川邊 武芳

教育とは何か?
―"0"ロレンスの教育観―
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武
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チャールズ・ディケンズ (
) は, (1854) という 「寓話的」 物語の
なかで当時のイギリス教育の実情と問題を暴露し批判している。 そこには, 世界に先駆けて産業革
命を成し遂げたイギリスのヴィクトリア時代という一時代の社会や文化の問題だけでなく, フラン
シスコ・ベーコンの 「知は力なり」 とルネ・デカルトの 「我思う, 故に我在り」 の原理に基づいて
発展した〈近代〉が生んだ悲劇がある。 そして半世紀を経て, ロレンスも同じ〈近代〉批判の一環
として 「教育とは何か?」 を人間の 「生の在り方」 まで掘り下げて問うている。
(1) 「第2章」 の教室の場面には, 現在にも通ずる教育の本質的, 普遍的な問題が問
われている。
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曲馬団の娘シシーは馬の定義などできない。 「どこにもいる動物に関して何一つ事実を知らない」
が, 馬と共に育ち, 馬を生命として直に理解している。 彼女が生命力と善良さを代表し, 「少女は
とても目の色が濃いくつやつやと輝いていて」, 「陽が当たるとますます濃くつやつやと輝いて」 く
る。 対照的に 「肌には不健康なほど自然の肌色がなく, まるで切っても白い血しか出ないみたいな」
− 39 −
グラッドグラインド式教育の機械的な産物, ビッツァー (
) は, 模範解答を答える。
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「さあ, 女子20番, これで馬がどんなものかわかったね」 )
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とにおいて, 規制し, 支配しなければならない」 のであり, 「空想」 (
) などという言葉は捨
ててしまわなければならい。 これがイギリス北部のコークタウン (*
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) 選出の代議士トマ
ス・グラドグラインドの教育理念である。 その理念に基づいた教育実践がもたらす究極の不幸をディ
ケンズは告発するのである。 その学校経営者の教育理念は章の初めに要約されている。
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当時, 中産階級が信奉していたジュレミー・ベンサム ( 1
) の功利主義とアダム・
スミス (#
2やディヴィッド・リカードー (-
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) によって唱えられた社会経
レ ッ セ フ ェ ー ル
済学の自由放任主義から生まれた教育理念である。 「学校が社会の一部であるが故に, 教室を支配
する思想は社会から生じてくる。 しかしながら, 学校が社会の変化に追いつくのは数世代経てから
であろう。」 そして 「19世紀初頭の徹底した唯物主義の生み出した正真正銘の結果と言えば, 人間
を単に道具とみなす傾向の誕生であり, 産業経済の中で, まるで当然のように擦り切れていかざる
を得ない一部分となってしまった人間の苦しみの顕在化であり, そして単に統計数字上の単位とし
てのみ計上される死傷者たちの数字であった。」 (2) グラドグラインドの教育が生み出した結果は,
息子のトムの銀行盗難事件となって顕れる。 息子は言う, 「信用のいる仕事についているやつはい
くらでもいる。 いくらでもいるやつの中で, 悪いことをしているやつだっていくらでもいるだろう。
父さんはそれが原則だと言ったじゃないか, 百ぺんも。 ぼくだけどうして原則をまぬがれられるん
だい。 …」 (216) また, 息子を海外に逃がそうとするとき, 功利主義の 「事実と計算」 という基本
原理に基づくグラドグラインドの教育理念の申し子, ビッツァーが現れて, トムの逃亡を阻む。
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トムの逃亡は, サーカス団の団長スリアリー氏 (
) の計らい, 馬と犬の活躍で成功す
る。 スリアリー氏は感謝の気持ちでいっぱいのグラドグラインド氏に話す。 「ダンナ, 言うまでも
ないこってしょうが, イヌっていうのはすばらしいドウブツですね」。 「犬の本能は驚くべきものだ」
とグラドグラインド氏。 「ダンナがなんと呼びなさろうと, わしはそれをなんと呼ぶかぜんぜん知
りませんだが, そのなんとかはタマゲタもんですな。 犬が見つけ出す方法ときたら, やつがやって
来るキョリときたら」。 「犬の嗅覚は実に優れています」 とグラドグラインダ氏。 しかし, この 「道
徳的寓話」 (
!
) (3) の最後のモラルを語るのはスリアリー氏である。 彼は, シシー・ジュー
プと同じように 「事実」 や計算を詰め込まれることなく, 教育や学校とまったく関わりのないとこ
ろで生きている。
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− 41 −
222
ここで, ディケンズは 「教育とは何か?」 を理論や方法でなく, その本質を問かかけている。 19
世紀初頭, イギリスにおいて多くの教育改革者たちが, 新しい理念を掲げ, 自ら開設した学校で実
践した。 エッジワース父娘 (
), ロバート・オーエン (
), ウィ
ルダースピン (
), ストウ ( !
), そしてスイスの教育改革者ペスタロッチ ( "
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) の個人の自然な発達段階に応じた教授法, いわゆる 「実物教育」 を導入したメイオ
ウ (
) 兄妹など。 しかし, 例えば 「実物教育」 の教授法によれば, 教師はまず一つ品物を見
せ, 「子供たちから, その名前, 物理的特徴, 有用性などについての意見を誘い出すという」 正し
い順序が, 教育現場では逆になったり, 手順が脱落したりして 「一連の過程は教師の都合のいい一
方的定義で終わり, 子供たちは丸暗記させられるだけになってしまった」 (4) のである。
教育の 「理想」 は, &'
(
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,.のグラドグラインド氏の創設したモデル校の授業から彼の子供
たちやビッツァーを生み出すことになる。 抽象的な 「事実」 の定義や統計的数字の単調な丸暗記方
式による詰め込み教育はシシー・ジュープやスリアリーのもつ人間的感情や本能を殺し, ある意味
で犬や馬以下にしているのである。 1846年に国家による教員養成制度が樹立され, 1856年にかけて
養成課程が改定・標準化された。 作品では誇張されているが, その国家が訓練・養成した教師こそ
がマクチョーカムチャイルド (/
0
123
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) である。
また, ディケンズの影響が大きいと言われるドストエフスキーは, 彼の思想の鍵, その後の偉大
な作品 罪と罰
白痴
悪霊
カラマゾフの兄弟 の序となる 地下生活者の手記 (1864) の
なかで, 地下生活者の 「私」 を通して西洋文明の精華であるイギリスのヴィクトリア文明をシニカ
ルに批判するように思われる。 産業革命と繁栄の象徴であるロンドンの第1回万国博覧会 (1851年)
の 「水晶宮」 と功利主義や合理主義を痛烈に皮肉る。
たとえば, 現に諸君は人間を旧来の習慣から脱却させて, 科学と常識の要求にふさわしく, 人
間の意志を匡正しようと思っておられる。 …いったいなにを根拠に, 人間の意欲はぜひともそ
・・・・・・・・・・
んなふうに匡正されなければならないなどと, 結論されるのか?簡単に言えば, こうした匡正
が実際に人間に利益をもたらすということを, どうして諸君はご存じなのだろう?それに, こ
うなったらもうかくさずに言ってしまうが, 理性や算術の根拠によって保証された真の, 正常
な利益に逆らわないことが, 実際に人間にとってつねに有利であり, これこそ全人類にとって
・・
の法則であるなどと, どうして諸君はそれほど確固たる信念をお持ちなのか? (中略)
あまり感心できない動物である人間は, ことによると, …目的そのものよりも, ただ目的を達
するまでのプロセスだけを愛しているのかもしれないのだ。 …その目的というのは二かけ二は
四, つまり公式以外の何物でもないものであるべきことは, いまさら言うまでもないが, しか
しこの二かける二は四というやつはですね, 諸君, 実はすでに生活でなくて, 死のはじまりな
のですよ。 (中略)
人間が愛しているのはなにも平穏無事だけではないかもしれないじゃないか?もしかすると,
− 42 −
人間はそれとまったく同程度に苦悩だって愛しているのかもしれないじゃないか?…水晶宮で
はそんなものは考えもつかないことである。 苦悩は疑惑であり, 否定である以上, 疑うことが
許されたら, そんなものは水晶宮などと言えたものではあるまい?それはともかくとして, 人
間は真の苦悩, つまり破壊と混沌を決して拒むものではないと, 私は信じて疑わない。 苦悩―
これこそ実に意識の唯一の原因なのである。 私はこの手記の冒頭で, 意識こそ, 私に言わせれ
ば, 人間にとって最大の不幸であるという意見を述べたが, しかし人間がそれを愛し, どんな
満足とも引き換えようとしないことを, 私は承知しているのだ。 意識は, たとえば, 二二が四
などというものよりもはるかに高尚なものなのである。 二二が四のあとでは, もはやなにひと
つ残らず、 行為だけではなく、 知覚することすらなくなってしまうことは、 言うまでもない。(5)
◆
工業化が始まった19世紀初頭, イングランドでは, 国家は教育に対して何の干渉も関わりももっ
ていなかった。 つまり, この国の教育は, エリート教育も民衆教育も, 自由放任の市場原理の上に
成り立っており, 国公立の教育施設はなく, 管理運営母体は別々でも, 学校はすべて広い意味で私
立であった。 エリート教育についてみると, オクスブリッジ (
) に入る教育機
関として両大学と同じように基本財産に基づく学校 (
) である文法学校 (
) と校長が所有者である個人経営学校 (
) が全国各地に存在していた。 (因み
に 「パブリック・スクール」 と呼ばれる学校は文法学校のなかの有名校で, 上流ジェントルマン階
級の子弟を集めるオクスブリッジへの進学校イートン, ハロウ, ラグビーなどのことである。) 186
0年代文法学校は約3000, 個人経営学校はその数倍に達したと言われている。
一方, 民衆教育については, 17世紀末から宗教団体の な慈善事業として行われてき
たが, 初等教育は1811年に国教会系の国民協会 (
!
) が, 14
年に非国教会系の内外学校協会 "
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%が, 結成されて以後, 国民
の間に広がっていった。 この初等教育では, 聖書を主要教材とするキリスト教の布教を目的とし,
併せて読み, 書き, 算の3&'
を教えていた。
政府は教育を全面的に自由放任の原則に委ねていたが, 中流階級が着実に経済的な実力を増し,
下層階級の民衆が労働階級を形成し, それぞれの階級が自らの要求を提起するようになるにつれ,
政府も教育に対して政策的干渉をせざるを得なくなった。 第一次選挙法改正 (1832年), 工場法の
制定 (33年), 救貧法改正など一連の改革のなかで, 二つの大きな協会の慈善教育としての初等教
育に, 補助金の交付による国庫助成を始めた。 1839年以降, 補助金を受けようとすれば, 政府の視
察を受け入れなければならなくなった。(6) デッケンズの時代, 私的事業としての学校はタイプに分
けて, 婦人の経営する 「初等学校 (寺子屋)」, 男女共学の中間通学制, 私立の寄宿学校」 (7) であっ
た。 補助金をえるためには視学官の視察が必要であったが, それによる拘束はほとんどない状態で,
− 43 −
助成金が政府の財政を圧迫していくことになった。 1870年の 「初等教育法」 (地方税で賄われ, 学
務委員会の管理する と呼ばれた公立学校の設立), 1880年義務教育化, 1891年公立
初等教育無償化, 1895年教育の 「出来高払い」 補助金廃止と進み, 1902年 「バルフォア教育法」
(州評議会・都市評議会が教育委員会を通じて施策・監督を行う初等・中等教育の改革) によって
公教育制度が確立したのである。(8)
ロレンスは, 世紀の変わり目に, 「帝国主義」 (
) や 「ジンゴイズム」 (
) の高
揚の時代, 国家や州が初等・中等学校から大学まで管轄・管理する現在の 「かたち」 のできる時代
に, 教育を受けている。 彼は3歳8か月になった1889年5月20日から, 家から歩いて1マイルのと
ころにあるボーヴェイル公立小学校の幼児部に通い始めた。 「私は登校初日に辛くて泣いたのを決
・・・・・
して忘れないだろう。 わたしは囚われの身になった。 罠にかかってしまったのだ。 ほかの子供たち
・・
も同じことを感じた。 そこの捕虜になったと感じて, 彼らは学校を憎んだ。 看守のように思える先
生を憎んだ。 読み書きの勉強も嫌がった」 のである。
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1928年の回想録 「文明の奴隷」 (
)
であるので一般化, 抽象化されているが,
ロレンスが5か月後に退学し, 7歳になって復学している事実から学校という組織, 集団生活に初
めから馴染めなかったのは確かである。 また,
息子と恋人
のポールのように, この頃彼はよく
理由もなく泣いていた。 小さな子供によくあるように, 両親の不和と争いと家庭にみなぎる緊張の
原因が自分にある, と無意識に強く責任を感じていた。 それで, 自分が 「いい子」 にしていれば,
と思うようになるのである。 父と母の諍いの絶えない家庭環境のなかで, ロレンスは母の期待する
「いい子」 になろうと努力し, 小学校でも, 男の子の乱暴な遊びに加わることができず, いつも女
の子と遊ぶ虚弱体質で自意識過剰の子になった。 その幼少期の 「トラウマ」 (
) との闘いは
生涯つづき, 創作活動による自意識の克服と生命, 本能, 肉体, 性の復活の過程となった。
ロレンスは, ノッティンガム・ハイスクール進学奨学金を獲得して中等教育 (1898−1901) を受
け, 大学入学資格を得たが, 学費が必要なため1902年10月から2年間 「助教員」 (
%
)
として地元の小学校で働いている。 その間, 1年ほど (19043
−19056) イルケストン助教員養
成所に通うこともゆるされた。 大学 (ノッティンガム・ユニヴァーシティ・カレッジ教員養成課程;
1906−08) は, 大学教授が自分よりも劣っていて知的な刺激を期待できないことがわかり, すぐに
− 44 −
失望する。 しかし, この時代はロレンスにとって大きな転機となった。 キリスト教に疑問を抱き,
独力で自らの宗教を発展させたいと思うようになったのである。 「彼は自分の頭も良心も, 宗教的
に考える習慣が染み込んでいることに気づくが, 何か特別な信仰を受け入れる状況でもないし, 支
持するものでもなかった。」 (10)
「聖書」 と宗教体験についてロレンスは晩年次のように語っている。
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(11)
母親が父親を責め, その 「邪悪な男」 から隔離する根拠とした組合教会 (%
)
とその教えは, 子供の頃のロレンスに染み込み, あらゆる面で影響を与えつづけた。 自分は何より
も宗教的だと主張するロレンスは, 22歳頃, 非国教派から離れたが, 人間を 「宗教的存在」 とみな
す考え方を捨てたわけではない。 彼は人生にあって, 理性を介さない肉体的な感情や意識が, 観念
や理想と関わりのない直感や本能が, 最も大切だと確信するようになった。 しかしそうした結論が
組合教会の形式的で道徳的な教えと無縁であったにせよ, それは幼年期の宗教体験が自分を育んで
くれたいろいろな宗教的感情によって測り知れないほどの影響を受け, 「まさに20世紀的精神と感
性のなかで発展したもの」 (12) にほかならないのである。
ロレンスは自伝的作家であるにも拘らず,
虹
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)
*+,;1914−15) を書くまでほとんど
自分の学校生活や教師経験のことに触れなかった。 しかし, ロレンスの教育観の核となる宗教的体
験や発見は, すでに
現れている。
白い孔雀
白い孔雀
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)
息子と恋人
(1*2(*3 4
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5
2
) のなかに
では, 夥しい種類の植物や動物の観察を通して, 自然のなかの生と死に
対する宗教的感受性が示されているし, 息子と恋人 においては, 樹木の 「原形質」 (
)
の洞察がある。 芸術家ポール (6
) は説明する。
7
―
7
―
7
― 7
8
9
(13)
そして続ける。 「この絵をみてごらん, 松の幹というより, あの暗闇の中で燃え立っている赤い石
・・
炭の塊って感じがしないかい。 それは聖書にある神の燃え上がっているやぶさ。 そして燃え尽きる
ことはないんだ」 と。
また, ロレンス独自の 聖書
解釈と言われる 虹 のなかで, アーシュラは大学の生物の時間
に, 原始生物 (
:
) を顕微鏡で観察しているとき, 生の目的, 生を創造した意思・意図
が 「自己の実現」 であると洞察する。 それは 「決して限定された機械的なエネルギーでもなければ,
ただ単に自己保存と自己主張という目的でもないこと。 それは, 完成であり, 無限の存在になるこ
とであった。 自己とは, 無限と一体であること。 自己の実現とは至高の, 輝かしい無限の勝利であっ
− 45 −
た」 (14) のである。
虹
はイギリス中部にあるマーシュ農場 (
) を中心とする1840年から1905年頃
までのブラングウィン家 (
) 三世代の年代記という体裁をとっている。 しかし, こ
れまでの系図小説 (大河小説) と違って 「政治・経済・社会的時代の流れにおける一家の繁栄とか
没落」 とまったく関係がない。 しかし, 著者が語るようにテーマが 「別の自我」 あるいは 「炭素」
の歴史であるにしても, 人物, 女の 「石炭か煤」 にすぎない平凡な存在は文明や時代の影響のなか
で変化していくのである。 ブラングウィン家の女たちは, 教会の牧師や大地主の奥さんや代議士な
ど知識と教育と経験による 「高い存在の形」 に惹かれていく。
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「これ, この教育, この一段と高い存在の形こそ, 母親が子供たちに与えたいと思ったものであっ
た。 そうすれば子供たちもまたこの世で最高の生活を送ることができるの」 である。
そんなわけで,
虹
の第一世代, 母親の一番のお気に入りであった末っ子のトムはむりやりグ
ラマー・スクール (-
) に入れられる。
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彼は自分の虚弱体質と闘って勉強しようとしたが, やはり失敗であった。 感情や本能の面では繊細
で生命力に溢れていたが, 学課のほうは見込みのない劣等生でいつも自分の敗北と無能を意識せざ
るを得なかった。 彼はマーシュ農場を継ぎ, その 「エデン」 と思しき農場の世界で, 「理解するこ
となしに」 知り, 意味を知った妻リディアと 「同じ忘却, 豊かな暗闇」 に入っていくのである。
トムは 「どこへ?」 を問うことはなかった。 しかし彼は, 兄アルフレッドが愛人と, ブラウニン
グやハーバート・スペンサーを読んでいると聞いたとき, 農場を継いだことを初めて後悔する。 そ
してほかの知的世界や生活様式が手の届かないものであることを知り, 「安全に呑気に冒険もなく
座っている囚人」 のように感じた。 義娘アナ (
) を 「レディ」 にする願望を抱き, 「その少女
− 46 −
ともっと進んだ創造的な生活をしたかった」 ことに気づくのである。 そして, 母である女としての
「アナの勝利」 とノア (
) に喩えられるトムの 「マーシュ農場の洪水」 での死を経て, 前の二
世代から希望を託された第三世代のアーシュラ (
) は, 「より高い存在の形」 へ, 象徴的な
「虹」 への冒険に旅立つ役割を担っている。
アーシュラが12歳になり, 公立小学校とけちで妬み深い村の子供たちが悪影響を及ぼしそうになっ
たとき, 彼女は妹のグドラン (
) と一緒にノティンガムのグラマー・スクールに通うこと
になる。 アーシュラはそこで, 自由で対等なレディの仲間に入って 「完全なレディとして, 気高く
上品な生活がしたかった」。
!250
学校への 「幻想」 はすぐ幻滅にかわる。 しかし 「煤煙, 喧騒, そして工場生産に夢中になっている
町の活動」 を見下し, その妬みや差別や卑しさからなる下賎な生活環境から 「どこへ?」 を問いつ
づけながら逃れようとする。 逃れる手段は教育しかないのはわかっている。 「工場の煙の届かない,
ここ, グラマー・スクールの空気のほうがずっときれい」 とアーシュラは思った。
子供たちみんなが生まれ育ち, 「 アーティラー・ブラングウィン を自分たちの仲間として扱い,
家族のように村のなかに彼女のいる場所を与えていた故郷コスゼイ ("
)」 を去るとき, 村
の人々はアーシュラたちが 「大きくなって別の人に (
) なることを理解しようともしなかっ
たし, 理解することもできなかった」 のである。 教育は故郷を失うことであり, そこに二度と帰れ
ない異邦人になることである。
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!388 89
ロレンスは, 「知ることは, 後に遅れて発達したものであっても, 今や生命の不可避の習性であ
り, 生命のすぐ背後に働く力となっている。 そしてその活動が大きければ大きいほど, 先へ進む未
− 47 −
知なる動きも大きくなる」 と言う。 なぜならば, 「生命が絶えず漸進的に分化する (
)
ことは生命の条件の一つであり, 分化 (
) がまるで目的であるように思われ」, 「人間
の意識, すなわち知性 (
) や知識 (
) は, その個性の大きな顕れである。 意識によっ
て, 自分でないものを知覚し認識する」 からである。(15) しかし教育は, 生命の進化の必然的な過程,
意識の拡大と 「分化」 と 「個別化」 の道程であると同時に, 疎隔と孤立という形で顕れる精神的な
「楽園」 からの追放でもある。
アーシュラはもはや 「エデンの園」 には戻れないところにいる。 彼女と同じ助教員の友人マギー
(
) の兄, アンソニー (
) は 「エデンの園のような」 農場に住み, 「半人
半獣のファウニ (
)」 のようであり 「山羊のような目」 をしている。 アーシュラは農場と朴訥
なアンソニーに魅せられるが, 彼の求婚を断る。
!
"386
結局, アーシュラは 「旅人, 地球の表を行く旅人」 として目標に向かって進んでいかなければなら
ないのに, アンソニーは 「自分だけの感覚の充足のなかに生きる孤独な生き物」 である。
「男の世界」 という章には, こんどはアーシュラの助教員としての厳しい教師生活を通してロレ
リアリティ
ンス自身の教師体験と公立小学校の実情が具体的に鮮明に描かれている。 彼女が勤める聖フィリッ
プ校 (#
) は, 貧民街であるブリンズリ通り (!
) の公立小学校である。
赴任前, 彼女は感傷的に夢想していた。
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"341
また, 校長のハービー先生 (
) の 「前に優雅と洗練の明かりを灯してあげよう。 すれば
まもなく, 私をとても高く評価するようになるだろう。 そうだ, 学校の輝く太陽になろう。 子供た
ちは小さな雑草のように花を開き, 先生たちも背の高い丈夫な植物のように, 素晴らしい花を咲か
すだろう」 などと想う。
しかし, すぐに現実はその夢想を覚まし, 期待を裏切る。 アーチ型の校門を入ると, 学校は 「人
気もなくひっそりして, まるで囚人たちが帰ってくるのを待っている空っぽの牢獄のようであった」。
− 48 −
「薄暗い巣穴」 のような教員室, 「監房」 から聞こえるような男の声, みんな に思われ, 機械的に応対する教師たち。 アーシュラには, 受持ちの第5学級 (
), 第6, 第7学級とガラスで仕切られ三方壁に囲まれた大教室も 「牢獄のなかにいる」 みた
いである。 彼女は今, 「冷酷な厳しい現実 (
)」, 「学校という牢獄」 のなかで , を感じる。 教室で, 並んだ机にぎっしり詰まった五十五人の男女生徒, 「命令が嫌いで反
発するのに, ただ彼女の命令を待っている」 子供の集団は で息ができないほどの圧
迫を感じる。 子供たちは個人でなく, , である。
アーシュラは学校の現場の 「現実」 に直面して, なぜ, やる気のない生徒たちに無理やり勉強さ
せなければならないのか?と問う。 彼らは 「陰では, いつも醜く卑しい妬みをもち, 隙さえあれば,
権威のない弱い代表として彼女を八つ裂きにしようと待ち構えている, あの恐ろしい子供の群れに
投げ込もうとしているのに」。
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― )355 57
アーシュラの夢, 強制的・機械的でなく, 愛情と寛容によって 「人間的な」 (
) 教育の
理想は, 過酷な現実の前に挫折せざるをえない。 「秩序ひとつ保てない」 彼女のクラスは騒々しく
汚く, 成績もわるく, 学校全体の 「汚点」 (
) となり, 教師の資質が疑問視され始めた。
それで, 校長は彼女を追い出すいつもの攻撃に出てきた。 ある晩街はずれで投石を受けたのをきっ
かけに, 彼女の心 (
) のなかに変化が起こった。 「人間」 (
) アーシュラは二度と生
徒たちに 「個人」 (
) として臨まないで, 教師対生徒として機械的に接し, 「教師として,
生徒全員を服従させなければならない」 と決意する。 クラスの 「敵」 中で最もずる賢い札付きの悪
童, ウィリアムズをつかまえて, 蹴り返したり跳びかかったりする野獣のように荒れ狂う悪がきを
鞭で何度も打って制圧する。 押しかけてきた彼の母親にも毅然と対応し, それからも生意気な男の
子の頭, 耳, 手を鞭打って, クラスの秩序を保てるようになったのである。 なぜ, こんな残忍な教
師にならなければならないのか?
− 49 −
(
)
377
ロレンスは, ここではアーシュラの教師生活を赤裸々に描くことによって教育制度, ディケンズ
の時代とあまり変わっていないイギリスの教育を批判することに主眼を置いていない。 むしろ, 主
人公の内面の闘いと成長がテーマであるが, 「今もなお, 彼女は学校を憎んだ。 学校の存在価値を
信じなかった。 なぜあの子供たちは勉強しなければならないのか?なぜ彼女は教えなければならな
いのか?」 という言葉には作者の本音, いったい教育とは何なのかという問いかけがある。
ロレンスは 「民衆教育」 ( !
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無意識の幻想 $精神分析と無意識
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1)
) のなかで, 独自の教育論を展
プロレタリアート
開している。 前著で言う 「民衆」 は, 功利主義的観点からは 「労働者階級, 産業の道具」, 現実に
は仕事と給料が欲しい貧乏な人々にすぎないのに, 「現代の民主主義的理想のもとで」 理想的に
7
7
#の存在として祭り上げられているのである。 幻想など抱きつづけられ
アイディアリズム
マティリアリズム
ひ
うす
ない現場の小学校教師は, 「理想主義と物質主義という碾き臼で上と下からごりごり挽かれて」 自
尊心さえ剥ぎ取られている惨めな虚偽の存在である。 そのような現実から, ロレンスは, 彼の思想
が理解できない人には差別主義とも階層主義 (
) ともとれる過激な主張を繰り返してい
る。 民主主義, 平等主義, 「友愛」 そして労働組合運動まであらゆる理想・理念 (観念) の虚偽と
欺瞞を指摘し, そんなものは 「捨ててしまえ」 と言う。 例えば, 「人間はいかなる意味でも, 不平
等」 であり, 「比較というものがなければ唯一無二の存在である」。 われわれが, 「互いのあるがま
まの原初的単独の存在 (
)」 として交わるなら, 自然な内発的な関係がで
き上がるのである。 観念に基づいた 「理想的な市民 (
8
) の養成」 と 「個人 (
) の発
達」 という相矛盾する国の教育の二つの目的が, その直接的な出会いや内発的関係を阻害している。
「理想を教育から除去しろ。」 小学校では, 読み, 書き, 算数 (3
) と就職のための技術教育
だけで十分で, その他のことは子供の好きにやらせればいい。 優秀な生徒は上級学校で学ばせれば
いいし, 学びたくないならそれも自由である。 「個性」 を説きながら, 多様な特性を持った子供た
ちに一律に理想を無理強いするのは, 「雑草を全部バラに育てようとする」 ようなものである。 「教
育を受けても真の学識や理解力を身につけられない」 子供の生半可な教育は危険である。 彼らは教
育, 教育のある人々に対して, 根深い軽蔑や嫌悪感を抱くようになる。 ロレンスの論ずる教育のな
かで何よりも大事な目的は, 「一人一人の子供にそれぞれ真の本性 (
) が具わって
いることを認め, それが自然に伸びていく機会を拓いてやること」, 個人の本性が実現に向かうの
を 「賢明に, 恭しく」 手助けすることである。
− 50 −
子供の教育の第一歩は, 母親との関係から始まる。 子供に健全に育って欲しいならば, 子供を
「放っておけ」, 「母親を打倒せよ」 である。 というのは, 今日, 致命的とも言える理想主義によって人間関係のすべて
を理想化し, 聖母マリア崇拝が衰退していくなか, なぜか母と子との結びつきを 「最も気高く, 最
も純粋で, 最も理想的な関係」 にして母親を高座に上げてしまっているからである。
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(16)
息子と恋人
のなかで母親と息子の親密な関係について具に描いているが, ロレンスは, 母親
たち
の呪縛こそが 「われわれ自身を苦しめている自意識という質の悪い病気」 の原因であると, 教育や
「心理学」 の見地からその文明病の根源を探り, その救済と治癒の 「理論」 を説きつづける。 特異
な心理学書? 無意識の幻想 / 精神分析と無意識 ではもっと詳しく述べているが, 本質的には
「あらゆる内発的な (
) 生命, 欲望, 衝動, そして初発の個人意識が生まれる」 のは,
「脳ではなく, 肉体の偉大な神経中枢 (
"
)」, 特に 「第一の偉大な情動中枢 (
)」 であり, 「生命回路」 "
となる腹部の 「太陽叢」 (
) を中心とする根
源的な諸中枢の重要性を説く理論を広く深く発展させたものにすぎない。(17)
ロレンスの 「生」 には人間や人間社会の枠を超えて, 動物や植物など生きとし生けるもの, 宇宙
に存在し流転する万物が含まれる。 だから, ある意味でロレンスの 「教育観」 に現実的な教育理念
や教育制度を期待すること自体無意味である。 しかし, 人間が謙虚になって, 自分の存在をロレン
スの 「偉大なる生」 「偉大なる自然」 の次元から見るとき, 教育の地平が開けてくるかもしれない。
注
(1) +
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0 1 (1854; 2
+
3
1966)
語はいろいろな意味合いが込められているので,
辛い世
とか
苦しい時代
味が伝わらないので, 英語の題名をそのまま使用する。 コリンズ
訳
ディケンズと教育
山口書店1990) 195 96頁参照
(2) 4
マニング
ディケンズの教育観
藤村公輝訳 (英宝社1996) 417
− 51 −
題名の という
の日本語訳では十分意
(藤村公輝
(3) (
1962) 227
(4) マニング
前掲書
197 202
(5) ドストエフスキー 「地下生活者の手記」
ドストエフスキー全集5 小沼文彦訳 (筑摩書房1968)
30 32
(6) 村岡健次!
木畑洋一 編
(7) マニング
前掲書
(8) "
#・サイモン
イギリス史3−近現代
(世界歴史大系) 140 42
112
イギリス教育史Ⅱ1870−1920年
成田克矢訳 (亜紀書房1980) 第4, 5, 6章
(9) $%
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1968) 580
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9:
1991) 179
ロレンスの伝記的記述については本書を参考にした
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1989) 409拙著
$%ロレンスとトマス・ハーディの研究
失われた〈故郷〉
第1部第3章参照
(15) $%
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1936) 431 32
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