と新実力主義
蔡(1991)は,終身雇用制,年功序列制,企業別労働組合による協調的労使関係は日本社会に根
ざすイデオロギーに規定された歴史的な進化の産物であることを指摘し,そのイデオロギーは儒教
のタテ的倫理に由来するものであって,家族倫理としては親が子を慈愛し子が親に孝を尽くすこと
であり,社会倫理としては君が臣に慈愛を示し臣が君に忠を尽くすという施恩・報恩の主従関係で
あり,こうした上下と長幼の秩序を強調する倫理が社会の体制維持の機能を果たすと論じる(蔡
1991,pp.69-70)。したがって,蔡は日本企業には「忠」の意識として特徴付けられる労働者の倫理
と「和」を要件とする集団主義精神が労使両方を含めて組織成員の心に深く根を下ろし,日常はそ
の存在にさえ気づかないほど浸透していると論じるのである(蔡 1991,p.71)。
ソニーでも社会倫理は労使関係のイデオロギーと制度に影響を与えた。ソニーの人的資源管理の
理念となった盛田(1969) の新実力主義が長幼の序や忠孝といった社会倫理を取り込んでおり,
1968 年に導入された職能格と統括職位・専門職位とを分離する人的資源管理の制度にも年功序列
と終身雇用が反映されているからである。盛田は 1966 年には日本人に深く浸透した社会倫理を認
識するようになっていた。例えば「日本の家庭では,子供達の小づかいは,大体において,小学生
から中学生へと,学年が上るにつれて,多くしてやるのが当り前のようである。子供たちも,中学
生になったからとか,高校に入ったからとかで,小づかいが増額されるのを当然と心得ている。親
も,同級生がこれ位といわれると,何だか,それ位にしてやらなければならないような気がしてく
る。すなわち,小づかいから,年功序列の観念がはじまるともいえるのだ。考えてみれば,親のす
ねをかじる子供の小づかいが,年とともに増えなければならないという理屈はないのだが,また一
方,大きくなれば,沢山やらねばならないような気もしてくる」と長幼の序を強く意識している(盛
田 1969,p.23)。さらに「物の売り買いは,お金を払う人が偉く,売り手は下でなければならない」
,
「集会で席につくときも順序がなかなかむずかしい」と説明したように,日本人が上下関係に固執
しやすいことに言及しており(盛田 1969,p.63),日本社会の底流には,「封建制に由来する上下の
身分的序列が脈打っている。自由で対等な関係ではなく,使う者が身分的に上で,使われる者は必
ず下だという上下・主従の関係である。上は下をあわれみ,下は上を敬うという,両者相敬愛する
形を理想としてきた」とするのである(盛田 1966,p.35)。日本人労働者が忠孝の倫理を打破しよう
としても,実際には困難であって「日本人は就職先を変えることを極度に恥じるようである。一度
就職したらできるだけそこで骨を埋めよう,という考えが支配的だ。昔の「奉公」の観念のなごり
なのだろう。それが古くさい考えだ,ということは,実は誰でも気がついているはずである。しか
し実際は,なかなか打破できない」となってしまうとするのである(盛田 1966,pp.86-87)。
こうした認識から,ソニーは労使関係に社会倫理を取り入れることの合理性を認識するにいたっ
た。それは,第一に,年功を勘案する形で賃金と格付の運用に長幼の序を取り入れることであり,
第二に「石垣論」と称する終身雇用を見越した組織編制を導入する形で忠孝の倫理を取り入れたこ
とであり,そのいずれも能力主義と両立させることを目指したのである。したがって,盛田は「日
本の会社組織では,給料の概念は根本的に違うものであり,会社は,仕事を金で買うのだ,という
考え方を導入することが間違っている」と職務主義を明確に否定した(盛田 1969,p.100)。盛田は,
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日本企業の年功序列について「士農工商といった職種による差別もない今の世の中では,おおぜい
の人間を抱える大組織で,序列に文句をいわせないためには,年齢にたよるのが一番安全であり,
それに入社年次,学歴を加えればどうにも文句のつけようのない序列ができあがるのだ」と肯定的
であり(盛田 1969,p.64),したがって「年功序列方式は,日本の実情にあわせて,自然につくり出
された上手なやり方だというべきであろう」と合理的な制度であることを認識していた(盛田
1969,p.66)。終身雇用については,人材流動性が低い日本社会では企業は内部人材に頼った組織編
制を行わざるを得ないことから,「日本の場合は手持ちの石は,すでに決まっている。経営者は,
その石をながめて,それをうまく組み合わせることによって,垣根を築かねばならない」と説明し,
終身雇用を見越した組織編制の論理を「石垣論」と命名した(盛田 1969,p.73)。また,「いろいろ
な形の石を集めて,ブロック塀はつくれないのが当然なように,あらかじめ決められた枠に,手持
ちの人をあてはめて,強い組織はつくれないのは明らかである。会社の業務も,時とともに変わり,
人の能力も時とともに変わるとすれば,
ブロック式のやり方は日本では不適当であることは明白で,
マネージメントの役割は,時に応じて適材を適所に配置することが一番大切な仕事である」と語っ
たように,盛田は能力主義を尊重する立場から人間本位の組織編制を主張するのであり,これに加
えて異動や組織変更を用いて組織能力の適正化を図るだけでなく,
「人間は年とともに成長する。
石の形が,時とともに変わっていくと考えねばならない」とするとおり,終身雇用を活かして社員
の能力を高めていくことも意識していた。(盛田 1969,p.73)。
最終的に,盛田は「給料や肩書は,社会的な慣習からすれば,むしろ,年功的色彩の方が多くあ
るべきであると私は考える」として,
「第一に,実力主義と年功序列とは,うらはらのものではない。
第二に,そのどちらも意味のあることなのだから,共存させることを考えなければならない」(盛
田 1969,p.69)
,「日本社会の根底にある年功序列を生かしながら,働きがいのある仕事をめいめい
に与えることが必要である」と語り,能力主義と年功序列を共存させることを決定した(盛田
1969,p.71)。この中では,年齢とともに生活費が増していく日本社会の実情を踏まえて,賃金に年
功を考慮することだけでなく,職位についても,それが組織内にとどまらず社会的地位の象徴と考
えられているような日本社会の慣習を考慮する必要があり,家族の動機付けに影響しないように年
功を勘案した格付とすべきことが強調されている(盛田 1969,pp.65-66)。したがって,職能格制度
は「ステイタスを表す直線的な格付を意味するもので,係長,課長代理,課長,部長代理,部長と
いうように,だいたいにおいて,年功と能力とを勘案して,直線的にあがってゆく」と説明された
ように,一般社員の「S1」から管理職の最上位である「理事」までの 15 等級を勤続年数と職務
遂行能力に応じて直線的に昇格する制度として設計された(盛田 1969,p.78)。とりわけ,OJT な
どの企業内教育による職務遂行能力の高度化も考慮するため,年功的色彩の強い職務経験も格付に
影響することになった。このように,職能格制度は,勤続年数が等しい社員の間では処遇に大きい
格差がつきにくくなるという意味で集団管理を志向する。ただし,降格を想定しないことが組織能
力の低下を招くことのないように,
職能格は資格等級を示すものとして統括職位と分離されており,
職務・役割は職能格に関係なく任じていく柔軟性をもって対応したのである。ソニーでは,現実的
に係長の職能格をもって統括課長に就任したり,課長代理の職能格をもって統括部長に就任したり
する人事がごく一般的に行われていた。こうした複線型人事について,盛田は「一人一人の人に適
所をつくるように,組織,すなわち,仕事の割りふりを考えることが大切だと思うのである。さて,
こう考えてくると,人のステイタスを表す肩書と仕事を,切りはなさなければならないことがはっ
きりする」として積極的に活用する意思を示している(盛田 1969,p.78)。
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これらから,もともとのソニーの人的資源管理は日本的経営の理念的特徴としての集団主義と制
度的特徴としての年功序列を兼ね備えたものであったということができる。なぜなら,新実力主義
と職能格制度がともに集団主義,年功序列,能力主義に立脚していたからである。その根拠は,第
一に「自分の一生を託した,運命共同体とのつながりを感じて,自分の組織体に対する,自分の役
割をはっきり認識した時,本当に使命感がわいてきて,そこに,もう一つの働きがいを感じるもの
である」と説明されるように(盛田 1969,p.104),新実力主義は運命共同体のもとで社員がつなが
ることによって湧き上がる使命感を重視しており,使命感を醸成するために集団活動を奨励するが,
これと同様に職能格制度も「段階的に,かつ全社にわたり,部門や職種に関係なく横断的に格付け,
これによって処遇するものである」と説明されるように(盛田 1969,p.80),集団管理を基本とする
ことである。第二は,
「そこで考えなければならないことは,日本的,年功序列方式の良いところ
を残しながら,一人一人の実力を効果的に発揮させるような方式をつくることである」と説明され
るように(盛田 1969,p.68),新実力主義が年功序列と能力主義の共存を規定していることと同じく,
職能格制度も「いわゆるステイタスを表わす直線的な格付を意味するもので,係長,課長代理,課
長,部長代理,部長というように,だいたいにおいて,年功と能力とを勘案して,直線的にあがっ
てゆく」とされており(盛田 1969,p.78),勤続年数と職務遂行能力をもって格付ける仕組みになっ
ていることである。すなわち,新実力主義と職能格制度は,日本的経営という枠組の中で,ソニー
の人的資源管理においては不可分の関係になっていたのである。
3.職能格制度の課題と改革の要因
職能格制度の課題については労働行政研究所(2002)による指摘がある。第一に,積み上げてき
たノウハウでは対応できない職務が増える事業環境の急激な変化の中で,こうした重要な職務に抜
擢された若手社員の賃金が職務の重要度や組織への貢献度に見合っておらず,成果・貢献と報酬の
釣り合いが取れていないことが社内で問題視されるようになったことである(労働行政研究所
2002,p.55)。第二は,成果・貢献と報酬を等しくすることまではできないという職能格の制度的な
限界であり,職能格制度も貢献度に応じて昇格を早めたり,賞与を厚くしたりすることによってあ
る程度の調整は行っていたが,成果・貢献と報酬を等しくできないことが問題視されたことである
(労働行政研究所 2002,pp.55-56)。第三は,職能格制度が労使の相互依存を促進する要因となって緊
張関係が希薄化したことであり,年功序列による一律的・集団的な管理を行ってきたことによって
組織と社員の間に持たれ合いの意識が生じ,ぬるま湯的な状態に陥ったことである(労働行政研究
所 2002,pp.56-57)
。労働行政研究所(2002)は,若手社員の動機付けには報酬が重要であることを
指摘しており,
「実際の職務の重要性に応じて報酬を決め,優秀な「若手」のモチベーションを維持・
向上させなければ,新しい分野への挑戦を促すことができないのである」と論じる(労働行政研究
所 2002,p.55)
。これらの先行研究による指摘を踏まえると,職能格制度を用いて優秀な若手社員の
動機付けができなくなったために,重要度や困難度の高い新しい事業への取り組みが停滞する恐れ
があるという危機意識が制度改革の要因であったと考えることができ,その意味において,ソニー
は新実力主義が掲げた「使命感」や「働きがい」の重視とは決別し,社員への動機づけとして「報
酬」を重視する方針に転換したということができる。
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4.人的資源管理の制度改革と新実力主義
ソニーは 2000 年に「シー・キューブド・チャレンジ」を発表し,職能格と統括職位を分離する
複線型人事の見直しに着手した。シー・キューブド・チャレンジは,Contribution(成果・貢献),
Compensation(報酬),Commitment(委任・契約)を一体化した「C の3乗」に挑戦するという意
味であり,その狙いは,第一に,組織と社員が個別に互いの成すべき「役割」を対等な立場で合意
するという新しい労使関係の構築を目指すことにあり,第二に,成果・貢献と報酬の等式化を目指
すことにあるとされている(労働行政研究所 2002,p.56)。中田(2005)も,人事の構造改革はアメ
リカ流の格付方式の導入に力点があったわけではなく,シー・キューブド・チャレンジという会社
と社員の新しい関係を構築することに基本的な思想があったと論じる(中田 2005,p.101)。シー・
キューブド・チャレンジは,労使を相互依存に基づいた協調的関係とみなすものではなく,
「自立
的で真の対等な関係」を目指すのであり,日本の社会倫理に馴染んだ主従関係ではなく,むしろ欧
米型の契約関係を志向するのである。そのため,シー・キューブド・チャレンジは,組織がチャレ
ンジの場の提供,期待する成果の明示,成果にふさわしい処遇・報酬を保証する代わりに,社員は,
専門性を磨く努力,期待成果のアウトプット,付加価値創造へのチャレンジを約束する「イコール・
パートナーシップ」を確立することによって,現状に安住しないチャレンジ精神の旺盛な組織文化
を根付かせようという考えを持っている(労働行政研究所 2002,p.57)。成果・貢献と報酬の等式化
については,属人的要素や勤続年数によらない貢献・成果に応じた処遇を実現することと,貢献へ
の意識を高めて社員一人一人を「自立したプロフェッショナル」にすることの二点にその狙いがあ
る(労働行政研究所 2006,p.332)。中田(2005)は,シー・キューブド・チャレンジについて「何年
入社,何歳,何年勤続等々のいわゆる年功序列的要素で個人の人事上の格付や報酬が決められるべ
きではないという考え方に基づいています」と述べて,人的資源管理の制度改革が日本的雇用慣行
を排除するために行われたことを示唆する(中田 2005,p.101)。中田は「社員が会社といわばファ
ミリーのような関係になり,会社が社員の面倒をみて,社員が会社につくす」ことを「古い形の会
社」と表現するなど,集団主義にも否定的な見解を示している(中田 2005,p.104)。
その一方,シー・キューブド・チャレンジは,ソニーの創業者精神や新実力主義との関係につい
ては全く説明していない。中田も,
人事の構造改革に関しては,目指すべき構造改革の社員像を「個
性輝く個人」であると説明していることと,構造改革の理念を「そのすべてを融合させて世界に類
のない企業としてビジネスを展開し,消費者に夢と楽しさを提供する使命を持って「最強のコンシ
ューマーブランドであり続けること」
,これがソニーの目指すものであり,人事もその目標を達成
することを構造改革の理念とするべきであると考えました」と説明している以外に言及はない(中
田 2005,pp.96-97)
。言い換えれば,新実力主義で「日本社会の根底にある年功序列を生かしながら,
働きがいのある仕事をめいめいに与えることが必要である」,「自分の一生を託した,運命共同体と
のつながりを感じて,自分の組織体に対する,自分の役割をはっきり認識した時,本当に使命感が
わいてきて,そこに,もう一つの働きがいを感じるものである」と説明されてきた人的資源管理の
方針に対して,シー・キューブド・チャレンジは発信を行っていないのである。
新実力主義と比較して,シー・キューブド・チャレンジには明らかな論理の違いがあることを指
摘できる。第一に,シー・キューブド・チャレンジが年功序列の止揚を目指すことであり,相互依
存に象徴される協調的労使関係の脱却を志向する点において集団主義と終身雇用を消極的に捉える
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ことである。第二に,それと対照的に,職務主義と個人主義を志向することである。新実力主義が
非定量的な職務成果の評価の困難性を理由に能力を重視するのとは対照的に,シー・キューブド・
チャレンジは成果・貢献と報酬の等式化を目指し,組織と社員を自立的で対等な関係とみなすから
である。このように,新実力主義とシー・キューブド・チャレンジは対立的理念であるということ
ができる。したがって,ソニーの人的資源管理の構造改革は新実力主義の非継承を意味するだけで
なく,
「運命共同体」
をはじめとする創業者の経営理念とも一線を画すことを意味していたのである。
5.新旧制度における運用上の差異
先述したように,職能格制度は勤続年数と職務経験や企業内教育を通じて獲得する職務遂行能力
をもとに直線的に昇格する制度として設計されたため,運用も年功序列に成らざるを得なかった。
勤続年数は昇格に必要な最低滞留年数を条件とする形で社員に示されている。例えば,係長代理の
格付選考を受験するには大学卒業者で6年以上の勤続期間を満たすことと,係長の選考を受験する
には係長代理として1年以上の勤続期間を満たすことが規定されている。実際に,大学卒業と同時
に入社して係長代理8年(30 歳),係長 10 年(32 歳),課長補佐 15 年(37 歳)の滞留年数を要した
社員の例では,年数はかかったものの報酬は右肩上がりであり,この間の査定の如何にかかわらず,
降格も全くなかったという。実際に,職能格制度の特徴である年功序列が処遇の不安定化を抑止す
る効果をもたらし,社員の心理的安定に寄与している点を評価する向きもあった。ソニーも安定的
に資格と報酬が上がっていく職能格の安心感が社員のモラール維持に寄与している点を評価して,
職能格と役割に基づく新たな格付を併用する案もあったとされるからである(労務行政研究所
2002,p.56)。しかし,結果的に役割と処遇は制度として一本化されることになり,2001 年にバリ
ュー・バンド制度が,2004 年にはコントリビューショングレード制度が導入された。
2001 年に導入されたバリュー・バンドは全ての管理職に適用される制度である。バリュー・バ
ンドは「役割価値」に応じた「バンド」と呼ばれる7段階の格付に役割と処遇を統合した職務等級
に近いものである。役割価値とは「その人にやってもらいたいこと・アサインメント・仕事そのも
の」とされており,役割価値の大小は,求められる能力・専門性,遂行の難易度,期待される貢献・
アウトプットの各レベルを点数化し,その総合点で決定される(労務行政研究所 2002,p.58)。役割
価値は組織と社員の個別の合意をもとに決定していくプロセスをとっており,合意した内容は「コ
ミットメントシート」にして取り交わすことから,労使は契約的な関係とみなされる。役割価値は
バンドに連動することになり,バンドが「ベース給」に反映される仕組みになっている。報酬総額
はベース給と業績に応じた「業績給」で構成されており,業績はベース給には反映されない規定に
なっている。すなわち,成果に基づいて役割を見直した結果として役割価値が高くなれば,翌年度
のベース給を上げていく仕組みをとっている。役割を見直してバンドそのものが変動しなかった場
合でも,各バンド内には 10 段階の「レンジ」が設定されており,ベース給の増減は柔軟に行うこ
とが可能である(労務行政研究所 2002,p.61)。なお,役割価値の名称は,2004 年にコントリビュー
ショングレード制度と同じ「期待貢献」という呼称に統一された。中田(2005)も,シー・キュー
ブド・チャレンジは一般的な成果主義とは大きく異なっており,成果に対して報酬を支払う「精算」
の性格を持つのは業績給の部分だけであって,バンドとそれに付随する給与については業績を踏ま
えた上での期待貢献のレベルを勘案して決定されるのであり,結果だけですべてを評価するわけで
はないと論じている(中田 2005,p.111)。
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日本的経営と人的資源管理の制度改革
2004 年に導入されたコントリビューショングレードは管理職を除く全ての一般社員に適用され
る制度である。中田(2005)によれば,一般社員に対する基本的な考え方もバリュー・バンドと何
ら変わることはないが,管理職との職務,スキルや経験の違いといった点を考慮してグレード制度
を導入したという(中田 2005,p.115)。職能格制度では一般社員は「S1」から「S5」と係長代理,
係長の7等級に分けられていたが,コントリビューショングレードでは「期待貢献」に応じて3段
階のグレードを設定し,各グレードは基本給と連動している。期待貢献とは「職務を通じて求めら
れる貢献」のことであり,職務を通じて果たした貢献は「実績」とみなされ,この両者から職務を
通じた貢献をとらえ,両者を回すサイクルを通じて変動を確認することになっている(労務行政研
究所 2006,p.333)。グレードの認定は,期待する成果,専門性活用度,課題難易度から構成される
全社共通の「期待貢献評価指標」と職種別の「職種別評価ツール」を用いて行われる(労務行政研
究所 2006,pp.332-333)
。
「期待貢献評価指標」はグレードの改定にも用いられており,過去1年間
の実績評価に基づいて今後1年間の職務内容を検討し,期待貢献の変動は7段階で評価される(労
務行政研究所 2006,p.336)
。期待貢献の変動に応じて基本給改定額が決定されるが,評価が7段階
の中で最下位のランク7の場合には,基本給の改定は行われずに据え置かれる仕組みになっている
(労務行政研究所 2006,p.336)。すなわち,同じグレードにとどまる限りは基本給の減額が起こらな
いことになる。ただし,期待貢献を下回る実績が連続して改善の見込みがなく,グレードにふさわ
しい貢献ができないと評価された場合にはマイナス改定にあたる「グレードダウン」が設けられて
おり,一般社員にもグレード降格や基本給減額があることを想定している。
「職務を通じて果たさ
れた貢献」にあたる業績は一時金(賞与)として反映される。業績評価は成果(アウトプット)と
質的貢献(アプローチ)の両方を勘案して行われるが,一時金の額は最上位の「SS」から最下位の「D」
までの9ランクの業績評価に応じて決定される(労務行政研究所 2006,p.335)。
以上から,バリュー・バンドとコントリビューショングレードの両制度の運用面における職能格
制度との違いとして,第一に勤続年数・職務遂行能力ではなく役割・貢献をもとに人事評価を行っ
ていること,第二に職務体系と資格体系を分離せずに役割・貢献と処遇を一体的に統合して連動さ
せていること,第三に格付が非直線的であること,第四に一般社員にも降格が制度化されているこ
と,第五に「将来」に求められる期待貢献を先取りする方法で格付を決定する点において,勤続年
数や職務遂行能力という「過去,現在」の指標に基づいて格付ける制度とは評価の時間軸が異なっ
ていることがあげられる。
しかし,伊藤(2006)が,バリュー・バンドについて「職務等級の一種であるが,一般的な職務
等級とは若干異なっている」と論じるように(伊藤 2006,p.126),バリュー・バンド制度とコント
リビューショングレード制度が,職能格制度が重視する要素を取り入れていることも確認すること
ができる。第一に,役割価値では「求められる能力・専門性」が,期待貢献では「専門性活用度」
が評価項目に含まれていることであり,
完全に能力主義を排除したわけではないことがあげられる。
第二に,終身雇用を前提とした企業内訓練と職務経験を重ねることによって社員の能力開発が行わ
れてきた日本企業の慣例を踏まえれば,勤続年数が長いほど「求められる能力・専門性」の高い社
員として評価される可能性が高まることがあげられる。第三に,学卒の新入社員は全員が最下級の
グレード3からスタートして段階的に昇格させていく仕組みになっており,飛び級を想定していな
いことから,一般社員の処遇が年功序列になってしまうことがあげられる。管理職の格付に関して
も,バリュー・バンドが属人的要素によって処遇が変動することを前提として設計されていること
があげられる。このように,バリュー・バンド制度とコントリビューショングレード制度は能力主
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【経営学論集第 85 集】自由論題
義と年功序列を払拭できたわけではない。
なお,人的資源管理の制度改革にあわせて,退職金制度も改革されていることを補足しておきた
「格付制度や報酬制度は終身雇用制度を脱却したものにしながら,退職金制
い。中田(2005)は,
度を旧来のまま維持することは,考え方としては一貫性を欠くので,退職金制度についても改革を
行いました」と述べて,その理由を説明している(中田 2005,p.117)。従来の退職金制度は退職時
の給与に勤続年数を係数として乗じる計算方式であったため,勤続年数が長いほど退職金の額が高
くなることはもとより,退職理由が自己都合の際には,会社都合の際の約2分の1に係数が減じら
れてしまうなど,最終的には定年退職する社員が最も優遇される制度となっていた。そこで,在職
中の貢献を退職金に反映させることとして,毎年の業績に応じて退職金のポイントを決定し,退職
金の総額をそのポイントの加算によって決める制度としたのである(中田 2005,pp.117-118)。中田
(2005)によれば,それは何年勤めたかではなく,毎年どれだけの業績を出して貢献したかの累積
が退職金となっていく勤続年数に中立的な仕組みとなっているが,退職金制度の改革は個人に支払
う金額の計算方法の変更という意味以上に,新しいキャリアへの挑戦を希望する社員が退職金の不
利を理由に不満を抱えて我慢することのないようにする意味を含んでおり,日本の労働市場の活性
化を意識するものであるという(中田 2005,p.118)。
6.結 論
ソニーは,自らの人事管理の出発点が,創業者精神の象徴である「設立趣意書」にあることを公
式に述べている(ソニー広報センター1998,p.354)。設立趣意書の「経営方針」の中に人的資源管理
の理念が記されており,それは「従業員は厳選されたる,かなり小員数をもって構成し,形式的職
階制を避け,一切の秩序を実力本位,人格主義の上に置き,個人の技能を最大限に発揮せしむ」と
される。盛田が「
「働きがい」のためには,個人の存在,能力,人格を大いに認めることが,根本
的な条件なのである。実力評価とは,一次元的な点数をつけることにあるのではなくて,人の価値
を認識することが第一であり」と説明するとおり,新実力主義はこの経営方針を踏襲している(盛
田 1969,p.100)
。設立趣意書の前文には,社員が「人格的に結合し,堅き協同精神をもって技術・
能力を発揮」することが組織の理想であると記されており,盛田が運命共同体と表現した集団主義
の経営理念はこの前文を踏襲したものである。
これに対して,シー・キューブド・チャレンジに基づいて導入されたバリュー・バンド制度とコ
ントリビューショングレード制度は,成果・貢献と報酬の等式化を目指す点で職務主義を志向し,
組織と社員の自立的で対等な関係を構築しようとする点で個人主義を重視する。したがって,ソニ
ーが人的資源管理の構造改革として発表したシー・キューブド・チャレンジと,その論理に基づく
制度改革の結果として採用されたバリュー・バンド制度とコントリビューショングレード制度は,
盛田昭夫の理念であった新実力主義を継承しないことの宣言を意味するだけでなく,ソニーの設立
趣意書に象徴される創業者精神とも一線を画すことを意味するものであったことを本稿の結論とし
たい。
その一方で,バリュー・バンド制度とコントリビューショングレード制度が期待貢献の評価項目
として「能力・専門性」を採用し,コントリビューショングレード制度が一般社員をグレード3か
らグレード2を経てグレード1へと段階的に格付けているように,ソニーの意図とは裏腹に能力主
義と年功的な運用が排除されていないことにも注目すべきであろう。筆者は,ソニーがアメリカ型
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日本的経営と人的資源管理の制度改革
の職務主義を徹底しないことの背景に,長幼の序,施恩と報恩の主従関係,相互扶助の精神といっ
た日本人の社会倫理の根強さがあるのではないかと推測する。この点を踏まえて,日本企業の人的
資源管理の制度改革における社会倫理の影響について研究を深めていきたい。
〈参考文献〉
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訳(1974)『日本の経営から何を学ぶか:新版日本の経営』ダイヤモンド社。)
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津田眞澂(1976)『日本的経営の擁護』東洋経済新報社。
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(2006)『先進企業の人事制度改革事例集 主要各社にみる人事処遇制度の改定内容と運用の実際』労務行
政研究所。
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