2013 年 4 月 6 日

ベルリン自由大学交換派遣留学生
吉田岳史さん(芸術学部デザイン学科 4 年)
2013 年 4 月 6 日
2月21日から4月4日にかけて、ヨーロッパの建築を巡る旅をしておりました。私の
専門である建築学というものは、教科書やネットなどで得る間接的な情報では、全てを
把握するのは不可能なため、自分の目と体を使って、直接的な経験をしたいと思い、 こ
の旅を計画いたしました。
近代建築の父と言われているル・コルビュジェの作品を始め、バウハウス三台目校長の
ミース・ファン・デル・ローエの作品、アールヌーボーのガウディやオルタ、最近注目
されていて、この間高松殿下記念世界文化賞を受賞したスイスの建築家ピーターズント
ーの作品。ポルトガルの巨匠アルバロ・シザに、アメリカの脱構築主義フランク・O・
ゲーリーやオランダのレム・コールハウスの作品。パリのポンピドゥーセンターで世界
的に注目されたイタリア人建築家レンゾ・ピアノの作品。さらには、日本人建築家、安
藤忠雄や SANAA(妹島和代+西沢立衛)の作品に至るまで。また、現代建築だけでなく、
古都ポルトやカタルーニャ・バルセロナの町並み。スイスのベルンやバーゼルに至るま
で。日本の都市にはない魅力的なヨーロッパの町を眺め、感じ、歩いてくる事ができま
した。旅中は、何度もメモを取ったり、写真、スケッチをしたりと、とても有意義な時
間を過ごす事ができました。
建築というのは、建物という「ハコ」の事をさすわけではなく、その周りにある環境、
社会システム、人々、コミュニティまでを総括した総合プロデゥースとしての作品なの
です。たとえば、エッフェル塔をとって、そのまま日本に持ってきても、あのパリの雰
囲気を感じる事はできません。エッフェル塔が作られる(または、作られた)そのコン
テクスト(文脈)の理解が非常に大事なのです。つまり、時代や場所、風土や気候が作
り出すその「場所の空気」、これを体験しないで建築を語る事はできません。ガウディ
は彼が天才だったわけではなく、カタルーニャというスペインの中でも特殊な風土が彼
を生み出したのです。今、一番注目されているスペイン建築家のサンディアゴ・カラト
ラバもカタルーニャ地方の出身です。つまり、ガウディの建築を理解するには、その建
物を見るだけでなく、カタルーニャ人と一緒に食べ、飲み、寝る。その人たちと同じも
のを食べ、同じ空気を吸い、できれば同じ言葉を話すように努める。これが、私の考え
る「旅」の定義です。つまり、これは、旅行ではありません。観察者としてある一定の
距離をとるのではなく、自分から現地人の懐に飛び込んで行く、この行動力が非常に重
要だと思うのです。
最近注目される建築は、ファッションのように、あまりに脆く、変化しやすく、その時
代の人々の興味によって多いに影響されるものではあるのですが、そのなかでも普遍的
な 本当に良い建築というのも存在します、つまり、どの時代の人間も共感する最高の
建築というものです。たとえば、ヨーロッパに数多く存在するカトリックのゴシック教
会です。天へとのびるその塔からは優しい光が降り注ぎます。何十年、いや何百年もか
けて、作られた幾多の彫刻たちは、作り手たちの愛によって、とても複雑で美しい作品
になります。現代のように高度資本主義社会の競争原理や大量消費にはない、「宗教」
のあった時代の建築たちです。その教会という空間に賛美歌が流れるのを聞いていると、
これはこの時代のものではないのではないか?自分は、今、本当に地球上にいるのだろ
うか、という気すらしてきます。つまり、私が否定したいのは、現代人のエゴというこ
とです。自分たちは頭が良いと思っていて、機械やインターネットを使えて何不自由な
い生活を送っていると思っている。しかし、本当に現代人は昔の人々より豊かなのだろ
うか。利便性や合理性を優先して、宗教や隣人愛、思いやりや共同体、というものを忘
れてきたのではなかろうか、と。京都という町は日本が世界に誇るべきすばらしい古都
です。しかし、何年か前に建てられた建築家原広司による京都駅を始め、京都という町
の雰囲気をどんどん壊していく建物がたくさんあります。また、京都北山の円通寺とい
う寺庭には、「借景」という手法が使われていて、何キロも先ある比叡山の景色を、文
字通り、借りてきて、自分の庭の風景の一部として取り込んでいるのです。その風景は
見事なもので、清閑で、非常に趣のあるお庭です。しかし、非常に残念なのが、最近、
その比叡山の中腹にマンションの建設計画があがったというのです。たしかに、彼らに
してみれば、文化や美学、美徳よりもマンションを建てて、部屋を少しでも売って、金
儲けをする、という事の方が大事かもしれません。でも、だからといって、このフラジ
ャイルな「文化」をそれだけの理由で壊してしまってよいのでしょうか。問題は、後戻
りはできないという事です。これは今の世界が抱えている「グローバリゼーション」と
「文化相対主義」という大きな対立関係に似ています。どちらも正義であって、どちら
も間違いである。両方にウルトラマンがいるようなイメージです。だから、解決が難し
い、というか解決はできない。だからといって、テーゼ、アンチテーゼの言い合いでは、
水掛け論というか、批評ばかりになってしまう。そこで、やはり重要になってくるのが、
ヘーゲルの提唱した弁証法の「アウフヘーベン」という概念です。
アウフヘーベンというのは、もともと持ち上げるという意味ですが、つまり、二つの対
立する概念があり、その対立関係を否定し、両者の内容を保ちながらも、それらを新し
い秩序に取り組んで、より高い次元で統一する、という事です。もちろん、それが難し
いのは知っていますが、だからといって、自分の言いたいことだけを言っていては何も
始まりません。そうではなくて、良い意味で妥協して、折り合いを付けて、前に進んで
行く。あきらめないで、妥協案を探していく。この事が、今の世界についても、建築業
界と資本主義の関係についても言える事ではないか、と思うのです。
写真:フランス、リオン市郊外のル・コルビュジェ設計のラトゥーレッと修道院に宿泊
してきました。とても小さな僧房でしたが、しっかりとモジュールによる計算がなされ、
気持ちのよい空間となっていました。将来、こんな建築が設計できたらと思います。