共生と競争の生物界(7) ブルセラ病

共生と競争の生物界(
共生と競争の生物界(7) ブルセラ病
鹿児島大学農学部教授 岡本嘉六
ブルセラ病は古くから知られる人畜共通感染症であり、原因菌が判明したのは 1887 年、
地中海の風土病としてあったマルタ熱による死亡者から初めて分離された。この病気の熱
型は特徴的で教科書には必ず記載されているが、午後に悪寒・高熱があり夜間に発汗して
解熱する日内周期(弛張熱)
、数日間の高熱の後平熱に復する半月周期の波状熱が 3∼4 ヶ
月続き、長い例では回復まで数年かかる。致命率は 2%程度とされているが、医療が未発達
の時代には 15%に上ったとされている。
マルタ熱菌(Burucella melitensis)は緬山羊に流産を起こし、不妊症にするが、その
後同様の病状を招く牛流産菌(B. abortus)
、豚流産菌(B. suis)、羊流産菌(B. ovis)、犬
流産菌(B. canis)が発見され、いずれもヒトに感染することが判明したが、その病態はマ
ルタ熱菌が最も重く、豚流産菌はそれに続く。その他、ブルセラ属には野鼠に特有な種も
あり、親類縁者が多い。これらの菌種は結核菌と同様に細胞内に寄生するため、抗菌剤を
投与しても血流や細胞外にいる菌とは異なって、薬剤が細胞内に浸透しない限り菌は安泰
であり、治療が長引く原因となっている。
ブルセラ病は数年間の菌血症が続くが、雄では精巣炎・前立腺炎を起こすため精液中に
排菌される。そのため、罹患した種畜が感染源となり、農場全体に広がることになる。雌
では子宮炎・胎盤炎を起こし、流産により大量の菌で環境を汚染する。この菌は乾燥に弱
く直射日光により数時間で死滅するが、湿潤な状態では長期間生残し、とくに低温下では
長い(表 1)。農場から流れ出た水の中でも、発育に必要な栄養分がなくても冬季は 1 ヶ月
以上も生き残る。乳製品や肉製品が汚染されると、数ヶ月間生存していることが確認され
ている。
ヒトへの感染は、患畜の胎盤などとの接触、未殺菌の乳や乳製品の摂取によって起こる
ので、日本では家畜伝染病に指定され対策が採られてきた。豚流産菌については、1936 年
に輸入種豚で発見され、その後ヒトおよび豚での症例がみられたが、1940 年以降国内での
発生報告はない。牛流産菌は 1913 年には 56 牧場の 82%、個体別で 20%が陽性であった
が(京都府下)
、殺処分の徹底により 1948 年には4千頭中 1.3%の陽性率まで低下した(北
日本)
。ところが、1952 年に始まった有畜農家創設計画によりアメリカやオーストラリア等
のブルセラ常在国からジャージー牛を導入したことにより、検疫をかいくぐって牛流産菌
が国内侵入し、九州や北海道では在来のホルスタイン種への二次感染も起きた。このよう
に、海外から種畜を導入する際には、日本には存在しないか稀な伝染病が付随してくる危
険性を考慮する必要がある。
法的措置
「と畜場法」では、全身症状を示しているものについては、発見時の処理工程に応じて
と殺禁止、解体禁止、全部廃棄となり、乳房又は生殖器の一部に病変が局限されているも
のについては一部廃棄となる。「家畜伝染病予防法」では、少なくとも5年ごとに発生状況
等を把握するための検査を実施し、病牛の淘汰・死体の焼却等の義務化によりほぼ制圧さ
れた。2001 年には、東北地方で定期検査により乳用牛 1 頭がブルセラ病と確認され、患畜
および牛舎について法的措置が採られ、当該地域におけるサーペイランス体制を構築した。
日本ではこうした数年に一度の散発的発生はあっても、ヒトの健康被害が発生する状況に
はない。
豚のブルセラ病は、ロシア、中国、東南アジア、欧州の一部、南北アメリカにおいてこ
の 3 年以内の発生が報告されており、牛については世界全域で発生がある。こうした海外
から日本向けに輸出される生体については、輸出豚の出国検疫開始前 1 年以内に生産農場
での発生がないことを微生物学的検査、抗体検査で証明することを求めている。その他、
当該農場に出国検疫開始前 40 日以内に新たな豚の導入がないこと、輸出国の検疫所で 30
日以上隔離飼育し健康を確認することとなっている。さらに重要なこととして、口蹄疫、
豚コレラと並んでブルセラについてもワクチン接種をしていないことを求めている。ワク
チン接種によって発病が抑えられ、健康保菌状態にある可能性を排除するためである。こ
うした輸出国の措置にもかかわらず、日本での輸入検疫でブルセラ病等と診断された場合
には、輸出国への返送もしくは殺処分すると協定書に明記されている。
前回、日本が豚コレラ清浄国に認定されるためにワクチン接種中止に踏み切った意義に
ついて書いたが、清浄国が輸出国に対して重篤な感染症の危険性を排除するよう求めるの
は、国際貿易において認められている。1994 年にウルグアイ・ラウンドが合意され、農産
物についても自由貿易を原則とすることになり、日本の農産物輸入が急増し自給率の低下
が急激に進行したことは記憶に新しい。「自由貿易」が国際的な錦の御旗とされているのは、
二度にわたる世界大戦の反省に基づくものであり、「米英仏」対「日独伊」といった経済ブ
ロック間における摩擦が戦争の引き金となったからである。1947 年に「関税及び貿易に関
する一般協定(GATT)」が締結され、工業製品から順次「自由貿易」が進められ、農業分
野が最後に残されたものである。この「自由貿易」について例外措置として設けられたの
が、病気の輸出である。
「衛生植物検疫措置の適用に関する(SPS)協定」によって、ヒト、動物、植物の病気
が国内に侵入するのを防ぐことは独立国の固有の権利とされた。当然といえばそれまでだ
が、
「病気の範囲」を明確にしないとこの協定が「自由貿易」を損なうことになりかねない。
そのため、検疫が「国際貿易に対する偽装した制限」とならないように、国際基準に基づ
くこととされている。輸入禁止に値する重度の病気であるかどうかを決めておかないと、
ちょっとした軽い病気を理由に輸入ストップをかけると、紛争の種になる。家畜の病気に
ついての国際基準を作成しているところは、国際獣疫事務局(OIE)であり、疾病の危険度
分類として示されている(表 2)
。
畜産物などの食品となると、1963 年に発足した FAO/WHO
合同国際食品規格計画に基づく Codex 委員会で基準が策定されてきた。こうした国際基準
があってもなお、現実に生じる規定外の問題を巡って貿易摩擦が起きており、飼料効率を
上げるための家畜へのホルモン剤使用、食肉および食鳥肉の解体処理工程における抗菌剤
処理、遺伝子組み換え作物などの事例がある。これらの貿易摩擦を解決するには、裁判所
に相当する国際貿易機関(WTO)に持ち込まれ、協議されることになる。
国際貿易による国内生産への影響を少なくするには、病気を持ち込ませないという正当
な理由を挙げることが不可欠であり、そのために自国内の安全性基準を高めることが大切
である。国際的および国内的法的措置を理解し、国内の衛生水準を向上させることが国際
競争に打ち勝つ要である。
米国におけるブルセラ病
米国におけるブルセラ罹患者数は、1947 年の時点で 6321 名(10 万人当り 4.4 名)で
あり、主として牛流産菌によるものであったが、ブルセラ病根絶プログラムと牛乳の殺菌
処理によって減少した。1960 年代半ばから 70 年代初頭までは、食肉センター従業員等に
おける豚流産菌感染が主流となり、その後、スペイン系住民におけるソフトチーズによる
マルタ熱菌感染が多発した。米国では羊と山羊のブルセラ病が 1972 年に終息しており、地
中海沿岸国やメキシコからの輸入製品の喫食によるものであった。このように流行菌種が
大きく変遷してきたが、ブルセラ罹患者数は、1976 年の 300 名から減少したものの、過去
10 年間に年平均 100 名に昇っている。
牛流産菌については、全国ブルセラ病根絶プログラムが 2001 年に再スタートし、新た
な発生農場は前年の 14 から 3 に減少したと報告している。野生牛に入り込んでいるため野
外の牛流産菌がなくならないことにより制御を難しくしているが、1996 年に開発された弱
毒の生ワクチン株を牛群および野生牛に接種している。ところが、生ワクチン株はヒトに
依然として病原性をもっており、接種時に獣医師が誤って自分に針を刺す事故が起きてい
る。まれに牛にも病原性を示すことがあり、1997 年にはワクチン株の一つである RB51 株
によって死亡した牛の剖検に立ち会った 9 名が感染する事態が発生したが、抗生物質投与
により事なきを得たと報告されている。
豚流産菌については、豚に直接触れる畜産関係者が大半を占めてきた。一例を挙げると、
1992 年 11 月から 93 年 9 月にかけて、一日 8000 頭処理する食肉センターで 18 名の患者
が発生した。そこで解体処理工程の 154 名について抗体検査を実施したところ、30 名が抗
体陽性であり、16 名が新しい感染履歴を示し、12 名が軽度の症状を有していた。このよう
に、少なくとも 10 年前には長期間に亘って従業員が感染の危険性に曝される状態にあった。
牛流産菌の制御が進む中で 2000 年 1 月には、豚流産菌の危険性が米国農務省獣医局によっ
て警告されている。
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