よびゼブルンのある人々はへりく けった。ただ、アシェル、マナセお とあざけりに耐えることができま の価値を理解していたので、 非難 十分に報いられたと見なしたこと ﹁ある人々はへりく だ っ て 、 エ ル サ レ ム に 上 っ て 来 した。そして、 だって﹂来るのを見て、使者たち た。 ﹂︵Ⅱ歴代誌三〇 一 : 〇∼一一︶ ここに重要な教訓があります。 王 を 送 る に あ た っ て 受 け た 困 難 が 、 の招きは、異なる人々からの、異な でしょう。 た。恵みはいつも、心を謙遜にさせ かけであることを証明していまし であり、 聖所から発せられた呼び 応は、この招きが神から出たもの る人々﹂もいるはずです。ところ ことでしょうが、へりくだる﹁あ す。あざ笑う者たちは必ず現れる 結果を証することができるはずで によって歩んでいるなら、同様の さて、もし私たちも神の恵みの力 る反応を引き起こしました。 しか るか、さもなくば、非難とあざけり が、少なくとも目に映る所、どち し、反応は異なっていても、その反 を引き起こします。 いずれの場合 らも見られません。それどころか、 イザヤ書三六∼三九章 ことに注目してください。﹁こう に対して、二通りの反応があった は、死から出て死に至らせるかお ようです。ということは、すべて りであり、ある人たちにとっては、 が正しくないと言えます。聖徒た さ れ ま す 。﹁ あ る 人 た ち に と っ て C・H・ マッキントシ著 前田大度師訳 して、近衛兵は、エフライムとマ いのちから出ていのちに至らせる ちが引き寄せられるわけでもなく、 世の人々が聖なる証の鋭い剣で刺 されて、怒り狂う︵使徒五 三:三︶ (1) ﹁働きとそれにふさわしい場 所﹂ ︱ヒゼキヤ王の生涯から︱ ︿第四部﹀ も、恵みが本物であることが証明 ナセから、ゼブルンの地に至るま 現状はどこも実に健全であるかの で、町から町へと行き巡ったが、 人々は彼らを物笑いにし、 あざ かおりです。﹂︵Ⅱコリント二 一 : 六︶しかしヒゼキヤは、流された血 第二歴代誌二九∼三二章 ヒゼキヤ王の発したメッセージ Maranatha August の生ぬるさと、情けないほどの中 事もありません。痛ましいばかり ます。イスラエルが偶像礼拝に 涯の、どの場面においても見られ 共に祭りを行うことを先延ばしに とです。ヒゼキヤが、ユダの家と ことです。偶像礼拝の悪の一つは、 して、イスラエルの町々に出て行 神の民の一致を破壊し、分裂や分 陥ったという事実は、イスラエル 派を作ることです。ですから、も 立主義によって、神の事柄が扱わ かわしい状況が変わらない限り、 ヒゼキヤは彼らを、唯一の共通の しもヒゼキヤ自身が、一致のため き、偶像礼拝に反対するメッセー 中心地であるエルサレムの祭壇に の唯一の原則に立って行動を開始 に対するヒゼキヤの愛の流れを止 私たちは壊滅してしまいます。 私 導こうと努め、イスラエルの諸部 しなければ、どうやってイスラエ れています。その一方で、この世 リストと共に集められているか、 族を過越の子羊の周りに集めよう たちは中立ではあり得ません。 キ としました。彼らの過去の失敗に ルの分派に対して証をすることが ジを語っていたなら、神のとられ そうでなければ、散らされている もかかわらず、イザヤを通して語 できたでしょうか。祭りをユダ王 めることも、あるいは、彼らを唯 めの働きに従事していないなら、 られた主のことばによって行動し かのどちらかです。キリストのた たのです。 ﹁慰めよ。慰めよ。わた の事柄は熱心に追求され、広めら キリストに逆らう働きに従事して る祭壇を建て、それを一致の中心 る方法に反する行動となっていま いるのです。キリストのために何 しの民を﹂ ︵イザヤ四〇 一:︶一連 の出来事においてヒゼキヤは、最 とするのと同様の分派活動です。 一の祝福の場に導こうとする努力 もしないことは、サタンのために もすばらしい真理の原則と調和し クリスチャンを分裂から救う正し れています。私たちの心がどこに 何かをしていることです。 た行動を取りました。神のとられ い方法は、彼らに一致がいかに幸 を妨げることもできませんでした。 した。それは、力なしに事を行う しかし、これまで見てきたよう る方法は、いつも、善を示すこと いであるかを味わわせることです。 (2) あるかは明白です。このような嘆 に、ヒゼキヤの行動には、神の秩 によって、人を悪から引き離すこ 国だけのものとすることは、 異な 序がありました。これは、彼の生 マラナ・タ 8月号 いるすべてのレビ人の心に語りか ゼキヤは、主主主主主の務めによく通じて をかなで、主主主主主をほめたたえた。ヒ 日、主主主主主に向かって強い調べの楽器 祭りを行った。レビ人と祭司は、毎 て七日の間、種を入れないパンの スラエル人は、大きな喜びをもっ ﹁こうして、エルサレムにいたイ ように行動しました。 ヒゼキヤはそのように考え、 次の るものはありません。神によって 真のイスラエル人の心を感動させ 的宗教の影響下では、このような た。ヤロブアムの作り上げた政治 を過ごしたことがありませんでし 牛の周りで、このような幸いな時 して、断固とした敵意をもって立 でした。神によって任命された祭 ラエルの町々に破滅的な悪影響を 司やレビ人たちの奏でる調べほど、 広げた、偶像礼拝と分派主義に対 喜びを味わったことがありません ち向かおうという精神がみなぎっ に違いないと確信できます。イス れからは、力強い影響力が及んだ でき、さらにまた、このような群 かにそこにおられたと言うことが びがあった﹂のですから、神が確 れ出て、イスラエルの偶像とその 定められたいけにえほど、魂を喜 ていたのです。強い霊的影響力が、 び楽しませるものはありません。 エルサレムから洪水のようにあふ そうです、私たちは幸いにも、様々 の悪を教える、正しい方法です。イ これこそ、イスラエルに偶像礼拝 は喜び、﹁エルサレムには大きな喜 すからこのすばらしい場面で、 民 のは、逆の効果をもたらします。で その反対に、神から出ていないも エルを正しい祭壇の下に集めるこ ることです。ヒゼキヤは、イスラ ことより、むしろ真理を建て上げ ための正しい原則は、過ちを倒す スラエル人たちは、ダンにある子 一∼二三︶ 祭りを行った。 ﹂ ︵Ⅱ歴代誌三〇 二: に告白をしつつ、七日間、祝いの な体系や制度の正しさを、それが 祭壇をなぎ倒し、さらには偶像礼 食物にあずかった。それから、全 魂に及ぼす影響によって計ること 拝と分派主義の玉座をもくつがえ 集団は、あと七日間祭りを行うこ ができるのではないでしょうか。 そうとしていました。 とを決議し、喜びをもって七日間、 真実に神から出たものは、魂を真 これら一連の教訓は明白であり、 実に幸せにすることができます。 きわめて重要です。改革を進める けた。そこで彼らは、和解のいけ にえをささげ、彼らの父祖の神、主主主主主 Maranatha August (3) とができたらと考えました。 そこ 彼らの憤りを引き起こしたに違い うイスラエルの子らの目をひき、 を開き、それから偶像の祭壇に手 を着けました。イスラエルの子た で彼らを、彼らの父祖たちの神を 有地、それぞれの町へ帰って行っ ラエル人はみな、おのおのその所 して、絶ち滅ぼした。そして、イス 中から、高き所と祭壇を取りこわ の中から、エフライムとマナセの 切り落とし、全ユダとベニヤミン の柱を打ちこわし、アシェラ像を ルは、ユダの町々に出て行き、石 終わると、そこにいた全イスラエ んでした。﹁これらすべてのことが です。ヒゼキヤは全く失望しませ りの祭壇は地に落ちると考えたの 彼らを導きました。そうすれば、偽 で行動しているのがわかります。 対抗することができたのです。 私 ラエル人もヒゼキヤも、同じ順序 ができました。実のところ、イス でき、それから外で証をすること 受けたので、前に進み出ることが 礼拝する人々の中で、喜びと力を た。彼らは、神の前で、また、神を る、エルサレムの聖所に着きまし 司が本物のいけにえをささげてい ませんでした。彼らは、本物の祭 わば噴水口から飲まなければなり する必要がありました。彼らは、い とを、彼ら自身の魂で、まず経験 た。彼らは、真理の持つ力と幸い しかし、そうではありませんでし で、神を証する行動を取り、悪に たので、エルサレムから戻る途中 にダンからエルサレムに上ってき た。むしろ、彼らが力を得るため 偶像を倒すことはできませんでし ダンからエルサレムに来る途中で、 倒すことができたのです。彼らが てくださったので、その力で悪を 合も、神が彼らに確かに力を与え たように、イスラエル人たちの場 偶像の祭壇をなぎ倒すことができ 主の宮の戸を確かに開いたので、 した。ちょうどヒゼキヤの場合に、 れからサタンの祭壇を取り壊しま 奉仕の働きがあります。礼拝こそ、 ヒゼキヤは聖所で神から始めまし 所から離れてしまったときは、 ど たちが、神の置いてくださった場 (4) あがめる真実な礼拝の幸いへと、 ないと思われるかもしれません。 ちも、神の宮で力を見いだし、そ た。 ﹂ ︵Ⅱ歴代誌三一 一:︶ ここに、礼拝の幸いから流れ出る 神の栄光へと流れる水の源泉です。 たが、イスラエル人たちも同様で のような場合でも、なすべき正し ユダの祭壇は、エルサレムに向か す。ヒゼキヤは、まず主の宮の戸 マラナ・タ 8月号 い表し、直ちに正しい場所に戻る とではなく、へりくだって罪を言 い方法は、失敗と取っ組み合うこ ちらも真実に、神の原則に基づい じ神の原則に従っていました。ど 外での神の奉仕を開始したのと同 立たせてしまい、あなたが弱くな や道からそれて、サタンを優位に いるなら、また、もし正しい考え した。私たちも、ぐらつく建物か ンでは得ることのできないもので 悪を裁く力を得ました。これは、ダ 醜さを認識することができ、 その び﹂の間、偶像礼拝と分派主義の ラエルの子たちは、十四日間の﹁喜 を得ることができるのです。 イス とができ、失敗に打ち勝つ真の力 失敗に対して正しい見方をするこ る備えができたのです。 という忌み嫌うべき悪をも認識す サレムの町々に偶像や柱を立てる 置きする幸いを学んだとき、エル しい場所であるケルビムの間にお ゼキヤが、真の神を、あるべき正 に戻るべき道もわかりました。ヒ に離れてしまったかがわかり、元 たとき、自分たちがどれほど遠く 彼らの父祖たちの礼拝の力を感じ まっすぐ仰ぎ、この方にあって、あ の目を主の血に向け、主イエスを 神の祭壇に上ることです。あなた ラエルの子たちのように、直ちに きではありません。むしろ、イス 悪をくよくよと考え込んでいるべ が曇っているなら、あなたはその なたの心で何かが重荷となり、 魂 でいるなら、要するに、もしもあ し奉仕や礼拝における失敗に悩ん に、一言申し上げたいと思います。 なら、あなたの魂は回復させられ、 れられていることを覚え、そのこ 力づけられ、こうして、あなたは、 かの点で、神から離れてしまった が、まず﹁祝祭の町﹂であるエルサ もしもあなたが失敗や霊的後退を あなたを塵の中に沈め、一日中嘆 (5) ことです。そうすることによって、 た行動でした。イスラエルが一度、 り困難の中にあるなら、また、も ら離れて初めて、その最後の倒壊 なたが﹁神の御座の前に﹂受け入 がいかに近いかを、本当の意味で 知ることができるのです。 レムに向かい、それから偶像の祭 感じているなら、また、もし罪を き悲しめた、その悪に対して戦う とを確信してください。そうする 壇に手を付けたことは、ヒゼキヤ 犯してしまい、御霊を悲しませて と感じている読者の励ましのため がまず主の家を修理し、それから このように、イスラエルの子たち 本題に戻る前に、自分自身が何ら Maranatha August ことができるようになります。 真 の回復は、迷い込んだ悪や腐敗の 迷路から、抜け出そうともがくこ とではありません。その反対に、疑 いのない信仰の確信を持って、 私 たちが愛する方にあって完全に受 け入れられているという、神の証 を受け入れることです。そうする ことによって、自分が、神の贖い を知り、信仰の聖なる勝利によっ て、悪の迷路を足下に踏むことが できるのです。﹁神に感謝すべきで す。神は、私たちの主イエス・キリ ストによって、私たちに勝利を与 えてくださいました。 ﹂︵Ⅰコリン 次号に続く ト一五 五:七︶ 創世記第三章以降の罪を犯し た人類の歴史についての学び 山岸登師 のいのちを要求する。 人の血を流す者は、 人によって、 んな獣にでも、それを要求する。ままままま た人にも、兄弟である者にも、人人人人人 のいのちのためには、あなたがた の血の価を要求する。わたしはど 第五、六節﹁わたしはあなたがた ならないのです。 りました。ただし、血を食べては 肉も食物としなければならなくな でしたが、大洪水以降は、動物の のものをあなたがたに与えた。ししししし 第九章 かし、肉は、そのいのちである血 第一、二節﹁それで、神はノアと、 のののののあああああるるるるるままままままままままででででで食食食食食べべべべべてててててはははははななななならららららななななないいいいい。。。。。﹂﹂﹂﹂﹂ その息子たちを祝福して、 彼らに 大洪水の前の人間の食物は植物 仰せられた。 ﹃生めよ。ふえよ。地地地地地 に満ちよ。野の獣、空の鳥、││ 地の上を動くすべてのもの││そ れに海の魚、これらすべてはあな たがたを恐れておののこう。 わた しはこれらをあなたがたにゆだね ててててていいいいいるるるるる。。。。。﹄﹄﹄﹄﹄﹂﹂﹂﹂﹂ 神は、大洪水以降の人類の代表で あるノアに﹁生めよ。ふえよ。地 に満ちよ。 ﹂と命じられました。次 に地上の動物についても﹁わたし はこれらをあなたがたにゆだねて なければならなくなりました。 洪水後、人は、殺人者を死刑にし を禁じられていました。しかし、大 いる。 ﹂と仰せられ、人類にそれら 血を流される。神は人を神のかた を管理する責任を与えられました。 ちにお造りになったから。﹂ 大洪水前は、人は、人を裁くこと 第三、四節﹁生きて動いているも のはみな、あなたがたの食物であ る。緑の草と同じように、すべて (6) の愛の完全な輝きの中にあること マラナ・タ 8月号 第九∼一一節﹁さあ、わたしはわ たしの契約を立てよう。あなたが たと、そしてあなたがたの後の子 孫と。また、あなたがたといっしょ が代々永遠にわたって結ぶ契約の しるしは、これである。わたしは 雲の中に、わたしの虹を立てる。そそそそそ れはわたしと地との間の契約のし るしとなる。﹂ ふ けいけん は めつ たも て、不敬虔な者たちの火によるさ ばき、すなわち破滅の日まで保た れているのです。 ﹂ ︵Ⅱペテロ三 五: ∼七︶ 第一八、一九節﹁箱舟から出て来 虹は、神が地上の動物を人間の罪 ノアの大洪水の前、人類には民族 にいるすべての生き物と。鳥、家家家家家 畜、それにあなたがたといっしょ ぼされないという神の約束の印で というものがありませんでしたが、 私たちは虹を見るとき、人類がか たノアの息子たちは、セム、ハム、 つて大洪水によってさばかれたこ ヤペテであった。ハムはカナンの とがあることを覚えるべきです。 父である。この三人がノアの息子 にいるすべての野の獣、箱舟から 出て来たすべてのもの、地のすべ ての生き物と。わたしはあなたが すが、次のみことばを私たちは忘 洪水後に﹁彼らから全世界の民は み す らあり、そして、地は水から、そ して、水を通して神のみことばに よって成り立っていました。その おお ほろ 時の世界は、水によって、 ︵洪︶水 に覆われて滅びました。しかし、今 の天と地は、同じみことばによっ 天幕の中で裸になっていた。カナ ンの父ハムは、父の裸を見て、外外外外外 ぶどう畑を作り始めた農夫であっ た。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、 第二〇∼二三節﹁さて、ノアは、 した。 り、人類は多数の民族に分かれま 分かれ出た﹂と記されているとお で、彼らから全世界の民は分かれ ﹂ 出た。 たと契約を立てる。すべて肉なる ものは、もはや大洪水の水では断 れてはなりません。 と約束されました。 第一二、一三節﹁さらに神は仰せ られた。 ﹁わたしとあなたがた、おおおおお よびあなたがたといっしょにいる すべての生き物との間に、わたし (7) のゆえに二度と大洪水によって滅 ち切られない。もはや大洪水が地 ををををを滅滅滅滅滅ぼぼぼぼぼすすすすすよよよよようううううなななななここここことととととはははははななななないいいいい。。。。。﹂﹂﹂﹂﹂ 神は人類と地上の全ての動物を、 ﹁彼らは、次のことをわざと見過 ごしています。すなわち天は昔か 二度と大洪水によって滅ぼさない Maranatha August ハムのように、人の失敗を公表す もももももべべべべべとととととなななななれれれれれ。。。。。﹄﹄﹄﹄﹄また言った。 ﹃ほめ たたえよ。セムの神、主を。カナン 第二四∼二七節︶﹁ノアが酔いか にいるふたりの兄弟に告げた。そそそそそ はその人を教会から除名しなけれ れでセムとヤペテは着物を取って、 ばなりません。 らさめ、末の息子が自分にしたこ 私たちがしてはならないことは、 とを知って、言った。 ﹃のろわれよ。 カナン。兄弟たちのしもべらのし 自分たちふたりの肩に掛け、うし ろ向きに歩いて行って、父の裸を 行動を嫌っておられます。神が喜 は彼らのしもべとなれ。神がヤペ テを広げ、セムの天幕に住まわせ みことばが黒人軽視の人種差別的 が分かります。そのために、この 彼が現在の黒人の先祖であること これは、彼らの父への愛の現れで ハムの子孫はメソポタミアから す。その反対に、ハムの行動には、 西の方面に広がりました。それで、 ている父を見ないようにうしろ向 るように。カナンは彼らのしもべ ﹂ きに歩いて父を着物で覆いました。 となれ。 です。この二人は、酔って裸で寝 ばれるのは、セムとヤペテの行動 ることです。神は、ハムの取った おおった。彼らは顔をそむけて、父父父父父 の裸を見なかった。﹂ ノアは、箱舟から出た途端に失敗 しました。ノアは、自分自身さえ 支配できないことを明らかにしま さて、三男のハムは私たちのため の反面教師です。人は失敗するも へののろいを招いたのです。 のです。私たちも人が失敗を犯し 悲しむべき、父親に対する軽蔑が ているのを見ることがあります。 現れています。彼の行動が彼の子 その時、私たちはどうすべきで くださいました。 そのために御子を十字架につけて す。その頃は、ハム系の民族が強 たのは、今から約三千五百年前で 神は、その人類を憐れみ、裸を覆 たのは大洪水の直後であり、 この うおおいを備えてくださいました。 言葉を載せている創世記が書かれ しょうか。第一に密かなところで、 人類はアダムにあって罪を犯し、 であると言って非難する人があり 醜悪な姿を暴露してしまいました。 ますが、このノアの言葉が語られ その人にそれを止めるように忠告 すべきです。もし、その人が忠告 を聞き入れない場合は、指導者に 伝えるべきです。もし、指導者の 忠告も受け入れない場合、指導者 (8) した。 マラナ・タ 8月号 を受け取ることになるからです。 ﹂ 力な国家を築いていた時代でした。 リスチャンが、神様からいただく ぜならば、その人は、試練を経て ですから、このみことばは、ハムの ことのできる報いの冠は、もちろ ︵その人の信仰が︶本物であると証 子孫についての預言であるのです。 ん、ステファノス︵栄冠︶です。ギ 明された時、神が、ご自分を愛す ︵続く︶ リシアの運動競技者に与えられた る者たちに約束されたいのちの冠 栄冠は、花・葉・枝などで編んだ ある功績をした者に与えられた冠 りとして、また市民のために価値 者への賞として、祝祭時の頭の飾 冠︶です。これは﹁運動競技の勝利 ます。一つは﹁ステファノス﹂ ︵栄 いるギリシア語の単語は二つあり 新約聖書の中で﹁冠﹂と訳されて すが、私たちは朽ちない冠を受け る冠を受けるためにそうするので について自制します。彼らは朽ち ﹁闘技をする者は、あらゆること ウロはこう書いています。 ることがありません。ですからパ いただくことのできる栄冠は朽ち まう冠でしたが、私たちが主から しみを恐れてはいけない。見よ。悪 ﹁あなたが受けようとしている苦 言われました。 ミルナにある教会の御使いにこう なるからです。ですから主は、ス 試練が、時に命をかけたものとも のちの冠﹂であるのは、信仰者の る報いです。この冠の名前が﹁い ﹁冠﹂ 前田大度師 で、花・葉・枝などで編んで頭に巻 るためにそうするのです。 ﹂ ︵Ⅰコ あなたがたのうちのある人たちを る。死に至るまで忠実でありなさ い。そうすれば、わたしはあなた (9) ものでしたので、すぐに朽ちてし ︵ヤコブ一 一:二︶ この冠は試練を耐えた者に対す いたもの﹂ ︵織田昭 ギリシア語小 リント九 二:五︶ 聖書に記されている様々な種類 牢に投げ入れようとしている。 あ 魔はあなたがたをためすために、 は﹁ディアデーマ﹂ ︵王冠︶です。こ の栄冠について、学ぶことにしま ﹁試練を耐える人は幸いです。な なたがたは十日の間苦しみを受け れは﹁金などで造られた薄いベル に例えば放射状の飾りがついてい た﹂ ︵同右︶といいます。私たちク 一.いのちの冠 しょう。 ト状の巻き冠で,多くの場合それ 辞典より︶を意味します。もう一つ Maranatha August の信仰は、試練に耐えることがで けの信仰、見せかけの信仰、偽り 録二 一:〇︶ 試練は信仰を試す炉です。口先だ にいのちの冠を与えよう。 ﹂︵黙示 けでなく、主の再臨を熱望してい 私に授けてくださいます。私にだ い審判者であられる主が、それを えられています。彼の日に、正し ﹁今や、義の栄冠が私のために備 まったく待ち望んでいなかったの に告げることができましたが、 ヘムでの誕生を、ヘロデ王に正確 ちや学者たちが、救い主のベツレ 生まれになった時、民の祭司長た める者に今報いてくださる御方で こうとする者は、神がご自分に求 ぜならば、 ︵自ら︶進んで神に近づ を︶喜ばせることは不可能です。な ﹁実に、信仰によらなければ︵神 者には報いをもたらします。 明され、神には栄光を帰し、信仰 か明日かと切望している者に、こ が故に、主の来られる日を、今日 切なお方として尊び、慕っている です。主イエスを心から愛し、大 べての者に与えられます。 ﹁熱望す す。 ﹂ ︵Ⅱテモテ四 八:︶ この冠は、主の再臨を熱望するす を熱望していないなら、その人の 格の持ち主であっても、主の再臨 してとても親切であり、円満な性 行っていても、あるいは他人に対 ても、また教会の活動を精力的に パオー︵愛する・尊重する・慕う︶ ﹂ に関する知識をたくさん持ってい る﹂と訳されている言葉は、 ﹁アガ 間違っており、それ故に決定的な ロメーターです。たとえ人が聖書 るかどうかを計る、最も確かなバ うかが、その人の信仰が健全であ と同様です。 あられ、また︵今後も︶報いる方に の冠は与えられます。ですから義 欠けがあるのです。この栄冠は、義 きません。しかし、真実な信仰は、 た全ての者にも授けてくださいま らないのです。 ﹂ ︵ヘブル一一 六:︶ の冠は、愛に対する報いであると このように、いのちの冠は信仰に 言えます。主を愛さない者は、た なってくださると信じなければな とえ主の再臨についての知識が の栄冠です。正しい審判者である 信仰は正しくありません。何かが 主の再臨を待ち望んでいるかど 対する報いであると言うことがで あっても、主を待ち望みません。そ 主から授けられるからです。 主の (10) 試練によって本物であることが証 きます。 れはちょうど、主が二千年前にお 二.義の栄冠 マラナ・タ 8月号 だきましょう。 再臨を待ち望み、この栄冠をいた 者です。どうか、毎日、熱心に主の 再臨を熱望する者が、正しい信仰 働きを継続するためには、主を愛 エスが来られるその日まで、 この であられ、大牧者であられる主イ ことができません。群れの所有者 肉の力によっては、とうてい行う とは、主の喜びであり、主の御栄 れます。私たちが栄冠を受けるこ 子供たちに与えたいと望んでおら 主はこのような栄冠を、ご自分の は、栄光の冠なのです。 ことができます。それ故にこの冠 を要する仕事です。肉的な動機や、 しもべだ﹂とのお誉めにあずかる 三.栄光の冠 する愛がなければ続けることがで ﹁あなたがたのうちにいる、神の 主から、 ﹁よくやった。良い忠実な ることがなくても、大牧者である 導く長老は、人からの栄誉を受け に生きておられる方を拝み、自分 いる方の御前にひれ伏して、永遠 ﹁二十四人の長老は御座に着いて (11) 羊の群れを、牧しなさい。強制さ 尊い主イエスの誉れとなります。 喜んで従う者としてくださった、 救ってくださったばかりか、主に れてするのではなく、神に従って、 きません。ペテロ自身、かつて主 光となります。私たちが栄冠を受 自分から進んでそれをなし、 卑し イエスから、﹁あなたはわたしを愛 けても、それは何も私たち自身の い利得を求める心からではなく、 しますか﹂と心を探られ、そのう 誉れにはなりません。私たちのよ えで、 ﹁わたしの羊を牧しなさい﹂ う な 何 も で き な い 愚 か な 者 を も す。群れを牧するというのは忍耐 の指導者たちに与えられる報いで ︵Ⅰペテロ五 二:∼四︶ この冠は長老たち、すなわち教会 黙示録を見ると、神の御座の前 そうすれば、大牧者が現れるとき た長老たちに、この栄光の冠は与 に、あなたがたは、しぼむことの えられます。ですから、この冠は、 で、二十四人の長老たちが、自分 な い 栄 光 の 冠 を 受 け る の で す 。﹂ 希望に対する報いだと言うことが の冠を御座の前に投げ出して、神 できます。主の羊の群れを謙遜に をほめたたえています。 むしろ群れの模範となりなさい。 たがたは、その割り当てられてい と働きを与えていただいたのでし る人たちを支配するのではなく、 た。 主を愛し、主に期待してお仕えし 心を込めてそれをしなさい。 あな Maranatha August の冠︵ステファノス︶を御座の前 に投げ出して言った。主よ。われ らの神よ。あなたは、栄光と誉れ と力とを受けるにふさわしい方で す。あなたは万物を創造し、あな たのみこころゆえに、万物は存在 し、また創造されたのですから。 ﹂ ︵黙示録四 一:〇∼一一︶ 私たちが主からいただくことの 主に栄光を帰し、主をほめたたえ るための材料です。その日、私た ちを愛してくださり、かつて地上 において、いばらの冠をかぶって くださった御方の御前に、投げ出 すことのできる冠のある者は、 な んと幸いなことでしょう。どうか、 その日のために、この御方のため に、栄冠を求めましょう。 ペルシアの王ダリヨス一世の 勅令 山岸登師 ユダ王国は紀元前五八六年、ゼデ キヤ王の時代にバビロンのネブカ デネザル王によって滅ぼされ、エ ルサレムの都と神殿は廃墟にされ ました。それは彼らが真の神を捨 てて、偶像を拝んだためであり、そ のうえ神の警告に心を頑なにして 耳を貸さず、神のみことばを語っ た預言者らを殺したために、神が 怒りを発せられたからです。ユダ ヤ人たちの中のある者たちは、バ ビロン軍に対して抵抗したために 殺されましたが、抵抗せずに投降 した者たちは捕虜にされ、バビロ ンに連れて行かれました。その人 たちは、バビロンの都の近くの原 野に生活の場が与えられました。 神は、そのバビロニア帝国を紀元 前五三九年、ペルシアのクロス王 に倒させられました。神は、その クロス王にユダヤ人に対する憐れ みの思いを与えられ、紀元前五三 六年、ユダヤ人の中の志のある者 たちにエルサレムに帰り、神を礼 拝する神殿を建築する許可を与え それで、捕囚のユダヤ人の中の四 させられました。 万二千三百六十人と彼らの奴隷七 千三百三十七人の人々が、エルサ レムの神殿再建のためにエルサレ ムに帰ることを決意しました。 ユダヤ人たちが、捕虜にされてバ ビロンに連れて行かれて不在の間 に、ユダヤの国には、周辺の国々 の異邦人たちが移住してきて、 そ こに住み着いていました。彼らの 畑も牧場も人手に渡っていました。 そのような所に帰ることが、 非常 に困難であることは予想されてい ました。それにもかかわらず、千 (12) できる栄冠は、やがて天において、 マラナ・タ 8月号 るために、こぞってイスラエルの 熱心であったかが分かります。 の人々がどれほど主の宮の再建に この聖句が語っているとおり、こ ち、朝ごと夕ごとの全焼のいけに 上で主主主主主に全焼のいけにえ、すなわ をもとの所に設けた。彼らはその 六九︶ 着をささげた。 ﹂︵エズラ二 六八、 神の祭壇を築いた。彼らは回りの : 国々の民を恐れていたので、 祭壇 数百キロを歩いて、あるいはロバ、 リク、銀五千ミナ、祭司の長服百 ラクダに乗ってそこに向かうため には、彼らに非常な決意が必要で あったと思われます。 彼らは、極寒の時期を避けて早春 に、ダビデ王の子孫であるゼルバ るとおりに仮庵の祭りを祝い、毎 えをささげた。彼らは、書かれてい こうして後彼らは、 ﹁自分たちの 日の分として定められた数にした ベルと大祭司ヨシュアを先頭にし イスラエル人は、自分たちのもと て、バビロンを出発し、恐らく二、 もとの町々に住みつき、すべての 三ヶ月かけて、夏前にエルサレム 七〇︶のです。 めに、神の宮のために自分から進 とき、それをもとの所に建てるた エルサレムにある主主主主主の宮に着いた ゼルバベルとその兄弟たちは、神 たち、またシェアルティエルの子 クの子ヨシュアとその兄弟の祭司 まって来た。そこで、エホツァダ あったはずです。しかし、その他 レムの宮で礼拝に参加したことが 五十年前の捕囚になる前、エルサ にささげた。 ﹂ ︵エズラ三 一:∼五︶ 彼らの中の非常に高齢の人々は、 (13) に到着したと思われます。そして、 の町々に住みついた﹂︵エズラ二 彼らは直ちに主の宮を建てる場所 ﹁イスラエル人は自分たちの町々 : がって、日々の全焼のいけにえを ささげた。その後、常供の全焼の に集まりました。このことについ にいたが、第七の月︵太陽暦の九 いけにえと、新月の祭りのいけに えと、主主主主主の例祭のすべての聖なる てエズラ記は次のように語ってい 月の末か十月の初め︶が近づくと、 ささげ物、それからめいめいが喜 んでささげ物をした。すなわち、彼 の人モーセの律法に書かれている の人々は、バビロンにいる間、礼 んで進んでささげるささげ物を主主主主主 らは自分たちにできることとして とおり、全焼のいけにえをささげ ﹁一族のかしらのある者たちは、 民 は い っ せ い に エ ル サ レ ム に 集 工事の資金のために金六万一千ダ ます。 Maranatha August 拝についての教えは受けたことが はとこしえまでもイスラエルに﹄ 失わせ、彼らをおどした。 さらに、 かにするための記事ですので、時間的に あっても、礼拝を行ったことがな と歌い合った。こうして、主主主主主の宮 議官を買収して彼らに反対させ、 かったのです。しかし、レビ記に の礎が据えられたので、民はみな、 この計画を打ちこわそうとした。 ﹂ 書かれているとおりに祭壇を築い 主主主主主を賛美して大声で喜び叫んだ。 ﹂ ︵エズラ四 四:、五︶ ︽エズラ四 六 て礼拝を行いました。彼らは、聖 ︵エズラ三 一:〇、一一︶ : から四 二 : 三までは、彼 彼らの喜びの叫び声が非常に大 らの妨害がいかに執拗であったかを明ら しながら、互いに、 そして、彼らは主主主主主を賛美し、感謝 せまいとして、ユダの民の気力を ﹁すると、その地の民は、建てさ て、彼らの申し出を断りました。 ︵エズラ四 二:四︶ このダリヨス王は、ダリヨス一世 のことで、彼の治世は前五二一年 (14) 書に書かれているとおり、みこと ﹃主はいつくしみ深い。その恵み ばに従って仮庵の祭りを祝いまし きかったので、遠い所まで届いた は、この宮建築工事とは無関係です。 ︾ た。 程でした。 この地の住民の反対運動に遭遇 その翌年の二月︵太陽暦の五月の しかし、この時、問題が起きまし した彼らの意気は、消沈してしま 初旬︶、彼らはエルサレムに集ま た。彼らが喜びながら主なる神の いました。彼らは、 ﹁主主主主主の宮を建て り、主の神殿の建築工事を開始し ために宮を建てていることが彼ら る時はまだ来ない﹂ ︵ハガイ一 二:︶ ました。 の周囲の異邦人たちの目に留まり のだ、だから、神が地元の民の妨 ﹁建築師たちが主主主主主の神殿の礎を据 ました。異邦人たちは、宮の建築 害を押さえてくださらないのだと えたとき、イスラエルの王ダビデ を妨害する魂胆を持っていながら、 考えました。それで、 ﹁こうして、 の規定によって主主主主主を賛美するため それを隠して、ユダヤ人たちに宮 エルサレムにある神の宮の工事は に、祭服を着た祭司たちはラッパ の建築に協力したいと申し出てき 中止され、ペルシヤの王ダリヨス を持ち、アサフの子らのレビ人た ました。ゼルバベルとヨシュアは、 の治世の第二年まで中止された。 ﹂ ちはシンバルを持って出て来た。 自分たちだけで工事を行うと言っ マラナ・タ 8月号 四年頃であると思われるので、 最 と、妨害が始まった時は、前五三 五三五年から始まったと仮定する ります。ですから、もし工事が前 治世の第二年は、前五二〇年にな から前四八六年でしたから、 その 山に登り、木を運んで来て、宮を あなたがたの現状をよく考えよ。 とを奮い立たせたので、彼らは彼 けだ。万軍の主主主主主はこう仰せられる。 心と、民のすべての残りの者の心 いでも、穴のあいた袋に入れるだ たが暖まらない。かせぐ者がかせ らず、飲んだが酔えず、着物を着 ツァダクの子、大祭司ヨシュアの ダの総督ゼルバベルの心と、 エホ 主主主主主は、シェアルティエルの子、ユ シェアルティエルの子、ユダの総 ゼルバベルと、エホツァダクの子、 覚めさせられました。彼らの心は ﹁そこで、シェアルティエルの子 奮い立たせられ、再び宮の建築工 らの神、万軍の主主主主主の宮に行って、仕 長十四年間も工事が中断されたこ ﹁ダリヨス王の第二年の第六の月 とになります。 建てよ。そうすれば、わたしはそ 事に取りかかった。 ﹂ ︵ハガイ一 一: れを喜び、わたしの栄光を現そう。 二∼一四︶ 主主主主主は仰せられる。 神が預言者ハガイの口を通して、 ﹄ ﹂︵ハガイ一 一 : 彼らに反省を促されました。 神の 督ゼルバベルと、エホツァダクの 大祭司ヨシュアと、民のすべての 事を始めました。 軍の主主主主主はこう仰せられる。あなた に住むべき時であろうか。今、万 から使命を受けて、民にこう言っ そのとき、主主主主主の使いハガイは、主主主主主 して、この宮を建て、この城壁を た。﹃だれがあなたがたに命令を下 の同僚とがやって来て、こう言っ された預言者ハガイのことばとに ﹁そのとき、川向こうの総督タテ 聞き従った。民は主主主主主の前で恐れた。 ナイと、シェタル・ボズナイと、そ (15) の一日に、預言者ハガイを通して、 ∼八︶ 子、大祭司ヨシュアとに、次のよ 残りの者とは、彼らの神、主主主主主の御 がたの現状をよく考えよ。あなた た。 ﹃わたしは、あなたがたととも 妨害者も活動を再開しました。 みことばを聞いた彼らの信仰が目 うな主主主主主のことばがあった。⋮⋮⋮ 声と、また、彼らの神、主主主主主が遣わ がたは、多くの種を蒔いたが少し 修復させようとしたのか。 ﹄そして にいる。││主主主主主の御告げ││﹄ しか取り入れず、食べたが飽き足 に、あなたがただけが板張りの家 ﹃この宮が廃墟となっているの Maranatha August の工事を止めさせようとダリヨス イと、シェタル・ボズナイとがそ ていました。それで、総督タテナ た。 ﹂ ︵エズラ五 三:、四︶ しかし、神の御目が彼らに注がれ ちの名は何というのか﹄ と尋ね また、﹃この建物を建てている者た うな命令を出しました。 た。それで、ダリヨス王は次のよ る。 ﹂という文書が見つけられまし こうして、それらを神の宮に納め に運び、一つ一つもとの所に戻す。 ロンに運んで来た神の宮の金、 銀 ルサレムの神殿から取って、 バビ 応えてくださいます。 のような神の助けが与えられたの です。神は常に、私たちの信仰に て工事を再開させたからこそ、こ し、彼らが信仰による勇気をもっ これは実に神の御業です。しか 滞らぬようにせよ。 ﹂ ︵エズラ六 六: いなくそれらの者たちに支払って、 きな石の層は三段。木材の層は一 ビト、その幅も六十キュビト。大 礎を定めよ。宮の高さは六十キュ えがささげられる宮を建て、 その エルサレムにある神の宮、いけに の収益としての川向こうの地のみ ちにどうすべきか、命令を下す。王 たがたがこれらユダヤ人の長老た この神の宮を建てるために、 あな の所に建てさせよ。私は、さらに、 人の長老たちにこの神の宮をもと 00960-0-57854 E-mail:[email protected] - マラナ・タ 値段 一部三〇円 ∼八︶ 王に書き送った手紙が、王にクロ ﹁それゆえ、今、川向こうの総督 の器具は返し、エルサレムの神殿 ス王が本当にユダヤ人に神の宮再 タテナイと、シェタル・ボズナイ 段にする。その費用は王家から支 つぎの中から、その費用をまちが (16) 建の命令を出したのかを確かめる 払う。また、ネブカデネザルがエ クロス王の﹁記録。クロス王の第 の神の宮の工事をそのままやらせ 一年に、クロス王は命令を下した。 ておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ ために公文書の保管所を調べさせ と、その同僚で川向こうにいる知 る思いを起こさせました。すると、 事たちよ。そこから遠ざかれ。こ マラナ・タ 8月号
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