読書メモ - カント「純粋理性批判」 1. はじめに 人間の外部感覚能⼒は他の生物とは異なった固有の仕様でできており、このため他の生物とは異な った外部の受け止め方をしている。様々な生物は保有する外部感覚能⼒の機能により、異なった自然 体験の中で生命活動を営んでおり、自然が本来どのような姿であるかは知りようが無い。但し、生存 に必要な範囲では自然の不可知の部分と関わることなくその生命活動を営んでいる。 では、自然科学はどのようにしてその法則の客観性(人間が共通に了解できること)や適用可能性 を確保できるのか。 スティーブン・ピンカーは著書「人間の本性を考える」にて「心は空白の石版か」という疑問から 始めている。カントはこれに対して、感性という受容性と知性という自発性の組み合わせによる認識 構造と、空間と時間という形式や因果律などの基本的な概念を生成する能⼒が、人間共通の DNA と して刻み込まれているという発想に⽴つ。自然科学の諸法則も自然の内にそのまま存在しているわけ ではなく、単に知性を備えている主体(人間)に対して存在しているのであり、人間が客観的に実在 するものとして描き出したものと考えた。 「始めに脳ありき」の⽴場よりの始めて、宇宙の法則の根 拠付けを目指したといえる。 「純粋理性批判」は感性の分析より始めて、知性の構造、理性の制限内容の検討へ進む。以下の読 書メモでは、個人的な理解の補⾜の意味もあり、他の分野の資料もはさみながらまとめている。まず は感性より始め、受容性から自発性に至るプロセスを検討し、続いて自発性から受容性へ向かうプロ セスを検討する。ここまでで概要を終えて、その後は中島義道さんの著書に従い、 「時間」と「私」 という2つのテーマを扱う。理性については省略している。 2. 感性と時間・空間 人間は感性により多様な刺激を受容している。感性には外部感覚能⼒と内部感覚能⼒がある。外部 感覚能⼒は五感であるが、⾝体の内臓の鈍痛や頭の偏頭痛の感覚も含む。これに対して内部感覚能⼒ は心の中に浮かぶ多様な事象を指す。この感性は、事象を受容する時、空間と時間という形式を伴う。 視覚触覚などの外部感覚能⼒の世界では、奥⾏きの視覚の発達を中心とした背側⽪質視覚路等の五 感による位置情報への関連付け、マップ空間などの位置感覚、⾝体を動かす時に顕著になる⾝体空間 感覚などが空間の形式を生成していることとなる。心の中に生起する事象を受容する内部感覚能⼒は、 環境の変化を絶えず監視し異常に対して反射的に対応するための本能や、昼夜のサイクルに適応する ⾝体時間、短⻑期の記憶と連携した想起などが時間の形式を生成していることとなる。 全ての事象は感覚能⼒の装備した受容性にもとづき、意識に現れる。現れる内容が現象と呼ばれ、 現象を観る側の機能が直観と呼ばれる。空間時間の形式が存在していることが、全ての外部事象が直 観されるための条件である。一方、認識・判断・経験は心の中で起こるため、外部感覚能⼒からの受容 も、時間の形式に従う。更に、客観的認識において、時間は記憶の想起作用がベースとなっているた め、時間を形成する素材は全て外部感覚能⼒から得ることとなり、空間の形式の影響を受ける。 今後の内容にも関わる補⾜材料として、ここで池谷裕二さんのホームページにある「海馬の基礎知 識」の一部を引用する。 海馬の機能に関するもっともよく知られていて、かつ今でも有効な説は、記憶との関係であろ う。海馬は“イベントの順番(先後系列) ”を記憶するのに重要な部位である。 電気生理学的実験によって、海馬の神経細胞の中の特定の細胞は迷路の特定の場所を⾛り抜け るときに活動することが分かる。これは場所細胞(Place cell)と呼ばれる海馬の細胞である。 Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 1 こうしたデータから、外の世界を認識する地図(cognitive map)が海馬の中に形成されている ものと推測されている。 より一般的な意味では、海馬体の神経細胞は、様々に活性化されるユニットの組み合わせとし て働くことで、現在の経験を内部表象している、と考えることもできる。電気生理学的なデー タが示唆することは、海馬体の神経細胞がある特定の情報に選択的に反応するわけではなく、 むしろ、⾏動のすべてを表す内象を(選別せずに)一時的に記憶しておく、いわば、短期記憶 バッファーとして働いていると考察される。この内部表象が後に再生されることで、ゆっくり と⼤脳⽪質の⻑期的な記憶に置き換えられていくのだろう。 3. 受容性から自発性へ(直観から統覚へ) カントは「認識・判断は感覚能⼒の内にある受容性が、知性の持つ自発性と結びつくことにより可 能となる」と述べている。最初にこのプロセスを追ってみる。このプロセスは主に初版に基づいて記 述するが、一部第二版の記述を追加している。 我々に与えられる(受容する)最初のものは現象(Phänomen)であり、現象が我々の意識と結 びつくと知覚となる。 知覚に現れる多様なものを⾒渡し、対象としてまとめる働きがある。これは把握(Apprehension) による総合作用である。把握したものを一つの形象(Bild)に仕上げる。これを図示的な (Figureliche)総合と呼ぶ。 形象の系列(つながり)を作り出す作用が再生(想起)の能⼒である。これは、対象が現前し ていなくとも直観において対象の像を思い描くことのできる能⼒である。 ある規則に従って、経験的な根拠によって再生(想起)されることを像の連想(Assoziation) と呼ぶ。 象が連想されるためには、全ての知覚が単一の意識に属していることが前提となる。この状態 を現象の親和性と呼ぶ。また、この単一の意識は統覚(Apperzeption)と呼ぶ。 現象が把握され、連想により結び付けられ、再認(Rekognition)される。再認は一群の再生さ れた表象系列の認識を可能とする、概念(Begriff)による統合である。ものをつかむ(=概念) 意識こそが、一つにまとめる働きをする。概念こそが経験の形式的な統一(対象そのものにお いて存在するものでなく、多様なものを総合する意識の側の形式的な統一)を可能とする。 再認の根拠となるのは、経験一般の形式だけに関わる限りではカテゴリである(経験を可能性 とし、客観を形成する土台となる基本概念をカテゴリと呼ぶ) 。カテゴリを用いなければ経験の 対象を思考することもできない。カテゴリは経験の対象に必然かつ先験的(アプリオリ)に関 連している。 今まで述べた 3 種類の総合の土台となるものが自発性である。①直観において触発により変容 したときに様々な像が把握される②再生の能⼒において像が再生産される③概念において像が 再認される。この 3 つの源泉により全ての経験が可能となる。 先の池谷裕二さんの記述と対応させてみる。受容性は、外部及び内部からの触発を受けて全体を(選 別せずに)自発性①へ受け渡す機能を果たす。この時の条件は空間と時間の形式に従うことである。 自発性はこれを受けて、一塊の像としてまとめ、形象化により特有の変容を加えて内象化し(人間は 視覚が優位に働いており、輪郭を検出して形として把握しようとする傾向がある) 、短期記憶にバッ ファリングする。続いて自発性②により再生(想起)しながら自発性③へ渡され、概念による意味連 関の中で再認(認識)し、エピソード記憶や意味記憶、手続き記憶へ展開する。 Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 2 4. 自発性から受容性へ(統覚から直観へ) 「受容性から自発性へ」の項で直観から始まり概念による統合までのプロセスについてまとめたが、 次は自発性がいかに受容性を制御するか、すなわち統覚が概念の規則を直観に適用する仕組みがテー マとなる。認識や判断を可能とし、物理的な法則が自然界に適用可能となるためには、人間固有の受 容方法で受け⼊れる自然と人間共通のカテゴリや概念が同期する必要がある。カントは、認識に先⽴ って、カテゴリをベースに自発性側が受容する仕方を構成していると考える。そして、この機能を人 間が生まれながらにして共通に獲得しているという考え方により、経験主義思想に対抗した、客観的 実在的世界の可能性を獲得する。 まず、脳が実在世界に対して、モデルを構成して臨んでいることに関して、ミゲル・ニコレリスさ んの著書「Beyond Boundaries」より引用する。 脳は受動的な情報解読器ではなく、精緻で膨⼤な有機的時空格子を規定する多数のフィードバ ック性、局所性、変調性、フィードフォワード性の神経路によって構成されており、現実世界 の動的な分散モデル構築者である。また、周辺の環境の新しい情報を常に能動的に探求し、そ れらの内部モデルを検証・更新する。この作用には、経験に基づく学習と、将来の事象やその 成果を、事象の結果、費用、利益に関わる潜在的な期待値を計算して予測することが含まれる 「純粋理性批判」においてカントは単⻑期の記憶をベースとした過去に軸⾜を置いており、未来は その延⻑線として扱っているのみである。しかしながら「実践理性批判」にて展開されるように、未 来を目指した人間の⾏為の実在性への信念はカントの原点としてある。認識判断をするために構成す る働きは、何かを目指して構成する一つの形態に他ならない。この、認識に先⽴つ構成の働きは、統 覚とカテゴリ、構想⼒と図式が担っている。また、構成する作用自⾝については「超越論的・・・」 と名付けられている。 4-1. 統覚(自⼰統合の意識)の働き 統覚は「私」と呼ばれ、全ての意識に伴うものであるが、超越論的にはあらゆる意識を根源的に統 合する自発的作用として設定されたものである。感性を通して受容し、再生(想起)の能⼒によりま とめられた像を、意味連関の元に統合する働きを担う。コンテンツを主導するのは、統覚作用であり、 直観の全ての多様なものは統覚により概念と結合され、カテゴリに従う。 統覚の超越論的な統一は、直観に与えられた全ての多様なものを客体についての概念と結合す る役割を果たす。認識となりうる限りのあらゆる像を客観的に規定する原理に従って互いに結 びつける。このようにして判断が生まれる。判断は客観的に妥当する関係であり、連想の法則 により生まれた関係とは異なる。 私が像を意識できる限りで、私のあらゆる像には自⽴して持続する私(純粋統覚)が相関者と して対応する。そして、この統覚の概念は対極にある相関者として、対象 X の像(現象の元と なるなにか)を持つ(設定する)。 統覚のうちに取り込まれた対象のあり方を表象(Vorstellung)と呼ぶ。世界は私の表象である。 統覚は「一つの意識」であり、カテゴリを用いて経験的概念を創出する自発性である。 自発性としての知性は、与えられた像の多様なものによって、統覚の総合的な統一に相応しい かたちで、内的な感覚能⼒を規定することができる。カテゴリは単なる思考の形式であるが、 この条件により客観的な現実を獲得することができる。 中島義道さんは、更に、外部感覚により形成される世界と内部感覚により形成される世界を分け、 統覚の働きを次のように位置付けている。対象からの触発に基づき外的世界を構成し、その蓄積に基 づき内的世界を構成する。 超越論的統覚の具体的作用である超越論的総合は、対象 X からの触発によって外的客観的先後 系列としての外的世界を構成する。このことを通して、自⼰触発によって内的客観的先後系列 Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 3 としての内的世界、即ち私の諸状態系列をも構成する。 (⾮知覚的な表象をも同様に一つの客 観的先後系列に秩序付ける) 4-2. カテゴリと概念 カテゴリは経験的概念を可能とするための基本概念である。カテゴリは先験的(アプリオリ)な総 合作用により現象を普遍的規則に従わせ、全体的経験の網目の中に取り込むような仕組みの中で使用 される。 思考の用いるカテゴリとして、カントは 4 種類定義している。対象を「量」と「質」により識別し、 対象間の「関係」を捉え、その関係の「様態」がどうであるかを判断する。物理学的な⾒方で実在的 世界の経験を成⽴させるための基本的な概念がピックアップされている。 カテゴリは外部感覚より抽出して生成された概念を組み合せるためのメタ概念となる。カテゴリを 成⽴させるための脳の機能という⾒方をすると、 「違いを捉える、変化を捉える、順番を捉える、繰 り返しを捉える」などの機能が対応するかと思う。脳科学の本の中には因果性というカテゴリに関わ るニューロン群が発⾒されたという記述もあったが、真偽のほどは不明。 「純粋理性批判」では認識・判断の仕組みとして、いくつかの機能を述べているが、カテゴリは根 源的なコンテンツとなる。このカテゴリの生成機能を人類が共通の DNA として保有しているという 考え方(信念)が、イギリス経験主義との差別化の中核となる。 カテゴリが関わるのが概念である。脳は知覚された物をそのまま模写して処理するのではなく、固 有の方式で抽象化し概念化する。カントは、概念を認識や判断の中心として位置付ける。言語は地域 性や時代により変化することから、 「学」でないとしている。 図式イメージや環境により生成される概念化作用について、以下、今井むつみさんの幼児の言語生 成に関する著書「言葉と思考」より引用する。 複数の経路で処理される情報を統合することは脳にとって負担が⼤きい。複数の情報源から情 報をコンパクトにまとめて一つのイメージを作ることを可能としている。 概念同⼠を関係付ける働きが人間固有の能⼒。子供にとって最初は⾒掛けの類似性の影響が強 いが、しかし言葉を学ぶと、それを自発的に他の場⾯で使い、自分で関係の概念を学んでゆく ようになる。また、更に抽象的な関係における共通性・規則性を⾒出し、概念を発展させるこ とができる。 乳児は当初、多くの差異(無差別な)に注意している。言葉を通じた概念を取得してゆくと、 環境の特性の中に取り込まれた思考へと転化する。情報をスムースに処理し、知識を効率良く 得てゆくために、次第に不必要なこと、無駄に注意を向けないようになる傾向がある。 この引用の中では、コンパクトなイメージの生成と、概念同⼠が関係付けられ抽象化することによ り、より豊富な情報を効率的に処理可能となる脳の特性が述べられている。同時に、不要と思えるイ メージや概念は環境の必要度に応じて整理される。脳にはこのように環境を経験することによる概念 化対象の取捨選択の機能も備わっている。 4-3. 構想⼒の働き 受容から自発性へのプロセスにおいて再生(想起)的な総合能⼒であった機能は、自発性から受容 へのプロセスにおいて産出的な総合能⼒として機能する。これらの機能を構想⼒と名づけている。構 想⼒は統覚と直観を媒介すると共に、概念と形象を媒介する。 ここでは、産出的な総合が主役となり、統覚と結びつくことにより経験を成り⽴たせる。産出的総 合は、コンテンツの産出という意味ではなく、対象の構成作用という意味で用いられる。 カテゴリの規範に従って感性から与えられた多様な像を規定する能⼒があるから、いくつかの段階 に亘り多様な現象を総合することが可能となる。 Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 4 認識に含まれる多様なものをすべて結合できるための先験的(アプリオリ)な条件である構想 ⼒の純粋な総合に、統覚の超越論的な統一が関わる。先験的(アプリオリ)な総合であるのは 構想⼒の(再生的ではなく)産出的な総合だけである。この原理は統覚よりも先⽴つものであ り、全ての経験を可能にするための根拠となる。 構想⼒が対象を構成する時に、概念の規則を適用するために介する表象が図式(Scema)である。 ① 統覚と直観を媒介する機能 構想⼒は、空間時間の形式にて与えられた現象に対して、把握による総合、再生(想起)による 総合を⾏い統覚へ引き渡すと共に、逆に統覚を支援し、産出的総合により直観を構成する機能を 担う。 知覚が可能となるためには構想⼒による総合が既に⾏われていなければならない。カテゴリは 経験の可能性の条件であり、構想⼒の総合作用は、時間と空間についての全ての概念を可能と する条件である。 総合を構成する機能により、ある規則により直観が構成される。また、この規則により多様な ものの再生(想起)が先験的(アプリオリ)に必然的になされる。 概念に直観を与える構想⼒の操作は表現である。経験的直観から概念を作成する構想⼒の操作 は理解である。理解をすることは、ある概念または類似の概念に当てはめることである。 構想⼒の中で、概念の持つ規則を形象に適用する(直観を構成する)時に媒介となる表象を図式 と呼ぶ。図式は受容性から自発性へ至るプロセスの中では形象の系列(つながり)を作り出す再 生(想起)的総合に位置し、自発性から受容性へ至るプロセスの中では産出的総合が規則による 規定を⾏うための媒介となる。 「原則の分析論」の「純粋な知性の概念の図式論」では、或る種の四⾜獣群に対して「犬」とい う表象にて捉えるという例や、点を並べることにより捉える数の形象に対して、 「千」や「百」と いう表象で捉える例が示されている。この表象について「図式」という、優れて空間的な要素の 表現を用いている。この変容して集約する表象である図式を用いて、概念はその規則を形象に規 定することができる。また、概念はカテゴリという基本概念により規定される。 カテゴリや図式の役割に関して、理化学研究所「脳科学の最前線」から引用する。 物体認知においては、物体のカテゴリ(この用語はカントより幅広い意味で用いており、図式 や概念も包括するように思える)がまず認知され、次に個別の物体が認知される。カテゴリに よりその物体の価値、なすべき⾏為などが決まることが多いため。しかし、腹側視覚路の最終 ステージである下側頭葉⽪質の神経細胞が反応するのは、顔を除くと、物体カテゴリでも個別 の物体でもなく、図形特徴であった。 異なる図形特徴に反応するたくさんの細胞の反応パターンの類似度から、精度よく物体のカテ ゴリを識別する方法を⾒出すことができる。この下側頭葉⽪質細胞集団の反応パターンによる 物体カテゴリの表現が、霊⻑類の素早い物体カテゴリ認知に基礎をなしていると考えられる。 人間は感覚能⼒の中で視覚が優位にあり、図式により対象を捉えようとする特性を持っている。 また、カテゴリや概念により対象を認知しようとする特性を持っており、これらの特性が認識の 仕方に影響を与えている。図式は「表象する方法の表象」であり、対象の形象ではない。 形象は産出的構想⼒の経験的能⼒による所産であり、また、(空間における図形としての)感 性的概念の図式は、先験的(アプリオリ)な純粋構想⼒の、いわばそれを通してまたそれに従 って形象が始めて可能となるような略図(Monogramm)である。 図式は構想⼒の産物であり、図式は形象とは区別される。構想⼒が概念にその形象を作り出す ために利用する一般的な手続きをその概念の図式というイメージで考える。形象は図式によら なければ概念と結びつくことができない。 図式は構想⼒が総合のために利用する規則。経験的な概念は直観を特定の一般的な概念に従っ Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 5 て規定するための規則として図式と直接関係する。 図式論では概念→図式→形象となっているため、直観から概念に至るプロセスの中では、図示的 総合の後⼯程でこの図式イメージ化が位置付けられ、ここから概念が形成され、カテゴリの適用 を受け、意味連関の中に組み込まれる。 概念は概念と形象とを仲介するコンパクトなイメージ(図式)により、多様な現象を一定の規則 にて規定する。この「隠微な技」により、脳は情報処理の効率化と⾼度化を獲得した。 ② 図式の時間規定(超越論的図式) 図式の役割がどのようにして成⽴するかが、超越論的図式のテーマとなる。 純粋知性概念の図式は形象には決して当てはまりえないような何かあるものである。すなわち この図式は、概念一般による統一の規則に従うところの純粋総合に他ならない、そしてこの総 合はカテゴリによって表現される。 この、形象とは異質な、純粋知性概念としてのカテゴリが形象と関わるためには、感性、特に内 部感性の持つ時間と関わる表象を媒介とする必要がある。このため、カテゴリは感性的概念を規 定する時に、時間規定を有する図式を変換媒体として利用することにより、カテゴリの規則が概 念→形象という規定を可能とし、実在化する。図式や略図は空間的要素の強い言葉であるが、時 間的な規定を持つことにより、内部感覚との親和性を確保する。 各カテゴリは図式機能の時間規定により現象との関わりが可能となる。私が原因性のカテゴリ を感性に適用すると、この原因のカテゴリによって生起する全てのものを時間一般においてそ れぞれの関係に従って規定することになる。 超越論的な図式はいずれも先験的(アプリオリ)な時間規定を担う。純粋知性概念の図式は、純 粋知性概念に対象との関係を与え、意義を与える唯一の条件となる。次に、量・質・関係・様態 というカテゴリに対する図式がどのようなものであるかまとめてみる。 量のカテゴリは同じものを単位として空間的に並べ、ひとつずつ追加するという時間的な系列 を持つ「数」という図式イメージを媒介することにより、 「単一性、多数性、全体性」として概 念と関わる。(現象的量) 質のカテゴリは周囲の空間と比較して感覚が受ける或る度の量が変化するという時間内容を 表す「感覚の度合」という図式イメージを媒介することにより、 「実在性、否定性、限界性」と して概念と関わる。(現象的実在) 関係のカテゴリは実在的なものの表象間の時間的秩序を図式とし、 「実体性、因果性、相互性」 として概念と関わる。 (現象的因果性) 様態のカテゴリは現実存在のあり方の時間統括を図式とし、「可能性、現実存在、必然性」と して概念と関わる。(現象的必然性) この超越論的図式の作用を構想⼒が提供することにより、カテゴリが概念を経て諸現象に適用で きることとなる(=カテゴリが実在的なものとなる)。 構想⼒は短⻑期の記憶と連携し、先に引用した能動的な情報処理機能により、本質的に時間に関 わりながら対象に対する構えを提供する。ここで展開されている超越論的な仕組みは、ヘーゲル で言う観察する理性の視点であり、客観(=経験的実在)をどのように成⽴させるかという課題 に対応するものである。 図式的な作用の位置について確認するために、象徴(Symbol)的な作用についても触れておく。 我々が先験的(アプリオリ)な概念の根底におく全ての直観は図式であるか、それとも象徴で あるかである。図式は概念の直接的表現を含み、また象徴は概念の間接的表現を含んでいる。 象徴的である場合には、類推機能を持つ理性のみが考えることができ、いかなる感性的直観も 適合し得ない所の概念に、ある種の直観が配せられる。 Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 6 7. 理性 理性は推論エンジンであり、取得した概念や法則を用いて様々な推論を働かせ、試⾏錯誤して新た な論理・法則を発⾒する。理性により人類は技術的な発展を実現してきた。しかしながら、感性的概 念を超えた知性的概念の世界では、無限や実体などの概念が暴⾛して、不⽑な議論を展開する。 推論は直観による確認を経ることにより、確実な認識を得ることが基本である。従来の思想がいか に実在する世界と遊離した議論をしてきたかという検討を⾏いながら、こうした人間の知的能⼒と妄 想との境目がいかに危ういものであるかを描き出している。 思考においてはカテゴリの適用される範囲は無限である。しかし自分が思考する物を認識する ためには直観を必要とする。しかし、直観が欠けている場合でも、客体について思考すること は主体による理性の利用に有益な結果をもたらすことがありうる。しかしこの理性の利用は客 体の規定を目指す物でなく、主体とその意欲を規定することを目指すものである。 カントは受容を触発する原因はあるはずだとは考えるが、触発する物自体が存在することについて、 判断を停止する。同様に自発性の作用は前提としているが、自発性の作用主体については判断を停止 する。アクションを起こす時に初めて、そうした存在があると⾒做すこととなる。 「純粋理性批判」は理性の限界を明確化することが主たるテーマであるが、中世以来の存在者に関 する議論と疎遠な一読者としては、それまでの密度と比べて、理性に関する議論は冗⻑な感を覚える。 このため理性については省略して、中島義道さんの「カントの時間論」と「カントの自我論」の読書 ノートへ進む。 8. 「時間」とは何か まずは、時間論から。先に、直観の形式としての時間と空間について触れたが、ここでは超越論的 な認識を含めた他の⾒地から、時間の 5 つの様相が検討されている。 8-1. 諸現象の先後という関係のみに着目した秩序 連想による総合の場⾯においては、諸現象が先と後の系列として捉えられるようになる。この内的 感官の諸関係として、継起する相対的な先後系列の関係が、まず原初的な時間関係として現れる。 →これに対する時間概念は、8-2 の世界空間の内に占める客観的な先後系列の関係となる。 8-2. 外部感官に触発される動⼒学的根拠による客観時間 本来的な意味における客観的時間(外的世界を統一的に秩序づけることのできるような時間)の構 成は、運動する諸物体との具体的連関を通してはじめて可能となる。 時間は、運動するものに対し ての不動の基準(運動の尺度)としてとらえられることによって、現象を客観的に秩序づける能⼒と して獲得される(=実在的世界)。時間は感性論の純粋直観では形式であったが、客観的時間構成(経 験)では、カテゴリに次ぐ概念として扱われる。しかしながら、客観的時間は自由な人間の⾏為を直 接その内に位置付けることができないことから観念的と⾒做される。 ではどのようにこうした概念を取得するか。中島義道さんは動⼒学的な考え方に基づいて取得され ると説明している。動⼒学では、世界の成り⽴ちを原因や目的より説明するのでなく、観測できる物 事のみの因果関係に注目して、反発牽引の体系をまとめている。知性は、この世界が示す固有の根源 的秩序からの触発によって、因果性に従う時間(先後系列)的な関係を構成して現象に適用すること ができ、このことによって現象を認識しうる。 →これに対する時間概念は、8-4 の自⼰認識に基づく現在過去未来の先後系列の関係となる。 実在的世界とは、純粋直観である空間に位置する数学的対象+時間空間において観察可能な物 理学的な対象である。 Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 7 経験的判断は、数量化を通して⾝体のパースペクティブを消去した判断である。 8-3. 線により表現し、単位線分を積み重ねて表現する空間化して捉える時間 因果性のカテゴリは⾏為に基づいて引かれる先後系列にも適用されるが、図式化されて初めて客観 的時間のみと結びつく。ここでは、時間を表象する場合、空間のイメージにて直線を引き、量的な区 分(数の図式)に基づき数え上げる。一本の線という形象(空間化)の下で時間を形象化し、先後系 列が空間化され、第 4 次元として表現される。逆に、空間の存在そのものを描き出すための運動は、 外的な直観一般の内に含まれる多様なものを継起的に消すことにより、残された場(広がり)として 表現される。 →8-3 は 8-2 の時間概念の延⻑線上に位置し、感性論の時間が根源的な時間であるのに対して、図 形表象である線を引くことにより類比的に捉える時間となる。 8-4. 自⼰認識に伴う時間 自⼰認識に伴う時間は、②の実在的世界に、⾝体を基軸としたリアリティを持ち込むことにより現 れる先後系列である。自由な人間の⾏為がそれ自体として実在的であるというテーゼは、カントの時 間理論の全体において原点の位置を占める(理論理性に対する実践理性の優位性) 。⾏為主観は、⾏ 為の根源的な統一に基づき、⾏為の目的がそこで実現される未来から⾏為が直接与えられているこの 現在に至るまでのある先後系列を引く。 私が存在する限り、私は時間を構成する作用自⾝として常に流れる現在にとどまりつつ、対象 X に 触発されて観念的(物理学的)時間=世界時間を構成し続け、そして、まさにこの構成作用に触発さ れて、私の過去及び私の未来そしてさらにそこで私が私の過去や未来に出会う特権的な場所としての 私の現在をも構成する。自⼰触発は私固有の過去時間の構成に関わる。 →8-2 の客観的な平坦な世界時間に対して、現実のアクションに関わる過去・未来・現在の先後系 列の関係となる。 ここでの空間は次のように構成される。 私はまず私の⾝体と私の⾝体ではない様々な物体との間に「相互に外的な関係」を打ち⽴て、 それからこの関係を通じて私の⾝体の周囲に私の⾝体を基点として、様々な物体間に「並列関 係」を打ち⽴てる。 8-5. 理念により絶対時間として拡張された時間 理性は 8-2 の時間概念を無限に拡張して、絶対時間絶対空間を創出する。この時間概念は、理性の 本性(理念)に基づくものでもある。 9. 「私」とは何か 脳科学の書物では「脳の中に小人はいない」という表現が好んで使われるが、カントも同じ⾒解に ⽴ち、私という実体の存在を否定する。中島義道さんの「カントの自我論」では、私についての 5 つ の様相と、付帯するテーマが検討されている。 9-1. 純粋統覚 何かを考えている時に、いつも伴っている私がある。この意識は思惟であって直観ではない。無規 定な内的な意識の流れにある私の存在=自⼰意識である。この自⼰意識を純粋統覚と呼ぶ。 純粋統覚は、先に「連想」と呼ばれた「経験的総合」の主体であり、コギト(我思う)が私の表象 に伴いうるという関係こそ、他のいかなる関係とも比較できない根源的関係である。私が像を意識で Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 8 きる限りで、私のあらゆる像には自⽴して持続する私(純粋統覚)が相関者として対応する。経験的 意識にとって、先験的(アプリオリ)な土台となり、全ての像に常に伴っている自⼰同一性の意識で ある。 自⼰意識は、他と関わりながら自⼰同一を達成しようとする自⼰の固定化の傾向を持つ。先にも引 用した「脳科学の最前線」では、意識を自覚することについて次の記載がある。 受容された刺激が前頭前野へ伝わって選択的注意を引き起こし、前頭前野が頭頂連合野と共に ⾼次感覚野の活動を⾼める。さらに⾼次感覚野からの逆⾏性の結合によって初期感覚野にも活 動が広がる。こうして⼤脳⽪質の⼤きなループによって刺激の処理がさらに進められることが、 刺激が意識的に知覚されることに対応するのではないだろうか。 9-2. 超越論的統覚 超越論的統覚は、 「5.統覚と構想⼒」の世界及び「8.時間とは何か」の 8-2 に対応した「私」であ る。実在的世界を構成する作用として自ら実在(存在)するものとして、一群の再生された表象系列 に統一を与えるものとして位置付ける(同一性としての自⼰) 。換言するとあらゆる「経験的総合」 を可能とする「超越論的総合」の主体である。 これは動⼒学的秩序により純粋統覚が超越論的統覚へ転換するものであり、私は外的対象を時間に おいて規定する(認識する)ことを通してはじめて、私自⾝を時間において規定できる。時間におけ る自⼰規定以前に、時間がすでに外的対象を規定するものとして登場している。私は、自⼰規定を通 して時間を構成するのではなく、逆に、外的対象を秩序づけるような時間の内に、はじめて自⼰を規 定する。 さまざまな経験的な意識は全て一つの自⼰意識のうちに結び付けられていなければならないと言 うのは総合的な命題であり、思考一般にとって根源的な総合の原則である。人間の知性はカテゴリを 媒介としなければ自⼰統合の意識(統覚)における統一を先験的(アプリオリ)に捉えることができ ないという特異な性質を備えている。 統覚による根源的で総合的な統一(=像一般の多様なものの超越論的な総合)において自らを意識 する時は、私は現れるままにではなく、私自体のあるがままでもなく、私が存在することだけが意識 される。この存在するものという観念は、直観のもたらす観念ではなく、思考のもたらす観念である。 9-3. 存在するという感じ 前項までは人間一般としての自⼰意識であったが、これ以降は⾝体につかみ取られている私がテー マとなる。この段階での「私」とは存在するという感じ以上のものではない。いかなる概念でもなく、 ただ内部感覚能⼒の対象の表示に過ぎない、未規定な経験的直観・知覚を表している。思惟に伴う私 と異なるのは、この⾝体による端的な感じ(Gefuhl)であることによる。⾝体を通じたリアル感を有 する。 9-4. 自⼰直観 自⼰直観と自⼰認識は、⾝体によりつかみ取られている私に対して、知性が捉える私の 2 つの様相 となる。⾝体につながるリアル感が個人としての私を浮き⽴たせるものであり、体験した記憶の想起 がこの現実感を確実で継続するものとする。 自⼰直観は、端的な想起により与えられる私の直観であり、自⼰を対象的に知る。この自⼰直観と は、受容性に属する自⼰直観とは異なる種類の自⼰直観である。私であるためには、内的経験という 固有の内的世界を持つことが不可欠。端的な想起を含んだ時間関係が「うち」のモデルであり、端的 な想起を捨象した時間関係が「そと」のモデル。 何かに注意を向けることがここの想起には必要となる。自発性が構想⼒の超越論的な総合の働きと Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 9 して、受動的な主観に働きかけることにより、内部感覚能⼒は構想⼒の超越論的な総合によって触発 される。この自⼰触発により、内部感覚能⼒は私たちを、自ら現れるままに意識の内に描き出す。 「こころ」はその内に何ら持続的なものを含まない。外部環境の下での体験を通じて、間接的に直 観され認識される。⾝の回りの環境を直観することを通じて「内部から触発されて」自⼰を直観する (ストレートに自⼰を直観するわけではない)。私は自分自⾝を認識するためには、私が自分自⾝の ことを考えるということの他に、私の内における多様なものの直観を必要とし、この直観により私は この思考を規定する。 私は過去の⾝体感覚と共に想起されるのであり、過去におけるこの⾝体の時間的位置・空間的位置 を直観する。この時の感性の形式は、 「方位の基準となる」⾝体をもって、実在的物体を一つの空間 の内に配置する仕方(Art)である(概念としての 3 角形は同じでも、向きの違う 3 角形を別物とし て認識できる方位性) 。 9-5. 自⼰認識 過去の私の⾝体の位置(自⼰直観)を機軸にして、私が現に体験してきたことの系列を構成するこ とが自⼰認識と呼ばれる。思考する主体である私は、直観において与えられた自らを思考された客体 として認識する。自らの主観を現象として認識する。 自⼰触発による「いま」の出現により、実在的世界を現実世界に変換する。私の表象の「うち」で、 現に体験したことと体験していないことを区別し、一つの客観的時間秩序に配列する。客観的に実在 する世界の「うち」に独自の領域として個人史を構成する。(超越論的統覚があらかじめ構成した世 界の中に、私自⾝の固有の世界を構成する) 。 認識のレベルでは、私は現実性を直接には捉えられず、まず、可能性としての世界を構成し、その 内で現実性を捉え直すことができるのみである。 ここでは一定の時間存在し続け、そのことを記憶し想起する能⼒を備えている存在者、すなわち自 分が現に体験してきたことを知っている存在者であり、当時の印象や今の感情に色づけられて私が想 起の内容として認識する。 現実世界=単なる先後系列としての時間のあり方でなく、現在過去未来という時間のあり方 において存在していること。 9-6. 他者経験と物自体 中島義道さんは自我論の最後に、他者の経験と物自体について触れている。 私の内的経験の蓄積がまずあり、同様の内的経験を持つものとして私が構成できる限りの存在者が 私に取っての他者である。即ち、私と異なる内的経験を持つ存在者として認知する。この時、他者を 知るアプローチは、他者の外的経験を直接構成し、他者の内的経験について、それを媒介として間接 的に構成する。脳科学の世界では、ミラーニューロンが⼤きく関わる。ミラーニューロンは相手の動 きをなぞる働きがあり、同じ動きを通じて相手の心の動きをシミュレートする。 物自体については、9-5 自⼰認識の体験にて、よりありありとした対象の現実感が、対象 X を物自 体へと変換させるという。脳科学でいうクオリアという感動的刺激的な外部触発により対象自⾝が存 在することを切実に実感するという。 10. おわりに カントは「純粋理性批判」の中でいくつかのこだわりを示している。純粋理性批判は「知」であり、 道徳の実践や神の存在は「信念」であり、超越論的な⾒方も「信念」に基づくとしている。 カントのこだわりを思いつくまま列記してみる。 神と自由の存在への信念 Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 10 科学的な法則の実用性(外部の自然の持つ規則性)への信頼 脳の内側からの視点を踏み出ないこと 意識は統覚として確認されるが、実体でも持続的なものでもない 外部に何か(対象 X)が持続的に存在している 認識判断の世界は、脳内で⾏われるため、時間に規定される 脳科学は客観的で論理的であることを基準に外部より思考の仕組みを捉えようとし、カントは客観 性を成り⽴たせる思考の仕組みを脳内意識の側より捉えようとしている。「学」の⽴脚点は「知」で あり、客観的論理性にあるため、この客観性を目指した「構成」の仕方にて、超越論的な仕組みを検 討していることになる。 ミゲル・ニコレリスさんは著書「Beyond Boundaries」にて、ニューロンの活動特性として、次 のように述べている。 ある特定の脳活動は、おびただしい数の異なるニューロン活動パターンによって発生する(広 範な分散処理) 。 個々の⽪質ニューロンとそれらの確率論的発⽕は、複数の機能ニューラル群に同時に参加する ことができる(複合機能)。 個々のニューロンの受容野と脳領域内の「地図」は、他の無数のニューロンによる影響⼒の⾮ 同期時空収斂によって規定される。時間を特定しなければ、特定のニューロンの受容野が占め る空間領域を規定することはできない(有限な時空連続体)。 これに対して、カントの問題設定の場合、認識及び判断する時は中央集中型の意識が、再生による 短期記憶としての現在と脳内に広がっている⻑期記憶としての過去を組合せながら、シーケンシャル (先後系列)に処理するため、1 系列の時間に縛られる。 客観的構成の仕方においては、統覚と記憶との会話がベースとなり、且つ記憶は自分の⾝体を含め た外部触発の受容が素材となる。この内、自分の世界を消したものが観察的理性となる。未来に向け てアクションを起こす時には環境の中に自分の歴史を組み込む(自⼰認識)形態で思考する。 やはり、カントはおもしろい。 以上 Copyright © 2012 TakayoshiK All rights reserved. 11
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