「昭和 32 年の「詩と音楽の鑑賞会」」 浅野 孝(1959 年卒)

「昭和 32 年の「詩と音楽の鑑賞会」」
浅野 孝(1959 年卒)
就職して東京と大阪に住んだあと、東京オリンピックの 1 年前、1963(昭和
38 年)にカリフォルニア大学バークレイ校に留学したので、半世紀アメリカに住
んでいます。ワイフ・Holly はアメリカ人で、日本語を使うことのない生活をし
ています。この小文も日本の友人に文章を見てもらい、活字にしてもらいました。
「アウロラ」では昭和 30~34 年にギターを弾いていました。今年 4 月に日本
へ行った時、30 年ぶりくらいで佐々木強君に東京で会いました。佐々木君は理学
部物理学科を昭和 35 年卒業、当時はマンドラを弾いていました。道庁に勤めて
いた田辺正隆さんから、私も佐々木君もギターのレッスンを受けました。あまり
上手にならずに終わってしまったのですが、当時流行っていた「禁じられた遊び」
や「カプリチオ・アラべ」くらいまでで、フランシスコ・タルレガの名曲「アル
ハンブラの思い出」のトレモロまでは上手に行けませんでした。また、カナダの
トロント大学名誉教授になった西里静彦君もギターを弾いていました。西里君は
文学部心理学科昭和 34 年卒のはずです。そんなわけで、76 歳プラスになった西
里、佐々木両君と私は、今年、2013 年 6 月 19 日に北大ファカルティ・クラブ「エ
ンレイソウ」に阿部純一先生をお招きしてクラークカレーを食べながら 40 年ぶ
りくらいの「アウロラ」のホーム・カミングになる予定です。
東京で今年 4 月に佐々木君に会ったときに持って来てくれたアウロラ「第 33
回定期演奏会」のプログラムが手元にあります。1956 年 11 月 25 日 於札幌市民
会館で昼と夜の 2 回演奏会があり、賛助出演は九島勝太郎さん指揮のプレクトラ
ム・アンサンブルで、「アウロラ」の指揮は藤野敬士さんと石井宏さんでした。
ところで最近、書庫を整理していたら、
「アウロラ 70 年のあゆみ」という平成
8 年 2 月発刊の小冊子が出てきました。先述の阿部純一先生が顧問教官の時に刊
行されたようで、久島勝太郎、永山政一さんなどの回顧が載っています。その資
料集の、私が在学中の年譜のなかに、1957(昭和 32)年 6 月 8 日「詩と音楽の
鑑賞会」というのが目に留まりました。これは、いま思い起こすと、
「アウロラ」
の活動のほかに「北大詩話会」の一員として詩作に耽っていた時代、私が立案し
たものでした。今となっては、ギターも詩作も関係のないものになってしまいま
したが、青春の恥部を見られたような思いが甦ってきました。教養学部の外国文
学Ⅰの先生だった阿部保先生に詩作のご指導を頂いたものでした。
そして 5 年ほど前、札幌に行った時に訪れた中島公園の中にある「北海道文学
館」で私の当時の詩集「夏の夫人」を見つけたときは大きな感激でした。この詩
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集は、私の 21 歳の時のもので、北大詩話会から昭和 33(1958)年 7 月 20 日に
刊行されたものでした。「北海道文学館」で見つけたこの詩集は、北海道の詩人
更科源蔵氏への著者献本のものでした。
今日、この文章を書いていて、76 歳になった今、半世紀に亘るカリフォルニア
での英語世界の生活のなかで、北国札幌の、しかも青春の淡い感情と「アウロラ」
のロマンが交差して、複雑なセンチメントになってしまいました。リラの花咲く
頃の札幌を懐かしく思い起こしています。
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