自費出版・個人出版のための交流情報誌 2009年2月20日 発行 編集・発行 NPO法人日本自費出版ネットワーク 2009年 2月 第19号 〈特集・私の中のトキメキ〉 CONTENTS 〈特集・私の中のトキメキ〉 ときめきのガッツポーズ 松 本 一 夫 2 めくるめくひととき 中 西 研 二 4 京都の夜 曽 根 昭十四 5 「踊 る」 早乙女 文 子 7 手紙―思い出 筑 井 信 明 8 〈公開座談会「満足できる自費出版―読者に届く本づくり」〉 11 ●パネリスト(50音順) 岩根順子・片桐 務・喜田りえ子・小島みさき・神門武弘(司会) 日本自費出版ネットワークからのお知らせ 16 私私のの 私 の中中 中のの のトト トキ キキメ メメキ キキ ︵塾にも行かず、スイミングや少年野球ばかりやってき た長男。それでよく合格したものだ︶ だが、実感はまだ湧いてこない。三人はそのまま合格発 ドになった私だが、それでもホッと一安心。胸をなで下した。 少し落胆した表情で言った。この言葉に少々しらけムー ﹁おたく、合格してるわ。ウチはダメだったけれど⋮⋮﹂ 験番号が一番前の母親だった。彼女は近づくや、 校門をくぐるとむこうから一人の女性がやってくる。受 生。今日は同中学の一次試験、合格発表の日である。 付 属 A 中 学 校 の 校 門 の 前 に 立 っ て い た。長 男 は 小 学 六 年 木枯しの吹く二月初め、私、家内、長男の三人はK大学 明によると、二次試験は抽選︵くじびき︶で、受験生に能 やがて司会者が壇上に現れ、詳しい説明をはじめた。説 で応援。みんな真剣そのものだ。 者は男女各五十名。講堂の前方に座している。父母は後ろ 二次試験は広々とした講堂で行われた。一次試験の合格 私は何となく、そんな気がしていた。 ︵これならいけるかも⋮⋮︶ たらしく、顔を引き締めていた。 を引き締め、チラッと息子を見た。彼もそれを意識してい ない。午後にはもう一山、二次試験が控えている。私は心 ときめきのガッツポーズ そんな思いが私の頭をかすめ、少しは頼もしく思えた。 ほめ言葉の一つもかけてやりたい気がする。 表の掲示板に向かい、それを確かめてようやく実感が湧い 力とは無関係。運・不運が合・否を決定するとのこと。し しかし今の我々は、そんなロマンにひたっている余裕は てきた。 かも不合格者は各三名。従って合格者は四十七名というこ 松本 一夫 一次試験はペーパー・テストと面接だった。 2 抽選はまず男子から行われた。封筒が五十枚用意され、 司会者が念を押すように言った。 ﹁し か し、こ れ は 規 定 な の で、致 し 方 の な い こ と で す﹂ はすべて水泡に帰してしまう。 私も大変なショックを受けることになる。これまでの努力 人は必ず落ちる。その中に長男が入ろうものなら、本人も 合格率が高いのは結構なことである。が、逆にいえば三 とになる。 ﹁メイ・ゴッド・ブレス・ヒム﹂ 私の胸に刃がささった。私は思わず目をつぶり、 ギクッ! 司会者の声が講堂に響きわたった。 ﹁開けてください!﹂ 無神論者の私が神に頼ってしまった。と、その瞬間、 メイ・ゴッド・ブレス・ヒム! う。こうなれば、﹁かなわぬ時の神頼み﹂とばかり、 そして、 ﹁ガンバレ!﹂と小さく叫んだ。 長男も取った。私はそれを食い入るように見つめていた。 指示があった後、受験生一人一人が封筒を取りはじめた。 ﹁指示があるまで、勝手に封筒を開けないように﹂との さあ、抽選だ! 選箱にほうり込まれた。 そして、それら一枚一枚が札の個々の封筒に入れられ、抽 まもなく、長男が戻ってきた。そして再びガッツポーズ 色に染まり、虹色のときめきが波打ってきた。 全体に何ともいえない安堵感が漂ってきた。私の心はバラ たちまち肩の力が抜け、拳がゆるんでくる。そして身体 ﹁よかった!﹂ た。すると彼は右手をあげ、ガッツポーズをとっていた。 私 は 恐 る 恐 る 目 を 開 け た。そ し て 長 男 の 方 に 目 を や っ 講堂のあちこちで歓声が上がった。 ﹁ヤッター﹂、 ﹁ヤッター﹂、 ﹁ヤッター﹂⋮⋮⋮ 再び唱え、拳を握りしめた。すると、 まもなく全員が取り終わり、元の席に着いた。その間約 ﹁合格﹂の札が四十七枚、不合格の札が三枚掲げられた。 五分。長い長い五分間だった。 そんな不安が脳裏に渦巻き離れない。堂々めぐりをくり そんな長男の姿に何ともいえないオーラを感じた私は、 頼もしい! をとって見せた。 返したあげく、胸はドキドキ、心はハラハラ。泣きたい気 彼の将来に大きな期待を寄せている。 ︵もし不合格になったら、どうしよう︶ 持ちになってきた。居ても立ってもいられず、息詰まりそ 3 めくるめくひととき た。彫の深い顔立ちで、その黒目勝ちの大きな目で見つめ られると、いつもKは心の隅々までとろけそうになった。 多分研修センターの学生なら誰でもそうなっただろう。K はN子を誰にも渡したくなかった。砲丸投げやバレーボー のまま時が止まってほしいと願った。 の、多摩川のあたりまで水田や畑が広がっていた。Kはこ に 二 人 は し ば ら く 前 か ら 座 っ て い た。崖 の は る か 向 こ う になっており、その中腹の辺りに少し窪みがあって、そこ やかだった。武蔵野の丘陵地が水田や畑に落ち込んで、崖 だ空の高いところにあったが、水田を渡ってくる風はさわ きないほどになった。初秋の土曜日の昼下がり、太陽はま その両手を自分の胸にぐいと引き寄せたので、Kは息がで 含んだとき、N子は両手をKの頭の後ろへまわしてから、 りは薄いピンク色に染まっていた。Kがそのひとつを口に いて、Kの手のひらに余るくらい豊かだった。頂点のまわ 二つの乳房が誇らしげにKの前に現れた。たっぷりとして いるものを頭から脱いだ。形のよい、円錐形の、真っ白な 挑むようにN子はKに言った。Kは頷いた。N子は着て しばらく会えないと思っていたKとN子だったが、思い 社員の憧れの的で、入所試験の競争率は高かった。 が将来中堅幹部の処遇も保証されていたから、全国の若い は事業研修を受けることになっていて、本人の努力次第だ を全額支給され、一年目は大学の教養課程を学び、二年目 ター大学部は、全寮制で、学生は研修期間中会社から給与 Kは再び研修センターへ入所することになった。研修セン したところ合格したので、通信科を卒業してから半年後、 入社四年後なら誰でも受験できるようになった。Kも受験 験できなかったのが、その年度からその制約が撤廃され、 しそれまで通信科卒業後二年間は研修センター大学部を受 配置され、数年間そこで勤務することになっていた。しか Kは研修センター通信科を卒業後、北海道根室の職場へ の東﹂を見た。 は、新宿の映画館でジェームズ・ディーン主演の﹁エデン さ を、売 店 の 制 服 は 隠 し 通 す こ と が で き な か っ た。二 人 中西 研二 Kが初めてN子を誘ったのは、一年半ほど前、Kが研修 ルで鍛えた肢体はしなやかで、はちきれんばかりのその若 センター通信科を卒業する直前のことだった。N子は、研 がけず半年振りで再会できたことで、二人の恋は一気に燃 ﹁欲しいんでしょ﹂ 修 セ ン タ ー の 中 に あ る、父 親 が 経 営 す る 売 店 で 働 い て い 4 歩いても疲れを知らない若さに任せて、何キロもの道を多 間に二、三回も会った。二人とも二十歳だったが、何時間 あったためもあり、再会してから二人は、多いときは一週 た。N 子 の 家 が 研 修 セ ン タ ー か ら 歩 い て 数 分 の と こ ろ に 対していたが、恋が成就しなかった最大の原因は、N子の の父親は広大な水田や畑を持つ大地主で、Kとの結婚に反 を出てから、二人が会う機会は極端に少なくなった。N子 この恋は結局実らなかった。Kが研修を終了して学生寮 家にも困っていた。 らないようだった。Kの父親は事業に失敗し、一家は住む 点︱ 精神の幼さ、配慮を欠いた言葉遣い、自分のことし 摩川まで歩いた上、対岸の川崎へ渡って、梨畑を川に沿っ ひたむきで真剣な愛を、真正面から受け止め、それに応え え上がった。二人とも同じ十三歳の十一月に、母親を亡く て 北 に 歩 き 続 け た こ と も あ っ た。雪 の 日、白 い 雪 が 舞 う なかった、Kの判断力の鈍さや優柔不断さにあった。 のままのKを受け入れた。Kの家の貧しささえも問題にな 中、ス カ ー フ で 頭 を 覆 っ た N 子 は、ま る で 雪 の 妖 精 だ っ しかし青春の数年間、数え切れないほど多くの甘美で幸 か考えない粗野な振る舞いなど︱ のすべてを許し、あり た。 ﹁雪の降る町を﹂︵中田喜直︶を歌いながら、﹁あたし、 せ思い出と、惜しみない愛を与えてくれたN子を、感謝の した。N子はこれを運命的なものと感じ、Kへの愛を深め この歌が大好き﹂と言った。向丘遊園地へ行ったとき、N 心とともに、Kは決して忘れることはないだろう。 た よ う だ っ た。K も N 子 の 優 し さ、温 か さ に 強 く 惹 か れ 子は真っ白なセーターを着てきたが、それは彼女の柔らか 自分は巳年である。女性が好きだ。田舎の中学生の頃から もう古希は目の前、されどいかなる不覚。考えてみれば 京都の夜 を 着 た が、均 整 の 取 れ た 体 と そ の 美 貌 は、何 を 着 て も 似 曽根昭十四 な曲線を際立たせた。遠くから、ドビュッシーの﹁月の光 り﹂の調べが流れてきた。洗足池でボートを漕いでいると き、月明かりに映えるN子は、映画の中から抜け出てきた ヒロインのようだった。そう言われてN子は、 ﹁あたし、 月下美人かしら﹂と笑った。夏、盆踊りを踊っている浴衣 合った。 男 の 悪 戯 を 知 る。目 は 好 み の 女 生 徒 ば か り 追 い か け て い 姿のN子は、きりりと、すがすがしかった。正月には着物 N子は、恋で盲目になったからかもしれないが、Kの欠 5 がとり憑いた。また夢をみる。夜が待ちどおしい。恋しい の店だ。客も出演者も七〇%以上が女性だ。またしても霊 定年前に二足の草鞋を履いた。クラシック音楽、ライブ た。 思 っ た。自 分 は や さ し い 女 性 の 霊 か ら 解 放 さ れ た と 思 っ 人 並 に 家 庭 を 作 り 孫 も 出 来 た。も う こ れ で 大 丈 夫 だ と ああ情けない。でも生甲斐だ。 のがない。でも何時いかなる土地にも目差す女性はいた。 は社会的にどれほどの価値ある仕事をしたのか。誇れるも る。職場はさして長くつづかない。点々と移り変る。自分 少 年 の 日 々 は 次 々 と 去 り、集 団 列 車 で 都 会 へ 就 職 に 出 の中の人とランデブーがしたい。 はいやだ。成績は中の上か、早く大人になりたい。して夢 今夜もあの女生徒が夢の中に現われるかもしれない。勉強 る。夜がうれしい。眠りの時が待ちどおしい。もしかして 時には願いがかない本当の夢の中にやさしい人が現われ れる。いや強いて夢想した。 さと母性が重なり、それに美しさがくわわり夢の中に現わ か。育ての親があまりに厳しい人であったためか。やさし 女性を探し求めていた。事情で母親の元を離れ育ったため た。心の中でもだ。夢の中でもだ。子供心としてやさしい とめのない会話をかわし散歩する。その人はベージュのマ これは夢ではない。現実だ。道順を指さしながら、とり と知った。それも目差す人と共にである。 も人も少ない。あらためてこの周辺の散歩が生涯で初めて が冷気をともない心良い。このあたりまで山に近づくと車 ら目的地まで歩く。東山の大文字が見える。山からの微風 前にて下車。二人でゆるりと風景を楽しみながら散歩がて 個展を見る。また四条大宮まで歩く。バスに乗り市動物園 急ホテルのギャラリーでその人の先生にあたる作家の墨絵 JRで京都駅につき大宮まで二人で街中を北上する。東 がにじみでている。京の街に似つかわしい人だ。 る。ピアニストだ。墨絵もかく。プロである。育ちの良さ い。そ の 人 は ど の 芸 能 人 に も た と え よ う も な い 美 人 で あ 前夜は眠れない。明日の目論見を立ててみる。自信はな あった。 ﹁私 も 京 に 用 事 が あ る。御 一 緒 し ま し ょ う﹂と の 返 事 が 招 か れ、彼 女 に 勇 気 を 出 し て 声 を か け た。そ の 人 か ら は のチャンスが生れた。或る関係する団体のレセプションに あああ生涯で初めての京の東山裾野南禅寺周辺。デイト をかいた。もう二度目は駄目である。⋮⋮ てはならない。昔一度だけ発覚した。未遂で終った。冷汗 る。それがない。夢に頼る他すべがない。女房には知られ わらじ 切ない。不倫は夢の中なら許される。大人の恋はお金がい 6 フラーに同色のオーバー。私は紅色のダウンジャケットに 縁有り帽子。その人は私の赤い色ジャケットが似合ってい る と い っ て く れ る。そ の 人 は ポ ケ ッ ト よ り 淡 い ブ ル ー の 人で夕食をとる。夜の照明と喧噪の中を黙して寄りそい歩 予定のレセプションは終った。四条河原町近くの店で二 ろう。端ない振る舞いは出来ないだろう。 び込むだろう。いまは私の方が年長だ。威厳は保つべきだ 間がやはり一番だ。子供であったなら彼女の懐しい胸に飛 だと思い起す。政治も仕事も芸術もいらない。いまこの瞬 私は年を忘れていた。いま一度これは夢ではない。現実 る。 は越しているが未婚、実に水々しい。女盛りの色気を感じ 程、私より年上の近所のおばさん連中が優雅に踊っている と こ ろ が 目 か ら 鱗 と は こ う い う こ と を い う の か と 思 う 等と言うものは不良の若者の遊びと私も思っていた。 パーティー券を頂いたのだった。私の若い頃は社交ダンス そのなかに社交ダンスの発表会があるから見に来てと、 て誘ってくれるのだった。 や、ダイエットを教えてくれる人たちなど、皆好意を持っ た。肥満気味の私は、サプリメントを進めてくれる友だち う と 止 め よ う と、勝 手 気 儘 な も の だ と、高 を く く っ て い 公民館活動などは、雨が降ったら休めばいいし、続けよ ﹁踊 る﹂ く。自分これよりどういう行動に出るべきか。水商売の客 のだった。 早乙女文子 引の者が飛び交す中を歩く。 ﹁え っ あ の 人 が 踊 っ て い る の だ っ た ら 私 も 出 来 る か も﹂ キャップをとり出し斜めに被る。手はポケットの中。四十 携帯電話のベルが鳴った。彼女は会話を始める。漏れ聞 が、体はいうことをきかない。鏡にうつる自分の肥満体を て、後についてステップを踏んだ。見ていると出来そうだ した。見学させてとたのんだのに、無理に友人に靴を借り を落したいと思うだけで、週一回の練習に出かけることに と、気持が動いた、姿勢はよいし運動量も多い、少し体重 ﹁○○さんと御一緒だから大丈夫です。まもなく電車に えてくるのは親からのコールと判る。 乗ります﹂ ﹁ああ⋮⋮﹂ ちらっと見ると、みっともない、私は今日を限りにやめた 7 いと思った。 ﹁一日でやめるなんて、だらしないよ、一ヶ月参加して それからでいいじゃないの﹂ 間違ったらどうしようと数日前からそのことばかり考えて お揃いのドレスで﹁ワルツを踊る﹂大ホールの舞台で、 れた、彼女の胸をかりて、休まず通った。 だった。男性役の出来る友人は私のパートナーになってく 行こうと思うようになったのは三ヶ月も経ってからのこと い。友だちが親身になって教えてくる。私も必死でついて 真 剣 に 先 生 の い う 通 り に 動 い た つ も り だ け れ ど 出 来 な のまにまに進んで行くしかなかった。 離れた舟に乗ってしまったのだから、戻ることも出来ず風 ば、出来るからといわれて、私も本気になった。もう岸を 半 年 後 に は 発 表 会 が あ る と の こ と で、休 ま な い で 来 れ なくなった。 うのはたいていの場合失敗に終わることが多い。そして胸 の時間?を楽しめた。しかし悲しいことにラブレターとい ら返事がくるまでの期間は、はらはらどきどき、ときめき になるが、それほどたいしたものでなくても、投函してか 秘密の連絡といえば、どうしてもラブレターということ そこで手紙を書くことがごく普通のことになる。 族に秘密にしたいようなことを伝える手段ではなかった。 にあったし、もちろん固定式だから一家に一台なので、家 手紙が主流だったと思う。電話はまだ全世帯への普及途上 い前まで、個人の間での連絡手段はかなり限られていて、 圧倒的に早くなった。以前、といってもほんの四〇年くら ことはあるが、思いの伝わり方や返事の返ってくる時間が である。伝える内容によって、ためらったり、勇気がいる 携帯電話やEメールなどでごく気楽に連絡をとれる時代 手紙│ 思い出 いた、食事制限していないのに三キロやせた。 筑井 信明 ﹁三分間のドラマ﹂が終った。 の痛む思い出だけが残る。そんな思い出をふたつ。 この年齢になって、こんな惨めな思いをするなんて情け 私は彼女にしがみついて泣いた。舞台で踊るなんて夢に 高校生のころ、同じ学校に通っている中学校時代の同級 生の女性に手紙を出したことがある。内容はほとんど覚え も思っていなかった。 ていないが、へたくそな詩のようなものだったと思う。い 8 手の女性にしてみれば、特に断る理由もないからというこ 気持ちや立場を考える余裕や世間的な常識はなかった。相 を同封した。ラブレターのつもりだったのだろう。相手の ﹁よかったらどこかで会いませんか?﹂というような手紙 旅 行 か ら 帰 っ て し ば ら く し て か ら 写 真 を 送 り、そ の 中 に を聞き出していた︵これは当時の若者一般の常套手段︶ 。 かで途中で別れたが、写真を送るという名目で自宅の住所 合い、写真を何枚か撮ってあげた。女性は北海道にいくと いた女性︵いくつか年上だった︶と何かのきっかけで知り 方をひとりで旅行した。途中、同じくひとりで旅行をして 高校卒業後、まだ一九歳のときだったと思うが、東北地 われたのだから、世の中、油断はならない。 クラブ活動仲間に﹁○○と会っていたんだって﹂とからか ていたのに、見ている生徒がいたようで、同じ中学出身の となにもなかった。しかし、誰にも知られていないと思っ したのか、熱もさめてしまったようで、その後はあっさり の裏手でふたりで会うことになった。それだけで私は満足 で返事がきたと思うのだが、ともかく、その数日後に学校 跡的にこの文章を読んでいたら、ごめんなさい︶ 。その後 を本当に好きだったのかもはっきりしない︵○○さん、奇 て、相手はだれでもよかったのかもしれないし、この女性 ま お も え ば、ま だ 恋 に 恋 す る 年 代 だ っ た 当 時 の 私 に と っ あるというより、その手紙で感情の区切りをつけたかった なるはずだった。それでも私は手紙を待っていた。未練が 彼女から来る手紙に何が書いてあってもそれで終わりに してくた。私は名古屋から普通の夜行列車で帰ってきた。 た。そして、別れ際に、彼女はもう一度手紙を出すと約束 も、こ れ 以 上 何 か が 進 展 す る こ と が な い の は わ か っ て き こともわかり、口にはださないものの、いくら鈍感な私に かしたりして楽しかった。ただ、この女性には恋人がいる らったり、同年代の窯業専門学校の生徒達と朝まで語り明 に行った。女性に会って、大きな登り窯︵跡︶を見せても こしたってから、約束通りに連絡があり、私は本当に瀬戸 ねに自分中心にものごとを考えてしまうことだと思う。す だが、当時の私にはそう受け取れなかった。未熟さとはつ それは、女性特有のやさしさで、深い意味はなかったの 遊びにきませんか﹂というようなことをいってくれた。 だが、最後に彼女は﹁向こうに行ったら連絡するから一度 をいった。私は瀬戸が愛知県にあることもしらなかったの 東北・北海道をひとりで回っていたのだというようなこと 専門学校にいくつもりであること、その間の気分転換で、 て、好きだった陶芸に進むつもりで、近く瀬戸にある窯業 とめないの話のなかで、彼女は数年間の会社員生活をやめ とだったのだろうが、日比谷公園であうことになり、とり 9 次回は、「困った、困った」というタイトルでエッセイを募集します。 生活の中であるいは仕事のことで、困ったことにはいくつも直面します。 深刻な体験から軽い思い出まで「困った、困った」体験、お話をお願いし ます。内容、形式は問いません。 * ■次号は2009年5月の発行を予定しています。締め切りは4月末日です。 ■原稿量は1頁分(約1000字) 25字×40行、または2頁分(約2100字) 25×80行以内程度でお願いします。 ■原稿の送付先 ・郵送の場合 〒351-0035 埼玉県朝霞市朝志ヶ丘 4-10-13-602 ㈱エヌケイ情報システム FAX 048-470-2758 ・Emailの場合 [email protected] (筑井) ■原稿は返却できませんので必ずコピーで送って下さい。 ■編集も基本的には編集部におまかせ下さい。 ■「私の風景」 「私の十年」「私の一冊」自費出版に関するエッセイも引き 続き募集します。「私の一冊」は心に残った実際の書物に関する思い出、 評論をお願いします。 のだと思う。十日か二週間か、多分そのくらいの時間だっ た。待ちかねた私は﹁どうして約束通りに連絡をよこさな い の だ﹂と い わ ん ば か り の 非 難 め い た 手 紙 を 投 函 し て し まった。そしてほとんどそれと行き違いに彼女からの手紙 が届いた。葉書に、草原とそこに立つ一本の木の絵が描い てある。添えてある言葉は簡単だった。 ﹁木はわたしのか なしさ 草はわたしの静けさ﹂ 。直前に出してしまった私 の拙劣な、感情的な手紙と比較しての、その落ち着きと心 の豊かさ。私は自分のふがいなさに打ちのめされてしまっ て、お詫びの手紙を出すこともできなかった。私の不快な 10 手紙で彼女の心を傷つけてしまったことをいまでも申し訳 ないとおもっている。 その後、電話連絡が一般的になったし、われわれも使い 方になれてきた。また、女性はその習性として、こうした 種類の書簡も長く保存するものらしいと知ったので?、後 世に残したくない内容の手紙を書くことはほとんどなく なった。 と こ ろ で、こ の 言 葉 を、私 は 八 木 重 吉 の 詩 か ら の 引 用 だったように記憶しているのだが、実は彼の残した詩稿の 中の言葉は少しちがっている。これは、いまでも私の記憶 の中の謎である。 困った、困った 次回のテーマ ﹁第七回日本自費出版フェスティバル﹂公開座談会 ﹁満足できる自費出版 読者に届く本づくり﹂ │ ■パネリスト︵ 音順︶■ ・岩根 順子 ︿ネットワーク副代表理事、 滋賀県・サンライズ出版㈱﹀ ・片桐 務 ︿JEF会員、神奈川県・㈲夢工房﹀ ・喜田りえ子 ︿ネットワーク理事、 大阪府・㈱ひかり工房﹀ ・小島みさき ︿JEF幹事、東京都・リーブ企画㈱﹀ 二 〇 〇 八 年 七 月 一 九 日、東 京・ア ル カ デ ィ ア 市ヶ谷において、NPO法人日本自費出版ネット ・神門 武弘 ︵司会︶︿JEF代表幹事﹀ さまざまな思いと自費出版 ます。 あると思いますので、それにこたえられればと思っており て企画しました。本をつくるにあたり、さまざまな希望が 本日の座談会は本を初めてつくろうと思われる方 司会 : に、どんなことが必要なのかを語っていただきたいと思っ ワ ー ク︵以 下 ネ ッ ト ワ ー ク︶と 自 費 出 版 編 集 者 フォーラム︵以下JEF︶の共同企画﹁日本自費 出 版 フ ェ ス テ ィ バ ル﹂公 開 座 談 会 が 行 わ れ ま し た。パネリストはネットワーク会員二名とJEF 会員二名。司会をJEF代表幹事が務め、本づく りのポイントなどが語られ、アンケート︵事前・ 当日︶による質疑応答が行われるなど、著者と編 集者の交流の場となりました。この記事はその抜 粋ですが、さらに座談会後の質疑応答は割愛しま と め ま し た。ま た、こ の 内 容 は 自 費 出 版 編 集 者 司会 : 今回︵第 回︶の日本自費出版文化賞の応募作品を みますといろんなジャンルの作品がありますが、最近の作 品に何か傾向はありますか。 11 50 11 フォーラムの﹁自費出版ジャーナル﹂ 号よりの 転載です。 82 にして次のステップに上っていくということを一人ないし 人生を振り返って一つの集大成として本をつくると 喜田 : いうのは過去に多かったんですけれども、本の出版を契機 それを記録として残したいという方もどんどん出てくるの しますので、リタイアしたのちに社会貢献的な活動をし、 これからの自費出版については、団塊の世代が大量定年 て、アドバイスを求められたりします。 共同でするということが確かに増えてきていますね。 が、戦争を体験なさった方が少なくなっていることが原因 費出版をして、地域の人たちに読んでもらおうという執筆 さと再発見の活動をしています。その延長線で、共同で自 私の住んでいる神奈川県の秦野でも同じような状況 片桐 : があります。リタイアされた方たちが何人かで地域のふる ではないでしょうか。 だと思います。 活動が、最近みられるようになってきました。 明らかに減ったと感じられるのが自分史ですね。戦 小島 : 争体験記は自分史の中で大きなウエートを占めていました 最近、感動させられるものに﹁看取りもの﹂と私が勝手 ていると思います。 深く書かれてくる原稿が多いですね。闘病記もやはり増え か、市民活動をしたり、研究をしたり、それを何らかの形 最初から本をつくろうとしているわけではありませ 岩根 : んが、例えば歌をつくっている、俳句を詠んでいる方たち のかをお聞かせください。 司会 : 最近の著者の本づくりへの思いや希望についてどの ように感じているのか、また、その希望にどう応じている 本づくりの著者の思いとは に呼んでいるものがあります。これは夫婦のどちらかが重 い病気を患い、片方が看病して看取るまでを綴った作品で す。自分史とも闘病記とも違いますが、看取る側が看病し 岩根さんは滋賀県で出版社を営んでいますが、地域 司会 : の傾向は何かありますか。 にまとめる。自分史を出版された方が、今度は自分史の講 ている間にいろいろなことを考えるわけです。相手が死を 私どもは地域の歴史とか文化・自然などを扱った企 岩根 : 画本をつくっています。確かに自分史は極端に減っていま 目前にしているので、非常に重く、あるいはさばさばと、 す。ただ、地域の歴史だとか文化というものを写真なり文 師 に な る と い う こ と も 本 当 に あ り ま す し、本 を 出 す こ と は、作 品 が あ る 程 度 ま と ま っ た の で、本 に し ま し ょ う と 章なりで何とか自分の手でまとめたいという方も増えてい 12 本にしたいというお申し出があった時に、まず﹁い 喜田 : くらかかりますか﹂と聞かれることが一番多いですね。そ れているほど多くはないという気がします。 ば売れてお金が儲かったらいいな、と思う人は世間で言わ テップアップされていくのではないでしょうか。あわよく は、著 者 に と っ て 目 標・目 的 の 通 過 点 で あ り、さ ら に ス うにしています。 段階で、できることとできないことをはっきりと伝えるよ 一部を書店に流すというのが実情です。著者にお話をする ともあります。それでも基本的には自費出版してもらい、 だ原稿を読ませていただいて、中には流通に流すというこ に流してくれと本を持ち込む例はほとんどありません。た にも結びついていると思うんです。売る本をつくりたいと 可能性が出てきたということですね。それがたぶん多様化 的に文章を綴っているので、誰もがいわゆる著者になれる やはり自費出版が増えたのはパソコンの普及です 岩根 : ね。それからやはりブログが人気のように、ご自分で日常 タイプも多くはないですが、増えています。 ました。﹁私の本は素晴らしい、絶対に売れます﹂という 家へとか、これで金儲けとか、いろいろな考えの方が増え 本当に目的は多様化したと思います。昔は、わりと 小島 : 素朴な目的が多かったですけれども、最近はあわよくば作 ありました。まず、本をつくる﹁目的﹂についてお聞かせ に﹁不特定多数の方に読んでもらいたい﹂との回答が多く JEFが共同で行ったアンケートでは自費出版をする目的 知識﹂を三つあげさせていただきました。ネットワークと イントとしてあえて﹁目的﹂ ﹁制作会社選び﹂ ﹁本づくりの 上梓後、﹁この部分にもう少し気をつけていれば、 司会 : もっと満足のいく本ができたのに﹂と感じる著者も多いと ︻その1︼自費出版する目的 後悔しない、失敗しない本づくりの三つのポイント ときは、編集者の立場としてあるいは版元として、最初の れから私家版の傾向で多いのは、自分の生い立ちのこと、 思う人は東京の一部だと思います。たくさん売りたいとい ください。 自ら歩んできた道、そういう形態が多いです。 う人は、いやな著者だけです︵笑い︶。 原稿を拝読すると、著者はこの本をつくることで何 喜田 : を目的とされるのかなということが、おぼろげながら見え 思います。後悔しないため、あるいは失敗しないためのポ 今の話を聞いて、地方と中央というのは、少し需要 片桐 : が違うという気がします。私のところでは、積極的に流通 13 感できる、そういう共通とするものが見えてくると、さっ やって育てていく。できるだけ著者に、本づくりの中で共 までに、お互いに注意深く畑を耕して、種をまいて、水を す。原稿という種があるのですから、本という果実にする 達 に な れ る か、目 的 に 共 感 で き る か が、大 事 だ と 思 い ま てきます。本をつくる前に話し合い、どれだけ著者とお友 あると思います。 とです。ですから、読者層を想定することが最初の目的で じような境遇の人に私の気持ちをわかってほしいというこ 子どもに読んでほしいだとか、看取りの体験でしたら、同 んでもらいたいのか、それが目的なのです。例えば先生が とめるというのは少し乖離しています。自分の本を誰に読 きおっしゃっていた不特定多数の方の﹁不特定﹂の顔が見 うに変化してきます。自分の身近なところを掘り起こすこ 書のここが違っているよ﹂と、皆さんに伝えたいというふ 発見します。すると、一冊の本にまとめて﹁今までの歴史 覚め、研究しているうちに、今まで書かれていないことを でいるところに興味を持ち始めます。ある時から歴史に目 目的は、やはりはっきりさせたほうがいいですね。 片桐 : 地域のことについて何も知らなかった方が、自分の住ん の喜怒哀楽を考える人なのかというのがわかっていたほう ことも何か話してみるとか、価値観とか、どんなふうに人 いなものだと思います。会って話してみるとか、本以外の いい本をつくるには著者と編集者の相性が必要で 小島 : す。相性の合う人をどう見つけるか、これはお見合いみた しょうか。 本の目的が定まったところで、次にその希望をかな 司会 : えてくれる会社をいったいどうやって見つけたらいいので ︻その2︼希望をかなえてくれる会社とは とで、地域の宝物や歴史を再発見したいという目的がはっ が、お互いやりやすいですね。ましてや著者は心情を書い えてくるんじゃないかなと思います。 きりしているわけです。 でしょう。 司会 ﹁ :相性﹂ということについては喜田さんもご自身の 本でも書かれていますね。 ているのですから、自分の気持ちが伝わらなかったらいや 書き手の目標があると、その本をつくる中で、どう 司会 : いうふうにその本の展開が見えてくるか、あるいはまた地 と思いますね。 原稿を書く時に考えたんですけれども、 ﹁つまると 喜田 : 域との兼ね合いも見えてくるかという、そういういい例だ 不特定の人に読んでほしいということと、目的をま 岩根 : 14 も、聞いてみて、そこにまず当たってみられたら一番いい くられているかといったことを、書店ででも、お友達にで 選ばれるときの基準は、自分の気に入った本がどこでつ で出版したいという判断材料になっていると思います。 いい本をつくっていくことが当社にご相談いただく、ここ もう選んでいただいて光栄だと思っております︵笑 岩根 : い︶ 。私どもは小さい地域ですけれども、やはり一つ一つ ますか。 岩根さんは地域の本が多いわけですけれども、そう 司会 : いう選ぶ基準を聞かれたら、どういうふうにお答えになり す。 一緒に本をつくってくれる編集者を選んでほしいと思いま どれだけ一緒に可愛がってくれるかということを基準に、 も大事ですが、お金だけでなく自分の子どもである原稿を す。どれだけ原稿を読み込むかということです。制作費用 体 と し て お 友 達 に な っ た り、同 志 に な っ た り す る わ け で 出会いは、皆さんが書かれた生まれたての原稿、それを媒 んです。少し補足させていただくなら、私たちと著者との ころは相性やな﹂というのが結論みたいになってしまった 思います。 一つの方法だと 談されることも か ら、そ こ へ 相 の発信基地です 域の書店は文化 か、あ る い は 地 ネット上から版 付やインター り ま す。い い 本 を得る必要があ との十分な情報 れるかというこ 品に仕上げてく ぱりどういう作 は な く て、や っ も、相 性 だ け で いましたけれど 元を調べると ︵以下次号︶ ひとびとの 声が聞こえる 日本自費出版文化賞 年のあゆみ ︱ NPO法人日本自費出版ネットワーク編 揺 籃 社 A5判250ページ 定価2000円+税 自費出版の原点が見えてくる ﹁日 本 自 費 出 版 文 化 賞﹂ 年 の 足 跡 をたどり、最終選考委員の講評、受 賞者の思い、講演・座談会などを通 して自費出版の原点を見つめ直す。 お近くの書店かネットワーク事務局へ 10 に出合ったら奥 んじゃないでしょうか。 編集者は本を生み出すお手伝いをさせていただく産 片桐 : 婆さんみたいなものですよね。先ほど相性という話が出て 15 10 日本自費出版ネットワークからのお知らせ ■ 第12回日本自費出版文化賞 応募数は655点。一次審査が始まりました 第12回を迎えた日本自費出版文化賞の応募が2008年11月で終了、現在、1次選考の委員の もとに送られ鋭意選考作業中です。今回の応募総数は655点。部門別の応募数は以下の通り でした(なお、部門別の数は最終的に変更される可能性があります)。 (1)地域文化部門 82点 (2)個人誌部門 167点 (3)文芸A部門 232点 文芸B部門 44点 (4)研究・評論部門 83点 (5)グラフィック部門 47点 ■ 今後の予定 自費出版文化賞の審査、総会、フェスティバルなど自費出版ネットワークの今後の予定は 次のようになっています。 ○一次選考 2009年1月∼3月 ○二次選考会 2009年4月11日(土) 東京都内 ○最終選考会 2009年6月2日(火) 吉祥寺東急イン(武蔵野市) ○表彰式 2009年7月18日(土) アルカディア市ヶ谷(東京・千代田区) ■ 情報交流と技術研鑽を目指す「自費出版認定ア ドバイザーの会」が発足 日本自費出版ネットワーク認定の自費出版アドバ イザーが相互の情報交換と今後の研修内容などを考 えようという学習交流集団が発足することになり、 2月7日に設立集会が開かれました(写真)。自費 出版文化の担い手としての使命感を持ち、相互の情 報交流と切磋琢磨を目指すという設立趣旨を確認 し、会長に小林淳一氏(五月印刷)を決めました。 他に運営委員として6名ほどを選び、当面は、アド バイザー研修会の際などに会合を持つ予定。 ■ 編集部より 未曾有の経済危機だということで、経済が混乱しています。製造業はもとより流通、そし て情報産業も例外ではないようで、商業印刷はまともに影響を受けていますし、出版関連産 業も不振が続いています。Web関連なども零細性が強いので、かなり多くの失業者が出そ うです。シニア世代を中心にした自費出版ですが、ここにもじわじわと影響が出てきていま す。自費出版ネットワークは今月末に久しぶりの全国交流会を開きますが、そこでいろいろ な話がきけそうです。 「PPマガジ ン Personal Publishing」 2009年2月20日発行 第19号 編集・発行 NPO法人 日本自費出版ネットワーク 〒103-0001 東京都中央区日本橋小伝馬町7-16 電 話:03-5623-5411 FAX:03-5623-5473 ホームページ http://www.jsjapan.net/pp/ (専用閲覧、投稿ページがあります) 定価(1,000円+税)
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