創世記第三章以降の罪を犯し た人類の歴史についての学び 山岸登師

それはアダムの子孫全体の
ころ、町の外の井戸のところに、ららららら しかも、
くだを伏させた。そうして言った。 中からなのです。
﹁私の主人アブラハムの神、 主主主主主よ。 イスラエル民族は、御子がこの世
れる時、
御子と共に世界を支配すべ
界の王となられて全世界を支配さ
き ょ う 、私 の た め に ど う か 取 り 計
らってください。私の主人アブラハ
し、教会は御子の花嫁として、御子
き民族として選ばれています。
しか
ムに恵みを施してください。ご覧く
ださい。私は泉のほとりに立ってい
教会の特別な使命と身分とを聖書
れた者たちです。
ます。この町の人々の娘たちが、水水水水水 の特別なる愛の対象となるために
それを構成す
を汲みに出てまいりましょう。私が 選ばれているのです。
イスラエル人の中から
娘に﹃どうかあなたの水がめを傾け る者たちは、
て私に飲ませてください﹄と言い、 も、異邦人の中からも、特別に選ば
その娘が﹃お飲みください。私はあ
なたのらくだにも水を飲ませましょ
嫁を獲得しようと決められました。
御子と共に永遠の愛を分かち合う花
アブラハムは、しもべにイサクの
(1)
創世記第三章以降の罪を犯し
た人類の歴史についての学び
山岸登師
ナホルの町へ行った。彼は夕暮れ
時、女たちが水を汲みに出て来る
もの下に入れ、このことについて う﹄と言ったなら、その娘こそ、あああああ から理解することができない者た
イスラエルの民と教会とを混
彼に誓った。しもべは主人のらく なたがしもべイサクのために定めて ちは、
教会を霊的イスラエルである
だの中から十頭のらくだを取り、 おられたのです。このことで私は、 同し、
そのような
そして出かけた。また主人のあら あなたが私の主人に恵みを施された と言ったりしています。
﹂﹂﹂﹂﹂ 人々が著した書物がかなり多く出
ゆる貴重な品々を持って行った。 ここここことととととををををを知知知知知るるるるるここここことととととがががががででででできききききままままますすすすすよよよよようううううににににに。。。。。
版されていますので、
注意が必要で
彼は立ってアラム・・・・・ナハライムの
父
な
る
神
は
御
自
分
の
御
子
の
た
め
に
、
す。
︵九∼一四節︶
それでしもべは、そそそそそ
の手を主人であるアブラハムのも
第二十四章九節から Maranatha August
花嫁を彼女の出身地から連れ出し
て来るように命じ、
イサクを決して
彼女の地に連れて行ってはならな
いと命じました。
これは重要な真理
の型です。
キリストの花嫁である教
んですか。
どうか私に言ってくださ
い。あなたの父上の家には、私ども
シェケルの二つの金の腕輪を取り、
尋ねた。
﹁あなたは、どなたの娘さ
黙って彼女を見つめてい
の 妻 ミ ル カ の 子 ベ ト エ ル の 娘 で 知ろうと、
あった。この娘は非常に美しく、処処処処処 た。らくだが水を飲み終わったと
女で、男が触れたことがなかった。 き、その人は、重さ一ベカの金の飾
り輪と、彼女の腕のために、重さ十
彼女は泉に降りて行き、
水がめに水
を満たし、そして上がって来た。ししししし
そそそそそ
会を構成する者の一人として選ば もべは彼女に会いに走って行き、
れた者は、世から離れるべきです。 して言った。
﹁どうか、あなたの水
キリストの花嫁を構成する者は、 がめから、
少し水を飲ませてくださ
です。
リベカがイサクの妻になるよ
いいいいい。。。。。
﹂﹂﹂﹂﹂すると彼女は、
﹁どうぞ、お飲 が 泊 め て い た だ く 場 所 が あ る で
﹂﹂﹂﹂﹂彼女が答えた。
みください。
だんなさま﹂
﹁私はナ
と言って、 しししししょょょょょうううううかかかかか。。。。。
すばやく、
その手に水がめを取り降 ホルの妻ミルカの子ベトエルの娘
ででででですすすすす。。。。。
﹂﹂﹂﹂﹂そして言った。
﹁私たちのと
ころには、わらも、飼料もたくさん
うに選ばれていたことは、
キリスト
ろし、彼に飲ませた。彼に水を飲ま
せ終わると、彼女は、
﹁あなたのら
それにまたお泊まりにな
あります。
るるるるる場場場場場所所所所所もももももああああありりりりりままままますすすすす。。。。。
﹂﹂﹂﹂﹂そこでその人
を信じ、
キリストの花嫁を構成する
くだのためにも、
それが飲み終わる
まで、水を汲んで差し上げましょ
は、
ひざまずき、主主主主主を礼拝して、
言っ
た。
﹁私の主人アブラハムの神、主主主主主
のです。
に、
キリストを信じることができた
は信じるように選ばれていたため
選ばれていることの型です。
私たち
一員とされる者たちが神によって
う﹂と言った。彼女は急いで水がめ
の水を水ぶねにあけ、
水を汲むため
主主主主主はこの
をお捨てにならなかった。
私をも途中つつがなく、
私の主人の
がほめたたえられますように。
主は
私の主人に対する恵みとまことと
︵一五∼二七節︶
こうして彼がまだ にまた井戸のところまで走って行
その全部のらくだのために水を
言い終わらないうちに、見よ、リベ き、
カが水がめを肩に載せて出て来た。 汲んだ。この人は、主主主主主が自分の旅を
リベカはアブラハムの兄弟ナホル 成功させてくださったかどうかを
(2)
天地創造の前から選ばれた者たち
マラナ・タ 8月号
兄兄兄兄兄弟弟弟弟弟ののののの家家家家家ににににに導導導導導かかかかかれれれれれたたたたた。。。。。
﹂﹂﹂﹂﹂
リベカがアブラハムのしもべに示
した素直さ、
従順さは彼女が選ばれ
た者であることのしるしでした。
リベカは、アブラハムの弟ナホル
の孫でした。
すなわち彼女の父親ベ
トエルはイサクの従兄弟です。 神
でその人は家の中に入った。
らくだ
の荷は解かれ、
らくだにはわらと飼
のですか。私は家と、らくだのため
ののののの場場場場場所所所所所ををををを用用用用用意意意意意しししししててててておおおおおりりりりりままままますすすすす。。。。。
﹂﹂﹂﹂﹂それ
主主主主主に祝福され
うぞおいでください。
た方。
どうして外に立っておられる
。﹁ど
立っていた。
そこで彼は言った﹁
。
の男の子を主人に産み、
主人はこの
子に自分の全財産を譲っておられ
私の主人の
をお与えになりました。
妻サラは、年をとってから、ひとり
人は富んでおります。主は羊や牛、
銀や金、男女の奴隷、らくだやろば
主主主主主
人を大いに祝福されましたので、
ます。私の主人は私に誓わせて、こここここ
う申しました。
﹃私が住んでいるこ
(3)
は、
アブラハムのしもべをアブラハ 料が与えられ、彼の足と、その従者
ムの親族の家に導かれたのでした。 たちの足を洗う水も与えられた。
と言われて、彼は言った。
﹁私はア
主主主主主は私の主
ブラハムのしもべです。
遣わし、
あなたの旅を成功させてく
ださる。あなたは、私の親族、私の
信仰のないラバンが人を判断する の土地のカナン人の娘を私の息子
︵二八∼三二節︶その娘は走って
あなた
人が持っている財産の大き の妻にめとってはならない。
行って、自分の母の家の者に、これ 基準は、
は私の父の家、
私の親族のところへ
らのことを告げた。
リベカにはひと さです。ラバンは、妹がアブラハム
行って、
私の息子のために妻を迎え
その名をラバンと のしもべからもらった金の鼻飾り、
りの兄があって、
﹄﹄﹄﹄﹄そこで私は主
なななななくくくくくてててててはははははななななならららららななななないいいいい。。。。。
言った。
ラバンは外へ出て泉のとこ 腕輪を見てアブラハムのしもべを
。﹃もしかすると、そそそそそ
人に申しました﹃
。
ろ に い る そ の 人 の も と へ 走 っ て 家の中に迎え入れたのです。
の女の人は私について来ないかも
行った。
彼は鼻の飾り輪と妹の腕に ︵三三∼四九節︶それから、彼の前
しししししれれれれれままままませせせせせんんんんん。。。。。
﹄﹄﹄﹄﹄すると主人は答えま
ある腕輪を見、また、
﹁あの人がこ に食事が出されたが、彼は言った。
。﹃私は主の前を歩んできた。そそそそそ
した﹃
。
う私に言われました﹂
と言った妹リ ﹁私の用向きを話すまでは食事をい
ののののの主主主主主が御使いをあなたといっしょに
ベカのことばを聞くとすぐ、
その人 たたたたただだだだだきききききままままませせせせせんんんんん。。。。。
﹂﹂﹂﹂﹂
﹁お話しください﹂
のところに行った。すると見よ。そそそそそ
の人は泉のほとり、
らくだのそばに
Maranatha August
水を汲んであげましょう﹂
と言った
なら、その人こそ、主主主主主が私の主人の
す。その人が私に、
﹁どうぞお飲み
ください。
私はあなたのらくだにも
なら、私は、あなたの水がめから少
し水を飲ませてください、
と言いま
ださい。
私は泉のほとりに立ってい
ます。
おとめが水を汲みに出て来た
がここまで来た旅を、
もしあなたが
成功させてくださるのなら、
ご覧く
父の家族から、
私の息子のために妻
を迎えなければならない。
次のよう
神、主主主主主を賛美しました。主は私の主
人の兄弟の娘を、
主人の息子にめと
した。そうして私はひざまずき、主主主主主
を礼拝し、私の主人アブラハムの
ました。
そこで私は彼女の鼻に飾り
輪をつけ、
彼女の腕に腕輪をはめま
いますと、
﹃ミルカがナホルに産ん
だ子ベトエルの娘です﹄
と答えられ
、﹃あ
てくださいました。
私が尋ねて﹃
、
なたはどなたの娘さんですか﹄
と言
に行き、
もしも彼らがあなたに娘を を飲ませてください﹄と言うと、急急急急急
与えない場合、そのとき、あなたは いで水がめを降ろし、
﹃お飲みくだ
﹄﹄﹄﹄﹄
私私私私私ののののの誓誓誓誓誓いいいいいかかかかかららららら解解解解解かかかかかれれれれれるるるるる。。。。。
きょう、私私私私私 さい。
あなたのらくだにも水を飲ま
は泉のところに来て申しました。 せましょう﹄と言われたので、私は
私私私私私 飲みました。
﹃私の主人アブラハムの神、主主主主主よ。
らくだにも水を飲ませ
なときは、
あなたは私の誓いから解
かれる。
あなたが私の親族のところ
るために、
私を正しい道に導いてく
ださったのです。それで今、あなた
て、泉のところに降りて行き、水を
汲みました。それで私が﹃どうか水
わらないうちに、どうです、リベカ
さんが水がめを肩に載せて出て来
うに神によって定められているこ
したか、
その結果リベカが主人アブ
めにどのような条件を出したか、
リ
分がどのような祈りを神にささげ
主人からどのような命令を受けて
自分がアブラハムのしもべである
を自分は負っているので、
先ずそれ
それによって、
私は右か左に向かう
ここここことととととににににになななななるるるるるでででででしししししょょょょょううううう。。。。。
﹂﹂﹂﹂﹂
言ってください。そうでなければ、
そうでないと私に言ってください。
がたが私の主人に、
恵みとまことと
を施してくださるのなら、
私にそう
べることよりももっと大切な責任
を果たさなければならないと言い、
こと、そこに遣わされた目的、また
来たか、井戸の傍らに着いた時、自
たか、
自分が神のみこころを知るた
ベカがその条件をどのように満た
ラハムの息子イサクの妻となるよ
(4)
アブラハムのしもべは、夕食を食
息子のために定められた妻であり
﹄﹄﹄﹄﹄私が心の中で話し終
ままままますすすすすよよよよようううううににににに。。。。。
マラナ・タ 8月号
ださい﹂と言った。すると彼女の兄
と母は、
﹁娘をしばらく、十日間ほ
なって、彼らが起きると、そのしも
べは
﹁私の主人のところへ帰してく
日間ほど家族とともに過ごさせて
出発すると言い出しました。
それに
するとその翌朝、アブラハムのし
れば、
イサクとリベカの結婚が決ま
くれと頼みましたが、
アブラハムの
対して彼女の兄と母がリベカを十
もべは目を覚ますと直ちに、
その日
婚は決まりました。
ると告げました。
ど、
私たちといっしょにとどめてお
き、それから後、行かせたいのです
しもべは、
その日の内に出発すると
とが確実であることを詳細に説明
︵五〇∼五八節︶
するとラバンとベ
トエルは答えて言った。
﹁このこと
が﹂と言った。しもべは彼らに、
﹁私
主主主主主
が遅れないようにしてください。
カは直ぐに出発すると明瞭に発言
しました。
ベカが自分の心をイサクに結びつ
じた者が、直ちに世から分離し、リ
(5)
し、
後はリベカの親がそれに同意す
ははははは主主主主主から出たことですから、
私たち
はあなたによしあしを言うことは
が私の旅を成功させてくださった いう主張を引っ込めませんでした。
のですから。
私が主人のところへ行 そこで彼らは仕方がなしにリベカ
リベ
けるように私を帰らせてください﹂ の意見を聞くことにしました。
と言った。彼らは答えた。
﹁娘を呼
び寄せて、
娘の言うことを聞いてみ
できません。ご覧ください。リベカ
はあなたの前にいます。
どうか連れ
﹂﹂﹂﹂﹂アブラハム
妻妻妻妻妻とととととなななななりりりりりままままますすすすすよよよよようううううににににに。。。。。
のしもべは、
彼らのことばを聞くや
ままままましししししょょょょょううううう。。。。。
﹂﹂﹂﹂﹂それで彼らはリベカを
アブラハムのしもべの意見は、神
リベカ
呼び寄せて、
﹁この人といっしょに のみこころを示しています。
行くか﹂と尋ねた。すると彼女は、 の兄と母親の意見はこの世に属す
けたように、
私たちが自分の心を世
る肉の考えです。
神は主イエスを信
金の品物や衣装を取り出してリベ ﹁はい。まいります﹂と答えた。
アブラハムの提案にリベカの兄ラ
カに与えた。また、彼女の兄や母に
この結婚が神
も貴重な品々を贈った。それから、 バンと父ベトエルは、
から切り離して、
キリストに結び付
いなや、
地にひれ伏して主主主主主を礼拝し
た。そうして、このしもべは、銀や
から出たことであるからという理
このしもべと、
その従者たちとは飲
み食いして、そこに泊まった。朝に
由で賛成しました。それで、その結
て行ってください。 主主主主主が仰せられ
たとおり、
あなたの主人のご子息の
Maranatha August
歩み始めました。
これがクリスチャ
カは、
直ちに新しい希望に向かって
けることを求めておられます。
リベ
じ、
アブラハムのしもべを信頼して
サクが自分を待っていることを信
間、
リベカはまだ見たことのないイ
はかかったと考えられます。その
リベカを連れて行き、
リベカをめと
り、彼女は彼の妻となった。彼は彼
た。イサクは、その母サラの天幕に
女を愛した。イサクは、母のなきあ
と、慰めを得た。
ンにあるべき姿です。
イサクに会う日を望み見ながら旅
しもべとその従者たちといっしょ
に送り出した。
彼らはリベカを祝福
彼はネゲブの地に
帰って来ていた。
住んでいたのである。
イサクは夕暮
︵六二∼六七節︶そのとき、イサク
は、ベエル・・・・・ラハイ・・・・・ロイ地方から
サクは、母︵サラ︶のなきあと、慰
がイサクであると教えられました。
した。
前方に何かを待っている様子
イサクもリベカを待っていたので
して言った。
﹁われらの妹よ。あな
たは幾千万にもふえるように。
そし
れ近く、野に散歩に出かけた。彼が
ふと目を上げ、見ると、らくだが近
も意味があります。
を続けたのです。
て、
あなたの子孫は敵の門を勝ち取
るるるるるよよよよようううううににににに。。。。。
﹂﹂﹂﹂﹂
づいて来た。リベカも目を上げ、イイイイイ
サクを見ると、らくだから降り、そそそそそ
上の御死の型が語られています。
第
主イエスを十字架につけた後も、
罪
と語っています。
イスラエルの民は
は、
イスラエルの民が神の妻である
の死が語られています。旧約聖書
二十三章では、
アブラハムの妻サラ
第二十二章では主イエスの十字架
めを得た。
﹂という孤立した聖句に
イサクはリベカを迎えました。﹁イ
のひとりの男が見えました。
その男
す。
リベカも旅が終わりかけていま
リベカとその侍女たちは立ち上が
り、らくだに乗って、その人のあと
して、しもべに尋ねた。
﹁野を歩い
てこちらのほうに、
私たちを迎えに
て身をおおった。
しもべは自分がし
てきたことを残らずイサクに告げ
(6)
︵五九∼六一節︶そこで彼らは、妹妹妹妹妹
リベカとそのうばを、
アブラハムの
について行った。こうして、しもべ
はリベカを連れて出かけた。
れます。
ですからこの旅は二ヶ月間
三十キロメートルであったと思わ
﹂﹂﹂﹂﹂しもべ
カナンの地までは一千キロメート 来来来来来るるるるるあああああののののの人人人人人はははははだだだだだれれれれれででででですすすすすかかかかか。。。。。
ル以上あります。
ラクダに乗って歩 は答えた。﹁あの方が私の主人で
﹂﹂﹂﹂﹂そこでリベカはベールを取っ
くのですが、一日に進む距離は二、 すすすすす。。。。。
マラナ・タ 8月号
神のみこころこそ善、かつ喜
ばしく、完全であることを実
証し続けよ。 前田大度師
た。 続く
ストの花嫁である教会が現れまし
が神によって退けられた後に、
キリ
カが登場しました。
イスラエルの民
ました。そして、第二十四章でリベ
を悔い改めず、
神から離れてしまい
トを信じることによって、地獄の苦
に、クリスチャンの中には、キリス
おられます。ところが残念なこと
おられ、
世から離れるように命じて
に世を愛してはならないと語って
いるでしょうか。
神はクリスチャン
すばらしいものであると確信して
ちは果たして、
神のみこころが実に
るようにと命じておられます。私た
しく、
完全であることを実証し続け
て、神のみこころが善であり、喜ば
ここで、
私たちクリスチャンに対し
マオ訳で理解してください。神様は
はずいぶん訳が異なるので、ぜひエ
この箇所は新改訳とエマオ訳とで
交わりの中に生きています。
この世
いる霊に従って、歩んで﹂悪霊との
て今も不従順の子らの中に働いて
は、﹁空中の権威を持つ支配者とし
す。神との交わりを絶たれた彼ら
の罪過と罪との中に死んで﹂ いま
も、実際のところ、彼らは、
﹁自分
た生き方をしているように見えて
不信者たちは人生を楽しみ、
充実し
しかし、
これは大きな間違いです。
れているのです。 人々の姿を見て、
心の中ではあこが
仕事、これらに熱中している世の
音楽、勉強や恋愛、やりがいのある
いと感じているのです。
スポーツや
の形に同化させられてはいけませ
ん。むしろ、あなたは思考の方向を
完全に新たにすることによって、
自
分自身を変えられなさい。
そうする
ことによって、
神のみこころがどの
ようであるかを、
すなわち神のみこ
ころこそ善であり、
かつ喜ばしいも
のであり、
完全であるということを
実証し続けなさい。
﹂
︵ローマ一二
二︶
ならないのかと不満に思っている
喜ばしい人生をあきらめなくては
喜ばしいのであるが、
なぜこの世の
しみを免れることができたことは
るように、
﹁愚かな者であり、不従
はありません。
どれほど体面よく見
一握りですが︶
、決して喜びや満足
得ても
︵それを得られる人はほんの
で成功を収め、名誉・財産・地位を
せても、
実際の姿は神様のおっしゃ
者がいるようです。彼らは、この世
: の人たちの生き方の方がすばらし
﹁そして、あなたがたは、この時代
Maranatha August
(7)
語した口はもはや何も語ることが
という間に終えて、かつて大言壮
は何でしょうか。短い人生をあっ
かも、彼らの最後に待っているの
あり、互いに憎み合う者﹂です。し
ねたみの中に生活し、憎まれ者で
欲情と快楽の奴隷になり、悪意と
順で、迷った者であり、いろいろな
告し、
人々を神への信仰に立ち返ら
亡が近づいていることを人々に警
者エリシャは、
イスラエルの国の滅
でした。そのような情勢の時、預言
く、平穏、無事と言ってもよい状態
イスラエルの国は、
大きな問題もな
女は、彼を呼び止め、屋上の部屋を
エリシャが歩いて来るのを見た彼
として使ってもらうためでした。
しました。
エリシャにそこを休憩所
築し、寝台も置き、机と椅子も用意
許可を得て、
彼女は屋上に部屋を増
活動には関心を持っていましたが うになりました。それで、彼女は彼
信仰がありませんでした。しかし、 に親切を示したくなりました。
夫の
でした。
ヨラムは預言者エリシャの
見せ、
そこで休憩してくれるように
いくのです。 次号に続く
りであり、無価値で、すぐに滅びて
は立派そうに見えても、全てが偽
映画の撮影現場のように、遠目に
です。
﹂まさに、張りぼてで作った
のでしょうか。﹁彼らの最後は滅び
立たなくなり、彼らはどこへ行く
う。
﹂と疑問を持ち、よく見ている
処に、何をしに、通って行くのだろ
た。
﹁あの人は何者なのだろう。何
付きました。それはエリシャでし
に向かって歩いて行くことに気が
年輩の男性が家の前の道をどこか
しでした。彼女は、しばしば一人の
どもがなかったので、
夫と二人暮ら
裕福な女性がいました。
彼女には子
そのような時、シュネムに一人の
かと尋ねると、彼女は、自分が人々
いたいので、
何か欲しいものがない
した。彼は彼女に、彼女の親切に報
な信仰を持って欲しかったからで
た理由は、彼女に何とかして、真実
エリシャが彼女の親切を受け入れ
うとしました。
彼の預言者としての働きに報いよ
に、
飲み物や、
軽い食事まで用意し、
の親切を受け入れました。
彼女は彼
頼みました。
エリシャは喜んで彼女
預言者であるに違いないと思うよ
できなくなり、力をふるった腕も
せようとしていました。
第二列王記第四章八節から三
七節までより 山岸登師
内に、
彼女はその貧しそうな人物が
(8)
やせ衰え、頭に蓄えた知識も役に
この時のイスラエルの王はヨラム
マラナ・タ 8月号
齢に達していました。
子どもが与え
喜んだに違いありません。
子を産みました。
彼女と夫は非常に
した。しかし、彼女は妊娠し、男の
れを冗談として、
本気にしませんで
いる。
﹂
と預言したところ、
彼女はそ
の今ごろ、
あなたは男の子を抱いて
いないことを知って、彼女に﹁来年
た。ところが彼は、彼女に子どもが
で欲しいものは何もないと答えまし
との交際を楽しんで満足しているの
畑に出ていました。その子にとっ
層献身的な信仰者に変える手段を
ておられませんでした。彼女を一
のような彼女の信仰で神は満足し
女は満足していたでしょうが、こ
順調に進んで行っていました。彼
ちとの交際も、彼女の夫の仕事も
わらず親切でした。彼女の、
友人た
した。彼女はエリシャに対して変
ら自身はそれに気が付きませんで
いたと考えられます。もちろん、
彼
た。
何か異常事態が起きたことを察
と一緒に麦の刈り入れのために、 は、
エリシャの足にすがりつきまし
神は用意しておられました。
したエリシャは、
彼女に男の子は無
で走れば約一時間で行けたでしょ
〇キロありました。
その若者が全力
住んでいたカルメル山までは約三
じました。
シュネムからエリシャが
若者にそれを引いて走るように命
ばに鞍を付け、彼女はそれに乗り、
シャのベッドに寝かせ、
すぐに雌ろ
シャのための小部屋に運び、 エリ
彼女は早速その子を屋上のエリ
は死んでしまいました。
介抱していましたが、昼頃、その子
われます。恐らくその男の子は、彼
よりも大切な宝物になっていたと思
ます。
この夫婦にとってその子は何
びがどれほどであったかが想像でき
親のところに連れて行くように頼
者にその子を抱いて、家にいる母
叫び始めました。父親は直ぐに若
が急にその子が﹁頭が、頭が。
﹂と
しみであったのでしょう。ところ
ることを認めたくなかったのです。
くれると信じて、
その子が死んでい
シャが必ず、
その子を生き返らせて
ではなかったのです。彼女は、エリ
です。
﹂と答えました。それは、嘘
事かと尋ねました。彼女は、
﹁無事
子どもを産むことがかなり難しい年
彼女の夫はかなりの歳で、彼女も
られることを諦めていた時に、
子ど
て父親の働きを見物することは楽
らにその子を与えてくださった神よ
みました。
母親は、
その子を抱いて
う。
エリシャのところに着いた彼女
もが産まれたのですから、
彼らの喜
りも、
いっそう大切な存在になって
ある日、幼いその男の子は、父親
Maranatha August
(9)
エリシャに彼女の家まで来て欲し
ださった神を一層深く恐れ、敬う者
唯一の目的とすることです。
ですか
く、
神をお喜ばせすることを生涯の
ら神はアブラハムに、
彼の一人息子
に変えられました。
以前、彼女はエリシャに与える者
いという彼女の必死の願いに応え
てエリシャは彼女の家に来ました。
を神以上に愛することを許されな
シュネムの女は、神が彼女に息子
でした。しかし、この事件の後、彼
に伏しておじぎをする者になりま
を与えることもおできになるが、
息
そして、
彼女の子が死んでいること
エリシャは、神が彼女に男の子を
した。すなわち、以前エリシャは彼
子を取り去ることもおできになる
かったのです。
お与えになったのは、
彼女を一時だ
女の親切の対象でしたが、この時か
ことを知りました。彼女はそれま
女はエリシャの足下にひれ伏し、地
け喜ばせて、
彼女から男の子を奪っ
らエリシャは、
彼女にとって神の代
で、
神が彼女にお与えになった息子
を発見しました。
て彼女を悲しませるためではない
理となりました。
シュネムの女は、エリシャの祈り
えられました。
りました。
神はエリシャの祈りに応
分の命を賭けた、
必死な祈りが始ま
あると知りました。エリシャの、自
うか。
エリシャは自分が祈ることで
を成そうとしておられるのでしょ
ぶだけでは決して満足されないと
よって地獄から救われたことを喜
さらに、神は、私たちが御子の死に
きでしょうか。神は、私たちが神か
このことから私たちは何を学ぶべ
は、
全てのクリスチャンが学ばなけ
とであることを学んだのです。
これ
はなく、
与え主でいます神御自身を 神を愛すべきであることを学び、
神
喜ぶことを求めておられるのです。 にお仕えすることが、
最も幸いなこ
ら与えられたものを楽しむことで
ればならない重要な課題であるの
も、息子を捨てたと見えるほどに、
いましたが、
息子を愛することより
を大事に育てることを喜びとして
﹁イエスは言われた。﹃真実にお前
(10)
ことを知っていました。
では神は何
を見て、
エリシャが神の預言者であ
です。
次の主イエスが語っておられ
ることは、
私たちが自分自身ではな
る真理を学びましょう。
いうことを知ることを求めておら
一度死んだ息子を生き返らせてく
できました。
それによって、
彼女は、 れます。
神が私たちに求めておられ
ることを一層強く確信することが
マラナ・タ 8月号
子どもたち、また畑を、迫害と共に
て全く祈らないなら、
全く力はあり
少ししか祈らなければ少しし
父母、子、畑を捨てた者で、今のこ を得、
そし
の世において、家、兄弟、姉妹、母、 か力を得ることができません。
︶であ
たちに言う。わたしのため、また福 ひざまずく学問︵ kneeology
多く祈るなら多くの力
音のために、自分の家、兄弟、姉妹、 るべきです。
とを合致させ、
神が信仰者の祈りに
ことではなく、
神のみこころと信者
使することである。
﹂言い換えるな
りです。
﹁しかし、主を待ち望む者
明な人でしょう。
次のみことばの通
し、いつも活用する人は、なんと賢
す。この驚くべき力を正しく評価
御手をも動かす﹂
ことのできる力で
それは、
﹁世を動かし、救いを下す
てくださると知れば、
神に願ったそ
信です。
私たちの願う事を神が聞い
と、
これこそ神に対する私たちの確
の願いを聞いてくださるというこ
ろにかなう願いをするなら、
神はそ
べたのです。﹁何事でも神のみここ
ことを念頭に置いて、
次のように述
ら、
祈りとは神のみこころを変える
ろ︶の範囲内で、自由なる意志を行
百倍、
また来るべき永遠の時代にお
ません。
神はクリスチャンひとりひ 応えて与えようとしておられるも
とりに力を与えてくださいました。 のを求めることです。
ヨハネはこの
いては永遠のいのちを百倍受けな
い者はいない。
﹄
﹂︵マルコ一〇 二:
は新しく力を得、鷲のように翼を
の事は、
すでにかなえられたと知る
のです。
﹂︵Ⅰヨハネ五:一四、
一五︶
(11)
九、三〇︶
説教者の資格 かって上ることができる。
走っても
たゆまず、歩いても疲れない。
﹂︵イ
信者は望むものを何でも祈ること
55555・・・・・説教者は祈りの人でなければ
ならない。
ザヤ四〇:三一︶
次のようにしばしば言われてきま
した。﹁神のために人々に向かって
ですからクリスチャンの祈りは、
応えるとは約束しておられません。
ができますが、神は、ご自身の絶対
なるみこころと合致しない要求に
りか無益です。神学︵
祈りのない働きは、
無力であるばか するに値します。
︶は、 ﹁祈りとは、絶対なる意志︵みここ
Theology
祈りについてのアレクサンダー・
語ろうとする者は、
人々のために神
暗記
に向かって語らなければならない。
﹂ ホワイトのすばらしい定義は、
A・P・ギブス著 前田大度師訳
Maranatha August
﹁みこころが行われますように﹂で
あるべきです。
祈りに関して二つの点から考察し
たいと思います。それは、私たちの
模範と私たちの励ましです。
Ⅰ・祈りにおける私たちの模範
ここで再び、﹁イエスから目を離さ
ないで﹂
、完全なる神のしもべとし
ら、祈りの地位と価値とを学びま
従われたと言うことです。
御父に拠
り頼む主のご生涯は、
二つの点から
明らかです。
イ( ご)自身の証によって
﹁まことに、まことに、あなたがた
に告げます。子は、父がしておられ
価値を説明されました。︵ルカ一八 :
一∼八︶
人としてのキリストを特に描いて
いる、ルカの福音書の中で、主の祈
りのご生涯の実例を数多く見いだ
すことができます。
主はバプテスマ
︵ルカ三
ることを見て行う以外には、
自分か の際に祈っておられます。
らは何事も行うことができません。 :二一︶群衆から退いて、御父とひ
ただ聞くとおりにさばくのです。
そ
の前にも祈っておられました。
︵ル
二、一三︶ペテロの信仰告白の場面
︵ルカ五
父がなさることは何でも、
子も同様 とり祈っておられました。
﹁祈りながら
わたしは、
に行うのです。 ・・・
自分か :一六︶山に登って、
、その後、十二使徒を
らは何事も行うことができません。 夜を明かし﹂
お選びになりました。︵ルカ六:一
べきなのは、
主が人として地上を歩
して、
わたしのさばきは正しいので
しょう。
私たちがいつも覚えておく
まれた際、
父のみこころに自発的に
す。わたし自身の望むことを求め
るさいやもめのたとえ話で、
祈りの
失望してはならない﹂と言われ、う
心動かされて、
﹁主よ。私たちにも
ず、
わたしを遣わした方のみこころ カ九:一八︶また、変貌山で主が
を求めるからです。
﹂
︵ヨハネ五 一: ﹁祈っておられると、御顔の様子が
変わり、御衣は白く光り輝いた﹂と
九、三〇︶
あります。
︵ルカ九:二九︶主があ
ロ( 祈)りの生活によって
る
所
で
祈
っておられ、
その祈りが終
主は、﹁いつでも祈るべきであり、
わると、
弟子のひとりがその様子に
従い、聖霊の絶対支配のもと、神の
みことばに完全に服従されたと言
うことです。言い換えるなら、主は
地上のご生涯を、受肉した神の御
子、また、人として、クリスチャン
が地上で生きるのと同じ手段で生
活されたのです。すなわち、御父に
拠り頼み、聖霊の力を受け、聖書に
(12)
て歩まれた、
主の地上でのご生涯か
マラナ・タ 8月号
しょう。︵ルカ一一:一∼四︶
主はま
には、
﹁弟子の祈り﹂と呼ぶべきで
を教えられました。
この祈りは実際
祈り﹂として知られる、美しい祈り
た。その要求に応えて、主は﹁主の
祈りを教えてください﹂
と言いまし
トは、
もう間もなく離れなければな
いないはずです。
その場面でキリス
読んで、
感動を覚えない信者は誰も
ヨハネ一七章のすばらしい祈りを
い。
︶クリスチャンは、皆、祈り深
タイ六:五∼一三を読んでくださ
間も、
祈りについて多くを語られま す。
すべての信者は祈るようにと勧
した。︵ヨハネ一四章∼一六章参照︶ められ、
また励まされています。︵マ
ました。
地上でのお働きの最後の時
くあるべきです。
イ( 日)常生活のささいな点に関し
て
祈る必要もないほどささいな事、
というのはありません。
私たちの天
の父は、﹁それがみなあなたがたに
必要であることを知っておられま
す。
﹂そして、
﹁キリスト・イエスに
あるご自身の栄光の富をもって﹂
、
それらを与えると約束しておられ
ます。
︵マタイ六:三二、三三、ピ
リピ四:一九︶
実のところ、私たちは、こう命じ
Ⅱ・祈りにおける私たちの励まし
ささげる祈りと願いによって、あな
で、あらゆる場合に、感謝をもって
られています。﹁何も思い煩わない
神のことばが一致して証している
を強調すべきでしょうか。
ことは、祈りの必要性と重要性で
たペテロのために、
﹁信仰がなくな
保持のため︵九∼一二節︶
、分離の
取りなし
らないように﹂と祈られ︵ルカ二二 らない弟子たちのために、
:三二︶
、ゲツセマネにおいては、 ておられます。主の祈りは、彼らの
:四六︶
このように、私たちの主のご生涯
は、
いつも祈りの雰囲気の中にあり
(13)
﹁わたしの願いではなく、みこころ
たちの主が、
ご生涯において祈りを
これほど強調しておられるなら、
主
手にゆだねます﹂とおっしゃって、 の足跡に従うと告白する私たちは
、
どれほど祈り
息を引き取られました。
︵ルカ二三 ︵Ⅰペテロ二:二一︶
を発せられた後、﹁父よ。
わが霊を御
そして、﹁完了した﹂
との勝利の叫び
架に釘付けにされながら、
敵のため ∼二六節︶でした。これらの事実か
私
に祈られました。︵ルカ二三:三四︶ ら導き出される教訓は明白です。
、一致のため
のとおりにしてください﹂
と祈られ ため︵一三∼一九節︶
、栄化のため︵二二
ました。︵ルカ二二:四二︶
主は十字 ︵二〇、二一節︶
Maranatha August
めて祈る必要があります。
ダビデの
スチャンは奉仕のために、
導きを求
聖別されなければなりません。
クリ
ことです。
りがクリスチャンを変えるという
が、
それよりもすばらしいのは、祈
りは物事を変える﹂と言われます
リピ四:六、七︶昔からよく、
﹁祈
エスにあって守ってくれます。
﹂︵ピ
たがたの心と思いをキリスト・イ
ての考えにまさる神の平安が、
あな
だきなさい。そうすれば、人のすべ
たがたの願い事を神に知っていた
いてこう書いています。﹁身の丈は
教父クリソストモスはパウロにつ
ハ( パ)ウロの生涯における祈りの
卓越性
に、誰かが尋ねました。
﹁どれくら
一︶説教者を必要としている教会
二三∼三一、
イザヤ四〇:二八∼三
して無駄になりません。︵使徒四:
要があります。
このような祈りは決
に、神は喜んで応えてくださいま
あります。信じて熱心に祈る祈り
三︶また、知恵を求めて祈る必要が
を伴ってください。
﹂︵詩篇三一:
なたの御名のゆえに、私を導き、私
ように、
こう祈ればよいのです。﹁あ
とパウロの書いた、
エパフラスのよ
たがたのために祈りに励んでいる﹂
ために祈ることを求めました。
ただけでなく、
信者たちがパウロの
照︶
パウロは信者たちのために祈っ
:一二、Ⅰテサロニケ一:二を参
∼一九、ピリピ一:四、コロサイ一
に仕えるためには、勇気を得、強め 重んじていたかがわかるはずです。
られ、
力が与えられるように祈る必 ︵エペソ一:一六∼二三、三:一四
す。
︵ヤコブ一:五∼七︶また、主
うな人です。︵コロサイ四:一二、
Ⅰ
読むなら、
パウロが祈りをどれほど
の書簡に記されている彼の祈りを
重要な役割を果たしました。
パウロ
な霊的高さに達するために、
祈りは
は巨人だったのです。
彼がそのよう
た。
﹂身体的に小さくとも、霊的に
三キュビトほどだが、
天にまで届い
三八︶奉仕はすべて、祈りによって
﹂彼 ︵ローマ一五:三〇、Ⅱコリント一
い。だから、収穫の主に、収穫のた い大きい説教者が必要ですか。
天 :一一、ピリピ一:一九、Ⅰテサロ
めに働き手を送ってくださるよう らは答えました。﹁ひざまずいて、
に祈りなさい。
﹂︵マタイ九:三七、 に届くほどの人が必要なのです!﹂ ニケ五:二五、コロサイ四:三︶今
日、最も必要とされるのは、
﹁あな
た。
﹁収穫は多いが、働き手が少な
キリストは弟子たちに言われまし
ロ( 主)のために行われるすべての
奉仕に関して
マラナ・タ 8月号
(14)
の信者の心に、
特別な力をもって響
き、テニーソンの次の詩は、すべて
祈りの重要性について考えると
を必要としているかを教えてくだ
きです。そして、子どもたちが、何
しょうか。
まず、
教師たちは祈るべ
ちは、どのような準備が必要で
ではそのために日曜学校の教師た
ことを信じなければなりません。
いの教理の全体を説くことが賢明
り、時間をかけて徐々に神の御救
その次にアダムとエバについて語
に神の御存在について詳しく語り、
神の創造の御業について語り、次
方が良いことは確かです。最初に
一を語って、一を理解してもらう
テモテ二:一∼四︶
くはずです。
さるように主に祈るべきです。そ
です。
せん。しかし、日曜学校は一般で言
ならないことは言うまでもありま
架の御死による救い、キリストの
ら、
死後のさばき、
キリストの十字
日曜学校の度に、 神の御存在か
ません。
て詳しく解き明かさなければなり
みことばの教師は、何回にも分け
られても理解できる人は僅かです。
に、第一章から第十六章まで教え
大人でもローマ人への手紙を一度
して、その必要に従ったメッセー
ジを与えてくださいと主に願うべ
教会建設と日曜学校︵続き︶
山岸登師
子どもたちへのメッセージ
きです。
う子供会ではありません。
ですから
復活、信仰による救い等々を全て
ちは、
聖霊が日曜学校の教師たちを
忘れてはなりません。
ですから私た
督は、
聖霊なる神であられることを
日曜学校の校長先生、指導者、監
することができません。十を語っ
子どもたちは、一度に全てを理解
もあるでしょう。
しかし、
低学年の
理全体を語らなければならない時
る人もあります。確かに救いの真
を語るべきであって、自分が作っ
霊が与えてくださったメッセージ
はなりません。ですから教師は聖
手先であることを決して無視して
聖霊であられ、教師たちは聖霊の
(15)
メッセージは分かり易くなければ
メッセージもただ単におもしろい
語らなければならないと考えてい
通して、
子どもたちのために分かり
た話を、
たといそれが面白くても、
て全く理解してもらえないよりも、
易いメッセージを語ってくださる
日曜学校の教師の教師、
指導者は
ものであってはなりません。
Maranatha August
子どもたちに向けて話すべきでは
ありません。
もし全ての教師が聖霊
の導きによって語り、
聖霊の御指導
の下に服従しているならば、
その日
曜学校によって神に御栄光が帰せ
られることは必定です。
どうか私た
ちの日曜学校が常に聖霊の働き場
ん。しかし、塾の助けがなくても主ご
自身が君を助けることもおできになり
今から、永遠の命︵永遠に価値あ
る人生︶を獲得するために信仰の戦
ば、
その知識は全く益にならないので
す。
むしろそのような知識はない方が
益であるのです。
不信仰だと言っているのではありませ
ます。日々、祈りをもって主の助けを
求めることを身に着けてください。
いを勇敢に戦ってください。全ての
クリスチャンは、賜物と召しが異
な っ て も 、 真 実 に 神 の し も べとして
献身的な信者であるべきです。
-
00960-0-57854
-
E mail:[email protected]
-
マラナ・タ 値段 一部三〇円
日曜日に礼拝を休んで模擬試験を受
けることは、
信仰から出たことではあ
りません。
すべて信仰によらないこと
は罪です。
塾の講師が君の進度が分か
らなくても、主は知っておられます。
主に頼ってください。
決して主によって用いられません。
もし君が大学に入って、何か特殊な
知識を身に着けることが主のみここ
ろであって、君が主の助けによって
大学に入って、その知識を身に着け
たとしても、主の御旨に従って歩む
信仰を身に着け損なってしまったなら
(16)
とされますように願いましょう。
答 もし大学に入って勉強すること
が主のみこころであるならば主は試
験に合格できるように助けてくださ
います。塾に行って勉強することが
大学を受験しようと思っています。 私たちの人生が祝福されたものに
これから模擬試験が何回か日曜日に なるかならないかは、私たちの信仰
行われます。塾の講師は絶対に受け にかかっています。たとい大学で勉
なければならないと言っています。 強しても、主に頼らない人の人生は
私の進度が分からないと指導できな
いからです。 どうすべきでしょう
か。
問 私は現在高校三年生です。来年
マラナ・タ 8月号