インターネットが選挙活動において有効に活用されなかった原因に関する考察 2013 年 7 月に行われた参議院議員選挙においてネットを用いた選挙活動が解禁された。 これに伴い、有権者が候補者の主張を入手しやすくなり、選挙への関心が強まるのではな いかと予想されていた。つまりは、特にネットとの親和性の高い若年層において、投票率 の上昇につながるものと予想されていた。しかし、投票率は戦後 3 番目の低さに終わった。 また、投票先の決定にネットを参考にした人も約 3 割にとどまった。 ネットを用いると、候補者は直接的に自分の主張を有権者に伝えられる。また、有権者 から直接意見を受けることもでき、非常に有用なツールである。今回の参院選挙でもネッ ト選挙は大きく注目された。しかし、結果はネット導入の期待にこたえるものにはならな かった。そこで、今回の参院選においてネットの活用が進まなかった理由とこれからイン ターネットに期待したい役割について論じる。 今回の参議院議員選挙において、ネットの活用が遅れた理由として 2 点を挙げる。1 点目 はデジタルディバイドの問題、2 点目はネットに期待する役割の倒錯を挙げる。 まず、デジタルディバイドの問題について述べる。日本において、インターネットの普 及率は平成 23 年で約 80%である。そもそもインターネットにアクセスすること自体が困難 な人が一定の割合で存在する。インターネットの利用率に関しては、年齢格差・所得格差・ 地域格差などが見られる。しかし、近年においては、インターネット利用に優れたスマー トフォンなどの普及も見られ、実際は所得格差・地域格差はそれほど大きく影響しないの ではないかと思う。ここで、ネットを利用することは可能であっても、ネットを使いこな し自分に必要な情報を得ることの出来ない層も一定の割合でいるように思う。ネット普及 率に年齢格差が見られるのも、高齢者にとってはネットの使い方は難しく利用のハードル が高いためであると思う。 また、情報受信者である有権者が情報弱者である場合のみならず、候補者自身がインタ ーネットの活用に不慣れであるということも考えられる。私は今回の参議院議員選挙の投 票先を考慮する際に、各候補者のホームページやフェースブックなどを確認した。しかし、 私が予想していたより候補者から発信されている情報は少なく、フェースブックを見ても 有用な投稿が少ないといったこともあった。候補者・有権者ともに必要な情報を発信・受 信出来ることが必要である。 次に、2 点目の理由として、インターネットに期待する役割の倒錯を述べる。若年者の選 挙投票率は降下傾向にある。しかし、若年者が政治に関心を失っているわけではなく、政 治に関心のある 18-24 歳の若年者の割合は上昇傾向にある。これは、政治への無関心が投 票率低迷の理由ではない可能性を示唆していると考えられる。東日本大震災以後、原発の 存続をめぐってデモが行われているのを、報道でも河原町などの身近なところでも見かけ、 政治に対する興味は低下しているようには思えない。ただ、選挙が民意を反映させる機会 として有用と認められていないのではないかと思う。2009 年に政権交代が行われるものの、 結局国民は民主党に失望する結果に終わった。どの選択肢を選んでも状況は改善されない のではないかという失望の雰囲気を感じる。 ここで、インターネットに期待する役割とは民意が政治に反映される場を作ることであ ると思う。討議と合意形成を行う公共圏としてインターネットが機能し、世論を形成する ことで政治システムに影響を与えられるような仕組みをつくることが求められる。 現在でも、ネット上でも政治に関して多く触れられている。しかし、それは親密圏をで ることが出来ていない。または、冷静な議論の場になりえないという状態にあると思う。 まず、前者の問題について述べる。ネットは、関心のある情報を自分で検索することに より利用する引き出し型メディアである。こういった場では、自分と似た見解を持つ集団 に参加しがちであり、他の意見に触れる機会が極端に少なくなる。例えば、twitter 上で政 治を話題とした投稿を見かける。私は、リンク先のホームページがあれば見に行くが、そ もそも twitter では私がフォローした(私が関心を示した)人の投稿しか目にしないので、 私の考え方に類似した集団の意見しか見かけないことになる。また、自身の興味を分析し て記事・ブログをレコメンドしてくるシステムすらある。こういった場では、インターネ ットは討議の場として働かず、自身の意見の強化にのみ使われる。ネットユーザーは仲の 良い集団内に留まり、ネットというオープンな場にいながらにして親密圏から公共圏へと でていけていない。また、私たち若年者が討議の場としてネットを用いたとして、その場 が政治家と共有されるということを実現するのも難しいと考えられる。公共圏は社会全体 として共有されておらず、分節化されている。このように、ネット空間はオープンで誰で も利用できるという特性を持ちながら、政治システムに影響を与え得る世論形成の場とし て機能するには、何段階にも渡って課題を持つ。 次に、後者の問題について述べる。ネット空間において、冷静に議論を進めるための心 構えがネットユーザーに浸透しておらず、ネット空間が建設的な議論の場として働かない。 原発問題・エネルギー政策問題に関しては色々な言説が出回り、どれが正しい物であるの かの判断は難しいものであった。近年、科学技術は著しく進み、それを専門としない大多 数の人にとって、科学的根拠に基づいてその科学技術の使用の是非を議論するのは難しい ことである。ネットは誤情報も拡散されやすい一方、厳密な議論を行うのに適した場でも ある。自分が用いた情報はどこから手に入れたものであるか、リンク先 URL として示すこ とで閲覧者に示すことが出来る。原発問題に関しては、感情的な議論も多く見られたが、 それらは親密圏の域を出ない。ある問題に関してどう感じるかというのは、個人に大きく 依存し、社会全体として合理的な方法で合意形成をとることは難しい。インターネットを 公共圏として成立させようとするのに相反する行為であるように思う。 ここまでの議論についてまとめる。今回の参議院議員選挙においてネット選挙が解禁さ れたが、ネットは大きな有用性を持ちながらも有効活用されたとは言えなかった。その原 因は 2 点あり、1 点目はそもそもネットを情報収集のツールとして使えない・使おうとしな い人の割合が多いというものであった。2 点目は、インターネットに期待する役割を間違っ ていたのではないかというものである。インターネットは、候補者から有権者への情報伝 達のツールとしてよりも、候補者・有権者を含んだ討議・合意形成の場としての公共圏に なりうることを期待するべきである。しかし、この時インターネットはオープンな空間で ありながら、親密圏にとどまりがちであるという考えを述べた。 参考文献 ・古市憲寿、 「絶望の国の幸福な若者たち」 、講談社、2011 年、pp77-82、pp181-182、 ・「ムードに流れたネット選挙報道 京大大学院教育学研究科准教授・佐藤卓己」、佐藤 卓己、msn 産経ニュース、http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130728/elc13072811150000 -n1.htm (参照 2013-7-29) ・「平成 22 年度 情報通信白書」、総務省、http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper /h22.html (参照 2013-7-29)
© Copyright 2024 Paperzz