プルについて真面目に考えてみた 僕、エフゲニー・プルシェンコがアレクセイ・ミーシンという名のロシアを代表するコーチの元に来たのは 11 歳の 頃だった。 ヴォルゴグラードの田舎町に両親を残して、いきなり、帝政ロシアの首都であったサンクトペテルブルクという都 会に連れて来られた。 僕には才能がある、 と言ってミーシンにコンタクトをとってくれた人は、 「フィギュアスケートで成功すれば両親も 兄弟も裕福になれる」と言っていた。その言葉だけを信じて単身サンクトペテルブルグに乗り込んだ僕は、ガリガ リでチビで栄養不良のあわれな少年……というより子供で、夢と希望とプレッシャーでガチガチに緊張していた。 僕が連れてこられたリンクには、頭のハゲたアリョーシャ(アレクセイ・ミーシン)と、 20 歳のアリョーシャ(アレクセイ・ウルマノフ=1996 年リレハンメル五輪王者)と、 13 歳のアリョーシャ(アレクセイ・ヤグディン)という 3 人のアリョーシャ(アレクセイの愛称)がいた。 ハゲのアリョーシャは、20 歳のアリョーシャに構いっきりだった。それも致し方ない。20 歳のアリョーシャは、ロ シアのみならず世界のトップスケーターだった。彼は小さい子にも平等に優しくて、すごく大人でいい人だったけ ど、リレハンメル五輪に向けて真剣だった。 僕より 2 歳年上の 13 歳のアリョーシャは、とてもじゃないけど友達になれるタイプじゃなかった。 彼はこのサンクトペテルブルグの出身で生まれながらの都会っ子で、田舎育ちの僕はいつも引け目を感じていた。 それに、強くてたくましくて勉強もできて、やんちゃで自信家で俺様で、ミーシンの言うこと聞かなくて、でも怒 られても全然へこたれなくて、それどころかいつもいつもミーシンに食ってかかっていた。 なんであんなに反抗的な彼を、ミーシンは許してるんだろう? スケートがものすごく上手だから? 確かに、リレハンメル五輪候補のアリョーシャを含めて、彼には誰もが一目を置いていた。 同年代の誰よりもスケートがうまくて、たぶん 20 歳のアリョーシャの次ぐらいにうまかった。 彼はもう世界 Jr の大会にだって出てるんだ。まだ 13 歳なのに、誰よりも高くて美しいトリプルアクセルを飛ぶこ とができるんだ! なら、スケートがうまくなれば、ミーシンも僕を見てくれる? だって僕は頑張らなきゃいけないんだ。僕が頑張って有名になれば、マーマや姉さんたちは、あんな貧しい田舎暮 らしをしなくて済むんだ。 そう思って、アリョーシャがやることは何でもマネした。 彼がジャンプを飛べば、僕もジャンプを。 サルコウもルッツもフリップも、彼のマネをして飛んだ。実際、彼のジャンプは、お手本とするにふさわしい正確 さと美しさがあった。力強くて、高く美しくて、時々おどろくほど優雅で。 そうしたら、ある時アリョーシャが僕に怒鳴ったんだ。 「なんなんだよ、お前! 俺のマネばっかしてんじゃねえよ! お前にはまだ早いんだよ! 田舎モノは引っ込ん でろよ!!」 怒られた。なんで? だって、僕は君みたいになりたいだけのに。 なんだよバカ、アリョーシャなんて大っ嫌いだ。 僕はアリョーシャがとてもうらやましかった。 彼ほど実力があって強ければ、僕みたいにいじめられることはないのに。 彼は強くて頑固で、間違ったことは大嫌いだったから、どんな年上でも大柄でも怯むことなんてしないで、理不尽 なことをされたら誰彼かまわず立ち向かってケンカしてた。 でも、アリョーシャは僕がいじめられていても見て見ぬふりをするんだ。知ってても、そ知らぬ顔で通りすぎる。 アリョーシャは僕を見ようとしない。あからさまに無視されることが多くなった。 僕より年上なのに、僕よりスケートがうまいのに、僕より強くて賢いのに、どうして僕をかばってくれないの? アリョーシャなんか大っ嫌いだ! ああでも、僕が一番アリョーシャをうらやましく思うのは、優しくてきれいなマーマといつでも一緒にいられるっ てこと。アリョーシャのマーマはとってもきれいで、とっても賢いひとなんだ。 僕もマーマに会いたい。 僕はなんでこんなとこにいなきゃいけないの? マーマの近くでもスケートはできるじゃない。 僕に「才能がある」と言ってくれたミーシンは、年上のアリョーシャにばかり構って、全然僕を見てくれない。 それならマーマのいるところに帰りたい。帰りたいな。 そう思って帰るつもりで列車を手配したら、ミーシンが慌てて飛んできた。 引き留めてくれたんだ。僕のこと、まったくどうでもいいわけじゃなかったんだと思うと、少し……ううん、とっ てもうれしかった。 でも、次の日アリョーシャに嫌味を言われた。 「なんだよお前。帰るって言ったんだから早く故郷に帰れよ。泣いて引き留めるなんて、女みてえなことすんじゃ ねえよ! ミーシンはみんなのミーシンなんだ。お前だけのコーチじゃないんだぞ!」 なんだよバカ、アリョーシャなんて大っ嫌いだ! ある日、僕はカゼを引いてしまった。 そんなに具合は悪くなかったけど、練習の途中で、ミーシンに「今日はもう帰りなさい」と言われてしまった。 これくらい大丈夫なのに。練習しないと、アリョーシャはもっと先に行ってしまうのに! でも僕は「はい先生」と言うしかなかった。 とぼとぼと道を歩いていると、なぜかアリョーシャの声がした。 「ジェーニャ(エフゲニーの愛称)! 珍しいな、もう帰んの? サッカーしねえ?」 なんでアリョーシャがサッカーなんかしてるのか、なんでリンクにいないのかわからないけど、なんだかとてもう れしくなって、ほかの子供にまざって夢中でボールを追っかけてた。 そしたら突然、誰かにぶつかった。 「ジェーニャ、お前は! 早く帰って寝なさいと言ったのに!」 ミーシンだった。ミーシンは拳を振り上げた。僕がとっさに頭をかばったら、拳が僕の手に当たった。すごく痛か ったけど、 「ごめんなさい先生」と言った。そのまま荷物を拾って、家に向かって歩き始めた。 背中から、 「なんだよ、もう帰っちまうのかよ」とアリョーシャの声が聞こえた。 その声を聞いたら、すごく指が痛くなった。痛くて痛くて泣きそうだった。 家に帰ったらもっと痛くなって、指が折れてることに気付いた。痛みをこらえてフトンに入ると、なんだかとても 哀しくなった。 ミーシンを怒らせてしまった。 ミーシンに殴られてしまった。 ミーシンに呆れられてしまった。 アリョーシャがサッカーになんか誘うから。 アリョーシャなんか、大っ嫌いだ! 14 歳になる年、ミーシンが僕に言った。 「今年はジュニアの大会に出場しなさい」 その時のうれしさを、なんと表現したらいいか! これでやっとアリョーシャに追いつける! そのために、僕はクワドの練習をしてるんだもの! でもすぐにがっかりした。 なぜなら、アリョーシャは、今年はジュニアの大会には出ないんだ。彼はシニアに上がってしまったから。 彼は、去年の欧州選手権も、ウルマノフの代わりに出場して 5 位に入賞している。まだ 16 歳だったのに。 早くしないと、彼はどんどん先に行ってしまう…… 僕はすごく頑張って、世界 Jr で優勝した。ミーシンはとても喜んでくれた。 でも、その直後にあったシニアの世界選手権で、アリョーシャは初出場で 3 位だったんだ。 ウルマノフが足の怪我で棄権して、クーリックの成績が5位とふるわなかったから、彼は出場したロシア選手の中 で一番成績が良かったことになる。 ミーシンがすごく喜んでた。誰彼かまわず自慢して歩いてた。とくにタラソワの弟子のクーリックを負かしたこと が嬉しかったらしくて、よくやったと何度もアリョーシャを抱きしめていた。 だから、僕の優勝なんて、どこかに吹っ飛んでしまった。 アリョーシャなんて、アリョーシャなんて、大大大っ嫌いだ!! 翌年は、僕も 15 歳になって、シニアデビューすることになった。 これでもう置いていかれることはない。やっと同じところまで来れた。 とにかくうれしくて、ただかむしゃらに頑張った。 この年は五輪イヤーで、誰も彼もがぴりぴりしていた。 ミーシンは大きい方のアリョーシャを五輪に連れて行きたかったけど、ウルマノフの故障はそれどころではなかっ た。それでやむなくアリョーシャが長野五輪に行くことになった。 僕だってとても行きたかったけど、ロシアには僕よりも上位の選手が少なくとも 4 人もいる。 アレクセイ・ウルマノフ、イリヤ・クーリック、アレクサンドル・アブト、そしてアリョーシャ(アレクセイ・ヤ グディン) 。 なのにロシアの出場枠は 2 枠しかない。 アリョーシャはフリーで失敗して 5 位に終わった。 優勝したのはイリヤ・クーリックだった。タラソワの愛弟子に敗れるとは、ミーシンは激怒しただろう。 ばっかじゃないの、アリョーシャってば。せっかく花道が用意されていたのに。 なんだって大舞台でいつもの実力が出せないのさ。 ほんと、ばかじゃないの。 なんでだかわからないけど、テレビで見たフリーの彼はいつもと違って精彩を欠いてるようだった。 そして、ミーシンはひどく怒っているようだった。 五輪が終わってから、なんだかアリョーシャとミーシンの関係がぎくしゃくしているように見えた。 気のせいかもしれないし、気のせいじゃなければ、むしろ僕には歓迎すべきことだけど。 3月の終わりに世界選手権があった。 どうせ僕には関係ないと思ってたら、ミーシンが言った。 「用意しておきなさい。出場するかもしれないから」 なんで?すごくうれしいけど、でもなんで!? だってロシアの枠は 2 人なんだ。ウルマノフが怪我で出ない以上、出るのはクーリックとアリョーシャでしょ? そう、アリョーシャがいる限り、僕の出番はいつも後回しになる。 アリョーシャなんか、いなくなればいいのに。 なのに、アリョーシャの方こそ、僕をすごい目でにらんでいる。 なんなのさ、その恨めしげな目は。 恨みたいのは僕の方なのに。 アリョーシャなんか、大っ嫌いだよ。 結果から言うと、舞台からいなくなったのはクーリックだった。 長野五輪で優勝した彼は、プロになることを宣言して出場を辞退した。それで僕にお鉢が回ってきたんだ。 とうとうだ、とうとうここまで来たんだ! 僕は有頂天だった。 ショートでとてもいい演技ができたので、観客もジャッジも、みんなが僕に称賛の声を送った。1 位はアリョーシ ャで、僕は 2 位だったけど、もしかしたらフリーで逆転もアリ?と思うと、とても興奮して眠れなかった。 金メダルを取った時のことを考えて、頭がいっぱいになった。 なんて言おう、インタビューには何語で答えればいいんだろう、賞金でマーマに何を買ってあげようか…… どんどん目が冴えて、結局全然休めなかった。 翌日は、身体が重くて最悪だった。そしてフリーを迎えた。 アリョーシャは、とても完璧とは言えなかったけど、でもきちんとクワドを決めた。 僕は最初のクワドで転倒した。次のジャンプをやめて再度クワドに挑戦したけど、また転んだ。いつものように飛 べなかった。僕の目の前には、金メダルがぶらさがってたけど、飛びついでも届かなかった。 でも諦めるもんか。そんなことしたら、また置いてかれちゃう。そんな思いでジャンプを飛んでいた。 僕の得点が出た時、観客がざわめいた。ブーイングをしている人が多かった。 僕は転んでしまったけど、僕の演技がよかったと思ってる人たちが、僕のために抗議してくれているんだ。 でも僕は知っている。 この世界は、ある種の年功序列がある。 同じくらいの出来なら、一日の長のある方が優勝する。 結局、優勝はアリョーシャだった。 やっぱり、アリョーシャなんか大っ嫌いだ。 僕も、うすうす気付きはじめていた。 ミーシンという土壌は、僕とアリョーシャが共存するには狭すぎた。 僕らは、たったひとつしかないものを独占しようとしている。 それは裂くことも分かち合うこともできないものだ。そして栄光への足がかりには、ミーシンの存在が絶対的に必 要だった。だから僕らはいつも、よりミーシンの歓心を得ようと、躍起になってとりっこしている。 最近はミーシンが彼より僕をかまうもんだから、彼はやきもきしてあからさまに態度に表す。 僕の顔を見ると、すごい目でにらみつけて、 「お前なんかいなきゃいいのに」と言う。 それは僕のセリフだ。アリョーシャさえいなければ、もっともっとミーシンは僕に時間を裂いてくれるのに。 いなかに帰れ、出て行けと事あるごとに彼に言われ続けた。でも僕は絶対、出てかない。僕は有名になって、マー マに楽をさせてあげたいんだ。きれいな家と、きれいな洋服を買ってあげたい。 道は目の前に続いているのに、いつもアリョーシャという壁が塞いでる。僕の邪魔をする彼が嫌いだ。 神様、どうか僕の前からアリョーシャを消し去ってください。 ミーシンが僕だけを見てくれるように。 いつだって、夜になるとそう祈った。 春になって、アリョーシャの姿を見なくなった。アメリカのツアーに出ているんだと聞いた。 僕はたいして気にもしなかった。だって、サンクトペテルブルグは彼の街だもの。シーズンが始まったら、また我 が物顔でリンクに来るものだと思ってた。 でも彼は戻らないかもしれないという噂が、なかば公然と囁かれていた。それを信じるには疑わしかった。ミーシ ンの元をみずから離れるなんて、ばかのすることだろう? だって、僕らの目指す道、栄光に一番近いところにい るのはミーシンじゃないか。 ある日、ミーシンが単身でニューヨークへ飛んだ。アリョーシャを連れ戻しに行くと言っていた。それはうわさが 本当だったということだ。 僕はミーシンにも腹が立った。彼は自分から出て行ったんだ。戻らないというなら勝手にすればいいのに。 アリョーシャなんか要らないでしょ? 僕だけで充分じゃないの? アリョーシャが帰ってきたら、平然と嫌味を言ってやろうと息を巻いていた。 いつか僕が故郷へ帰ろうとした時に彼がしたように。 「なんだよ。出てったんなら帰ってこないでよ。泣いて引き留めるなんて、女みたいじゃない。ミーシンは、あん ただけのものじゃないんだぞ!」 でも、ミーシンは 1 人で帰ってきた。アリョーシャは本当に出て行ったんだ。 しばらくの間、ミーシンは相当怒ってて、誰も近づけないような状態だった。 ばかじゃないの?アリョーシャ。 ミーシンが君をもてあましてたって、本当にそう思ってるの? 確かに問題ある生徒だったけど、でも、あのミーシンが、わざわざ君を連れ戻すために、ただそれだけのためにニ ューヨークくんだりまで行ったのに。 なんで帰って来ないのさ。ホント、ばかじゃないのアリョーシャ。 勝手に拗ねて、勝手に嫉妬して、勝手に家出? 母親を置いて、祖国まで捨てて、いったいどうしちゃったの? 僕へのあてつけなわけ?ほんとに君、ばっかじゃないの? ミーシンに逆らったら、ロシアでスケートはできないんだよ? どれだけミーシンの影響力がロシアスケート連盟に浸透してるか、知らない君じゃないだろ? おそらく、君はもうロシアではスケートはできないよ。だってミーシンを怒らせたんだから! 賢い君がわからないわけないのに。なんて愚かな選択なんだろう。あんなに目をかけてもらったミーシンを裏切る なんて。 でもアリョーシャ、君には感謝してる。君のその短気と傲慢に心から最大級のお礼を言うよ。 出てってくれてありがとう。これでもう二度と僕らが争うことはない。 ミーシンは僕だけを見てくれる。 この日、見慣れたリンクから、僕の目の上のたんこぶが永久に姿を消した。 ねえ、アリョーシャ。 君のこと大嫌いだったけど、たったいま、ちょっとだけ好きになった。 半年後、僕らは国内のリンクで再会した。ミーシンの宿敵タラソワのもとへ行ったアリョーシャは、別人かと思う ほど大人びていた。そして、そこで彼は、僕に初めての負けを喫した。 ミーシンを捨てて国を去った彼に、ロシアは報復したんだ。ロシアの地では、彼は永遠に僕に勝てない。 それは呪いのように、その後の彼についてまわって、彼は生涯一度も国内王者になることはなかった。 ロシア国内では、彼はマスコミに悪し様に罵られる。 でも、どれだけ叩かれても彼はくじけない。それどころか、心ないハゲタカみたいなマスコミでさえ、いつのまに か身方につけている。彼は人の心をとらえる術を知っている。 激情家で単純そうに見えて、つねに冷静で先を読む狡猾なアリョーシャ。僕の想像よりもずっとずっと優れたファ イターだった。 目の当たりにすれば、今はもう憧れよりも憎しみを抱く。 彼の演技も変わっていた。 アリョーシャのスケートは、所作は美しいけど荒削りで、音楽なんか関係なくだたジャンプを飛ぶだけのものだっ た。それがどうだろう、たった半年で、こうも変わるものか。 なんというか、これはまるで――まるでショー・ナンバーだ。要素を繋ぐだけだったプログラムから、物語のある 振り付けへ。優雅だけどダイナミック、繊細だけど力強く、時には気高く時にはおどけて表情豊かに。アリョーシ ャはいとも軽々とジャンプしながらそれを演じる。 はじめは静かだった観客がしだいに熱を帯びてきて、終盤が近付くと興奮して立ち上がった。 文句なしのスタンディングオベーション。 どちらかというと、それは僕のスタイルに近いものだった。正直、ムッとした。 なんだよ、それ。そんなの、ミーシンの元でだってできるじゃないか。わざわざ国を離れて、敵に回らないとでき ないことだったっての? だってそれは僕のスタイルだ。僕がやってることじゃないか。 そりゃ、僕と君とでは表現がまるで違うけど。 なんだよ、アリョーシャのバカ。 もちろん、僕だって変わった。 この半年で背丈がずいぶん伸びて、気付けばわずかながらアリョーシャを見下ろしていた。 これは驚きだった。僕がアリョーシャを見下ろしている! 彼が優勝した欧州選手権で、おめでとうと言って肩を抱いたら、すっぽりと腕におさまってしまうのには驚いた。 ずっと追っていた強くて大きかったはずの彼の背中は、本当はこんなに小さかったのだろうか。 彼はもう 18 歳、僕はまだ 16 歳。この差は、これからもっと広がるだろう。 それはとても嬉しいことだったけど、反面、僕を複雑な気持ちにさせた。 大人になりはじめた僕の身体はまだまだ不安定で、ジャンプのタイミングが日々に変わっていく。僕はその変化に 対応するのに必死で、ときどき不意に転倒する。 対するアリョーシャは、成長期も終わって体力的にも充実する年頃になった。タラソワの元でずいぶん洗練された けど、彼の本質はジャンプだ。ミーシンの教えた通りの、教本みたいに高く美しいジャンプ。 うぶげが逆立つ。 安定したジャンプを飛ぶには、小柄な方がいい。 でも筋力は絶対に必要。特に背筋。軸のぶれたジャンプを空中で瞬時に修正できるのは、鍛え上げた背筋だけだ。 それと力強く踏み蹴る脚。 簡単なことだ。高く飛べば、早く回る必要はない。 僕は彼ほど高く飛べないから、空中でどうしたって早く回らなくちゃいけないし、ぎりぎりで 4 回まわって身体を 開けば、足下にはもう氷がある。強引に着氷しても瞬時に立て直すためには、足首や膝に負荷がかかる。そうする と余計な動作が増えるから、バランスを崩しやすくなる。 アリョーシャのことを “理想的な体型だ”とミーシンが褒めたことがあった。僕とは違う、僕にはないもの。 彼は誰よりも高く飛んで、完全に回りきってから余裕で着氷する。無理なところがないからすごくきれいに見える し、余計な負荷がないから着氷後の流れが自然だ。 ミーシンが彼を貶せば怒りがつのり、彼を褒めればさらに憎しみが増した。 事あるごとに、ミーシンは僕と彼を比較した。 ――アリョーシャが、アリョーシャは、アリョーシャなら。 いい加減にしてくれ、僕は彼じゃない。 彼と同じにはなれないし、なりたくもない。彼は出て行ったんだ。もうあなたの弟子じゃない、敵なんだ。 彼に勝てるのは僕だけ――いつだってミーシンはそう言って僕を励ます。 お前が一番だ、あんな奴は足下にも及ばない、だたの猿回しだ、芸術ですらない、最後にはお前が勝つんだ。 だけど、ロシアチャンピオンの称号を持つ僕は、ロシア2位のはずの彼には、世界の舞台でいまだ勝てない。欧州 選手権も世界選手権も、アリョーシャの圧勝だった。 大舞台で彼に負けるたびに、名ばかりのロシア王者と陰で囁かれる。 そんな日々には、もう辟易していた。 それから数年の間、僕らは世界を舞台にしのぎを削った。 通算、何度戦っただろう。おそらく勝率でいったら僕の方が高い。だけどアリョーシャは、ここぞという試合での 強さが半端なかった。欧州選手権、世界選手権――そういった大舞台に立った時の集中力、精神力、闘争心は、い つも僕を奮い立たせ、時には震え上がらせ、怖じ気づかせた。 僕はいつだって努力してきた。アリョーシャの上をいくために、つねに限界を超えて挑んでた。 彼がクワドを飛ぶなら、僕は 4―3 コンビネーションを。 彼が 4-3 コンボを飛ぶなら、僕は 4―3-2 を。 そうやって僕が死にものぐるいで習得した技を、いつのまにか彼は習得して、次に対峙する時には涼しい顔でこな している。抜きつ抜かれつのデッドヒートは終わるところを知らない。差を広げたいのに広がらない。どうしても 振り払えない。いや、むしろ水をあけられる。追い抜かせない。 アリョーシャ、君はいまだ僕の前に立ちはだかるのか。 心底、君が憎らしいよ。 マスコミは、僕らを至高のライバルだと面白がって書き立てる。 うんざりするほど同じ質問をくり返し受け続けて、いい加減に辟易していたある日のことだった。それは僕がはじ めて欧州選手権で彼に勝った日、彼が 17 歳で手にしたタイトルを、17 歳になった僕が奪い取った日のことだった。 インタビュアーが無神経にも僕にこう尋ねた。 ――先輩であるヤグディンから学んだことは何ですか? 僕は脊髄反射のように電光石火で答えた。 ――なにも! 有頂天だった気持ちが、一瞬で沸騰して怒りに埋め尽くされた。 僕が勝ったんだ。大きな試合ではじめて、僕が勝ったんだ――僕が! 彼を負かしたんだ! なのに! むしろ、こう答えてやればよかった。 “彼から学んだことが、たった一つだけあります。コーチとの縁の切り方。僕には必要ないけどね” もちろん、僕はそんなことは言わないけど、そう言えたらどんなに気分がいいだろう。 ヤグディン、ヤグディン、ヤグディン――― まるで呪文のように、僕について回るその名前。 僕はいつだって、その名前に脅かされる。その影響力に。その偉大さに。そして比較され、貶められる。実物を超 えて膨張するアリョーシャの名前は、まるで影のように僕にまとわりついた。そして、その影はいまだにミーシン を捉えて離さない。 アリョーシャが、アリョーシャは、アリョーシャなら―― もう、たくさんだ! ミーシンの口から、彼の名前なんか聞きたくもない! アリョーシャなんか大っ嫌いだ!顔も名前も見たくない! 最近のアリョーシャは、リンクで会っても僕を睨みつけなくなった。 いや、それは真実じゃない。彼は僕を見もしないのだから。 僕らは互いに挨拶もしない。一瞥すらもしない。 だけどいつも、僕の全神経は彼を、彼だけを追っている。彼だけが、彼の闘争心だけが、僕の血を滾らせる。 彼に勝ちたい――僕の中にあるのは、ただそれだけだった。 勝ったり負けたりを繰り返すのは、もうごめんだ。 彼と比べられるのも、一対のように並び称されるのも。 数年も経てば、彼がミーシンの元を離れて行ったわけを嫌でも理解した。 彼は、僕がこわかったんだ。こうやって僕に並ばれることが。いつか抜かれることが。ちびでガリガリの僕なんか が対等に位置することが、彼には腹立たしくて許せなかった。 あの頃の僕は彼が目標だったけど、追いついて追い抜いて叩き潰したくてたまらなかった。僕の方が彼より優れて るんだと証明して、ミーシンを振り向かせたかった。 あのまま2人、同じリンクで共存してたなら、早晩、僕らは殺し合っただろう。 だけど彼は、僕を憎むのと同じくらい、僕と戦いたかったんだろうか。そうでなければ、彼が出て行く必要はなか った。ただ僕をつぶしにかかればよかったんだから。 彼はどうしても、自分の力をミーシンにみせつけたかったんだ。 なんのために? ミーシンに認めてもらうために? 事実、ミーシンの敵になって、この僕を打ち負かすことで、彼はまたミーシンの歓心を買うんだ。 そうまでしてミーシンに執着する彼が憎かった。 リンクの上で牙を剥く彼は、僕の背後を見ている。 僕と戦いながら僕を見ない。 アリョーシャ、君が大嫌いだよ。 僕は、ずっと欲しかったタイトルがある。 彼が 3 年も連続して保持していた世界選手権チャンピオンの座だ。 2001 年、舞台は北米。そこは僕にとって究極のアウェーだった。 でも僕は、どうしてもそのタイトルが欲しかった。この年は、ロシア国内選手権は言わずもがな、東京で行われた グランプリ・ファイナルもスロバキアの欧州選手権も僕の 2 連覇だった。ここまでは去年と同じだ。でも去年はこ こから巻き返されて、結局僕は世界選手権を 4 位という屈辱の成績で終えた。 今年は絶対に勝つ。決戦に臨む意気込みは激しかった。事実上、世界一位を決める戦いだからというだけではない。 来年こそ、待ち望んだオリンピック・イヤーだ。なんとしても、僕は世界チャンピオンのタイトルを持って乗り込 みたかった。それに、アリョーシャがはじめて世界チャンピオンになったのが、彼が 18 歳になったばかりの 3 月(ヤ グディンは 3/18 生まれ) 。僕は 11 月で 18 歳になった。遅れをとるわけにはいかないんだ。 断じて。絶対に。 予選では、アリョーシャはまったく本調子じゃなかった。 ジャンプはおろか、簡単なバタフライジャンプですら転倒していた。脚の具合が悪いと記者が言ってたけど、そん なことは誰にでもある。理由にならない。これはチャンスだった。 ミーシンがよく口にする「他人の不幸ほど自分を幸せにすることはない」というやつだ。 僕はなにがなんでも勝たなきゃならなかった。今ここで手追いの彼に負けたら、この先もずっと負け続ける。なに よりも気持ちで負ける。そんなのはごめんだ。それに今年は、僕はとても調子が良かった。僅差もあったし大差も あったけど、僕らが雌雄を決する試合で僕は必ず勝った。だから勝てる。 ようやく、僕はすべてにおいて彼を凌駕することができる。 ショートもフリーも、僕は完璧だった。こんなに思い通りに滑れたことはない。 滑り終えた瞬間に、思わず拳を振り上げて吠えた。こんなパフォーマンスは僕らしくない。僕はクールで理性的な んだ。だけど身体の内から湧いてくる喜びを抑えられなかった。満場の歓声が地鳴りのように体中に染み入ってき て、すごく心地よかった。 僕の滑走順が先だったので、アリョーシャの結果待ちだった。 結果的に見れば、アリョーシャはよくやった。予選の不調がうそみたいな出来映えだった。だけど、僕は確信して いた。万が一にも彼が勝てるチャンスはなかった。 アリョーシャは闘志を剥き出しだった。 どう足掻いても無駄なのに、何をそんなに必死になってるんだろう。脚は言うことをきかないんでしょう? いつ ものジャンプじゃないもの。高さもないし、なんでもないところでバランスを崩す。その度に客席から悲鳴があが った。彼はあやうい着氷を気迫で乗り切り、懇願するような仕草で声援を要求した。 “もう少し、あと少しなんだ。お願いだ、気力を分けてくれ。最後まで滑らせて” 観客は彼に応えて、最後まで拍手を送り続けた。 彼が滑り終えるのを待たずに、割れんばかりの歓声が怒濤のように場内を揺らした。でも彼には小さなミスがあっ て、僕には届かなかった。 アリョーシャは少しだけ寂しげに、でも満足そうに笑って観客に手を振った。そして僕に、 「おめでとう、ジェーニ ャ」と言った。その声には悔しさがなかった。落胆も絶望もみえなかった。ただただ静謐だった。 彼は僕に負け続けて、ミーシンの前で負け姿をさらし続けたのに。 ミーシンのみならず世界中に、決して僕より優れてるわけじゃないと、自ら証してしまったのに。 なのに笑顔だった。悔しさの微塵もなく、ただ清々しい笑顔だった。 観客は、2 位だった彼に、僕よりも大きな拍手をずっとずっと送り続けていた。 でも、僕はようやく勝った。彼と同じ 18 歳で、彼に勝って世界を手に入れた。 ようやく、アリョーシャという壁を完全に切り崩したんだ。彼と対峙したすべての試合で、彼を凌駕した。 僕はアリョーシャを超えて、彼という鎖を断ち切った、そう思った。 とてもとても長い長い道のりだったけど、それだけの価値がある勝利だった。 翌日のエキシビションを、彼はパスした。脚の状態が悪いのは誰にもあきらかだった。 昨日の主役は彼だったかもしれないけど、今日の主役は僕だ。僕は、この時のために作ったプログラム“Sex Bomb” を初披露した。 裸同然でストリッパーみたいに踊るなんて、はじめはとても嫌だったけど、北米の観客は特に、こういう出し物が 大好きだった。おそろしく盛り上がる会場に、僕にはこういった才能もあるのだと改めて気付かされた。 そして、僕の優勝を報じる新聞には、こう書いてあった。 “世界選手権の優勝は、エフゲニー・プルシェンコに盗まれた” “脚の怪我さえなければ、アレクセイ・ヤグディンが 4 連覇を果たしたであろうが―――” 最後まで読まずに破り捨てた。 アレクセイ・ヤグディン、君は本当に、腹の立つ男だ。 君なんて、君なんて―― アリョーシャなんて、大っ嫌いだ! 最近、よく考える。 考えても決して結論のでることじゃないんだけど、それでも考えてしまう。 僕は完璧な彼に勝ったことはなく、彼も完璧な僕に勝ったことはない。当然だけど、ノーミスの演技ができること なんてほとんど稀だし、2 人ともとなればそれは奇跡だ。 だけど、もしも、僕と彼が互いに完璧に力を出し切ったとしたら、どうなるのだろう? 当然、どちらかが勝ち、もう一方が負けるんだ。 では、どっちが勝って、どっちが負けるんだろう? それは、僕らのみならず、世界が知りたがっていることかもしれない。 腕を叩かれて気付くと、ミーシンが降りる準備をしろと合図していた。 最近は、ちょっと気を抜くとすぐに考え事をしてしまう。それもこれも、五輪イヤーを前にして加熱する報道のせ いだ。 “男子シングルはロシアが金を取るだろう――しかし、ヤグディンとプルシェンコ、果たしてどちらが?” 各国の報道陣がやってきて、連日の取材に嫌気がさしていた。連中のせいで、考えないようにしている男のことを、 ついつい思い出してしまう。 そしてこれから、今シーズン初めて、その男と対峙するんだ。 オーストラリアの 9 月は、春まっさかり。どうも南半球ってよくわからない。 僕らはブリスベンのグッドウィルゲームに参加した。昨シーズン、僕は彼と対戦したすべての試合で彼に勝った。 ロシア選手権、欧州選手権、GPF、そして世界選手権。 これからは僕の時代だという人もいれば、僕が勝てたのは彼が本調子じゃなかったからだという人もいる。それを 聞いて、ちょっとなにをふざけてんのかなと思った。 だって、本調子じゃないって……4 回も試合があって 4 回とも本調子じゃなかったんなら、それが彼の本調子なん じゃないの? まったく、僕にだって彼がどうしちゃったのかわかんないけど、そういう意味で言うならブリスベンで見たアリョ ーシャは「本調子」だった。 ちょっと痩せすぎなんじゃないかと思うくらい細くて、顔色は最悪。でも眼だけはギラギラしている。 どっかおかしいんじゃないの?尋常じゃないよ。 彼のコーチは、なんであんな状態の彼を試合に出すんだろう? ――と思った通り、彼は最悪だった。ショートで 4-3 コンボを完璧に決めた直後に壁に激突して、フリーは(これ は去年のプログラムだったけれども)ぶざまにすっ転んでた。これで、僕の対アリョーシャ連勝記録は更新されて 5 連勝だ。 どうしちゃったんだろうとは思うけど、このまま彼が凋落してくれれば僕には願ったりじゃないのか? 僕は彼に勝って、勝ち続けてるんだ。それは長年の夢だったじゃないか。 じゃ、ないのかな? そのはずなのに、なんで僕は彼に怒ってるんだろう? 僕は一体どうしたいんだろう?彼にどうしてほしいんだろう? なんでこんなに彼のことばっかり考えてるんだろう? それはマスコミのせいだ。奴らは僕がどれだけ彼に勝ち続けようと、いまだに僕を彼と比較する。必ず決まって同 じ質問をくり返す。 「ライバルについてどう思うか」と。 僕は必ず決まってこう答える。 「ライバルは自分自身です」と。僕も、アリョーシャも。 でも連中は、そんな僕らをせせら笑って、相も変わらず対比するのをやめない。 連中の言葉は、そのまま世間の評価だった。 いったい、彼に何度勝てば、僕自身を評価してくれるんだろう? 勝っても勝っても、彼と比較され続ける。 僕がこのまま勝ち続ければ、誰も彼とは比べなくなるのだろうか? 彼を完膚無きまで叩きのめすには、いったい、あとどれだけ勝てばいいんだろう? いつになったら世間は僕らを比較するのをやめるだろうか? 実際のところ、僕はこの 2 年間、彼に負けたのは 1 度しかない。2000 年の世界選手権(僕は 4 位だった)だけなん だ。なのに、マスコミはいつまでも僕と彼を比べたがる。 いつも奴らはこう言うんだ――次はヤグディンが勝つだろう。 結局のところ、連中が口を閉じるのは、どちらかがスケートを辞めた時しかないだろう。 彼の存在自体が、こんな風に僕をかき乱す。 アリョーシャなんて、大ッ嫌いだ。 次に彼と対峙したのは、グランプリ・ファイナルだった。舞台はカナダ。 アリョーシャは北米に――とりわけカナダに気に入られている。もしこの年の GPF がロシアだったら、結果は違っ てたかもしれない――そう思わずにはいられない僕の気持ちがわかるだろうか? 今年の五輪はアメリカ開催なので、僕とミーシンは、エンタメ性の高いマイケル・ジャクソンのナンバーをショー トプログラムに用意した。派手な衣装で派手に踊って度肝を抜く――はずだったけど、なぜかあんまり受けがよく なかった。 あとで聞いたら”衣装がハデすぎる“んだって。だって、みんなこういうの好きでしょ? 好きなんじゃないの? アリョーシャのショートは、冬がテーマだった。 最初は緩やかに、しだいに激しく。粉雪の中で目覚め、吹雪を呼び起こす。 得意の 3A をミスしたのは彼らしくなかったけど、早いパッセージの曲に乗った細かく力強いステップは、彼の真骨 頂だ。こんなステップは今まで見たことがなかったから、誰しもが驚愕して沸き立った。圧倒的だった。 フリー1は、お互いに去年のプログラムで滑った。 (この頃の GPF はフリーを 2 回滑ってた) 僕が 1 位、彼が 2 位。ここまでは去年と同じ。ファイナルは、やっぱり僕と彼との一騎打ちになった。 アリョーシャの今年のフリーは、相変わらずの映画音楽だった。どっかで聞いた曲だと思ったら、タケシ・ホンダ が使ってたやつだ。ハリウッドの超人気俳優の映画「仮面の男」 。彼は 4-3 と 4T をきれいに決めた。トリプルがひ とつダブルになって、なぜかまた 3A でステップアウトしたけど、終盤に根性の 3S を決めた。僕は 4-3-3 を飛ぼ うと決めた。僕には 3A のコンボはないから、もちろん、勝つにはそれしかない。 僕のフリーは、ある芸術家の生涯をテーマにしていた。 僕に感銘を与え、僕の感性を磨き、そのうち僕そのものになっていった数々の芸術たち。僕はこのプログラムがと ても好きだった。 最初の 4-3-3 はクワドでループオーバーしたのでシーケンスの後が 3-2 になってしまった。 それ以外はおおむね ミスなく滑れた。 勝った、と、思った。実際、技術点は僕の方が高かった。 でも芸術点は――彼よりも僕を低く評価したジャッジは 4 人。その 4 人が、彼に 1 位をつけた。 僕は負けた。僕が、芸術点で負けた。 アリョーシャは、ロシアの審判が 2 位を付けたにも関わらず、それ以外を味方にして、僕に勝った。とうとうアリ ョーシャは、ロシアの影響さえ及ばない領域に到達したんだ……! 畜生、君はなんて――なんというファイターだろう。 GPF が終わってから、僕の陣営は大騒ぎだった。芸術点で負けるのは致命的だった。 技術点なんか、彼が 4-3-2 を決めてきたら覆される。勝敗を分けるのは芸術点だった。 「プログラムを変える」とミーシンが言った。僕は、 「わかりました先生」と言うしかなかった。 オリンピックまであとふた月もない。それまでに新しいプログラムを作って滑り込むのは至難の業だった。でもや るしかない。僕らは欧州選手権への出場を取りやめて、ひたすら五輪に向けて準備することになった。 アリョーシャ、君はいつも、僕の想像を超えて、目の前に立ち塞がる。 そして僕は、何度も何度も、いまさらのように自覚するんだ。 君が憎い。君さえいなければ。と、何百回思っただろう。 アリョーシャなんて大っ嫌いだ。 運命の日が近付いてくると、僕はナーバスになった。 無茶な練習で膝を痛め、焦燥に駆られてまた無茶をする。膝も背中も鼠径部も、どこもかしこも痛かった。でもや らなければ。練習すればするほど、不安が大きくなった。本当にこれで大丈夫なのか、僕はできるのか。何十回、 何百回と滑っても、まだ足りない気がした。 不安と緊張。極度のプレッシャー。増大する強迫観念。余念が多すぎた。 振付を忘れてリンクで立ちすくむ夢を見る。飛び起きると、すぐに氷の上にいかなきゃいけない気がして服に着替 える。時計を見ると、まだ夜中――そんなことが何日も続く。 大丈夫だ、僕はできる。僕にはできる。僕ならできる。 何度も何度も呟いて、ようやく息をつくと、拳を握りこんでたことに気付く。手を開くと、てのひらがじっとりと 汗ばんでいた。 アリョーシャ、君も、こんなプレッシャーを感じているの? と、天井を仰ぎ見たら、16 歳ぐらいのアリョーシャの顔が浮かんだ。僕を見下ろして、傲然と顎をはねあげてフン と笑った。 “んなワケねーだろ。この俺に向かって何言ってんの? プレッシャーだ? お前ごときに?” とっさに枕を掴んで投げつけた。俄然やる気になった。 ざまあみろ、アリョーシャ! フィギュアの花といえば女子シングルだけど、ここ数年は僕らのせいで男子シングルの人気はうなぎ登りだ。ショ ートプログラムだというのに、オリンピック会場は超満員だった。 滑走順はアリョーシャがかなり最初で、僕がだいぶ後。 僕はあえて彼の滑りを見ようとは思わなかったけど、会場中のどんな片隅にいても大歓声が響いていた。関係者が 浮き足立って「すごいすごい」と連発してるから、嫌でもわかった。君は君のなすべきことをやり遂げたんだ、と。 そして僕は何本もの痛み止めを打ちながら、痛覚が消えていくのを待つ。うん、膝も背中も大丈夫。 僕は、リンクに入ると必ず 40 秒かけて所定の位置につく。氷の具合を確かめて、ジャンプの位置を確認する。 できる、と思った。緊張はしてるけど、がちがちになるほどじゃない。 だけど、本当のプレッシャーというのは、自分で理解できるものじゃないんだ。 理解できないものに縛られて、一瞬、身体が萎縮する。いつもよりコンマ何秒かのずれが生じる。でも自分の感覚 では、いつもと同じに思えるんだ。だからコントロールする術がない。その時の僕がそうだった。 何が起こったのか、わからなかった。気付いたら氷に叩きつけられてた。 転んだんだ、と思ってまっ白になった。でも滑るしかない。後はもう条件反射みたいなものだった。 音楽を聞けば自然に身体が動く。 そのうちに落ち着いてきたけど、 フィニッシュした時には逆に冷静になりすぎて、 ミーシンに済まない気持ちでいっぱいだった。 僕はアリョーシャとタケシ・ホンダ、ティモシー・ゲーブルに次いで 4 位だったけど、それでも僕の順位が高すぎ るという声もあった。クリーンじゃないにせよクワドを決めた選手の方が、転んだ僕より上じゃないか、って。 それは、僕をさらに打ちのめした。 ビデオで見ると、進入スピードがいつもよりちょっとだけ早くて、身体を開くタイミングが若干おそい。 見ればわかるのに、そしていつもなら滑っててもわかるのに、あの時は“いつもと同じ”だと思った。 それがプレッシャーだ。脳からの伝達が筋肉に伝わって手足が動くまでの、ごくわずかなロス。 自分でも気付けない程の、そんなわずかな差をコントロールできる人間なんかいない。 だから、何百回も練習するんだ。 だから、何百回も練習したのに! ふいに幻のアリョーシャの声が耳元でこだました。 “この俺に向かって何言ってんの?プレッシャーだ?お前ごときに??” 本当に?アリョーシャ。 本当に“僕ごとき”だったの? 君は完璧に自分をコントロールしてた。今まで見たどの試合よりも正確で緻密でクリーンだった。 君の瞳には、もう僕は映ってないんだろうか。 もう何年もの間、僕らは互いを無視してきたから、君がどんな眼で僕を見ていたか忘れちゃったんだ。それとも、 僕はもう、君に敵視されるだけの価値を失ってしまったのだろうか。 知りたいんだ、アリョーシャ、教えてくれないか。 まだ僕は君のライバルなんだろうか。 それとも、転倒した僕なんか、もうお呼びじゃないんだろうか。 僕のオリンピックは終わってしまったんだろうか…… ――と思ってメソメソしてると、ハイエナみたいなマスコミにメタメタに切り刻まれる。 “転んだ原因は何ですか?やっぱりプレッシャー?” “ライバルのヤグディンは完璧な演技でショート 1 位通過ですが、4 位のあなたにチャンスは?” “フリーへの意気込みを語ってください” “あなたが転んだのはヤグディンの主治医が呪術を使ったせいだとのうわさをどう思います?” さすがに、最後の質問には、なにを馬鹿なことを言ってるんだと呆れ返った。僕が転んだのは僕のせいで、アリョ ーシャは何もしてない。アリョーシャが僕になにかしたとしたら、僕より順番が先で完璧だったというだけだ。 呪術だって? そんなことを本気で主張したら、それこそ 16 歳のアリョーシャに「お前、バカ?」とコケにされる。あまりにも馬 鹿げた質問だったんで、逆に一気に目が覚めた。 そう、まだフリーがある。まだ望みはある。アリョーシャに、僕と同じことが起こらないなんて、誰が言える? その時に、僕がさんざんな演技をしてたら、せっかくのチャンスがフイになっちゃうじゃないか。今度は僕がプレ ッシャーをかける番だよ。彼はショート 1 位で、最終滑走者だ。みんなの結果が出たあとに最後に滑る。プレッシ ャーという呪いは、彼にはどう影響するだろう? すごく楽しみだね、アリョーシャ。 そしてついに、あの運命の日がやってきた。 最終グループの滑走順は、チェンジャン・リー、タケシ、僕、ティモシー・ゲーブル、サーシャ(アレクサンドル・ アブト) 、そしてアリョーシャ。 僕が必ず滑る前にすることが 2 つある。ひとつは、リンクに入る前には、どんなに気が急いでても座ること。これ で少し冷静になれる。 どこか座る場所を探してたら、片隅にいるアリョーシャをみつけた。 その時、僕にどんな魔が差したのか。気付くと足が自然と彼に近付いてた。 彼は気配に気付いて顔をあげて、僕をみて一瞬おどろいたように目をみはった。それから、昔のように強い眼で睨 みつけてきた。 アリョーシャが、僕を、睨んでる――! なんだか俄然、やる気が出てきた。 僕は、いつものように 40 秒掛けて位置についた。 冷静に、冷静になれ。自分をコントロールするんだ。僕はできる。僕にはできる。僕ならできる。 最初の 4-3-3 コンボがステップアウト、最後の 3S が回りきれずにダブルになった。転ばなかったけど、会心の出 来じゃなかったけど、すごく満足だった。 僕は出来ることを精一杯やったんだ! さあ、次は君の番だ。君はどうするんだろう? 僕はバックステージのテレビモニタで君を見ていた。タケシとティモシーはリンク際で。 みんなが君を見ていた。 滑り出しは静かなマイム。牢に囚われた仮面の男。 最初のコンボは 4-3-2……信じられない! 彼ははじめて、しかもこの大舞台で、これ以上ないほどクリーンに 決めた。どこにもミスがないなんて! なんて美しい…… 続く 4T、3A…… え……? 3S が単独?コンボにしないの? まさか君――…… できなかったとは思えない。きれいな 3S だった。するつもりがなかったんだ。彼は一瞬の躊躇もなく、次のマイム に映った。頭を殴られたような衝撃だった。体中の血が下がって真っ白になる。 アリョーシャはショート 1 位だ。 現状では僕がフリーの暫定 1 位だから、君は 2 位でも金メダルが取れる。極端な話、クワドに挑戦すらする必要は なかった。でも彼は 2 回ものクワドを、これ以上ないくらい完璧に決めた。3A も完璧だった。 だけど、そんな、まさか。うそだろう? 胸が痛くなってきた。 アリョーシャ、アリョーシャ。知ってる? ねえ、僕は。 僕はね、コンボをふたつ入れたんだよ?4-3-3 と 3A―3 だ。そりゃ、どっちも完璧とは言い難かったけど。 ねえ、うそでしょう?アリョーシャ、まさか、君。 君はまさか、たった 1 回のコンボで、僕にすら勝つつもりなの――? そんなのって……そんなのってないよ。 ひどいよ、アリョーシャ。君は、残酷だ。 僕はいつだって努力してきたんだ。君の上をいくために、つねに限界に挑んだ。 君がクワドを飛ぶなら、僕は 4―3 を。 君がコンボを飛ぶなら、僕は 4―3-2 を。 そうやって僕が死にものぐるいで習得した技を、いつのまにか君は涼しい顔でこなして――それが僕らの暗黙のル ールだったじゃないか。僕と君は、同じだけの技を競い合ったじゃないか。君がコンボを 2 回飛ぶから、僕はもっ と高難度の技を目指してきたんだ。 君はそうじゃなかったの? “僕ごとき”には、これで充分だっていうの? 2 度目のコンボなんて必要ないの? 僕と張り合おうとは思わなかったの? それとも――そんなこと考えたくないけど――僕なんか本当に眼中になかったの? そんなのってない。ひどいよアリョーシャ。 君なんか、大っ嫌いだ―― 終盤が近くなると、もう抑えきれない興奮が会場中を轟かせた。 音楽が大音声で聞こえなくなって、終わったのかどうかもわからないような大歓声の中で、アリョーシャはいちど 天を仰いで、それから氷にくちづけた。 どんな大会でも、他国の選手にここまでの歓声が轟くことは滅多にない。ましてや彼はロシア人で、ここはアメリ カだ。10 年前までは冷戦してた国同士だ。決して好意は持たれない。悪役にはなれてもヒーローにはなれない。 なのに今、君は観客すべてを味方にした。 得点なんか見なくてもわかる。誰もが君の優勝を確信して、そして祝福してる。 彼の得点が出る。待ちきれずにアリョーシャは泣き出した。 その涙の裏に、君が戦ってきたものを見た気がした。 ――そうか。プレッシャーは君の上にもあったんだ。でも君は負けなかった、惑わされなかった。立ち向かって勝 ったんだ。自身を制した。 君は強い。誰よりも。 僕の目はモニタの中の君が映ってるけど、もう何も見てなかった。得点が――そんなものはどうでもいいと思いな がら、見なくちゃいけない気がした。技術点は、オール 5.9。最高難度で、ほぼ完璧だったってことだ。こんな点 数、普通はあり得ない。芸術点は、満点が 4 つ。どよめきがひときわ大きくなった。 僕は――今まで「ライバルは誰か」と聞かれて、 「自分自身だ」と答えてきた。そんなのは嘘だ。誰でも知ってる。 でもいま僕は、 「僕のライバルはアリョーシャだ」と大声で喚きたい。今あそこで泣いてる男、満場の拍手を浴びて いる彼こそ、僕のライバルなんだ、と。そして願わくば、アリョーシャ。君のライバルは僕だと、僕だけだと言っ てほしい。僕は君の敵でありたい。その他大勢なんていやだ。 君にとって、たったひとり僕だけがライバルだと言って。 「エフゲニー・プルシェンコを倒すためだけに戦った」と言って! お願いだから、そう言ってよ、アリョーシャ。 でも彼は、今日、いまここで、証明したんだ。 彼の敵は、彼自身だった。僕じゃない。他の誰でもない。彼は、自分自身に挑んで、打ち勝ったんだ。 ティモシーが 3 回クワドを飛ぼうが、僕が 2 回コンボを決めようが、君には関係ないんだ。だって、僕に張り合う ことすらしてくれなかった。 だったら、僕はもう、こう言うしかないじゃないか。 アリョーシャなんか、大っ嫌いだ―――と。 でもそう言ってしまうことは簡単だけど、なんだかとてもみじめだった。 僕がずっと勝ちたいと思ってた男は、僕を完膚無きまでに打ち砕いた。 こういう気分の時に、直後に表彰式があるというのはつらい。 僕は努めて無感動を装った。そうでもしないと、なんか制御できない感情が噴き出して、大声で喚き散らしそうだ ったから。僕の首に銀メダルがかけられる。それを見ながら思った。 ――この色は、僕が負けた色だ。僕自身に負けた色。 彼に負けたんじゃない、自分に負けたんだ。気負いすぎて、君にばかり気を取られて、自分自身のスケートができ なかった。今はそれがなによりも悔しい。 壇の中央にロシア国旗が掲げられる。そして耳なじんだ国家が流れる。 母なるロシア! 表彰台の一番高いところから、あの国旗を見たかった。 次は、絶対に負けない。今、悔しいからこそ、強く思う。 それから、ふと思い出した。 僕は去年の世界選手権で一番高い壇上にいた。アリョーシャは僕より一段低いところにいた。負けたのに、なぜか 誇らしげで、とても満足そうに笑ってた。 僕は今、とても笑う気にはなれないし、 「おめでとう、アリョーシャ」なんて死んでも言えない。それどころか、口 を開いたら君を罵倒しそうだ。 死ぬほど負けず嫌いの君が、なんであんな風に笑ったのか、僕には全然わかんないよ。僕は今、悔しくて悶死しそ うだもの。僕は負けたら悔しいし、全力出して負けたら、よけい悔しい。負けても満足だなんて絶対に絶対に思え ない。 僕は君にしか負けたことがない。君しか、僕を負かせる男はいない。だからこそ、君に勝つことが僕の至高の喜び で、君に負ければ死ぬほど悔しい。君に勝つためだけに滑ってると言ったって、決して大袈裟じゃない。 君は、唯一僕を悔しがらせることができる存在だ。君だけが唯一なんだ。 君さえいなければ、僕はこんな悔しさを味わうことなんかなかったのに。 じゃあ君にとって僕ってなに? 唯一じゃないの? ライバルじゃないの? 僕に負けることは悔しくなかったの? 僕に勝つことより、試合に勝つことの方が君にとって大事だったの? きっとそうなんだ。 きっとそうだったんだろう。だからアリョーシャはコンビネーションを 1 回しか飛ばなかったんだ。 僕と勝負するより、勝つことを選んだ結果だ。 君の瞳には、僕は映ってなかったんだ。見ていたのは、金メダルと一番高い表彰台と――そしておそらくはミーシ ンだけだった。 畜生、君なんか大っ嫌いだよ、アリョーシャ。 五輪後の世界選手権。僕は出る気でいたけど、膝の調子がどんどん悪くなったから、結局出場は断念した。 実際、膝の具合は最悪だった。僕の成長期は終わってなくて、なのにずっと負荷をかけ続けたせいで普通は閉じる はずの軟組織が開いたままなんだって。 膝だけじゃなくて、鼠径部も腰も背中も痛くてたまらない。そのうち、ただ平地を歩くだけでも痛くなった。これ じゃジャンプなんかとても無理だった。だから出場しなかった。 でも正直いうと、本当はもう一度彼にこてんぱんに負けるのがこわかった。どんなに自分を奮い立たせても、どう しても彼に勝てると思えなくて、気持ちですでに負けてた。あの敗北を立て続けに味わうには、僕はまだ若すぎた。 そんな状態で試合にのぞむことを、僕もミーシンも良しとしなかった。 長野で行われたそれは、僕以外のメダリストが出場してて、僕のかわりにタケシ・ホンダがメダルを取った。 もちろん優勝はアリョーシャだった。余裕綽々の彼が憎らしいから、すぐにテレビを切っちゃったけど。 そのちょっと前、ロシアで一騒動あった。 オリンピックの祝賀会が開かれて、僕らメダリストはプーチン首相から訓辞を賜った。 だけどその席に彼はいなかった。 呼ばれなかったんだとか、嵌められたんだとか、いろいろとうわさが立ったけど、現実はこうだ。連盟は彼を招待 した。だけど時期が遅すぎて、彼は世界選手権の準備を優先させた。裏を返すと、一応儀礼上は招待してやるけど 出なくて結構――そういうことだ。ロシアは、金メダルを取った彼を、のけ者扱いしたんだ。 彼は激怒して、出席をみずから辞退した。 でも金メダリストなしの祝賀会なんて、馬鹿げてるにも程がある。まるで狂言回しだ。僕は道化師になるなんて、 まっぴらごめんだった。 アリョーシャのいない祝賀会は、薄ら寒くはじまって、しらじらしく終わった。 僕とミーシンは、五輪が終わったあとに珍しく口論した。というか、僕が珍しく――はじめてミーシンに反論した んだ。 ミーシンは「アリョーシャがお前の勝利を盗んだんだ。あの盗っ人が!」と言った。そしてジャッジを口汚く罵っ た。僕の方が難しいエレメントをこなしたのに、それを評価しなかったジャッジを。 でも、それを言うならティモシーだって難しいことに挑んでた。彼は 2 種類のクワドを飛び、計 3 回のクワドに挑 んだ。そんな選手は他に誰もいなかった。でも、ティモシーの方が僕より上だとは誰も言わない。 確かにティモシーは 3 連コンボができないけど、でも僕だって4サルコウなんて飛べない。できないものをコンボ にするなんて、もっと無理だ。 ミーシンが何に怒ってるのか、それがアリョーシャではないことぐらい、とうにわかっていたから、僕は謝るしか なかった。 「ミーシン、僕が負けたのは、僕の出来が悪かったからなんだ。優勝できなくて、ごめんなさい」 「何を言うんだジェーニャ。お前は誰よりも難しいエレメントを数多くこなしたのに!」 「でもクリーンじゃなかった。あなたに教わったジャンプを、ここ一番という時に、きれいに決められなかった。 それをやってのけたのはアリョーシャの方だった。本当は僕が証明しなきゃいけないのに、あなたの教えたジャン プが世界一だと証明したのは、アリョーシャなんだ」 ミーシンは黙ってしまった。 「アリョーシャは、すべてのエレメントを完璧にこなした。それが評価された。僕はかろうじてこなしたけど、ひ とつひとつがおろそかになった。あなたが教えたことを完遂したのはアリョーシャの方だ。不甲斐ない思いをさせ て、ごめんなさい…………」 五輪の後、記者達の前でミーシンは誇らしげに語った。 “私の教え子が 2 人もメダルを取ったことを嬉しく思う” そこに割って入ったアリョーシャは激怒して言った。 “俺のコーチはタラソワだ。あなたじゃない。あなたは事あるごとに俺をけなして、ジェーニャより劣ってるとお としめてきた。そのあなたが、俺の――俺たちの勝利を横取りするのは、いくらなんでも許さない!” ミーシンは世界中のマスコミを前に、完全に彼に撃沈されて恥をかき、その場にいた僕はもっとみじめになった。 ――そんな痴話ゲンカは、僕のいないところでやってよ―― ミーシンがいまだにアリョーシャに未練があるのは知ってるけど、いつも憎々しく毒を吐いて彼を罵倒するのは、 思いも寄らない形で手放すことになった口惜しさに他ならないと知ってるけど、だけど、もういい加減にして。彼 と僕を比べないで。 アリョーシャは何年も前にミーシンの元を去っていった。なのに、いまだにミーシンの心をとらえて離さない。 ミーシンが彼を見捨てたなんて嘘だ。だってミーシンはこんなにもアリョーシャに執着してるじゃないか。 彼はミーシンから離れてなお、心をとらえている。 本当に、アリョーシャなんか本当に大っ嫌いだ…… 2002 年の夏は、いろんなツアーからオファーがあって、いっぱいショーに参加した。 アメリカでのツアーでは、アリョーシャと一緒になった。リハの合間に、 「ジェーニャ、ひま?」と声をかけられて、 サッカーやら卓球やらにいそしんだ。こんなふうに彼と過ごすのは、本当に久しぶりだった。 ある日、ショーが終わってロッカールームで着替えてた時のこと。ふと彼の脚に目がとまった。彼は、大腿部を束 帯できつく巻きなおしてるところだった。 怪我……にはみえないけど。 たぶん、うろんな目で見てたんだろう。アリョーシャは決まり悪そうだった。慢性的な脚の痛みがあって、ジャン プで着氷した時に痛みで気を取られないように、つねに別の痛みを与えてるんだ、と言った。 でも、僕らこれからホテルに帰るんだよ。もう今夜はジャンプ飛ばないのに。なのに彼は、太腿をきつく縛りなお した。 「ジェーニャこそ、膝はもういいのか?」 「見ての通りだよ」 そりゃそうだと彼は言った。 また競技会場で合おうと言って別れた。 次は負けないからねと彼の背中に言い返した。 そしてシーズンのはじまったばかりの 10 月 26 日、衝撃的なニュースが流れてきた。グランプリシリーズのスケー トカナダに出場した彼が、フリーを棄権したというのだ。 あのアリョーシャが、フリーを棄権? どんな状況でも、なにがなんでもがむしゃらな、負けず嫌いで諦めの悪さじゃ天下一品の、あのアリョーシャが? 考えられない。まるで信じられない出来事だった。 ふと、束帯を巻いてた彼を思い出したんだ。周囲は鬱血してて、ずいぶん長いこと習慣になってるようだった。リ ンクを降りてもなお、きつく巻きなおしていた。つまり日常生活にも痛みが――歩くだけでもあったのか。 そんな脚でジャンプを飛び、着氷してたというのか。 そんな状態で、僕に勝ったというのか。 まったく君は、本当に信じられない。ばかじゃないの? そのうち出てくるだろうとタカを括ってたけど、怪我は相当悪かったらしい。以降、公式戦には一度も出場しなか った。 引退、といううわさが、まことしやかに流れはじめたのは、年が変わる頃だった。 引退――引退だって? そのうわさをはじめて聞いた時は、馬鹿なことをと笑い飛ばした。誰が本気にするもんか。あのアリョーシャが、 こんな中途半端に引退だなんて。どうせするなら、長野で世界選手権を制覇した時にしてるだろうさ。 「俺様が一番だ。俺様にかなう奴なんでいないから、もう未練なんてないさ」って大言壮語でも吐いて世間に呆れ られながら。でも「トリノに出たい」なんて言ってる彼が、いま引退なんてするわけないだろ。 それからちょっとすると、もし彼の引退が本当なら、なんて幸運なんだろうと思うようになった。 これで僕はもう、二度と彼に邪魔されずにすむ。 ずっとずっと僕らは競い合ってきたけど、その一方が戦線離脱したら、残った方が世界を取る――つまり僕が。 僕の目の前には、薔薇色の未来が広がってるように見えた。 でも、それは間違いだった。 彼はロシア国内戦に出なかった。欧州戦にも。僕は 3 度目の欧州チャンピオンになったけど、その頃にはもう不安 でいっぱいだった。 彼がいない。どこを探してもいない。あの圧倒的な存在感が感じられない。 いままでだって、彼がいない大会で優勝したことは何度となくあった。でも、これは違う。いつもなら、こう思う んだ――ここで勝たなきゃ、次に彼と立ち向かう時に不利になる。 でも、いくつ試合に勝っても、次のステージに彼はいない。 正直、アリョーシャと他の選手とじゃあレベルが違う――謙遜はしない、本当に違うんだ。彼以外の選手なんて、 僕の相手になんてなりゃしない。 彼らとの争いでは、4―3-3 のコンボは必要ない。“転んだら――ひとつでも失敗したら絶対に勝てない”と思わ なくていい。 愕然とした。 どんなに集中しようとしても、緊張感が得られない。必死になれない。モチベーションが保てないのに良い結果を 出すのは、本当に至難の業た。でも、アリョーシャじゃない選手に、僕が負けるわけにはいかない―― 欧州戦の頃には、ついに、どうやって勝利の執念を持てばいいのかすら、わからなくなっていた。 “ライバルが不在のいま、エフゲニー・プルシェンコは目をつむっていても優勝できる” 僕の動揺を面白がるかのように、記者連中が書き立てる。 ……そんなことはないんだ。目をつむってて勝てる試合なんてない。 僕が勝つのは当然だと口で言いながら、気を抜いて不甲斐ない試合をすれば、悪口雑言で僕を罵りなじるくせに。 僕の勝利を確信してるくせに、僕が失敗することを望んでる。無様な姿をさらして、 「アリョーシャ、お願いだから かえってきて」と僕に言わせたがっている。そうでなければ、こうも執拗に彼についてのコメントを求められやし ない。 “アリョーシャがいなくて物足りなくないか?” “アリョーシャが不在の今、ライバルになり得る選手などいるのか?” 僕はそのたびに、つくづくうんざりしながら同じ答えを返す。 “ライバルはアリョーシャだけじゃありません” でも、そんなのは嘘だ。もう誰もがわかってる。僕だってわかってる。 僕が世界にあこがれてた時からずっと、目の前には彼がいた。彼を追って、追いすがって、どれだけ“彼”という 存在に引きずられてたか、今になってようやく気付いた。 そして今になって、僕がずっと吐き続けてきたあのいつわりの言葉が、皮肉にも真実になった。 “ライバルは、自分自身です”という、あのフレーズが。 いつも僕の行く道を立ちふさいでいた彼がいない。僕を阻む者がいない。でも振り返っても誰もいない。僕を追っ てくる者もいない。僕を脅かす存在がない。前にも後にも、そして隣にも誰もいない。 リンクの上が、とても孤独だった。 そして、僕は唐突に気付いた。 彼らが――あの嫌な記者連中が、そして世間が何を言わんとしてるかを。 そう、実際のところ、ここ数年の僕は、アリョーシャにしか負けたことがない。他の誰にも負けたことがないんだ。 僕は 2 位より下の順位を取ったことがない。 僕が負ける時は、必ず彼が僕より 1 段だけ高いところにいる。ただしアリョーシャは、僕以外の誰かに負けること が時々あったけど。だから、最初のうちは、あの五輪の敗北は、いつもどおりの僕らの熾烈な争いのひとつなんだ と僕も思ってた。 だけど、それは違った。連中は、本当はこう言ってるんだ。 “無様な負け犬が、王者のいないところで遠吠えしてるぜ“ 気付いた時には愕然とした。 僕は勝って勝って勝ち続けて、一時は彼を凌いだのに、あの五輪の敗北がすべてを振り出しに戻してしまった。 フィギュアファンなら、僕らがいかに勝ったり負けたりをくり返してきたかを知ってる。だけど、あのオリンピッ クではじめて僕らを知った者たちは、彼の勝利だけを知ってる。 世間にとって僕は、アレクセイ・ヤグディンがいてこそ価値があるんだ。彼のいない舞台でいくら勝利したところ で意味はない。彼に勝たずして王者は名乗れない。僕は彼に負けた。このまま彼が去れば、永遠に負けたままで終 わる。 そんなことは、この僕がいちばんよく知っている。 だからこそ、再戦の機会を与えないアリョーシャに腹が立つ。 ほんとに、はらわたが煮えくりかえるぐらい大嫌いだ。 アリョーシャは、世界選手権にさえ出場しなかった。 その年の世界選手権は、ワシントン D・C で開かれた。実を言うと、入国する時に一悶着あった。入国審査官は僕を 見て「勝ちに行くのか?」とニヤリと笑った。僕は、 「どうだろう?そうできるといいけど」と答えた。その次に「ど こへ行くのか」と尋ねられたので、 「MCI センター」と答えた。でも、僕はそこがどこにあるのかわからなかった。 すると、審査官は「それじゃ通すことはできないね」と言った。 何を馬鹿なことを。 その男は、僕が何者かを知っているはずだ。だって「勝ちに行くのか?」と開口一番に聞いたんだ。もちろん、知 らないはずがなかった。 ミーシンはグリーンカードを持ってるから、僕より先にゲートを通過していた。僕は不慣れな英語で懸命に説明し たけど、笑って相手にされなかった。 ――畜生、アメリカ人なんて、大っ嫌いだ! でも怒ったところで仕方ないので、大急ぎでトイレに駆け込んで携帯をかけて必要なことを全部聞いた。それでや っと入国することが出来たんだけど。 嫌がらせにしても、最悪なことをしてくれる国だ。やっぱり、北米は僕にとって鬼門なんだ。 それは逆を返せば、北米がアリョーシャの聖地だからに他ならない。ミーシンを捨て、ロシアを追われた彼を受け 入れ愛した国は、カナダとアメリカだった。 やっぱり君は、そこにいてもいなくても、僕の気に障ることばかりする。 大っ嫌いだ、アリョーシャなんて。 大会にはタケシ・ホンダとティモシー・ゲーブルも参加していた。まあ、世界選手権なんだから当然だけど。僕に とっても、負けられない試合だった。 でもアリョーシャがいない大会なんて、僕になんの意味があるだろう。 ――と思ったら、ワッと歓声が上がった。 なんで? 盛り上がるようなとこじゃないよ? だって製氷中だもの。 人々は上を見上げて指をさして何か言っている。中には拍手さえ。彼らはスクリーンを見ていた。そこには、トッ ド・エルドリッジと一緒にいるアリョーシャが映っていた。ただ客席にいるだけの彼を見て、人々は喜びさざめい てる。 なにしてんのさ、君。そんなとこ、君の場所じゃないだろ。君の場所はここ、氷の上だ。 高みから僕を見下ろすのはやめてよ。 手の届かないところへ行かないでよ。 僕はまだ借りを返してない。今度は僕が君をこてんぱんにする番なんだから。 だから、引退なんてバカなことを言わないで。 早く降りてきて。 僕のところへ来て。 いますぐ、君と勝負がしたいんだ。 ――そんなことが実現しないのは百も承知だけど。 僕は、とてもクリーンとは言えなかったけれど、4-3-3 と 3A-3F のコンボをなんとか決めた。僕の演技が終わっ た時、スクリーンに彼が映った。 とてもとても厳しい顔で、僕を睨んでいた。 世界選手権が終わってのインタビューで、プレスの 1 人が僕に言った。 「先ほどヤグディンは、来年こそ復帰すると言っていましたが、それについてどう思いますか?」 相も変わらず、連中は僕と彼を一括りにするのをやめない。 どう思うか、だって? 僕がどう思ったって、彼の何が変わるわけじゃない。僕は正直、君の引退を心からこいねがってるさ。 でも僕は、君を疎むのと同じくらい、君を惜しんでる。早くいなくなればいいのに、と思うのと同時に、ここにい ない君に腹を立ててる。 君の復帰を誰よりも願っているのは、この僕だ。 僕は、君のいる戦場で戦うことを狂おしいぐらい待ち望んでる。 神様は、ときどきとても気まぐれで意地悪だ。 子供のころ、夜になるといつも祈った。 ――神様、僕の邪魔ばかりするアリョーシャを、どうか僕の前から消し去ってください。 ――神様、ミーシンが僕だけを見てくれるように、僕のスケートを上達させてください。 願い事は、ふたつとも叶った。 だけど、神様。 お願いです。こんな形で僕からアリョーシャを奪わないで。 どうか、もう一度――贅沢は言わない、一度だけでいいから、彼を僕に返してください。 勝っても負けても、それが最後なら、絶対に悔いを残さないから。 ああ、でも、だけど、たぶん。 僕は飽くことを知らない。彼に勝てば、次にまた勝ちたくなる。負ければ「次は絶対勝ってやる」と思う。 君との戦いに、終わりなんてない。終止符は打てない。 でも現実に君はいない。 だから僕は、もう期待するのをやめるんだ。 君はそこで見ていればいい。僕は先に行く。君の手の届かないところへ。 君はそんな顔で睨んでるしかないんだ。僕の栄光を。僕の未来を。 それが、僕を置き去りにした君の罰だ。 どんなに君が競技をしたいか、僕には手に取るようにわかる。でもクワドも 3 アクセルすら封じられた君なんて、 僕の敵じゃない。シニアに上がったばかりの選手にすら及ばない。 君はそこで歯噛みしながら僕が勝ち続けるのを見てればいい。 違う、嘘だ。そうじゃないんだ。そんなことない。そんなの嘘だ。 本当は――僕は、本当は―――― ――――本当の僕は、アリョーシャの復帰を、心底から願っている。 2003 年のシーズンは、アリョーシャの引退で幕を開けた。 彼の引退が確実になった時は、ぽっかりと穴が開いたようだった。その穴はすごく大きくて、うっかりすると僕を 丸ごと飲み込んで破滅させてしまうほどの威力がある。それは、その先に続く長い寂寞の始まりでもあった。 シーズンの始まる前に、僕は破滅的な怪我を負った。 日本で開催されたショーで、氷の溝にはまって転んだとき、半月板を叩き割ってしまったんだ。 痛くて痛くて、悔しくて悔しくてたまらなかった。その頃にはアリョーシャの引退がすでに周知されていて、僕は ようやく本当に諦めがついて彼のいない世界で戦っていこうと決めたばかりだったのに。 なのに、こんなことでつまづくなんて――! 冗談じゃない。こんな些細なことで、彼のように不本意に引退するなんて、本当に冗談じゃない。まっぴらごめん だ。 だって、僕はまだ超えていない。まだ持っていないタイトルがある。まだ彼を超えられないんだ。 アリョーシャの引退セレモニーは、GP シリーズの一角――彼が最も愛されている国――カナダで行われた。 僕にとって北米大会の出場は本当にひさしぶりだった。なぜカナダ大会を選んだかっていえば、彼の引退があると 知ってたからだ。彼の目の前で、僕はまだまだ現役バリバリで、君なんて及びもつかないところまで行けるんだと 見せつけてやりたかった。君は五輪で勝ち逃げしたけど、僕には挽回のチャンスがいくらだってあるってことを、 君に知らしめたかったんだ。そのためには失敗なんかできないし、嫌でも気合が入ろうってもんだ。 そして当然、僕は優勝した。まあ、気合が入りすぎて空回りした感が否めないけど。 そういえば、公式練習のとき、最後まで残ってひたすらクワドに挑戦してる日本人がいた。その子は、転んでも転 んでもめげずにクワドを飛ぼうとしてた。成績は振るわなかったけど、この子は伸びるだろうなとぼんやり見てい た。 僕にも、あんな時代が確かにあった。世界を目指して少しでもうまくなりたいと懸命だった時期が。 そうだ、僕の目指した世界っていうのは――― あんまり派手にすっ転ぶんで、ロッカーで思わず大丈夫かと声をかけてしまった。すごく驚いた顔をしていた。ま だジュニアから上がったばかりで、タカハシなんとかって名前だった。タケシ・ホンダの後輩だと言ってた。 メダル授与式のあとも、観客はひとりも席を立たずに残っていた。 スクリーンにアリョーシャの功績が次々と映し出される。泣いている人も多くて、実際、アリョーシャも泣いてい た。ここにいる誰もが、彼の競技人生がこんなに短く終わるなんて思ってなかった。 それから短いスピーチがあって、彼が演技を披露した。正直、驚いた。 僕らが五輪の舞台で競ったのは、たった 1 年半前のことだ。あのときの彼は完璧なジャンプをことどとく決めたの に、いまの彼には単なる 3 回転すら危うい。たまにぐらつくのは痛みのためか。 僕との勝負は、こんなにも彼を痛めつけてきたのか。 傷ついた君。でもそれは僕も同じ。 僕はまだ 21 歳になったばかりだというのに、彼と戦って戦い抜いて、身体はボロボロだった。 僕らは互いを傷つけあってここまできた。 でももう、それも今日で終わる。 僕は――正直に言おう――僕はこの時はじめて、本当に彼の引退を確信したんだ。 だぶん、ずっと半信半疑だった。 怪我で滑れない、休息が必要だ――それは事実かもしれないけど、またいつか当たり前の我が物顔でリンクに現れ て、颯爽と僕の邪魔をするんだって、心のどこかで思ってた。だって君は嘘つきだから、これは戦略的な意味での 休息時間にすぎないんだ、って。 彼は不死身の戦士だ。何度突き落としたって、また平気な顔して這い上がってきて僕の邪魔をするんだ。滑れない のが事実だとしても、滑らないとは思わなかった。脚が折れても、骨が潰れても、身も心も砕けても、君は滑るは ずだ。 そのアリョーシャが、だってまさか本当に競技を去るなんて。 そんなのいつもの嘘に決まってる。 いや、違う。僕はそう思いたいだけだったのかもしれない。 だけど、いま猛烈に自分に腹が立った。僕はなんて非道なエゴイストなんだろう。なんでこんな仕打ちをしたのか、 どうしてこんなことができたんだろう。二度と競技に戻れない彼を、こんなにも打ちひしがれた彼を、さらに致命 的に打ちのめすためだけにカナダまで来たのか。 ……そうだ、確かに僕はそうしたかったんだ。 彼を叩き潰したかった。粉々に、木っ端みじんに、跡形もなく。 彼という存在がいつも僕にしてきたように、踏みにじって傷つけたかった。 そう、僕はいまだに、もう満足に滑れないと理解した今でさえ、君が恐い。 アレクセイ・ヤグディンという名は、いつも僕を追い詰めるんだ。いつまでたっても君の影につきまとわれる。 だけどもう、うんざりなんだ。だから完膚なきまでに叩き潰して、打ちひしがれた彼を見て、僕は満足なんだ。 そのはずなんだ。そのはずなのに。 なのになぜこんなにも胸が痛む。 どうして僕はカナダなんかに来てしまったんだろう……? アリョーシャは烈火のごとく怒っていた。 だいたい記者って連中は、なんだってあんなに失礼で気遣いがないんだろう? “あなたのライバルであるエフゲニー・プルシェンコは、あなたと戦えなくなることが寂しいと言っていました。 あなたのいない今、彼は向かうところ敵なしですが、どう思いますか?” アリョーシャの引退は自分で決めた幕引きじゃなかった。そんなの誰もが知ってる。脚の故障で不本意に辞めざる を得なかった。彼自身が、引退を納得するのに 1 年もかかった。なのにそんな質問――― でもアリョーシャもアリョーシャだ。 最近の君は僕よりだいぶ小っちゃくみえるし、普段があまりにも子供っぽいから忘れがちだけど、君って僕より 2 歳も年上だろ!? もっと大人に受け流せないわけ!? アリョーシャは、こう言ったんだ。 “彼がどうなろうと俺の知ったことか!” さらに記者が追い打ちをかける。よせばいいのに。 “ソルトレイクシティ五輪のあと、プルシェンコには再戦の機会がありませんでしたね? 結果的に、あなたは勝 ち逃げをした。そのことについては?” アリョーシャが答えた。 “僕たちの勝負は永遠に続くわけじゃない。どこかで終わりがあるんだ。そして、最後の最後に五輪って正念場で 勝ったのは俺だった。それだけだ。いままで彼には何度も戦うチャンスが与えられていた。もう必要ない、充分だ ろ?” ……つまり、僕には永久に“敗者”の烙印を押して、それでおしまいだというのか。 そりゃあね、わかるよ。すごくわかる。 君は不本意ながら、ある日突然、引退を余儀なくされた。目の前に続いていたはずの道が、いきなり途絶えてしま ったんだ。それでも負けて終わるより勝って終わる方が満足だろうさ。 でもさ、なんだよそれ!? なんか、それってないだろう!? そりゃ僕だって大人げなく、わざわざ君の引退セレモニーがあるのをわかってて出場して優勝したけどさ。もちろ ん、君に見せつけてやるために来たんだけどさ。そうだよ、単なる嫌がらせだよ。君はもう終わって、僕は未来が あるって見せつけるためだよ。じゃなきゃ牽制だよ。それ以外のなんでもないよ。 でもそれだけじゃないんだ。 本当は、僕の半分は、まだ君を求めてるんだ。認めて貰いたがってる。君にとって生涯ただひとりのライバルだっ たって、そう言ってほしいんだ。だから来たんだよ、わざわざカナダに! 君に見てもらいたかった。悔しがってほしかった。 “いいライバルだった、もっと戦いたかった、もう競い合えない のが本当に残念でならない”って言ってほしかったんだ。 気付けよ! それぐらい! 言ってよ! 最後ぐらい!! 何年一緒にいたと思ってるの!? 君って、ホントになんて嫌味なんだよ。いつもは嫌になるくらい聡くて賢くて切れ者なのに、なんで、こと僕に関 しては腹の立つことしかできないんだよ!? 君が「健闘を祈る」なんて殊勝な心にもないこと言うとは思ってなかったけどさ。 でも「俺の知ったことか」はないだろう!? いくらなんでも、そんなのひどいよ。 最後まで、君は僕を見ない。君の関心は、僕にはないんだ。そんなこと、気付かせないでよ。 君が悔し涙をみせるのは、僕と戦えなくなるからじゃなくて、競技ができなくなるからなんだ。戦う相手は、別に 僕じゃなくたって構わないんだ。誰でもいいんだ。僕はたまたま、そこにいただけ。 最後の最後まで、僕は君にとって“お前ごとき”だったんだ。 そんなこと、どうして今になって、僕に追い打ちをかけるんだよ。 アリョーシャなんて、アリョーシャなんて―――― 大ッ嫌いだ!! アリョーシャは、昨年から引き続いて若いフランスの選手ブライアン・ジュベールのコーチをしていた。 確かにジュベールは君と似たとこがある。大胆というかダイナミックというか力強いというか、振り付けはモロゾ フだし、君のコピーといっても過言じゃない。君が彼を自分の代役に選んだのは、充分に納得のいく話だ。 でも、所詮コピーはコピーでしかない。 そんな若造に僕が負けるとても本気で思ってるの? だってジュベールは君はない。いくら酷似してたって、コピーはオリジナルを超えられない。そんなことぐらい、 わからない君じゃないだろうに。ホントばかだね、アリョーシャ。 ジュベールじゃ無理なんだよ。君が心に穿った巨大な穴は、ジュベールなんかじゃ埋まりゃしない。 君の代わりになれる選手なんて、この地球上のどこを探したっていやしない。 君は、本当は自分が出たいんだ。でもそれが出来ないから彼を代理に仕立てて自分を誤魔化してる。 でも、それで本当になぐさめられるの? ジュベールじゃ無理なんだよ。彼の力じゃ、君を表現できない。君の脚の代わりにジャンプは飛べても、君の代わ りに世界を表現する力はない。君の求めるものと彼のできることの間には、限りなく大きなへだたりがある。 君だって、そんなことぐらいすぐに気付くよ。いや、もうすでにわかってるんだろう? なのに、君がジュベールの傍にいるのを見るたびに、僕は思い知らされるんだ。アリョーシャのいない、この世界 を、その孤独を。 本当に、君なんか大っ嫌いだよ、アリョーシャ。 その年は、アリョーシャの引退と、もうひとつ大きな出来事があった。 新しい採点方式が試験的に採用されることになったんだ。これは選手やコーチたちを、ありとあらゆる意味で大い に混乱させた。僕にとって難しいステップが評価されず、簡単なものがレベルをとれる。はっきりいってテクニカ ルスペシャリストは素人以下なんじゃないか。 僕がミーシンと作ったプログラムは、ある悲劇的なバレエダンサーをモチーフにしていた。 僕は時間さえあれば劇場に通い、何度も何度もまぶたに焼き付くぐらい見た。まだ映像が貴重なものだった時代だ から、記録に残らない舞台は刹那的だった。にもかかわらず、ニジンスキーは永遠に語られる伝説になり、死して なお芸術は生き続けてる。 僕らは、いくつもの瞬間を繋ぎとめて生きているようなものだ。僕もやがて老いさらばえていく。人間なら誰しも そうだ。だけど、ステージでの一瞬を――僕の場合は氷上での一瞬を――永遠にできたら。ダンサーに限らず、僕 のようなスケーターにとっても、そんな人生はあこがれなんだ。 それはとても難しいプログラムだったけど、それだけの価値があった。 去年出会ったマートンってヴァイオリニストも、まったくもって素晴らしい人だった。僕らはすぐに仲良しになっ た。彼の奏でる音楽が、僕に無限の想像を掻き立てる。こんな経験は初めてだった。 願わくば、このプログラムでアリョーシャと戦ってみたかったけど、それは言っても詮無いことだ。 君との戦いを求め続けること、君の幻影と競い続けることは、追いかけても決して届かない逃げ水を追うのに似て いる。僕はたぶんずっと、 「アリョーシャ」という形の僕自身の影を追い求めてたんだ。 どうすれば君に勝てるのか、どうすれば君を超えられるのか、答えは僕の中にあった。君ばかり見ていたから、ず っと気付かなかった。僕は自分を見なきゃいけなかったんだ。それがわかった。 僕は、僕を解放する。 だから、もう君はいらない。 要らないんだ、アリョーシャ。 不思議なことに、僕の中の確執が消えると、波が引くように記者達も彼の名を口にしなくなった。彼らは、その特 有の嗅覚で敏感に僕の感情を読み取っていたんだろうか。僕がまだ、彼との勝負に未練を残していたから、それを 反映してたんだろうか。 事実、僕が彼と競い合うことを完全に諦めた今、誰も僕を彼と比べなくなった。 “もしヤグディンが健在だったら” “もしヤグディンがこの試合に出ていたら” 去年までは、彼のいないリンクで、彼の名前を聞かないことはなかった。仮定法を使ってまで僕を彼を比較してた のに、もはやだれも彼の名を口にしない。意図的に、彼の存在は消されていった。 時々、思い出したように彼の名をみかけることがあったけど、それは以前のように僕を貶め苛立たせる類のもので はなくなっていった。過去の人が、過去の栄光にすがって吠えていた。 勝負に勝ったのは君で、運命に勝ったのは僕だ。 事実、僕はロシアの寵児で、彼はロシアの反逆者。金メダリストなのに、ロシアで彼がアイスショーの出演を許さ れたのは、五輪から何年も経ってからだった。 だけど、新採点について彼が発したあの発言、 「いずれクワドを飛ばない世界王者が生まれるかもしれない」には、 はっきり言って怒りで全身が逆立った。でも何を言ったって、アリョーシャは過去の人になってしまった。 かわいそうなアリョーシャ。 そして、彼のいた場所は、そのままそっくり巨大な空洞になった。ぽっかりと、心の中に。 確実に、時代は次へと移っていった。 去って行ったのは彼だけじゃない。ティモシーが去り、タケシもあまり競技会に出なくなった。あのソルトレイク シティで覇を競ったつわものたちが、またひとりリンクを後に消えていった。 採点方法が変わり、トップを争う選手たちもめまぐるしく変わった。 寂しい反面、それはとても喜ばしいことでもあった。僕に敵うものは誰もいない。僕はぶっちぎりのトップで、世 界は僕の独壇場だった。あるロシアの記者が、僕のことを“孤独の王様”と表した。リンクの上は孤独。僕の前に も後ろにも、誰もいない。でも孤独も悪くない。ぜんぜん悪くない。 誰も寄せ付けない絶対王者。 次第に、人は僕のことを皇帝と呼ぶようになった。 僕も順風満帆とはいかなかった。 2005 年のシーズンは、膝や腰の痛みとの戦いになった。 そしてついに、4 度目の世界王者を賭けた世界選手権で、僕はショートのあと棄権するという事態に陥った。実際、 膝はおそろしく腫れ上がって、ふつうの形を成してなかった。歩くだけで、というより足を着けるだけで痛みが走 る。 いま無茶をすれば、確実に来季を――オリンピックを棒に振る。それだけはごめんだった。 私生活では、5 月に政治家の娘と結婚して、わずか 3 ヶ月で破綻した。 7 月には膝の手術をするべくドイツに向かった。 そんな折、アリョーシャが競技に出るという情報が入った。 競技といってもジャパンオープンだからお遊びみたいなものだ。プロアマ混合コンペで、僕も昔よく出場した。さ すがは日本の財力で、オーサーやカート・ブラウニングのようなベテランから、当時クワンやスルツカヤみたいな 五輪でメダルを取るバリバリ現役の選手を揃えてて、北米にも TV 中継してた。もちろんアリョーシャもいた。彼が いるのに負けるわけにはいかないから、すごく頑張った。 スポンサーが手を引いたのか、しばらく開催されなかったけど、今年から復活するらしい。 新採点で滑るアリョーシャには少し興味があった。 タケシ・ホンダが出るというから、TV 放映があるのか聞いたら VTR を送ってくれるって言ってた。聞いただけだか ら要らないよって言ったけど、タケシのことだから必ず送ってくると思った。 アリョーシャの衣装を見て、一瞬息が止まった。あの五輪のプログラム、仮面の男だった。 ……やっぱりクワドも 3A もない。ジャンプで転ばないのはさすがだけど、なんだかとても慎重にみえる。勢いがな い。世界を取ったときの君は、もっと自信満々で余裕綽々だった。 僕が見たかったのは、こんなアリョーシャじゃない。 なんだよ、この体たらくは。 アイスショーばかり出てるから、4 分半のロングプログラムも滑れなくなってるの? フラフラじゃないか。 ああ、もう、今にも転びそうじゃないか。見てらんないよ。 こんなみじめなアリョーシャを望んでなんかいない。今の君は、まるで地を這う虫じゃないか。あの高く高く飛翔 する、お得意のジャンプはどこへ行っちゃったのさ。 いくらなんでも、これはないだろう。こんなアリョーシャは見たくなかった。 僕だったら、自分のこんな姿は誰にも見せたくなんかない。 君は僕を負かすことのできる唯一の男だったのに、こんなの悲しすぎるじゃないか。 でも、ちょっと待って。なんか……なんか音が余ってるのは……編曲のせい……? 編曲のせいではなかった。 一瞬、競技を舐めてんのかと頭が沸騰したけど、それは違った。 曲が終わって、君は泣き顔を隠すように手を組んで、そして感極まったみたいにリンクサイドにいるタケシに飛び ついた。君にとって、それが今のベストな演技だったんだろう。点を待つあいだはソワソワしてて、楽しそうだっ た。 理解できない。あんな演技で満足だなんて、本当に理解できない。 得点は 117 点だった。117 点なんて、女の子だって上位はもっととれる。現に浅田真央は 125 点を叩き出した。 僕はとっさにリプレイしていた。巻戻して見る。やっぱり、編曲のせいじゃない。 3F-3T のコンボから入って、3F、3S くずれの 2S、また 3T、3S……117 点だって? 素人なら、単に低い点だと思うかもしれない。オリンピックチャンピオンとは思えないほどの低い点だ。 でもタケシだって 117 点だった。 だがタケシとアリョーシャではまるで違う。彼がやったこと――いや、やらなかったことの意味を、一体 何人が気付いただろうか。 君は単に、純粋に競技に戻りたかったんだろう。でも君がしたことは、男子フィギュアを衰退させる。僕 らが互いに高め合って築いた男子フィギュアの最高峰を、よりにもよって君が崩壊させるなんて。 そんなこと、断じて許せない。 そんなふうにアリョーシャに対して怒ってたから、9 月に韓国のショーで顔を合わせた時にはちょっとタ ガが外れてしまった。 それというのも、彼があまりにあっけらかんと僕に挨拶なんてするもんだから、頭に一瞬で血が上った。 腕をひっつかんで更衣室に引きずり込むとロッカーに叩きつけた。彼はなにかを叫んでいたけど、構わず 押さえつけた。 「君は、何をしたか! 自分でわかってるの!?」 こんな大声で怒鳴ったのは久しぶりだった。下から睨み上げる瞳を見て、そういえば彼はこんなに小さか ったんだと妙に冷静に思った。 物音を聞きつけて誰かが飛んできた。まさか殴り合いはしないだろうが、僕らの仲の悪さは誰もが知ると ころだったし、僕の剣幕にびっくりしたんだろう。 続きはホテルで、とアリョーシャが囁いたんで、ようやく僕は締め上げていた襟首から力を抜けた。 「――で、俺がなにをしたって?」 「競技に戻りたいなんて寝言だと思ってたけど、本気で言ってるとは呆れたんだよ」 最初から売り言葉に買い言葉だった。それは認める。 「クワドも 3A すら飛べないくせに、オリンピックに出たいだなんて聞いて呆れる。黙ってテレビ観戦して りゃいいのに」 「……お前ってホント残酷……」 「なにがだよ、残酷なのは君の方じゃないか。いつだって僕を置き去りにして、僕に目もくれないで! 君 が見てるのは僕じゃなくてミーシンじゃないか!」 「お前だって俺を置き去りにしてるじゃないか! 俺がどれだけ競技に戻りたかったか、お前なんかにわ かるはずねえよ! 俺はな、俺は――」 「言い訳なんか聞かないよ。君は僕を一度としてライバルとして見てくれたことなんてなかったじゃない か!」 「聞けよ! 俺の脚はな、もうクワドも 3A も飛べる状態じゃないんだ」 「だからって選んだ方法がアレなの!? 短絡的すぎない!? 僕だって膝も腰もボロボロで、痛くてた まらなくても飛んでるのに、君のはただの甘えじゃないか――…ッ」 続きは言えなかった。渾身の平手を受けて、頭がクラクラした。 アリョーシャの手は震えてた。声も震えてた。泣きそうだった。 「……俺の脚な、先天性の骨の病気なんだよ。競技のために無茶したせいもあって、股関節の軟骨が砕け て骨盤に刺さってるんだ。ずっと痛かったけど、気にしないようにしてた。オリンピックの前も、何度も やめようかと思うぐらい痛いときがあった。でも、あれ――あのオリンピックが限界だったみたいだ。あ のあと、何度か砕けた骨を除去する手術をして、そのたびに少しは痛みが引いたけど、もう本当に限界な んだ。骨の形が変わっちまってるんだ」 その告白は、僕を打ちのめした。彼が僕の前から去って行った本当の理由を、僕はこの時になってはじめ て知った。 「医者からは、もうあと 1 回でもクワドを飛んだら完全に骨盤が砕けて歩けなくなるって言われた。それ でも――それでも飛びたいんだ……! いつも寝る前に願うんだ。神様、わがままは言わないから、一度 だけでいいから、あの頃みたいに滑らせてください、って」 僕は、返す言葉がなかった。 「骨が砕けたって、二度と歩けなくたって、これが最後で構わないから、だからもう一度だけ――一度で いいから――頼むよ、一度でいいんだ! 勝負がしたいんだ、お前と!!」 「――――アリョーシャ、君……」 「……お前、ずるい……ずるいよ、お前……俺はお前がうらやましい。膝が痛くたって、腰が痛くたって、 お前、まだ飛べるじゃないか……俺は、俺の脚は、限界なんだ。歩けなくなるのも時間の問題だって言わ れてる……もう時間がないんだ。いつまで滑れるかわかんねえんだ。それでも、滑りたい…………滑りた い、滑りたい、滑りたい―――」 「……わかった、もうわかったから。ごめん、言い過ぎた。ごめん、アリョーシャ……」 僕は彼を抱きしめながら、子供みたいに泣いた。 それから僕らは、ファンが差し入れてくれた酒を飲みながら夜が更けるまで長いこと話した。 「で、君はホントに競技に復帰するつもりなわけ? 僕は無理だと思うけど」 「無理は百も承知だ。でも俺がやらなきゃいけないんだろうな」 「なんで」 「お前、ジャパンオープン見たんだろ? だから怒ってんだろ? 俺が、クワドや 3A なしでも勝てるって 証明しようとしたから」 「あたりまえだろ。だって君、いったい何回ジャンプ飛んだのさ。6 回だよ!? たった 6 回のジャンプ で 117 点だなんて!」 「……つーかお前、なに見たの? テレビ放映は日本でしかやってなかっただろ。リザルトじゃ、最後の 3S はザヤック扱いだから、最終結果は 5 回のジャンプで 112 点だぞ?」 うろんな目で見られて恥じ入った。まさかタケシに録画してもらったなんて言えない。 アリョーシャがあの試合でやったことは、こうだ。 男子フリーは通常、8 回のジャンプが飛べる。そのうちコンボは 3 回まで。ひとつは 3 連続にできるから、 最大 12 回のジャンプが飛べる計算になる。アリョーシャは、コンビネーションを含めて 6 回しかジャンプ を飛ばなかった。つまり、あと 6 回分、ジャンプの得点を加算できる。単純計算するなら、トリプル 1 回 5 点として 30 点を上乗せできるってことだ。失敗しなければの話だけど。 つまり、クワドと 3A がなくても 150 点を出せるって、たった 6 回のジャンプで証明したわけだ。 「信じられない。君ほどの選手が、クワドなしでも勝てる今の採点方法を推奨するわけ!?」 「そうじゃねえよ。こういう勝ち方は、俺みたいな選手がやるべきなんだ。物理的に飛べない選手がな。 現役選手は最高技術を競い合うのがスジだろう。俺たちがそうだったように」 「……」 「たぶん、この新採点ってやつは、俺たちが正当に戦えるためのシステムだったんだ。あの頃のペアもそ うだっけど、技術的に遜色ない 2 組のどちらを優勝させるか、それはジャッジにとっても頭の痛い話だっ ただろう。片方が目に見えて失敗してくれればって、そんな採点だった。でも、もし俺たちがノーミスで 演技を終えたら?」 ……それは僕があの頃つねに思ってたことだ。僕らが互いにベストを尽くしたら、ジャッジは困惑するし かなかっただろう。 「もし俺がリタイアしないで戦い続けられてたら、この採点の風向きももっと違ってたはずだ。最高難度 の技術と完成度を競う競技になった。だけど……」 そうはならなかった。どこかで歯車が狂った。 「そのうち 4 回転を飛ばない世界王者が誕生するぞ」 アリョーシャが断言した。そんなことあるもんか、と反論したけど、さらにアリョーシャは口調を強くし た。 「なるんだよ、じきに。風潮はもうあるだろう。その筆頭がバトルやウィアーやライサチェックだ。そう なってからじゃ遅いんだ。彼らは素晴らしいスケーターだよ。なのに、汚点になるような勝利を記録しち ゃいけない」 「君が汚点だって言うのに、そういう風潮になるんだ?」 「なる。でも、そのうちまた 4 回転時代は復活する。たぶんその時は、俺たちの時代よりもっと熾烈にな るぜ。そうなった時、過去を振り返って人はなんて言うと思う? 彼らは俺より若いんだ。若くて、俺み たいなポンコツじゃない。 プロスケーターとしての未来だって、 俺なんかよりずっと長くあるはずだろう。 なのにさ……そんな……」 なんていうか、まるで君の瞳には、その未来が見えてるみたいだ。 君のその青い瞳は、いったいどこまで見通してるんだろう? 君の未来? 僕の未来? それとも僕らの 知らないまだ見ぬ若者の未来か。 「だから、俺しかできないなら、俺がやらないと。俺が歯車を狂わせたんなら、俺がもとの形に戻さない と」 「それで、君は自分の脚とスケート人生を犠牲にしようって言うのか」 「そんな綺麗ごとじゃないさ。俺を誰だと思ってんだ。俺はまだ競技に未練があんだよ。競技に戻れるん なら、なんだってやる。悪魔にだって魂を売るぜ。一石二鳥じゃねえか」 どこまでが本気で、どこからが茶目っ気なんだろう――――たぶん、全部が君の本心なんだね。 「それに、まあ、あれだよ。お前は膝と腰をちゃんとなおしてオリンピック頑張れよ」 そういって笑った。 バカなアリョーシャ。 なんて馬鹿で純粋でいじらしいんだろう。 君にそんなことさせられるはずがないじゃないか。 男子シングル史上最高の五輪金メダリストに、みじめな末路を与えるわけにはいかない。 ロシアに帰ると、オリンピックの準備で忙しくなった。 2 度目とはいえ、さすがにオリンピックとなれば緊張もひとしおだ。下馬評では僕の優勝が圧倒的だった けど、そんなの本番でどうなるかなんて誰にもわからない。みんなピリピリとささくれ立っていた。 それなのに、アリョーシャが人の気も知らないで「復帰したい」だとか「復帰する」だとか言い出して、 マスコミもそれに乗るもんだから、 「そんなことが実現可能なわけないじゃないか」と、つい僕もボロクソ に言ってしまってあとで後悔する羽目になった。 そんなある日のこと。 ミーシンの部屋から密やかな明かりが漏れていて、なんだろうと顔をのぞかせた。ミーシンは、暗い部屋 でソファに深く沈み込みながらテレビを見ていた。 いや、テレビではなかった。懐かしいソルトレイクシティのリンクが映っていた。 まだ若かった僕ががむしゃらにステップを踏んでいた。ジャンプなんて、とりあえず転ばなきゃいいって 感じの勢い任せで、思わず笑ってしまった。そしたらミーシンが振り返って、慌てたように目を泳がせた。 「どうしたんですか。なんだか懐かしいものを見てますね」 「いや、ちょっと参考にと思ってね」 そう言ってミーシンがビデオを消そうとしたので遮った。 「よかったら僕も見たいな」 ミーシンの隣に座ると、少し困惑ぎみだったけど、彼はまた画面に視線を戻した。 ほぼヤケクソなカルメンを見ながら、僕このとき何を考えて滑ってたかなと思い出そうとした。 それからティモシーが 4T を 2 回と 4S を 1 回決めたのを見て、いま彼が現役だったら、果たして勝てるか なと思った。 最終滑走者はアリョーシャだった。考えてみれば、お膳立てとしては出来すぎだった。 静かなパントマイムから始まり、最初の 4T-3T-2T は完璧だった。続く 4T も 3A も 3Lz も。最後の 3F でよ ろけた以外、ジャンプは完璧。壮大で優美な音楽。金を濃くした髪、仮面の衣装。指の先まで優雅で力強 かった。なにもかも完璧だった。 「……美しいな」 ぽつりとミーシンが呟いた。泣いているようだった。 この時、僕は、彼の美しさの前に打ちのめされたんだっけ。どうしたらこんな男に勝てるなんて思ったん だろう、と絶望感を味わったんだ。 これがアリョーシャとの最後の勝負になった。彼は至高の金メダリストだった。 僕は、彼を超えるような演技をしなくては。 君はあの時、まだ 21 歳だったのに、 「金メダルを取るには年を取りすぎている」なんて言われてたっけ。 僕は今年 23 歳になる。あの時の君より 2 歳も年上だし、もうプルシェンコの時代は終わったなんて言う輩 もいるけど、これってあの時の君と同じ状況だね。そんな中で、君はあの演技をしたのか。 負けてられないな、と、久しぶりに身体の芯から闘争心が湧いてきた。 まるであの頃のように、君を相手に戦っていた時の緊張感と高揚感が戻っていた。 トリノの街は、五輪一色に沸き立っていた。 僕は、ロシア国内王者として、欧州王者としてトリノ五輪に乗り込んだ。身体の状態はとても万全とは言 えなかったけど、だから何だ。すべてが整ってる選手なんていない。 僕にとって一番面倒なのはプレッシャーだった。ふとした瞬間に、前回五輪ですっ転んだシーンが頭を過 ぎる。 ――僕は転ばない。あれから公式戦で転んだことは一度もない。絶対に転ばない。 傍からみたら余裕綽々だったかもしれないけど、僕は緊張で口から心臓が出そうだった。それでもショー トはただひとり 90 点台を叩き出して、気持ちにも余裕ができた。 終わってみれば、2 位に 30 点差のダントツ 1 位だった。 次々と、おめでとうメールが届いた。そういやソルトレイクシティの時はメールなんてものなかったな。 と思ってたら、 アリョーシャからメールが入ってた。 “おめでとう、 ジェーニャ” と簡潔すぎる文面だった。 それで考え込んでしまった。 僕は、出来る限りのことをしたし、できる限りミスを抑えた。 アリョーシャって、実はおそろしく率直な男で、さすがタラソワの弟子というか、いいものは手放しで褒 めるけど、よくないときは貝のように口を噤む。子供のころはボロクソにけなしてたけど、さすがに大人 になったのか空気読むようになったのか、人前で他人をこき下ろすことはなくなった。 演技の出来としては、自分でも無難にこなせた程度だったから、まあそんな感想なんだろうな。 と思ったら、なんて返事していいのかわからなくなった。 ただ“ありがとう”っていうのも高飛車っぽいし、 “君と同じメダルだよ”っていうほどの出来でもなかっ たし、 “ありがとう。でも緊張しちゃって、まあまあってとこだったよね”とか? ……僕たちってそんなメールのやり取りする間柄じゃないよね。なんか気持ち悪いし。 悩んで、しばらく固まって、後で考えようと思って、表彰式とか出てたらすっかり忘れてしまった。 その後は、国に帰ってからも祝賀会だのインタビューだのに忙しくて、やっと落ち着いて優勝を噛み締め ることができたのは 3 月になってからだった。 オリンピック後の世界選手権にメダリストが出ないのは、そんな気力が残ってないからってのが正しい。4 年に一度の大舞台にすべてを賭けてるから、その反動が大きい。それと、五輪で優勝したのに世界選手権 では負けるかも、なんて考えちゃうと五輪が汚されるような気になる。 僕の場合は、気が抜けちゃったのと膝がまた痛くなったのとで欠場することにしたんだけど。 とにかく、僕にとって長い長い 4 年間が幕を閉じた。 今はもう、僕を君と比較する人はめったにいないけど、君に負けて、君という目標を失って――なんだか ホントに何十年も前のことみたいな気がする。 僕はようやく、これでアレクセイ・ヤグディンという呪縛から解放されたんだ。 五輪が終わってからの僕は、まるで腑抜けだった。 目標は達成したし、正直、このまま引退しても構わなかった。だけどなんとなく躊躇して、正式に引退宣 言は出せずじまいだった。 いくつかのショーに出演が決まっていた以外は、怪我を理由に公式戦の予定を入れなかった。9 月のはじ めに例の韓国でのショーで、再びアリョーシャとまみえた時も、やっぱり僕は宙ぶらりんな気分だった。 アリョーシャにはなじられるかと覚悟してたけど、彼は何も言わなかった。 僕の人生だから、このまま続けるも引退するも僕の自由なんだって。 「君だったらどうしてた?」 ずっと聞きたかったことを聞いてみた。 アリョーシャという男は、五輪で勝ったそのあと、ひと月も空けず世界選手権でまた優勝したんだ。つく づく化け物だった。しかも次のシーズンも、故障さえなければやる気満々でノリノリだった。自分の身に 振り返ってみると、尊敬を通り越してあきれ果てる。 そのモチベーションはどこから来るんだろうと常々思ってた。 「俺だったら? 夏の間はショー三昧で、シーズン始まったら次のタイトル取りに猛練習だな」 「次のタイトルって?」 「だってさ、北米のスターズ・オン・アイス、お前も出たことあんだろ? あれって紹介のときタイトル がコールされるだろ。4 度の世界王者および五輪金メダリスト、ってさ。カートが 4 回世界王者でさ、勝 率並んだんだけど、ホントは抜かしたかったな。まだ 22 歳だったから、あと1,2勝はできただろ」 「……君って自信家も甚だしいけど、僕を差し置いて何回勝つつもりだったのさ」 「まあ、五輪後は負ける気しなかったけどな。結局あれが最後のシーズンになっちまったけど」 「ホント、競技好きだよね」 「まあな。ところで、俺、手術したんだ。骨の代わりに金属入れたんだぜ、脚に」 「え……」 それは初耳だった。いつ手術したのか聞いたら、今年のジャパンオープンの直後、7月だったって。 「ジャパンオープンで 3A を飛んだんだ。あれが最後の 3A になったな」 「最後……?」 「手術したら以前みたいに――とはいかないまでも、ある程度また滑れるようになると思ってたんだ。で も実際は、もっと制約が増えた。重いものは持っちゃダメ、走っちゃダメ、ジャンプなんてもってのほか ……ダメダメづくしで辟易だぜ」 「え……てゆーか君、ジャンプ飛んでたじゃない、昨日も今日も」 「一応、飛んじゃいけないことになってるんだけど、大丈夫だろ。俺の身体なんだ。俺が一番知ってるさ。 まあ、転んだらただ事じゃすまないみたいだけどな」 「相変わらず無謀すぎるよ……そういやテレビの話聞いたけど、なにあれ? なんで君が出演すると、必 ず僕もセットなわけ?」 「つーか、現五輪金メダリスト様の人気にあやかろうってハラだろ。現に、俺以外の出演者はナフカとか トトミアニアとか、トリノのメダリストだぜ。お前が引退してたらお前に話が行ってるだろ」 「ペアなんてごめんだね」 「お前らしいね」 アリョーシャは笑ってた。 それは、アイスダンスのズーリンとアベルブフが企画したスケート番組だった。プロスケーターとど素人 でペアを組ませて競わせる番組。言うなれば“シャル・ウィ・ダンス?”のスケート版だ。 「だって、シングルの選手がペアを組むだけでも大変なのに、相手はど素人だよ? わかってんの、君?」 「ま、なんとかなるだろ」 まあね、君ってそういう男だけど。楽しそうにしてるから水を差すのはやめるけど。 しかし、予想に反してテレビの反響は凄かった。 放映時間帯は街から犯罪者がいなくなると噂されるほどの人気番組にのし上がった。 とりわけアリョーシャは人気があった。ペアやアイスダンスの中にあってさえ異彩を放つ存在感もさるこ とながら、情感を込めての演技はさすがの風格だった。 が、審査員のタチアナ(タラソワ)は少々彼に甘すぎた。とか言おうものなら、百倍になって舌鋒が返っ てきたけど。 そんなこんなで腑抜けてる僕のもとに、またしても「アリョーシャが現役復帰か!?」みたいなニュース が飛び込んできた。 何をバカなことを。 手術して、もはや人工物の脚になった彼が、まともなジャンプが飛べるわけがないのに。 ときどき、君は預言者かなと思う時があるけど。 僕は君ほど頭が良くないから、君の言葉を理解するのに数年かかるんだ。君が復帰を口にした数ヶ月後、 君が危惧していたことが起こった。 その年、男子シングル史上数年ぶりに、クワドを飛ばない世界王者が誕生した。 別に、ジェフリー・バトルやライサチェックが悪いとは言わない。 だけど、勝てれば何をしても――しなくてもいいというのは、もはやスポーツじゃないだろう? クワドを失敗するくらいなら 3 回転で無難にまとめようって、その方が得点になるって考え方はわかる。 でも、それってスポーツと言えるのか? それがアスリートの姿なのか? 確かに、アリョーシャの言う通りだった。これは、君のような男が――というより君以外の男がしてはい けない勝ち方だ。でなければ君が報われない。 君が満足に滑れなくなったのは何のせいか? 先天的な疾患があったとはいえ、 僕と競い合わなければ、 君はあともう少し現役でいられたかもしれない。 あの頃の僕たちは、たとえ命を縮めようとも、手を緩めることはしなかった――できなかったんだ。 僕たちが同じリンクにいたのは、たったの 4 シーズンだった。君の脚が壊れてしまうのに、たったの 4 年 しかかからなかった。それがどれだけ過酷な 4 年だったのか。 タラソワは、君に謝る言葉もないと声を詰まらせてすがりついたと聞いた。 ミーシンは、君の最後の演技を見てひっそりと泣いていた。 君は引退するには早すぎた。 僕はあまりにも突然、生涯で唯一のライバルを失った。 大きすぎる代償を支払ってまで、氷上でしのぎを削ったのは、なんのためだ。 滑りたいんだ、と血反吐を吐くように叫んだ声が忘れられない。 君が命懸けで挑んできたことを嘲笑われているような気がしてたまらない。 僕が失った半身を馬鹿にされているようで、たまらない。 君と僕の挑んできたことなんて、なんの価値もないんだと言われてる気がして、たまらないんだ。 そんなのってない。あんまりだ。 彼と覇権を競ったリンクは、僕にとって何よりも大切な場所なんだ。 たのむから、もうこれ以上誰も、聖域を汚さないでくれ――― それから僕は、ミーシンと相談して復帰することに決めた。 だって、さすがにアリョーシャみたいな故障持ちの 30 男を現役復帰させるわけにはいかないだろう? 君は男子シングルの至高の存在なんだ。この僕が言うんだから間違いないよ。君ほどの強敵は、後にも先 にもいない。そんな男に、みじめな役回りをさせられるとでも思ってるの? 復帰したって、なにを今更って同情されて影で笑われるだけだよ。 そんなこと、したくない。絶対にさせられない。そんなの僕が耐えられない。 こういうのはさ、現役のすることだよ。僕みたいな。君がいなくなった世界で、歯車が変わってしまった のだとしたら、僕にだって責任はある。 僕だっていつまでも子供じゃないんだ。アレクセイ・ヤグディンの名に甘えるわけにはいかないんだよ。 そうして、4 回転論争を巻き込んだ渦中の――僕にとって 3 度目になるオリンピックに参戦することにな った。 その間に、僕個人にもいろいろな出来事があった。 例えば、息子が生まれて、妻と離婚した。直後に再婚して、議員にも立候補した。あ、順番が違うか。 息子が生まれて、議員になって、マリアと離婚して、ヤナと再婚した。 ヤナは僕のために必死に奔走してスポンサーを見つけ出してくれた。 僕は前回五輪の金メダリストだというのに、国際スケート連盟に喧嘩を売ったせいで、なかなかスポンサ ーがつかなかった。はっきり言ってスポンサーなしでは海外遠征だってままならない。渡航費用からスタ ッフを含めた宿泊費、リンクの使用料など、実費で行ったらたちまち破産する。 身体だってきつい。 二十歳の頃のようなキレはなく、あるのは怪我の痛みと体力の衰えの実感だけだ。 ミーシンは何度も、もうやめようと僕を止めた。僕の名誉が傷つくから、と。 わかってる。次の五輪は北米開催だ。僕にとっては究極のアウェーにほかならない。北米の連中は、自分 たちが勝つためにはどんな恥知らずなロビー活動だって平気でするし、しかもそれに対して何の罪悪感も 感じないんだ。事実、ジョゼフ・インマンによるメール事件があった。マスコミは僕を完全に悪者にした。 それでも、僕には絶対に譲れないことだった。 僕の言動はつねに監視されていて、ちょっとした発言は歪曲され捏造され、一人歩きしていく。インマン のメールがいい例だった。 僕が言いたいのはつまり、つなぎよりもエレメントの方が重要だろ、ってことだった。それが、つなぎは 必要ないと解釈されて、採点批判まで飛躍した。だったら、4 回転よりもつなぎの方が重要だって言うの か? 4 回転と同様につなぎは重視されるべきだと? ああそうだろうね。だからこそ、4 回転を飛ばない チャンピオンが誕生したんだろうさ。重要視するもののポイントの割り振りが間違ってんじゃないのかっ て言ってんのに。そもそも振り出しはそこだろう? 4 回転が 3 回転にポイントで負けていいわけがないじゃないか。そんな単純なことすら通じないなんて― ――本当にどうかしてる。 僕の言ってること、なんか間違ってる? 反論しても、誰も取り合ってくれない。それどころか、 「負け犬が遠吠えしてるぜ」と公然となじられ、そ しられた。 4 年前よりも、8 年前よりも、辛くて厳しい五輪になった。 腹が立って悔しくて、絶対見返してやる、絶対負けるもんかと、そればかり噛み締めてた。 僕は普段はおとなしいけど、火がつくとボーボーに燃え上がっちゃって、ちょっとやそっとじゃ収拾つか なくなることがあるんだ。 この時が、まさにそれだった。 膝はまったく不調だったけど、それでもロシア国内選手権で僕は最高得点を取った。もちろん ISU 非公式 だから、ほかから見れば「ロシアがあがいてるぜ」としか映らなかったかもしれない。 でも、続く欧州選手権はどうだ。僕は、2 位のランビエールに 20 点近い差をつけて優勝した。 ヨーロッパには、ほとんどの地域でまだ騎士道精神が残ってる。僕はドン・キホーテかもしれないけど、 若くなくても滑稽でも騎士は騎士なんだ。 だが北米にはそれがない。まったくない。彼らにあるのは、 「勝利こそ正義」それだけだった。 結果から言えば、僕は負けた。 4 回転をまったく飛ばない五輪王者が、96 年リレハンメルからじつに 4 大会ぶりに誕生した。 ショートプログラム終了後は、わずかに僕が上回っていたものの、続くライサチェックとタカハシはクワ ドなしで僅差だった。 僕は前回トリノ五輪から ISU の公式戦に出てなかったこともあって、世界ランクは下の方だったから、シ ョートの順番はかなり前の方だった。 僕は――誓って言う、僕は断じて手を抜かなかった。 はっきり言って、ショートでどれだけ点差をつけられるかがカギだった。僕にはもう、全盛期の頃のよう なキレも勢いも正確さもない。だから、体力を使うフリーの前に、どれだけ差を開けられるかが重要だっ た。 なのにどうだ。結果は僅差だった。 フィギュアはジャンプが全てじゃない、それはわかる。だけど、4-3 コンボを成功した僕と、3-3 コンボの 彼らとが、わずかコンマ差しかないなんて、それはどんな競技だ? 彼らの演技内容が素晴らしかったのだってわかる。だが、内容が素晴らしければエレメンツは、たとえば シングルジャンプでも構わないのか? それは一体、どんな競技だ。もはやスポーツとさえ言えないよ。 非常に不愉快だった。 ショート終了後のプレスカンファは、戦争勃発って雰囲気だった。 4 回転派の筆頭の僕と、クワド不要派の筆頭のライサチェック。間に挟まれて右往左往してるのは、日本 のタカハシ。このタカハシは中立派だった。それは彼自身によるものでもあった。 彼は、一昨年に靭帯断裂という大怪我を負って、まる 1 年間、競技はおろか氷上にすら立てなかった。そ の彼がリンクに復帰したのが昨年 8 月のこと。つまり 1 年もブランクあって、戻ってからまだ半年しか経 っていない。僕らはブランクと言っても競技に出ないだけで、ショーや練習はしている。まったくスケー トをしないブランク期間なんて、手術で入院してる間だけだ。それだって、元に戻すにはおそろしく大変 な作業だってことは、スケーターなら誰だって知ってる。 けれど、タカハシは半年で、この五輪という大舞台に間に合わせてきた。それは賞賛に値する。そんな彼 に、これ以上のこと――4 回転を要求するのはお門違いだってこともわかってる。 でも、釈然としないんだ。 エヴァンと僕の真っ向勝負に収拾つかないと見たプレスが、タカハシに質問した。 “あなたは 4 回転について、どう考えていますか?” 彼は、こう答えた。 “必要か不要かは、選手個人の意見があるでしょう。僕個人の意見は――僕がジュニアの頃から見てきた 金メダリストは 4 回転を飛んでいた。だから僕がチャンピオンになるなら、4 回転は外せないんです” タカハシは、フリーでクワドに挑戦した。誰が見ても、今季一度も成功してないクワドに挑戦するのは無 謀なことだったけど、それでも彼は挑んだ。やはり転んで、彼は 3 位の表彰台に上った。 誰が見ても、誰に聞いても、タカハシはクワドを飛ばずにいけば彼が優勝しただろうと言った。でも彼は 挑んだんだ。結果は失敗だったけど、とても満足そうで誇らしげだった。 タカハシという青年は、どんな選手だっただろう? 彼は、フィギュアにヒップホップを取り入れたり、ちょっと変わったパフォーマンスをする選手だ。技術 的にはトップクラスだけど、氷を降りるとどうにもポヨーンとした青年だった。 ふと、いつかの大会を思い出した。 選手みんなが公式練習を終えてロッカールームに引き上げたのに、ひとりで黙々とクワドを練習している 少年がいた。それが、このタカハシだった。まだ全然おさなくてヒョロヒョロで、クワドは全然決まらな くて、何度も何度も派手にすっ転んで、そんなにも必死な姿がとても微笑ましかった。だから、 「すごい頑 張ってたけど大丈夫?」ってロッカーで声をかけたら、彼はすごくびっくりした顔で、ぽかんと僕を見上 げた。 彼は、人知れず黙々とジャンプの練習をする地道で努力家の少年だった。 “僕がジュニアの頃から見ていた金メダリストは 4 回転を飛んでいた―――” タカハシは 2002 年のジュニアチャンピオンだ。 あのソルトレイクシティのオリンピックがあった年の。 つまり、彼がジュニアの頃の金メダリスト、彼が目標とした金メダリストは―――― タカハシの関係者は、誰一人として彼の決断を非難しなかった。もし無難にまとめていれば、日本に初の 金メダルをもたらしたかもしれないのに。彼らは、金色のメダルが欲しくて戦ってるんじゃない、名誉の ために戦ってるんだ。正々堂々と胸を張って世界王者だと言える内容でなければ、金色の価値がないと、 そう言うんだ。 だから無難とか姑息という言葉は存在しない。 もし、あの時奇跡が起きて、タカハシがクワドを成功させていたら、僕は彼を心から祝福しただろう。 彼がこの先も競技を続けてくれることを願う。彼が挑み続ける限り、クワドは復活するはずだ。 クワドを取り戻したタカハシは無敵だ。彼に勝つためには、もっともっと厳しい鍛錬が必要になる。 そうして誰よりも高みに昇った者のみが、王者として君臨できる。 ――――あの頃の君のように。 僕は、五輪のメダルを 3 つ持っている。 ひとつは金で、ふたつが銀。 一度目の銀メダルは、自分に負けた結果だった。二度目の銀メダルは、勝てなかった結果だ。 どちらも同じだけ悔しい。悔しさの種類はまったく違うけど。 五輪が終わってもなお、不名誉なうわさは僕についてまわる。 “プルシェンコなんて、もう過去の選手だ。いまさら吠え面かいてるぜ”なんて、幾度となく聞いただろ う。 でも、惨めだなんて思わない。 僕は議員を辞めて、スケートに専念することに決めた。 何を今更、という声もよく耳にする。 でも、次の五輪は祖国ロシアで開催されるんだ。まさか 31 歳の代表選手なんて、今までの常識を覆すこと だけど、僕は挑み続けたい。4 度の五輪に挑むこと――それは僕にしかできないことだから。 一度目の五輪のあとは、悔しさで次に向けて闘志満々だった。 二度目の五輪のあとは、もう充分やったから後は静かに暮らしたいと思った。 三度目の五輪のあとに沸いた気持ちは、いままでと全然違うものだった。 たぶん、僕はまた、アリョーシャに当てられたんだと思う。 アイスショーのジャンプで転んで、痛みのあまり気絶したと聞いた。 なぜそんなにも君は必死なんだろう。気絶するほどの痛みを抱えてまで、なぜ滑るのか。 君がそんなんだから、僕が早々にリタイアするわけには行かなくなるんじゃないか。 僕らの時代の選手は、みんなほとんど引退しちゃったんだよ。残ってるのはジュベールとベルギーの KVDB ぐらいだよ。 でもさ、それも悪くないよね。 君はグランドスラムのタイトルホルダーだし、僕は最多優勝タイトル保持者だけど、なんかもうタイトル がどうのって話じゃないよね。意地か根性の物語だよ。でも悪くないよ、それも。 君は、つねに僕より 3 年先んじてる。 30 歳の男がここまでやってるのに、30 歳になった僕ができない理由はないだろ? 31 歳の君がまだ滑り続けてるなら、31 歳になった僕が五輪を目指したっていいじゃないか。 そう言ったら、君が笑った。 「じゃあ、俺はまだまだやめらんないな。お前が“もう勘弁して”って悲鳴あげるまで続けなきゃ」 「君はいつまでやるつもりなのさ」 「骨が砕けるまで、かな」 「……ぜんぜんシャレになってないんだけど」 まったくもう、君には呆れ果てる。 ――尊敬する。敬服する。君には敵わない。だからこそ、追いついて、追い越したい。 僕とアリョーシャの関係も、少しずつ変わってきている。 そして男子シングルも。 高橋大輔が、彼の憧れた金メダリストを目指しているように、高橋大輔に憧れる若い選手たちが彼のよう な王者を目指すのだろう。 もしかしたら、アリョーシャの予言した新たな 4 回転時代が来るのかもしれない。 願わくば、もう少しリンクに立って、その先行きを眺めていたい。 そう、引退なんて、骨が砕けたら考えればいいことなんだから。
© Copyright 2024 Paperzz