初めてのクルーズ 地中海8日間 その2

初めてのクルーズ
地中海8日間
その2
2014 年 6 月 13 日~23 日
ナポリ
6月17日
の話では確立50%程度らしいのです。この日も
カプリ島に着いたときに「今のところNGです。
朝7時にナポリ港入港です。接岸するエピック号
だけど洞窟までは行きます!」と怪しげな状況だ
で す。船首か
ったのです。
ら 港に入りま
30人乗り
す が、接岸は
程度の小さ
船 首を港の出
な船で洞窟
口に向けます。
付近まで行
( 出港をスム
き、さらに3
ースにしたい?)このためにUターンをします。
人乗りの手
Uターンと言うのは正しくなくXターンと言うべ
漕ぎボートで洞窟に入るのです。写真の女性は現
きでしょうか?船体中央を中心にプロペラのよう
地ガイド、男性は旅仲間です。洞窟まで来ると「今、
に回るのですから。これをタグボートの助けはな
洞窟侵入がOKとなった。」と言うのです。これは
く自力でやってのけるのですから驚きです。
サイドスラスターと呼ばれる船を横に動かすプロ
ペラがあるのです。船首と船尾に船体を横に貫通
するトンネルを開けその中にスクリューを置いた
のをトンネルスラスターと言うそうです。
右はバルセロ
ナ港、サイドス
ラスターで接
岸を試みるコ
ンテナ船です。
船首から水流
が出ています。この船もタグボート無し、自力で
接岸していました。
ラッキーです。
4回目挑戦の高山のご夫婦が念願かなったところ
です。この小さな船で洞窟の入り口に向かい、波
が下がった瞬間にリンボーダンスのように狭い洞
窟の入り口をくぐりぬけるのです。乗客は身を屈
カプリ島青の洞窟
め、岩に当らないようにします。船頭はホント!
リンボーダンスです、
カプリ島はナポリから高速船で約1時間掛かりま
す。
「青の洞窟」はこの旅行の切掛けになった観光
ポイントで、カミサンはココに入りたくてこの旅
行を申し込んだのです。驚いたことに同行者の中
に高山市から参加されたご夫婦がおられ、なんと
「青の洞窟」4回目のチャレンジだというのです。
天候によって、突入が不可能になり、添乗員さん
この小さい穴を、船頭は艪と渡した鎖で仰向けに
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地中海8日間
その2
2014 年 6 月 13 日~23 日
鼻先を岩に当りそうな感じでくぐりぬけるのです。
海から見たベスビオ火山ほぼ全貌です。
洞窟の中は50mプール位の広さで、かなり深そ
ポンペイはナポリからバスに乗ること 1 時間半程
うです。狭い入口からの光がどういう按配か青く
です。遺跡の前のレストランでの昼食後、一部の
光るというわけです。何でも2,3人が泳いでい
見学をしました。
たそうですが、私は確認できませんでした。ボー
トが洞窟の中を一回りする1分間位洞窟内にいた
ようです。この入場料€4.00 は旅行社が支払います
が、船頭へは一人€1.00 を渡してくれ!と言われ、
終わって、ボートから小型船に乗り移る前に支払
わなければなりません。ともかく我々は初めての
訪問で洞窟に入れたのはラッキーでした。
ポンペイの遺跡
ポンペイ遺跡でのうちのカミサンです。この街が
すべて 2 日ほどで埋まってしまう、凄い噴火だっ
ナポリから眺めるベスビオは頂上付近に雲があり、
全貌を現しませんでした。ところで、ナポリ民謡
「フニクリ・フニクラ」は子供のころから聞いて
たのでしょうね。日本では明治初期の磐梯山噴火
も大変だったと聞いています。この頃富士山に不
気味な動きがあるようです。
います。ベスビオ火山に登る登山電車のことだと
思っていたのですが、添乗員の広田さんは「ベス
ビアス火山を見るためにカプリ島の山に登る登山
電車のことです。」と説明してくれました。
どうも違うなあ!と思い、調べてみました。やは
りベスビオ登山電車のことで、
「フニクリ・フニク
ラ」はこの登山電車の事でした。この歌は世界最
初のコマーシャルソングとの事です。また、この
まだまだこのように発掘中です。そういえばあの
登山電車は1944年の噴火により破壊されたそ
噴火に埋もれた人の像は火山灰の空洞に石膏を埋
うで、現在はありません。
めたもので、後世の作とはここに来て初めて知り
ポンペイの街は紀元 79 年の大噴火で埋没し、1700
ました。人体の化石ではなかったのです。2000 年
年代に発掘されたようです。
では化石になりませんね。
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地中海8日間
その2
2014 年 6 月 13 日~23 日
チビタベッキアからローマへ
6 月 18 日
た。頼んだらポリさんがポーズをとってくれまし
た。青い車はFIATのパトカー、ローマ市内は
1 泊 2 食のホテルが移動していくクルーズは楽です。
古都保全のため区画整理ができず、慢性的な渋滞
ナポリ観光から戻ってきて、シャワーを浴びて、
と駐車場不足となっています。
好みの夕食を食べて、飲んで、ショーを見て、酔
っ払って部屋に戻って一夜明ければココはチビタ
ベッキア!となるわけですから、ホント便利です。
このコロセウム見学にしても、路上で降車、どこ
チビタベッキア港の岸壁、先客がいました。どこ
かで待機して、また乗車のため決められた路上に
の港もエピック号だけということはなく、何隻か
戻るので、
「バスがまだ来ない」現象が多発します。
のクルーズ船が入港していました。この日は 7 時
前に朝食を済ませて集合し、ローマへ向かいまし
た。チビタベッキアからローマまでは直線で60
km交通渋滞のことを考えるとできるだけ早く出
発したいのです。
バチカン、サンピエトロ寺院前でのスナップです。
寺院見学の行列は長く、小 1 時間待ちました。天
候は不安定で、時々雨が降りました。行列の周辺
では傘とポンチョを売る、黒人青年がたむろして
いて、なにやら宗教施設の割には落ち着かない雰
「ローマへの道」もところどころで渋滞です。バ
囲気でした。大聖堂内部です。この聖人の足にも
イクのすり抜けは結構きわどい勝負がありました。
最初に寄っ
たのは皮製
品ストアと
言うのも変
ですが、隣
が交番でし
触ってきました
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地中海8日間
その2
2014 年 6 月 13 日~23 日
コロセウム。バチカンのほか工事中の「トレビの
泉」スペイン広場、チョット狭いレストランでの
食事を楽しんで、ローマを後にしました。この日
は天候が不安定で、帰り道では前が見えないほど
の豪雨もあったのです。
リボルノからピザ、フェレンツエ
6 月 19 日
イタリア最後の観光はピザ、フィレンツエです。
リボルノ港へは朝 7 時に入港です。
このような斜塔を支えるポーズが定番らしいので
すが、反対側から蹴り倒すポーズがベテランの証
との事でした。
スペインでもイタリアでもフランスでも観光ガイ
ドは現地の人を雇わなければなりません。添乗員
の広田さんが詳しくとも説明してはいけないので
す。そういえばマヨルカ島ではガイドは一言も話
さず、通訳という形で現地在住の日本人女性が説
明していました。
リボルノ埠頭で雑談の女性群です。なんだかんだ
で仲が良くなります。
この人は違いました。全部日本語でユーモアたっ
当初予定はフィレンツエを先に観光して、帰り道
ぷり早口でまくし立てるのです。広田添乗員の話
にピサへ寄ろうとのことだったのですが、何の事
ではピサの名物ガイドでこの人に当たったのは幸
情か、ピサを先に観光することになりました。こ
運だったそうです。たしか「ロベルトさん」だっ
の辺、ジャンボツアーは現地判断でのバリエーシ
たな?我々の説明を終えた後、米国人団体に対し
ョンは認められているようです。
唾を飛ばしていました。4 つかそれ以上の言語を操
たまたま、教会の塔設計が悪く、傾いてしまった
るのではないでしょうか?毎日同じことを喋るに
ことで有名になったピザは塔がなければ普通の田
しても、情熱は必要だと思いました。
舎町です。世の中何が幸いするか分からないので
す。
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地中海8日間
その2
2014 年 6 月 13 日~23 日
フィレンツエ観光
です。残念ながら写真はありません。蒸し鶏も付
け合わせのジャガイモもイケました。グラスワイ
古都フィレンツエはミケランジェロやダ・ビンチ
ンで頂きました。
の街、ルネサンスの街です。
旧市街を見渡せる丘の上からの写真です。大聖堂
の屋根が目立ちますが、屋根の色はくすんだ赤に
統一されています。
レストランの外観です。料理は美味しかったけど
食堂はこの写真の表に面した部屋ではなく、団体
専用の内部屋でチョット残念でしたね。
旧市街散策でのシニョーリア広場ではどういうわ
けかクラシックカーが展示されています。モデル
も並んで華やかです。フィレンツエでデザインさ
れたのでしょう
これは工事中の聖堂(名前は忘れました。)工事の
か?これはアル
囲いもイタリア・フィレンツエです。
ファ・ロメオ、
フェラーリもあ
りました。
ミケランジェロ
のダビデ像もあ
りますが、これ
は複製、本物は
美術館にあるよ
うです。
昼ご飯はレスト
リボルノ港へ帰って来ました。
つづく
ランでの鳥料理
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