Dark Night of the Soul 「暗夜の魂」作者緒言 この作品について 「暗夜の魂」は2010年に作曲され、同年チャールズ・ブラッフィ指揮のフェニック ス・コラーレに私自身のピアノと地元弦楽奏者四人によって初演されました。この 作品は私の親愛なる友人である出版者グニラ・ルボフに委嘱・献呈され、彼女の夫 である偉大な合唱指導者ノーマン・ルボフの追憶に捧げられています。 歌詞に用いられているのは十字架の聖ヨハネ(1542-1592)作の魅惑的な詩「暗夜の 魂」からの三連です。これを私に紹介してくれたのはフェニックス・コラーレの監 督責任者であるジョエル・リンスマ氏ですが、私はこの詩が持つ彩りと情緒豊かな 精神性にたちまち惚れ込んでしまったのでした。 或る暗夜 燃え上がり、情熱の求めに迫られて 嗚呼、この上ない有難さ! (わが魂は)出立したのだ 我が家は今や静まりかえる 闇の内に守られ 闇に紛れた秘められた階段で 嗚呼、この上ない有難さ! 闇の内に隠されて 我が家は今や静まりかえる 幸いなるこの夜に 密かに 何者も私を見ず 私も何一つ見なかった 何ものにも見られず 導きとなる光は他になく ただ我が心に燃えるもののみ 【※上田注;このカヴァノー&ロドリゲスの英訳は細かい部分(形容詞の修飾先等) がスペイン語原文と異なる箇所もあるが英訳に従って訳した(意味がまるで違うと いうほどではないし、もちろん多分我々が歌う上での影響はないでしょう)】 この作品で私が最もしたかったことの一つが、合唱とピアノをより対等のものとす ることです。通常、合唱音楽においてピアノは一段下の存在とされ、大体において 合唱に付き従う役割しか任されません。これは、弦楽や管弦楽の働きとは対照的で す。弦楽や管弦楽はより独立した役割を持ち、合唱と並び輝くことが許される場合 には前面に出てくる役目を果たすのですから。 というわけで、この作品では合唱とピアノの間に「ギブアンドテイク(「持ちつ持 たれつ」の関係)」が沢山行われるのです。つまり、ピアノが合唱の伴奏をするこ とも普通にありますが、時に合唱の方がピアノの(何度かはバイオリンの)伴奏と なることもあり、その場合合唱は一種の弦楽オーケストラのような役割を果たすの です。 私は、人間の声が「オー」とか「ムー」と和音を歌う響きが単純に好きでして、思 うに、合唱がこうして醸し出す音は驚くほど暖かみがあり、我々に何かを喚起させ くれるのです。弦楽四重奏と重ねあわされるとなおさらその効果は引き立ちます。 私の感覚では、この組み合わせが作る音響はゆったりとした「シンセパッド音※」 に似た効果を持っていますが、ただし、合唱の方がより生身の生き生きした感じを 与えてくれると思います。 【※上田注;キーボードの「ホワーン…」という感じの音:例えばYMO「君に、 胸キュン。」・矢野顕子「春咲小紅」・TM Networkの「Self Control」などのイン トロで鳴ってる音】 しかし、これこそが肝心な点ですが、この作品が実際の所何を課題としているのか と言えば、それは、歌詞の中にこれほど強く脈打っている優美さと情熱を願わくば 伝えられるような何かを作曲したいという(私の)全き願いなのです。 おしまいに、何かの御役に立つかもしれませんので一言。テンポ・スタイル・バラ ンスや強弱に関して私が作曲当初に意図していたことは、waltonmusic.comにある フェニックス・コラーレのとても良い演奏録音を参照していただければ分かります。 私のサイト、olagjeilo.comにも同じものがあります。もう一つ、多分注意を促し ておくべきことですが、ソプラノのソロは概ねオブリガードとなるように--つま りはアンサンブルの一部として--作曲してあるので、ソロが音楽の中心にならな い方が望ましいです。 オラ・イェイロ
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