クラッシュ

アメリカ英語
出口菜摘
映画タイトル
Crash(クラッシュ)
製作年
2004 年
DVD 情報
日本で入手可/英語字幕なし(112 分)
監督
ポール・ハギス
映画について
『クラッシュ』は、2005 年 5 月にアメリカで公開され、第 78 回アカデミー賞作品賞、
脚本賞、編集賞の主要 3 部門を獲得した作品です。監督のポール・ハギスは他にも『ミ
リオンダラー・ベイビー』(2004)の製作・脚本や、
『父親たちの星条旗』
(2006)の脚本な
どを手掛けています。ハギス監督が DVD の「コメンタリー」で語っているように、本
映画の脚本は監督が実際にカージャックされた体験をもとに書かれました。
主要キャスト
マッド・ディロン(ライアン役)、ライアン・フィリップ(ハンセン役)、ブレンダ
ン・フレイザー(リック役)、サンドラ・ブロック(ジーン役)、クリス“リュダク
リス”ブリッジス(アンソニー役)
あらすじ
クリスマス間近のロサンゼルス。ある交通事故が起こった当日とその前日を描いた作
品。行方不明になった弟を探している黒人市警・グラハム。父親の介護をしながら職務
にあたる白人巡査のライアン。ライアンの人種差別主義に反感を覚える職務上のパート
ナー・ハンセン。ライアンに不当な尋問を受け自尊心を傷つけられる黒人テレビディレ
クターのキャメロンと、妻・クリスティン。黒人の若者によるカージャックに遭い、人
種への偏見を一層強く抱くジーン、など。この映画は群像劇で他にも登場人物がいるが、
絵に描いたようなヒーローも悪人もいない。描かれるのは、ただ少し人に触れたい(a
sense of touch)と思いながらも、偏見や誤解にコミュニケーションを阻まれる人々であ
る。それぞれの想いが、自動車の接触事故のようにぶつかり合い、思わぬ感情が生まれ
る…。
英語の特徴
この映画ではさまざまなアクセントの英語を聞くことができます。小売店を営むペル
発音・文法・語 シャ系のファハド、韓国系のキム・リーなど、音声面でも文法面でも特徴のある英語を
彙
話しており、また地方検事リックの妻・ジーンが話すのは標準アメリカ英語です。ここ
では African American Vernacular English(AAVE)とも、Black Vernacular English「黒人日
常英語」とも呼ばれるアフリカ系アメリカ英語を取り上げます。
アフリカ系アメリカ英語の特徴のひとつとして、am not、are not、have not の代わりに
使われる ain’t [eint]が挙げられ、これは don’t や doesn’t の意味で用いられることもあり
ます。黒人のテレビディレクターであるキャメロンと妻・クリスティンはライアンから
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セクシャルハラスメントまがいの尋問を受けます。後にそのときの夫の振る舞いについ
て夫婦の間で口論になった際、なじる妻に向って、キャメロンは “I ain't doin' it”(もう
いい)と言い放ちます。日頃は自分が黒人であることを周りに意識させないように振る
舞うキャメロンですが、感情の起伏とともに話す英語が変化する点を聴き逃さないよう
にしましょう。
キャメロンは、肌の色によってカテゴライズされることを諦めとともに受け入れてい
る側面がありますが、同時にそんな自分に苛立ちを覚えています。仕事場でドラマのテ
イクが終わった後、キャメロンの同僚のフレッドが黒人俳優のジャマールの話し方につ
いて “Have you noticed that he’s talking a lot less black lately”(最近、黒人っぽい喋り方じ
ゃないね)と言った後、次のように続けます。“In this last scene, he was supposed to say,
‘Don’t be talkin’ bout dat.’ And he changed it to, “Don’t talk to me about that.”(最後の場面な
んだけど、
「んなこと言うんじゃねぇ」と言うところ、
「そんな話はするな」に変えたん
だよ。)
フレッドは that を dat と発音しています。/th/を/d/と発音するもの、アフリカ系アメ
リカ英語の特徴のひとつです。/g/の脱落は庶民英語と呼ばれますが、カジュアルな場
面においては教養のある人の会話にも見られるものです。しかし、ここでは過剰に/g/
の脱落が強調され、/-ing/が/-in/とわざとらしく発音されています。フレッドはジャマー
ルの話し方に「黒人っぽさ」がないことが不満で、撮り直しをリクエストします。キ
ャメロン曰く、
「最高の出来」であるにもかかわらずです。最初、キャメロンはリテイ
クを冗談と受け取って“You think because of that, the audience won't recognize him as being a
black man?”(そのせいで黒人に見えないとでもいうのかい?)と笑いますが、フレッ
ドは表情を変えません。一方、リテイクを了解するキャメロンの表情は、彼が何度も
ステレオタイプな物事の見方によって傷つけられてきたことを物語っています。
映画 のみ ど こ
ろ
この映画には人種間の摩擦だけではなく、合衆国における人種をめぐる歴史が描きこ
まれています。例えば、ライアンが健康保険機構(HMO)の事務所で働くアフリカ系ア
メリカ人女性に向かって“I can’t look at you without thinking of the five or six better qualified
white men who didn’t get your job.”(あんたを見ると、あんたのせいで 5,6 人の有能な白
人男性が職を奪われてたってことを思い出すよ)と言う場面がありますが、このセリフ
の背景には 1964 年の公民権法の成立後にとられた「アファーマティブ・アクション(積
極的差別是正措置)
」があります。これは従来差別されてきたエスニック集団や女性に雇
用、昇進、職業訓練、大学入試などの機会を積極的に与えるもので、この措置に対して
は白人への逆差別であるという意見も出ました。また、白人のロサンゼルス地方検事で
あるリックは、黒人有権者を意識して肌の色を政治的に利用しようとします。2000 年の
大統領選に勝利した共和党ジョージ・W.ブッシュは国務長官に初めてアフリカ系アメリ
カ人であるコリン・パウエルを起用、多様なエスニックを官僚にし「米国の融和」を図
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ったことが思いだされる場面です。
その他
より詳しくは出口菜摘「アメリカ英語『クラッシュ』
」山口美知代編著『世界の英語を映
画で学ぶ』
(松柏社、2013)pp.38-58 で論じています。
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