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舞台芸術 AIR ミーティング@TPAM
AIR ナイトラウンジ 2:パフォーマンス♪—ジェイコブ・ウレン×工藤冬里
『アンリハースド・ビューティー/他者の天才』
『生殖行為によって家族は作られる』などの異端的で鋭い演劇作
品で知る人ぞ知るモントリオールのグループ、PME。その演出家ジェイコブ・ウレン氏が長きに渡って尊敬して
いた天才ミュージシャン工藤冬里氏とついに出会い、1 月 23 日から工藤氏の拠点である松山にて 2 週間ほど AIR
を行ないました。僅か 2 週間ですが、以下のテクストはその滞在のなかで交わされたものです。
愛媛県での作業ノート(ジェイコブ・ウレン、2月9日)
2012年1月25日に初めて工藤冬里と会った。それほど前のことではない。彼はコラボレーションを一緒に器を作る
ところから始めようと提案した。僕が松山に来たのは彼の音楽の大ファンだったからだし、陶芸のことは全く何
も知らなかったけれども、土をこねることから始めることに何の異論も思いつかなかった。目の前で土が回転す
るのを見ながら、僕は冬里の実践をある種の二重生活として考えはじめた。一方に音楽、一方に陶芸(冬里によ
れば、彼は音楽家には自分は陶芸家だと言い、陶芸家には自分は音楽家だと言っているという)。ある意味同じ
ように、僕も二重生活を送っている。僕はパフォーマンスを作り小説を書く。この二つの実践の間の関係につい
て尋ねられると、僕はまともに答えられない。このように二重の存在を生きるということには、きわめて美しい
何かがあると思う。一方で行き詰まったと感じたら、いつでももう一方に逃げられるからだ(行き詰まったと感
じたくないということが、僕の大きな関心事になっている)。
工藤冬里のバンド、マヘル・シャラル・ハシュ・バズは、アマチュア音楽家(今50人以上いると思う)が入れ替
わりで構成するグループだ。僕はアマチュア音楽家とプロフェッショナルな音楽家との違いは何だろうと考えは
じめた。一つはおそらく、プロは収入のために働き、アマチュアは収入の有無に関わらず自分が好きなことをや
っているということだろう。また、アマチュア音楽家はある種の二重生活を送っているとも言える。昼間は仕事、
空いた時間に音楽というように。これを書いている時にはまだ僕はマヘル・シャラル・ハシュ・バズのメンバー
には会っていないので、後で全員とほぼ同時に会うことになるだろう。僕は何が起こるのかをとても楽しみにし
ている。彼らがこれらの質問をどう思うか、僕たちがどうやってこれらの質問を一緒にパフォーマンスへと変換
していくのかを。
芸術活動だけで生活を支えているという意味では、僕はプロフェッショナルだ。でも同時に、僕はある種のアマ
チュア精神をもって芸術に向かっている。多くの場合は、単に直感的、本能的にそうしている。作っているとき
僕は、自分が何をしているのか分かっており、同時に分かっていない。僕は自分自身を「分かっていない」側に
置く。これが僕のチームだ、しかしこの「分かっていない」が「分かり過ぎている」に対する保険に過ぎないと
いう怖れもある。僕は長い間こういうやり方で作業してきた。僕はトリックにまみれているし、トリックのほと
んどが僕自身にかけられている。経験的に僕は、自分の最も正直な作品が最も好評とは限らないということを知
っている。人はそれを素人臭いと言う。そうだね、と僕は説明したくなる、でもそこには美しさもあるだろう? そ
して僕たちの間で価値観の争いが始まる。僕は壊れやすく不確かなものに価値を見いだすけれど、彼らはもっと
確固とした、効率的な、強いものに価値を置くのかもしれない。僕は自分なりに効率的であろうとしているのだ
けれど(僕のやり方で、というだけなのだろうけれど)。
違ったやり方で、誰もが二重生活を送っていると言える。公的/私的生活。職場/家庭。友人との関係/家族と
の関係、など。正統的で、自分に正直であるためには、一貫性をもって、常に同じように振る舞わなければなら
ないと言う人もいるかもしれない(これが「確固とした、効率的な、強い」生き方というものだろうか?)。も
ちろん僕は正反対のことを信じている。正気を保つためには、異なる複数の習慣、異なる複数の人格を持たなけ
ればならないと。そうしたそれぞれの人格が他の人格と共存しなければならないと。人は恋人に対してある態度
をとり、ゲシュタポに尋問されているときには全く別の態度をとらなければならない(恋人には真実を伝え、ゲ
シュタポには嘘を伝える。少なくとも僕はそうする)。芸術作品を作ることを仕事のひとつにしていて、他の仕
事で金を稼ぐとしたら、それは金で芸術を損なわないためだと言えるかもしれない。あるいはそうではないかも
しれない。こういう問題に関して選択権が常にあるとは限らないし、僕は芸術が特に純粋なものであると考えた
ことは一度もない。しかし、部屋が一つしかないというのはちょっと閉所恐怖症になりそうな気がする。二つ目
の部屋があって、そこに移動できるというのは常によいことだ。
2012 年 2 月 16 日
1
マヘル・シャラル・ハシュ・バズのメンバーに宛てたEメール(ジェイコブ・ウレン、2月9日)
マヘル・シャラルのメンバーのみなさん、こんにちは。
まずこのパフォーマンスに参加してくれることにお礼を言いたいと思います。僕にとってとても大きなことです。
どんなことが起こるか、とても楽しみにしています。
できるだけクリアに、横浜で2月16日の夜に起こるであろうと僕が考えていることについて、説明してみようと思
います。僕自身このようなことを試みたことは今までないので、みんなにとって新しい体験になると思いますが、
うまくいけば僕たちみんながそれを楽しみ、大いに学ぶことになるだろうと確信しています。僕は舞台を作ると
きいつも、長く残るような経験を人にもたらし、世界を新しいやり方で考える手助けになるようなものにしよう
としています。
明確にするために、このパフォーマンスを6つのパートに分割しました。基本的な構造をできる限りシンプルにし
ておくことが重要だと思っています。しかし実際の上演では、これら6つのパートはそれほど明確に区分されない
かもしれません。この「パート」という考えは、主に僕たち自身が、リハーサルのときにこのパフォーマンスに
ついて話し合うために用います。
パート1:
パート :導入部
ジェイコブが彼の基本的なアイデアを観客に説明する。彼が工藤冬里との共同作業をろくろから始めたこと、冬
里がある種の二重生活(音楽と陶芸)を送っていることに気づいたこと。この二重生活という概念がジェイコブ
にとって極めて興味深いものだったこと、彼がそれを興味深いと思う理由。彼は自分自身の二重生活のあり方に
ついても話す。そして自分が作った焼き物を観客に見せ、パフォーマンスが終わったらこれは無料で観客に提供
されるだろうと言う。
パート2:
パート :ろくろが始
ろくろが始まる
冬里がろくろの前に座り、作業を始める。僕たちは観客の中から有志を募り、冬里がろくろから聴き取る言葉、
あるいはパフォーマンスの中で起こっている他の物事から聴き取る言葉を紙に書き取ってもらう。言葉は大きな
紙に書かれ、壁に貼られ、その後パート5で歌われることになる。冬里はパート3からパート4にかけてろくろを回
しつづけるが、その間も他に介入したり、何か言ったり、何でもしてよい。
パート3:
パート :第一の
第一の質問
マヘル・シャラルのメンバーが舞台に登場する。ジェイコブは最初の質問をする。「マヘル・シャラル・ハシュ・
バズで演奏するとはどういうことかについて何か一つ話してください」。各メンバーがこの質問に答える。一人
につき数分かけ、答えは英語に翻訳されるので、一言か二言言って、それが英訳される間待ち、また次の一言か
二言を言って、それが英訳される、といった形で進む。何を言ってもよい。音楽を演奏することについて、ある
いはマヘル・シャラルの中の力学について、何を言いたいか、何を観客といちばん共有したいかを前もって考え
ておくこと。話が終わればマイクを次の話し手に渡し、全員が話し終わるまで続く。
パート4:
パート :第二の
第二の質問
ジェイコブは二つ目の質問をする。「あなたの仕事について何か一つ話してください」。メンバーはどんな仕事
について答えてもよいし、どのように答えてもよい。前もって何をいちばん言いたいか考えておくこと。仕事に
関係があり、観客に見せることで説明の助けになるような小道具を思いついたら、持って来ておくとよい。例え
ば、誰かがバトミントンの道具を持ってきてバトミントンをする、冬里はすでに焼き物作りをやってみせている、
など。質問に答え終わった人から自分の楽器で静かに練習を始める。
パート5:
パート :音楽
全員が二つ目の質問に答え終わると、全員が自分の楽器についている。冬里とジェイコブがバンドに加わり、み
んなで音楽を演奏する。
パート6:
パート :まとめ
ジェイコブは自分の作った焼き物を観客に渡す。二人以上の観客がそれを欲しがった場合は、彼らになぜそれを
欲しいのかを説明してもらい、いちばんよい答えをした人に焼き物は手渡される(金の代わりに「理由」を用い
たオークションのようなもの)。ジェイコブがこれを行なっている間、冬里はこれまでずっと作り続けていた生
の焼き物を集め、一つの土の大きな塊に戻す。
二重生活という概念がこのパフォーマンスのメインテーマになっています。冬里は音楽を演奏し、陶芸をやって
います。バンドのメンバーもそれぞれ、音楽と、それとは別の仕事について話すことを求められます。生活の中
2012 年 2 月 16 日
2
の二つの異なる部分。もちろん僕たちの生活には二つ以上の部分がありますが、このパフォーマンスでは二つと
いうことにフォーカスします。観客に対して解答を提供する必要はありません。僕たちのすべきことは、いくつ
かの問いを問うことだけです。僕たちが自分の生活について考えるならば、それを見た観客も自分の生活につい
て考えるはずです。
これがどのように行なわれるかを僕も精確に分かっているわけではありません。これはパフォーマンスの実験、
しかもうまくいけば極めて興味深い実験であり、僕たちはみんな多くを一緒に学ぶことができると思います。
2月16日にお会いするのを楽しみにしています。
改めてどうもありがとう。
ジェイコブ
マヘル・シャラル・ハシュ・バズのメンバーに宛てたEメール(工藤冬里、2月6日)
今決まっている大まかなイメージをお伝えします。
今回の劇は大きく三つの円(music, job, そしてpottery)とその交わりから成り立っています。
テーマは音楽と仕事のdouble life, ロクロの回転や日常のルーティーンに見られるループについて内省の機会を与
えることです。
ジェイコブの二重生活のイメージは、世を忍ぶ仮の姿、スパイ、といったもので、そうした二重生活が、資本の
要請によらない個人のスタイルとして推奨されるべきだという考えです。資本は多くの場合、ひとつの職種、ひ
とつのライフスタイルを求めるからです。
マヘルに参加している人の普段の仕事が浮き彫りにされ、その後演奏する、というプロセスを見せることで、今
の日本の現状や、幸福のあり方というものに観客が思いを馳せ、自分の生活のサイクルを語ることで、自分も表
とは違う裏の(単にtwitterで裏アカを持つといったことだけではなくて)、別の秘密のサークル、習慣を生活の中
で持ちたい、と思うようになったりする機会になれば、ということです。
参加者と観客が、それぞれの仕事やマヘル、陶芸との関係を語ることで進行していきます。
英語と日本語はその場で通訳されます。
参加者に求められているのはpreparationです。
観客はその準備がない状態で参加を促されます。
普段人前で喋ったことがない人が語り始めるのを見るのはとても美しい経験であり、それを体験することが劇の
主要な目的です。
参加者は自分の仕事について、またマヘルについて、何をするか、語るか前もって決めておいてください。
それには広義のパフォーマンスのすべてが含まれるでしょうし、実際何をしても構いません。「自分自身である
こと」が唯一の決まりです。
夕方集合し、リハーサルの後、10時に開演します。
冒頭、ジェイコブがうちで作った焼き物を見せて、その経験を語ります。それは終演後、ただで欲しい人に渡さ
れるだろう、と言います。
その後、マヘルについて、次に普段の仕事について、各出演者に質問していきます。
ぼくは電動式ロクロに粘土を置き、作品を作り始めますが、ロクロから出るノイズを言葉に変換して呟き続けて
います。会場には大きな紙が張られていて、その言葉が書かれていきます。出演者はその言葉を見ながら、また
他の人の話を聞きながら、自分のループを考え、自分の楽器で小さな音で練習を始めていきます。その音はスピ
ーチの音を打ち消さない程度のものであるべきで、ずっとループし続ける必要はありません。また、他の人の話
や壁に書かれていく言葉の変化に伴って、ループが変化しても構いません。
ぼくはロクロで、話している人の象を作るという意識で器を作ります。それは出来上がる度にロクロから引き離
され、話している人の前に置かれます。すべての人の話が終わると、全員でループによる合奏が行われます。歌
詞は壁に書かれた文字です。
その後、観客も話すように仕向けられ、筋書きはありません。ロクロに人が乗るかもしれず、誰かがロクロを体
験したいと言い出すかもしれません。ジェイコブの作品が欲しい人は、なぜそれが欲しいかを話すことが求めら
れます。(それによって話すことが促されるかもしれない、ということです)
11時10分前になったらアルコールが配られ、劇はなしくずしに終わっていきます。
ぼくは生の器を集め、最初と同じひとつの塊に戻します。
終演後も残った人々によって話しは続けられます。
2012 年 2 月 16 日
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マヘル・シャラル・ハシュ・バズのメンバーに宛てたEメール(工藤冬里、2月9日)
チェルフィッチュの岡田利規がイラク戦争の時書いた『三月の5日間』は画期的な小説だった。その短編は『私た
ちに残された特別な時間の終わり』という二編の短編からなる小説集にまとめられ、その表題は確かに当時の気
分を切り取って、それから意識の底に沈んだ。
『三月の5日間』の冒頭、六本木で劇が終わってからも喋り続ける女の様子が描かれるが、それが実はジェイコブ
の前回のスーデラでの公演なのだった。
僕はそれをDVDで観た。数人が集まってdrag city風の歌を披露している体のもので、到底演劇には見えなかったが、
ジェイコブによると、日本の公演ではとても美しい瞬間があり、それは、通訳の仕事をしているという女性が立
ち上がって、「今まで自分は人の話を伝えることしかしたことがなかったが、今夜は自分のことを話したいと思
った、」と喋りだすと、さらに別の女性が立ち上がって自分も通訳の仕事をしていると言い、しばらく二人の話
と互いの通訳が続いた部分である、ということだった。
二人の女性は、ジェイコブの周到な反演劇的な仕掛けによって、その場所で、自分が誰でどこで何をしているか
ということに初めて思い至ったのだ。
三つの円(job, music, pottery)とそれぞれの交わる部分を合わせると7つのエリアが出来る。自分のdouble lifeのこ
とを考えるだけではなくて、同時に他の参加者から自分のdouble lifeを見られている、という意識がないと、例え
ばjobとpotteryの交わる場所の重さが示せない。参加者は仕事としてのロクロについて質問するかもしれず、実際
にやってみたいと言い出すかもしれない。あるいはアートとしての陶芸にしか興味がないと言うかもしれない。
そうした情感を予測することさえ今まで表面的にしか出来ていなかったことに今日気づいた。
準備するとは7つのエリアについての平等なリアリティーを持つということ。
1 music
2 job
3 pottery
4 music and job
5 job and pottery
6 pottery and music
7 music, job, and pottery
ジョナサン・リッチマンがthis kind of musicと言ったエリアと消費、陶芸教室的公募系自称作家と賃挽き、陶芸と
しての音楽またその逆、
double lifeは大きな優先順位がなくなり、垂直の価値観が地層ごと流された後の時代の、あれか、これか、という
目の前の水平な問題意識の連続としての生を表しているかもしれない。そこに後ろからの声は聞こえているのか。
そういう訳でぼくらはブラブラ病とリアル病に罹るしかなくなってゆく
地層のない、アミダのような平面を
野獣の像に命を吹き込むように、カラオケの駄曲に命を吹き込もうとして
きみは泣く
突然死にはエリック・ドルフィー、癌にはビリー・ホリデイ
きみはうたのたてよこを知らない
アミダを梯子のように空間に掛けてみせたら
金タワシの中を進むナメクジのようにぼくらは
出演:ジェイコブ・ウレン(PME-ART)
、 工藤冬里、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(松本誠次 福田真也
牧野佳世 鈴木美紀子 大谷直樹 前島ももこ 田村たつき 井伊はるか 米井口)
通訳:塚原悠也
翻訳:新井知行
主催:高知県立美術館、国際舞台芸術交流センター(PARC)
助成:平成 23 年度文化芸術の海外発信拠点形成事業
2012 年 2 月 16 日
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