1 著者略歴 イブラヒム ワリード Walid Farouk Ibrahim 1990 年カイロ

著者略歴
イブラヒム ワリード
Walid Farouk Ibrahim
1990 年カイロ大学文学部日本語日本文学科卒業後、同大学同学科の研究助手を勤め,
1994 年 4 月国費留学生として研究のため来日。
翌年,学習院大学大学院入学。2001 年 3 月日本語日本文学博士号を取得。現在,日本学
術振興会外国人特別研究員,学習院大学文学部助手。
日本語・アラビア語語彙対照研究に基づく アラビア語シソーラス
定価 2,000 円+税
2003 年 10 月 初版 第1刷発行
著者
Walid Farouk Ibrahim
発行所
株式会社 絢文社
〒173-0036 東京都板橋区向原 3-10-2
電話
(03)3959-3960
FAX
(03)3959-6530
E-mail:[email protected]
© Walid Farouk Ibrahim 2003
Printed in Japan
ISBN4 -915416-06-2 C3587 ¥2000E
1
日本語 ・ アラビア語語彙対照研究に基づく
アラビア語シソーラス
はじめに
言語は,人間が自分の意思・思想・感情等を,話し手から聞き手へや,ある世代から
次の世代へ伝えたり,表現したりするための手段である。そして,人間がよりよく,よ
りうまくコトバを利用できるために,コトバの仕組みを解明する言語学という学問があ
る。言語学には,単語の意味記述,意味分析を研究する意味論,音素の構造や体系を記
述する音韻論,文の仕組みを研究する統語論などがある。そして,言語を研究する分野
の中に,コトバを広く,さまざまな側面から研究する部門として,語彙論がある。
語彙論とは,語彙のありかたを研究する部門である。語彙は,単語の集まり,単語を
集合として見たものである。たとえば,ある作品に用いられた単語の総体(たとえば,
万葉集の語彙)
,ある意味分野に属する単語の総体(たとえば,色彩語彙)
,ある言語の
有する単語の総体(たとえば,アラビア語の語彙)等々,なんらかの関連性のある単語
の集まりである。また,ある観点から類集された単語の総体などをいう。つまり,複数
の単語は関連性があってこその語彙であり,相互関係のない単語が集まっても語彙には
ならない。たとえば、田中章夫氏が、
『国語語彙論』
(明治書院,1978)では,次のよう
に述べた。
ひとりひとりの人間が,それぞれの個性を持って存在しているように,一つ一つ
の語も,それぞれの意味なり性格なりを持って存在している。しかし,人間が,家
族とか国家とか,あるいは社会とか組合とか,さまざまなまとまりを形づくってい
るように,それぞれの個性をもった個々の語も,一方ではいろいろなまとまりを形
づくっている。日本語とか,英語とかいうものも,こうした面から眺めれば,個々
の語が集まってできた一つの大きなまとまりだということができる。
このアラビア語シソーラスの作成の過程では,田中氏の指摘にあったように,アラビ
ア語と日本語の語彙構造の比較対照を行ない,対照分析によって得られた結果に基づい
て,一つの大きなまとまりとしての「アラビア語の語彙」の特徴をシソーラスという具
体的な形で整理した。比較対照研究については下記では触れることにして,まず,シソ
ーラスとは何かについて言及する。
2
1:シソーラスの意味と役割
シソーラス(Thesaurus)ということばは,ギリシャ語の(Thesauros)
「宝庫」に由
来する。すなわち,
「ことばの宝庫」という意味であり,その言語の宝とされる「語彙」
を保護する役割を担うということを表わす。
シソーラスは,類義関係にある,語や概念を意味分野ごとに分類したもの,広く同義
語,類義語を分類整理したものである。中国の「爾雅」や日本の「和名類聚抄」がこれ
にあたる。また,現代日本語のシソーラスとしては,国立国語研究所の『分類語彙表』
(資料 10)がある。国際的に名が高いものとしては,英語にP.Roget の(Thesaurus of
English Words and Phrases)(資料 9)がある(以下『ロジエ』と呼ぶ)。
シソーラスは,さまざまな役割を持つが,従来の実用的な役割は,表現辞典・詞藻辞
典としての役割であった。つまり,シソーラスとは,ある固有言語で用いられるすべて
の単語を意味分野ごとに配列した類義語・同義語の一覧語彙表である。
シソーラスには、
語彙を増やし,
表現を多彩にするという実用的な役割がある。
しかしそれだけではなく,
シソーラスは,言語全体の語彙の特徴や異なった言語体系間の語彙対照の分野では,研
究資料として必要不可欠な役割をも担っていると言える。また,言語に関わる意味現象
を体系的に整理し,分析することは,人間の言語活動,ひいては精神活動を究明するこ
とにつながる。そのため,世界の多く言語では,シソーラスの重要性に注目し,
『ロジエ』
のシソーラスなど多くのシソーラスがこれまで作られてきている。
2:語彙研究とシソーラス
このシソーラスは,アラビア語と日本語との語彙構造の比較対照研究で得た結果に基
づいて作成した。言語間の比較対照研究によって,それぞれの言語の特徴がより明らか
に現われる。もちろん,ある固有言語の中だけで研究し,その言語の統語的・語彙的な
あらゆる言語現象を明白にするのも可能ではあるが,他の言語と照らし合わせてはじめ
て見えてくるものも少なくないのであり,各言語の特徴がより良く理解できることも多
い。とくに,意味や語彙研究の分野では,言語間の比較対照は必要不可欠であると思わ
れる。たとえば,ソシュールの記号理論における最も重要な概念である「恣意性」
(arbitraire)はその例である。
ソシュールの恣意性は,二つの意味を持っているが,その一つは,signifié(概念・
記号内容)と signifiant(聴覚映像・記号表記)とを結ぶ必然的な関係は,
(慣習の他
には)存在しない。もう一つの意味は,語の意味は,言語体系内を構成する他の項との
3
対立によって相対的に決まるということである。ソシュールは,表現内容それ自体が恣
意的であり,たとえば,色彩の語彙化などの,現実の世界に関するカテゴリー化は文化
と言語による単なる人工物であると指摘している。すなわち,ソシュールの「恣意性」
は,意味の研究が二重の面を持つべきことを意味していると思われる。まず,
「恣意性」
の後者の意味では,言語体系内の意味分析の研究であり,前者は言語間の比較対照研究
抜きに解明不可能な面を意味する。なお,その比較対照研究は,類型論的に異なった語
族に属するアラビア語(屈折語)と日本語(膠着語)になると,より鮮明な結果が期待
できると思われる。
アラビア語圏の多くの日本語学習者も,日本人のアラビア語学習の多くも,学習の過
程で,つまずくことは少なくないと思われる。私もその一人に過ぎない。自分の経験か
ら述べても,文法のレベルでも,語彙のレベルでも,疑問点を多く抱えながら覚えてき
たものが多い。たとえば,どうして日本語では,好きな・嫌いな・怖い・恥ずかしい・
羨ましい・痛いなどのような感情や感覚を表わす表現のほとんどに形容詞や形容動詞を
用いるのだろうか。この表現はアラビア語や英語では,動詞で表わすことが多い。
また,語彙のレベルでも,
「恥ずかしい,照れくさい,ばつが悪い」のような「恥」を
表わす単語が多く,その使い分けがうまくできない。
「羨ましい」の用法に関しても,疑
問があった。たとえば,日本人は,相手をほめたり,何かにたいして感動したりすると
きに,
「羨ましい」を用いる。しかし,アラビア語の世界では,
「邪視」
(人や物に災いを
おこす神秘的な力を持つ目)が信じられ,それを気にしながら生きている人々が多い。
そして,うらやましがらせることによって,うらまれかねないと考えてしまうことすら
ある。したがって,アラビア語圏の人間にとって「ウラヤマシイ」という語は,ほめる
意味ではなく,全くのマイナス評価の単語である。そのため,
「羨ましい」という表現を
用いるには,戸惑いを感じたり,言われると多少は不愉快になったりする。
文法の問題はともかく,語彙の問題の大部分は,文化の違いから生じると思われる。
そして,このような問題をカバーするためには,両言語の間の,文化や価値観に配慮し
た語彙の比較研究を重ねる以外方法はない。
3:分類方針決定の背景
このアラビア語シソーラスの分類方針決定の前段階としては,アラビア語と日本語の
語彙構造の(統語的,意味的)比較対照研究を行なった。このシソーラスの基盤となっ
た研究を大きく三つの課題に分けて簡単に紹介することにしたい。
まず,一つ目の課題は,アラビア語と日本語における「形容詞」である。世界の言語
4
は,形容詞の振る舞いの違いにより,
「動詞的」と「名詞的」とに分かれる。たとえば、
日本語の「形容詞」は「用言」の下位分類と位置づけられ,アラビア語の「形容詞」は
「名詞」の下位分類と位置づけられている。従って,両者の「形容詞」の位置づけが対
照的であり,それぞれの「形容詞」の意味的機能や統語的機能にズレがみられるのは当
然であるが,このようなズレを網羅的に説明することを試みた。そこで,統語的な面か
ら,両言語における「形容詞」という文法的なカテゴリーを考察し,それぞれの「形容
詞」の統語的な振る舞いと意味の性格を明らかにしたうえで,プロトタイプ理論の観点
から,両言語の「形容詞」を中心的成員と周辺的成員に分ける。
二つ目の課題としては,両言語における感情を表わす表現をとりあげた。アラビア語
圏の日本語学習者にとって,最も学習が困難なのは,日本語における感情や感覚を表わ
す語彙である。そして,その学習のさまたげとなる大きな障害は,母語と日本語との間
の意味と用法の違いについての認識不足ではないかと思われる。
たとえば,意味としてはそれぞれの言語で同じような概念を表わす単語でも,それぞ
れの受け取り方が異なることが少なくない。たとえば,日本語では,
「ウラヤマシイ」と
「ネタマシイ」の二つの感情を語彙のレベルで区別するが,英語では,両方を「envy」
で表わす。アラビア語の場合は日本語のように区別するが,その用法は同じではない。
また,アラビア語圏の日本語学習者に最も分かりにくいのは,類義関係の語彙,つま
り,意味は同じであるが,ニュアンスが違う単語の使い分けである。特にその使い分け
が非常に難しいのは,
「カワイイ,アイラシイ,カワイラシイ,アイクルシイ」などのよ
うな感情を表わす語彙や表現である。そこで,この種の精神活動を表わす日本語の単語
群とアラビア語のそれとの対応の姿を論じた。
語彙を考えるには,個々の単位である「単語」を考えることがその基礎として必要であ
るが,それをもとに,総体として考えることが語彙を考える上でより重要である。そこ
で,このシソーラスを作成するに当たって,ひとつの意味の場(Semantic Field)を構
成する類義語・同義語の背景に,ひとつの思考,習慣様式,価値観が潜んでいると考え
た。ある概念を表わす類義語の構造を分析し,その構造を支配するメカニズムを解明す
ることによって,類義語の使い分けにとってのより正確な理解を得られると思われる。
従って,
「愛情」
,
「嫌悪」のそれぞれの類義構造を分析し,類義語間の弁別的機能を担う
意味特徴のズレに主眼を置いた。
最終的に,
ある概念を表わす類義語の構造のあり方は,
その言語を使用する人間の発想の現われであることを明らかにした。
5
三つ目の課題は,語彙の性格とシソーラスの分類方針である。
「シソーラス」は,あ
る固有言語の語彙を意味的,統語的などのさまざまな基準により,項目別に分類したも
のである。このシソーラスの分類方針を決定する過程では,
「シソーラス」は,その言語
の語彙の性格を客観的に表わすものという思考に基づいて作成した。言い換えれば,あ
る固有言語の語彙を分類する際,どのような基準によって分類するかは,その言語の語
彙構造の特徴,その言語の有する文化,その言語を使用する人間の発想が大きく影響す
る。たとえば,「品詞分類」(文法的機能による分類)を中心的な分類として採用する
方法が可能であるかどうか,有意義であるかどうかは言語のどのような面を分析するか
によって異なる。また,どのような意味分野をどのように分けるかは,その意味分野に
属する語数やその言語の語彙構造の中での価値によって左右される。本論文では,国立
国語研究所から出された日本語の語彙を対象とした『分類語彙表』と,英語の語彙を分
類した ROGET’S THESAURUS の分類方針を検討し,それぞれへの批判を踏まえた上,ア
ラビア語の語彙の性格やアラビア語的なものの見方・発想に適した『シソーラス』を作
成した。
4:
『ロジエ』と『分類語彙表』の分類方針
前述のようにある固有言語の語彙を分類する際,どのような基準によって分類するか
は,その言語の語彙構造の特徴,その言語の有する文化,その言語を使用する人間の発
想などが,考慮に入れなければならない重要な要素である。また,『分類語彙表』のま
えがきにもあるように,「もし分類が十分妥当であるならば,異なった作品の間とか,
異なった言語体系の間とかの語彙対照の物指しとなり,
一方では作品の文体論に関係し,
一方では,それぞれの言語社会の精神構造や生活構造を解く基本的手段ともなるであろ
う。」すなわち,ある固有言語を語彙分類する際の,その言語の語彙の特徴や,その言
語を使用する人間の語彙に反映される思考・発想・価値観などを踏まえた上での分類が,
その言語社会の精神構造や価値観やものの見方を具体的に表わす「シソーラス」になる
ということである。
このシソーラスを作成するにあたって,アラビア語と日本語の間に行なった比較対照
の結果だけではなく,日本語の『分類語彙表』と英語の『ロジエ』の分類方針を参考に
しつつ,具体的にアラビア語の語彙の特徴を引き出す「シソーラス」に近づけるように
努めた。これらの「シソーラス」にはどのように日本語や英語の特徴が現われているか
を,検討した上,アラビア語の語彙分類方針したが,まず,日本語の分類方針を見たい。
6
4.1:『分類語彙表』の分類方針
日本語の『分類語彙表』の分類では,品詞論の面から大きくと四つの類に分かれてい
る。
「1.体の類」は,名詞の仲間,
「2.用の類」は,動詞の仲間,
「3.相の類」は,形容動
詞,連体詞,ある種の副詞も含む。そして,
「4.その他」には,
(接続詞の類,感動詞の
類,ある種の副詞)がある。そして,それぞれの下位分類としては,五つの意味分類に
細分されている。意味の大分類は,
「.1 抽象的関係」
「.2 人間活動の主体」
「3. 精神およ
び行為」
「4. 人間活動の生産物」
「5.自然物および自然現象」の五つである。
『分類語彙
表』の組織は次の表の通りである。
1. 体の類
2. 用の類
3. 相の類
1.1 抽象的関係
2.1 抽象的関係
3.1 抽象的関係
2.3 精神および行為
3.3 精神および行為
2.5 自然現象
3.5 自然現象
4. その他
1.2 人間活動の主体
1.3 人間活動―精神および行為
1.4 生産物および用具物品
1.5 自然物および自然現象
(表1) 『分類語彙表』の組織
以上の表から分かるように『分類語彙表』の場合は,四つの中心的な類〈品詞分類〉
が立てられ,その下位分類としては,五つの大きな〈意味分類〉がある。そして,さら
にその五つの意味分類にそれぞれに関連する 798 語彙項目が並んでいる。すなわち,品
詞論的観点を中心に,32600 語を四類 13 部 798 の語彙項目が配当されている。しかし,
表からも分かるようにすべての(五つの)意味分類を持つ品詞分類は,四つの中で「体
の類」のみであり,その他の「用の類」と「相の類」は,
(抽象的関係)と(精神および
行為)と(自然現象)といった意味分野の項目しかあがらない。
語彙項目は,体・用・相にわたって意味的に関連付けられている。つまり,
「.
」の前
は品詞を表わし,
「.
」の後は意味を表わしている。また,体の類・用の類・相の類にわ
たって,同じ意味の語が「.
」の後の分類番号が関連づけられている。たとえば,
「カナ
シサ」は,1.3011,
「カナシム」は,2.301,
「カナシイ」は,3.3011のように配列され
7
ている。その意味では,品詞論的な観点から,整理されている。
一方では,日本語の『分類語彙表』の〈意味分類〉の基準をみると,ほとんどの場合,
一つの語彙項目は一つの〈意味分野〉ではなく,複数の関連している意味分野が一つの
語彙項目にあがっていることが分かる。たとえば,
「2.302 対人感情」の中身をみると,
「愛する」
,
「かわいがる」
,
「うらやむ」
,
「きらう」
,
「ねたむ」
,
「慕う」
,
「あまえる」
,
「な
じむ」
,
「惜しむ」等のような意味分野に関する語があがっている。そして,これに対す
る相の類は,
「3.302 好き・きらい・かわいい・にくらしい」には,
「好き」
,
「きらい」
,
「望ましい」
,
「憎い」
,
「なつかしい」
,
「うらやましい」
,
「親しい」
,
「かわいい」
,
「ゆか
しい」
,
「腹立たしい」等がある。 すなわち,日本語の『分類語彙表』の場合,語彙項
目の見出しとなっているのは〈概念〉である。つまり,一つの項目にあがる語群は,あ
る〈概念〉をめぐる「類義語」
「対義語」語群であり,極端に言えば,概念分類表と呼ぶ
ことができる。
このように『分類語彙表』をみると,日本語の語彙の特徴が現われている。しかし,
日本語の場合,比較的分類しやすい「品詞」が中心的に取り上げられている一方,意味
の分類が精密さに欠けるため,実用的なシソーラスというより,言語研究者向けだとい
えるであろう。
4.2:『ロジエ』の分類方針
『ロジエ』では,英語のありとあらゆる語を,意味基準によって,大きく15類に分
類している。そして,それぞれの類に,その関連語句を 1,073 項目に,意味の近いもの
から,少しずつ意味が離れたものへと配列している。そして,品詞は語彙項目の下位分
類になっている。
『ロジエ』の15類は以下の如くである。
1. THE BODY AND THE SENSES
(身体・感覚)
2. FEELINGS
(感情)
3. PLACE AND CHANGE OF PLACE
(場所・移動)
4. MEASURE AND SHAPE
(メジャー・形状)
5. LIVING THINGS
(生き物)
6. NATURAL PHENOMENA
(自然現象)
7. BEHAVIOR AND WILL
(態度・意志)
8. LANGUAGE
(言語)
9. HUMAN SOCIETY AND INSTITUTIONS
(人間社会・慣習)
8
10. VALUES AND IDEALS
(価値・模範)
11. ARTS
(芸術)
12. OCCUPATIONS AND CRAFTS
(職業・工芸)
13. SPORTS AND AMUSEMENTS
(スポーツ・娯楽)
14. THE MIND AND IDEAS
(思考・思想)
15. SCIENCE AND TECHNOLOGY
(科学・技術)
『ロジエ』は作成されて以来,何度も改訂増補が加えられ,現在,ポケットサイズも
ある。その分類方針をみると,ひとつの語彙項目が,いくつかの段落に分かれ,見出し
の「語」から離れれば離れるほど,項目の下の方にくる。たとえば,
「526 word」の項
目をみると,21 段落に分かれ,それぞれの段落に番号が付いており,526.1~526.21 と
いうふうに分類されている。
「526.1」は,
「word,term」などがあがって,
「526.2」は,
「root,etymon」などがあり,
「526.14」あたりからは,
「lexicology」
「etymology」な
どのような専門用語があがっている。また,必要に応じて単語に関する情報も細かく示
されている。たとえば,くだけた語句のあとに<nonformal>と記され,使用頻度の高
い語句が太字で示されている。また,学術語やイディオムも多く含まれ,非常に精密で
あり,英語に合った分類であるが,まったく同じ分類方針でアラビア語の語彙を分類で
きるのかということになれば,そうはうまく行かない。
このように日本語の『分類語彙表』と英語の『ロジエ』の分類方針をみてきたが,『分
類語彙表』は品詞を分類基準に立てており,『ロジエ』は,単語の意味を分類基準とし
ているということが分かった。こうした,品詞や意味といった語彙分類の基準とされて
いるものをとりあげて,アラビア語の「シソーラス」での語彙分類の基準として的確な
ものが何であるのかを検討する。
5:語彙を分類するさまざまな基準
シソーラスを作成する第一歩としては,語彙を分類する基準を決めることが大事で
ある。作成の目的によっては,その第一の基準が異なってくると思われる。この「ア
ラビア語シソーラス」の作成目的としては,比較言語研究の参考になり,且つ,実用
的なシソーラスとして完成させることであった。
分類とは,語を共通の特徴に基づいた種類に,同類のものをまとめ,全体をいくつ
かに区分して体系づけることである。そして,語彙を分類する基準はさまざまである。
9
たとえば,意味や機能や形式などによる分類がある。田中(1978)は,
(1)意味による
分類,
(2)語種による分類,
(3)文法機能による分類,
(4)語構成による分類の四つ
の基準をあげている。
実用的な意義のあるシソーラスを作成する目的を配慮すれば,以上の基準2)と(4)
は適しないであろう。例えば,一つ一つの語の語源を調べ,語を本来語と借用語に分
ける「語種による分類」や,個々の語は,その構造の面から,単独語・複合語・畳語・
略語などのさまざまな類に分ける「語構成による分類」は,実用的な目的ではなく,
研究の対象としての言語の分析方法である。従って,単語の表わせる意味やその文法
的な機能,
「意味による分類」と「文法機能による分類」は,分類基準として適切で
あると考えられる。
5.1:品詞による分類
「品詞」という文法的なカテゴリーの定義や境界線は,あいまいであり,一つの語が
二つの品詞にまたがることもある。たとえば,比較的に品詞分類が明確である日本語の
場合でも,田中のいう「
「すぐ行く」の「すぐ」は副詞で,
「行くなら,すぐがいい」の
「すぐ」は名詞」のように文脈によって品詞が異なる。英語でも「ENVY」などのよう
に名詞と動詞の区別は文脈依存である。また,アラビア語も名詞と形容詞の区別は容易
ではない。そして,アラビア語と日本語の「相の類」の品詞性を対象とした研究(筆者
の博士論文を参照されたい。
)でも明らかになったように,ある品詞に属するすべての語
類は,その品詞らしさの度合いが異なる。従って,言語形式,すなわち,
「形態」から品
詞の判別ができないかぎり,品詞による分類は困難である。
品詞を田中のいう個々の文脈における統辞論的な品詞ではなく,語彙論的な品詞とし
て設定しておくのは,便利であろう。しかし,語彙の研究だけでなく,実用的な意義か
らも理想の「シソ-ラス」を作成する場合,語彙の言語形式にこだわるのは適切ではな
いと思われる。また,同じ意味を表わしていても,品詞の違い,を二つの語彙項目に分
けるのは経済的・実用的ではないと思われる。すなわち,語彙項目数が増えるため,検
索を困難にすることになる。たとえば,文法的な違い(構文)によって「こわい」と「こ
わがる」
(感情主が一人称か三人称なのかの選択基準。
)のそれぞれを「相の類」と「用
の類」に配当したり,また,ニュアンス的な違いによって「好き」と「愛する」も(ど
ちらも対象語が必要とする語である。
)
形容詞の仲間と動詞の仲間に分けて配当するのは,
シソ-ラスを利用する一般の人にとっては不便ではないだろうか。
そのことを考えると,
10
実用的な「シソーラス」を作成する際に,品詞による分類を中心的な分類として立てる
必要があるのか,という疑問に直面せざるを得なくなる。
5.2:意味による分類
一般に意味と呼ばれるものには,さまざまな種類がある。たとえば,
「概念的意味」や
「内包的意味」や「文体的意味」などがある。ここでは,概念的意味(語などの言語表
現の意味を成立させている中心的要素)による分類を対象にする。
分類とは,
「語」を共通の性質に基づいた種類に分けることであり,同類のものをまと
め,語彙全体をいくつかに区分して体系づけることである。また,固有言語の語彙を分
類し,それらの語をそれぞれの類に当てはめ,排列するということは,ある意味では,
人間の認識する意味の世界を分類する,と同時に,その言語の母語話者の認知する意味
の世界を分類することでもある。
言語やその言語の背景にある文化,思想,価値観などによっては,意味の世界の切り
取り方が異なる。すなわち,外界の分割の仕方は恣意的である。たとえば,
「池・沼・湖・
川・海」は,言語によってその分割が異なり,
「川」と「海」とを分けずに,同じ語で呼
ぶか,分けて二語にするかは,その言語の中の文化的な約束事に依存される。
そして,Wierzbicka(1992:119)では,オーストラリアの原住民(Gidjingali という民
族)のコトバでは,
「Fear」と「Shame」という二つの感情を区別せず,両者を一つの
語彙項目の下に立てる。つまり,意味による分類は,その言語の意味(=概念)構造の
分析を踏まえたうえで行なわなければならないのである。そして,その分析によって,
語彙項目を選択し,その言語の持つ発想や価値観に基づいて排列すれば,その言語社会
の精神的な構造を反映する妥当な
「シソーラス」
を作成することができると考えられる。
6:アラビア語と語彙の分類-史的概要-
アラビア語の世界でも,古くから文学や詩が興隆したため,表現の多様性が重視され
てきた。そのため,アラビア語の言語学者は,語彙分類の分野を9世紀の初めごろから
開拓し,いくつかの「類義語辞典」を作成した。たとえば,ラクダと羊,体の部分,草
と木,弓,盾,水,ミルクに関する,分類辞典の草分けといえるものがある。その他に,
次の(1)
(2)
(3)のように若干広い範囲の意味分野を扱った語彙集もあったが,語
彙全体を分類したものはこれまでなかった。

11
(1) Ibn al-Sakeet (?~858)『語彙洗練の概要』Mukhtasar Tahzyb Al-alfaaz 148 項目
(2) Ibn Eiysa al-Hamazany (?~939)『語彙』Al-alfaaz
394 項目
(3) Ahmad Ibn Faaris (925~1004)『最良の語彙』Mutakhayar Al-alfaaz
114 項目
しかし,これらの「類義語辞典」を「シソーラス」と呼ぶには戸惑いを感じる。まず,
作られた時代と現代を隔てる900年以上という長い時間があるため,収められている
語や比喩的表現には,現代の用法とは異なるものも少なくない(生活様式が大きく変化
してきから)
。また,以上あげて三つの作品のタイトルからも分かるように,それぞれが
作られた目的は,アラビア語の「語彙」を体系的に整理する試みではなく,詩的な表現
を磨くことが目的であった。とくに,
『語彙洗練の概要』と『最良の語彙』は,そのこと
を物語っている。従って,それらが,現代アラビア語母語話者や外国人学習者,また,
語彙対照研究の要求には答えられないのは当然である。
さらに,
その問題点をあげれば,
次のようなことがある。
たとえば,語彙項目数が少ないことによって,これらの「類義語辞典」では,ほんの
僅かの意味分野しかカバーされていないことが分かる。たとえば,
(2)の『語彙』
(394
項)にしても,重複している項目や一つの項目に収めてもよい複数の項目を考慮に入れ
ても,300 項目に及ばない。また,これらの「類義語辞典」の語彙項目には,分類番号
が付けられておらず,見出しが付けられていない項目も多い。それに,
「類」
(共通する
項目を集めたカテゴリー)が立てられていないことから検索が困難であり,実用的では
ない。なお,新語が収録されていないことはいうまでもない。従って,言語研究にとっ
ても,実用的な意義からも,現代のアラビア語シソーラスを作る必要があるといえる。
このシソーラス作成の過程では,前述の(1)
(2)
(3)のアラビア語「類義語辞典」
と,
『ロジエ』と国立国語研究所の『分類語彙表』を参考しつつ,類を立て,広範囲の意
味分野をカバーし,それぞれの語彙項目に検索をたやすくするために見出しを付けた。
7:このシソーラスの分類方針
シソーラスを作成する際,どの言語にも共通する分類の方法もあれば,その言語だけ
にしかあてはまらない,もしくは複数の言語にしか共通しない分類の方法もある。従っ
て,英語での分類の仕方は,他のすべての言語に応用できるとはいえない。日本語に適
切だとされる分類の仕方は,アラビア語にふさわしいとは限らない。
分類とは,
語を共通の性質に基づいた種類に分けることであり,
同類のものをまとめ,
語彙全体をいくつかに区分して体系づけることである。そして,固有言語の語彙を分類
12
し,それらの語をそれぞれの類に当てはめ,排列するということは,ある意味では,人
間の認識する意味の世界を分類すると同時に,その言語の母語話者の認知する意味の世
界の分類でもある。
たとえば,形態的な面からみると,
『分類語彙表』のように,品詞分類を中心的な分類
として立てるのが可能かどうかは,その言語の特質によって異なる。そして,そのシソ
ーラスの作成の目的によって,
「品詞的な分類」を立てる必要があるかどうかが異なると
思われる。日本語は,形態と活用による品詞分類が比較的行ないやすい言語だといわれ
るが,品詞分けには問題がないわけではない(品詞論でよく問題になるのは形容動詞が
その例としてあげられる)
。一方,アラビア語は,語形変化の有無および仕方によって動
詞,名詞,不変化詞に大きく分けられるが,形容詞の機能を持つものは名詞の中の派生
語であり,語形上は,形容詞と狭義の名詞とが区別されず,意味の方が先行するため,
品詞の面から分類するのは容易ではない。
しかし,品詞と称される「動詞」や「名詞」や「形容詞」などのような文法的なカテ
ゴリーは,前述のように,その分類の基準は,意味・形態・機能の三つの特性に基づく
ものである。そして,品詞の形態的特性から見分けが困難であるアラビア語の場合は,
意味的特性を中心的な基準にすれば,容易に品詞的な分類も可能だと考えられる。すな
わち,
『分類語彙表』のような言語形式中心の品詞による分類ではなく,大きい意味分野
を表わす「類」に品詞的意味合いを含ませることである。たとえば,
「形容詞」の意味的
特性は,
「人やものの静的な属性・状態・性質を描写する語類」である。このような意味
合いを含意する「類」を立てれば,多くの「形容詞」がその中に集まることになる一方,
「形容詞の類」と限定しない限り,同じ意味合いを含意する「動詞」や「名詞」に属す
る語類も入る余地がある。
また,意味の面からみても,意味の世界は言語が変わっても同じであるが,言語や文
化によってはその切り取り方は異なる。従って,各言語に適切な分類の方法を検討する
必要がある。たとえば,アラビア語と日本語における「愛情」
(例えば,愛する,好き,
愛しい,可愛いなど。
)を表わす語彙と「嫌悪」
(例えば,嫌い,憎い,憎らしいなど。
)
を表わす語彙の構造の特徴を分析してみた結果から考えると,
次のようなことがいえる。
まず,
「愛情」を表わす語彙の場合,日本語では,感情主と感情の対象との関係によっ
て適切な語が選択される複雑な構造になっている。一方,アラビア語では,愛情を表わ
す語彙が,感情の対象に対する感情の度合いに基づく単調な構造になっており,これら
の「愛情」を表わす語彙は二種類に分かれる。従って,アラビア語における「愛情」を
13
表わす語彙を「シソーラス」に排列する際に,二つの語彙項目に分けて並べた方が適切
であろう。
そして,
「嫌悪」を表わす語彙の場合,日本語では,感情主が常に抱く感情であるか,
そのときの気分であるか,そして,特定の状況・対象に向かう感情を表わすか,漠然と
した不快を表わすかによって区別される構造になっている。アラビア語では,
「嫌悪」を
表わす語彙は,感情主が対象に対する抱く,嫌悪・憎悪の度合いやニュアンスの面から,
〔1〕嫌悪類,
〔2〕憎悪類,
〔3〕わだかまり類と3種類の段階的な構造を成している。従
って,アラビア語の「嫌悪」を表わす語彙を三つの語彙項目に分けるのは適切であると
考えられる。
「アラビア語シソーラス」の分類方針を確定する過程では,以上のような品詞的・意
味的特徴を考慮に入れながら,資料(1~12)を十分検討していくことによって,アラ
ビア語にふさわしい「シソーラス」を作成できると考えられる。また,分類を行なうに
あたっては,まず,資料(1,2,3)と,資料(4,5)の基本語彙を中心に語を抽出し,
資料(6,7,8,12)の語彙から補充を行なった。そして,資料(9,10,11)の体裁
を参考にしつつ,アラビア語と日本語の対照研究で得た結果に基づき,独自の分類方針
に従って『アラビア語シソーラス』を作成した。
7.1:語彙項目の抽出
まず,資料(1,2,3)は,前述のごとくこれらが作られたのは,それぞれの作成し
た学者の言語表現の豊かさを証明する目的であったため,詞藻的・文学的な語多く(比
喩的な語・語節も多い)含まれている。その中から重複していない項目を選んで採用し
た。しかし,これらの分類方針に無批判に従うことはしなかった。そこで,必要に応じ
て別々の項目に分かれていた語群を一つの項目に収め,同じ項目にあがっていた意味的
に二つ以上のグループを別々の項目にした。また,これらの作品(資料 1,2,3)が古
い文献であり,現代アラビア語辞典にあがってない語や比喩的な表現が多少含まれてお
り,混乱を避けるため,このような語を排除した。また,
「感情類」
「感覚類」
「描写類」
の語彙を『分類語彙表』の「相の類」をアラビア語に訳す作業で「和英辞典」と「アラ
ビア語・英語」辞典類媒体で集め,資料(1)
(2)
(3)から収集した語彙を補った。
なお,資料(1,2,3)
,から抽出した語は,すべての意味分野に渡っていないため,
「音楽,芸術,宗教,政治,経済,産業,農業,法律,教育,人体の部分,病気名,衣
服,動物,植物等」に関する語や,
「コンピュータ」などのような外来語を資料(6,7,
8,12)から補い,これらの語を意味別に項目に収め,それぞれを10類の間で適切な
14
類に排列した。すなわち,資料(1,2,3)から,程度の高い文化語・雅語を抽出し,
それらが不足している意味分野に関する語を資料(6,7,8,12)や『分類語彙表』の
「相の類」の訳,
「和英辞典」と「アラビア語・英語」辞典類媒体で補ったことによって,
相当多様な語彙項目
(598 項目)
を含む理想的なシソーラスができあがったと思われる。
7.2:項目の提示順
このシソーラスに採用した語彙項目を提示する順に関しては,
検索しやすくするため,
関係のある項目がなるべく近くに配置するように努めた。たとえば,
「好き」項目群,す
なわち,<1.001 好き>,<1.002 好まれる / 望む>,<1.003 惚れる>」などの次に,
「嫌い」項目群,<1.013 嫌う>,<1.014 憎む>,<1.015 わだかまる>(< >の
中は,このシソーラスの見出し語の日本語訳とその分類番号である。
)などという順で並
べた。つまり,
「悲しい」の後に「嬉しい」
,
「泣く」の後に「笑う」と,対義関係を考慮
した順である。また,
「泣く」の後に「涙」
,
「酔う」の後に「アルコール」がくるように
と関連する項目も考慮に入れた。
7.3:類を選ぶ基準
このシソーラスは 598 項目を次の10類に,意味中心に分類した。大きい類を10に
分けたが,抽象的な意味範疇から(感情,感覚,道徳)具体的な範疇(自然現象,生物・
無生物)の順に提示した。そして,類を立てる際に資料(1,2,3)の語彙項目を考慮
にし、
『分類語彙表』と『ロジエ』の「類」を参考しつつ、アラビア語シソーラスに適切
な類を検討した。
1感情
6言語《副詞類,褒貶を含む》
2感覚
7人間関係《社会秩序を含む》
3道徳
8文化《科学・技術を含む》
4描写
9自然・自然現象
5動作・変化
10 生物・無生物
7.3.1:
「感情」類の中身
「感情」を表わす語彙とは,人間の,人や状況などに対する心理的状態や心の動きを
表わす「好き」
「嫌い」などのような主観的な評価とか,意識の主観的側面「嬉しい」「寂
しい」などのようなものである。
15
この類は50項目を含む。その仲間としては,「喜怒哀楽」だけではなく,心の動き
や気持ち,ある状態や対象に対する主観的な評価を表わす語彙をすべて対象とした。す
なわち,急速にひき起こされ,その過程が一時的で急激な心理状態を表わす<1.037 怒
る>,<1.034 恐がる・怯える>,<1.031 嬉しい・楽しい>,<1.018 悲しむ>など
のようなもの,また,相手に対する意識状態を表わす<1.001 好き>,<1.013 嫌
う>,<1.050 感謝>,<1.016 敵意>などのような表現を感情類に排列した。そし
て,<1.025 縁起が悪い>,<1.041 勇気・大胆な>,<1.042 臆病>など,物事に接
して,それに対して感じた心の状態を表わす語彙も入れた。
7.3.2:
「感覚」類の中身
この類は41項目に分け,人間の「感覚」でとらえるさまざまな分野に関係する語
群を排列した。しかし,ここで問題になるのは,「感覚」とはなんであるか,あるい
は,「感覚」語彙と呼び得るのは,どこからどこまでの意味分野に属する語であるか
といったことである。ここで,
「感覚類」には,外からの刺激を受け感じとることに
よって生じる「見る」
「嗅ぐ」
「匂う」
「触る」などのようなものや,外からの刺激を
受け変化を伴う「酔う」とそれに関連する「酒」を表わす語彙も入れた。またこの類
の仲間としては,≪自然の成り行き≫に関する意味分野の語彙も入れた。たとえば,
「死ぬ」
「年をとる」
「空腹・ひもじい」
「喉がかわく」
「食べる」
「飲む」
「若い」
「老
い」のような人間や動物に本来的に備わっている機能にかかわる語彙を排列した。
7.3.3:
「道徳」類の中身
「道徳」類は50項目を含む。「道徳」の中身は,人間がそれに従って行為すべき正
当な原理と,その原理に従って行為できるように育成された人間の習慣を表わす語彙を
対象とした。この類の語彙項目は,精神的規範や規準として現われる意味現象を表わす
語彙であり,その中身は大きく,<3.029 慈善>,<3.033 忠実>,<3.019 公正>な
どのような「道徳にかなった立派な行ない」と,<3.021 侮辱>,<3.020 放
蕩>,<3.031 裏切り>などのような「道徳にそむいた悪い行ない」に分けられる。
7.3.4:
「描写」類の中身
「描写」類は106項目を含む。この類には,属性・性質・気質を表わす語彙を排
列した。「描写」とは,言語などによって,物の形や状態・現象を表わすことと,感
16
情などを客観的に表現することの二つに分けることができる。まず,前者の物質的・
具象的なものとしては,<4.004 長い・高い>,<4.013 多い>,<4.016 新しい>な
どのような項目があがっている。そして,後者には<4.029 あやしい>,<4.037 陽
気・微笑ましい>,<4.034 美しい・魅力的>などのような,対象に対する感情を含
む客観的な描写を表わす語彙項目がある。
7.3.5:
「動作・変化」類の中身
「動作」類は105項目を含む。この類の中身は,基本的に動詞で表わす意味現象(感
情や感覚に分類されないもの)に限定した。従って,この類には,何か事を行おうとし
てからだを動かすこと,または動作をしない状態を表わす<5.018 こわす>,<5.032
走る>,<5.006 決心する・決意>,<5.064 待つ>などを排列した。そのほか
に,<5.003 かがやく>,<5.008 減る>などのような,ある状態もしくは状態の変化
を表わす語彙を対象とした。
7.3.6:
「言語《副詞類・褒貶》
」類の中身
この類には64項目を排列した。これらの項目は,コトバにかかわるさまざまな意味
現象に属する語彙項目である。たとえば,<6.002 書く>,<6.005 話す>,<6.014 訥
弁・口下手>,<6.015 能弁な>のほか,人称代名詞と指示代名詞を含む<6.022 代名
詞>や言語研究で用いられる専門用語を含む「言語学」といった項目は,この類の仲間
とした。そして,この類には二つの下位分類として《副詞類》と《褒貶》を立てた。
《副詞類》には,程度や状態を表わす副詞を入れた。そして,そのほかは,
「時間名
詞」
,<6.046 未来・将来>や<6.047 現在>などのような時間を表わす名詞や,
「空間
名詞」
,<6.042 ~の前・先頭>や<6.041 ~の後・後尾>などのような空間を表わす
名詞や,
「数詞」
,などのようなものも「言語《副詞類・褒貶》
」に分類した。
アラブ文学では《褒貶》が非常に大きなジャンルであり,古い時代には,詩人が詩に
よって自分の部族のために敵を討ち,部族の功績を称えたりする一種の武器であった。
そのため,この関係の表現が豊かである。そして,アラブ人は,千数百年も前と同様に,
今日の日常生活でもコミュニケーションの手段として,
詩や格言を引用することが多い。
従って,これらの語彙を一つの独立した類に立てる価値はあったが,項目数から(12項
目)考えると,
「言語」の下位分類として,現在の段階では十分だと考えた。
17
7.3.7:
「人間関係《社会秩序》
」類の中身
この類には48項目がある。その中には,自然的・人為的に人間が構成する集団生活
を表わす語群を分類した。まず,狭い範囲での人間関係を表わすもの,つまり,<7.001
家族>,<7.003 親戚・親族関係>のような血のつながりを表わす語彙や,<7.009 結
婚>などのような個人レベルで成立する人間関係を表わす語彙,およびそれらにまつわ
る<7.016 親孝行>,<7.012 性交>などのような語彙を排列した。
また,この類の下位分類として《社会秩序》と題した類の下に,公的なレベルでの人
間関係を運営して行くうえで必要な概念を表わす語彙をあげた。たとえば,<7.020 教
育>,<7.023 法律>,<7.027 政治>,<7.036 外交>など,関連する語群を並べあ
げた。
7.3.8:
「文化《科学・技術》
」類の中身
この類の語群を55項目に分類した。そのなかには,人間の知恵の営みによって生み
出され,人間生活を高めてゆく上での新しい価値を表わすものを対象としており,制度
や学問や芸術などが含まれている。たとえば,<8.001 宗教>,<8.007 文学>,<8.015
スポーツ>などの語彙をこの類に排列した。また,科学や技術(technology)を表わす
語彙もこの類の下位分類《科学・技術》に収めた。たとえば,<8.042 工学>,<8.044
コンピュータ>,<8.047 医学>などがこれに当たる。
7.3.9:
「自然・自然現象」類の中身
「自然・自然現象」類は39項目を含む。この中には,<9.015 山>,<9.006 太
陽>,<9.034 海・川>,<9.010 雨>など,人間の,作為によらずに存在するものや
現象を表わす語彙が排列されている。また,<9.002 暑い>,<9.005 寒い>,<9.004
涼しい・暖かい>を表わす語彙は,「感覚」類に入れてもよいものではあるが,大気中
に生じる物理的な変化や,天気の状態を表わす語彙として「自然現象」の仲間に収めた。
7.3.10:
「生物・無生物」類の中身
この類には40項目がある。この中身は,大きく〈生物〉と〈無生物〉に分かれるが,
生物の仲間としては<10.003 人類>,<10.008 動物>,<10.011 鳥>などの心の働
きを持っているいっさいのものが含まれている。そして,
「人類」の項目の後に<10.004
18
創造する>(Create)という項目をあげた。その理由は,アッラー(イスラム教におけ
る唯一の神)が天地や人類,いっさいのものを創造したという意味から,この類に排列
するのが一番妥当だと考えた。また,<10.003 人類>の関連項目として,<10.005 体
の部分>,<10.006 心底>などを関連させて排列した。なお,<10.013 野
菜>や<10.017 穀物>などの後に,人間が日常生活で利用するもの,<10.021 衣
類>,<10.026 家具>,<10.033 文房具>などのような〈無生物〉を並べた。
7.4:
「類」と品詞の関係
日本語の『分類語彙表』の第一の分類基準は,品詞論の観点からの分類であり,
「体」
(名詞類)
・
「用」
(動詞類)
・
「相」
(形容詞類)
・
「その他」と四分類に分かれている。一
方,
『ロジエ』
は,
品詞を各語彙項目の下位分類として
「NOUNS,
VERBS,
ADJECTIVES
など」をあげている。しかし,前述のように,語を品詞に振り分ける基準としては,意
味・形態的・機能の三つであるが,アラビア語シソーラスでは,意味中心に分類した。
完全に品詞を無視したわけではないが,ひとつの語彙項目の下位分類として,必要に
応じて「動詞」
「名詞」
「形容詞」
「副詞」とに分けた。
また,以上あげた意味分類(10 類)によって,ある特定の品詞が多くなる傾向が強い
ということが,その一つ一つの中身をみると分かる。たとえば,
「感情」や「感覚」や「動
作」は動詞が多い,そして,
「描写」は形容名詞(形容詞)が多い,また「思想」や「モ
ノ」は名詞が多い。すなわち,
「感情」
「感覚」
「動作・変化」には「動詞」を中心に排列
し,
「描写」には,形容名詞を中心に排列した。従って,
「描写」の品詞を表わす語彙項
目の下位分類は,形容名詞,名詞,動詞の順で並べた。そして,
「感情」
「感覚」
「動作・
変化」の品詞を表わす語彙項目の下位分類は,動詞,副詞,名詞の順であげた。すなわ
ち,その「類」に排列されている意味分野(語彙項目)を表わすのに代表的な「品詞」
が先行するシステムになっている。たとえば,アラビア語の場合,
「ものや状況の静的・
恒時的な属性」を表わすときに,
「形容名詞」が適応する。そして,
「名詞」にも同じよ
うな意味特性が含まれているため,このような意味内容を表わす語が集中的に集まって
いる「描写」の類では,
「形容名詞」が先行し,その次に「名詞」が来るようにした。
また,「人や状況などに対する心理的状態や心の動きや,一時的で急激な心理状態を表
わす」を表わす語が集中的に集まっている「感情」の類では,「動詞」が先行するよう
になっている。
7.5:分類番号
19
このシソーラスには,各項目に検索しやすいように分類番号を付けた。上記で述べた
ように大きい分類を10に分けたが,それぞれに(1~10)の提示順に番号を付けた。
「.
」
の前は大きい分類の番号である。たとえば,
「1.
」は「感情」
,
「2.
」は「感覚」の意味
を表わす。そして,
「.
」以下の方がその類の下に並ぶ項目の提示順番号である。なお,
「.
」以下の番号は「.001」ではじめたが,将来,項目数が増えることを考慮に入れて
三桁にした。また,それぞれの類の下に並べた項目の番号を「1.001」
「2.001」
「3.001」
など,次の類の項目番号が「.
」以下はつながらないようにしたが,それは,項目数が増
えたり,類間の項目を移動させたりすることがあった場合,分類番号の訂正の手間を最
小限に留めるためである。
7.6:記号
このシソーラスで用いた記号の意味は以下の通りである。
(*)エジプト方言からの単語の前に付けた。
(=)解釈語の前に来る。
(#)外来語を表わす。
(太字)大きい項目の中で新グループの最初の単語を太字にした。
また,日本語の単語にアラビア語の“純正語”
(共通アラビア語)から適切な対応語が
思い当たらなかった場合,あるいは,エジプト“民衆語”の語の方が近い場合は,エジ
プト“民衆語”の語を与えて,星印「*」で表わした。
8:このシソーラスに関して
以上の手順に従ってこのシソーラスを理想の形で作成できたと思う。しかしながら,
将来,改善する余地はまだまだある。たとえば,
「スポーツ」のような語彙項目をあげた
が,この項目の下に「サッカー」
「バレーボール」などのような下位項目を設け,精密に
「スポーツ」に関する語群を分類する必要がある。そして,
「趣味」や「動物」などのよ
うな項目も細かく分けることができる。そこで,アラビア語では,
「ラクダ」
「馬」など
を表わす語彙が豊富であり,それぞれに独立した項目を立てる価値がある。
最後に,このシソーラスがアラビア語の言語研究全般,そして,日本語との語彙対照
研究の資料としての手助けになることを願う。
20
謝辞
このアラビア語シソーラスの作成にあたって,多くの方々のお世話になりました。心
より厚くお礼を申し上げます。
田中章夫教授には,本論文と「日本語・アラビア語「相の類」―対応語彙表―」や「ア
ラビア語シソーラス」を作成するにあたって,御指導や「アラビア語シソーラス」の必
要性に気づかせて下さいました。
故徳川宗賢教授には,
本論文の構成について貴重な御助言や,
学習院に入学して以来,
物事を広い視野で見ることをお教えいただきました。徳川先生に本論文を読んでいただ
けないのは残念に思っていますが,先生は,一生心の中に生きています。
長嶋善郎教授には,アラビア語と日本語の品詞性の対照に関しての御指導や,来日し
てから 7 年間に渡って毎年さまざまな方法論をお教えいただきました。
高橋純先生には,いつも丁寧に論文を読んでいただき,方法論を持つことの必要性に
関する貴重な指摘をしてくださいました。
志村正昭氏には,緻密な記述や論理的な述べ方の重要性をお教えいただきました。
故中野洋先生には,いつも「シソーラス」に関するコメントをいただきました。その
コメントにお答えするために努めました。
その他に応援してくださった方々にも心より感謝したい。
21