1月 - チェンライ日本人会

私の趣味は皆さんご存知?の通り木工です。それしか能がありません。暇さえあれば一日中木をいじくり回しています。途中
昼寝を必ず 1 時間程しますが。
ここ最近は木工旋盤に凝っているんですがそれをしばらく休止して現在我が家のダイニングルームを改装?しています。
我が家に来られた方はご存知ですが、我が家のダイニングルームは家の中ではなく外です。
ここ最近の寒さにも負けず外で食事をしています。
小さな敷地ですが家の裏側に 5m×5m 程の空間が有りますのでそこに 30~40cm 程の高さに板張り
のデッキを作りダイニングルームとした訳です。屋根も作りました。水の配管が見えるモルタルの壁では愛想が無いので
1m20cm程の高さまでユウカリの耳付き木材を買って(安かったんです)幅10cm程にして横に腰板の様に張り付け幅の狭い
天板を乗せてくだらない飾り物等を載せていました。
そうやって丁度 10 年が経ち屋根は薄くて軽いアルミの板ですがかなり汚れて来ました。
もう少し綺麗にしたいなと思っていたところ、すぐ近所の何時も行く材木屋に安いパイン材を見つけ、これを壁に貼り付けたら
白くて所々赤い節があって綺麗な壁になると考え早速実行に移したところです。壁の中央部分に今は貴重な材木らしいです
が、カヤの木を綺麗にツルツルに磨いて立てその両脇にカナディアンパインを貼り付けました。モルタルの壁と腰板の間には
蛍光灯を固定し板の裏側から上に向けて明かりが漏れるようにしました。カヤの木の板にも自然に出来た細長い穴が開いて
いますのでそこからも光が漏れてきます。余談ですが、日本から此方に来た時に栗の木、カヤの木、ケヤキ、栃の木、アメリカ
ン レッドシーダーなど一緒に持って来て床下に保管していました。穴空きのカヤの木の用途が見つからずにいたんですがや
っと出番が回って来た訳です。アメリカン レッドシーダーもまだありますね。
ついでにモルタル壁も新たにペンキを塗りましたので結構いい雰囲気で気に入っています。
続きまして今現在アルミ屋根の下側の中央部分に今度はニュージーランドパインを屋根の細い頼りない鉄骨に張り付け終わり
ました。本当は全面木の天井にしたかったんですがその重さに細い鉄骨が支えられるのか心配になり中央部分だけにした訳
です。
完成にはもうしばらく掛かりそうですが、毎日少しずつでも完成に近ずいていくのは楽しみです。
これが終わったら旋盤をやって、年が明けたらアレをこうやってと頭の中ではどんどん進んで行きます。ただ時間は十分ある
し、体力もまだまだあるんですが、重要なものに限りがあるので。
この円安なんとかなりませんかね。マッタク!
タイ生活24年
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日浦 陟
1991 年に 48 歳でタイに来て早や 24 年になろうとしています。年金を貰う年齢になるまで何か仕事をして金を稼ごうと考えま
した。まず最初にやったのが日本米の生産と販売でした。一緒に会社を興した相棒の日本人に騙され出資金を持ち逃げされ
1 年でダウン、勿論その間の給料は無し。次に始めたのはオートバイの販売、これはカミさんやその親戚の人達がメースアイの
田舎ではオートバイの販売店が未だ少ないので良いだろうとの勧めでしたが、
良く調査もせず始めたので、今考えると当時一般タイ人の平均的給料が7-8000バーツなのに月額2-3 000バーツの月賦
が払える訳が無く、それに公務員だからと信用して月賦販売すれば未払いが続き、おまけに月賦で買い 1 ヶ月もしないうちに
ミャンマーに転売され支払いを催促するも支払う気が全く無く、やむを得ず詐欺罪で告訴するも 2-3 年の刑期終えて涼しい顔
をされる始末、告訴するにも弁護士費用、警察への費用と金が出て行くばかり。こんなのが続きました。
仕入れは現金、販売は90%が月賦と資金が続かず 4 年間で 1000 台売るもこれ又ダウン。
その次に始めたのが翡翠の原石をミャンマーのマンダレーまで行き仕入れその翡翠原石を加工して販売、主に日本に売った
のですが、当時日本も景気が下降し始め中々思うように行かず、並行してやっていた香木も日 本の殆どの香木店が仕入れは
代々続いた仕入先以外からは購入しない、かなり封建的な仕入れ状態で難しく、香木は良い物をを探すのは難しくやっと集ま
りだしたのに売れない状態でこれも諦めざるを得ず。
何だかんだと 10 年以上も仕事をして悟った、(悟ったと言うか商売が下手だから)のが何もせず金利(当時12%もあった)で食
べてたらもっと楽な生活をしてたかなと思い出して苦笑いしている今日この頃です。
ただ色々の仕事を通じて知り合えたタイ人や山岳民族の人達とは苦しい状況の時にお互いに助け合い、また色々な行事を通
じての人間としての深い付き合いは今も続いておりその人情と微笑みに救われています、タイに来て本当に良かったと感謝し
ておりま す。
失敗談ばかり書きましたが、素晴らしい事も沢山ありますので次には楽しい話題を記事にしたいと思っています。
チェンライ領事出張サービスのお知らせ
チェンライ県において領事出張サービスを実施いたします。当日は主として在外選挙登録の受け付けを行い、また、併
せて旅券の更新、各種証明申請の受付及びタイ人が日本に渡航するための査証に関する相談等も行います。
2015年1月31日(土)08:30~12:00
13:30~16:00
●実施場所 WIANGINNHOTELCHIANGRAI
Chiang-SaenRoom
893PhaholyothinRdT.Wiang, A.Muang, Chiang Rai
電話:(053)711533
●サービス内容
◇在外選挙登録申請、在外選挙人証記載事項変更、在外選挙人証再交付申請
◇パスポートの新規・切替え申請
在チェンマイ日本国総領事館では、12月29日(月)から明年1月2日(金)までの間、年末・年始のため休館
◇証明書の申請
し、明年1月5日(月)より業務を再開します。
但し、同休館期間中におきましても、緊急の場合の事件・事故等については館員が当番制により常時対応し
サンティブリ ゴルフコース
ます。 休館日の緊急連絡は、電話番号「02-204-4583」までお願いします。
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1月6日 (11時28分スタート)、13日(10時40分スタート) 、20日(11時28分スタート)。
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スタート30分前にご来場ください
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第5回「北タイ親睦ゴルフコンペ」は13日に行います。10時00分までに集合願います。(コンペに参加される方は事前に
ご連絡願います。080-053-8274 本地 重喜さんまで
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【問い合わせは 085-140-1729 森 泰輔さんまで 】
今年のサムーン郡のイチゴは高値!
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12 月7日に、サムーン郡安全イチゴ生産グループ代表でもあり、“スワン・ドーイケーオ”イチゴ園の経営者でもあるウ
ィタヤーナラトさんは、今季のイチゴ生産量は昨季の半分の 50%にとどまるとの予想を発表した。それによると、サムーン
郡のイチゴの出荷が始まってすでに 1 ヶ月近くになるが、果実はこぶりで数も多くない。これは、今年のイチゴの花の開花
時期に天候不順の雨が続いたことが原因となっている。いずれにせよ、今期も来年1月中旬から2月初旬にかけて出荷最
盛期になると予想されている。サムーン郡でのイチゴは以下の2品種が栽培されている。1つは“プララーチターン 80”品
種で、甘くて柔らかくて香りも良いとされて人気となっている。値段も最も高くて1キロあたりの出荷価格は 250 バーツで、
小売価格になると 300 バーツ。もう 1 つの品種は“プララーチターン 329”品種で、“プララーチターン 80”よりも甘さは劣る
が大粒で色も形も良く、生食の他にジュースやワイン、ジャムなどの加工品にも使われる。なお、毎年恒例の“イチゴシー
ズン&サムーン郡良い物祭り”であるが、今回は来年2015 年2月12 日と 13 日の2日間、サムーン郡役所前通りで開催さ
れる。ウィタヤーナラトさんが経営する“スワン・ドーイケーオ”イチゴ園は、サムーン郡最大のイチゴ産地であるボーケー
オ地区ドーイ・サムーン山の最も高い場所にあり、無農薬有機栽培の安全イチゴを栽培している。彼の農園ではイチゴ狩
りホームステイも受け入れている。(チェンマイニュースより)
今月の暦
タイの正月と言えば、年始(1 月)、水掛け祭りとして有名な「ソンクラーン・フェスティバル」(4 月)があります。また、中国
の新年(2月)も祝ったりします。
日本ではお正月といえば、年末のお休みに加え、1 月 3 日ぐらいか、または最初の週末ぐらいまでがお正月気分ですが、
タイでは、大晦日の 12 月 31 日と 1 月 1 日、2 日がお休みで、あとは通常に戻ります。やっぱりソンクラーン・フェスティバ
ルの時期が本格的なのでしょうね。
12 月 31 日には、親戚一同が集まってお食事したり、またカウントダウンが行われたり、また元旦の 1 月 1 日には、朝早く
からお寺に行って、タンブン(僧侶やお寺にお布施)をしたりします。
また、10 日(第 2 土曜日)は子供の日です。いろんなところでいろんな催しが行われていますよ。
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