「遙か彼方に過ぎ去った夢」 西里 静彦(1959 年卒)

「遙か彼方に過ぎ去った夢」
西里 静彦(1959 年卒)
北大を卒業、日本を離れて 52 年、日本語を話すことのない家庭生活に甘んじていた
とき、阿部純一先生から思い出を書いて欲しいという声がかかった。それではと思い立
ったが記憶が定かでない。年寄りのいい加減な昔の思い出と日本を離れてからのエピソ
ードで勘弁してもらおう。
「アウロラ」でギターを弾いていたころの楽しい思い出は、半世紀の空白の彼方に、
淡い夢のように浮かぶ。今は訪日しても角帽姿も下駄も見えない。北大前の電車も見え
ない。そのころを振り返ると、あれは私の人世の最高の花道。先輩の加来、岩城、佐藤、
石井、町野、藤野さん、同級の東明、富沢、浅野、小原、堀口、前川君、そして一級下
の佐々木、松田、斉藤、吉野氏ほかの皆様、仲間に入れていただき、遅まきながら心中
より感謝したい。
さて浅野孝君も 50 年前に日本を発ち現在は世界に名声を博しカリフォルニア大学の
名誉教授に納まっている。彼とは札幌南高で同級。高校の学校祭で彼と「湯の町エレジ
ー」を弾こうと話し合ったが、最後にその曲はまずいというので他の曲に変えたという
いきさつがある。
北大在学中、体調を崩し、学部生最後の年は「アウロラ」には顔を出さず、静養に勤
めた。浅野孝君主宰の同人雑誌「すかるぼ」に「青い眼の月」という孤独と希望を表し
た詩を書いたり、入学の年に発足させた「エスペラント研究会」を友人に任せたりした。
松田治子さん、南高同級の斉藤文男君などがとりわけ心配してくれた。更に、佐々木強
君が、私のためにトレモロによる情緒豊かな一曲を作曲、提供してくれた。それから半
世紀、残念ながら彼の楽譜は見当たらない。申し訳ない次第である。
1961 年フルブライト留学生としてノースカロライナ大学のあるチャペルヒルに着い
て間もなく、バスに乗り隣町でギターを購入した。人種差別が日常の生活に浸透してい
た当時、私は間違って黒人のバス待合室に入ろうとしたところ、出発しかけたバスの運
転手がバスを止め、私を白人の待合室に連れて行ってくれた。その当時、私はバスに乗
るときは、前方の白人席、後方の黒人席をさけ、中央の席に座ったものである。あのこ
ろは、パーテイがあると、「禁じられた遊び」、「グラナドスのスペイン舞曲 5 番」、
「アルハンブラの思い出」、「アストゥリアス」、佐々木君の曲などをアメリカの学生、
職員に披露していた。
約 15 年前、客員教授としてスペインのムルシア大学に二度滞在した。ムルシアはド
ンキホーテに出る風車を背景にしたラマンチャの地域、古い教会を中心に美しいオール
ドタウンがある。ムルシアの音楽堂は「ナルシソ・イエペス・ホール」、ムルシアは
「禁じられた遊び」、独特の 10 弦ギターで世界を風靡したイエペスが愛した故郷で、
生地はムルシア地方の美しい町ロルカ。この町も一日心行くまで散策した。私のホスト
はイエペスの家族がまだムルシアにいるから紹介するといってくれたが、ギターを長年
手にしたこともないので辞退した。この話を浅野孝君にしたら、彼はスペインのカディ
ス大学から名誉博士号をもらった時、そこはセゴビアの故郷であるといわれたと語って
いた。
スペインの名城アルハンブラ宮殿には 2 回訪れた。家内と宮殿の見える名所アルバ
イシン丘の古びたレストランで夕食、そこで二人のギター奏者に「アルハンブラの想い
出」のアンコールをもとめた。その曲のあとトレモロによる美しい「荒城の月」を演じ
てくれた。暗闇に投光で輝く宮殿とともに、忘れられない思い出が出来た。
今のトロントの家に移って 45 年、我が家の 4 軒隣には、日本を訪れたこともある古
典ギターの名手レオナ・ボイドの家がある。彼女の両親との長い親交も、父親は 2 年
前に逝去、今は年老いた母親とだけになってしまった。
我が家に 3 歳の孫リンカンが久しぶりに遊びに来た。何か珍しいものはないかと思案
の挙句、めったに手にしたことのないギターを取り出し「禁じられた遊び」を弾いた。
リンカンの反応は "Unbelievable!"。 しかし、そのような賛辞とは程遠いお粗末なもの
だった。もうギターを上手に弾くことはできないが、思い出を書くことに刺激され、昨
日新しい弦を買ってきた。もう一度、爪を調整し、指を柔軟にして楽しめるギターを弾
きたい。今は遠き「アウロラ」の思い出への架け橋としてである。
(西里静彦:トロント在住、カナダ国籍、トロント大学名誉教授、
[email protected]