ウシの快適飼育法を認証する

提 言
ウシの快適飼育法を認証する
東北大学大学院 農学研究科
教授 1 私たちはウシを快適に飼育してきた
佐藤 衆介
物のことを思いやる発想ですが、西洋では動物の
幸せを科学的に類推し、その結果、5つのポイン
明治28年12月18日に印刷された「小学校用普通
ト【①餌と水を適切に与える ②施設・設備・温
作法書」(写真1)が手元にあります。第78課は
熱・空気などの物理的環境がストレスをもたらさ
「動物に対する心得」ですが、第1では「我が家に
ない ③病気や怪我をさせない ④手荒に扱わな
犬、猫、牛、馬、鶏などを飼わば相当の餌を与う
い ⑤やりたがっていること(正常行動)をやら
べし(飼いたる物に餌を与えざるは、無慈悲なる
せる】で飼育環境を整えようとする発想をここ40
のみならず・・・)」と書かれ、第4では「犬、
年ぐらいで育ててきました。これをアニマルウェ
猫及び魚類、虫類に至るまで、罪なきものを苦し
ルフェアあるいは動物福祉といいます。
むべからず(犬、猫を打ちたたき、或いはこれを
縛りつけ、釣りたる魚を弄び、めだか金魚の入物
を掻き廻し、蝶、蝉、とんぼ、蛙などを捕らえな
どするは、皆悪しきことなり)」、第5では「牛、
馬などを使うには、能くいたわるべし(力に余り
たる荷物を運ばせ、又は激しく追い廻しなどすべ
からず。その衛生に注意して、長く健やかならし
むるようにすべし)」と書かれています。このよ
うな教育は60年前までは続いていたわけで、その
時に小学生だった現在70歳弱の人たちには、「動
物を飼うには、餌や衛生を考え、動物の健康や苦
痛に注意し、いたわって飼うものだ」という発想
が身についているかと思います。私も含めて、そ
の世代を親に持つ人たちも、学校教育からではな
いですが、親からそのような愛護倫理を教え込ま
れてきたといえます。このように、日本人には動
物への愛護倫理が脈々と流れており、皆様もウシ
を愛情を持って育てているかと思います。愛護と
は、自分の感性に照らして、擬人的・感覚的に動
2
写真1 明治28年に出版された尋常小学校の作法書
写真2
ウシの典型的な常同行動である舌遊び行動
2 快適飼育法の研究は欧米で発展した
3 ストレスの指標としての生理と行動
西洋で動物を思いやるようになったのはここ40
上記のホルモンは、筋肉中の蛋白質や脂肪から
年といいました。実はそれまでは、動物虐待は正
エネルギー源であるグリコーゲンを作ったり、筋
当化されていました。キリスト教の中では動物は
肉や肝臓のグリコーゲンを分解したりと、増体や
魂を持たず、人間が自由に利用できる存在として
脂肪沈着を阻害します。またストレスは免疫や性
認められていました。また、近代合理主義をもた
腺の活動も弱めることから、ストレスはウシを不
らしたデカルトも、動物はどれほど精巧に作られ
快にさせるだけでなく、生産に何の良いことも無
ていようとも理性や精神や情動はなく、どんなに
いことがわかります。
悲鳴をあげたり身もだえしようとも、それらはさ
ストレス時には、特徴的な行動が起こることも
び付いた機械と同じように単なる軋み音のような
わかりました。例えば子牛を人工哺乳すると、欲
ものとして理解していました。動物への思いやり
求不満(ストレスホルモンが分泌される)なのか、
が公然と叫ばれるようになったのは、動物と人間
他の子牛の鼻面、臍帯、乳頭、外陰部あるいは柵
の連続性を明らかにした生物学の発達と「最大多
などを吸い続けることが見られます。すなわち、
数の最大幸福」に代表される功利主義の提案以降
乳首への吸乳行動の制限は、他者の他の部位への
であり、それは19世紀の中頃からであります。そ
吸引という転嫁につながり、これは不幸の始まり
して科学の俎上に乗ったのは、1960年代以降とい
と考えられるわけです。この吸引行動は生理的に
うことになります。
無意味ではなく、インシュリンや消化管ホルモン
動物の幸せ研究はストレス研究(不幸研究)と
の産生をもたらし、ストレスが落ちることも知ら
して始まりました。心拍数の増加、ストレスホル
れています。従って、しゃぶらせるため空のニッ
モンレベル(アドレナリンやコルチコイド)の上
プル(人工乳頭)を与えることが提案されていま
昇、及び胃潰瘍の発達などを指標に、それらに影
す。また、動物を欲求不満状態にいつもおくと、
響する要因が探査されました。まず、怪我や病気、
無意味そうに見える規則的に繰り返される行動
身体拘束(繋ぎ飼育やストール飼育)、あるいは
(常同行動)を取ることがあります。ウシでは、
暑熱・寒冷などの影響が調査されました。その後
写真2に見るような舌遊び行動がそれです。ひと
調査は、仲間同士のけんか、隔離飼育、単純環境
たび舌遊び行動が発現すれば、心拍数やストレス
の影響へと続いていきました。
ホルモンレベルは落ち、胃潰瘍は少なくなります。
従って問題ないと言えば問題ないのですが、そこ
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写真3
毛もつややかで生き生きとしている放牧牛
に至るまでには大きなストレスがかかっているわ
る場面で求められており、畜産も例外ではないと
けです。常同行動が起こらない飼育として、集団
言えます。
飼育や長尺物の粗飼料給与が提案されています。
私たちの研究室では今、放牧と行動・免疫性と
の関係の研究を開始し始めています。放牧時には、
4 快適性は病気抵抗性を高める
恐る恐る歩くのではなく早足になり、立位から伏
臥位への動作は安楽になり、喧嘩は激減し、快適
インドからベルギーのアントワープ経由でブラ
性が高まることがわかりました。そして、免疫グ
ジルを目指していたウシから、ベルギーのウシが
ロブリンの中で最も多く、新生子牛による吸収も
牛疫に感染したのを受け、国際的に病気の蔓延を
最も高いIgGの量が増えることを明らかにしまし
防ぐという目的で国際獣疫事務局(OIE)が1924
た。さらに、細胞性免疫の一翼を担うキラーT細
年に設立されました。このOIEが一昨年からアニ
胞割合も増加することも明らかにしました。他の
マルウェルフェア国際ガイドラインを作り始めて
研究者の報告によると、運動をさせることで白血
います。現在のところ、まだ輸送に関わるガイド
球の活性が高まることも報告されています。放牧
ラインと病気蔓延を防ぐ緊急屠殺に関するガイド
によるこれらの効果は、生草摂取が影響したのか、
ラインが主ですが、2010年までには飼育管理に関
運動が影響したのか、私たちが観察した快適性改
わる快適飼育ガイドラインを作ろうとしており、
善が影響したのかはまだ不明ですが、快適性改善
来年には素案が出てきます。先ほどストレスは、
が病気抵抗性を高める可能性を予感させます(写
免疫性を弱めるという話をしましたが、OIEでは
真3)。
病気の蔓延防止だけではなく、病気にさせないこ
とも重要で、それは快適飼育により達成できると
考えているからです。そして、家畜の快適性改善
は、生産性を高め、食の安全に通じる可能性は十
ヨーロッパでは昨年、2010年までのアニマルウ
分にあり、従って経済的な有利性につながるとの
ェルフェア行動計画を発表しました。まず、2006
考えをOIEは持っています。口蹄疫やBSEの莫大
年中にWTO農業委員会で「家畜福祉と貿易」に
な後始末経費を考えれば、少々のコスト増があっ
ついて討議するとしています。すなわち、アニマ
ても快適性を確保して飼育し、健康に育てること
ルウェルフェアを世界に認めてもらい、それに沿
のほうが経済的に有利であるとの考えなのです。
って貿易ルールを作り、農業補助金を認めてもら
「後始末よりも予防が賢明」という発想はあらゆ
4
5 世界では快適飼育畜産物を認証する
うことを目指しています。遅々として進んではお
りませんが、討議の場だけは作れたようです。そ
す。認証基準は科学的根拠に基づき作られ、その
して本年中に、貿易相手国とアニマルウェルフェ
基準は畜産物輸出国を中心に世界的に認証されま
アについて情報を交換するシステムを作り、さら
す。そして、それに基づいた快適飼育畜産物は欧
にそれらへの教育コースを構築するというもので
米のみならず我が国を含む畜産物輸入国に輸出さ
す。次世代の畜産物輸出国と目されるアジアと南
れ、アニマルウェルフェアは世界を席巻すると予
米でアニマルウェルフェアシンポジウムを度々共
想されます。我が国はこの動きに早晩席巻される
催してきています。そして2010年までに、ヨーロ
ことは明らかであり、日本の畜産には家畜の快適
ッパ仕様最高級畜産物ブランド(産品の安全と家
性からの早急な飼育改善が求められています。快
畜の快適性)を確立し、輸出するという計画です
適性認証のヨーロッパ統一基準は本年5月に提案さ
(写真4)。ヨーロッパブランドだけならばあまり
れます。その他にも民間アニマルウェルフェア団
影響はないでしょう。しかし、以上でも述べまし
体によるフリーダムフード認証、ハンバーガーシ
たように、畜産物輸出国にまで快適性飼育が急激
ョップであるマクドナルドによる認証、あるいは
に広まっていることは今後の驚異を予感させま
生産者組合による自主認証などが並立することに
す。
なるでしょう。すなわち、日本独自の基準の余地
は十分にあるということです。最初に述べたよう
6 快適飼育畜産物は世界を席巻する
に、我が日本人には動物愛護の精神が脈々と流れ
ています。従って、今こそその擬人的・感覚的愛
欧米社会には快適飼育畜産物を購入する消費者
護から一歩踏み出し、日本の畜産の実情にあった
がおり、その市場をコントロールする小売業者が
形で、科学的に独自の快適性飼育基準を生産団体
います。小売業者は消費者の意向を代弁し、グロ
として開発し、世界を席巻しつつあるアニマルウ
ーバル化の中で世界共通の認証基準を求めていま
ェルフェアに対抗していけたらと思っています。
アニマルウェルフェア
の表示
写真4
イギリスのスーパーマーケットで販売されていた快適飼育のミンチ牛肉
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