No.301

 ジャパン・ドリームを夢見て
誰にでも均等な機会が保障され、才能があり、努力しさえすれば、出
自や民族にかかわりなく、富や名声を得て社会的成功を収められる。
身 分 制 度やいわれなき差 別に苦しみ、貧 困にあえぐ人々は、夢のよ
うな理想の社会、自由で平等なアメリカをめざした。
同様に、世界の人々がめざす
﹁ジャパン・ドリーム﹂
が詰まった社会
を作り上げることはできないだろうか。
高齢化が極端に進み、若者が減り続け、国自体が縮み過程に入った
日本の未来は、今のままなら明るくはない。将来的に、何とか1億人の
人口を維持するというが、人口を増やすのは、道路を作るようにはゆか
ない。
政府は、目の前の労働力不足を﹁研修生﹂という名目で、﹁外国人労
働者﹂
を拡大する制度を打ち出したが、
日本が必要な時だけ利用しよ
うという発想がが透けて見える。
それよりも、同じ人間として、日本社会で外国人も同じように幸せ
を感じられる社会を作ることが、結果としては日本人も幸せになれる
道ではないのか。
民族や出自に関係なく、誠実に努力すれば、誰でも成功できる社会
は、
日本人にとっても暮らしやすい理想の国なのではないか。
社会の安定・安全が国民の幸せな生活にとって必要との理由で、外
国人に課しているさまざなな制約を全て否定するつもりはない。
しか
し、
そうした手立てが、意に反して、国民の幸せや国の発展を阻害する
結果を招きかねない。
第 1 2 回日 韓こころの交 流シンポジウムに韓 国から 参 加した1 0
人の大学院生たちは、
1週間の日本滞在を通して、政治的に最悪の関
係にある日本に
﹁とてもいい国だと知って驚いた﹂
との感想を口々に話
した。
今からでも遅くはない。世界第2位の経済大国の座から3位に下落
したとはいうものの、
日本は和洋を融合させた魅力ある文化にあふれ
ている。自信を持って、世界の人々をひきつける国づくり、社会作づく
り、
つまりは
﹁ジャパン・ドリーム﹂
の国をめざすことが、国民の幸せにつ
ながる。
●ハイレベルフォーラムを開催…2頁 ●こころの交流シンポジウムを開催…3頁 ●ちいさな芽…4頁 ●オモニフォーラム…5 頁 ●インタビュー・千玄室さん…6∼7頁 ●菅原文太さんを偲ぶ…8頁 ●ボランティア「赤坂ほのぼの会」…9頁 ●国民日報で連載…9頁 ●おんどる… 10 頁 ●料理・パズル… 12 頁 2015年1・2月
社会福祉法人 こころの家族
理事長 尹 基︵たうちもとい︶
No.301
日韓福祉交流通信 こころの家族 2015年1月1日発行(第301号) 購読料:年1.000円(隔月発行)
この国に住む外国人が日本はいい国だといえる社会づくりを目指します
特養の運動会を開催、パン食い競走などで盛り上がりました(11月、故郷の家・神戸で)
国連世界孤児の日制定に向け
ハイレベルフォーラムで熱い議論
10 月 27・31 日
た。約 名 の 聴 衆 が 来 場、
本テーマへの深い関心がう
かがえました。
基 調 講 演 で は 北 朝 鮮 に 関
する英国議会全党委員会議
長 を 歴 任 す る と と も に、ア
ジ ア、ア フ リ カ で 多 く の 国
を 訪 問 し、人 権 レ ポ ー ト を
発 表 し て き た デ イ ビ ッ ド・
ア ル ト ン 上 院 議 員 が、現 代
における孤児の危機的な人
権 状 況、歴 史 か ら 見 た 孤 児
の ケ ア の 考 え、様 々 な 宗 教
に共通している孤児のケア
の重要性等を紹介し孤児の
養護にたいする多角的な視
点 を 提 供 し、同 時 に 国 際 的
な連帯を訴えました。
フ ォ ー ラ ム の 最 後 に は、
東京に続いて開催されるソ
ウルでのフォーラムへ向け
て、東 京 か ら の 提 言 を 日 本
ソーシャルワーカー協会会
長の岡本民夫氏が発表しま
した。
講 師 一 行 は そ の 後 韓 国 へ
移 動、フ ォ ー ラ ム 前 日 に 木
浦共生園を訪問して園児と
東京・ソウル宣言を発表
月 日︵月︶に
東京の日本財団ビル
で、代 替 養 育 が 必 要
な 児 童 の た め の﹁国
連世界孤児の日制定
推進ハイレベル
フ ォ ー ラ ム﹂が 開 催
さ れ ま し た。後 援 し
てくださった外務
省、助 成 し て く だ
さった日本財団より
祝辞をいただくとと
も に、国 連 孤 児 の 日
の提唱者である田内
基こころの家族理事
長が歓迎の挨拶をい
たしました。
英 国、米 国、マ ラ
ウ ィ、ス リ ラ ン カ、
韓 国、日 本 の 児 童 福
祉や人権問題に詳し
い専門家の方々を招
聘 し、各 国 や 世 界 的
な孤児の状況につい
て、ま た 今 必 要 と さ
れている養護につい
て発表および議論を
していただきまし
27
70
デイビッド・アルトン氏︵英国︶
阿部志郎氏︵日本︶
キャサリン・ベルクィスト氏︵米国︶
ジハン・ペレラ氏︵スリランカ︶
ヘザーウィック・ン タ バ 氏 ︵ マ ラ ウ ィ ︶
金東秀氏︵韓国︶
ソウルフォーラムには福祉を専攻する
若い世代の参加も多かった
10
東 京 フ ォ ー ラ ム を 終 え て、
参加者の皆様と記念写真
交 流。園 内 の 尹 致 浩・尹 鶴
子記念館で共生園の歴史を
学 ぶ と 共 に、田 内 基 理 事 長
が国連世界孤児の日制定運
動を提唱するに至った経緯
を理解する機会となりまし
た。そ の 後、ノ ー ベ ル 平 和
賞を受賞した金大中前韓国
大統領の記念館を訪れ、平
︵ 次 ペ ー ジ へ ︶
2
︵前ページから︶
第 12 回 日韓こころの交流シンポジウム開く
和を共に考える時間を過ご
しました。
月 日︵金︶に は ソ ウ
ルのプレジデントホテルで
フ ォ ー ラ ム が 開 か れ、韓 国
の市民や社会福祉を学ぶ学
生など約100人が参加し
ま し た。フ ォ ー ラ ム の 最 後
には主催者と講師が共に検
討 し て き た﹁東 京・ソ ウ ル
宣 言﹂を 今 回 の 二 カ 国 に お
けるフォーラムの結果とし
援の手をさしのべるはずの
社会保障や社会福祉の制度
の狭間にもれる人びとが増
えていることが課題の一つ
である││。
こ こ ろ の 家 族 と ユ ニ ベ ー
ル 財 団 は、格 差 の 広 が る 社
会の中で声を上げることも
て発表し、孤児の権利保護、
家 族 の 保 護、コ ミ ュ ニ テ ィ
強 化、子 ど も 中 心 の 代 替 養
育 提 供、国 の 義 務 に つ い て
提言しました。
フ ォ ー ラ ム 終 了 後、韓 国
の支援者を招いたレセプ
ションおよび韓国100人
委 員 会 発 足 式 が 催 さ れ、韓
国内の様々なオピニオン
リーダーが応援に駆けつけ
て く だ さ り、今 後、よ り 積
で き ず、人 知 れ ず 競 争 社 会
NHKで放映されたドラマ
の 谷 底 に 置 き 去 り に さ れ て ﹁サ イ レ ン ト・プ ア﹂の 主 人
い る﹁も の 言 わ ぬ﹂市 民、 公 の モ デ ル で あ る コ ミ ュ ニ
ティ・ソーシャルワーカー。
サインレントプアに向き合
うためのソーシャルワーク
豊中市でコミュニティ・ソー
の あ り 方 に つ い て、日 韓 両
シャルワーカーとして活躍
国の専門家招いてシンポジ
してきた事例にもとづきな
ウ ム を 開 催 し ま し た。 月
が ら、高 齢 者 の 抱 え る 生 活
日に同志社大学で行われ、 困 窮 へ の 取 組 み を 映 像 を 交
えて熱く語って下さいまし
日韓から約300名が参加
た。
しました。
李 善 淑 さ ん は、地 域 社 会
基 調 講 演 に は、一 貫 し て
ホ ー ム レ ス や ワ ー キ ン グ・
プアなどの社会問題に取り
組んでこられた社会運動家
でもある湯浅誠さんをお招
き し て、﹁サ イ レ ン ト・プ ア
に向き合うソーシャルワー
ク∼全員参加型社会の実現
に 向 け て ∼﹂に つ い て お 話
し い た だ き ま し た。そ の 後、
経済的困窮のみならず人び
ととの繋がりや絆を取り戻
すことに挑戦しているソー
シャルワーカーたちの事例
発表が続きました。
勝 部 麗 子 さ ん は、今 年
極的に支援していく決意を
新たにしました。
フォーラムの詳細及び﹁東
京・ソ ウ ル﹂宣 言 を、ホ ー
ムページに掲載しています。
http://www.kokorono.or.jp
の中で複合的ニーズを持っ
た利用者を地域社会中心に
統合的にサービスを提供す
るために活動しているソー
シ ャ ル ワ ー カ ー で す。韓 国
南 楊 州 市 で の 官 民 協 力・連
携による統合事例管理事業
を紹介しました。
村 井 琢 哉 氏 と 金 正 叔 さ ん
は、地 域 で 子 ど も の 貧 困 に
取り組んでいるNPOで活
躍 し て い ま す。子 ど も の 貧
困をなくすという観点から、
地域と家族との取組みを紹
介してくださいました。
サ イ レ ン ト・プ ア な 人 び
とにソーシャルワークはど
う 向 き 合 い、寄 り 添 い な が
ら 支 援 で き る の か、今 回 の
シンポジウムを通して参加
者からは﹁情熱と信念を持っ
て積極的に地域に出ていく
ソーシャルワーカーの姿に
感 動 し ま し た。私 も そ う い
う 働 き を し た い で す﹂と い
う声が多数聞こえました。
︵田内 緑︶
3
11
31
近 年、社 会 制 度 の 谷 間 に
落ち込み、引き籠もったり、
孤 独 死 し た り、絶 望 し た ま
ま自殺する人びとが増えて
き て い る。日 韓 両 国 と も 急
速に社会保障制度や社会福
祉 制 度 を 整 備・拡 充 し て き
ま し た が、生 活 困 窮 者 に 支
パネリストのみなさん。左から村井さん、牧里毎治さん
(コーディネーター)
、勝部さん、金さん、李さん、湯浅さん。
15
10
サイレント・プアに向き合う
ソーシャルワーク
10
チョン・エジン
( 社会福祉学科 )
チェ・エシル
( 社会福祉学科 )
私の夢
シン・ドンヒョン
( インターネット学科 )
そ し て 神 様 は 奇 跡 的 に も
また私に明るい希望の光を
プ レ ゼ ン ト し て く れ た。こ
の 秋、ア メ リ カ で 勉 強 す る
機 会 が 訪 れ た。初 め は あ ま
りに眩しすぎて私のもので
は な い よ う な 気 が し て、手
に入れていいものかと不安
に な っ た が、こ の 希 望 に 満
ちた機会を無にすることは
で き な い。私 は こ の 機 会 を
利用して医者になりたい。
夢はすごいものだと思う。
想 像 を 豊 か に し、創 意 力 を
高 め、今 す ぐ に は 叶 わ な い
と し て も、努 力 を 続 け、満
足できるようにしてくれる。
医者になるという夢がある
こ と は 幸 せ な こ と で あ り、
その夢が希望になって幸せ
で あ る。私 が 希 望 の 光 を 手
に し、暗 い 闇 へ と 進 ま な い
よう支えてくださった皆様
にいつも感謝しています。
キム・ハンソル
( 自動車整備学科 )
中2 イ・ソジョン
2015 年
大学進学者
な り た く な っ た。私 が 歳
の 時、父 は 病 気 で 亡 く な っ
た。
私 は 本 当 に 夢 を 叶 え た く
て 模 索 し た。た く さ ん の 問
いに対する答えが見つかっ
た 頃、夢 の た め に や る べ き
ことがあってうれしかった。
そしてその答えとやるべき
ことというのは勉強だった。
私 は で き る こ と を や っ た。
毎 日 本 を 読 み、単 語 も 覚 え、
学校の勉強もした。
努力は決して裏切らない。
やり遂げると満足感も得ら
れ て 楽 し か っ た。自 分 の 唯
一の夢に近づけたような気
が し た。そ の 夢 は 今 も そ の
ままで、努力も続けている。
イ・ヘリン
( 社会福祉学科 )
︵アメリカ在住牧師の招待により留学を準備中︶
初 め て 韓 国
にテレビが導
入された当時
は白黒だっ
た。そ の テ レ
ビ の 色 の よ う に、ほ と ん ど
の人々は白が黒よりも希望
の あ る 色 だ と 考 え て い る。
そ し て 誰 も が 白︵光︶と 黒
︵闇︶の 両 方 を 併 せ 持 っ て い
る。私 は 幸 運 に も 光 を 見 つ
け る こ と が で き た。自 分 を
守るものは何もなかったが、
夢 と い う 光 が あ っ た。そ の
夢とは医者になることであ
る。
私は幼いころ家族と一緒に
暮 ら し て い た が、決 し て い
い 思 い 出 ば か り で は な い。
母の家出や父の暴力を
経験したが今では父が
不憫に思う。その頃の
私 に は 夢 が な か っ た。
父はいつも私に﹁お前
は 医 者 に な る ん だ ぞ、
分かったか?﹂と強要
した。夢などなかった
私は父の想いも知らぬ
まま分かったと答えて
いたが、理由が分かっ
てからは本当に医者に
尹致浩が創始し、田内千鶴子が引き継いだ韓国木浦の共生園。
こころの家族のルーツともいえるこの児童施設の、いまをお伝えします。
2014 年、日本各地から共生園を訪れてくださった皆様に感謝申し上げます
4
フォーラム から
第6回
開きました。
そ う し て 歳 月 が 流 れ て、
私は結婚をすることになり
両 班 の 家 系 で あ る 安 東・権
氏 の 夫 人 を も ら い ま し た。
先の本を出したことがどう
関わったかというと⋮実は
当時妻方の祖父が漢学会郷
校 の 校 長 を し て お り、あ な
たの家の履歴を証明するも
のが何かあるかと尋ねられ
た た め、父 の 遺 稿 文 集 が 一
つ あ り ま す と い っ て、そ の
本 を 渡 し ま し た。す る と、
彼は夜通しその本を読んで、
当時慶尚北道議会議長で
あ っ た 妻 の 父 親 を 呼 ん で、
こ の 文 集 が 素 晴 ら し い︵玉
稿︶か ら 娘 を あ げ な さ い と
言 わ れ ま し た。妻 方 の 父 親
は妻と同い年である私が義
理の息子になることを当初
は 不 満 に 思 っ て ま し た が、
祖父の言葉によって結婚で
き る こ と に な っ た の で す。
最 終 的 に は、母 に 言 わ れ て
作成した父の文集が私の結
婚に大きな助けとなったの
で す。父、母 に 感 謝 い た し
ます!
ま た、母 が 喜 寿 の 時 宴 会
を 開 き、金 の 指 輪 を プ レ ゼ
ントしたことがありました。
し か し、亡 く な る 前 に 母 は
どんなインスピレーション
を 得 た の か 息 子 の 家、娘 の
家、親戚の家すべて回って、
自分の物を整理しながら金
の指輪を最年少の末娘にあ
げました。私も末息子であっ
た の だ が、母 は な ぜ 最 年 少
を可愛がるのかと聞いたと
こ ろ、遅 く 産 ん で 親 の 愛 を
より少なく受けたことが申
し 訳 な く て、可 哀 想 な の で
より可愛がるようになった
の だ と 言 い ま し た。そ れ が
母の心なんですね。
諸 宰 馨︵ジ ェ・ジ ェ ヒ ュ ン︶
1 9 3 5 年 1 月 日 大 韓
民国慶尚南道固城郡生まれ。
1 9 5 7 年 韓 国 日 報 記 者。
第 代 の 大 韓 言 論 人 会 長、
現在大韓言論人会名誉会長。
︵ソウル特派員・福田夏子︶
5
20
お母様の思い出を話す
ジェ・ジェヒュン氏
石 を 与 え る か ら、父 の 文 集
を作成してくれと言いまし
た。漢 学 を 学 び、漢 方 薬 局
を営みながら 歳で結核に
よって亡くなった父が原稿
を 多 く 残 し て い た た め、母
がこの原稿をもって文集を
作成してほしいと私に言っ
た の で す。だ か ら 私 は 原 稿
を 収 拾・整 理 し て、大 田、
釜 山、晋 州 な ど で 父 の 友 人
を訪ね歩き、序文、あとがき、
墓誌銘などの原稿を書いて
も ら い、本 を よ う や く 出 し
ま し た。今 の 大 学 2 年 生 の
学生に祖父や父の原稿から
本を作って見ろと言ってみ
て も、そ う 簡 単 で は な い で
し ょ う。と に か く 私 は 本 を
完 成 さ せ、今 で 言 う 出 版 記
念会のような宴会を田舎で
前列中央がジェ・ジェヒュン氏
15
オモニ
第 6 回 の オ モ ニ フ ォ ー ラ
ム は 新 聞 記 者 出 身 で、現 在
大韓言論人会名誉会長を勤
め て い ら っ し ゃ る、ジ ェ・
ジェヒュン氏がご自分のお
母 様 の 思 い 出 と、意 外 な 縁
をつなぐこととなったある
経験について語ってくださ
いました。
*
﹁母﹂と い う 言 葉 は、﹁神﹂
の次によく使用される単語
で あ り、い つ 聞 い て も 飽 き
の こ な い 単 語 で す。良 妻 賢
母という言葉がありますが、
良い妻の物語はなぜかそう
多 く な い も の の、賢 母 と さ
れた母の話は多い。例えば、
孟母三遷︵もうぼさんせん︶
としてよく知られる孟子の
母、李 氏 朝 鮮 時 代 の 儒 学 者
李珥︵りじ︶の母申師任堂︵し
ん し に ん ど う︶な ど の 話 が
あります。
儒 教 家 庭 で 育 っ た 私 の 母
は 仏 教 を 信 じ て い ま し た。
母は幼い頃ハング
ルの勉強ばかりし
て漢字の勉強をす
る機会がありませ
ん で し た。1 9 0
1年生まれの母
は、父 が 早 く に 亡
くなって以来7人
の子どもを女手一
つ で 育 て ま し た。
書堂での勉強はで
きませんでした
が、私が千字文︵せ
ん じ も ん︶を 読 む
音を横から聞きな
が ら、一 緒 に 漢 字
を勉強しました。
私 が 大 学 2 年 生
の時に母が米二十
フォーラムの様子
44
仲間たち
沖縄の海に散った
││特 別 攻 撃 隊 に 志 願、訓 練 中
愛機の側で仲間にお茶を点てられ
た こ と を 著 書 で 拝 見 し ま し た。そ
の 後、﹁も う 生 き て 帰 る こ と が で
き な い﹂と そ れ ぞ れ が 故 郷 に 向 か
い﹁お 母 さ ー ん﹂と 叫 ば れ た こ と
を 拝 見 し 涙 が あ ふ れ ま し た。も う
少し詳しくお話しください
お 互 い に た っ た 一 碗 の お 茶 を 勧
め 合 い、和 や か に い た だ く こ と に
よって、心が素直になるのです。
新しい年のスタートのインタビューは﹁一碗からピー
スフルネスを﹂の理念を提唱し、全世界に出向き茶道の
心を通して平和と幸せを伝え続けておられる茶道裏千家
前家元・千 玄室大宗匠にご登場いただきました。
歳 の 今 で も 海 外 に 飛 び、こ れ ま で 世 界 数 カ 国 を
300回以上歴訪。インタビューではご両親からの教え
や、海軍少尉として特別攻撃隊に志願されたときの心打
たれる貴重なお話も披露してくださっています。
││先 代 で あ る お 父 様 か ら の お
言葉や触れ合いのエピソードをお
聞かせください
千 ﹁道 と は 人 間 と し て の 心 の
修 道 で あ る。従 っ て、道 を 志 す 者
は死んでも修行をしなければ魂は
消 え る﹂。絶 え ず 厳 し い 教 え を、
茶 の 道 の 師 と し て 教 わ り、ま た、
平時は優しい父としていろいろ語
り 合 え ま し た。有 り 難 い と 今 で も
思っています。
││お 母 様 の 思 い 出 を お 聞 か せ
ください
千 母 か ら も、子 ど も の 頃﹁嘘
をついた時や悪いと思うことをし
た 時 は、直 ち に 反 省 し 謝 る 心 を 持
ち な さ い。そ し て、人 間 は み ん な
平 等、み ん な 一 緒 な の だ か ら、そ
の よ う な 気 持 ち を 持 ち な さ い﹂と
教えられました。
││千 利 休 が 生 ま れ た 堺 で、当
法人の特別養護老人ホームが産声
を あ げ ま し た。お 茶 の 大 切 な 精 神
を教えてください
さーん﹂と叫びました。もう一度、
母親に会って、頭を撫でてもらい
たかった。最初は何だという顔を
していた仲間も、それぞれの故郷
に 向 か っ て﹁お 母 さ ー ん﹂と 叫 ん
で、ボ ロ ボ ロ と 泣 い て い ま し た。
その2日後、旗生や仲間が沖縄に
向け飛び立っていきました。戦後
年、仲 間 の 遺 骨 も 揚 ら ず、沖 縄
の 海 底 に 沈 ん だ ま ま で す。生 き
残った私は、毎年沖縄で慰霊祭を
執り行っています。時には戦友を
連 れ 立 っ て。船 上 で お 茶 を 点 て、
海に沈めますと、青い海が緑色に
なります。戦友がお茶を飲んでく
れているのだ、海底より日本の平
和を祈ってくれているのだ、とい
つも思っております。
││﹁一 碗 か ら ピ ー ス フ ル ネ ス
を﹂を唱え、国を超え、宗教を超え、
お茶を通じて平和の心を訴えられ
て い ま す が、現 状 と、こ れ か ら の
日韓関係についてお話しくださ
い。ま た、お 茶 を 通 し た 国 際 交 流
の素晴らしさについてお話しくだ
さい
千 私 の 家 は 禅 宗 な が ら、中 学
よりキリスト教の学校で学んでお
り ま し た。そ の 影 響 も あ り、宗 教
を 超 え、世 界 中 ど こ に 行 っ て も 献
茶 を 奉 仕 で き ま す。ま た、世 界 中
にはお茶に親しみながら日本文化
を 学 ぶ 方 が 多 数 お ら れ ま す。裏 千
家 は、ソ ウ ル や 釜 山 を は じ め 海 外
に 協 会 が 多 く あ り、そ こ か ら 推 薦
を 受 け た 留 学 生 が、こ こ 京 都 で 学
んでいます。お茶室に一旦入れば、
地 位 や 肩 書 を 忘 れ 去 り ま す。目 の
色 だ と か 肌 の 色 だ と か、差 別 区 別
も 全 く な い。自 ら 一 歩 下 が る 謙 虚
な 心 を 学 び ま す。こ の 謙 虚 さ が あ
れ ば、争 い の な い 世 界 を 創 造 す る
ことができるのです。
││世 界 を 舞 台 に お 茶 の 精 神 を
伝えていらっしゃる健康の秘訣を
お教えください
前は何を思い草を抜いているのか﹂
と問われました。答えられません。
すると、﹁何気なく抜いている草も
生 き て い る。他 の 草 を 残 す た め に
こ の 草 を 抜 く。ど う し て、抜 か せ
て い た だ き ま す、と い う 気 持 ち で
抜 か な い の だ﹂と 言 わ れ ま し た。
そ の 時 は 目 か ら 鱗 が 落 ち ま し た。
戦 争 で 仲 間 は 亡 く な っ た。私 た ち
は生き残った。仲間の分まで生き、
世の中が平和になるよう活動して
い こ う、そ れ が 生 き 残 っ た 者 の 使
命 だ、と 思 っ た の も そ の 時 で す。
その他に、食事でも苦労しました。
軍隊では栄養のあるものを沢山い
た だ き ま し た。僧 堂 で 出 さ れ る お
粥 は、よ そ っ て も ら っ た お 椀 に 顔
が 映 る く ら い 薄 く、あ と は た く わ
ん 二 切 れ。い つ も お 腹 が 空 い て い
ました。
││故 郷 の 家 は 祖 国 を 離 れ た お
年寄りが故郷と同じ環境で過ごし
て 欲 し い と 開 設 さ れ、多 く の 方 が
過 ご さ れ て い ま す。昨 年 で 周 年
を 迎 え ま し た が、故 郷 の 家 に 望 ま
れることをお教えください
千 ﹁故郷の家﹂にはお茶室があ
る と 伺 い、以 前、お 道 具 も 寄 贈 さ
せ て い た だ き ま し た。日 々 の 生 活
の 中 に お 茶 の 時 間 が あ り、そ こ に
集う入所者の皆様へお茶を振る
舞っていただくことができるので
あ れ ば、嬉 し い 限 り で す。胡 坐 を
か い て も い い、椅 子 に 座 っ て で も
いい。一碗のお茶を﹁いかがですか﹂
﹁お先に﹂と勧め合う、この一言そ
して気持ちで、﹁故郷の家﹂がより
穏やかな空間になるのではないで
しょうか。
て い ま す。母 の お 腹 の 中 に 居 る 時
か ら い た だ い て い ま す。あ と は 規
則正しい生活です。
ど う ぞ、皆 様 に は 一 服 の お 茶 を
召し上がることで楽しんでいただ
き、ご 健 康 に 留 意 い た だ き、長 生
きしていただければと願っており
ます。
*
千 玄 室︵せ ん げ ん し つ︶ 1923年︵大正 年︶、京都府生
ま れ。同 志 社 大 学 卒 業 後、ハ ワ イ
大 学 修 学、韓 国・中 央 大 學 校 大 学
院 博 士 課 程 修 了。1 9 4 9 年、大
徳寺管長後藤瑞巌老師のもとで修
行 得 度、斎 号﹁鵬 雲 斎﹂安 名﹁玄
秀 宗 興﹂を 受 け 若 宗 匠 と な る。
1 9 6 4 年、裏 千 家 第 代 家 元 と
なり今日庵庵主として宗室を襲名。
2002年、嫡男千 宗之に家元を
譲座し、汎叟千玄室大宗匠。︵哲学
博 士、文 学 博 士︶現 在、一 般 社 団
法 人 茶 道 裏 千 家 淡 交 会 会 長、ユ ネ
スコ親善大使︵2012年︶、日本・
国 連 親 善 大 使︵2 0 0 5 年、外 務
省︶、公益財団法人日本国際連合協
会 会 長、公 益 財 団 法 人 ロ ー タ リ ー
日 本 財 団 理 事 長、公 益 財 団 法 人 日
本オリンピック委員会名誉委員。
﹃茶のこころを世界へ﹄など著書
多 数。現 在、産 経 新 聞 に﹁一 服 ど
うぞ﹂を連載中。
謙虚さを学び、争いのない世界を
千 大 徳 寺 で の 修 行 は 厳 し い も
の で し た。軍 隊 で は 殴 ら れ 蹴 ら れ
た も の の、命 令 通 り に 行 動 し、そ
の 中 で 判 断 力 や 決 断 力 を つ け、経
験 値 を 上 げ て い け ば 良 い。僧 堂 に
は そ の﹁命 令﹂が な い。日 々 の 修
行 の 中、何 事 も 自 分 で 考 え、行 動
し な け れ ば な ら な い。あ る 日、作
務 で 草 抜 き を し て い ま し た。ふ と
背 後 に 気 配 を 感 じ、振 り 返 る と 後
藤瑞巌老師が立っておられる。
﹁お
││戦 後、大 徳 寺 で 修 行 さ れ た
と お 聞 き し ま し た。厳 し い 修 行 で
したか
69
千 お 抹 茶 で す。毎 日 い た だ い
6
7
25
60
千 徳 島 の 航 空 隊 で 海 軍 少 尉 と
し て 訓 練 を し て い た あ る 日、司 令
よ り﹁搭 乗 員 整 列﹂の 号 令 が あ り
ま し た。私 た ち 海 軍 飛 行 予 備 学 生
や 下 士 官、一 般 搭 乗 員 の 約 2 0 0
名 が 整 列 し ま し た。司 令 よ り、紙
切 れ 1 枚 が 配 付 さ れ、﹁特 別 攻 撃
隊 を 編 成 す る こ と に な る。熱 望・
希 望・否 と 書 か れ た 何 れ か に 丸 を
つけ、官・姓名を書いて提出せよ﹂
と 命 令 が あ り ま し た。官・姓 名 を
書 け と 言 わ れ た ら﹁否﹂に は 丸 を
で き な い。悩 ん で い る 者 も い ま し
た が、私 は﹁熱 望﹂に 丸 を つ け 提
出 し ま し た。一 週 間 後、再 び 総 員
整 列 が あ り、﹁総 員、特 別 攻 撃 隊
に 編 成 す る﹂と 命 令 が で ま し た。
特 攻 に で る 2 日 前、﹁千、お 茶 に
し て く れ な い か﹂と 言 わ れ、こ れ
が 最 後 か も し れ な い と 思 い、飛 行
服 の ま ま 配 給 さ れ た 虎 屋 の 羊 羹、
従 兵 に や か ん を 持 っ て こ さ せ、持
参 し て い た 茶 箱 を 用 い、即 席 の 小
さな茶会を催しました。その中で、
京 大 出 身 の 旗 生 少 尉 が﹁俺 が 生 き
て 帰 っ て き た ら、お 前 の と こ ろ の
本当の茶室でお茶を飲ませてくれ
る か﹂と 言 わ れ、ゾ ク っ と し ま し
た。私 た ち は 生 き て 帰 れ な い。信
管を抜いた250キロもある爆弾
を 2 つ 積 ん で 出 撃 し、敵 艦 に 突 っ
込 ん で い か な け れ ば な ら な い。中
には敵艦に体当たりもできず敵機
に 襲 わ れ 爆 死 す る こ と も あ る。何
とも言えない気持ちになりまし
た。ふ と そ の 時、母 親 に 会 い た い
な、と 思 い ま し た。私 た ち は 青 春
時 代 と 言 っ て も 恋 人 も い ま せ ん。
妻がいる戦友は僅かにいました
が、女 性 と 言 え ば 姉 妹 か 母 親 と い
う 年 代 で し た。ふ と、故 郷 の 京 都
の 方 角 に 向 い て 立 ち 上 が り﹁お 母
15
91
千 利 休 居 士 が 唱 え ら れ た﹃和
敬清寂﹄です。
﹁和﹂は 平 和 の 和、し か し、平
和 だ け で は な い、そ の 土 台 に は 調
和 が 必 要 で す。﹁敬﹂は 互 い に 敬
い あ う こ と。人 間 は 互 い に 差 別・
区 別 が あ っ て は な ら な い。﹁清﹂
は 清 ら か な 心 を 持 つ こ と。﹁寂﹂
は 一 服 の お 茶 に よ っ て 落 着 き、何
事にも動じない気持ちを持つこ
と。即 ち 不 動 の 心 で す。み ん な が
一緒に、お茶室で無の気持になり、
和の心でお茶をいただく。
12
千 玄室 さん
茶道の精神で国際交流
インタビュー
尹 基︵Tauchi Motoi︶ 英国の詩人S・スペンドー
は、
﹁人間は太陽から生まれ、
く、実 際 に 力 を 貸 し た い。 太 陽 に 戻 る 短 い 旅 を す る に
そうした力になる人を集め
過 ぎ な い の だ。し か し、偉
よ う﹂と 励 ま し て く れ た の
大 な 人 間 は、署 名 一 つ を 残
です。私は感謝しながら、﹁在
し て い く﹂と 書 き ま し た。
日コリアンが多く住んでい
署 名 と い う の は、そ の 人 の
る 東 京 と 大 阪 で、土 地 が 入
人 生 の 業 績 で す。私 に と っ
手できる場所から建設した
て の 先 生 の 署 名 と は﹁弱 い
い と 思 っ て い ま す﹂と 希 望
者 の 側 に 立 ち、抑 圧 を 受 け
を 伝 え ま し た。実 際 に 先 生
た 人 の 側 に 立 ち、在 日 韓 国
は、そ の 言 葉 通 り、講 演 会
老人ホーム作ることを成功
や街頭募金にと行動してく
さ せ た こ と﹂と 思 っ て い ま
れ ま し た。ま た、3 度 に わ
す。
た る 韓 国・木 浦 共 生 園 へ の
先 生 は 俳 優 を 超 越 し た 存
訪 問、﹁故 郷 の 家﹂の 起 工 式
在 で し た。こ の 時 代 の 良 心
前 と 顔 で 助 け て や っ て 欲 し と 竣 工 式 へ の 列 席 な ど、精
を最後まで歌われた正義の
いと言うので承諾しました﹂ 一 杯 の 支 援 活 動 を し て く れ
灯であり、道しるべでした。
と言ってくださったのです。 ました。
先生は自然を愛する心を
ご 夫 妻 か ら は、お 会 い す
る前に一通の手紙をいただ
い て い ま し た。﹁在 日 韓 国 老
募金活動にも協力
竣工式で
人ホームの建設は急務です。
韓国ナザレ園を作ってくれ
た恵みに対する恩返しです。
尹さんが田内千鶴子さんの
遺 志 を 引 き 継 ぎ、老 人 ホ ー
ム 建 設 運 動 を さ れ る な ら、
私たちは協力できる有志を
集 め ま し ょ う。菅 原 文 太 文
子﹂
起工式で
菅 原 先 生 は、さ ら に﹁私
の名前だけを貸すのではな
﹁故郷の家﹂の大恩人だった菅原文太さんを偲んで
菅 原 文 太 さ ん は、不 可 能 を
可 能 に し て く れ た﹁故 郷 の
家﹂の 大 恩 人 で す。文 太 さ
ん の 心 意 気 が、私 た ち の 前
に立ちはだかる山を動かし、
日本を動かしてくれました。
日 本 に 来 て 間 も な い 頃 の
私にとって、文太さんは﹁兄
貴﹂と い う よ り、偉 大 な 英
雄 で し た。だ か ら、私 は こ
こで菅原文太先生と呼ばせ
て い た だ き ま す。先 生 に 初
めてお目にかかった 年前、
﹁私は尹さんが始めようとす
る仕事に関して深い意味は
分 か り ま せ ん。た だ、妻 が
あ ま り に も 感 動 し、僕 の 名
30
も っ て 土 に 帰 ら れ た﹁行 動
す る 思 想 家﹂で し た。先 生
が 蒔 い た 種、生 命 尊 重 の 種、
愛、平 和 尊 重 の 種 を 私 た ち
が育ていかなければなりま
せん。
先 生 は ポ ー ル ニ
· ューマ
ンが好きだとおっしゃった
こ と を 思 い 出 し ま す。ポ ー
ル・ニ ュ ー マ ン は、世 界 各
地に十数名の孤児の面倒を
見られているとお伝えした
ら、先 生 は 韓 国 孤 児 二 人 を
援 助 し て く だ さ い ま し た。
先生に育てていただいた双
子の子どもはそれぞれ結婚
し、一 人 は 二 児 の 母 に、一
人は一児の母になっていま
す。
故 郷 の 家 は、多 く の 人 々
の善意が集まって作られま
し た。そ の 善 意 の 中 心 が 菅
原 文 太 先 生 で す。先 生 は 在
日コリアン高齢者の恩人で
す。堺、大 阪、神 戸、京 都
に 続 い て、﹁在 日 韓 国 老 人
ホ ー ム を 作 る 会﹂が 周 年
を 迎 え る 今 年 2 月、い よ い
よ 東 京 の﹁故 郷 の 家﹂を 着
工 す る メ ド が た ち、そ の 喜
びを分かち合いたいと願っ
ていたところに悲報が届き
ま し た。堺 の﹁故 郷 の 家﹂
に暮らすお年寄りと一緒に
ご冥福をお祈りします。
30
8
開設当初の故郷の家を支えた
赤坂ほのぼの会
ボランティア
グループ
呂から出たご利用者をバス
タオルでふいてあげる仕事
や、洗 濯 を し て た た む ま で
の作業、おやつの時間にホー
ル ま で 誘 導、毎 週 金 曜 に 実
施していた体操の時の誘導
な ど を 行 っ て い ま し た。中
に は、歩 行 が で き る の に メ
ン バ ー に 甘 え て、座 っ て い
るいすから﹁立たせて﹂と、
手を出すご利用や、﹁ご利用
者が施設からいなくなった
ので一緒に探してください﹂
と、自 宅 に 電 話 が 入 り、あ
ちこち探し回ったことも。
開 所 当 時 は、在 日 の ご 利
用者がほとんどで言葉がわ
からず苦労したこともあり
ま し た が、赤 坂 ほ の ぼ の 会
の献身的な支えはご利用者
を 喜 ば せ ま し た。メ ン バ ー
には、故郷の家でボランティ
アをしたことがきっかけで
介 護 の 養 成 講 座 を 受 講、本
格的に介護の仕事に関わる
人 も い ま し た。そ の 後、介
護保険の導入やヘルパーが
増えた事などで定期的な支
援 は な く な り ま し た が、つ
い最近まで故郷の家でボラ
ンティアを続けていたメン
バーもお1人おられます。
﹁和解と平和のための共生の道﹂
で展開しています。
国 民 日 報 は、1 9 8 8 年
月 日に創刊された韓国
の 有 力 紙 の 一 つ で、ソ ウ ル
特別市永登浦区に本社があ
り ま す。紙 面 レ イ ア ウ ト は
横組み 面で朝刊のみの発
韓国国民日報でシリーズ掲載中
社 会 福 祉 法 人 崇 實 共 生
福 祉 財 団 は、共 生 の 意 味
を広く伝えることを目的
に、﹁和 解 と 平 和 の た め の
共 生 の 道﹂プ ロ ジ ェ ク ト
を、韓 国 の 国 民 日 報 で 7
月から月1回のシリーズ
◆
赤 坂 ほ の ぼ の 会 は、 年
間の地域での活動に対して
こ の 度、厚 生 労 働 省 か ら 厚
生労働大臣表彰を受けるこ
と が 決 ま り ま し た。堺 市 で
は2団体しか選ばれなかっ
たうちの1つです。
手拝さんは、﹁赤坂ほのぼ
の会を立ち上げた同じ年に
創設された故郷の家でのボ
ランティアは楽しく良い思
い出もたくさんです。また、
交流の時が持てたらうれし
いです﹂と、話しています。
25
行、多 く の ク リ ス チ ャ ン
の読者がいる全国規模の
一般紙です。
7 月 は 多 文 化 共 生 を
テ ー マ と し て、同 財 団 が
主催した韓日国際結婚夫
婦 の 会﹁キ ム チ と 梅 干 し﹂
の 最 初 の イ ベ ン ト が、ま
た、8 月 は、歌 手 の ユ・
ヨルさんが親善大使を引
き受けるようになった経
緯が紹介されています。
9 月 は、故 郷 の 家 で 催
される秋夕の行事を楽し
み な が ら、懐 か し い 祖 国
のしきたりに癒されてい
る在日入居者が故郷への
思いを語っています。
9
10
40
昨年 月、 周年を迎えた故郷の家。創設当初、地
域での支えとなったボランティアグループが﹁赤坂ほ
の ぼ の 会﹂で す。入 浴 介 助 か ら 洗 濯、食 事 介 助 な ど、
ご利用者の手となり足となり大活躍。同会初代代表の
手拝康子さんと現代表・和田ミチ子さん、藤田千賀子
さんに当時を振り返っていただきました。
﹁赤坂ほのぼの会﹂は堺市
社会福祉会が主催したボラ
ンティア養成講座を受講し
た修了生有志で1989年
5 月、発 足。故 郷 の 家 に 隣
接 す る 地 域・赤 坂 台 で 結 成
されたボランティアグルー
プ で す。地 域 の 高 齢 者 の 見
守りをメインにボランティ
ア 活 動 を ス タ ー ト。当 時、
堺市では在宅支援を掲げて
ボランティアを始めたのは
こ の グ ル ー プ だ け で し た。
しかし、まだ﹁ボランティア﹂
が浸透していなかった時代、
訪 問 先 で﹁施 し は 受 け ん で
も 生 活 は で き る﹂と、断 ら
れることも度々でした。
◆
結 成 し た 年 の 月、故 郷
の家が開設されました。﹁ボ
ラ ン テ ィ ア が 必 要﹂と の 要
請 に 応 じ、ほ の ぼ の 会 の メ
ン バ ー が 週 に 1 回、ボ ラ ン
テ ィ ア に 入 る こ と に。途 中
から泉北教会のシスター達
も 加 わ り、職 員・シ ス タ ー
達との連携プレーでご利用
者 の 生 活 を 守 り ま し た。メ
ンバーは2∼3人ずつ組に
な り 週 に 1 回 来 所。お 風 呂
に入る利用者さんの服を脱
ぐ 作 業 を 手 伝 っ た り、お 風
12
25
赤坂ほのぼの会のメンバー。
左から手拝さん、和田さん、藤田さん
11
11
施設スケジュールは各施設のブログをご参照ください。
故郷の家(堺)
故郷の家・大阪
▶秋晴れのもと、10 月 21 日
に毎年恒例の焼き芋行事を行
い ま し た! 職 員 が 炭 や 薪
をくべて火を起こし、そこに
アルミに包んださつま芋を投
入します。楽しみにされてい
たご利用者様も多く、楽しく
会話をしながら、焼きあがる
の を 待 ち ま す。「昔、家 で も
や っ て た な ぁ」と 懐 か し そ
うに話される方もいました。
秋の味覚を堪能する事がで
き、お芋もこころもほっこり、
幸せなひと時となりました。
http://kokyosakai.blog40.fc2.com/
http://kokyoosaka.blog79.fc2.com/
故郷の家・神戸 故郷の家・京都 http://kokyokobe.blog40.fc2.com/
http://kokyokyoto.blog41.fc2.com/
▼11 月 4 日、鮮やかな紅葉を見に おやつと温かい柚
子茶を持って荒山公園に外出しました 。公園でサッ
カーをする子供達やママの手をつかんで散歩する赤
ちゃんや犬などの姿を見ながら皆様も楽しまれまし
た。自然に微笑がこみ上げてきて 本当に嬉しそうな
姿 で し た。紅 葉 の
中で笑いながら「ハ
イ、チーズ!」
帰 る 時 に は「こ
んな良い思い出を
作ってくれてあり
が と う」と 話 さ れ
た一日でした。
京都
◀ 11 月 24 日から 12
月 4 日にかけて、川端
通、今出川通、北白川、
宝ヶ池へ行くドライブ
コースで紅葉ドライブ
に出かけました。色鮮
や か な 紅 葉 を 見 て、
「わぁきれいやねぇ!」
と歓声を挙げるご利用者様。
「落ち葉の絨毯の上を走って
るみたい」と喜んで頂けました。
大阪
▶天 気 に 恵 ま れ、屋 上 で バ ー ベ
キューを行いました。お肉あり野
菜ありで、ボリューム満点でした。
▶1 年 の 間 に 施 設 で お 亡 く な り に
なられたご利用者の方を追悼する
た め の 礼 拝 を 執 り 行 い ま し た。
名 の 方 が 参 加 さ れ、一 人 ず つ 紹 介
を し て い く た び に、そ れ ぞ れ の 方
との思い出がよみがえってきます。
神戸
▶11 月 8 日、第
25 回コリアジャパ
ンデイを開催しま
し た。日 々 の 積 み
堺2
重ねの 1 年を感謝
し、利用者の皆様、
ご 家 族、ま た 地 域
の皆様に楽しんで
いだだけますようにボランティアの方々を始め多くの
方々にご協力いただき、感謝の気持ちを込めて職員一同
準備しました。たくさんの方々が来られ、楽しい1日を
過ごすことが出来ました。
◀保育所の園児達と交流し、
踊 り や 太 鼓 に 拍 手 喝 采。皆
さんの笑顔がほころびます。
◀故 郷 の 家・神 戸 の
運動会。ボランティ
アの方を中心に企画
しました。
いつも静かなご利用
者の方も元気いっぱ
い競技に応援にと活
躍していました
堺
30
10
皆様のお気持ちに感謝いたします
2014 年 10 月・11 月 寄付合計 8,001,602 円
堺
大 阪
法 人
929,821 円
100,000 円
1,152,000 円
2014 年 10 月・11 月の寄付者
BANANA COMPANY
KTA(日韓交流会)
いのちのことば社伝道グル
ープ
会長・多胡元喜
お告げのフランシスコ姉妹会
カトリックマリア会
コミネ カズコ
パク スンフォン
ペン株式会社
レデンプトリスチン修道院
ワタキューセイモア株式会
社 近畿支店
阿部 志郎
安井 久寿
伊本 正雄
磯貝 靖洋
一宮 義之
稲本 暁子
鵜沼 裕子
永山 成大
永田 友市
奥村 三郎
奥田 恭江
岡崎 政子
岡本 榮一
花島 光男
赤坂台連合自治会 会長 上畑浩三
学校法人智辯学園智辯学
園 和歌山高等学校
藤田清司
韓国江西区社会福祉協会
岩本 芳江
吉本 清子
吉澤 まゆみ
久一 睦美
宮原 智文
宮部 伸行
共生家族会
金 慶光
金 善鶴
金山 委智夫
金氏高麗人参株式会社
金森 享
故郷の家・京都職員ご一同
2014 年 10 月・11 月の寄贈者
■故郷の家(堺) あゆみ介護
㈱永野 永野美津子
ダイキチカバーオール 松下 武嗣
ダイキチカバーオール 光井 洋子
保育園平和の園
Takaコーポレーション 板見隆雄
ながやま歯科
北浦 晴夫・節子
堀口 眞貴子
木之下 萬里
岡前 光男
北條 千里
石井 靖子
三浦 頼彦
小田 ヒターナ
伊本 正雄
金 春植
佐藤 ちひろ
田内 文枝
松永 すまご家族
藤井 正之ご家族
片岡 智江子ご家族
吉山 キクエご家族
花山 澄夫ご家族
高橋 實枝ご家族
金 明花ご家族
根岸 喜世子ご家族
大森 かづ枝ご家族
北田 昭子ご家族
杉本 明子ご家族
山村 芳子ご家族
山口 彦治ご家族
金石 チエ子ご家族
山口 利勝ご家族
吉金 判述ご家族
郡場 愛子ご家族
金山 花子ご家族
田所 實ご家族
11
エレクトーン
リボン・サウンド・プロモ
ーション
もんたった
小田ヒターナ
野中 晴夫
上野 恵
成美高校
和田 美津子
園芸ボランティア
■故郷の家・大阪
歌体操
234,000円
5,585,781円
( 敬称略 )
故郷の家・広場
故郷の家・堺
五井 史子 佐々木 君代
佐藤 美津子
佐野 安予
細木 良
在日本大韓民国民団大阪・
堺支部 支団長・呉時宗
在日本大韓民国民団中央
本部
団長・呉公太
坂入 髙雄
三條 洋二
二ノ湯さとし後援会事務所
二之湯智
山口 貞夫
山川 賀世子
山田 明子
山田 健司
山田 裕
四宮 章夫
市原 君子
寺尾 和美
社会福祉法人シャローム
軽費老人ホームセットンの家
十時 威夫
小村 裕己
小畑 宰
小林 勝
照屋 則子
祥明大学家族福祉学科
新檜尾台校区連合自治会
成田 清子
星田 正雄
清本 清一(金 清一)
西畑 陽子代理人
青木 浩
泉北園百寿荘
浅野 和子
箭野 信敏 京子
匿名ご希望者
増山 律子
大槻 光子
大槻 幸廣
大島 芳江
大澤 勝哉
谷本 岩夫
谷澤 耀子
池上 陽
中村 啓子
中島 良子
昼間 和守
鄭 煥麒
土肥 正明
(有)あゆみ介護センター 代表・藤直八重子
藤田 裕之
藤島 薫
匿名ご希望者
匿名ご希望者
南谷 優子
日本福音振興会
会長・泉田 昭
梅田 達夫
柏木 昭
畑 正樹
畑 有紀
福田 武俊
平井 勝江
平川 晃
片桐 いづみ
牧角 雅子
本河 みぎわ
末永 悦子
野中 廣務
油井 真理子
有田 典代
李 弘子
李 守陳
李 美淑
良知 正美
林 弘子
鈴木 仁
和田 有美子
圓藤 泰久
續木 智子
( 敬称略 )
呉本 奉澈ご家族
日高 ハルご家族
平山 幸子ご家族
庭代台ボランティアの皆様
■故郷の家・大阪
金山 聖姫 西尾 芳子 時國 康子 藤川 博子 養父 多津子
安達 翠 金山 聖姫
天理教
西尾 房子
武川 淳子
パククリニック
押海 順愛
白岩 淳子
立石 俊子
アシストケアサービス
2014 年 10 月・11 月の来訪者・ボランティア
■故郷の家(堺)
ソロプチミスト大阪-南陵
韓国伝統芸術院
エイジレスバレエ
カトレア会
渡辺 ヒデ
石井 靖子
和田 操
田中 隆
小峯 和子
泉北キリスト恵み教会
金剛教会
たんぽぽ保育所
神 戸
京 都
ハーモニカクラブ
野中 晴夫
ガラクタ
油谷
楽マジクラブ
ハイビスカス
■故郷の家・神戸
たから保育園
田母神節子 森田恵美
白濱雅美
けいこ&りお
中川地域・末吉
■故郷の家・神戸
(株)三國製靴 柿原 日出男 椋木 とみ子 金 大一 柿山 マサ子ご家族
松山 君子ご家族
福山 秋子ご家族
(株)エコロジカルプレゼンツ
岩本 文子ご家族 伊山 宝培ご家族 秋 且善ご家族 久米 マユミ
姜 順姫ご家族 藤原 豊子 南 輝男ご家族 中村 美佐子ご家族
伊東 幸子ご家族 香山 春子ご家族 鄭 玉子ご家族 久保 ミツ子ご家族
上本 ミツご家族 三枝 好子ご家族 植西 春子
近藤 ゆめみ 水間 千紘 豊田 久子ご家族 中谷 町子 大村 春子ご家族
シルバーカレッジ岡 ファーストレディス(株) 高口 秀夫 ファーストリネンサービス㈱
荒木 一子ご家族
■故郷の家・京都
竹内 春子ご家族
平山 良子ご家族
良原 道分ご家族
中本 田鶴ご家族
崔 年子ご家族
西浦 ヨネご家族
辻 商店様
エコロジカル プレゼンツ
株式会社テスティパル
星 晃三ご家族
西村 ユキご家族
(故)金本 順子ご家族
羽谷 守子ご家族
宮本 年子ご家族
山田 明子ご家族
ゆう先生
平川 菊江ご家族
青年会
腰島様
江本 春子ご家族
( 敬称略 )
野呂佳乃子
積光麻由子
神戸教会
岩本文枝
黄大樹
サランの会
(株)rise
KSC民謡クラブ
真野小学校
KSC吹き矢クラブ
恩恵教会
神戸アッサンブレ
平島牧師夫妻
ふらわぁーず
■故郷の家・京都
・コミュニケーションボラン
ティア
三村佳正、久保里佳
・コミュニケーション・環境
整備
青少年希望財団
・三味線演奏会
柴田美智子
・お茶会
ソロプチミスト大阪南陵
池田邦子 他1名
・誕生日会ボランティア
正新流正粋館(武本 美
代子、清水 洋子)
・敬老の日・のど自慢大会
アフィルマティファ
・囲碁教室
伊藤 ・編み物教室
横尾 幹江 他2名
・フラダンス教室
プアレファーフロフラダン
ス同窓
ヘルシーな
韓国メニュー
サンジョン
今回は、旧正月や秋夕
などで故郷の家・神戸で
お供え物としてお供えし
ている、“サンジョン”を紹介します。韓
国では法事や結婚式、誕生日などのお祝い
事で人が集まる際に作るそうです。色とり
どりなジョンで、食卓が華やかになり、野
菜とお肉が入って大変おいしいジョンで
す。どうぞ旧正月に作ってみて下さい。
故郷の家・神戸 管理栄養士 霜中美恵子 材料
・白葱 2本 ・牛モモ肉 200g
・カニカマ 1パック ・パプリカ
(黄) 1個
・パプリカ
(赤) 1個 ・生椎茸 1パック
・卵 3個 ・小麦粉 適量
・塩 適量 ・こしょう 適量
<ヤンニョムジャン>
・醤油 大さじ4杯 ・酢 大さじ3杯
・胡麻油 小さじ1杯 ・白ごま 大さじ1杯
作り方
①白ねぎは8㎝幅に切り、縦半分に切ります。パプリカと椎茸は1㎝
幅のくし形切りにします。
②色合いを考えながら、①の材料を順番に刺していきます。
③卵を割り、塩を入れて溶きほぐします。
④②に小麦粉を薄くはたき、③の卵をくぐらせてフライパンで焼き、
火が通ればできあがりです。
※そのまま食べてもおいしいですが、
ヤンニョムジャンをつけて食べ
てもおいしいです。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ①正義感が強く情熱的な男
⑤頼むこと
⑥バス──、──ブック、──ライン
⑧植物。
タンポポもヒマワリもこの仲間
⑩自分自身。──満足、──嫌悪
⑪積乱雲から降る直径5mm以上の氷の粒
⑫裏声を多用する、
アルプス地方発祥の歌唱法
⑭この木の樹皮からとった液は塗料や接着剤に
利用されます
⑮──食わば皿まで
タテのカギ
ヨコのカギ
①﹁お年玉つき﹂
もあります
②緯度 ↑↓ ││
③カエルの││に水
④胸のすくような、
すばらしい行為
⑦等しいことを示す記号
⑨おなかがぺこぺこ⋮
⑪朝、││、晩
⑬師匠、先生について修業に努める
人
二重マスの文字を組み合わせてできる言葉を答えてください。【ヒント=2015年は…】
プレゼント
日韓福祉交流通信 こころの家族 2015年1月1日発行(第301号) 購読料:年1.000円(隔月発行)
クロスワードパズル
2
1
3
4
5
6
7
8
10
12
14
正解をお寄せくださった方の中から5名様に、
ソプ
ラノ歌手のキム・ソニさんの韓国歌曲のCDをプレゼ
ントします。美しい歌声が楽しめるCDです。
どちらが
届くかご期待ください。応募ははがきにパズルの答と
住 所・氏 名・電 話 番 号 を お 書 きのうえ 「 〒
590-0142 堺市南区桧尾3360-12 故郷の家・クイ
ズ係」
まで。
1月末日締め切り。
本誌をお読みになった感想、
メッセージなどもお書
き添えくださるとうれしいです。 ※前回のクイズの答は
「コガラシイチゴウ」
でした。
9
11
13
15
★「故郷の家・東京」建設にのり
出されていると知り、
また、作る会
会長の阿部さんの「最後まで人
生の坂を登りつづける豊かな老
後を共に生きるホームを」
という
言葉に共感しました。
(T市・Fさん)
発行人:田内文枝 編集人:尹 基 編集:松井珍男子、三井康栄、佐東まゆみ
私たちの団体はキリスト教の精神に基づき、国境を越え、民族を越えて共に生きる社会の実現を目指します。統一教会、エホバの証人、モルモン教とは関係ありません