リベンジ西安! 2012.9.11~14. 尖閣騒ぎの真っ最中、敢えて中国観光に出かける。 9月11日(火) セントレア空港出発搭乗口19番受付カウンター前ロビーの「柔らか積み木」 スペースで4~5歳くらいの女の子がお爺ちゃんらしき私たちと同年輩を相手 にしばらく前から大いに盛り上がって遊んでいる。元気だねえ、羨ましいねえ! 私はもう3問目のナンプレが終わりそう。でもやがてこのお嬢ちゃん待ち時間 がとてつもなく長く遊びにも飽き飽きし退屈して面白くないらしく遊びの間に 発する叫び声が徐々に大きくなる、我々が乗るはずの機体はまだ到着していな い。お爺ちゃんらしき同年輩一生懸命お相手をしている。分かるなぁ、イライ ラするあの気持ち。でも、可哀そうだよなぁ、こんなに待たされてねえ、免税 店での買い物から帰ってきて新たに遊びに加わったお婆ちゃんをまじえた3人 組に我々夫婦二人も他人事とは思えず同情してしまう。しかしながらこの時点 では、このお嬢ちゃんたちとこの後4日間の間のお付き合いをすることになる ことなど我々夫婦二人はまだ知る由もない。 9時半に家を出発、途中恵那山サービスエリアでゆっくりと昼飯を食べセン トレア駐車場に着いたのが予定通りの13時半、14時の集合時間にはまだま だたっぷりの余裕がある。午後の出発便なので「阪急交通」受付カウンターに は旅行客の姿もまばら、程なく受付を済ませ一服してから中国東方航空のカウ ンターの最後尾に並ぶ。夏休みはどこに行こうか?伊豆はまだまだ暑いだろう し、新潟の舟盛の宿は7月に行っちゃったことだし、じゃあまた中国でもどう だ?それもいいわねえ、だったらもう一度「西安」をゆっくり観たいわ!分か った!調べてみる、こうして決まった遅めの夏休み。15時近くなっても行列 はなかなか少なくならない、というよりかもまったく進む様子がない、私たち の並んでいる後ろにも四~五十人の人の並び。どこか海辺の温泉でも行こう か?でも、一人一泊2万でしょう?3泊したら中国のほうが安いわよ!そうだ なあ、じゃあそうするか、でも3泊4日の西安はちょっと強行軍だぜ!尖閣の 問題もあるしなあ、それでもいいわ、 「サルコジの奴め!」カミさんはまだ6年 前のことを恨んでいる、6年前西安旅行をした際に当時のフランス大統領サル コジが急に「兵馬俑」が観たいと言い出し、ほぼ半日以上の交通規制・観光規 制、おかげで西安市近郊の交通機関はまったく麻痺状態、渋滞は午後遅くまで 続き目玉の兵馬俑見物が大幅に縮小されてしまってそれをまだ根に持っている。 ひょっとして年齢詐称、申年じゃなく蛇の生まれじゃあないか?この旅行を決 めるまでのやり取りなどを思い出しながら行列に並んでいる、一時間以上の立 ちん棒にじれてしまい俺ちょっとタバコを吸いに行ってくるから荷物の番を頼 むわ!短い旅行で西安の旧跡見物がメイン、大きな買い物をするつもりもない ので今回は二人でトランクが一つだ、身軽に動ける。家から持参の私専用のお 茶を飲みタバコをゆっくりと吸ってからカウンター前に戻る、タバコ交代しよ うか?行列は相変わらず前に進まず元のままだ。ちょっと待てよ、受付を開始 している様子もない、なにかがおかしい? 福島さんですよね?はい、そうですが?行列に並んでいると最前といっても 一時間くらい前、阪急交通の受付カウンター内にいた30歳くらいの男性職員 から声を掛けられた。私のでっかいスーツケースに貼られたこれまたでっかい トラピックのステッカーを捜し求めて声をかけてきたらしい。実はですねえ、 言い方が怪しい、実はですねえちょっと問題がありましてねえ、ますます怪し い、なんだろう?実は上海からの到着便がですねえ、他に言い方がないのかね え?遅れているんです、えっ?というよりかも実は飛行機はまだ上海を飛び立 っていないんです!なんじゃそれは!ですから16時の出発は実はちょっと無 理なようですねえ、当たり前じゃないか、いきなりなんていうことを言うんだ! 反日デモの影響じゃないだろうね?イイエそれはないようですが、実は今すぐ 飛び立ったとしてエンジン思いっきりふかしても2時間弱、到着してすぐ乗っ ていただいても出発は実は大体17時半過ぎになりますねえ。 「実は」をここま でに7回も言っている、週間実話(古いねえ)と同じペースだ、えっ!そんな に早く飛べるの?いつも何をやっているの?高い燃油サーチャージをとって さ!私の腹いせの嫌味をさえぎって、横合いからヒステリックな声、ちょっと 待ってよ!上海発・西安往きは21時だよね!乱暴な言い方だ、間に合わない かもしれないわよねえ!そうすると今夜は最悪上海泊まりなの?エェ~ッ、私 の西安旅行はどうなっちゃうの?とタバコを吸いに行っていた筈のカミさん、 こういうトラブルのあるところだけには目敏く駆けつける。 まあまあ、大丈夫だよ時差があるから上海のトランジットが短くなるだけだか ら多分西安便には間に合うよ!中国をまあ信用しようよ!と、なだめ役にまわ り落ち着いたふりをした私。阪急職員何も言えずに私とカミさんのやり取りを 聞いている。 たとえばさ18時に名古屋から飛んで2時間15分だから20時15分上海着 じゃん、現地時間では19時15分だよね、7時15分だよ、21時、夜9時 の西安便までは1時間45分もあるじゃん、荷物を受け取ったりしても何とか 間に合うよ?もっとも今、飛行機が上海を離陸すればの話だよ!頭に血の昇っ たカミさん時差のからくりが良く理解できないらしい、内心の不安を隠しなが ら大丈夫、だいじょうぶ!俺にまかしときな!自信はないけど1時間の時差が ありがたい。阪急交通社の職員「実は」の青年言葉もなし。 15時半ちょっと過ぎ、受付が始まり行列が少し動き始めた、どうにか飛行 機が上海を飛び立ったようだ、1時間30分遅れの17時30分出発の目途が 立ったようなのだ。とりあえずチェックインだけでも済ませてくださいと言い 残して阪急職員自分の持ち場に帰っていった。行列の先頭部分の中国人観光客 がカウンターの女性ともめている、しっかりとガムテープでまかれたエアーパ ッキンを全部剥がすようにと言われているらしい。剥がされた中から出てきた 物はマスコミで報道されている日本製品不買運動などまったくどこ吹く風、象 印の炊飯ジャーが4つ、これを一人で運んでいこうとしている、どうやら梱包 の仕方が悪いらしい。 西安の旅行が決まってからカミさんしきりに政情不安を気にしている、大丈夫 だよ中国の一部の過激派不平不満分子に外交音痴の慎太郎と中国共産党の過激 派が火をつけただけだよ、民間レベルではまったく問題ないよ、阿呆な日本の マスコミが煽っているだけだよ。まったく40年以上前の周恩来と岡崎嘉平太 の努力を無駄にしてしまっている。 「信は縦糸 愛は横糸 織り成せ 人の世を美しく」 岡崎翁の言ったこの言葉をよく噛み締めれば、岡崎翁が覚悟を決め周さんに応 えた「刎頚の交わり」この言葉の意味が理解できれば争いごとなぞおこらない はずだ、まったくもって80歳にもなるというのに世間知らずのボンボン都知 事にも外交音痴の我が内閣にも困ったものだ、40年前に培ったお二人の努力 をナショナリズムを履き違えた右かぶれの知事の馬鹿な挑発それに触発された 思慮の足りない内閣の尖閣国有化で反故にしてしまっている、まず「反省と謝 罪」日本人はなんでこれができないのかね、しないのかね、根底はそこだよ、 実際に私の叔父は中国侵略の一端を担い重慶を爆撃している、カミさんの父親 も関東軍の軍医として満州のさる組織に属し相当な酷いことをしている、故人 ではあるが叔父と義父の歴史的証言もある。そうよね、とカミさん、毎年毎年 いつも我々を温かくお迎えしてくれ親切に丁寧に上海の夜を案内してくれてい る袖山君夫妻の友人の戴さん沈さんご夫婦の和やかな笑顔が浮かぶ、行列が少 しずつ減り始めている。 17時40分何とか飛行機は離陸した、前の座席では最前セントレアの積み 木で遊んでいたお嬢ちゃんが賑やかにはしゃいでいる、エッこれで夕食?丸い 饅頭のようなパンのようなものに何かの肉が挟まったサンドイッチもどきのよ うな物とハミウリ、お菓子、水とピーナッツ、まったく東方航空は!配られた 食べ物に早速カミさんケチをつける、馬鹿だなあこの便は本来16時発の昼の 便だから軽食しか出ないんだよ、でも、ビールはあるわよね?あるだろう。こ れで晩ご飯?と後ろの席のおばちゃんたち。みんな同じなんだなあ、状況を理 解しないで自分のサイトでしかものを見ない。 いつもの習慣で時計を一時間遅らせる。それにしても毎度のことながら今日の この便も満席、世間はつまらないことで騒いでいるけれど日中の民間交流は凄 いんだなあと思う、周さん岡崎翁の努力に感謝しなければ、岡崎翁は全日空社 長になった際、周さんとの約束どおり全日空一番機で中国に乗り込んでいる。 そこから真の意味での日中友好協定が始まったと言っても過言ではない。 「周恩 来角栄の会談」は岡崎翁の努力があってのことそれを温かく迎えてくれた周さ んの鋭い国際感覚の賜物だ。国交回復以来40年になろうとしているのにどう してあの二人のようになれないんだろう、広い見識を持った為政者はいないの だろうか。不気味な沈黙を守っている習近平に期待をするしかないか?一方日 本の政治家は・・嗚呼! 20時、中国時間19時上海到着、細かな雨のお出迎え、家を出てからもう 12時間、家を出たのがもう昨日のことのようだ、まだこれから西安に飛ばな ければならない、尖閣国有化論が出て以来、先週末西安でも小規模ながら反日 デモがあったと伝えられている、明日からの西安の天気予報は晴れ、これだけ が救いになる。いつになく速いスピードで入国審査が終わりバッゲージターン テーブルの前でトランクを待っているのだが20分待ってもなかなか荷物が出 てこない、やっと出てきたのが象印の炊飯ジャーなどの梱包された荷物だけ、 ゴムの垂れ幕の向こうから係員らしき青年が時々こちらを覗いている、さらに 10分の時間が経過する、この分だと空港レストランでの夕食は諦めなければ ならないな、21時発の西安便では飲み物くらいしか出ないだろうし、何か腹 にたまるものを買っておかなければならないな、西安のホテル到着予定は24 時30分、日本時間では夜中の1時半だ。30分近く待ってやっと出てきた荷 物を持って現地乗り継ぎガイドのお嬢さんと合流する、名前は柳(リュウ)さ ん二十代半ばの格好のいいお姐さん、帰りの便の案内もしてくれると言う。こ こで今回のツアーメンバーがセントレアの積み木で遊んでいたお嬢ちゃんとそ の連れのお爺ちゃんお婆ちゃん我々老夫婦の5人の編成だということがわかる、 馬鹿な政治家のおかげでキャンセルがいっぱい出たようなのだ。お爺ちゃんお 婆ちゃんは静岡から参加の鈴木さん。にわかに希望が湧いてくる、少人数編成 でお嬢ちゃんと一緒の観光旅行ということは・・ゆっくりペース、しめしめ、 老化した膝のためにはもってこいだ。 案の定、夕食を食べる暇もなく買い物をする時間もなく搭乗受付が始まって しまった、機内で配られた物も予想通り飲み物サービスとピーナッツが二回だ け、たまげたことに夜のフライトということで国内線なのにビールのサービス もある。夜中の西安空港で待ち受けてくれたのはガイドの審(シン)さん、ド ライバーの馬(マー)さん、二人とも三十台後半の好青年、しきりにこちらの 身体と疲労を心配してくれている。咸陽市にある西安国際空港から5人を乗せ たワンボックスは闇の中黒々と流れている王維が元二(元家の次男)を見送っ た「渭城の朝雨輕塵をうるおす・・」で音に知られた渭水を渡り、夜空を炎で 明々と照らす火力発電所を左手に眺めながら進路を東に取り西安市街地に向か って疾走する。途中料金所を通過するさせないで一悶着がある、なんでも数日 前の深夜に大型バスの横転事故があり三十数名が亡くなり以来深夜の観光車の 通行が禁止になっているらしい、外国人が乗っている旨の説明でやっと通行許 可が出る、日本人に対しての偏見や拒絶の反応はまったくない。小一時間ほど 走って車は長安西路にあるシャングリラホテルに到着、夜中のロビーでは内装 工事がひっそりと進められている、明日の朝には綺麗になりますからご安心下 さいとホテルの従業員の説明がある、中国も徐々に変わりつつあるなあと感心 してしまう。パスポートを預けたガイドの審さんがチェックインをしているの を待つ間にいつの間にか私たちの周りに寄ってきたのか「私たちの長男です」 と静岡の鈴木さんから三十代半ばの青年を紹介される。明日明後日と我々の観 光に同行するために山東省の煙台から飛んできたという、日本の大学の中国課 を卒業後中国に留学し以来11年間この国で事業を興して住んでいると紹介さ れる、なかなかのハンサム青年だ、ああ、お嬢ちゃんのお父さんですね?いい え、この子の名前はハルク、三男の三番目の娘なんですよとお婆ちゃん、ハル ク?どういう字を書くんですか?晴れるに虹と書くんですよ。素晴らしい!明 日からのお天気が約束されたような名前だ。ベビーカーに乗って眠り込んでい る晴虹ちゃん、11年も中国に住んでいるご長男、これでこの旅行は何の心配 もなし大成功!何しろ少人数6人の旅、ペースメーカーのお嬢ちゃん、中国の ことなら蛍のケツ通訳兼買い食い値切りのアシスタントをしてくれるだろうご 長男、三拍子そろってしまった。 明日のというより今日の出発時間は9時その言葉を聞いて三日間を過ごす部 屋に入る。さすがシャングリラ、さすが5ツ星、部屋の広さベッドの大きさ、 広いバストイレ文句のつけようがない。しかし腹が減った、明日の朝食が待ち 遠しい、昨年同じツアーをこなしたご近所の新平さんの入れ知恵、こんなこと もあろうかと恵那山SAでつまみにするつもりで私が買ってきた豊橋のチクワ などとカミさんが姫木から運んできたビールと「いいちこ」の前列通茶割りで 旅の初日に乾杯、シャワーは朝にして長かった一日に別れを告げ早々に眠りに 就く。 9月12日(水) いつもどおりの睡眠時間4時間で目が覚めた、枕元の時計の針は6時を指し ている、日本時間では午前7時、カミさんはまだ高鼾、テーブルの上には3本 の缶ビールの空き缶。私が眠り落ちてからスーツケースを片付けながら飲んだ らしい。シャワーをゆっくりと使い浴室から出てくるとTVからNHKが流れ ている、こういうところはいつもながら素早く卒のないカミさん。シャワール ームをカミさんと交代する、昨日の反日デモのニュースが流れている、短いニ ュースでまだ小規模なデモなのだがこの先の成り行きが心配になる、どうやら 無知蒙昧外交音痴の内閣が尖閣国有化を閣議で決定したらしい、何でこの時期 に!胡錦濤と野田立ち話だけだったが会談したばっかりじゃないか?これはヤ バイぞ!大変なことになるぞ!胡錦濤の面子は丸潰れじゃあないか、我々はこ の金曜日には帰国するからまだいいようなものだが週末は荒れるのは間違いな いな、余計な心配をさせないようカミさんにはこのことは黙っていよう。 7時、5階の客室からロビーに降り朝食のレストランに向かう、深夜の工事の 跡は昨晩聞いたとおりきちんと綺麗に片付けられていた、こんなところも今の 中国は以前と変わって洗練されてきている。レストランは百人以上の宿泊客で 賑わっているそのほとんどが欧米系だ、日本人の姿はほとんど見えない。席に 案内されコーヒーのサービスを受ける、隣の席の我々と同じ年恰好のお爺ちゃ んお婆ちゃんの会話はドイツ語だ。モルゲン!と会釈挨拶をしてからバイキン グテーブルに向かう。いつものようにオムレツ・麺のサービス屋台とカリカリ ベーコンを捜す、昼食・買い食い・夕食と全て中華三昧の3日間だ、せめて朝 飯くらいはいつもどおりの旅行スタイル洋食中心にしよう、しかしそれでも中 華風の汁麺だけは欠かせない、これが毎度の中国における私の朝食生活だ。こ れに加えて西瓜・ハミウリ・梨・桃・葡萄・棗などお通じを良くするために大 量の果物を食べることにしている、中国は広い、味はともかく季節に関係なく 豊富な果物が並ぶ、ありがたい。 朝食後中国タバコを求めてホテルの外に出る、出かける前にネットで調べた とおりかなり涼しい、西安は内陸部にあるのでこの時期の朝の気温は15度か ら17度くらい、昼の最高気温は25度くらいで姫木とまったく同じで過ごし 易く長袖のラガーシャツがありがたい。昨夜遅く着いたので町の様子がまった く判らない、しかしながら大きなホテルの近くには宿泊客を相手に酒タバコ水 などを販売する小さな店が必ずあるはずだ、コンビニなどよりも少々値は張る がまずは中国タバコと夜のビールが必要になる。見当をつけてホテルの敷地を 出て思い切って右に歩く、大当たりだ!50メートル先に酒タバコの看板を見 つける、 「紅河」HONGHEこのタバコは癖がなくまずまずだ、案の定値段の 表示がない、タオ・シャオ・チェン?8元との返事がある、以前コンビニで6 元で買った記憶がある、25円くらい高いが円高もあって100円くらいだ、 まあいいか、一箱を前回残した元で8元支払い青島缶ビールの値段を聞きホテ ルに帰る。ママ、青島は4元だよ、あら安いわねえ、ホテルの十分の一以下じ ゃん!でも本当は3元以下だぜ。集合時間前にホテルのレセプションカウンタ ーで両替をする、本日のレートは一万円が798元、一元が12円くらいで昨 年末よりも40元近くレートが良い、レストランで飲む西安の地ビールは確か 20元、2本分くらい得をする計算だ。11月に袖山君夫妻等とまた上海を訪 れる予定だ、政情不安もあるしこの先のレートがどのようになるかも分からな い、前回の残りが千元くらいあることだし取敢えず2万円両替して様子を見よ う。 9時、6人全員が集合し兵馬俑に向かって出発、我々の進路は西安中心から 北北東の方角、郊外に向かう。すれ違う環状線・高速道路は市街地中心部に向 かう車で大渋滞、車の行列は動く気配もない、どの車を見てもたった一人しか 乗っていない、まったく時間と資源の無駄遣い、急激な車の増加に道路が追い つかない状態だ。元来自転車通勤していた人々がおしなべて車通勤に変えてし まっているこれでは幅もとるし長さもとる渋滞する訳だ。バス停には長い人の 行列、以前と違って自転車を走らせている人々をほとんど見かけない、4~5 0年前の東京とまったく同じだ。大渋滞を尻目に我々を乗せたワンボックスは 見事なポプラ並木の高速道路を猛スピードで突っ走る。前の座席では鈴木さん 親子が出発前に息子さんが走って買い求めてきた青島缶ビールで乾杯をしてい る。イイナ!イイナ!こういうのが大好きだ、休暇なんだから楽しまなくちゃ! わたしもう~?と、カミさんが甘え声を出す、アンタは駄目!トイレが近いん だから! 小一時間ほど走り高速を下り道路の両サイドに果物売りの屋台が並ぶ田舎道 を抜け兵馬俑公園の大駐車場に到着。ここからはカートに乗って兵馬俑の入り 口まで行くという、カミさんと私の杖姿を見て早速「車椅子」を奨めに怪しげ な男たちが寄って来る、十五元!十五元!不要!プーヨー!カートに乗るから 不要!でも十五元じゃあ安いかなあ、カートの乗車運賃と同じ値段だ、上海の 地下鉄初乗り料金は3元、タクシーの初乗りは11元くらいそれに比べるとや はり観光地値段は高い。5~6分ほどで懐かしい兵馬俑入り口に到着、歩いた ら2~30分も掛かる距離だ。年寄りと幼児がほとんどを占めるツアーメンバ ーなのでガイドの審さん気を使ってくれている。ここでいつものように追い討 ちを掛け奥の手を使うことにした。みんながトイレに離れている間に審さんこ れから先よろしくね!と言いながらそっと握手をするふりをして百元札を握ら せる、子供のような笑顔ではにかむ審さん、これでこのツアーはきっとまたウ マクいく、私にとってはたったの千二~三百円だが審さんにとっては数倍の価 値がある。渡しながら6年前のサルコジの一件を話しゆっくりと兵馬俑見学が 出来なかった無念を告げる、多分これでたっぷりの時間を掛けてくれるだろう。 前回は飛ばされてしまった二号坑も含め、一号坑三号坑二号坑とたっぷりの 時間を掛け説明をしてもらい兵馬俑博物館に移動する、ここでも充分な説明と 時間を与えられ大満足、どうやら百元とサルコジ不満を述べたのが功を奏した ようだ、心なしかカミさんの顔も晴れやかだ。 しかしそれにしても凄いことをやったものだ、日本ではまだ弥生式土器の時 代、穴倉に毛の生えたような茅葺小屋に住んでいた時代にこんなとてつもない ことをやった国力と権力者を生んだ国、二回訪れた万里の長城と並びまったく 奥も底も知れない国だ、愚かだなあと思う半面尊敬の念が入り混じった複雑で 底知れない怖れが湧いてくる。一巡りしただけでも驚きなのだがこの周辺には まだまだ数知れない土偶が埋まっているらしいとのことだ。遣隋使・遣唐使を 送り込みこの国の文化を倣い学習してこの国を師として国を作り政を行って成 り立ってきた我が国、長い強大な歴史を持つこの国の中で「清王朝のたった八 十年間の堕落」につけ込んだ西欧列強に混じりこの国に侵略し征服しようとし て失敗をして重大な迷惑を掛けた愚挙、複雑な思いが湧き上がってくるのを禁 じえない。目下の尖閣魚釣り島呼び方はどちらでもいい・竹島獨島これもどち らでもいい、この問題も含めこの先この国々との関係は一体どうなっていくの だろう、同じ蒙古斑を持つ者同士朝鮮半島をも含め住んだ国土が違うだけのこ と元はといえば同じ黄色人種なのだから仲良く出来ないものなのか。周恩来岡 崎翁が再び頭を持ち上げてくる。 二号坑ではガラスケースに展示された真近に見る身の丈二メートルに喃々と する土偶の大きさ立派さに驚き、博物館では精緻に作られた青銅の馬車に感嘆 し後ろ髪惹かれる思いで兵馬俑の門を後にする。門前にはお土産品果物などを 売っているテントが並ぶ、姫木に帰ってから翌日、15日に泊まりに来る昨年 アフリカ旅行のマサイ族のお土産を戴いたYさんの息子のS君のために兵馬俑 の土偶を買うことにして、どうせ買うならと敬老精神一番歳をとっていそうな お婆ちゃんの店を選び値段の交渉をする。12センチくらいの丈の馬や兵士が 5~6体詰められた一箱の先方の言い値は六十元、私の言い値は二十元いろい ろやり取りがあって三十五元(420円)で話がつく、上海その他のレストラ ンで我々ツアー客が支払う青島ビール一本分強だ。カミさんは審さんのアシス トで大きな黄色い果物を一個買い求めてニコニコ顔でやってくる、3元(36 円)で買っちゃった!なんだよそれは?ザクロよ!でっかいねえ!二三週間時 期が早いそうだけどこの地方の名産品だわよ!そうか思い出したここに来たら ザクロを食わなくっちゃ!田舎道に一杯並んでいたのはザクロを売る店だった んだ、ちゃんと切って割ってもらって中身を見てから買ったから美味しいわ よ!こぼれそうに熟れている赤い実を数粒齧ってみる、甘みが多く酸味が少な く日本のザクロとはまったく違って旨い!皮が赤いうちはまだ駄目、黄色くな ったら熟してるんだって!カミさん次回までこの受け売りの講釈を覚えていら れるといいのだが・・・ ゆっくりのんびり審さんの補足説明を受けながら駐車場まで木立ちの中の遊 歩道を歩く、晴虹ちゃんはベビーカーでお昼寝の真っ最中。車で5分くらい走 ると「秦の始皇帝稜」に到着する、広い公園のようになっていて目の前には小 高い丘、この稜はまだ未発掘で発掘したら一帯何が出てくるだろうかと未知の 興味にそそられる。早く発掘すればいいのにねえとカミさん。深謀遠慮、兵馬 俑熱が醒め始めたら発掘してまた世紀の大発見と大々的に売り出しをするつも りなのか?中国政府のやることはよく分からん。 皆さんお腹が空きましたよね!15分くらい我慢して下さい、お昼に行きます からねえ!案内された建物に到着するとよくある手で一階が土産物売り場二階 がレストラン、土産物売り場の正面には立派なヒゲを蓄えた老人が机の奥に腰 を掛け、この方が兵馬俑を発見した楊さんだと店員に紹介される、今ここで兵 馬俑の記念本を買うと楊さんのサインが貰えると言う、来る前にネットで調べ た楊さんとはまったく違う顔をしている、どうやらこの辺一体そこいら中に楊 さんの偽者が跋扈してサイン本を売っているようなのだ。中国の観光地ではこ ういうことを平気でやる、鈴木さんは息子さんが中国に住んでいるほどの人だ から我々以上に中国通まったく無視をして階段を上がってしまう、私もちょっ とからかってやろうかと思ったのだが早くビールが飲みたいので鈴木家に続い て階段をまっしぐら。テーブルに着くと審さんが前菜の野菜などを全部片付け るように小姐に言いつけている、これらのナマモノの前菜は作ってからテーブ ルに並べて相当の時間が経っているので日本人のお腹には絶対に合わなくてお 腹を壊すから片付けさせるのだと説明してくれる、これから先も熱を通したも の以外は食べないさせないようにいたします、ありがたいことだ。今回の一番 の目的の兵馬俑見物が終わってしまったので後はもう付録ビールがどんどん進 む、あっという間に4本のビールが空になる。次々に出てくる四川料理は野菜 が中心で辛くもなんともなく日本人観光客向けの味付けで鈴木さんの息子さん は不満顔、11月の上海での戴さん沈さんが案内してくれる本物の四川料理が 待ち遠しい。 昼食の後は西安市内に戻り「陝西省歴史博物館」見学、前回6年前の観光コ ースには設定されていなく、今回は時間をたっぷりととってくれているのであ りがたい、唐代の建築様式で建てられた博物館は周恩来の提唱で造られた中国 最初の国立博物館で展示物の多さと展示品の歴史的価値の高さは中国博物館の 中でも一二を争うという、しかもなんと入場料は無料だとのこと、入場整理券 を手に入れるのが大変らしい。 周・秦・漢・唐など十三王朝の出土品や兵馬俑からの出土品、数多くの唐三彩 の焼き物などが時代を追って並び一時間半の見学でも時間が足りないくらいだ、 どうしてどうしてこの後の観光は付録なんぞと思った自分が恥ずかしくなる。 暗い中に浮かび上がる展示物を眺め、古のシルクロードの出発点の都大路に想 いを馳せ、阿倍仲麻呂・吉備真備等に自分を重ねてみる。兵馬俑見学の直ぐ後 ということもあり展示物に魅入られてカミさんの足が次第次第に遅くなる。 外に出ると現実の西安の喧騒いきなり現代に引き戻される、もう一度来てもい いわねとカミさん。駐車場の傍らで空に向かって百連以上の連凧を揚げている おじさんがいた、見事なテクニックだ、タバコを吸いながら眺めているとその おじさんの連れ合いらしきおばさんが凧はいらんかと言って来る、いくら?1 3元!即座に買ってしまった、姫木のスキー場跡地で凧揚げしよう。 天の原 ふりさけみれば 春日なる三笠の山に いでし月かも 前回入場した反対側の門から阿倍仲麻呂の記念碑が立つ興慶宮公園に入る、唐 の6代皇帝玄宗が楊貴妃と棲んでいた宮殿跡が今は広大な公園になっている。 いきなり大音響の音楽と太鼓銅鑼などの入り混じった音、太極拳に没頭する 人々、独楽を回す人々、社交ダンスに興じる人々、胡弓を弾く人々、カラオケ を歌っている集団、木陰でマージャンをやってる人々それを取り巻いて見物し ている人々、青龍刀を振り回して踊る人々、平日の午後だというのに広い公園 内はそれぞれの趣味に興じる人々で溢れかえっている、太鼓と銅鑼の正体は濠 の向こうの木立ちの影に隠れて何をやっているのかわからない、とにかく賑や かだ。日本から遣唐使として留学し玄宗皇帝に仕え重用された阿倍仲麻呂の石 碑の前で説明を受けた後公園の出口に向かう。出口付近の石畳を利用して長い 柄の筆で水文字を書いている数人の人々がいる、いつ見ても達者なものだと感 心してしまう。そういえば思い出した、数年前北京の頤和園でやはり水文字を 書いているお爺さんがいた、感心して見ている私の顔を覗きニコニコ笑いなが らサービスのつもりか石畳に達筆で「安倍晋三」と書いてくれた、違う違うあ いつはとっくの昔に政権を無責任に放り出して辞めてしまった、今は麻生太郎 その前が福田康夫と紙に書いて訂正する、お爺さんびっくりしたような顔をし て日本の首相はそんなに変わるのかというような言葉を発する、説明のしよう がなかった、その安倍が亡霊のように甦りまたぞろ総裁選に出馬するという。 中国の国家主席は今年やっと習近平に代わる。 夕食の前にお決まりのコース絨毯販売所に連れて行かれる、疲れ始めている こともあり、高級絨毯は前回買ってしまったからもういらないとニベもなく嘘 を言って断り、無料サービスのお茶をいただきお菓子を食べタバコを吸ってみ んなが揃うのを待つ、退屈しのぎに出口付近にある小物売り場の壁に丁寧に掛 けられている150センチ×45センチ幅くらいのカシミヤのスカーフこれは 本物だ400元を150元に値切りカミさんへのプレゼントにする。 お疲れのご様子だし皆さんオプションの夜景散策にも行かないようなので早め の夕食にしましょう、とガイドの審さん、中国通のお客が揃ってしまっている のでこういう場所での所要時間を極端に短くしてくれている。今夜の夕食は火 鍋料理、数種類の前菜の後大量の薄切り羊肉・牛肉・たくさんの野菜・麺類・ 湯葉・練り物などが次から次へと出てくる、それをアルコールで炊き上げる白 湯(パイタン)の入った銘々の鍋で食べる、付け汁の味付けは各人の好みで麻 辣辛酸を調節する。オプション不参加のお詫びのつもりで審さんのためにビー ルをどんどん注文する、西安の地ビール漢斯(ハンス)はやはり他より安く昼 も夜も一本が20元、満腹満足の夕食だった。 19時過ぎホテルに帰着、ロビーでカミさんと別れビールの買出しに行く、 後ろから鈴木さんのご長男が追いかけてくる、酒タバコの看板のある店に入ろ うとするとその隣の雑貨屋のほうが安いと教えてくれる、しかしその店の冷え たガラスケースの中に並んでいるのはコーラや得体の知れない清涼飲料水ばか りだ、鈴木さんかまわず前列に並んでいる清涼飲料水の後ろから冷えた青島ビ ールをどんどん取り出してニヤッと笑い、中国ではよくあることなんです、酒 販売の許可が取れない店はこうやって売っているんですよと言う。なるほどな あ!これから先の参考にしよう。明日の晩の分を含めて8缶の青島とつまみと してアーモンド・ポテトチップ・水500mlを2本買う、一缶が3元隣の店 よりも1元安い、鈴木さんは12缶買いこれが今晩の二人分だと言う、ビール が好きな親子だ、昼の観光の間も車が止まるたびにどこからかビールを手に入 れて飲んでいた。店の親父透明のポリ袋に詰め更に黒いポリ袋でそれを覆う、 こうするとビールを売っているのが分からないのだと言う。帰り道ホテルの脇 でリヤカーにブドウを並べて売っている、30センチ以上もある見事な房が4 元、迷わず買ってしまう。 9月13日(木) 今日の出発は朝8時、昨日より一時間早い。前回6年前の西安観光は4泊5 日、しかも名古屋早朝出発便で帰りも西安午後発の便だった、つまり丸2日が とこ今回よりも長い日程だった、しかしこれが果たして良いのかどうかは分か らない、長い日程だと一日2回から3回の買い物ツアーが含まれる、やれ玉(ギ ョク)の販売だとか、書の販売だとか、シルク・絨毯・翡翠・真珠・掛軸・お 茶などなど、今回は絨毯とマクラ・玉くらいだがそれも買うつもりもないお客 ばかりなのでごく短時間で終わらせて次に移動して見学時間を長くしてくれて いる。中身がつまったツアーと言って良いだろう。5時に目が覚めてNHKに チャンネルを合わせる、日中関連のニュースは一体どうなっているのだろう、 日本では6時のニュースの時間だ、ところが黒い画面が流れるだけでNHKは まったく映らない、ニュースの時間帯は見事に切られてしまっている、CNN も中国国内放送もアメリカに対するイスラムのデモ暴動関連は流れるのだが日 中関連のニュースはまったく放送されない、パソコンを持ってきていない私と しては眼と耳を塞がれた状態になってしまっている。 8時出発で「西の城門」に向かう、東の城門近くの長安西路にあるホテルから は真逆の方角、わずか10キロくらいの距離なのだがお定まりの通勤時間の渋 滞でのろのろ運転、おかげで城壁の外周の半周分がゆっくりと見物できる。城 壁の周囲の全長は12キロ、高さは12メートル、幅14メートル、城壁の上 を歩いて一周すると3時間以上かかり、最近ではマラソン大会まで行われてい るという、城門の上に聳え立つ巨大な櫓は武器庫で今は入ることが出来ない、 城門は二重構造になっていて一の門と二の門の間にコンサートができるくらい の広場があり、侵入してきた敵に対して頭上から石を投げ矢を放ち煮えたぎっ た油を浴びせるのだと説明される。この壮大さに中国土木建築の真髄を見せつ けられた感がする、こんな物が二千年近い昔に造られていたとは・・ 霧や靄のかかることが多い西安にしては珍しく今日も快晴、西の城門の上から 東を望むと城壁内の鐘楼・鼓楼がはっきりと見渡せ、西に眼を転じると遥か彼 方のタクラマカン砂漠やローマに通ずる道までが見えるような気のするくらい の晴天だ。絹商人や玄奘三蔵は一体どんな気持ちでここから出発して行ったの だろう、古の冒険者の勇気に心を馳せる。鈴木さんのご長男の携帯が頻繁に鳴 る、流暢な中国語で社員に指示を出している。 車は街中を少し走り城壁の北西角にあるチベット仏教の寺院「広仁寺」に着く、 一般の観光ルートからは外れているようで訪れる人も少ない、門を入るといき なり魔よけの壁に進路を遮られる、建物はお定まりの中国建築様式でチベット 的なものを感じさせないのだが、中庭には万国旗のような布が張り巡らされて 風にたなびいている、タルチョと呼ばれるチベット仏教独特の祈りの旗で、五 元素を表す黄(地)緑(水)赤(火)白(風)青(空)の五色に定められてい て一枚一枚に経文が書かれ旗が一回風になびくと経文を一回唱えたことになる。 威厳のある顔をした本尊が納められているお堂の周りはマニ車で囲まれて左回 りで回しながら一周するようになっている、マニ車を一回廻すと経文を一回唱 えたことになる、これならば文字の読めない人々でも簡単に経文を唱えられる、 チベット仏教は合理的だ。中庭ではダライラマを思わせる赤茶の法衣を纏った 僧侶が慎ましやかに歩き本堂に祈りを捧げている、ご自由にお持ち下さいと書 いてあるのだが10元のお布施を箱に入れ経文のCDを戴いてくる。西安は(長 安)やはりシルクロードの出発点であり終着点でもある都、清真大寺(イスラム)、 大秦寺(キリスト教)などさまざまな宗教が集まりその昔の繁栄の面影を残して いるのだが、往時の皇帝を敬いその寺院のこと如くが中国建築様式であるのが 面白い。鈴木さんの携帯がまた鳴る。 車は今度は南に回り雁塔路を走り大雁塔に着く、広い駐車場には大型の観光 バスがぎっしりと停まっていて境内は世界各国から集まった観光客で溢れてい て塔の写真を撮る場所を確保するのが難しいくらいだ。11時半頃境内に鐘の 音が響き渡る、50人ほど常駐している僧侶たちの昼食を告げる鐘だという、 面白いことに境内でお線香ロウソクなど販売している巫女さん姿のお嬢さんた ちも一斉にお弁当を食べだす、これは日本では絶対見られない光景だ。晴虹ち ゃんがロウソクと中国式の長いお線香をあげたいとむずかりお爺ちゃん高い高 いと言いながら仕方なしに40元支払っている、巫女さんたちはお弁当を食べ ながら片手でお金を受け取り食べる手を休めずありがたいロウソクとお線香を 手渡す、思わず吹き出してしまった。 晴虹ちゃんのお爺ちゃんお婆ちゃん何度も中国を訪れているようだがご長男を 含めて西安は始めてらしく大雁塔が少し傾いていることを知らないようだ、そ こで私が、あれは玄奘三蔵が経文を納める時に建てたんですが手伝ったのが孫 悟空・猪八戒・沙悟浄なんでいい加減に建ててしまい傾いてしまったんですよ、 と囁くとエエッ!そうなんですかとまともにとってしまい、私がニヤニヤ笑っ ていると、またご冗談をと返してきた。晴虹ちゃんお婆ちゃんを除く4人がビ ールが大好き昼夜かまわずジャンジャン飲むのでわずか一日半で和気あいあい のツアーになってきてしまっている。黄土の堆積した土地には重い焼きレンガ を積み重ねた塔は合わないのかもしれない、大雁塔・大秦寺(キリスト教)・蘇州 の虎丘みな傾いてしまっている。鈴木さんの携帯がまた鳴り、今度は真剣な口 調でやり取りしている、中国語なのでよくは判らないのだが何か込み入った話 のようだ、尖閣絡みの話でなければよいのだが・・ 昼食は日本人の僧侶が経営する大きな精進料理の店に連れて行かれる、野菜 が中心のメニュウなのだが肉に見立てた物のほとんどが豆腐から出来ていて日 本人ばかりではなくヘルシー嗜好の欧米人にも人気があり店内を埋めている8 割がたが欧米人なのだが、近頃では中国人のお客も多いと聞く。何はともあれ ビールで乾杯。食事の間にご長男が今夜は夕食を失礼して夕方の便で山東省の 煙台に帰らなければならないという、頂いた名詞には東京可爾布(クレープ)とあ り、煙台で複数のスウィーツの店舗を経営しているらしいのだが、どうやら尖 閣問題が絡み青島あたりが怪しい雲行きになっているようだ。慎太郎の身勝手 で無責任な発言がこの異国の地で働く人たちにとって大いなる迷惑になってき ているようなのだ。 昼食の後は車に乗らずにそのままイスラム街の散策、回族の男たちは例外な く白いイスラムの帽子をかぶっているのだが、ヒジャブやヒマールで顔を隠し ている女性をまったく見かけない、小さな間口の店先に立ち素顔を曝け出し果 物を売り野菜を売り衣類を売り電卓を叩く、イランやアフガニスタンなどの女 性たちとまったく異なり女性らしく美しく輝いて生きている。 驚いたことにまだ9月の半ば前だというのに私の大好物「干し柿」がもう店先に 並んでいる、上海では11月でも手に入れるのがまだ難しいくらいなのにだ、 やはり中国は広い西安はシルクロードの起点で終着点。小さなアンパンを白く したような大きな干し柿が10個入ったパックがまず目に入る、15~6才く らいの可愛い少女にタオ・シャオ・チェン?と聞く、発音が悪いのか日本人だ とバレたのか店の奥に駆け込んでお姉さんらしき少女を連れてくる、瞳の綺麗 なお姉さん30元と電卓を叩く私はすかさず10元と叩き返す、25元、15 元と叩きあい双方ニコニコ微笑みながら結局20元で手を打つ、これでも上海 の「第一食品」の半額の値段だ、やはり地方ではまだまだ物価は安い。広い通 りの両側からは羊肉(ヤンロウ)の焼けるいい香りが漂ってくる、腹はビール で膨らんでしまって昼飯の後なのが残念だ、食べられるときに腹いっぱい食べ 飲めるときにしたたか飲む、どうしてこの癖から私は遁れられないのだろう、 猪八戒の悪口など言えた義理ではない。次の店では先の尖った干し柿をやはり 20元で手に入れる、前回参詣した中国建築様式のモスクのある清真大寺に通 ずる道を右手に見て先を急ぐ、ガイドの審さんの大きな背中が50メートルく らい先に見え隠れしている、こぼれそうなくらいに積み上げられた棗の山が私 を誘う、イスラム街の出口付近、と言っても鼓楼のある中心広場から見れば入 り口付近なのだが、そこに大きな食料品店があり今まで買った干し柿が15元 の正札が付けられて売られている、やられちゃった!と思ったのだが後の祭り、 そこでもまた悔しいけど干し柿を買ってしまう、ポリ袋がどんどん増えて行く。 いつものように手提げの買い物袋を持って来なかったのが残念だ、ステッキを つき半袖シャツに腕まくりをした薄手のサファリコートに登山靴、ズボンの右 のポケットに元札、左のポケットに数枚の千円札それが私の街歩きのいでたち だ。前回のイスラム街では指名手配中のサダム・フセインの手配写真が印刷さ れたトランプを戯れに買った記憶がある、IRAQ MOST WANTED 時の流れは速いものだ、サダムは最早歴史上の人物になってしまっている。後 ろを歩いている筈のカミさんの姿を捜す、右に行ったり左に行ったり結構楽し んでいる様子。 鼓楼と鐘楼を結ぶ都大路が今は広い公園になっている、そこで30分の自由時 間、解散になる、前回休憩したスターバックのテラスでコーヒーでもと思った のだが、晴虹ちゃん効果で脚も膝も腰も痛くない、もう少し店をひやかす事に 決めベンチに腰掛けタバコを吸ってからまたブラブラと歩き始める、イスラム 街は面白くまた戻りたいのだが鐘楼まで来てしまったので時間が足りない、近 場でタバコ屋さんを見つけ「紅河」を2カートン120元(1500円)で買い求 めるやはり一箱6元だ、これはスーツケースに詰め込み、上海空港の免税店で また2カートン買う予定、セントレアで買った2カートンは既にスーツケース に詰めっぱなしだ、都合6カートンのタバコを持って帰ることになる、タバコ の高い日本に帰ればいくらかでも私の少ない小遣いの足しになるだろう。最前 座ったベンチに戻り審さんを待つ、直ぐ右手に鐘楼が聳え立っている、公園の 前の広い通りの車の流れも人の流れもいつもと変わりなく穏やかそのもの、物 乞いのお婆さんが二人もやってくる。 最近になって買い物ツアーに組み込まれるようになったラテックスの工場で は天然ゴムで作られたラテックスのマクラが如何に健康に良いかとの講義を学 生よろしくホワイトボードの前に座らされ長々と説明をされ8500円で買え と言われる。冗談じゃあない!そんなものが欲しいもんか!この間上海で買っ てしまったからもういらないとここでも適当なことを言って切り抜ける。それ では快眠できる健康マットはどうかと奨め、試しに寝てみてください靴のまま で結構ですよと言う、じゃあちょっと横になるか、扇子を開き顔に乗せ眼をつ ぶる、昼に飲んだビールとイスラム街散策の心地よい疲れで本当に眠ってしま った。 「書院門古文化街」は書道に興味のある諸氏にとってはたまらないところだ ろう、しかしながら菅原道真公とはまったく縁遠い私やカミさんにとっては猫 に小判、いや、猪八戒に真珠。広い道路の両側には筆や硯や紙を売る店がどこ までも続き、食料品や生活用品などを売る店などはまったくない、わずかに道 路の真ん中に続く露店で携帯電話のストラップや土鈴や土笛や京劇のお面など の小物が売られているばかりだ、さすが書の国中国古くからの都西安、筆や紙 などを買い求める人の流れが留まるところを知らない、その喧騒の中小さなリ ヤカーを引いた自転車がひっきりなしに警笛を鳴らす。しかしいつも思うこと なのだが中国のどの都市に行ってもどうして同じ品物ばかりを扱う店が集まっ ているのだろう?お茶だけを売る街、工具だけを売る街、楽器だけを売る街、 自転車の部品だけを売る街、食器など焼き物だけを売る街、数え上げたらきり がない、あれでどうやって生活が成り立つのかと感心して心配してしまう。 ここで鈴木さんのご長男とお別れすることになる、ドライバーの馬さんが友人 のタクシーを呼び空港までの料金の交渉をしてくれている、最初は人見知りで 初めて会った叔父さんに対しておずおずしていた晴虹ちゃんが突然泣きべそを かき始めてしまった、鈴木さんのご両親は勿論のこと、丸二日間近く飲み食い 行動をともにした連れと別れるのは私たちにとっても辛いことだ、晴虹ちゃん がみんなの気持ちを代弁してくれている、いつの日にかの煙台での再会を約束 してタクシーは走り去った。 夕食は西安名物の「餃子宴」、前菜スープなどがあって18種類の餃子が辛い ものから甘いものまで中身を変え形を変え次から次へと出てくる、ご長男の分 まで予約がしてあったので6人前を4人半で食べることになってしまう、前回 食べたレストランとは違う店のようで今回のお店のほうがはるかに旨いのだが、 ご長男が帰ってしまったので鈴木さん心なしか寂しげでビールも餃子も進まな い、カミさんが話の中心になり場を盛り上げようとしている、ついでに厚かま しくペンションへの営業までもしてしまう、近頃酒に酔うと場をわきまえぬし ゃべりは留まるところを知らない、変な女になってきてしまっている、困った もんだ。結局4人半では食べきれず残念ながら数種類の餃子を残してしまう。 今晩のオプションも不参加なので、のんびりゆっくり食べていてふと気が付く と周囲のお客はみんな帰ってしまったようだ、我々の後ろのテーブルを数人の ウエイトレスたちがガチャガチャと音をさせながら片付け始めている、テーブ ルクロスに何でもくるんでそのまま持っていってしまう、こんなところは以前 とまったく変わりがない、日本人のような繊細さはまったくない。そろそろ潮 時かなあと思っていると審さんが迎えに来る、車の中で明日の朝は5時モーニ ングコールで6時出発と告げられる、風呂にゆっくり浸かりビールを飲み始め たのだが満腹のせいかやはり飲み残してしまう。 9月14日(金) 6時ジャスト、まだ夜が明けきらない闇の中、咸陽にある空港に向け出発、 晴虹ちゃんはまだ夢の中、わずか中二日の西安だったのだが中身が充実してい たせいか連れの人たちの人柄が良かったせいか楽しい旅であまり短いと感じら れない。やがて闇を切り裂き地平線から陽が昇りあたりを赤々と染める、やは り広大な国だ。今日も晴天、遅れることもなく順調なフライトになるだろう。 荷物検査でトランクに詰めた鈴木さんの飲み残したジョニーウォーカーが没収 されてしまう、いつもにないことだ、私の飲み残しのイイチコは何事もなく通 ってしまう。手荷物検査を受ける前に二十代半ばの若い整理員に私の杖が機内 に持ち込めないと言われる一悶着があり、杖を梱包してスーツケースなど一緒 に預けろと言う、これはカーボン製のステッキで脚の悪い人間が杖なしでどう やって歩くのだと言っても頑として受け付けない、昨年の上海、この春のバリ 島、今回のセントレア~上海~西安と何事もなく通ってきた杖である、あれも これも日本人に対しての嫌がらせをやっているとしか思えない、週末に向け 徐々に反日感情が盛り上がってきているのではないかと危惧してしまう。しか しこの後味の悪さを作った因はわれわれ日本人にある慎太郎にある、仕方ない 諦めよう、梱包するほどの物でもない、杖はまた帰ってから買うことにしよう、 ペットボトルなどの籠に捨てることにして審さんに別れを告げ大袈裟に足を引 きずってボデイチェックを受ける。 上海では先日案内してくれた柳さんの出迎えを受け国際線に乗り継ぐ、ここで はさすが国際都市ローカルほどの嫌がらせはない。全て順調で無事セントレア に15時過ぎ時間通りに帰国、荷物を受け取り鈴木さんたちご家族に別れを告 げる、晴虹ちゃん顔をくしゃくしゃにして泣きべそをかき始める、また会いま しょうねとなだめてお別れして駐車場に急ぐ。 9月15日(土)と、それ以降 配達止めにしてあった新聞をまとめて読む、何事もなく楽しく無事に過ごせた 4日間であったのだが、日本のマスコミの報道では、やはり反日感情の盛り上 がりは凄くあちらこちらで火の手が上がっていたように伝えられている、私は 特に意識をしなかったのだが、多分西安に行く前のマスコミ報道から仕込まれ た先入観からのことと思えるのだが、疑心暗鬼からからのことだと思えるのだ がカミさんは時々刺すような視線を感じていたという。 旅先で私が懸念したようにやはりこの週末は大荒れでこの日の午後以降のT Vのニュースでは荒れ狂うデモや暴動の画が繰り返し流される、私たちが休憩 した鐘楼のある都大路跡の公園の前の穏やかだった通りの向こうにある外国人 の泊まるホテルも破壊され、燃やされた日本車からは火の手が上がっている。 山東省の省都青島を近くに控えた煙台の鈴木さんの身とお店が心配だ、日本人 僧侶の経営する精進料理のレストランも心配だ、また日本人を相手にしている 数多くのガイドの皆さんの身もこれから先の仕事も心配だ、日本人ツアー客を 相手にしている怪しげな製品を売る工場もしばらくの間は売り上げ激減だろう、 中国で仕事をしている大勢の邦人やそこで働く中国人労働者の今後も心配だ、 日本経済の今後の行く末も心配だ。今回のたった4日間の私たちの旅行の周り にもこれだけたくさんの人たちが関わっている。日本のマスコミは間違ったナ ショナリズムを煽るような報道に傾いてきてしまっている。 留守中、11月に袖山君夫妻との上海往きに同行する予定だった昔の私の仕事 上の先輩のO氏からは早々に11月の上海往きをキャンセルする旨のメールが 入っていた、仕事の関係からの上海通で久々の上海往きを私たち以上に楽しみ にしていたO氏の心中を察すると慙愧に耐えない。一体この責任を誰が取るん だ?どのように決着を着けるつもりなのだ。世の中はまたぞろ反省のない一代 前の政権に戻ってしまうような方向に向いている、しかも総裁選に出馬する顔 ぶれは対中強硬派の鷹派揃いだ。 「ひと」はいつになったら人間らしい心を持つようになれるのだろうか・・・ 9月27日(木) 一昨日、袖山君夫妻と一晩飲み明かした。 こんな時だからこそ、11月には敢えて上海に行こうと結論付けた。
© Copyright 2024 Paperzz