Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 大学院とインターンシップが変えた職業観 政策・メディア研究科2年 奥本将勝さん (活動内容) 奥本さんは体育会バスケットボール部の活動が中心だった学部時代とはうって変わり、大学院では「難民問 題」の研究に明け暮れる毎日を過ごした。ただ研究といってもそれは机上のものだけではなく、学外、海外と キャンパスの枠組を越えた精力的な活動であった。そういった修士論文執筆のための研究の傍ら、UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)*でのインターンシップにも励み、2006年2月にはタイでの難民問題に関する国 際的ワークショップの運営にも携わる。2006年4月からはJICA(国際協力機構)*にてやはり途上国支援関連 の仕事に従事する。 (インタビュー) 研究内容、インターンシップ、そして就職先と全てが難民問題につながっていますね。 難民問題に関心をもったきっかけは何ですか? 「世の中で一番困っている人たちとは誰か?」という疑問がずっとありました。大学二年のある時、友人と難民 問題を扱った写真展に行ったんです。その時の衝撃はすごかったですね。なぜこんな子供たちまでがいわれの ない理由で国を失い、家を失い傷ついているのか。何とかして彼らを手助けする方法は無いのか、と。すぐにで も難民キャンプを訪れて難民の現実を直視したかった。でも夏休みも体育会の活動に追われ、学部時代にはそ の目的は達せられなかったのですが・・・。そこでまずは研究会に入り、難民問題を徹底的に研究しようと考えま した。幸いSFCは低学年でも研究会に入れますから国際問題を扱う香川敏幸研究室の門を叩いたんです。そ のときはまさか5年間も香川研究室にお世話になるとは思いもしませんでしたよ(笑)。 自分の問題意識が直接研究内容と結びついたのですね。 でもなぜ大学院に進学をされたのですか? 体育会の活動に時間をとられたこともあり、まだまだ勉強したいな、と思ったんです。とくに私には難民キャン プの視察など「フィールドに出て活動をする」という目標があった。やはり自分の目で見ないと本当の問題点は 見えないだろう、との考えがありましたからね。それに加えて、漠然とですが将来は国連職員などの国際公務員 になりたいという考えもありました。そのためには研究の専門性が必要だと聞いていたのでぜひ修士号をとりた い、と考えたんです。 海外の大学院に進むことも考えましたが、結局は政策・メディア研究科への進学を決めました。3年近く指導を 受けた信頼できる先生と研究を続けるのが良いだろう、と思ったからです。 UNHCR駐日事務所でのインターンシップはどんなきっかけで始めたのですか? 話は長くなります(笑)。修士1年次の夏に念願かなってタイを訪れることができたのですが、その際に出会っ たUNHCRの現地事務所の方にとても助けられたんです。下調べも足りず、どの難民キャンプに行くべきか分 からなかった。そんな時にその方がタイの難民キャンプの現状を教えて下さり、結果「メラキャンプ」という難民 キャンプを訪れることができました。そして日本に帰国してからその方から連絡があり、UNHCR駐日事務所で インターンの募集があるから応募してみてはどうか、と話を頂きました。もちろんすぐに応募して幸い採用になり ました。 タイでの難民キャンプの視察はさらなる研究へのモチベーションを与えてくれたのと同時に、「難民問題の解決 には研究だけではなく、現実的な企画・施策の立案が大切だ」という、信念をくれました。だからこそ、UNHCR での仕事も頑張ろう、と思ったんです。 UNHCRではどんな業務をしているのですか? 法務部での業務を中心に、会議施設の準備、データ整理など幅広い仕事をしています。仕事内容は事務作業的なものが 多いのですが、「この仕事が間接的に難民問題の解決につながっている」と思うとやりがいも感じて仕事に取り組めます。仕 事をするには「自分の仕事の意義」を感じることが大切なんですね。 インターンとして大変な経験はありましたか? 先月、UNHCR主催の国際会議がタイのバンコクにてあり、私もサポートスタッフとして参加したんです。渡航 前のプレゼン資料の整理は本当に大変でした。パネリストであるNGOやJICA、UNHCRの職員の方からの要望 をまとめる必要があり、てんやわんやでした。でも普段仕事振りを見て尊敬している事務所代表や職員の方の 頑張りを見て、絶対にいい会議にしよう、と強く思ったんです。結果的に現地でのワークショップ(会議)も成功し、 本当に良い経験になりました。 大変な仕事というのは、そこで「働く人への信頼」があれば何とか乗り切れるものだ、と分かりましたね。 就職先にJICAを選んだ理由は何ですか? 実はNHKの記者職に最初に内定しており、進路には本当に迷い ました。若いうちには仕事の経験を幅広くして、将来的に難民問題 関連などの国際的な仕事に携われれば良い、と考えていたんです。 でも幸いJICAからも内定を頂き、長く問題意識を持ち、研究もして きた難民問題に直接関われる仕事を選んだんです。JICAの採用 面接では自分の難民問題に対する考えとタイでの経験を話しました。 「国際協力」とは聞こえのよい言葉ですが、私は難民キャンプ訪問 などで、その泥臭い現実を見ていた。だからこそ評価をされたの だと思います。 大学院への進学を考えている人にメッセージはありますか? タイの難民キャンプにて 大切なのは単に大学院の学生になることではなく、大学院をベースにしてどれだけ広く活動をできるか、だと 思います。それには学外に積極的に出て、沢山の人と知り合うことが大事ではないでしょうか。実際私のUNHC Rでのインターンシップの機会はそういった人脈から頂き、その結果「難民問題を将来の仕事にする」という考え を持つに至ったのです。 また、問題意識を持ってきちんとした研究活動を行うのであれば、大学院進学は就職活動にもプラスに働くと 思います。どうぞ臆することなく大学院に進学し、視野を広めて良いキャリアを築いて下さい。 これからの目標を教えて下さい。 人をひきつけられる魅力的な人間になることです。それが結果的に良い人脈を生み、良い仕事にもつながる のだと思います。インターンシップを通じて仕事とは人とのつながり・信頼があって初めて成り立つ、ということが 分かりました。06年の10月には途上国に研修生として早速派遣されると思いますが、人としての魅力は国を越 えて生きるものだと思います。そしてそんな成長のためには行動することが必要です。だからこそ「自分から行 動する」というモットーをこれからも大切にしていきます。 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)*・・・国際的な難民問題に対処するべく創設された国連の下部組織。人道的な立場から、国籍国 からの保護を失った人々へ「国際的な保護」を与えて、食料・医療・住居などの提供を行う。本部はジュネーブ。 http://www.unhcr.or.jp/ JICA(国際協力機構)*・・・日本政府機関としての途上国支援を行うために設立。国際協力事業の一元的な実施機関としてODA(政府開 発援助)の実施を中心に途上国の社会・経済の開発を支援する。理事長は第8代国連難民高等弁務官の緒方貞子氏。 http://www.jica.go.jp/ Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 「 世界の工場 」を実感した中国インターン 環境情報学部3年 仁科陽一郎さん (活動内容) 2005年8月より約半年間、仁科さんは学生NPO団体AIESECのインターンシップ制度を利用して天津での研修生活 を体験した。インターン先は「天津和進電子」という、主に携帯電話のストラップや家電製品の部品作成などを請け 負っている日韓合弁の中小企業である。天津は中国の開発重点地域に指定されている都市で、日系企業を筆頭に 世界から多くの企業が工場を構えている新興工業地域である。 (インタビュー) 普通、中国インターンと言えば、北京や上海の中心地におけるオフィスワークを連想します。 しかし仁科さんはインターン先に天津を選んだ。これはなぜですか? 私は将来中国と関わるビジネスをしたいと思っています。だから「中国」という国の等身大の姿を知りたいという考 えがあって敢えて天津という地を選びました。人はイメージや風評で国と地域を判断しがちです。でも私はこの目で テレビや雑誌に出ない「本当の中国の姿」を見てみたかったんです。 インターン先ではどんな毎日を送っていましたか? 私がインターンをした会社は、中国市場向けに携帯電話の部品を製造し たり、日本市場向けにデジタルカメラのストラップを作るような中小企業で した。100名程の工員さん達が横一列に並び、ライン作業の中で朝から晩 まで働いている。いわゆる「世界の工場」と呼ばれる光景がそこにあったん です。メディアを通してそういった状況は耳にしていましたが、実際にその 環境に入り、超低賃金で働く若い女性たちの姿を見たとき、中国の原動力 がどこにあるのかを認識させられました。また、営業部や技術部など各部 署を回りながら、中国における仕事の現場を直に体験し、企業文化やそこ で働く中国人従業員の仕事に対する意識や取り組み方を肌で感じられた のは将来中国関係の仕事に就きたい私にとって大きな経験で、毎日がと ても刺激的でしたね。 天津和進電子の従業員と 現地ではどんな出会いがあり、何に気が付きましたか? インターン先が日韓の合弁企業であったので、中国人や韓国人、そして日本人も含め多くの友人ができ、深い付き 合いをすることが出来ました。異国の地で友達が増えていくのはただ単純に楽しいですね。ただそれだけでなくて、こ の3ヶ国の人々が心を通わす事には実はそれ以上の意味がある気がします。 どんな事でも率直に意見を交わし、思いを伝える事が出来る友が「アジア」にいる。それは近年の日中韓の関係に あって特に大きな意味を持つことだと感じます。例えば、今日の日中関係。単純に民間レベルで見れば、各メディア が極端に誇張した報道で民衆を煽っていると言っても過言ではないと思います。ただ実際に現地へ行って一般人の 生活をみれば実は大した事は無い。ごくごく普通の中国人は実際にどう考えているのかを多くの日本人は知らない し、知ろうともしないでしょう。結局、本音を知る場がない。これではいつまで経っても友好的な道は見つからないと思 う。そういう意味で私は実際に半年感中国に住み、中国人と接し、現状を見てきました。この濃密な半年の間に否応 なく体に染み付いた中国人観は、逆に自分が元々持つ日本人としての考え方や感覚というものを浮き彫りにしたの です。自分の中で私なりの文化交流が起きた瞬間でしたね。 やはり中国で起きている事を日本人の目で見てしまったら明らかにおかしく見える事も多々あります。少しでも理解 するには歩み寄りをするという事が大切なのではないでしょうか。つまり互いがありのままの姿を見つめること、これ に尽きると思います。インターンシップを機にさらに中国人の考え方をより一層知りたくなりました。これからもこの 「ありのままを見る」という感覚を大切にしていきたいです。 Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 タイの教育現場でのインターンシップ 環境情報学部4年 鈴木紫穂里さん (活動内容) 学生が全部で3000人を超えるタイの公立高校で、四年生の夏にAIESECという国際学生NPOが提供するイン ターンシップに取り組んだ鈴木さん。関心分野別にカリキュラムを選ぶことができる学校において、約150人の日 本語選択者に対して日本語を教えたという(写真はホームステイ先近所にて日本語を教えていたときのもの)。 (インタビュー) インターンシップは国内でもできますよね?それをなぜタイで? ひとつは別の国のバックグラウンドを基準に視野を広げたかったということ。そしてもうひとつは、その時点で の自分の力を試したかったということが理由でした。前者に関しては、特に教育という分野において、日本以外 の価値基準を持つことで日本を改めて比較して見直す機会を持ちたかったんです。後者に関しては、誰も頼る 人のいない中で一から自分だけのネットワークを築き、任された責任をやり遂げることで、自分を試し、長所・短 所・自分の価値観の軸などを見直したかったのです。 具体的にどんな活動を行ったのですか? 月曜日から木曜日までは1日に4時間程度、タイ人の日本語教師とともに、日本語の授業に携わりました。タ イ人の先生が主に文法、私が主に会話と日本自体への興味喚起のためのゲームなどによる授業を行いました。 金曜日はもともとは休日でしたが、研修先の学校の紹介で、他の私立中学校で日本語を使ったアクティビティな どをさせてもらえる機会もいただきました。学校にいる時間は、授業だけでなく、教員室での他の先生とのコミュ ニケーションや、生徒の日本語以外の授業を見学することに使いました。 どんなことが活動の目的でしたか? また何を得ることができましたか? 生徒の、日本語会話能力の向上と日本に対する関心の喚起が目的でした。日本語のネイティブであることを 生かして、特に会話するという機会のより多くの創出と、なにより”タイスタイル”である「楽しんで勉強する」雰囲 気の創出を求められましたね 日本語を習っていながらも、日本人に実際会ったことがない生徒がほとんどであり、「自分自身が教材になる」 ことで、特に日本への関心の喚起という面は達成できたと思います。授業そのものは、大きな問題、例えば教室 が日本の常識で言ったら学級崩壊状態であったなど、乗り越えるべき試練がまず多く、2ヶ月で私個人が達成で きた分は限られていました。だからこそこの研修は継続性が大切であり、私の次の研修生に引き継ぐことでより 高いものを達成していきたいと思います。 学校以外ではどのように地域の人と交流をしましたか? 教えていたうちの一人の生徒の家にホームステイをして生活していました。本当の娘のように可愛がってくださ り、ホームステイだからこそ教育と地域社会の関係をこの目でみることができました。自分も地域の一員として 子どもやご近所に関わりたいと考えたので、ホームステイ先の家をお借りして、子どもたち向けに毎日日本語& 日本文化教室を開きました。少し宣伝しただけで、すぐに30人ほど集まってしまう地域のコネクションの強さと、 日本に対する好イメージを感じましたね。 タイでの2ヶ月は鈴木さんに何を与えましたか? インターンシップは「立ち止まって考える時間」を提供してくれました。確かに忙しい日々ではありましたが、冷 静になって自分を見つめなおす絶好の機会になりましたね。価値観の幅が広まり、豊かな日本と発展途上にあ るタイは、やはり自分の目から見たら未熟と思えてしまう面もあって、だけどそんなタイの人が好きでいてくれる 日本を、本当に日本だけにしかない価値のある国にしていきたいという気持ちがより強まりました。 Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 国内インターンシップで得た自分自身に対する気づき 総合政策学部3年 桂山奈緒子さん (活動内容) 3年生の夏と冬、大手印刷会社と人材会社にて短期国内インターンシップに挑戦された桂山さん。インターン シップでは、他のインターンシップ生とともに、割り当てられた商品のプロモーション戦略を立てたり、新卒採用 のキャッチコピーを考え提案するプロジェクトに取り組んだ.短い期間ではあったが、大学の中だけにいては、得 られなかった気づきを得ることが出来たと彼女は語る。またキャンパスにおいては、 SFCに関する情報を扱った WEBメールマガジン SFC CLIP(http://clip.sfc.keio.ac.jp/)の編集長としても活躍されている。 (インタビュー) インターンシップではどんなことに取り組みましたか? 初めて会う他大学の人々といくつかのグループを組んで、与えられた課題に対して取り組む形でのインターン シップでした。まずは、インターシップをした企業そのものについて学んだり、扱う業界に関する知識、具体的に は、マーケティング分野に関して教えてもらう場を設けられました。学んだ内容自体も極めて新鮮でしたが、何よ りも勉強になったのは、他大学の方とのグループワークでした。 バックグラウンドが違う人たちとの協働作業は大変そうですね? インターンシップにはいろいろな大学から学生が参加していました。まずその点がSFC中高の出身である私に とって新しい刺激になりましたね。多くの新しい仲間、これがインターンシップで得た貴重なもののひとつです。 ずっと同じ環境にいると、その環境や、そこで築かれる人間関係は少しずつ馴れ合い的になっていってしまうと 感じます。だからこそ、新しい環境に身をおく、かつそこで一緒に何かをすることが大事だ、と考えてインターン シップに応募したんです。 そういった新しい環境において、人はみかけによらないということも学びました。やはり初対面であるとき、周り がみんなできる人や、仲良くなれるかどうかわからない人ばかりだ、という印象を受けてしまうことがあります。と ころがいざグループワークを始めてみると、それぞれの表には出ない個性がうまく協働作業に生かされてくる。 そんな中で「目的意識を共有し、お互いを信頼して行動する」ということの大切さに改めて気づきました。改めて というのは、この考え自体はインターンシップを始める前から既に持っていたんです。「KEIO SFC REVIEW」とい う雑誌作成を以前していたのですが、締め切りに間に合わなさそうなときが何度かありました。でも、結果的に 締め切りに間に合い達成感を感じたときにわかったことが、「周りのメンバーを互いに信頼することが出来れば うまくできる」ということでした。つまり、インターンシップはその考えが、社会でも同様に通用するんだ、という気 付きをくれたのです。 インターンシップで新たに気付いたことはありますか? SFCでの活動とインターンシップの共通性があった、とは言え異なる部分もあります。初対面同士で行う協働 作業だからこそ、普段の人間関係のときでは馴れ合いになってしまっていた部分を明確に伝える必要性がある と思ったのです。互いに慣れ親しんだ阿吽の呼吸がないからこそ、意思疎通には気を使わなければいけない。 「曖昧な言葉を明確に説明すること」の重要性が学べたこともインターンシップの収穫でした。 またグループワークという作業においては、「段取り力」も重要であると感じました。SFC-CLIPの編集長をして いる自分にとって、段取り力という、やるべきことを計画的に実行していくことの重要性を再認識できたということ です。 インターンシップにはどんな意味があったと思いますか? インターンシップは普段自分が感じていてもはっきり認識できていなかったことを見つけることができた場でし た。意外と普段の活動の中に大切なことは潜んでいるんです。キャンパスの外に出て、今まで会ったことの無い 人たちと交わることによって初めてそれに気が付きました。今後はSFC-CLIPや就職後での社会人生活におい て、インターンシップで認識できたことを十分に生かして頑張って行きたいですね。 Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 SIVで学んだこと、そして将来の夢 総合政策学部3年 坂田勝信さん (活動内容) 坂田さんはSIVアントレプレナー・ラボラトリー* にて学生スタッフとして‘Education’部の一端を担う役職に ついている。つまりは大学内の研究、または学生が提案するビジネスプランに対して、ベンチャーキャピタルや 民間企業の新規事業部など、ビジネスの「プロ集団」からビジネスプランの改善案、事業実現化のための施策 提案などをいかに多く頂けるか、に焦点を当てた業務だ。セミナー形式、懇親会形式、発表会形式の様々なコン テンツで新事業創出を担う人材の輩出を図ろうとしている。最近はビジネスプランコンテスト運営スタッフとして ‘SIV Business Plan Contest 2005’の実施に携わった(写真の司会者は坂田さん)。 (インタビュー) SFCの中にいながらたくさんの企業や自治体などとやり取りをしていますね。大変な仕事だ と思いますが、なぜSIVに入られたのですか? SIVはビジネスを学ぶには最高の場所だ、と思ったからです。もともとSFCに入学したのも、より実学的で実社 会とつながりのある勉強をしたい、と考えたのが理由でしたが、正直何をした良いのかわからない状態でした。 そんなときに兄のサークルの後輩で、やはりSIVで活躍されていた増田祐希さん(2003年卒)にSIVの紹介をさ れたのです。そして、SFCだからこそSIVで「ビジネス・インキュベーション(起業支援)」に学生のうちから参加が できるということに気付き、SIVにのめり込みました。 「実際の事業案をいかに自分たちの力でビジネスにまで膨らませるか」、ということが命題でこれに応えていく ことは確かに大変な作業です。特にコンテストの運営は一人の力ではどうしようもなく、沢山のスタッフや企業と 協力することが必要になります。でもだからこそ、授業では味わえない充実感を得ることができたと思います。 SIVで活動をする中で、どんな苦労がありましたか?またそれによってどう成長できました か? 2005年度に組織のメインメンバーとなり、その年のコンテストである‘SIV Business Plan Contest 2005’を乗 り切るために本当に苦労しました。 2004年度からの引継ぎがうまく進まず、本来であれば事前にメンバー間で 審査基準を共有し、審査用紙の準備などが済んでいなければいけなかったのですがそれもできず、コンテスト 前日まで危機的状況の中にありました。そんなぎりぎりのところで奮い立ち、過去の資料を探し出して本年度用 に作り変えたり、メンバー同士で協力をしたりして、ようやくコンテスト開催にまでこぎつけました。何よりもメン バーが一つの目的を持ち一体となったのが大きかったです。そんな経験から、苦難は「成功のイメージ」をチー ムで持ち、決してあきらめないで「今出来ること」を積み重ねていくことにより乗り越えられるものだ、と実感しまし た。 これからの目標はなんですか?また将来の仕事にはどんな夢をもっていますか? 「創造的破壊」をテーマとしたSIVコンテストの活動を継続して、来年度のコンテストを成功に導きたいです。そ して実はこれが私の卒論のテーマでもあるんです。机の上での勉強ではなくて、四苦八苦して成功させたビジネ スプランコンテストの活動実績がそのまま研究の内容となる。こんな素晴らしい活動ができるのはSFCだからこ そ、ですよね。最高の卒論を仕上げるつもりです。 そして卒業後に物流の世界で一目置かれる存在になることが私の夢です。例えば商社に入って、国際的な立 場でビジネスを生み出していくことを考えています。今総合商社はまさに「ビジネス・インキュベーター(起業支 援)」の役割を担っている。だからそのためには今取り組んでいる「研究活動=SIVでの活動」を全力でやる必要 がある。このSFCでの学生生活が将来に直結しているんだ、と強く感じています。 SIV*・・・「SFC Incuvation Village」の略称。SFCの起業支援センター。詳しくはP18を参照のこと Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 ベンチャーでの仕事の醍醐味 総合政策学部3年 小林慶太さん 〔 KLab(株) 湘南アドバンストラボ 代表 〕 (活動内容) 小林さんは湘南アドバンストラボという組織のマネジメントを行いながら、モバイルコンテンツをプロデュースす る活動に取り組んでいる。湘南アドバンストラボとは、モバイル関連技術開発を行うKlab株式会社より資金面・ 人材面等で支援を受けながら神奈川県湘南地域の学生を主体にモバイルコンテンツの企画・開発行う、ミニベ ンチャーのような組織。この組織でマネージャー業を行うと同時に、サービス開始から半年で会員数17万人 (2006年2月現在)を超えた「ケータイコイン(http://kcoin.jp )」という携帯共通ポイントネットワークのシステム開 発やケータイコイン関連サイトである「福引ケータイ(http://fkei.jp 会員数3万4千人)」など合計4サイト・合計会 員数8万人(2006年2月現在)にのぼるモバイルメディアのプロデュース業も行っている。 (インタビュー) どんな人との出会いが今の活動につながっているのですか? 2004年春から2004年秋まで半年間ネットコミュニティのサービスを展開する(株)ガイアックスというベン チャー企業でインターンをしていました。そして次に何をやろうかと考えていた際に、SFCラボ(湘南アドバンスト ラボの前身)の前代表である柴田さんという方に時期代表をやってみないか、と誘われたことが最大のきっかけ です。柴田さんの話を伺い、モバイルの将来性に興味を抱き、ラボの代表にチャレンジしようと決心しました。 実は柴田さんとは2003年の冬にあったSIV*のビジネスプランコンテストに出場した際に既に出会っていまし た。その後期間があいたにも関わらず、信頼をおいて大役を任せてくれる辺りに、SFCというコミュニティの強さ を感じました。 経験した印象的な仕事があったら教えて下さい 昨年達成した一番の大きな仕事としては、2005年の夏に行った、キャラクタービジネスを行う大手企業と某 通信キャリアとのモバイルフェリカ(非接触ICカード搭載型 携帯電話)のタイアップキャンペーンが忘れられませ ん。サービス開始までの納期が通常よりも非常に短く、コストもかけられない状況下で、どのように効率よく業務 を行うか、という点に非常に苦労しましたね。恥ずかしい話ですが、業務知識やノウハウが少なかったこともあり、 業界の方から見たらケアレスミスや失敗が非常に多かったと思います。 分からないことがあったら自分で無理に解決しようとせずに、思い切ってプライドを捨てることが肝心だと思いま したね。先輩方のアドバイスを素直に受け入れ、吸収していくという姿勢が決定的なミスを減らしていくコツだと 思いました。 私はベンチャーのインターンだからこそできるだろう業務を行ってきました。活動も長期間ですし、単なる仕事 経験ではなく自ら仕事を作り上げていく醍醐味は大企業のインターン生には味わえないでしょう。こんな経験を したい方にはベンチャーでのインターンシップを強くお勧めしますね。 小林さんはまだ3年生ですね。これからの目標はありますか? 現在の活動の延長線上として、数年内に独立・起業を考えています。独立した際の事業内容・形態は未定で すが、少なくともこの一年間は具体的な事業化プラン等を検討し、実現化に向けて動いていきたいと考えており ます。何事も「初動」が肝心だと思います。ですから具体化できるところからドンドンと実績を積み上げていくつも りです。 SIV*・・・「SFC Incuvation Village」の略称。SFCの起業支援センター。詳しくはP18を参照のこと。 Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 就職の仕組みを変えたい! 環境情報学部4年 宗田明紘さん 〔有限会社パラダイムシフト取締役〕 (活動内容) 宗田さんは2006年1月10日(福澤先生の誕生日)に(有)パラダイムシフトを仲間3人とともに立ち上げた。 同社は「塾JOB」という画期的な就職支援システムを運用する企業で、親会社である(株)ディージーコミュニ ケーションズから出資を受ける形で設立された。 この「塾JOB」とは、就職を希望する学生の手書きでの自己PRがスキャン登録され、それを見た企業が目を付 けた学生に求人をダイレクトに行うという仕組みである。 宗田さんは卒業後も一般企業に就職するのではなく、同社の拡大と発展に力をいれていくつもりという。 (インタビュー) 宗田さんが起業をした動機を教えて下さい。 実は僕は就職活動中は他のみんなと同じように企業まわりをしていたんです。とくに大きな仕事を任されそう な総合商社に行きたかったですね。去年の4月にある大手商社の筆記試験を、千人以上が入るホテルの一室 でうけたんです。そのときの光景ですが、見渡す限り同じようなスーツを着た人ばかりで異様な光景でした。そし てはっと気付いたんです、「おかしいぞ」と。本当は個性のあるはずの学生が同じ時期に同じ会社を目指して同 じ服装で集まっている現状に改めて疑問を感じたんですね。その帰りの電車では、訳もなく涙が出てきたんです。 このときに「きっとこの日本の就職活動の現状を変えてみせる!」と強く思いました。 どんな出会いが実際の起業につながったのですか? 最初は何から始めてよいのか途方に暮れました。しかし、親会社である「ディージー・コミュニケーションズ」の 会長との出会いが全てを変えました。実は私の友人ですでにベンチャーを立ち上げていた窪田望君(総合4年) から依頼されたリサーチ業務があり、その提出資料が窪田君と仕事の付き合いのあった会長の目に留まったの です。突然会社に呼び出され、「君のような学生を探していたんだ。一緒に会社を立ち上げないか?」という言葉 を頂きました。僕は願ってもないチャンスだと思い、自分の持っている就職活動の問題意識とビジネスプランを 会長にぶつけたんです。そしてパラダイムシフト社の設立に結びついたわけです。 大きな苦労はなかったのですか? いえ、最初は苦労の連続でした。起業は私を含めた4人でしたのですが、そもそもの問題意識に大きな隔たり がありましたね。私は(学生がありのままの姿を出せない)日本の就職の仕組みを変えたい、でも他のメンバー は就職活動すらしたことがない(笑)。そこで僕は徹底的に彼らと話し合いました。自分のコンセプトを共有する ために、それこそ毎日4時間以上ミーティングを行いましたよ。とにかくこの「思い」を分かって欲しかったんです。 そして侃々諤々の議論の末、結果的にメンバーの間で「日本に新しい就職の入り口を作る」という企業理念が漸 く出来上がったんです。 それからの活動は比較的スムーズに行きました。目的意識が統一されるとこんなにもアイデアがわくのか、と 自分でも驚きましたね。ブレスト*をして、結果的にできあがったビジネスモデルが「塾JOB」なんです。 家族の反対もあったのでは? 幼稚舎から慶應で育った私でしたので、頼りないと思ったのでしょう。両親は心配し、最初は起業に猛反対され ました。しかし、何日も粘り強く説得することで、最後に漸く「そこまで強い思い」があるのならいいだろう」と許し てくれましたね。何か行動を起こす時に障害はつき物です。ただそれを乗り越えるくらいの気持ちがないと、何も 始まらないと思います。 これからの目標や夢があれば教えて下さい。 私の最終的な目標は日本の就職活動の現状を変える事です。塾JOBの今のサービス対象は慶應生だけです が、将来的には東京の大学、そしてさらに日本全国の大学の学生にまでサービスを広げたいんです。個性とは それぞれの大学らしさ、それぞれの学生らしさに宿るものだと思います。だからその「らしさ」がより自由にアピー ルできる仕組みを全国的に作って行きたいのです。 それから、実は僕は‘SWAY’というグループでバンド活動もしているんです。しかも本格的に。ボーカルを担当し ているんですが、バンド活動と「塾JOB」の活動の融合はさらにその先の夢ですね(笑)。 ブレスト*・・・「ブレーンストーミング」の略。自由な意見の出し合いを続け、問題の解決を導き出す議論の手法。 「世界」は変えられる。世界の地雷も撤去できる。 総合政策学部1年 野口豪さん (活動内容) 現在野口さんが代表を務めるPOM2( http://jirai.org/ )とは世界規模の地雷除去活動を支援する学生団体で ある。夏休みに「愛地球博」でも会場を設けてピーアール活動を行った。映像製作や来場者への訴えを通し、ス テッカー1604枚を地雷撤去作業の資金として人々の善意(寄付金)と交換することができた。貴重な体験をした 彼は、ひとつの大きなことをやり遂げるために走った時間の中で、自分でも自身の成長を実感したという。 (インタビュー) 何にでも積極的ですね。何が野口さんを動かしているのでしょうか? 「やばい」と思うこと、これこそが私を動かす潤滑油なんです。かっこいい言葉で言えば「問題意識」でしょうか。 私は「思うこと」が「動くこと」に直結している、とよく人から言われます。これは当たっていますね。この二つの間 に時間を要してしまえば、それだけ後の動きが硬くなる。何か足りない、おかしいと感じたら、私はそれを埋める 作業をいつの間にか開始しているんです。思うだけでもだめ、行動するだけでもだめ。 「思うこと」と「動くこと」は 強く結びついていると思います。 具体的には何が野口さんの「思うこと」だったのでしょうか? POM2自体は私が入学する前に設立されたのですが、地雷問題をもっと世間のみんなに知って欲しい、という 思いが強くありました。日本に住んでいる限り、地雷の恐怖に身をさらされることはまずありません。それゆえに、 日本の人々はどうしても“遠い国の問題”として地雷問題を見てしまいがちです。でも、このステッカーを手に入 れた方が地雷除去へ関心を持ち、そして行動への第一歩を踏み出すことができる。だからこそ沢山の苦労を乗 り越えて愛地球博にまで出展をしたんです。 そして私のもう一つの「思うこと」が「水」です。高校1年からシンクロに打ち込んでいるんです。水の中って幸せ なんだぁと、思いますよ(笑)。大学入学後は東京水ユースという団体の活動に参加し、昨年行われた日韓・日 中の水会議にも参加しました。日本・韓国・中国の水に興味を持つ学生が集うこの機会で、同じ思いを持つ真剣 な仲間と出会ったことが良い収穫でしたね。 「水」の大切さに気付いたのは、私が高校2年生のときに留学で訪れたパナマでのことでした。ただただ「水」を 求める貧しい老人の姿が今も私の目に焼きついているんです。シンクロなどを通して自分のまわりには当たり 前のようにあった「水」は場所が変わるとこれほどまでに貴重でかけがえのないものなのか、パナマでそう強く感 じました。だからこそそれ以降の「水」を基点にした活動が始まったんです。机上の勉強だけでは足りないんです。 目でみたものを、実際に自分の目でみた情報を注意深く見ることが必要です。自分の五感で感じたものを大切 にしたい。そしてそれを感じるために動くことを、私は厭わない。それが自分の幸せでもありますからね。 ステッカーの販売利益はJAHDS(地雷除去支援をする日本最大のNPO法人)に寄付されま すね。それが野口さんの目的ですか?あるいは本当の目的は何ですか? ステッカーを売って寄付金を作ることが終着点ではなく、それが始まりであるということ。ステッカーを手にした 人が今度は発信源となり、本人が周りを巻き込んで地雷除去への関心を高めて行く。日本全国、ひいては世界 各地で地雷除去への関心の輪が広まれば、現在推定1億個とも言われている地雷除去も夢ではないのです。 「世界は変えられる」というのが私の持論です。しかし動くだけではなく頭を使わなくてはならない。与えられた 時間の中で体も、心も、頭がフルに動いている状態でこそ良い結果が生まれると実感しています。 Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 フェアトレードへかけた思い 総合政策学部1年 中山真理子さん (活動内容) 中山真理子さんは現在「SFCをフェアトレード*キャンパスに」をキャッチフレーズにマヤビニック・ジャパン(MVJ) *に所属したり、友人と協力するなどして様々な活動を行っている。彼女たちの頑張りの甲斐あって、今年4月か らSFCの生協でフェアトレードのコーヒー、チョコレートなどが販売されることになっている。彼女は9月からカナ ダへの交換留学が決まっており、国際開発学部で学ぶ予定だ。 (インタビュー) フェアトレードは途上国現地との調整などとても大変そうな活動ですね。 それを始めたきっかけは何ですか? 入学したての春学期が正直つまらなかったんです。入学してからの自分にはどのような能力をつける必要が あるのか、それを得るにはどうしたらいいのか、ただただ考えるだけの毎日でした。今思えば考え方が建設的 じゃなかったのでしょう。何事も自分で変えていかなければいけないのに、と今だからこそ思います。 私のもともとの興味は、国際保健や、公衆衛生、そして国際開発教育などでした。 そんな私が、フェアトレード に興味を持ったきっかけは、「FAIR」という言葉でした。 日本語だと、「公平」と訳されるこの言葉。 南北問題な どに始まり、不平等なことが多いこの地球上で この「fair trade=公正な貿易」とは何がどう、Fairなのか? という 疑問を持ったことが私のMVJに参加するきっかけでした。 友人2人と呼びかけ新たに「SFCをフェアトレードキャンパスに」を目標に活動を始めたのですが、心の拠り所と なったのは井上英之研究会でした。「まずは一歩でも行動に移してみる」、これが井上研究会のスタンスです。 私の悩み、迷いをまるで自分のことのように考え、様々な視点から意見をくれる先生とメンバーたち。自分を応 援してくれる場を得た私は積極的に自分のやりたいことを現実化していきました。その結果「やろうと思ったらと りあえずやってみよう」という姿勢ができ、気付かないうちに、自分のやりたかったこと(まずは身近なSFCのキャン パス内でフェアトレードを通じ世界の現状を知ってもらうきっかけを作る こと)に没頭していましたね。 なかなかそこまで大きな行動をとれない学生も多いと思いますが。 私の場合、小さなことでもいいから身近なこと、楽しいこと、自分にできることをまずやりたかったんです。だか ら「とりあえずやってみよう」と生協前のテントでフェアトレード商品を販売しました。ちょっとおもしろいと思ったら やってみること、「何か変わるかもしれないじゃない?」そんなノリでまずやってみることも大切です。 「自分が幸せでないと、他の人を幸せにすることはできない」とも自分の体験を通して改めて気が付くことができ ました。だから自分の感じる楽しさを大切にしています。「自分が楽しいと思うことへより多く触れること」、「楽し いと思ったことをやり続けること」、これが私のモットーです。 9月からはカナダへ留学するとのことですが、何のために留学をしますか? 「世界からなぜ貧困問題がなくならないのか」という疑問に答えるために国際開発学を勉強することが目的で す。自分の知らない価値観にふれたり、異国で一人暮らす事は将来的に 自分に良い影響を与えると思ってい たのでずっと留学したいなと考えていました。そして他の国の学生達は今の世界についてどう感じている のか 知りたいと思ったことも理由のひとつです 。留学先では色々な苦労があると思いますが、ひとまわり大きい自分 になって帰国したですね。 フェアトレード*・・・良い生産物を作っているにもかかわらず、商品を流通・販売する仕組みを持たない発展途上国の地域と協力して、現地 の生産物を輸出・商品化・販売などを行い、利益を還元させる活動。 マヤビニック・ジャパン(MVJ)*・・・2004年にSFCの山本純一研究会において立ち上がったフェアトレード組織でメキシコ・チアパス地方の 生産者組合「マヤビニック」のコーヒー豆の販売等を手がける。毎年数人の学生が組合との交渉のため現地に飛ぶ。現在は山本純一研究 会とは別組織として運営。 http://mayavinic.sfc.keio.ac.jp/ Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 SFCで得たこと、それは自分の中の軸。今の仕事の軸。 朝日新聞社(株) 広告局 勝間田桂子さん (2000年 環境情報学部卒) (活動内容) 「広告局は、企業、官庁から個人に至るさまざまな広告主に対して、多くの読者に支えられた優れた媒体力を アピールしながら、広告募集の営業活動を行い、申し込まれた広告を日々発行される新聞紙面に掲載していく 業務を担当しています。」(朝日新聞社HPより)勝間田さんは、 社内では“純広”と呼ばれる上記の仕事、そして イベントの企画・運営とその告知・報告紙面等、“企画制作”の紙面広告を提案し掲載する仕事の2点をメインの 仕事としている。午前中は、メール処理と、メールや電話で来る原稿の依頼に対し、どの面に載せるかを考え、 料金の見積もりを行う。午後は勝間田さんの現担当業種“各種学校”(専門学校、カルチャースクール、塾、予備 校など)と広告業者を訪問し、イベントや広告などのニーズのヒアリングを行う。時には号外の作成・配布も行う。 企画制作の広告を作るに当たり、それに関係する取材や撮影の場に立ち会うこともある。例えば、“家庭用品業 界”の担当をしていた頃は、おもちゃや洋服の新作発表会にも参加した。そして、夕方は提携企業の“朝日担当 者”と呼ばれる広告会社の担当者と打ち合わせをしたり、記事や報告書を書いたり、一日のまとめを行う。 (インタビュー) “新聞社”というと漠然と内向的イメージがあったのですが、一日のほとんどは社外で過ごし ていらっしゃるのですね。勝間田さんにとって、今の仕事のやりがいは何でしょうか? 現代社会が持つ問題が何かを捉え、それを社会に対してイベントという形で訴えかける、またはイベント報告 を記事にして紙面で訴えかけられることでしょうか。例えば、養老孟司さんをお招きして、学生を対象に講演会を 開催したり、少子化時代ゆえに新婚夫婦を対象に、互いに協力し合う子育てのアドバイスイベントを開催したり。 朝日新聞社という大きな影響力を持つ会社だからこそ、大きなインパクトを社会に与える機会が作れます。それ は、私にとってとても大きなやりがいですね。 まさに“問題発見・問題解決”というSFCの根幹を成す重要な概念に基づいているのですね。 SFCで得た経験や生活の中で、今活きていると思う事は他にありますか? SFCってグルワが多いですよね。そこから得たものが沢山あります。例えば、みんなで取り組むことの大切さ、 面白さ。そして何よりも、そこで共に頑張った仲間とのつながりは、今でもとても大切なものです。最近でもメン バーでよく集まったりするんですよ。それと、CGアニメーションの研究会で学んだことは、今の私の軸でもあり仕 事の軸にもなっています。それは、ものを作ること=“作り甲斐”。どうすれば自分の考えや想いが相手に伝わる かという“表現方法”。自分次第で想いを形にすることが出来るという“企画力”。これらは全て、今の私の軸と なって活きています。何気なく入った研究会ですが、ここでの経験で私は大きく成長できました。皆さんも研究会 に積極的に参加することをお勧めしますよ。 SFCで得たことを今に活かせるというのは、素敵なことですね。 それは、勝間田さんが学生のうちから将来について考え、計画していたからなのでしょうか? いいえ。それはないです(苦笑)。好き嫌いせず色んな事にチャレンジする中で、自分の好きなこと・やりたいこ とをちゃんと見極めることが出来れば、自分の“軸”が段々と見えてくると思います。その“軸”を大切にしていけ ば、社会に出た時に自然とそれを活かせるようになると思います。私はそうでした。学生の間は、自分の好きな ことが何かを見つけて、自分の“軸”を確立していく事が大切だと思っています。 仕事の世界で自分の思い描いたことを実現するのはとても大変なことです。特に若いうちは希望通りの仕事を そのままできるということはほとんど無いですね。私は転職も経験しましたが、その“軸”があったからこそ、やり がいある今の仕事にめぐり合えたと思います。 Interview ―頑張るSFC 生と先輩達 頑張るSFC生と先輩達 学生時代の経験が実を結ぶ−可能性を広げよう− 富士ゼロックス(株) 販売本部 SE部 大山玄太郎さん (2003年 環境情報学部卒) (活動内容) お客様の課題を分析し把握する、その課題解決のためのシステムを提案し、設計・構築・導入までを担当する のがSEの仕事。ネットワーク技術やWEB知識、データベース知識などのコンピュータ全般の基礎知識や強い関 心が必要な仕事である。加えて、お客様へのサービス提供として営業と同様に相手の立場にたったコミュニ ケーションや提案活動が出来る能力が求められる。 この2本の柱が要求されるSEの仕事で、大山さんは元理工学部(環境情報学部に2年次編入)で培った“技術 面の強み、ドキュメンテーション能力”、SFCで得た“分析・プレゼンテーション能力”を駆使してSEの仕事に自分 らしさを発揮している。 (インタビュー) SFCでは何を得られましたか? 今のお仕事に学生時代の経験がどのように生きていると思いますか? SFCでは”プレゼンテーション力”を身につけることが出来たと思います。「どんな目標が背景にあって、達成の ために自分の考えを言葉や紙におこす事、もっと言えばいかに人と協力して活動をできるか」ということです。研 究会や授業でのグループワークで鍛えられて得たそんな力は今の仕事に通じるものがあります。また、SFCと は直接関係ありませんが、理工学部でのレポートの書き方は客観的で、事象を分析し、要件をまとめあげる力 をつけることが出来ました。 学業に加えてインターネットゲームで英語スタッフとしてクレーム対応をしていました。毎日毎日怒ったアメリカ 人と英語を駆使してリアルタイムで問題を解決するのは貴重な体験でした。幼い頃の経験や、些細な趣味など、 どんな事でも今の自分の仕事の仕方に繋がると思うし、繋げた方が仕事は豊かになると思います。 社会に出る上で専門知識が必要なのでしょうか? 学生時代にやっておくべきことはありますか? 例えば将来プロジェクトマネージャーになりたいと思っていても、社会に出てすぐにプロジェクトマネージャーに なれる経験を大学で身に付けられるかというとそうではありません。社会に出るために今から何をやるかももち ろん大事ですが、自分がやってきた事がプロジェクトマネージメントにどういかせるか関連付けが出来る人間は 強いと思います。専門性を身につけるのも良し、いろいろな可能性に挑戦することが大切だと思います。学生時 代に学生という特権をいかしてインターンシップなどを通して社会に出て行くことも良い方法ではないでしょうか。 常に自分や人の行動に”WHY?”と問いかけること、自分なりの見解を持つ事によって、学生生活がより充実し たものになると思います。「なぜ自分はこれをしたいのか、何のために動くのかを考えて行動する」、という行動 様式が学生時代に身に付いているかどうかで仕事をした時の成長が全く違います。間違っていても問題ありま せん、「自分は∼だと思って行動いた。でも実際は違った。」という事が解ればより良い見解へとブラッシュアップ されるはずです。 SFCの学生へメッセージをお願いします。 学生でも社会人でも何かに対して100%準備万端という事は有り得ません。常に手駒は足りなくて、常に満たさ れない中でいかに手持ちのもので創意工夫するかが重要です。「時間があれば幾らでもいいものが作れる」中 で、納期という制限があり、「80%の力でいい物を作る」ような事を求められます。自分がやってきたことに新たに 意味を見出したり、違う光をあてて考え直すことが重要なのです。社会に出ると自分を「忙しくしてしまい」、だら だらと反省もできないまま過ごしてしまう事もできてしまいます。学生という免罪符をフルに使って色々な世界に 顔をつっこんで、がんばってください!
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