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代表幹事挨拶
野上由人
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
田﨑洋幸
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
糸賀雅児
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
片山杜秀
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
❶
年を経てなお感じる本の力
松本大介
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
❷商 い と し て の 本 屋
細川早苗
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ー ル 浜 通 り で 立 ち 向 か う ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鈴木順子
今、東北の書店では|
―
郷間雅俊
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
34
19
15 11 7
|東日本大震災から三年
人文書販売の現状とこれからの方策案
|書店現場から|
118
1
no.
2
2 014 . 8
50
在の大学、ウニベルシタス
|編集者が語るこの叢書・このシリーズ|
❸不
人文会活動報告
人文会年次総会報告
委員会活動方針
2014年特約店グループ訪問報告
http : // w w w. j i n b u n k a i . c o m
『 は だ し の ゲ ン 』か ら「 図 書 館 の 自 由 」を と ら え 直 す
十五分でわかる第一次世界大戦
❸オ
3
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代 表 幹 事 挨 拶
23
みすず書房 田﨑洋幸
名が新任され、
︿調査・研修﹀委員会委員長の橋元博樹氏︵東京大学出版会︶には引き続き、重責
年間、この新体制で邁進する所存です。
1
昨年、人文会は創立 周年を無事に迎えることができました。今後、創立 周年に向けて活動を継
続いたしますが、販売面や人材育成において出版業界に貢献する人文会で有り続けるためには、更に
販売会社様には、新規入会のご報告と残念なご報告を同時にさせて頂くことになってしまいました。
今期からの新規会員として株式会社青土社が入会されました。長年にわたり良書を刊行されている
出版社であり、人文会にとって念願の入会となりましたが、柏書房が休会となったことで、書店様、
塾大学出版会︶
の三氏が就任しました。今後
︿調査・研修﹀委員会副委員長に片山伸治氏︵吉川弘文館︶
、
︿広報﹀委員会副委員長に乙子智氏︵慶應義
を担って頂くことになりました。また、
︿販売・企画﹀委員会副委員長に朝倉哲哉氏︵法政大学出版局︶
、
の
して︿販売・企画﹀委員会委員長の片桐幹夫氏︵春秋社︶
、
︿広報﹀委員会委員長の水谷幹夫氏︵未來社︶
はなく、
︿販売・企画﹀
・
︿調査・研修﹀
・
︿広報﹀の三委員会制を継続することになりました。幹事と
年 月 日に行われた人文会年次総会において、代表幹事に再任されました。書記幹事
の新保卓夫氏︵誠信書房︶
、会計幹事の平石修氏︵御茶の水書房︶も再任となりました。委員会構成も変更
5
50
りますので、その際は、忌憚のないご意見を頂けましたら幸いです。
多くの方々のご要望を頂戴する必要があります。なるべく多くの意見交換の場を設けたいと考えてお
45
引き続き、人文会、および会員各社をどうぞよろしくお願い申し上げます。
1
2
0
1
4
2
書店現場から
社の各氏が次のように口を揃えたことは再度確認してお
野上 由
人 (株式会社リブロ 西
日本運営部次長)
人文書販売の現状とこれからの方策案
号で、取次
トーハン・倉根氏 人文書の販売は選書能力、いわゆる﹁目利き﹂に尽きるのではないでしょ
人文会ニュース
きたい。
2
うか。︵中略︶やはり最後は﹁人﹂だと思います。
日販・駒村氏 人文書は品揃えの難しいジャンルであり、ご担当者様のセンス、個性、こだわ
はいよいよ難しくなり、それでも店舗が成り立っているのは、熱心な従業員が所定の勤務時間を
アル書店の潰し合いともいえる熾烈な競争は、人材育成の余裕を完全に失わせている。書店経営
しかしながら実際には、人文書販売のための人材育成が進んでいるとは言い難い。継続して縮
小する出版市場の中で、同時に無店舗=ネット販売の占有率が高くなり、小さなパイをめぐるリ
れた結論である。
つまり、取次としての販売支援のその先に、どうしても書店現場の﹁人﹂に頼らざるを得ない
部分があり、その人材育成が、人文書販売の成否を握っているという、私たちにとっては聞き慣
1
1
5
:
りが大きく反映されると思います。
:
2
終えたあと、直ちにボランティアスタッフとしてその運営を支えているからだ。このような状況
で、人材育成にかけるコストが捻出されないのは、決して不可解なことではない。
そ の 苦 境 に お い て、 書 店 の 粗 利 率 % を 目 指 す 日 販 の 方 針 は、 書 店 業 界 の 希 望 と な る。
の鈴木社長と同様、私も日販のパートナーズ契約の考え
号に寄稿されたあゆみ
ただ、その運用において、問題も多い。返品率 %の実現とは、仕入の量を売上の ・ 倍
程度に抑えることを意味するが、この業界、仕入の精度を高めるにはまだまだ制度整備が不十分
方に、概ね賛成である。
30
B
o
o
k
s
1
3
﹂という発注代行サービスがある。売れて欠けた本、配本がな
日販には﹁リリーフ ︵エース︶
かった本、発注したのに入荷していない本など、あるべきなのに店頭にない本を自動的に補充し
日販のサポートシステムに頼ることになる。
そもそも人材育成どころか、店舗運営に必要な労働力を不足なく投入することすらままならな
い経営状況で、
﹁仕入の精度を高める﹂
︵=返品率を下げる︶
ことが容易でないのは明らかだ。そこで
を落とす。
実に大雑把な発注抑制策を取ることになる。結果、必要な商品も仕入れずに品揃えが崩れ、売上
割分担も明確でない。いわば想定外の仕入が多様に発生する中で仕入総量を抑えようとするから、
で、新刊配本にしても注文にしても、不確定要素が多すぎる。チェーン本部と店舗スタッフの役
25
位まで、というように設定しておく。
位まで、
5
0
0
巻の作品のうち、
ンキングに基づき、店舗の書棚の量に応じて決められる。例えば、文芸書は上位
てくれるサービスだ。あるべきか否かの判定は、原則として、毎日更新される最新の全国売上ラ
A
もちろんこのしくみには欠点もある。わかりやすい例では、シリーズ全
文庫は
10
1
0
0
0
0
書 店 現 場 か ら 人 文 書 販 売 の 現 状 とこ れ か ら の 方 策 案
3
1
1
6
仮に
巻だけランク外に落ちていたら
巻だけ補充されない。それでいいじゃないかという考
6
﹁リリーフ ﹂では様々なオプションメニューを追加し
このような書店の需要に応えるため、
ている。例えば文庫では、いわゆる﹁一覧表欠本チェック﹂を自動化した。売上ランキングだけ
え方もあるだろうが、やはりシリーズとして揃っていないとダメだと考える書店が多いだろう。
6
A
﹂という新刊の事前申込制度がある。まず日販
他方、新刊配本については﹁アドバンス
の配本予定数が提示され、書店側がそれを修正し、修正後の部数で満数配本される︵上限あり︶
。
ていいのか、過去実績の検証が必要だ。
オプションメニューの活用は有効だと思うが、在庫全体のうち、どの程度まで品揃えを固定化し
但し、自動発注比率が高まりすぎると、品揃えが硬直化してしまう。それは、売上構築の面で
も、返品率の面でも、悪影響があるだろう。ロングセラー比率の高い人文書や児童書において、
分化とオプションメニューの多様化が進めば、さらに有用性が増すと期待している。
が理工書などといっしょに﹁専門書﹂と括られているため使いにくい。今後、ジャンル設定の細
ジャンルごとの順位設定と、オプションメニューの選択により、書店個別の品揃えに合わせた
自動発注システムとして、ある程度カスタマイズできるようになりつつある。今はまだ、人文書
売場を作ることができる。
﹂など、シリーズ単位で欠本補充されるオプションメニューも登場した。仮に、人文会の
Book
﹁基本図書﹂をオプションメニューとして登録すれば、常に基本図書が欠けることのない人文書
同様に、情報センター出版局の﹁ 旅の指さし会話帳 ﹂や、デアゴスティーニの﹁ My Birthday
けているものを自動的に補充する。これで、全
巻が同じランクにあれば欠けることがない。
でなく、出版社が用意する ランク、 ランクといったランク別の商品リストに基づいて、欠
A
10
S
M
D
4
仮に、自分の店には要らないと思う商品なら﹁0冊﹂で申し込む。現在はコミックが中心だが、
書籍での本格運用を期待している。これこそ、日販が掲げる﹁脱委託﹂の最もわかりやすい方途
だと思う。
で送られてくる新刊案内にこまめに応えていればよい。ただ、配本制
もちろん、専門書出版社の大半が、かねてから新刊の事前申込を受け付けている。よって、
﹂を使わずとも、専門書については書店主導の仕入を実現しやすい環境が既に
﹁アドバンス
整っている。郵便や
度の全貌を知るのはなかなか難しく、配本不要と思って注文しないでいると、部数指定がなかっ
たといって見計らいで配本されることがある。取次が止めても止まらないものもあると聞く。ほ
んとうのことはよくわからない。だから、書店側の希望に基づいて新刊が配本される単純明快な
しくみに、業界全体が変革されることを望む。
さて、日販のサポートシステムが期待する方向に進化したとしても、まだ人文書の返品率は下
がらない。主たる要因は3つある。① 常備入替、② 新刊
申込の精度、③ 商品の分類・陳列の精度である。③が②
に影響するのは言うまでもない。
まず常備の更新は、全品入替を中止し、新品カバーの送
付と明細変更分のみの差し替えに代えることはできないだ
次に、新刊申込の精度を上げるためには、新刊を評価す
る尺度が必要である。著者またはシリーズの既刊販売実績、
ろうか。
筆者近影
初版部数、価格、想定読者層などを点数化して★の数で表
書 店 現 場 か ら 人 文 書 販 売 の 現 状 とこ れ か ら の 方 策 案
5
F
A
X
M
D
すといった方法は、取次が得意とするところではないか。
﹁アドバンス
付加されれば、書店の発注をある程度サポートすると思う。
﹂にそういう機能が
そのために、人文書の分類体系を業界統一で作ることを提案したい。モデルは、
︵コン
ピュータ出版販売研究機構︶
の棚分類コードだ。既に人文会が基本図書の分類を示している。これを
現状ここに不安がある。
そして、どちらかというとこちらのほうが重要だが、商品の分類精度を高め、仕入れた商品は
確実に売上に結び付けられるよう適切な場所に陳列しなければならない。あたりまえのことだが、
M
D
急いで付け加えるが、これらはあくまでも参考情報であり、一切無視して自由に判断する書店
があっていいし、むしろそうあってほしい。ただ、現状を﹁
点満点のうち 点くらいま
プに印字するところまで持っていければ力強い。
もとに、人文会会員社以外にも広く共有される分類体系を定め、できればコード化して、スリッ
C
P
U
80
では何とかなるのだが、あと 点がなかなか難しい﹂とみるか、
﹁そもそも 点に遠く及ばない﹂
1
0
0
80
とみるかで、取るべき施策が異なる。
﹁ 点に遠く及ばない﹂売場のままでは、人文書は︵実勢以
20
上に︶
売れないジャンルとの烙印を押され、今後、仕入リスクを負うことになる書店に人文書販
80
野上 由人(のがみ ゆうと)
売からの撤退を促すだろう。業界として、まずは急いで﹁ 点まで﹂を支援すべきだというのが、
私の現状認識だ。
﹁あと 点﹂は、企業秘密でもよい。
20
80
6
東日本大震災から三年
❶
今、東北の書店では
︱
年
年 を 経 て な お 感 じ る 本の 力
松本 大
介 (さわや書店 フ
ェザン店)
ンタウン釜石店の開店準備スタッフとして、他の数人の応
えて作業は大詰めを迎え、本当に明日のオープンに間に合
援スタッフとともに釜石にいました。オープンを翌日に控
月には盛岡駅構内にあるフェザン店へと、異
文庫、雑誌とコミック、新書と郷土および人文書へと渡り
の大きかった鵜住居地区へと車を走らせました。釜石市内
若干早めに起床し、宿泊先の旅館を出発。釜石で最も被害
んなロートルな私に声をかけていただいた人文会さんに感
つ、活躍の場も若手に譲りっぱなしで今日に至ります。そ
にしました。アルファベットの の文字を逆さにしたよう
ネルを何個か過ぎると、道路沿いの塀越しにその風景を目
から復興支援道路を使って北へ、山を回り込むようにトン
歩き、もはや引退間近の
リーガーのごとき様相を呈しつ
動しました。震災後の
うか否か、という進捗状況ではありましたが、いつもより
1
年間で、売り場の担当も文芸書と
年 の 震 災 当 時、 私 は さ わ や 書 店 本 店 勤 務 で し
たが、約半年後に上盛岡店へ、それから 年を経たずして、
3
謝の気持ちで胸をいっぱいにしつつ、以下個人的に考えた
J
ことをつらつらと書き連ねますので、業界のこれまでのこ
を少しバツが悪そうに、しかし甘んじて受け入れているよ
な、切り立った山と山の間に挟まれた海。海がその窮屈さ
へ向けると、道路と平行に右手を流れるはずの鵜住居川は、
しばらく道なりに車を走らせると、釜石市と大槌町とを
隔てる葡萄森の山肌へと突きあたります。車を右折させ東
と、現在抱える問題点や課題、そして未来のビジョンとは、
A
うに見えるのは、見る者の心の感傷ゆえでしょうか。
11
重ならない部分もあるかとは思いますが、しばしお付き合
い下さい。
3
まずは私にとって、非常に大きな体験から書かせていた
だこうかと思います。今年の 月 日は、さわや書店イオ
7
3
10
2
0
1
1
2
0
1
2
熱くなります。当時考えたことは思い出せないけれど、場
を垂れました。言葉にならない感情が渦巻いて、目の奥が
キロ。震災前は家々に阻ま
違いに咲き誇っていた桜が浮かび、いたたまれなくなって
周囲一面にアシがはびこり、その姿を隠していました。こ
こから海岸まで直線距離で約
月の灰色の
海が、迫ってくるような妄想に囚われました。しばらくし
び沈黙が支配する静寂の中で、私は震災をきっかけにやら
目を開けました。市内へと戻る車中は言葉少なで、たびた
れて見えなかったはずの海。小雪がちらつく
て、知らず止めていた息を重々しく吐き出すと、車も重い
なくなったことを考えていました。
存知のことと思います。スマホやタブレットといったハン
指して走りだしました。
あの日、迫りくる﹁灰﹂色に、わずかな希望の﹁火﹂も
抱かせず、人をさらうことで﹁仄﹂暗い色をより濃くして
デ ィ な ス マ ー ト デ バ イ ス は、 い ま や 日 常 生 活 に 不 可 欠 な
年にも満たない短期間で、人
いった波。窓の外に目をやると、かさ上げ工事の重機のせ
ようとしています。それは
変化させました。相互の交流が可能な
は、反応のス
ません。車は細い路地があったと思われる道なき道を進み、
ピードこそいわゆるチャットには劣りますが、言葉の連な
へと足を向けました。眼前に広がる、遠くて近いようなそ
想空間として出現させるにいたりました。
く、サロンのような﹁場﹂を物理的な距離に関係なく、仮
心持ちで手を合わせ、 年前にもしたように目を閉じて頭
の水平線からは、地球の丸さは感じられませんでした。海
S
N
S
猫が甲高い声で一つ鳴いたことに、背中を押されるような
所に、およそ
やがて止まりました。震災からひと月後にも訪れたその場
と人とのつながり、いわゆるコミュニケーションの形をも
10
S
N
S
りを交換し合うために、即応的な議論や主張が生まれやす
年経っても、まだ遅々として進み
メートルほどの地点まででしょ
ツールとなり、爆発的な普及によって社会の根幹さえ変え
は、せいぜい海岸線から
わしなさが目につきます。しかし、盛り土がされているの
震災直後、電話がつながりづらい状況下で、ツイッター
をはじめとする
の 存 在 が、 注 目 を 浴 び た こ と は ご
足取りで、だらだらとした緩やかな下り坂を灰色の海を目
3
1
年ぶりに立ち、少し逡巡してから海のほう
うか。復興の道のりは
50
3
新聞や雑誌が時間をかけて記事のレイアウトを決め、紙
幅によって情報の価値を瞬時に目で捉えられるように考え
3
3
8
の よ う な 情 報 は 客 観 性 に 乏 し く、 思
られているのに対して、自らが主観的な判断のもとに取得
がもっぱらで、フォロワーは出版業界の方々が主です。結
びたび利用していました。内容は本の感想︵+その他︶など
メージに変化してゆきました。誰もが﹁場﹂を開ける魅力
点在し、ある地点を中心として同心円状に広がってゆくイ
がインターネットの普及によって、情報の発信源は無数に
一方的に情報が降りてくるというものがありました。それ
から下へ、つまりは一握りのエリートから受け手側へと、
旧来のジャーナリズムに対する批判として、三角形の頂点
想が偏ってしまう危険性を孕んでいると言えます。しかし、
らなくなっていきました。発言力の強い、もしくは格好い
葉﹂の境界が曖昧になっていく感覚に、どうしても我慢な
しまったのです。次第に、私は﹁私の言葉﹂と﹁他人の言
どれを返品していいか分からない新人書店員状態に陥って
ぎゅうぎゅうに詰め込みすぎて本を傷めてしまうような、
おおいに迷い、そのつぶやきに踊らされました。棚に本を
仕事情報の渦にさらされ、ためになることがあった反面、
果どうなったかを白状しますと、出版論、書店論といった
す る、 例 え ば
とでも言いましょうか。 年代の絶対的アイドルがいた時
年の調
さて、話を戻します。株式会社クラレの
査によると、暮らしの中でディスプレイを眺めている時間
があるので割愛しますが。
います。これについて語りだすと、夜が明けてしまう恐れ
代と、アイドル戦国時代と言われる現在の構図によく似て
そこで私は業界の片隅にいる者として、身をもって出版
システムの素晴らしさを証明してやろうと、意図的にネッ
グインしなくなりました。
スが、似通ってゆくことに強い違和感を持ち、ついにはロ
い発言に引っ張られる自分。自分と他の人の主張やスタン
年 の 夏 頃 の こ と。 以 降、 ツ イ ッ タ ー
トから距離を置くという、あえて時代錯誤な決断をしまし
年ほどの間、ツイッターをた
L
I
N
E
L
I
N
E
イーン﹂の小噺だと思って聴いていたことが、
と
にいたっては、志村けん氏の持ちギャグ﹁ア
はほぼ放置。フェイスブックとブックオフの区別すら怪し
かくいう私も震災前後の
私たちはネットで情報を得たり、得た情報を交換、拡散し
す。成人の睡眠時間と、ほぼ同じくらいの時間を費やして、
2
0
1
0
く、
2
0
1
2
5
たりすることにいそいそと励んでいるわけです。
た。 時 は、
は長くなり、
﹁ 日平均 時間半﹂という結果が出たそうで
80
2
東 日 本 大 震 災 か ら 三 年 ― 今 、東 北 の 書 店 で は
9
S
N
S
1
は急速に社会の片隅に追いやられているという焦りを、私
勤や移動の電車内で本を手にしている人は少数派です。本
で瞬時に交わされる﹁会話のような﹂言葉のやり
取りの、対極にあるのが本であるということ。いまや、通
なんでもない以下のようなことでした。
そこで浦島⋮⋮じゃなかった私が考えたことは、斬新でも
ごし、行き着くところまで行き着いちゃった感があります。
まさに日本の携帯電話市場顔負けのガラパゴスな日々を過
報弱者ぶりを継続中。今でもガラケーで事足りている私は、
もし、いまだあの風景に接したことのない方に、お読みい
まとめに入ります。私が先に記した今年の 月 日の、
釜石市鵜住居地区の描写に皆さんは何を思ったでしょうか。
ています。どうなることやら、乞うご期待。
とを位置づけられないだろうか、最近はそんなことを考え
ライフのように、ネットの対になる存在として、本と書店
とを怠りがちだと私は思います。一時期主張されたスロー
立ち止まり、時にわざわざ戻って、深く思考するというこ
わってしまいます。次々と更新される情報に触れていると、
にある、考えて工夫する力がなければ、ただ﹁知って﹂終
は少数派に身を投じることで実感しました。私たち業界の
ただけたのならば、情報として読み流したか、その先を想
いう新しいアプリ︵?︶の説明だったという、嘘みたいな情
人間と一握りの好事家の、嗜好品としてしか存在価値を有
いるのかもし
ぐそこに来て
未来﹂が、す
しない﹁本の
思い出の本を、買い求めにいらした多くの人々がいました。
︾
︽翌日のイオンタウン釜石店のオープン初日。思い出の中
にしか存在しなくなってしまった故郷で、流されてしまった
実は﹁その先﹂はこう続きます。
像したか聞いてみたい気持ちがあります。想像なさった方、
松本 大介(まつもと だいすけ)
れません。し
11
本屋には存在意義があると確信した私がいました。
3
かしせっせと
為も、その先
情報を得る行
筆者近影
S
N
S
10
東日本大震災から三年
❷
今、東北の書店では
︱
商 いとしての 本 屋
東日本大震災から三年が経ちました。
もう三年、まだ三年、感じ方は人それぞれですが、三年
が過ぎたことは確かです。
細川 早
苗 (ブックス・ミヤギ)
は思っていました。幸い、壊れた棚を直し、床を覆いつく
月
日に再オープンを迎えられたことは本当に良
した本を棚に戻し、自分たちの中では大変な作業でしたが、
無事
ん。
い返す人もいないので、
﹁まだ三年﹂感が強いかもしれませ
われたことです。そして欲しい雑誌が確実に入荷すること
んのお客様がいらっしゃいました。特に印象深かったのは、
﹁とにかく
先に再オープンしていた書店員さんたちから、
毎日すごい人出だ﹂と聞いてはいましたが、本当にたくさ
︿店が再オープンし、お客様が来てくださる﹀こ
しかし、
んなに良いことはないのに、私はそんな光景に場違いで不
誰とも連絡が取れなくなったことや、いろんな人たちとの
関わり、スタッフそれぞれが乗り越えてきた今日までが震
い ろ い ろ な 物 流 が ス ト ッ プ し、 混 沌 と し た 状 況 の 中 で
﹁本は食べられないのに、なぜこんなにも本を求め、人々は
謹慎なことを思っていたのです。
毎月、毎週買っている雑誌を求めるお客様の客注対応に追
︿揺れ﹀と言うよりは、棚から本がスローモーションのよ
うに落ちていく様や、あんな大惨事が起きているとも知ら
が分かった時のお客様の安堵した顔が、忘れられません。
かったです。
1
ず、
﹁明日は 時集合で棚詰めね∼﹂とのんきに別れてから
ただ、今現在の会話の中でよく﹁この間の地震の時⋮⋮﹂
で始まることが多いのですが、誰も﹁この間って?﹂と問
4
災の記憶として残っています。
地震後初めて見た店内。想像以上の荒れ様に、誰もが自
分の店の被害が一番大きいと、沿岸部の状況が分かるまで
東 日 本 大 震 災 か ら 三 年 ― 今 、東 北 の 書 店 で は
11
10
はお店に行けばすぐに手に入るだろう物や本を手元に置く
ことに必死だった﹀のではないかということです。いつも
いろいろなお客様との接客の中で、一番強く感じたこと
があります。それは、とにかくみんな、
︿日常を取り戻す
ました。
それを手に取り、顔がこわばっていくお客様もたくさんい
いたりしたことは本当にありがたかったことの一つです。
写真や記事の載った雑誌を直送してくださった版元さんが
版元さんが連絡をくださり直送してくださったり、最新の
通のストップした只中に、放射能関連本を出版されている
体何なのか知りたくて来た方もいるでしょう。あの新刊流
震災時本屋に来た人たちの中には、今起きていることは一
今はインターネットの普及で、知りたいことはすぐに検
索できますが、まだまだ本屋に情報を求めに人は来ます。
てしまった人もいるでしょう。
になってしまったり、本との距離や関わりが大きく変わっ
客様もいました。いつか読もうと思っていた本が、不必要
込みあげました。逆に、
﹁○○全集があるんだけど、こちら
入手困難な本は多々あるようで、そのたびにやるせなさが
た。専門店や大きな本屋を紹介したりしましたが、やはり
震災から半年、一年と過ぎる頃から、津波で流されてし
まった本をもう一度買い揃えたいというお客様が増えまし
の力﹀いうよりは、
︿商いの力﹀を見た気がしました。
心持ちを思い出したりするのかなぁとも思っています。
︿本
た。でもその人にとってその本を見るたびに、震災の時の
んと頭に入っていた人っているのかなと思ったりもしまし
なにか本も買っておこうかしら﹀といった感じでしょう
ことで、日常の安心感のようなものを得たかったのではな
常連のお客様に、本屋の常連=家に本がたくさんあると
いう前提のもと、時機を見計らって話しかけてみると、や
本屋に足を運ぶのだろう﹂と。
かったかと、震災後だいぶ落ち着いてから思うようになり
はりみなさん家の本が大変なことになっていたそうです。
かったなんて話をして盛り上がったこともあります。
そして本棚を強化したり、本を買うのはやはり止められな
で引き取っていただけないかしら?﹂とご相談に見えたお
か。実際、あの時に買った本をしっかり読んで内容もちゃ
ました。
どうしてもあの本が欲しいから本屋に来たというよりは
︿あ、本屋だわ。復活したのね。今日はお肉も買えたから、
12
れません。
自分にとっての震災から改めて考える人が増えたのかもし
トセラーになるほど売れていたのかは疑問です。それぞれ
れています。昔からこの手の本は売れていましたが、ベス
が売れていると感じます。あとは人としての生き方本も売
その後はやはり放射能関連本は長く売れ続けました。最
近では、収束の見えない復興事業の中での明るい話題の本
言葉・基準を震災に対して使っていいのか悩みました。
れるといいですね﹂といった、売れるか売れないかという
普段当たり前に使っていた、
﹁これは売れますよ﹂とか﹁売
売れ筋はというと、震災直後は、震災関連本が当たり前
に売れていました。そういえば、震災関連本を置くのに、
客様がいるのも事実です。
震が多く、揺れに慣れてしまったのか、平然としているお
前で手を広げるお客様がいました。ただ、困ったことに余
︿?﹀と思うかもしれませんが、あの大地震の前は、結構棚
店内の様子で変わったと思うことは、地震があると、お
客様が棚から素早く離れてくれるようになったことです。
めた自分のような者も、生活のため、販売員として本屋で
り得ない本屋を夢見ていました。本が好きで本屋で働き始
とっても普通の本屋が理想だな﹂などと今にして思えばあ
私個人の中では、震災前も震災後も本屋の在り方のよう
なものは変わっていません。働き始めたばかりの頃、
﹁誰に
ではないかなと、思った出来事でした。
とも、分かってはいても真剣には考えたくはないものなの
く出版された終活本にあったように思います。いつかは死
まだまだ生きるかもしれないし⋮⋮と思わせる何かが数多
残してはおきたいけれど、こんなに仰々しくなくても⋮⋮、
個人的にですが、あまりの中身のシビアさと値段に、書き
本等は売れませんでした。当店だけかもしれません。私は
だったわね﹂と笑い合ったりしました。実のところ、終活
かまりながら、棚から離れて、
﹁ほら、最期が今になるとこ
かなり強い余震があったことも。お客様とお互いの腕につ
お客様とおしゃべりしながら売り場をご案内している最中、
いろいろ書いておこうと思ってね﹂
﹁そうですねぇ﹂などと
働き始めた者も、仕事の内容は全く同じで、本を売るのが
ぬのだし、その時のことも考えていかなければならないこ
る時など﹁いやー、この前みたいな地震があると困るから、
生き方を考える人がいれば、もちろん死に方を考える人
もいました。いわゆるエンディングノートの類ですが、あ
東 日 本 大 震 災 か ら 三 年 ― 今 、東 北 の 書 店 で は
13
﹁棚でお客様と会話しなさい﹂とよく言われたことをいつも
な私は思うのです。そのためには、働き始めたころ先輩に
ける!なんていっていただけるお店でも在りたいと欲張り
にお客様の財布の紐が堅くなったなぁと感じることです。
心に、そして後輩たちにも伝えていけるように働いていけ
仕事です。今現在強く思うのは、増税の影響もあってか更
毎日自分たちが通って働いている本屋も、ある人にとっ
ては全く興味がない場所かもしれない。でも、いつか足を
たらと思います。
細川 早苗(ほそかわ さなえ)
運ぶ可能性がある場所でもあります。旅行に行く時、大事
な人が病気になった時、綺麗な花を自分の庭に咲かせたい
と思った時、なにか面白い物語が読みたい時、芸能ニュー
スの真相を知りたい時、素敵な絵や写真で癒されたい時、
悩みに答えが欲しい時、人が本を求める理由は実にさまざ
ま。本が必要だと思った時、あ、そういえばあそこに本屋
が あ っ た な と、 足 を 運 ん で い た だ け る 本 屋 で 在 り た い と
思っています。しかし、それではお店は続きません。もち
ろん毎日本屋
に寄らないと
気持ちが悪い
る本を見つ
しら気にな
は行くと何か
にも、あそこ
というお客様
筆者近影
14
東日本大震災から三年
❸
今、東北の書店では
︱
オール浜 通 り で 立 ち 向 か う
鈴木 順
子 (鹿島ブックセンター)
になったかと言えば決してそうとは言い切れませんでした。
けて、店舗の復旧を行いました。
ていました。それでも、余震を警戒しながら営業再開へ向
壁 面 の 棚 の 本 は こ と ご と く 崩 れ 落 ち、 勢 い で 開 い て し
まったストッカーには、平台の本が雪崩のように押し寄せ
い自分の無力さがもどかしく、同時にとても悔しい思いも
に伴って起きた東京電力福島第一原発事故の影響で、いわ
とができなかったからです。それはご存じのように、震災
なく、震災前に入荷していた商品しかお客様に提供するこ
もうそろそろ午後のお茶休憩だなどと、みんなまったり
している時間帯を襲った大地震。
しかし、その後起こった東京電力福島第一原発の水素爆
発によって、早期営業再開の道は絶たれ、どうにか営業に
しました。毎朝、開店するやいなや﹁今日発売のジャンプ
なぜかと言えば、震災以前には当たり前に入荷していた
雑 誌 や 新 刊 及 び 注 文 書 籍、 そ し て
商品は入荷が全く
こぎつけたのは地震発生から 週間後の 月 日でした。
この 週間、他県に避難したスタッフもいれば、いわき
の自宅に残って生活を続ける者もいましたが、 月 日の
3
に新刊書籍や雑誌が入荷していないのが不思議だったので
しょう。いつも利用しているお店が開いているというそん
たことは災難のさなかの小さな喜びでした。
に ス タ ッ フ 全 員 が 追 わ れ ま し た。 お 店 が 開 店 し て い る の
レジでの問い合わせがひっきりなしの朝を迎え、その対応
は?﹂
﹁なかよしは?﹂
﹁ファイルマガジンの今週号は?﹂と
き市が陸の孤島と化したからです。どうすることもできな
P
B
なささやかなことで、お客様に﹁自分の日常を取り戻した﹂
営業再開にはスタッフ全員が顔を揃え、お客様を迎えられ
25
25
3
2
しかし、通路一面を覆ったガラスや書籍・雑誌を整理し
営業を再開したとはいえ、それが大震災からの復旧・復興
東 日 本 大 震 災 か ら 三 年 ― 今 、東 北 の 書 店 で は
15
2
という復興へ向けた気持ちを持っていただいたのですが、
新刊書籍や雑誌が正常に入荷し出したのは、再開から約
がれきの撤去作業に、他の市民たちも食料品や日用品の調
達のために、品薄になったスーパーに並んでいました。と
てはという気持ちの表れだったのです。現在の小名浜港は、
にかく復興へ向けて進まなくては、家族の日常を守らなく
分たちの日常を取り戻した気分になりました。
てしまった海での漁は、一部の品目の試験操業のみで自粛
倒壊した建物や亀裂の入った地面の復旧も進み、商港とし
が続いています。しかしこの試験操業さえも、ネット上に
ての機能は順調に回復しています。しかし漁に関してはど
んだかうれしくなって、じゃんじゃん買い物をしました。
は不安の声が書き込まれているのも事実です。いわきでと
やはり震災後、商品の入荷がなくて閉店していたコンビ
ニやスーパーも、当店の再開と時期を同じくして再開する
あれから 年経った今では、まるで何事もなかったかの
ようにスムーズな流通に乗っかって、日々入荷品と格闘し
れる﹁めひかり﹂は、市のシンボルマークにもなるほどの
うでしょうか。ご承知のように、放射性物質の影響を受け
ていますが、この﹁今まで通りのごく普通の日常﹂が、復
店舗が出始めてきました。お店を照らす灯りが見えるとな
週間後でした。この時初めて、大震災から見事復活し、自
2
ディアは、できる限り外出を控えろと報道していましたが、
も な く 報 道 さ れ た あ の 福 島 第 一 原 発 の 水 素 爆 発 事 故。 メ
て住宅地は大きな被害を受けました。復旧作業にあたる間
による津波の被害も甚大で、沿岸の商業施設や学校、そし
る放射性物質の影響が大々的に報道されていますが、地震
私の住むいわき市は、福島県最大の商港である小名浜港
を抱える海に面した場所です。福島と言えば原発事故によ
興ということなのだと強く思いました。
材に対しての親の不安はとても大きいものですから。これ
す。いわき市民でも、子供を持つ世帯では、福島県産の食
他 県 で は 全 く 受 け 入 れ て も ら え ま せ ん。 無 理 も な い 話 で
出の結果が出たものだけが、流通に乗ります。が、しかし
ものです。その後複数回の放射性物質検査を実施し、不検
ているカツオは、福島県から何百キロも離れた海でとれた
た。盛んだったカツオ漁もしかり。小名浜港に水揚げされ
特産品ですが、原発事故後の漁の自粛で、残念ながらその
絶品﹁めひかりの天ぷら﹂は、いわき産ではなくなりまし
マスクと帽子ぐらいの装備で、港の人たちは山と積まれた
3
16
暮らしていた方たちも、この 年間で将来の設計図を描き、
り、地元産の食材に対する保護者の不安は、そう簡単には
す。しかし、学校給食はどうでしょうか。先に述べたとお
ページ等で公開し状況を隠さず報告し続けた努力の結果で
す。これは、食材の放射性物質検査の結果をすべてホーム
しずつではありますが、周りからの需要が増えつつありま
ちろん福島県産のものは敬遠されます。しかし、ほんの少
しょう。では農産物はどうでしょうか。やはりこちらもも
れ育った地で暮らせることが一番良いことなのは無論です
そのような決断をして入社したスタッフがおります。生ま
る。仕事が決まれば震災前の生活を取り戻せる。当店にも
下しているようです。家ができれば仕事を探すことができ
の方たちは、より早く生活のベースを確立したいと決断を
子供の学校や進学といった将来の決断を迫られるので、そ
めた世帯も多くあります。子供を持つ比較的若い家族は、
いわき市民として暮らす決意を固め、マイホーム建設を始
が﹁福島﹂を﹁フクシマ﹂と表現されるということなので
払拭できません。震災直後のように、学校給食を拒否して
が、現在の状況下でどうすれば早く普通の生活を手に入れ
を受け入れてもらえる日。そうして初めて、いわき市の復
材を口にできる日が、すべての国民のみなさんに福島県産
ていることもあります。すべての県民が安心して地元の食
いわき市以外の市町村産やあるいは県外産のものを使用し
なりましたが、給食センター側で、食材の種類によっては、
し、お互いの歩み寄りできっと明るく楽しく共存できるは
いわき市民と相双地区からの避難者の方々は、同じ浜通
りで生まれ育ちましたが、地域が違えば風習も違う。しか
す。
られるか。その決断が復興への強い想いを支えているので
場所に仮設住宅ができ、車が増えると同時に足りなかった
ず。しなければなりません。実際のところ、空き地だった
す。
民にとっても便利になったのです。人が増えた分道路が混
信号が設置され、買い物が不便な場所にはコンビニができ
ました。これにより、避難者の方々のみならず、いわき市
興が完結へ一歩近づいたことになるのじゃないかと思いま
家からお弁当を持参させる家庭は
年経った現在ではなく
3
さて、いわき市には震災による原発事故の影響で、原発
周辺の自治体から引っ越してきた 万人に届くであろう数
の方々が暮らしています。最初は途方に暮れて仮設住宅で
東 日 本 大 震 災 か ら 三 年 ― 今 、東 北 の 書 店 で は
17
3
3
む、病院が混む、スーパーが混むと言い出したらきりがあ
年とも言われる原発廃炉
渡してみました。すると、震災前には全くと言っていいほ
ど馴染みの薄かった﹁原発﹂
﹁放射性物質﹂
﹁放射線取扱主任
者﹂
﹁津波﹂といった書籍の在庫が大幅に増え、さらに出版
年とも
までの長い長い道のりを、これから一緒に進んでいくので
はいまだ止まらず。知識を蓄えたお客様に、書店として今
りません。私たちは、
す。困難に立ち向かうには、仲間は多いほど心強い。いわ
いろんなものを破壊します。汚染水問題も、解決どころか、
始されるようです。なにしろ放射性物質は、姿を見せずに
何も見えていないし知らされてもいない気がしているのも
き市民が抱える原発の問題に関しては、本当のことはまだ
の設備も、時間の経過とともに劣化するのは必至です。問
題は数え出したらきりがありません。でもこれが現実です。
この困難にこれからもオール浜通りで立ち向かうこと。そ
れがいわき市の未来です。
では、当店
の現在の様子
をお知らせし
3
をぐるりと見
探そうと売場
化したものを
年で大きく変
ます。この
筆者近影
鈴木 順子(すずき じゅんこ)
事実です。
き市でも
後何を提供していくべきか大いに悩むところですが、いわ
40
年経ってようやく高線量の場所に限り除染が開
30
このままいけばさらに拡大するでしょう。しかも、施設内
3
18
一九一四年六月二八日のこと。やってきたのはハプスブ
バ ル カ ン 半 島 の ボ ス ニ ア。 そ の 都、 サ ラ イ ェ ヴ ォ
で、オーストリア=ハンガリー軍の閲兵式がありました。
一九一四年のボスニアはオーストリア=ハンガリーの一
オーストリア=ハンガリーはボスニアを併合しました。
のは、一八七八年のこと。さらに一九〇八年になると、
十 五 分 で わ かる 第一次 世 界 大 戦
ルク家のフランツ・フェルディナント大公夫妻。オース
部でした。とにかくオスマンの衰退がバルカン半島に混
片山 杜
秀 (慶應義塾大学法学部教授)
トリア=ハンガリーの次期王位継承者とその妃です。そ
乱をもたらし、不安定な状態が収まらず、ついに大戦に
らオーストリア=ハンガリーに事実上の支配権が移った
こで暗殺されました。夫婦ともども射殺されたのです。
発展した。そういうことでしょう。
オスマン帝国はオスマンという人が興しました。一三
世紀末から現在のトルコ北西部で領地を広げ、一四世紀
バルカン乱る
オスマン弱って
ボスニアの一青年に。第一次世界大戦のきっかけです。
はて、なぜハプスブルク家の跡取りがボスニア人に撃
たれると世界大戦になるのか。そもそもなぜボスニアの
サライェヴォにオーストリア=ハンガリー軍が居るのか。
既にここまでで十分ややこしい話です。
一九一四年のボスニアは独立国ではありませんでした。
この地は長年、オスマン帝国の版図でした。オスマンか
19
リーに割譲します︵正確にはボスニアの主権はなおオスマンに
ルビアの独立を許し、ボスニアをオーストリア=ハンガ
での支配力を徐々に喪失。そしてついに一八七八年、セ
狭まってゆきます。一八世紀、一九世紀とバルカン半島
後はヨーロッパに押され気味になり、広げた領土は逆に
の首都、ウィーンを包囲。けれど、ついに撃退され、以
リーを侵略・解体。一六八三年にはハプスブルク君主国
ロ ー マ ︶帝 国 を 滅 亡 に 追 い や る。 一 六 世 紀 に は ハ ン ガ
年、 コ ン ス タ ン チ ノ ー プ ル を 落 と し て、 ビ ザ ン ツ︵ 東
スマンは寛容。これではバルカン半島のキリスト教徒は
スト教徒を裏切り者扱いして、きつく当たる。でもオ
を攻める。そういうときはオスマンに帰順していたキリ
ロッパ側がイスラム教徒を追い落とそうとバルカン半島
戦争に強いのはどちらか。明らかでしょう。諸侯の連
合軍はいつだって烏合の衆です。それから、例えばヨー
せになっている。
侯が割拠している。厳格な文明とゆるい統治の取り合わ
れに対してヨーロッパは、キリスト教に凝り固まって諸
要するにゆるい文明と厳格な統治の組み合わせです。そ
てくれれば民族や宗教は問わない。なので帰順しやすい。
あり、行政をオーストリア=ハンガリーに委ねるという格好です。
ヨーロッパに戻りたいとはなかなか思わないのでは?
にはバルカン半島に進出し、セルビアを支配。一四五三
もっとあとの時代の表現を使うと一種の委任統治領みたいなもの
はゆるやかでした。イスラム教の寛容の精神のもと、キ
いかにもコワモテの帝国ですが、帝国を律する価値観
のもとで富と軍事力を集約して運用できた。と言うと、
事に統治したところにあったのでしょう。中央集権体制
なぜオスマンは栄え、そして衰えたのか。オスマンの
強みは官僚機構を駆使して、巨大な領土を中央集権で見
工業社会になり、ヨーロッパ文明は加速度的な進歩の
がります。
近代文明を支えてゆく。そういう構図もたちまちでき上
パではナショナリズムも高まる。このナショナリズムが
勢に立つようになります。フランス革命以来、ヨーロッ
激に強まる。オスマンは経済力でも軍事力でも次第に劣
︵1︶
でしょうか︶
。
けれど、さすがのオスマンもヨーロッパに押され始め
る。大航海時代から産業革命へ。ヨーロッパの地力が急
リスト教徒も誰も帝国にそのまま包摂し、義務を果たし
20
第一次世界大戦(1914年)当時のヨーロッパ
軌道に乗ります。農業中心、十年一日。そういう﹁動か
ない社会﹂はもうさようなら。日進月歩の工場や鉱山や
事務所などでの労働が増える。
﹁動く社会﹂になります。
もちろんそれを支えるのは人間。労働するのは人間。人
間を日進月歩の職場に対応させ続けるためには、高い教
育が必要。教育に用いられるのは何よりもまず言語・文
字。同じ言葉をしゃべる人間同士の高度なネットワーク
こそ生産性を高める根源。言語ナショナリズムは近代文
明を効率よく発展させるアイテムなのです。
こうなると、もともとゆるい文明で、多言語・多民族
混交型のオスマンの分は悪い。工業化・近代化に対応し
にくい。ヨーロッパに負けていってしまうのです。
かくしてバルカン半島における旧来の秩序維持構造は
保たれなくなってゆきます。権力の空白域がたくさん出
てきます。ところが厄介なことに、この半島には実に多
種多様な民族が住んでいるのです。世界史的に見ても、
世界地理的に見ても、あちこちから流れてきた民族が
溜まる空間になっている。しかも、ビザンツとかオスマ
ンとかの帝国の時代は過ぎ去っている。もう近代なので
す。多民族を丸めて円くおさめるのはもはや難しい。民
15 分でわかる第一次世界大戦
21
オスマン帝国
バルカン半島
黒 海
アル ウィーン
ザス
オーストリア=
ハンガリー
ボス サライェヴォ
ニア
ベオグラード
セル ブル
ビア ガリア
アドリア海
フランス
タンネンベルク
ドイツ
ロレーヌ
ソンム
マルヌ
ヴェルダン
ロシア
ベルギー
イギリス
地中海
を唱えたというような歴史的実績はない。その意味でバ
かせません。とはいえロシアはバルカン半島でかつて覇
を得るためにも、トルコやバルカン半島への影響力は欠
そんなとき、バルカン半島に入り込もうとしてきた大
国のひとつがロシアです。黒海から地中海に抜ける海路
ようになるのももっともです。
こりやすい。
﹁バルカンは世界の火薬庫﹂
。そう称される
どうしてもなります。いざこざも合従連衡も裏切りも起
いません。強国が助けたり、干渉したりという展開に、
りリーダーシップをとって正々堂々と自立できる民族は
そう大きくないのですから、ドングリの背比べ。いきな
でも、バルカン半島のどの領域も、長年のオスマン支
配のせいで近代化が遅れているうえに、各民族の規模は
組んで新秩序を作りたいと、熱望するようになります。
い、あるいは文化的にも言語的にも少しでも近い民族と
る。バルカン半島に住むどの民族も、自分の国を持ちた
の措置でしょう。ボスニアをオーストリア=ハンガリー
なぜそんな具合になったのか。衰え行くオスマンへの
遠慮というよりも、スラヴ世界を過度に刺激しないため
いかたちで。
とにしました。オスマンの主権を残すという、ややこし
そこに足場を確保して、大スラヴ主義を牽制しなくては
す。国の南側はすぐバルカン半島。安全保障のためにも、
でもバルカン半島へのロシアの進出を歓迎できない大
国も当然ながらあります。オーストリア=ハンガリーで
セルビア独立の後ろ盾もロシアでした。
難しいのならば、ロシアが応援しようではないか。実は
諸民族が自らの力だけで世界に立ってゆくのがまだまだ
当たり前だ。今、スラヴ民族の中で強大なのはロシアで
弟民族がスラヴ諸民族である。兄弟同士が助け合うのは
きます。大昔は共にひとつの原スラヴ語を話していた兄
はスラヴ語系なのです。ここに大スラヴ主義が生まれて
ルカン半島に出て行く歴史的正当性はない。そうも思え
が委任統治か信託統治する。ということは将来にボスニ
族ごとの単位で行動することがひとつの原則に育ってく
ます。しかしロシア民族はスラヴ語系のロシア語を話す
アの自治領化や独立等の含みが残されているようにも思
国が呑まれかねない。そこでボスニアの統治権を頂くこ
ある。オスマンとも戦ってきた。バルカン半島のスラヴ
のです。そしてボスニア語やセルビア語やクロアチア語
22
的希望をはっきり拒絶したのがオーストリア=ハンガ
出て行くためにはボスニアが不可欠。その大スラヴ主義
ニアです。セルビアとその背後のロシアがアドリア海に
を与えました。セルビアは内陸の国。西側が海側でボス
ないという意思表明でしょう。セルビアとロシアに衝撃
ボスニア併合です。これはつまりボスニアを絶対手放さ
ました。一九〇八年のオーストリア=ハンガリーによる
える。ところがスラヴ世界のそうした希望は打ち砕かれ
の中央集権でまとめ、やっとこさオスマンと対抗してき
仇敵のオスマンをかなりモデルにして、ハプスブルク家
やセルビア人やボスニア人などの混成国家。多民族を、
ンガリー︶
人やチェコ人やスロヴァキア人やクロアチア人
を持ってはいませんでした。ドイツ人やマジャール︵ハ
アのように一言語の幅広く通用する民族国家らしい性格
くりが違いました。イギリスやフランスやドイツやロシ
ブルク君主国は他のヨーロッパの多くの強国とは国のつ
君主国に一八六七年以降に与えられた名前です。ハプス
︵2︶
リーの選択でした。
いと安心できない。そういう地政学的欲求もあるでしょ
島の要地を押さえてスラヴへの緩衝地帯を設けておかな
めにくくなる一方。しかも一八六六年の普墺戦争で、ハ
なってしまいました。民族主義が勃興して国全体をまと
が、近代化とナショナリズムの時代を迎え、ハプスブ
ルク君主国もオスマン帝国同様、昔のままでは通らなく
た歴史があったのです。
う。し か し そ れ だ け で は あ り ま せ ん。ハ ン ガ リ ー・ナ
プスブルク君主国は新興国のプロイセンに負ける。いよ
どうしてオーストリア=ハンガリーは国際的緊張を猛
烈に る強硬策に打って出たのでしょうか。バルカン半
ショナリズムの影もあるのです。
の存続を何としてもはかろうと、君主国内で勢力の大き
いよ、たがが弛む。ハプスブルク君主国はそれでも国家
ボスニア呑まれて
なマジャール人に、特殊なかたちでハンガリーの再建を
ただし両国の王はハプスブルク家の当主によって兼ねら
認めます。オーストリアとハンガリーを別の国にする。
セルビア怒る
オーストリア=ハンガリーとはすなわちハプスブルク
15 分でわかる第一次世界大戦
23
す。バランス・オヴ・パワーの同盟外交が功を奏しまし
オーストリア=ハンガリーの背後にドイツが居たからで
思議ではなかった。しかし阻止された。なぜでしょうか。
この併合にセルビアとロシアは怒り心頭。戦争になり
かけました。世界大戦は一九〇八年に始まっていても不
ばならなかったのです。
めにボスニアはオーストリア=ハンガリーに併合されね
マンに引き裂かれたハンガリーの失地と名誉の回復のた
き時代、ハンガリーが従えたエリアなのですから。オス
の要求もしました。ボスニアはハンガリー帝国の古き良
ているにもかかわらず。そして対外的にはボスニア併合
りました。ハプスブルク家当主をいちおう王として戴い
ハンガリー国内では地名表記をマジャール語でしか認
めないとか、極端な民族主義的政策もとられるようにな
したわけでしょう。
で別立てだけれど。これでハンガリー独立主義者を懐柔
国間だと戦争になりやすいかもしれない。ロシアはオー
可能性がある。ロシアとオーストリア=ハンガリーの二
バルカン半島で大スラヴ主義との正面戦争を強いられる
帝国を名乗っていました。オーストリア=ハンガリーは
いや、一八七九年の独墺同盟のことでした。普墺戦争
から一三年。プロイセンはドイツ統一を果たしてドイツ
らないだろう。同盟外交の時代です。
る。どんな苛烈な対立が生じても、なかなか戦争にはな
だ。多対多の睨み合いになる。お互い開戦には億劫にな
守同盟を組むなら自分のところも相手を探して攻守同盟
状況を攻守同盟によって作ってゆく。相手がどこかと攻
ちに大戦争に発展する。容易には手が出せない。そんな
うときは必ずあの国が加勢する。もしも仕掛けたらただ
う。そこで多対一にしようとする。この国にはいざとい
の﹁追いつけ追いこせ﹂的な急いた膨脹主義がある。至
﹁遅れてきた近代国家﹂プロイセン
族主義が擡頭する。
を模索し続けました。ナポレオン戦争がある。各地で民
た。一八七九年、独墺同盟が締結されていました。攻守
ストリア=ハンガリー相手なら勝てると思うかもしれな
れる。財政や外交や軍事は一元化される。内政はあくま
同盟です。集団的安全保障です。
い。しかしオーストリア=ハンガリーに上げ潮のドイツ
︵3︶
る所で一触即発。一対一なら簡単に戦争が起きてしま
一九世紀、ヨーロッパ諸国は戦争を避けるための工夫
24
争中にプロイセンはドイツを統一し、ドイツ帝国が誕生
フランスは一八七〇年から翌年にかけてプロイセンと
戦いました。普仏戦争と呼ばれます。もっとも、この戦
と結びました。フランスです。
アは独墺同盟に対抗する同盟をドイツの西側にある大国
ロシアももちろん同盟外交を展開しました。一九〇八
年のボスニア危機の一五年前になる一八九三年に、ロシ
墺同盟です。
の重要な効能です。大スラヴ主義への牽制力としての独
帝国が味方すればそうも行かなくなるだろう。独墺同盟
用していなかったのと、ロシアの脅威を恐れたからです。
に、やはりフランスを助けませんでした。フランスを信
で、プロイセンに対して普墺戦争の恨みを抱えていたの
たのです。イギリスやロシアとの関係も冷え込んでいま
重ねていました。独善的な大国とみなされ、孤立してい
の当時のフランスは、乱暴な対外干渉を行っては失点を
フランスの味方をしてプロイセンを牽制してくれる大国
度にも問題がありました。けれどもそれよりも何よりも、
用できなかったということです。フランス軍の兵卒の練
︵5︶
した。オーストリア=ハンガリーは、独墺同盟を結ぶ前
があらわれなかったことが大きい。ナポレオン三世治下
しましたから、途中からは独仏戦争ということになりま
源泉である語学教育もフランス語からドイツ語へと変わ
︵4︶
す。結果はフランスの手酷い敗北でした。
この敗戦でフランスはアルザス地方の全部とロレーヌ
地方の東部をドイツに割譲しました。ナショナリズムの
青年起ちて
ります。アルザスでのフランス語教育の終わりを描いて、
臥薪嘗胆。フランスはドイツとの次なる戦いに備えて、
作戦から何からを見直しました。一九〇四年からの日露
﹁最後の授業﹂になります。
︵6︶
︵一八七三年︶
の一
がアルフォンス・ドーデの﹃月曜物語﹄
フランス人に﹁屈辱を忘れるな﹂と訴えた﹁愛国文学﹂
均衡崩る
原因は何でしょうか。プロイセン軍が兵力を集中して
一点突破の縦隊突撃戦術をとりがちだったのに、フラン
ス軍は横に兵力を散らして突破されやすい防衛線を作っ
て消耗するばかりでした。フランスは集中的に兵力を運
15 分でわかる第一次世界大戦
25
けれど、バランス・オヴ・パワーは火種を根本解決し
てくれるわけではありません。バルカン半島問題をとり
たのです。
ナリズムを高めるための陰謀のような事件も仕掛けられ
あえず宙吊りにしてくれるだけ。多対多の攻守同盟によ
戦争での日本軍の突撃精神に感動して、歩兵の突撃を重
ます。ユダヤ人をスケープゴートにして愛国心やフラン
る安全保障は、ひとつ間違えて一歩踏み出せば多対多の
視する積極用兵を徹底してゆきます。フランス・ナショ
ス人の民族主義を焚き付けるのに派手に一役買ったドレ
とてつもない大戦争をドミノ倒しのように引き起こしま
︵7︶
フュス事件です。
すでに赤信号段階に入っていたといえるでしょう。
ロシアとセルビアはボスニア併合への報復として大戦争
仏を基軸とする全ヨーロッパ的戦争にたちまち発展する。
アがバルカン半島でちょっかいを出すだけで、独墺と露
もが考えました。露仏同盟と独墺同盟が対峙する。ロシ
で戦争を始めるだろうか。抑止力の高い同盟と世界の誰
ない負担を強いられます。この危険を冒してまで西か東
ンスと戦っても、東西二正面戦争に発展して、とてつも
東と西から挟み撃ち。ドイツはロシアと戦っても、フラ
く。彼は偶然にも助けられて暗殺に成功してしまいまし
まりました。セルビアと結んでボスニアの自立の道を開
と、プリンツィプのセルビアへの期待はいやが上にも高
アが第二次バルカン戦争を起こし、セルビアが勝利する
年にバルカン半島での勢力争いからブルガリアとセルビ
てベオグラードまで歩いた﹂という青年です。一九一三
アのオーストリア人学校を追放され、教育の機会を求め
ツィプはボスニアの﹁貧しい荷馬車屋の息子で、ボスニ
というわけで一九一四年六月の事件は唐突でも何でも
なかったのでした。大公夫妻暗殺犯のガヴリロ・プリン
す。バルカン半島に関してだけいえば、一九〇八年から
むろん普仏戦争での孤立による失敗の轍を踏まないよ
うにと、フランスは同盟外交にも力を入れました。そう
まで始める勇気はなかった。準備もなかった。ドイツと
た。
して一八九三年に誕生したのが露仏同盟です。ドイツを
て本当に二正面戦争になったら大変だ。一九〇八年のボ
ハプスブルク家の継承者夫妻が屠られた。背後にはセ
︵8︶
スニア危機はこの構図によって戦争に至らずに抑止され
26
ルビアの国家的陰謀があるのではないか。これで戦争し
アの側も、突撃を重ねれば短期決戦で勝敗は決まると
日露戦争と比べても桁違いにしていました。大口径の大
思っていました。普仏戦争のプロイセン軍や日露戦争の
七月二八日、オーストリア=ハンガリーはセルビアに
宣戦布告しました。あとはオートマティック。ロシアが
砲から機関銃まで。幾ら突撃しても互いに互いを突破で
なければ、ヨーロッパの伝統ある大国、オーストリア=
セルビアを助け、ドイツがオーストリア=ハンガリーを
きません。なぎ倒されてしまうのです。かくして戦線は
日本軍のような歩兵の勇気ある突撃力の多寡で戦争は決
助け、フランスがロシアを助けます。ドイツはフランス
膠着しました。マルヌやヴェルダンやソンム。重要な会
ハンガリーの面子は丸潰れ。同盟外交も抑止力もへちま
を最短で破ろうと中立国ベルギーの領土をフランス進撃
戦が相次ぎました。しかしいずれも戦争の決定的局面に
すると予想していたのです。
のために蹂躙する。これがイギリスの参戦を招きます。
はなりませんでした。痛み分けというか。塹壕を掘って、
もないケースです。すべての工夫を吹き飛ばす最悪の事
イギリスはベルギーと同盟し、フランスとの協力関係も
大砲陣地を作って、睨み合って、撃ち合って、消耗し合
態が起きた。そう形容するしかないでしょう。
深めていましたから。ロシアと黒海を挟んで争ってきた
う。壊れた火砲や撃った砲弾や斃れた兵士を補充できな
ところが大間違いでした。産業と科学の加速度的進歩
は一九一〇年代段階の先進諸国の軍隊の火力を十年前の
オスマンはというとドイツの側につきます。
ルクが小説﹃西部戦線異状なし﹄で描いたような、際限
︵9︶
くなった方が負け。我慢比べです。ドイツの作家、レマ
総力戦で
ない持久戦です。凄まじい人命と物量の消費。東部戦線
︶
じい人海戦術。ひたすら無駄死に。前線に行かない国民
ク殲滅戦を描いた﹃一九一四年八月﹄もあります。凄ま
︵
を描いた小説なら、ソルジェニーツィンがタンネンベル
みんな疲れる
この大戦争はどうなったでしょうか。ドイツやオース
トリア=ハンガリーの側も、フランスやイギリスやロシ
15 分でわかる第一次世界大戦
27
10
義務として要求されえた時代は、とうに過ぎ去ってし
して陛下が戦闘に敗れたときには、平穏が第一の市民的
十万人の臣民を戦場へ送ることで十分であった時代、そ
れているように、信頼できる指導部の下に徴募された
いうのも例えばヴォルテールの﹃カンディード﹄で描か
﹁この経過︵第一次世界大戦の経過︶を分かり易いものに
するために、ここで総動員という概念を導入しよう。と
エッセイ﹁総力戦﹂でこう述べています。
の作家で思想家、エルンスト・ユンガーは一九三〇年の
こういう戦争を総力戦と呼びます。国民総動員による
長期戦争です。志願兵として塹壕戦を生き延びたドイツ
一六年。大戦争は続きました。
均衡が長く保たれてしまったのですから。一九一五年、
ちんと測れていたようです。実際に戦争しても互角の
ス・オヴ・パワーの同盟外交はけっこう互いの国力をき
消費しても、お互いがなかなか倒れない。戦前のバラン
いのである﹂
。
る女性家内労働者のそれであれ
りを持たない運動は
最終局面では、少なくとも間接的にさえ戦争遂行と関わ
えよう。すでにこの戦争の終わり頃に暗示されたような
新種の軍隊が成立する。総じてこれらを労働の軍隊と言
で遭遇する軍隊と並んで、運輸、食糧、軍需産業という
しての戦争のイメージも、ますます巨大な労働過程とい
き集めることは不可避となる。さらにまた、武装行為と
りとあらゆる公債を発行し、なけなしの蓄えまでをも搔
予算から戦費を賄うだけでは経費の法外な増大に対応で
者すべての任務となるのである。また、固定された軍事
はや職業軍人だけの義務と特権でなく、兵役に耐えうる
消え去る。すなわち、国を代表して武装することは、も
﹁これに伴う現象は多様である。例えば、諸身分の消
滅や貴族の特権の削減とともに、戦士カーストの概念も
も銃後の物作り競争に動員される。しかも幾ら生産し
まったからである﹂
。
総力戦とは何か。ユンガーの以上の文章に尽きている
でしょう。国民の血を絞り尽くすかのようなこの戦争は、
︵ ︶
︱
︱
、もはや存在しな
たとえ自分のミシンで作業す
ういっそうの広がりを持つイメージへと流れ込む。戦場
きないとすれば、戦争機構を作動させ続けるために、あ
ユンガーは﹁総動員﹂を次のように具体的に説明しま
す。
11
28
り下がりました。戦時の混乱と民衆の疲弊の中、共産党
君﹂から﹁戦争の長期化を予想できなかった暗君﹂に成
ました。皇帝ニコライ二世は﹁ロシア近代化を果たす明
た。ところがその蓄えを長引く大戦争で蕩尽してしまい
す。ロシアは当時﹁第二のアメリカ﹂と呼ばれていまし
けていました。好調に資本主義化の道を歩んでいたので
シアです。ロシアは二〇世紀に入って高度経済成長を続
一九一七年の秋に、ついに大きな脱落者を出します。ロ
よりも、民主主義度の高いイギリスやフランスを応援す
オーストリア=ハンガリーやオスマンのような皇帝の国
ンスの軍需工場の役目は積極的に担いました。ドイツや
ロー主義を国是としていました。しかしイギリスやフラ
リカはヨーロッパで何があろうと中立を守るというモン
ス、フランスの側に立って参戦していたからです。アメ
卸しませんでした。一九一七年の春にアメリカがイギリ
巡ってきていたようにも思えました。が、そうは問屋が
︶
るのが、デモクラシーの国、アメリカとしての筋だった
︵
の革命は成功しました。ロシア大革命です。
はしない。
きるようになる。これが怖かったのです。そこで何が何
た。ドイツが東部戦線を畳んで兵力を西部戦線に集中で
ンスの心配は革命ロシアが戦争を止めてしまうことでし
している余裕はあまりなかったのです。イギリスやフラ
なく毒ガスのような化学兵器を使い、海では無差別潜水
不利。その不利を補うため、ドイツは戦場で火薬だけで
そういう後方を持たないドイツとでは、やはりドイツが
ら海路で物資や人員を補給できるイギリスやフランスと、
その国是を破らせたのはドイツでした。ヨーロッパで
の戦いは互角といっても、アジア・アフリカの植民地か
からです。けれど、あくまでヨーロッパに干渉する戦争
大国が共産化。ロシアと共に資本主義国として共同戦
争を遂行中のイギリスやフランスは慌てたでしょうか。
でもソヴィエト政権に戦争を継続させようと熾烈な外交
艦戦を展開しました。中立国の船だろうが敵に物資を送
︶
戦を展開しました。が、ソヴィエト政権は革命に集中す
る船なら容赦なく撃沈し始めたのです。そして当然、ア
︵
るため、露仏同盟を反故にしてドイツと停戦しました。
メリカの船も屠りました。これでアメリカ世論が沸騰し、
確かに慌てました。しかしイデオロギー上の問題を気に
12
ドイツやオーストリア=ハンガリーには勝利の機会が
15 分でわかる第一次世界大戦
29
13
スマンの国民ではなく、イギリスやフランスの国民だっ
な大戦のもとでナショナルな意識を最後まで粘って保て
そして一九一八年。西部戦線はアメリカ軍が加わって
もなおも伯仲していました。ドイツは軍事的には決して
たからだ。もちろん近代的物量戦を継続するために工業
国是を破るヨーロッパへの参戦が実現したのです。
負けていなかった。けれど国力が限界を来し始めた。兵
力、科学力に恵まれ、資源も確保されているということ
たのは、帝政下のロシアやドイツやハプスブルクやオ
士も一般国民も五年目になって悲鳴をあげ始めた。国内
も、重要な条件だけれど。そんなところでしょうか。
︶
情勢はどんどん不穏になっていった。夏には海軍で反乱
日本は勝っても
の政治参加の意識と権利を高めて、国家の選択は国民の
に国民を従わせる型よりも、民主主義を徹底して国民
の大戦争に勝てる国だ。そのための政治体制は、専制的
たって絶やさない。そういうことのできる国がこれから
この大戦の教訓は何でしょうか。国民のエネルギーを
結集させて真の総動員を実現し、その緊張を長期にわ
への本格的道筋もつけられました。勝った国はデモクラ
しました。成金が増え、中産階級も育ち、重化学工業化
需・民需物資の注文を日本に殺到させ、経済を大いに潤
また物量消耗戦としての世界大戦は、同盟国からの軍
地を制圧しました。そして戦勝国の一員になりました。
あと、日本のこと。当時は日英同盟がありました。日
本はイギリスを助けてアジア・太平洋地域のドイツ植民
16
選択だと自覚させる型の方が適当らしい。なぜなら過酷
︵
も起きる。秋になると国内事情で戦争継続はもう不可能
このシチュエーションは第二次世界大戦で、より徹底
的に実現されます。第一次世界大戦は二〇世紀とは何か
︶
でした。オーストリア=ハンガリーも右に同じ。オスマ
をいちはやく凄まじく教えてくれたのです。
︵
ンはとうにかたなし。ロシアに続いて次々と帝国は瓦解
インフルエンザ︵スペインかぜ︶の大流行がドイツ軍の戦
青くなる
︶
15
かもしれません。
︵
闘力を幾分か奪ったのも、戦争終結に多少は寄与したの
し、大戦はついに秋に終わりました。戦争最末期に新型
14
30
シーだったという事実が大正デモクラシーの背中を押し
長期戦は考えられない。精神力や奇策を重視しての短期
︶
決戦思想しか日本に選択の余地はなく、短期で済まなけ
︵
もしました。
貧乏な国なりに総動員体制を敷いて国民に過重な負担を
て、青くなってしまいました。にもかかわらず、日本が
やソヴィエトやイギリスの国力と自国のそれとを比較し
た日本の軍人たちは、日本の今後の仮想敵国、アメリカ
でも、それはドイツが極東に置いた補給なき中規模要
塞相手だからできた戦い方。ヨーロッパの戦いを検討し
実践していました。
一次世界大戦の初頭には世界の先端を行く近代的作戦を
たとはいえ、その膨大な犠牲に恐怖した日本陸軍は、第
て攻略はできて、世界中に日本歩兵の勇敢さを知らしめ
歩兵の肉弾突撃を主たる作戦とせざるをえず、結果とし
時代遅れ。日露戦争の旅順要塞攻略戦で弾薬不足ゆえに
になる戦い方を理想通りに実践しました。歩兵の突撃は
機能し、日本を滅ぼしてしまうのです。日本は第一次世
むしろ成り行きの中で一面だけを歪められて毒薬として
にもならないのでもなければ、もちろん良薬にはならず、
ろまではなかなか行かない。それぞれの策は、毒にも薬
な国では明確なヴィジョンが国策や国論を統一するとこ
れど、うまく行きません。日本のような意思決定の曖昧
イを奇襲して対米戦争を短期終結させるという海軍の山
で大戦争を避けるという陸軍の石原莞爾の構想や、ハワ
何十年かかけて日本をアメリカ並みの経済大国にするま
しか戦うべきでないという陸軍の﹁皇道派﹂の思想や、
強い国とはなるべく戦争をせず、精神力で勝てる相手と
は日本の身の丈になかなか合わなかったのです。そこで、
でも、アメリカやイギリスやソヴィエトと正面から戦
争して、どうして短期で終われるのか。世界大戦の教訓
れば絶対負けるという悲壮な感覚を育てました。
強いて仮想敵国と実際に戦ったとする。そうして戦争が
界大戦の教えを生かせず、その戦争で﹁持たざる国﹂の
島要塞攻略戦で
それから軍事面です。一九一四年の青
は火力を集中しての物量戦という第一次世界大戦の模範
長期化すると何が起きるか。ロシア革命やドイツ革命の
ドイツ等が辿った運命を、第二次世界大戦でなぞってし
本五十六の作戦など、苦肉の策があらわれてきます。け
再現です。帝政の転覆。天皇が倒されるかもしれない。
15 分でわかる第一次世界大戦
31
17
︵
︶
まうことになるのでした。長期総力戦から抜け出せず、
消尽して降伏に至るのです。
そのことは第二次世界大戦を待たずとも、第一次世界
大戦のうちによくわかると言えばよくわかることでした。
(アルテスパブリッシング、
著書に『音盤考現学』
年)
、
『 音盤博物誌 』
(アルテスパブリッシング、
年)
、
年)
、
『 線量計と機関銃 』
( アルテスパブリッシン
グ、
『 ク ラ シ ッ ク 迷 宮 図 書 館( 正・ 続 )
』
(アルテスパブリッシン
年)
、
『 近代日本の右翼思想 』
( 講談社選書メ
年)
、
『 現代政治と現代音楽 』
( アルテスパブリッ
グ、
シング、
チエ、
年)
、
『 国の死
年)
、
『ゴジラと日の丸』
(文藝春秋、
年)
、
『 クラシックの核心 』
( 河出書
年)
、
『 未完のファシズム 』
(新潮選書、
年)などがある。
に方 』
(新潮新書、
房新社、
2
0
1
0
日本はロシア革命に干渉して一九一八年からシベリア出
2
0
0
8
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︵ ︶
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0
1
0
2
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1
3
2
0
1
2
兵を行いました。そのために食糧が必要。商社が軍需を
見越して米を買い占める。米価が上がる。貧困層が生活
苦を増幅されたと激昂する。全国的な暴動、米騒動が起
きました。鎮圧に軍隊が出動し、射殺される国民も出ま
︵ ︶
した。第一次世界大戦期の好景気の時代でも軍需米の備
の程度のもの。身の丈にあった国のかたちを探せないも
のか。二つの世界大戦と日本のことを振り返る度、そう
思うのです。
片山 杜秀(かたやま もりひで)
年、仙台に生まれ、東京で育つ。思想史家、音楽
評論家。慶應義塾大学法学研究科後期博士課程単位取得退学、
サントリー学芸賞、司馬遼太郎賞受賞。
2
0
1
2
2
0
0
7
18
蓄をはかっただけでこの始末。日本の国力とはやはりこ
20
2
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4
19
専攻・政治学。現在、慶應義塾大学法学部教授。吉田秀和賞、
1
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6
3
32
15分でわかる第一次世界大戦・ブックガイド
注番号
出版社
ISBN(978)
書名
著者名
本体
価格
刊行
(1)
講談社選書 4062582377 オスマンvs.ヨーロッパ
メチエ
新井政美
1,600
2002
(2)
講談社選書 4062584715 ハプスブルクと
メチエ
オスマン帝国
河野淳
1,500
2010
(3)
みすず書房 4622073215 第一次世界大戦の起原
〔改訂新版〕
ジェームズ・ジョル/
池田清訳
4,200
2007
(4)
春風社
4861103735 普仏戦争
松井道昭
3,000
2013
(5)
K&K
プレス
4906674206 マジノ線物語
栗栖弘臣
5,000
2011
(6)
ポプラポケッ 4591098523 最後の授業
ト文庫
570
2007
(7)
みすず書房 4622038436 ふたつのナショナリズム 有田英也
6,500
2000
(8)
NTT出版
4757140622 ハプスブルク君主国
1765―1918
ロビン・オーキー/
山之内克子・秋山晋吾
監訳、三方洋子訳
5,800
2010
4102125014 西部戦線異状なし
レマルク/秦豊吉訳
750
1955
ソルジェニーツィン/
江川卓訳
̶
1972*
アルフォンス・ドーデ/
南本史訳
(9)
新潮文庫
(10)
新潮社
(11)
月曜社
4901477147 追悼の政治
エルンスト・ユンガー/
川合全弘編訳
2,400
2005
(12)
藤原書店
4894342330 甦るニコライ二世
エレーヌ・カレール=ダ
ンコース/谷口侑訳
3,800
2001
(13)
白水社
4560082393 情報戦のロシア革命
ロバート・サーヴィス/
三浦元博訳
4,400
2012
(14)
山川出版社 4634482104 ドイツ海軍の熱い夏
三宅立
2,900
2001
(15)
藤原書店
4894345027 日本を襲ったスペイン・ 速水融
インフルエンザ
4,200
2006
(16)
民友社
(17)
ちくま学芸 4480090751 日本の百年〈5〉
文庫
成金天下
(18)
新潮選書
(19)
朝日新聞社
̶
派兵 全四巻
高橋治
̶
1973- 77*
(20)
柏書房
̶
暴動鎮圧史
松下芳男
̶
1977*
̶
̶
一九一四年八月
(上)
(下)
大戦後の世界と日本
4106037054 未完のファシズム
*は、品切れの可能性があります。
33
15 分でわかる第一次世界大戦
蘇峰 徳富猪一郎
̶
1920*
今井清一
1,500
2008
片山杜秀
1,500
2012
﹃ は だ しのゲン ﹄か ら﹁ 図 書 館 の 自 由 ﹂を と ら え 直 す
糸賀 雅
児 (慶應義塾大学文学部教授)
来の書籍の納本に加えて、いわゆる電子納本制度を無償
頒布のものに限定ではあるが設けている。これと別に今
年 月からは、国会図書館がデジタル化した資料の国内
な い よ う だ が、
億円以上の国家予算を投じて国
図書館への送信サービスを開始した。まだ登録館は多く
1
内出版物の 分の に及ぶ資料をデジタル化しただけに、
1
0
0
たことは、テレビ・新聞等でもかなり取り上げられた。
賀県武雄市で指定管理者として公立図書館運営に参入し
その一方で﹁図書館の自由﹂という、実在するやや地
味な権利宣言をテーマにした小説が中高生の間で人気を
の送信、活用は必須である。
その便益を広く国民に還元する意味で、全国の図書館へ
これに歩調を合わせるように、国立国会図書館は、従
されている。
同じ﹁図書館の自由﹂に関わる事件が、フィクションで
でなく、とうとう実写版の映画にもなり、好評を博した。
︵1︶
電子書籍がようやく普及しはじめ、老舗の出版社が連
携して、図書館向けに電子書籍のコンテンツを開発し、
集めた。この作品は、コミック化、アニメ化されただけ
1
相 次 ぐ 図 書 館の 話 題
4
このところ、図書館に関わる話題に事欠かない。
書 店 や カ フ ェ、 レ ン タ ル
などを全国にフラン
チャイズ展開する大手の民間事業者が、昨年 月より佐
D
V
D
新たなプラットフォームで提供しようとする動きも報道
5
1.
34
、ないしは学校図書
的職員としての司書︵図書館法第 条︶
を切り口に、出版関係者はもとより、一般の方もその存
われるので、ここでは﹃はだしのゲン﹄の利用制限問題
その後、アンネ・フランク関連図書に対する損傷事件
の犯人は検挙され、どうやら思想的背景は無さそうに思
いずれも一時、マスメディアが連日のように取り上げた。
圏の公立図書館での﹃アンネの日記﹄損傷事件である。
用制限問題であり、今年に入って明るみに出された首都
年、松江市の学校図書館で起きた﹃はだしのゲン﹄の利
会︶
は、松江市教育委員会委員長と同教育長に対し、
書館協会︵当時︶の図書館の自由委員会︵以下では、自由委員
ま し く な い、と い う も の で あ っ た。例 え ば、㈳ 日 本 図
館の自由の理念を敷衍して、図書館資料の利用制限は好
昨年夏、松江市の学校図書館において﹃ はだしのゲ
ン﹄が利用制限されているという問題が明るみに出され
割を考える﹁職員論﹂である。
館の専門的職務を掌る司書教諭︵学校図書館法第 条︶の役
はなく、現実の世界でも起きたことは記憶に新しい。昨
在を身近に感じるようになった﹁図書館の自由﹂のあり
月
﹃ は だ しのゲン﹄にお ける問 題の所 在
方を論じることにしたい。
4
︵2︶
もない。むしろ、議論の範囲で言えば、この作品の図書
作品の時代を超えた意義を論じようとする﹁作品論﹂で
うか、というような﹁選書論﹂ではないし、ましてこの
にくい。だが、全体の論調からすれば、制限の全面解除
るのか、要望書を繰り返し読んでも、いまひとつわかり
この要望の真意が、市内全校での利用制限の解除にあ
るのか、それとも教員や校長らの裁量権を問題視してい
する観点から本件措置を再考され〟るよう要望している。
とに触れ、
〝子どもたちの﹁自主的な読書活動﹂を尊重
員の許可を、校外貸出しには校長の許可を必要とするこ
﹃はだしのゲン﹄について、児童生徒が閲覧するには教
日付けで要望書を提出している。その要望書では
8
た際、図書館界のおおかたの反応は、表現の自由や図書
5
の方向をめざしていることは間違いないと思われる。
﹃ はだしの
ここで私が取り上げようとしているのは、
ゲン﹄という作品が、学校図書館に所蔵されるべきかど
22
館での提供のあり方から考える﹁経営論﹂であり、専門
『 は だ し の ゲ ン 』か ら「 図 書 館 の 自 由 」を とら え 直 す
35
2.
しなければいけないのだろうか?
では、いったん図書館に収集された資料は、必ず公開
書架︵開架︶に置かれ、利用者が自由に手に取れるように
な利用に供されるべきである 〟と考える。しかし﹁ 自
を保障するため、すべての図書館資料は、国民の自由
原 則 は、
﹁ 自 由 宣 言 ﹂に あ る よ う に、
〝国民の知る自由
由宣言﹂は、
〝正当な理由がないかぎり〟と断ったうえ
自由利用されなければならないかの問題であるが、私も
そ う だ と す れ ば、 な ぜ﹁ 図 書 館 の 自 由 に 関 す る 宣
︵3︶
︵日本図書館協会
年改訂、以下では﹁自由宣言﹂
︶
は、
言﹂
あり方は、
﹁自由利用﹂か﹁利用禁止﹂かの二者択一の
留意しなければならない。つまり、図書館資料の提供の
閲覧や複写を一切認めない﹁利用禁止﹂とは異なる点に
︵閲覧許可申請、身分証の提示、など︶
を求めるものであって、
ここで﹁ 利用制限 ﹂とは、図書館で収集された資料
について、提供にあたって、利用者に何らかの手続き
のだろうか?
これらの三条件に照らして、今回の﹃はだしのゲン﹄
は、そのいずれにも当たらないことから〝国民の自由な
る。
③寄贈者・寄託者による非公開指定、の三つを挙げてい
はプライバシーの侵害、② わいせつ出版物の判決確定、
かぎって制限されることがある〟として、① 人権また
廃棄を禁じている。そして、この場合の〝正当な理由〟
で、図書館資料の特別扱いや内容の加筆・修正、撤去・
問題ではなく、その両極の間にさまざまなバリエーショ
利用に供されるべき〟ものと解釈できるし、実際そう信
例えば、貴重書・貴重資料の類は、どこの図書館でも
﹁貴重書室﹂などの別室で保管されており、誰でもが自
だろうか?
制限されるべきは、果たして上の三条件だけで十分なの
については、これに続けて〝提供の自由は、次の場合に
ンがあるはずで、その判断に司書︵学校図書館の場合であれ
じて疑わない図書館関係者は多い。だが、提供の自由が
利 用 制 限 と選 書にお ける﹁ 不 採 択 ﹂
ば、司書教諭︶
の専門性は深く関わることになる。
﹁収集の自由﹂と﹁提供の自由﹂を分けて記述している
1
9
7
9
まず最初に、収集された資料は必ず公開書架に置かれ、
3.
36
みが予想される人気の雑誌類が事務室内に引き上げられ、
由に利用できるわけではない。また、切り取りや書き込
室への入室や身分証明書と引き換えでの館内閲覧よりも、
ずれかの手間をかけなければならない。これは、貴重書
か、他館からの取り寄せのリクエストを表明するか、い
リクエストによる他館からの取り寄せ依頼にしても、資
貸出カードや身分証明書などと引き換えの上で館内閲覧
料によっては、リクエスト時点での受付拒否や貸出館に
はるかに資料入手に時間のかかる行為であって、実質的
そして、ここで何より重要なことは、貴重資料や人気
雑誌等の利用制限の判断が、その図書館の、おそらくは
よる貸出し拒絶の可能性もあり得る。そうなれば、完全
させている例は、各地の図書館で見受けられる。これら
司書を含む職員集団によってなされている点である。私
に〝利用に制限を加えられた〟ことになる。したがって、
に〝利用に制限を加えられた〟ことに他ならないからで
は、こうした提供の自由に関わる高度な経営判断を適切
もともと資料選択において﹁採択﹂され、その図書館に
は、いずれも一種の﹁利用制限﹂であることに変わりは
になしえ、しかもその説明責任を果たし得ることが、司
所蔵されている資料に対し、何らかの理由で﹁ 利用制
ある。
書の専門性の発現形のひとつと考えている。
限﹂を加えることの問題を、
﹁知る権利﹂の概念をもと
ないが、
﹁自由宣言﹂にいう三条件には当てはまらない
実は、この問題に通じる経営判断は、日常的に他の場
面でもなされている。その典型的な例は、日常の資料選
に導き出すのであれば、むしろ﹁不採択﹂となって所蔵
ように思われる。
択すなわち選書であり、選書において﹁不採択﹂
、つま
されなかった資料に対する﹁利用制限﹂は、なぜ問題に
さらに付け加えるならば、利用者が購入希望を出した
ところで、その資料は必ず購入されるとは限らず、また
り収集︵購入︶しないと決定した資料については、収集し
されないのであろうか?
︵4︶
た資料の利用制限以上に、
〝利用に制限を加えた〟こと
︵5︶
になるはずである。なぜなら、収集されていない資料を
﹁不採択﹂となった出版物の大多数は、
〝収集すべきで
ない〟と判断されたわけではなく、そこまで購入できる
読みたいと考えた利用者は、購入希望を図書館側に出す
『 は だ し の ゲ ン 』か ら「 図 書 館 の 自 由 」を とら え 直 す
37
せざるを得ないのである。その意味で、収集しないとい
は、意図しようが意図しまいが、実質的に﹁利用制限﹂
に最大限努めているにすぎない。それを超えたところで
購入予算や搬送経費予算の許す範囲で、知る自由の保障
の保障などあり得ないのであって、資料収集方針と資料
納本制度によって支えられる国立図書館を含め、どの
ような図書館であれ、現実には完全な意味での知る自由
ないはずである。
る自由はもとより、表現の自由も保障されなければなら
い。当然、そうした非所蔵の資料についても、国民の知
て免疫ができるものだが、子どものなかには、生まれつ
普通の子どもであれば、成長にともなって、身体的傷
害や精神的苦痛に対し一定程度の抵抗力や回復力、そし
起こしてしまうのと似ている。
よっては生命をおびやかすようなアレルギー症状を引き
ば、多くの人には健康によい優れた栄養食品が、人に
いことへの配慮であり、懸念である。食べ物を例にとれ
とかいうのではなく、利用者︵特に、成長過程にある子ども
底流にある思想が偏っているとか歴史認識が誤っている
覚える人がいてもおかしくはない。これは、この作品の
表現に、学校図書館の蔵書として多少なりとも違和感を
う選択は﹁利用制限﹂のひとつの形態であるし、さらに
きやそれまでの個人的経験によって、必ずしも同様の
予算が無かったために、
〝収集をあきらめた〟にすぎな
進んで、提供しないという判断は、究極の﹁利用制限﹂
抵抗力や回復力、免疫ができ上がっていない子もいる。
実際、幼少時に傷害事故に巻き込まれた体験をもつ子
ろう。
の子どもの恐怖心を煽りかねないと心配する人もいるだ
童文学であると評価する人もいれば、生々し過ぎて一部
や教師のなかには、これは戦争体験にもとづく優れた児
﹃はだしのゲン﹄の描写や表現に触れる子どもたちの親
たち ︶
によっては、過剰に反応する人もいるかもしれな
となる現実を認めるべきであろう。
本 来の﹁ 図 書 館の自 由 ﹂
い。しかし、人によっては、この作品の一部分の描写や
さて、問題の﹃はだしのゲン﹄であるが、先に断った
ように、作品としての価値をいまさら論じるつもりはな
4.
38
どもであれば、トラウマになっていることもある。司書
や司書教諭には、読書というすぐれて人間的で知的な行
為がもたらす多様な人間への影響について、さまざまに
思いをめぐらせる豊かな感性を備えていてもらいたいと
利 用 制 限の 法 理 と 実 態
を優先する図書館があっても構わないのである。そうし
も、より多くの子どもに受け容れられるような別の作品
と指示する学校があってもよい。また、この作品より
えで、読んでみたいと思う子どもは自由に読みなさい、
爆について子どもにも理解できるような説明を加えたう
図書館専門職の判断で、何らの制限もなく公開書架に
置く図書館があってもよいし、教員の判断で、戦争や原
人ひとりにふさわしい形で提供するかである。
それぞれの図書館でどのように選択し、いかに利用者一
収集して、公開書架に並べるべきかどうかなのではなく、
としても、松井は、裁判所で青少年保護育成条例に反す
ここで最大限に﹃はだしのゲン﹄の問題性を拡張して
解釈し、仮に﹁青少年に有害な図書﹂の可能性を考えた
ない。
り図書館にとって、法的に利用制限する根拠は見当たら
が、
﹃はだしのゲン﹄はいずれにも当てはまらず、やは
年法違反の図書﹂といったカテゴリ等が設けられている
のカテゴリごとに、図書館での利用制限の妥当性につい
れば利用を制限できるか﹂では、問題となりそうな図書
の自由﹄がある。この本の﹁Ⅳ どのような図書等であ
︵6︶
図書館資料の利用制限のあり方について、法学者の立
場から書かれた最近の著作に松井茂記著﹃図書館と表現
た、図書館により、また学校により、異なった対応を取
る有害図書であるとの判断が確定した場合を除けば、利
考える。したがって、問題は、それをどの図書館も必ず
り得るような多様性を認めるのが、本来の﹁図書館の自
用制限には慎重であるべきとの見解︵
頁︶
を示して
て詳細に検討している。例えば、
﹁差別的図書﹂や﹁少
由﹂の考え方ではないだろうか。
あって、
﹃はだしのゲン﹄が利用制限の対象にならない
いる。これは、先の﹁自由宣言﹂をほぼ踏襲するもので
1
9
3
『 は だ し の ゲ ン 』か ら「 図 書 館 の 自 由 」を とら え 直 す
39
5.
すべての図書館資料は制限されることなく自由に利用さ
いことがわかる。では、こうした法学的な解釈をもとに、
法の規定を根拠に利用を制限する必然性は、きわめて低
さらに、松井の挙げる他のカテゴリの図書についての
法的な検討を踏まえても、ほとんどの場合に、図書館が
書館は珍しいこと
限を加えている図
ものの、利用に制
によって差はある
この調査結果を
表に示すが、資料
41
542
(89.6%) (6.8%)
17
605
(2.8%) (100%)
333
②『職員録 平成 16 年版』
国立印刷局
64
103
21
2
190
(54.2%) (33.7%) (11.1%) (1.1%) (100%)
750
713
34
221
(15.4%) (100%)
のばかりである。
れるべきかと言われれば、必ずしもそうはならない。む
ではなく、② の名
る図書館が制限
① 吉本隆明
『老いの超え方』
5
(0.8%)
未所蔵
館数
保存年限 問題になっ
で廃棄 たので廃棄 所蔵館数
(館数) (館数)
ことの一つの根拠になりうると思われる。
しろ、公立図書館の現場では、けっして数は多くないが、
割を超え
簿では
る調査結果がある。
た、 こ こ で 注 目
た〟と回答した館
と、この資 料につ
4
0
(0%)
4
183
③ 増田美智子
『福田君を殺して何になる』 (82.8%) (1.8%)
日常的に資料の利用制限が行われている事実を窺がわせ
を 対 象 に、
自 由 委 員 会 が 全 国 の 公 立 図 書︵館
7︶
年 末 に 行 っ た 調 査 が そ れ で あ る。 こ の 調 査 に お い て、
しておきたいこと
反と目される資料
を設けている。ま
① 差別表現が含まれるとの指摘を受けた図書﹃老いの
は、③ の少年法違
条︵ 後 述 ︶違 反 と 目 さ れ る 図 書
について〝 問 題に
資料類は、いずれも図書館にとって、利用制限が法的に
が ・ %ある点
なったので廃棄し
求められることはなく、自由に利用させているからと
いって、直ちに図書館の違法性が問われることはないも
15
提供制限
あり
(館数)
提供制限
なし
(館数)
2
0
1
1
3
超え方﹄
、② 個人情報の記載された名簿﹃職員録 平成
年版﹄
、③ 少年法第
61
﹃福田君を殺して何になる 光市母子殺害事件の陥穽﹄
、
の 点について、その提供状況を尋ねている。これらの
16
3
表 問題となった資料の提供状況
出典:日本図書館協会図書館の自由委員会編『図書館の自由に関する全国公立図書館調査 2011 年』
日本図書館協会、2013 年、34 頁のデータをもとに再計算している。
40
いては、もともと収集している館の割合が低い点︵無回答を
館︹ ・ %︺
︶
である。なお、この調
ここまでの考察と調査結果とを踏まえれば、いたずら
に利用制限︵閲覧、貸出、複写の制限や注意喚起の付箋、等を含
む︶
を非難したり、問題視したりするのではなく、当該
館中の
査では、あわせて利用制限について、どのような過程を
図書館の館長や職員︵特に司書職や司書有資格者︶の合議に
除く
経て判断しているのかも尋ねており、職員全体ないし担
より、公表された一定のルールの下であれば、必要最低
13
8
べての利用者等を勘案してなされる、優れて高度な経営
うに指摘できる。
も、館長は果たさなければならない。これは、図書館に
この本を廃棄してしまおうとか、初めから収集すること
識の下では、図書館のなかには、問題になりそうだから
い、との認識ばかりが先行することになる。そうした認
かすもので、図書館としてとうてい許されるものではな
そうしないと、
﹃はだしのゲン﹄が問題となったとき
のように、図書館による利用制限は、知る自由をおびや
司書補が担うべき重要な職務の一つと言うほかない。
、すなわち司書及び
置かれる専門的職員︵図書館法第四条︶
︵四︶問題にされてから廃棄してしまう図書館も、少
収集しない図書館も見られる。
︵三︶内容に問題があると見られる資料は、初めから
相談にもとづき、館長が判断することが多い。
︵二︶利用制限措置の決定は、職員間での意見交換や
けっして珍しいことではない。
︵一︶図 書 館 で 資 料 の 利 用 制 限 措 置 を 講 ず る こ と は、
︵8︶
かれた諸条件、当該資料にアクセスする可能性のあるす
これらの調査結果と、先に指摘したような貴重書類の
別室保管や切り取り・書き込みの可能性が大きい資料類
0
判断である。そして、同時に対外的にはその説明責任を
16
の事務室預かり等の利用制限を考え合わせれば、次のよ
制限の判断は、当該資料の内容と性質、当該図書館の置
当職員との意見聴取や相談のうえ、館長が判断するとこ
7
限の利用制限は認められるべきである。この場合の利用
23
。教育委員会の判断︵ ・ %︶や日本
ろが多い︵ ・ %︶
2
2
1
5
図書館協会への相談︵ ・ %︶を挙げる館は多くない。
82
数ではあるが見られる。
をやめておこうとか、資料の収集や提供を抑制してしま
『 は だ し の ゲ ン 』か ら「 図 書 館 の 自 由 」を とら え 直 す
41
9
3
4
図書館が本来果たすべき知る権利の保障は、いっそう難
該事件の本人であること推知することができるような
氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当
とき犯した罪により公訴を提起された者については、
しくなってしまうばかりか、その社会的使命をも放棄す
記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはな
う館があることを先の調査結果は示している。これでは、
ることになりかねない。そして、何より、図書館に置か
らない。
かし、現に法律として規定されているからには、これを
この条文が少年犯罪の凶悪化・低年齢化に見合ったも
のとなり得ているか議論のあることは承知している。し
れる専門職の役割と機能が見えにくくなってしまうと思
われる。
﹁ 図 書 館の自 由 ﹂にお ける 利 用 制 限の可 能 性
罪を犯した少年の実名と顔写真が掲載された出版物を図
ある。
章にあり、
少年法と表現の自由の関
要件︵① 頒布禁止の司法
のと思われる、引用者注︶
に法的規制はなく、提供制限の理
に帰せられるべきで、報道を提供する側︵図書館を含むも
係︼として、記事に関わる法的問題は開示した者の責任
いる。これによれば、
︻説明
﹁ 加害少年推知記事の
これについて、自由委員会は、
︵9︶
扱い︵提供︶について﹂と題した﹁検討素案﹂を公表して
で提供するか、である。
遵守することが国民に求められている。そして、問題は、
必要最低限の利用制限の正当性は、図書館の公共性な
いし公益性からも説明できる。典型的な事例が、少年法
条は、
書館が資料として収集した場合に、これをどのような形
実はこの法律の﹁雑則﹂とされる最後の第
61
しかも第 章はこの第 条のみで構成されている。言わ
5
ば﹁付け足し﹂のような、その条文は次のようなもので
61
︵記事等の掲載の禁止︶
由を見出せないとし、その上で
3
5
第 条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年の
1
由との関わりでしばしば問題にされる少年法第
違反の記事が掲載された雑誌の扱いである。図書館の自
6.
61
42
い。言い換えれば、図書館がその裁量により、提供制限
供制限することが適切でない理由を説明したものではな
この︻説明 ︼は、図書館が提供制限しなければなら
ない理由が見当たらないことを述べるものであって、提
いる。
限要求がある場合のみ、一定の提供制限があり得る︶
を提示して
判断があり、② それが図書館に提示され、③ 被害者からの提供制
やや掘り下げて検討してみよう。
取れる。次に、この点を公共性ないし公益性の視点から、
ないが、提供制限するという判断もあり得ることが読み
判断すべきであり、提供制限しなければならない必然は
﹁検討素案﹂からは、少年法違反の記事
したがって、
の取り扱いについて、図書館は、原則として提供すると
調しているのである。
図 書 館の﹁ 公 共 性 ﹂か ら 利 用 制 限 を 考 える
いう立場をとりつつも、司法判断とは独立した視点から
することを排除するものではないと解釈できる。
そのことは、これに続く︻説明 図書館が提供する
ことの意義︼を見れば、いっそうはっきりするだろう。
これは、一読すると、提供制限を認めない説明のように
するものでなく、提供する機関である、ことが示される。
いる。特に、図書館の場合には、図書館利用者の利益は
︶
といった性質をさすと考えられて
別しなかったり︵ open
を も た ら し た り︵ common
︶
、公開を原則とし利用者を差
一般に﹁ 公共性 ﹂は、公権力による裏づけをもって
︶
、人びとに共通の利益︵公益︶
制度化されていたり︵ official
見える。しかし、この︻説明 ︼の副題には〝図書館は
的に提供する機関であり、③ 資料・情報を支持や批判
り、②﹁考えるために読みたい﹂市民へ関連資料を積極
ここでは、図書館は、① 知る自由を保障する機関であ
2
に、図書館資料に制限を加えることなく提供することに
司法判断とは独自に提供について判断する〟とあるよう
利益が及ぶ︵公共経済学でいうところの外部効果︶と考えられ
もとより、利用しない人びとにも、その波及効果として
︶
ることから﹁公益性﹂に近い概念として﹁公共性﹂が捉
︵
力点が置かれているというより、司法の判断とは独立し
えられていると言ってよい。そこで、少年法違反の資料
2
て、図書館が資料提供の方法を判断することの意義を強
10
『 は だ し の ゲ ン 』か ら「 図 書 館 の 自 由 」を とら え 直 す
43
7.
1
措置と言える。しかし、この場合に、実名と顔写真はど
かを、市民みずからが判断するうえでも、公開は必要な
そもそも、そうした資料を図書館でどのように扱うべき
で必要な知識や情報を得ることができるだろう。そして、
背景等を知ることができ、今後の防犯対策を講じるうえ
容疑者の少年の生い立ちや犯行の動機、さらには事件の
この資料を通常通りに公開書架に置いた場合、一般の
利用者にとって知る権利が保障されることは間違いない。
直ちに本人推知できてしまう資料である。
特に問題とされるのは、少年の実名と顔写真が掲載され、
いし、逆に﹁公共の不利益﹂
︶
を考えてみよう。この場合に
れらは広く公開されるべきと思われる。そして、万が一、
の生い立ちや犯行の動機、事件の背景等〟であって、こ
利用者の知る権利の中核部分を成し、大いに公共の利
益をもたらすのは、上に指摘したような〝容疑者の少年
合がほとんどだろう。
たとしても、利用者︵読者︶は、その事実に気づかない場
その顔写真が何らかの理由で別人のものと入れ替ってい
大きく損なわれることもない。これも実名同様に、仮に
︵読者︶
が当該資料を読
また、顔写真の掲載も、利用者
むうえで、リアリティ︵現実感・臨場感︶をともなう効果は
共の不利益﹂もほとんど生じない。
まったく気づかないだろうし、それによる実質的な﹁公
うしても必要な情報なのだろうか。
大きいと言うべきである。実名や顔写真の掲載は、むし
を提供することによってもたらされる﹁公共の利益﹂
︵な
容疑者の少年の生い立ちや犯行の動機、事件の背景等
を知ることは必要であっても、その際、実名や本人の顔
ろ出版社の行き過ぎた商業主義がもたらす確信犯的行為
これらの報道に誤りがあった場合の﹁公共の不利益﹂は
あろうが、それが無かったところで、
﹁公共の利益﹂が
を知ることが不可欠の要件とは思えない。例えば﹁少年
であることは疑いない。
一方、実名や顔写真を掲載された本人およびその家族
の﹁人権侵害=不利益﹂は、いかばかりだろうか。現行
﹂と表現されていても、
﹁公共の利益﹂が著しく減じ
名報道に何らかの誤りがあって、正確に記載されていな
の少年法第 条に照らして、出版そのものの人権侵害は
61
ることはないように思える。さらに言えば、仮にその実
かったとしても、大多数の利用者︵読者︶は、その誤りに
A
44
範かつ長期に及ぶことが予想される。
用させることでひき起こされる二次的な人権侵害は、広
明らかだとして、それを図書館が無条件に公開し自由利
いのである。この場合に、多数者の一人ひとりにとって
である少年本人やその親族らの﹁少数﹂は、読まれたく
用・全面公開を求めるのに対し、人権侵害された当事者
市民や利用者は、知る権利を主張し、図書館での自由利
社会の報道が静まり、世間の目が他に向けられるように
利用制限を求めることは憚られ、時間の経過とともに、
料の自由利用を決して快く思っていないにしても、その
れ、顔写真掲載された本人と家族は、図書館での当該資
すことが懸念されるからである。おそらく、実名報道さ
的な関心を集め、二次的、三次的な人権侵害を引き起こ
図書館に対する提供制限を要求したとたんに、再び社会
実にはきわめて難しいと考えるべきだろう。なぜなら、
人やその家族が提供制限要求を公的に表明するのは、現
合を挙げているが、犯罪容疑者として実名報道された本
制限することが技術的に難しいのであれば、この資料そ
い。あるいは、当該資料を傷めることなく部分的に利用
らが見えないように配慮することがあってもおかしくな
実名や顔写真の部分に限って何らかの手段を講じ、これ
とは適切とは言えない。それゆえ、図書館によっては、
ての不利益の総量との比較を、その人数比だけで行うこ
隅で身を隠すように生きる﹁少数﹂の容疑者親族にとっ
﹁多数﹂の健全な市民や利用者が、問題と
すなわち、
なりうる実名や顔写真から得る利益の総量と、社会の片
利益につながるとは限らない。
はわずかな利益を優先することが、必ずしも社会全体の
ない、見られたくないと思っても、泣き寝入りする他な
なお、この際に、自由委員会の検討素案では﹁提供制
限 の 要 件 ﹂に ③ 被害者からの提供制限要求がある場
なることを、ただひたすら待つだけに違いない。
提供する図書館もあって良いように思われる。
この種の利用制限を加えたところで、これが直ちに
〝利用者の知る権利を侵害した〟ことにはならないだろ
のものを事務室内に引き上げて、要求があった場合のみ、
﹁ 公 益 性 ﹂を 斟 酌 す れ
このように図書館の﹁公共性﹂
ば、少年法違反の資料を図書館が購入すべきか、また購
入したとして、それをどのように提供すべきかを﹁多数
決 ﹂で決めるわけにはいかない。おそらく﹁ 多数 ﹂の
『 は だ し の ゲ ン 』か ら「 図 書 館 の 自 由 」を とら え 直 す
45
3
う。なぜなら、図書館は資料を収集し、これを一定の制
約条件のもとで提供し、さらには保存も行うことになる
限することなく提供すべきという考え方もあるが、もし
た、住民みずからが利用制限の適否を検討するために制
用者の知る権利を侵害した〟ことになるはずである。ま
廃棄するとかの自己規制を働かせるほうが、よほど〝利
集しないとか、指摘を受けてから問題を回避するために
限・無条件に提供しなければならないくらいだったら収
いたいと思う人もいるだろうし、殺戮シーンや天皇制批
り、大きな感動を覚え、ぜひ他の人たちにも読んでもら
どもによって、すなわち﹁読者﹂によってさまざまであ
読み方は、他の文学作品や他の出版物と同様に、人や子
この作品は多くの人びとが認めるように、著者の実体
験にもとづく優れた反戦文学の一つである。この作品の
再び﹃はだしのゲン﹄に話を戻すことにしよう。
利 用 制 限 と 司 書の 専 門 性
多くの住民が利用してみて、制限するのも止む無しとわ
判だけが頭に残り、あえてもう一度読みたいとは思わな
からである。これを、自由利用にこだわるあまり、無制
かったところで、すでに自由に利用されてしまった以上、
い人もいるだろう。そうした感受性は、人さまざまであ
書館長が果たすことになる。そうであるからこそ、図書
すべきである。そして、その後の説明責任も、当然、図
事前に定めたルールに従って行い、最終的に館長が決定
かべ、一人ひとりの利用者の読み方にもいろいろ気配り
また、収集したとしても、その図書館の利用者を思い浮
を蔵書として収集してもよいし、収集しなくてもよい。
したがって、納本制に支えられる図書館を除けば、お
よそ図書館と呼ばれる施設のどこであっても、この作品
り、それぞれに尊重されるべきである。
館長には、公共性を踏まえた豊富な行政経験とともに、
して、提供方法に種々の工夫があってよい。こうした判
︶
図書館に関する十分な知識が求められるのであり、それ
︵
断は、図書館についての知識をもち、その図書館の利用
もちろん、全面公開を含めて、いずれの提供方法を図
書館がとるにせよ、その判断は司書を含めた職員集団が
﹁手遅れ﹂となる矛盾をきたす。
8.
は司書の専門性の発現形態の一つと考えられる。
11
46
図書館を所管する行政組織は、その判断を尊重するべき
酌できる職員集団によってなされるべきである。そして、
ティ︵学校そのものも一つのコミュニティ︶の特性や影響を斟
所蔵資料の利用申請願(貸出不可・複写不可)
所蔵資料の部分的提供(貸出不可・複写不可)
非所蔵・提供(他館から取り寄せ可・貸出不可)
非所蔵・非提供(他館から取り寄せ不可)
者をよく知り、そして何より図書館の置かれたコミュニ
であって、それが﹁図書館の自由﹂の本来的なあり方だ
所蔵資料の館内利用限定(貸出不可・複写可)
消 極
利用申請の願い出制をとったり、複写禁止措置をとった
供の座標軸における積極から消極へのグラデーションと
を主体的・自律的に選択するべきであり、それは資料提
積 極
り、と段階的な利用制限を設けることは、公共性・公益
して連続線を成す。
所蔵資料の無条件自由利用(貸出可・複写可)
所蔵資料への注意喚起添付(貸出可・複写可)
と思われる。
図書館が、公表された出版物について、図書館の裁量
により、無条件公開︵開架書架での自由利用︶から非所蔵・
非提供︵収集不可、他館からの取寄せ不可︶の両極の間で、注
性に照らして何ら問題ない。同様に、利用者の知る権利
意喚起の断り書きを添えたり、館内閲覧限定としたり、
の侵害にも、著者の表現の自由の侵害にもあたらない。
求められるのであり、恣意的であってはならない。
利用制限を設ける場合には、正当な理由と慎重な判断が
なく、当初に﹃はだしのゲン﹄を選書した現場の司書教
外れているように思われる。市内の学校図書館は、市教
望内容も、要望先も、本来の図書館の自由の考え方から
育委員会の決定にもとづく各校同一の措置をとる必然は
こうした資料提供方法の多様性を例示したものが、下
図である。図書館は公表された出版物について、無条件
ただし、原則として全面公開が基本であって、何らかの
このように考えてくれば、自由委員会による松江市教
育委員会に対する昨年 月 日付けの要望書は、その要
図 資料提供方法の多様性(例示)
諭や学校司書の判断を尊重しつつ、学校長との協議をも
22
自由利用から非所蔵・非提供までの間の多様な提供方法
『 は だ し の ゲ ン 』か ら「 図 書 館 の 自 由 」を とら え 直 す
47
8
とに、各学校として独立した決定をすれば、それで十分
だったのではないだろうか。選書した当事者に決定をく
だす権限が無かったとすれば、そうした図書館運営体制
を問題にすれば良いのであって、提供のあり方について
外部の人間が口出しすることは、そもそも﹁図書館の自
由﹂をおびやかすことになりかねない。
私が昨年 月に全国紙の取材に対して、司書の専門性
を強調したうえで〝学校図書館に﹃収集﹄と﹃提供﹄に
責任を持つべき専任の司書教諭や正規の学校司書がおら
︵
︶
ず、外部からの指摘に、誰もきちんと説明できない体制
であることが、一番の問題だ〟と指摘したのは、まさに
こうした考えにもとづいたことなのである。
︽注︾
年熊取町立図書館訴訟
︵ ︶実際、他館からの資料取寄せ請求が拒絶された利用者によ
では、相互貸借に関する公立図書館の裁量権が制限される
る損害賠償を争点とした
判決が出されている。
︵ ︶実際、松江市立小中学校で﹃はだしのゲン﹄単行書全 巻
年。
を所蔵していたのは、全 校のうち 校であり、残り 校
ではすべてを所蔵していたわけではない。
︵ ︶松井茂記、
﹃図書館と表現の自由﹄
、岩波書店、
年﹄
、日本図書館協会、
︵ ︶日本図書館協会図書館の自由委員会編、
﹃図書館の自由に
年。
関する全国公立図書館調査
顔写真を報道した﹃新潮
﹄に 対 す る 東 大 和 市 立 中 央 図
︵ ︶例えば、堺市通り魔殺人事件に関して容疑者少年の実名と
控訴審判決でも、
〝図書館長には、所蔵する図書について、
書館の閲覧禁止措置に対する訴訟では、第一審判決でも、
閲覧禁止を含めた管理に関する裁量権〟を認めている。
︵ ︶日本図書館協会図書館の自由委員会の公式サイト︵ http://
︶
﹄ 樹 村 房、
年、
∼
性﹂糸賀雅児・薬袋秀樹編、
﹃図書館制度・経営論︵現代
︶
。
www.jla.or.jp/portals/0/html/jiyu/syonenhou.html
︵ ︶詳しくは、次を参照。
﹁Ⅱ部 経営論、 章 図書館の公共
頁。
図書館情報学シリーズ
96
年
月︶での最高裁
判決に見られる〝
︵図書館員が︶著作者又は著作物に対す
橋市立図書館蔵書廃棄事件︵
︵ ︶こうした論理と考える道筋によって、一般に図書館は、船
2
0
1
4
︵ ︶有 川 浩、
﹃図書館戦争﹄
、 ア ス キ ー・ メ デ ィ ア ワ ー ク ス、
52
45
2
年 月。
13 10
2
0
1
3
39
1
8
︵ ︶日本図書館協会図書館の自由委員会の公式サイト︵ http://
年改訂 ∼ 解説 ﹄日本図書
2
0
0
1
4
5
6
7
8
2
0
1
1
2
0
0
1
︶
。
www.jla.or.jp/Portals/0/html/jiyu/hadashinogen.html
︵ ︶日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会編﹃図書
年。
館の自由に関する宣言
館協会、
2
0
1
3
1
0
3
3
9
12
1
9
7
9
10
9
2
0
0
6
1
9
8
7
11
1
2
3
48
る独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱い〟
年
月︶での大阪地裁判決に見られる
をすることを回避するとともに、熊取町立図書館協力貸出
拒否事件︵
6
頁。
︶
﹄勉誠出版、
年、
∼
ティア No.8
・福井佑介〝熊取町立熊取図書館相互貸借拒否事件判決の意
革の時代の公共図書館︵シリーズ 図書館情報学のフロン
ついての法的考察﹂日本図書館情報学会研究委員会編﹃変
・山本順一﹁最近の訴訟に見る公共図書館とそのサービスに
び判決については、次の二つを参照されたい。
否する〟ことも回避できると思われる。これらの事件およ
込みを受けた場合︶正当な理由がなく利用者の申込みを拒
〝
︵利用者から所蔵していない図書について協力貸出しの申
2
0
0
6
1
1
9
1
3
3
義と相互貸借制度に関する考察〟
﹃図書館界﹄ Vol.62, No.5,
∼
頁。
3
4
7
年 月 日朝刊、文化面。
9
4
糸賀 雅
児(いとが まさる)
年、東 京 都 に 生 ま れ る。
年、東 京 大 学 大 学
︵ ︶
﹁ 司 書 の 専 門 性、 よ り 重 要 に ﹂ 朝 日 新 聞︵ 東 京 本 社 版 ︶
、
3
3
4
2
0
1
3
院教育学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学文学部
世紀
図書館制度・経営論』
(共編)樹
助手、助教授を経て、現在慶應義塾大学文学部教授。著書に
―
21
『現代図書館情報学シリーズ
村 房、
『図書館による町村ルネサンス プラン
21
2
『 変革期の時代の公共図書館
―
そのあり方と展望 』
(共著)勉
の町村図書館振興をめざす政策提言 』
(共著)日本図書館協会、
L
誠出版、ほか。
『 は だ し の ゲ ン 』か ら「 図 書 館 の 自 由 」を とら え 直 す
49
2
0
0
8
1
9
8
4
12
1
9
5
4
不 在 の 大 学 、ウニベルシタス
冊︶
に達したこの叢書は、ほぼすべてが一人の日本人著
月の﹃タブノキ﹄にいたるまで、既刊一六五点︵全一九二
る。一 九 六 八 年 七 月 の﹃ 船 ﹄に 始 ま っ て 以 来、本 年 四
て暮らしてきたのかを描き出す、民俗学のシリーズであ
﹁ものと人間の文化史﹂は、日本という国の黎明から
現在まで、人々がさまざまなモノやコトとどうつきあっ
と、古風な薄茶色に染める﹁ものと人間の文化史﹂であ
法政大学出版局の刊行物には、二つの看板シリーズが
ある。書店の棚を白く染める﹁叢書・ウニベルシタス﹂
ような、
﹁地に足がついていない﹂とも見られかねない、
その一方に、
﹁ウニベルシタス﹂がある。こちらは逆
0 0 0 0 0
に、一見すると日本社会の現実からは超然としたかの
といえる。
でしか生きられない人間の有限な日常を描き出す営みだ
︿知識人﹀的思考とは異なり、あくまで自然史の過程内
れは、歴史に面して、直線的な進歩や革命を夢見がちな
受け継いでは改良し、発明しては忘却していった事象の
が多い。歴史のなかで、市井の名もなき人々が先人から
学の研究者ではなく、民間の専門機関や、在野の実務家
編集者が語るこの叢書・このシリーズ ❸
郷間 雅
俊 (法政大学出版局 編
集部)
者による一テーマの書き下ろしで、それが取り扱う対象
難解でハードな西洋思想の翻訳シリーズである。現時点
者に迎えられてきた。著者たちは、どちらかというと大
は幅広い。およそ人間の日常生活にかかわる物事のすべ
る。
自然環境や動植物との関係、衣食住の知恵や技
で、一〇一〇冊を数える大きな規模に成長した。奇しく
て
あとさきをたどり、文字に定着させる作業といえる。そ
が、まんべんなく取り
│
芸、信仰や遊びの展開など
も、
﹁ものと人間﹂とほぼ同時期、一九六七年から六八
│
扱われる。幸いにも、このシリーズはこれまで多くの読
50
いまもまだ矍鑠としているから、彼らに対し、この二つ
員たち
は
年にかけての出発である。当時の局に勤めていた編集部
らなかった。大学こそが、抑圧機構を回転させる歯車で
ん自己を否定し、大学という 体
己の社会的存在を意味あるものとするためにはいった
もとで、再び訪れるかもしれない世界戦争を前に、自
﹁ 団塊の世代 ﹂よりもやや上の世代
│
のシリーズがなぜほぼ同時に始まったのか、尋ねてみる
あって、官僚的知性がもっぱら﹁豊かさ﹂という名の高
所属していた、いまとなっては伝説?の人物なのだが、
のだ。稲はもともと、五〇年代の法政大学生協購買部に
生たちの内に歯止めのない暴力を生むことにもなった。
ら で あ る。そ こ で は、対 立 の 図 式 が 数 年 の あ い だ、学
第三世界⋮⋮︶
を搾取するのに一役買っていると見えたか
│
ことはできる。その際に返ってくる回答は概して、名物
度経済成長を推進しては、遠くて近い他者︵沖縄や水俣や
五九年に入局して以来、学生向けの教科書などを作りな
︿六八年﹀以降、もしも大学が、
﹁本を読み社会を批判的
制 を否定せねばな
編集長・稲 義人に先見の明があったからだ、というも
がら、小さな出版局が大学出版として自前で為しうるこ
に考える学生 ﹂をあまり必要としなくなり、そうした
。あ
とは何かを考えつづけた︵編集代表に就いたのは七三年︶
知的活動の多くがむしろ﹁ 社会 ﹂の内側に亡命・離散
0
るいは、考えるだけでなく、全国の若き著者たちと会い、
していったのだとすれば、それは今日にいたる大学の
0
大いに酒を酌み交わしては先端的な知識を吸収し、それ
機能不全
0
を個性的な出版活動に活かすことのできた人物であった。
の 始 ま り で あ る と と も に、 大 学 外 に ま が り な り に も
0
そして稲が二〇〇二年にほぼ生涯現役で亡くなるまでに
批判的な市民意識が根づくきっかけともなった、正負の
レジャーランド化、就職斡旋所化?
│
局の出版活動の軸に据えたのが、この二つの叢書だった
両面を併せもつ出来事であったように思われる。
﹁ウニベルシタス﹂は、そうした政治の季節のなかで、
︵ ・フィッシャー著︶
という問いととも
﹃芸術はなぜ必要か﹄
│
のである。彼と歩んだ四名の部員たちが、各々の得意分
野を活かし、この路線を支えた。
︿大学解体﹀が叫ばれていた最中である。学
折しも、
生たちは、冷戦という世界史的対立、つまり核の脅威の
に始まった。これはいったい、何を意味するのだろうか?
編 集 者 が 語 るこ の 叢 書・こ の シリー ズ
51
E
の書名に何か特別な意味があるわけでもない。また、当
しれない事柄の意味を過大評価するつもりはなく、個々
もちろん、発行部数の面でいえば大変ささやかなこの
叢書が、七〇年代以降の日本の読書界にもたらしたかも
である。
こ﹂に、
︿大学﹀が生成する可能性がある、ということ
﹁ウニベルシタス﹂を読む読者には、つねに﹁いま・こ
すでに四六年にもわたって、それなりに読者に受け容れ
帝国大学もまた多数のいわゆる﹁お雇い外国人﹂を擁し、彼らに
の︿ 翻 訳 ﹀ に
学 ﹂ は そ れ 自 体 が、 西 洋 的 な universitas
よって成立したものだからだ︵軍事・産業分野のみならず、
問いが、いつも潜在的に含まれている。言いかえれば、
の叢書を作ってきた者たち自身にさえ、
﹁ ウニベルシタ
︿翻訳﹀と関係
奇妙な話だけれども、これはやはり、
している。というのも、誰もが知るように、日本の﹁大
られているこの叢書がある文化的な徴候として示してい
学んだ。法政大学自体、
﹁ 日 本 近 代 法 の 父 ﹂ボ ワ ソ ナ ー ド の 民 法
ス ﹂がなぜ必要なのか、どこまで意識的な問いとして
ることは、日本の無意識のようなものと深く関係してい
移植から始まっている︶
。明治の文明開化とはまさに、江戸
あったのかも、じつのところあまり明確ではない。ただ、
るようにも思われる。それは、
﹁ウニベルシタス﹂がす
後期に諸藩で盛んになった藩校や私塾などでの、たえま
による侵略の対象とならぬためにも、または純粋に学
上には、同時代の最先端の西欧思想との格闘があり、ま
ない︿翻訳﹀の努力の上にはじめて成ったものである。
べて、
︿翻訳﹀から成る叢書だという事実にかかわる。
0
儒学・国学から蘭学・英学へ、私塾から大学へと進む途
0
﹁書物による大学、思想と文化の宇宙!﹂というのが、
この叢書の少々気負った、対外的なキャッチフレーズで
0
たその思想を可能にした、過去のあらゆる古典的文献の
0
が解
ある。この文のうちには、六〇年代末に university
体されつつあるなかで、あるいはつねにすでに初めか
0
翻訳が不可欠であった。翻訳者たちは、日本が先進諸国
0
ら解体状態にあったかもしれないなかで、
﹁ 思想と文化
0
問・芸術への強い関心からも、死にものぐるいで翻訳を
0
にアクセスしうるのは、書物を開く読者自身
の universe
である﹂ことが含意されていると思う。つまり、このフ
00
続けた。文字も文法も、文化も慣習も絶望的なまでに異
00
レーズのなかには、
︿大学﹀はどこにあるのか?という
52
あげる原動力となったのだった。
ハイブリッドな日本の近代を、また近代日本語をつくり
認識への意志そのものが、舶来物への憧れとあいまって、
を言っているのか皆目わけが分からなかろうが、翻訳と
あろうが、不正確な翻訳であろうが、ときには相手が何
の等価物を、日本語のうちに生み出そうとした。誤訳が
を編集し、相手が有している認識体系や最新の知的成果
なる異邦の諸言語を一から習得し、辞書を編んでは情報
である。
著作を日本語に取り入れたいという欲望がきわめて大き
れ以上に、いまもって大学の研究者たちが、海外の重要
いったことがとても困難だという理由もある。しかしそ
通じ、各専門分野の最新情報をつねに把握していると
もちろん、哲学・思想分野では、海外の言語にある程度
集部が最初の立案者になることは︵正直にいって︶少ない。
け﹁ウニベルシタス﹂に関しては、企画決定の際に、編
や翻訳者との仕事のほうがずっと多い。そして、とりわ
可能性、理念としての︿大学﹀が立ち現れるのである。
ンの薄明のなかに、かすかながらでも、普遍性の獲得の
その不確実さ、誤訳のリスク、ディスコミュニケーショ
訳﹀を通じて他者を知り、みずからを知る欲望であり、
は日本の近代を継続しているのだと思う。つまり、
︿翻
い う﹁ 啓 蒙 ﹂的 意 志 の 構 築 物 で あ る。必 然 的 に、ほ と
思想に対して大学知識人たちが抱く、集合的な欲望の表
ものである。だから、
﹁ウニベルシタス﹂とは、海外の
てるために、潜在的な﹁日本の読者﹂へと差し出された
心や忘却から救い出され、何ほどか﹁世間﹂に波風を立
﹁ ウニベルシタス ﹂の既刊書目は、そのほとんどが、
職業翻訳家ではない大学教員らによって見出され、無関
く、そこから日々、数多くの企画の打診を頂戴するから
﹁ウニベルシタス﹂はたぶ
そうした視点から見ると、
ん、一般には人文領域でも最も﹁わけの分からない﹂分
べきは、この欲望が、もっぱら法政大学
ただし強0調す
0
出版局の内側にあるというわけではまったくない点だ。
んど﹁ 野蛮 ﹂なくらい、雑多で奇妙なコレクションに
野の書を積極的に翻訳しつづけてきた点で、出版史的に
小局は、年間の出版物中、法政大学関係者の著訳書の占
なっている︵詳しくは、本年一月発行の﹃叢書・ウニベルシタ
出物であり、またそれをどうにか一般に共有させたいと
める割合が決して多くない。むしろ、それ以外の書き手
編 集 者 が 語 るこ の 叢 書・こ の シリー ズ
53
うとする不可能な︿忠実さ﹀は、みずからの安定した語
てとことん対話し、その結果を自国語に正確に甦らせよ
容易には理解できない︿謎﹀と、何百ページにもわたっ
的ではないだろうか。異邦人たち・死者たちの声という、
ちめんどくさい作業のうちに求めることは、何より本質
意味と構造を考え抜くことの自由を、
︿翻訳﹀というし
大学のなかで、人文主義的な伝統を、つまりこの世界の
ども、つねに危機にさらされているかもしれない現実の
︵リオタール著、叢書一〇〇一番
か﹂
、
﹁なぜ哲学するのか?﹂
学の亡霊なのであって、おそらくは﹁ 芸術はなぜ必要
ても、
﹁ウニベルシタス﹂は、じつは最初から不在の大
と思う。いかに地に足がついていないように見えたとし
近代を超克﹂できるはずもないし、その必要もないのだ
くべきだろう。また実際にも、たった百数十年で﹁西洋
ブ、アフリカなどの哲学・思想をより広汎に共有してい
代の宿命だし、今後は人文出版界全体で、アジア、アラ
点は、大いに反省すべきと思う。だが、それは日本の近
中心主義的﹂な叢書になってしまっているかもしれない
りに自足したオリジナルの日本語著作以上に、ときに思
の書名︶
といった、答えのない問いを読者と共有するこ
ス一〇〇〇番到達記念ブックレット﹄をご参照ください︶
。けれ
想的な起爆力を有することがあるのではないか。
とを仕事としているからである。
郷間 雅
俊(ごうま まさとし)
もちろん、現実の出版と編集の現場には、翻訳叢書な
らではの問題、つまり版権料や出版期限の問題がいつも
つきまとう。また、編集部と訳者双方の実力が足りな
かった場合には、何年も費やした末に刊行を断念するこ
とになったり、あるいは結果として不備の少なくない訳
書を流通させることになったりもする。大いに頭を悩ま
せる問題であり、関係各方面に多々ご迷惑をおかけして
ただ一つ、
﹁ウニベルシタス﹂自身が、結局は﹁西洋
もいるが、それはさしあたり内輪の話にしておきたい。
54
日時:2013/12/20 15:00∼17:00
場所:筑摩書房本社 会議室
1. 代表幹事より
2. 委員会活動報告
3. その他
来会者:ケイ・コーポレーション黄木(元煥乎堂)
「企業概要・新店舗出店概要について」
☆1月例会
日時:2014/1/15 15:00∼17:00
場所:筑摩書房本社 会議室
1. 代表幹事より
2. 委員会活動報告
3. その他
担当者変更の承認 創元社 華園→水口
■第37回 2014年人文社会科学系出版五団体合同新年会
日時:2014/1/31 18:00∼
場所:ホテルメトロポリタン・エドモント「万里」
当番幹事団体:国語・国文学出版会
人文会参加者:48名(2名欠)
☆2月例会
日時:2014/2/19 15:00∼17:00
場所:筑摩書房本社 会議室
1. 代表幹事より
2. 委員会活動報告
3. その他
〇人文会ニュース117号刊行 2014/2/20
☆3月例会
日時:2014/3/19 15:00∼17:00
場所:筑摩書房本社 会議室
1. 代表幹事より
2. 委員会活動報告
3. その他
☆4月例会
日時:2014/4/16 15:00∼17:00
場所:筑摩書房本社 会議室
1. 代表幹事より
2. 委員会活動報告
3. その他
担当者変更の承認:平凡社 根井→清田
*役職・敬称略
55
高松解散)
旅行幹事:未來社(水谷)・吉川弘文館(片山)
○丸善・ジュンク堂書店/人文会(オブザーバー参加)研修会 part2
日時:2013/10/22 14:00∼17:00
場所:春秋社6F会議室
参加者:丸善書店、M&J、ジュンク堂書店14名/人文会19名/歴史書懇話会3名
M&J札幌店(小泉)/ J盛岡店(中川)/ J新潟店(西村)/ J池袋本店(森・井出・田山)
/ J名古屋店(蟹江)/ Jロフト名古屋店(伊藤)/ J広島駅前店(高下)/ M広島店(丸田)
/ J福岡店(臼井)/丸善丸の内本店(喜田)/丸善津田沼店(小松原・喜瀬)
■合同懇親会
場所:きやり神田明神前店
日時:2013/10/22 15:30∼20:00
参加者:丸善・ジュンク堂書店14名/人文会19名/歴史書懇話会6名 合計39名
○図書館総合展
期日:2013/10/29∼31
場所:パシフィコ横浜 人文会ブースとして出品
☆11月例会+臨時総会
日時:2013/11/20 13:00∼15:30
場所:出版クラブ会館「桜」
1. 代表幹事より
2. 委員会活動報告
3. その他
*臨時総会13:00∼13:30
1. 担当者変更の承認
筑摩書房 (正)三澤→小島・(副)桃野→藤井/大月書店 駒谷→西/日本評論社 朝倉→江波戸/法政大学出版局 古川→成田
○人文会創立45周年記念シンポジュウム
日時:2013/11/20 16:00∼19:00
場所:出版クラブ会館「鳳凰」
参加者:書店47名/人文会48名 計95名
第1部「町と書店と人と―神保町で本を売る」 講師:柴田 信(岩波ブックセンター)
第2部「人文書をどう売り伸ばすか―私の取り組み」
パネリスト 伊藤 稔(紀伊國屋書店)
久禮 亮太(あゆみBOOKS)
森 暁子(ジュンク堂書店)
コーディネーター 橋元(東大出版会)
第3部 懇親会 19:00∼21:00
場所:出版クラブ会館「菊」+「桜」
☆12月例会
2 0 1 3 年 度( 2 0 1 3 / 5 ∼ 2 0 1 4 / 4 )人 文 会 活 動 報 告( 全 般 )
56
☆9月幹事会
日時:2013/9/18 12:00∼14:00
場所:平凡社 会議室
1. 秋の研修旅行について
2. 人文会創立45周年事業について/他
☆9月例会
日時:2013/9/18 15:00∼17:00
場所:筑摩書房本社 会議室
1. 代表幹事より
2. 委員会活動報告
3. その他(秋の研修旅行について/人文会創立45周年事業について)
○2014年人文社会科学系出版5団体合同新年会 打ち合わせ会
日時:2013/9/17 14:00∼16:00
場所:吉川弘文館 会議室
参加者:国語・国文学出版会(白石・大久保・斉藤・馬場)/人文会(田﨑・新保)/法経
会(古澤・坪内)/歴史書懇話会(春山)/大学出版部協会(黒田・橋元)
〇人文会ニュース116号刊行 2014/10/10
○秋季研修旅行
期日:2013/10/16∼18(2泊3日)
集合:JR東京駅(東海道新幹線のぞみ207号ホーム集合)AM7:50(台風26号の影響で約1:30
遅れ)
訪問地:大阪・徳島・高松
訪問書店:紀伊國屋書店梅田店/紀伊國屋書店グランフロント大阪店/ MARUZEN&ジュ
ンク堂書店梅田店《10/16は到着が遅れたため、3店舗を3班に分けて訪問》/ブック
ファースト梅田店/ジュンク堂書店近鉄あべのハルカス店/喜久屋書店阿倍野店/ジュ
ンク堂書店千日前店/ジュンク堂書店難波店/ジュンク堂書店大阪本店/附屋書店国府
店/紀伊國屋書店徳島店/宮脇書店総本店/紀伊國屋書店高松店/宮脇書店本店(計14
店・訪問順)
■研修会 10/16 15:00∼17:00
会場:ティオージー貸教室
参加者:紀伊國屋書店 梅田本店(武田・西井)/グランフロント大阪店(若杉・此川・
岸本)/名古屋空港(江崎)/富山店(植原)/広島店(木下) ■懇親会 10/16 18:30∼20:30
会場:大阪第一ホテル
出席者:書店:11店舗27名/取次店:3社11名(同行含む)/人文会:20社20名 計48
名 *大学生協2名欠席
■宿泊:10/16 大阪第一ホテル
10/17 徳島グランヴィリオホテル
解散:10/18 15:40 高松空港
同行取次店:トーハン(森 年弘)/日販(大橋 功幸)/大阪屋(岩本 卓巳:大阪合流・
57
*なお菊池 明郎会長は本総会をもって退任されました。
○丸善・ジュンク堂書店書籍流通センター見学会
日時:2013/5/14 14:00∼17:00
場所:JR北戸田駅集合
担当:丸善・ジュンク堂書店SRC総括担当 渡辺 健
参加者:29名
○丸善・ジュンク堂書店/人文会研修会 part1
日時:2013/6/11 13:30∼17:30
場所:出版クラブ会館 2F
参加者:丸善・ジュンク堂書店15名/人文会19名
■合同懇親会 18:00∼20:30
場所:出版クラブ会館「菊の間」
参加者:丸善・ジュンク堂書店12名/人文会37名/歴史書懇話会14名 合計63名
☆6月例会
日時:2013/6/19 15:00∼17:00
場所:筑摩書房本社 会議室
1. 代表幹事・幹事会より
2. 各委員会活動方針
3. 特約店グループ訪問進行状況
4. 秋季研修旅行概要(10/16∼18 関西・四国方面)
5. その他(45周年事業計画)
来会者:熊本市 長崎書店社長 長崎 健一/人文書担当 児玉 真也
〇特約店グループ訪問
① 東北地区(仙台・山形・秋田・弘前)コース 7/24∼26
② 関西地区(京都・大阪・神戸)コース 6/26∼28
③ 北海道地区(旭川・札幌)コース 7/10∼12
④ 中国地区(広島・岡山・米子・松江・鳥取)コース 7/10∼12
☆7月例会
日時:2013/7/17 15:00∼17:00
場所:筑摩書房本社 会議室
1. 代表幹事より
2. 委員会活動報告
3. その他
☆8月例会
日時:2013/8/21 14:00∼16:00
場所:筑摩書房本社 会議室
1. 代表幹事より
2. 委員会活動報告
3. その他(グループ訪問経過報告/秋の研修旅行について/人文会創設45周年事業について)
来会者:TRC田辺・松村・池田「図書館総合展/人文書の図書館への販売について」
2 0 1 3 年 度( 2 0 1 3 / 5 ∼ 2 0 1 4 / 4 )人 文 会 活 動 報 告( 全 般 )
58
2013年度(2013/5〜2014/4)人文会活動報告(全般)
書記 新保卓夫(誠信書房)
☆第46回(2012年度)人文会総会
期日:2013/5/17
場所:東京ドームホテル
出席者:正担当者(20名)・新担当者(3名) 合計20社23名
14:30開始 17:20終了
総会の開催
1 代表幹事挨拶(田﨑 洋幸代表幹事)
2 総会議長選出(書記新保が担当)
3 2012年度活動報告
ア)会活動全般(新保) ◎承認
イ)会計報告(平石) ◎承認
4 2012年度各委員会活動報告
(ア)販売・企画委員会 (委員長:朝倉)
(イ)調査・研修委員会 (委員長:橋元)
(ウ)広報委員会 (委員長:大野) ◎一括承認
5 会則の改廃 ◎なし
6 休会・入会の承認・報告 ◎なし
7 担当者変更会員社の紹介
慶應義塾大学出版会(大野→乙子)/勁草書房(小笠原→西野)/ミネルヴァ書房(三
上 直樹→三上 無久)
8 役員の改選及び各委員会構成について
ア)代表幹事選出
◎満場一致にて田﨑 洋幸を選出
イ)選考委員選出
◎新保・平石・橋元・朝倉・華園+代表幹事(田﨑)
ウ)書記幹事、会計幹事および各委員会委員長を選出
◎書記:新保/会計:平石/朝倉・橋元・根井
エ)各委員会の構成メンバーの選出
◎上記幹事にて各員会構成メンバーを選出
9 各委員会メンバーの発表
販売・企画委員会
◎朝倉 哲哉 ○華園 斉・三橋 直也・片桐 幹夫・衣笠 真二郎・
三上 無久
調査・研修委員会
◎橋元 博樹 ○古川 真・駒谷 光彦・片山 伸治・奥村 友彦・
西野 浩文
広報委員会
◎根井 浩一 ○三澤 宏幸・水谷 幹夫・岩野 忠昭・乙子 智
《◎委員長(幹事) ○副委員長》
10 三役と各委員長挨拶
11 退任者、新担当者挨拶
59
二〇一三年度︵第四七回︶人文会年次総会報告
書記幹事 新保卓夫
﹁出版クラブ会館﹂において全会員社出席のも
二〇一三年度︵第四七回︶の人文会年次総会は、平成二六年五月二三日、
とに開催されました。
﹁販売・企画﹂
議事は、二〇一三年度︵二〇一三年五月一日∼二〇一四年四月三〇日︶の活動報告︵全般︶から始まり、会計報告、
﹁調査・研修﹂
﹁広報﹂の各委員会報告および質疑、承認と続き、新年度に向けての役員改選及び各委員会所属メンバーを
決定し、無事終了いたしました。
代表幹事には、昨年度に引き続き、全会一致で田﨑洋幸氏︵みすず書房︶が選出されました。
、書記幹事は新保卓夫︵誠信書房︶が選出︵いずれも留任︶されました。委員会構成は昨年
会計幹事は平石修氏︵御茶の水書房︶
同様、
﹁販売・企画﹂
﹁調査・研修﹂
﹁広報﹂の三委員会体制で会活動にあたることを確認しました。
、橋元博樹氏︵東京大学出版会︶が調査・研修委員長︵留
各委員長︵幹事︶は、片桐幹夫氏︵春秋社︶が販売・企画委員長︵新任︶
任︶
、水谷幹夫氏︵未來社︶が広報委員長︵新任︶に選出されました。
また、青土社︵本社、千代田区神田神保町︶より、新規入会の申請があり、会員社による議決を経て入会が承認されました。
また、柏書房の次年度からの休会が了承されました。
会則の変更および、退会会員社はありませんでした。
なお、担当者変更の社は以下の通りです。大月書店︵駒谷↓西︶/晶文社︵奥村↓川上︶/創元社︵華園↓水口︶/筑摩書房︵三
澤↓小島︶/日本評論社︵朝倉↓江波戸︶/平凡社︵根井↓清田︶/法政大学出版局︵古川↓朝倉︶
。
委員会構成の詳細は、巻末の﹁人文会名簿﹂をご参照ください。
60
委員会活動方針
販 売 ・企 画 委 員 会
委員長 片桐幹夫
書店法人様との意見交換を重ねながら、有効な管理・運
営方法を模索し、ロールモデルを作成したい。②大学図
書館および公共図書館様と、情報交換の機会を設け、図
書館における人文書のさらなる普及と、読書推進プラン
を考えていきたい。③グループ訪問では、各地域の新聞
社様を訪問し、いただいた情報を会員各社で共有し、人
文書の紹介記事等を紙面に掲載していただける機会を増
やしていきたい。販売企画委員会は、先輩諸氏の活動
だからこそできる業界貢献に努めてまいりたいと考えて
頭売上げアップに貢献できるよう、フェア提案やアイデ
アの提供を積極的に行っていきたいと思います。また、
年に制作・刊行した﹃人文書販売の手引き﹄は、
書店現場においてベテランの人文書担当者様が減少して
いることもあり、多くの書店員の皆様からご好評をいた
だいております。今期はこの﹃手引き﹄の改訂に向けた
準備をスタートいたします。
1
︵◎委員長/○副委員長︶
水口大介︵創元社︶
︵青土社︶
森 卓巳
三上無久︵ミネルヴァ書房︶
江波戸茂︵日本評論社︶
三橋直也︵紀伊國屋書店︶
○朝倉哲哉︵法政大学出版局︶
◎片桐幹夫︵春秋社︶
を継承し、また新任委員の力を生かしながら、
﹁人文会﹂
今期、販売・企画委員会は、継続施策のさらなる充実
と、新たな つの施策を柱に活動いたします。継続施策
います。 年間、どうぞよろしくお願い申し上げます。
F
A
X
いては、販売会社様や会員各社の協力を仰ぎながら、店
の︿今月の一押し
﹀
、
︿ベストセレクション﹀につ
3
新たな施策としては、①人文書棚の維持管理について、
61
2
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1
調 査・研 修 委 員 会
化、
委員長 橋元博樹
化、
、図
責任販売制、委託販売制、買切り制、再販売価格維持
制度、雑誌流通に依存した書籍流通、ネット書店の隆
盛、 流 通 の デ ジ タ ル 化、
ウム、研修活動、書店訪問を行いました。
本年も従来の活動の蓄積を引き継ぎながら、書店・取
次の皆様とともに、人文書販売の最適なモデルを探る活
動を継続したいと考えております。ご支援をよろしくお
願いいたします。
◎橋元博樹︵東京大学出版会︶
○片山伸治︵吉川弘文館︶
︵◎委員長/○副委員長︶
︵筑摩書房︶
書館市場、書籍のデジタル化、学術情報におけるオープ
昨年 周年を迎えた人文会は、創立以来こうした問題
意識を抱えながら、販売の現場で活動してまいりました。
そもそも人文書に最適な流通・販売の仕組みとはどの
ようなものなのでしょうか?
りとは言えないのも事実です。
必ずしも人文書販売において、歓迎される﹁改革﹂ばか
思えます。しかし、現在進行中の改革、潮流、諸政策が
し、日々新しい課題が次々とたちあらわれているように
⋮⋮。書籍の流通・販売をめぐる課題は依然として山積
︵勁草書房︶
西野浩文
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ンアクセス化、国立国会図書館のデジタルライブラリー
O
A
小島秀人
︵平凡社︶
清田康晃
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昨年はいっそう書店人との結びつきを意識したシンポジ
45
62
広報委員会
ント情報等の発信とアーカイブとしての利便性を考え、
過去の﹁人文会ニュース﹂の掲載記事を随時アップして
多方面の方々のご協力を仰ぎ、人文書の活性化に繋が
るような多面的で実践的な紙面づくり・情報発信を微力
いく予定でいます。
委員長 水谷幹夫
ながらおこなうことで、人文書にかかわる多くの方々に
の報告のほかに、最近の学問の動向をコンパクトにま
と考えています。
仕入・販売・資料収集の担当者に流通の変化にも目を
◎水谷幹夫︵未來社︶
多くのご意見、ご指摘等々いただけましたら幸いです。
今期もどうぞよろしくお願い致します。
向け書いていただく﹁書店現場から﹂
﹁図書館レポート﹂
、
あまり表に出ることのない、その企図・来歴を明かして
いただく﹁編集者が語るこの叢書・このシリーズ﹂など、
それぞれの現場に携わっている方々からの報告に多くの
ページを割いています。
もう つのツールであるウェブサイトは、冊子では難
しい即時性を重視し、会員社の新刊・既刊書情報はもち
︵◎委員長/○副委員長︶
西 浩孝︵大月書店︶
川上勝広︵晶文社︶
〇乙子 智︵慶應義塾大学出版会︶
岩野忠昭︵白水社︶
とめ、ブックリストを付した﹁十五分で読むシリーズ﹂
、
議論・意見交換の場を提供・提案することができれば、
冊
3
﹁人文会ニュース﹂は、紙の冊子であるという特性を
活かし、研修会報告、訪問記録、活動報告などの会活動
﹁人文会ニュース﹂年
広報委員会の活動の柱は、
の刊行とウェブサイト運営の つです。
2
ろん、人文会や会員各社が展開するブックフェアやイベ
委員会活動方針
63
1
二〇一四 年 特 約 店 グルー プ訪 問 報 告
今年も 社・ 班で各方面を訪問中です。本号で
班分、次号で北海道班の報告を致します。
大阪・奈良・和歌山方面
報告 平石修︵御茶の水書房︶
年 月 日︵水︶
∼ 月 日︵金︶
●期日
●参加メンバー 川上 ︵晶文社︶
、岩野 ︵白水社︶
、清田 ︵平凡
、朝倉︵ 法政大学出版局︶
、平石︵御茶の水書房︶
社︶
●訪問書店
久屋書店大和郡山店
︻和歌山︼
ガーデンパーク和歌山
店、和歌山大学消費生活協同組合、宇治書店、宮脇書
店ロイネット和歌山店
今 回 の メ イ ン は 大 阪 で す。 従 っ て 日 半 か け て
じ っ く り と ま わ り ま し た。 豊 臣 秀 吉 の こ と が 大 好 き な
●感 想
都 市 大 阪 は 商 人 の 町 で す。 書 店 の 興 亡 も 激 し く 出 版 社
の 営 業 人 と し て 目 の 離 せ な い 地 域 で す。 私 が か つ て こ
の 業 界 に 入 っ た 頃 の 大 阪 は、 旭 屋 書 店 と 紀 伊 國 屋 書 店
年神戸の三宮に
坪の大型書店 ︵当
の ツ ー ト ッ プ 体 制 で し た。 現 在 の 大 阪 は 旭 屋 書 店 が 閉
店し、
坪は大型書店です︶を出店したジュンク堂書店が
坪、
坪と大きなお店ばかりです。売り
阪店、ジュンク堂書店大阪本店、ジュンク堂書店難波
國 屋 書 店 梅 田 本 店、 紀 伊 國 屋 書 店 グ ラ ン フ ロ ン ト 大
れています。そのようなお客様向けに、検索機能を持っ
かし一方ではお客様が本を探せなくなっている現象も現
もらえない専門書版元や小版元にとっては朗報です。し
﹁売上げはどうです﹂
の質問に書店の皆様一様に、昨今
アウトと的確な分類が一層必要かと思います。
店、ジュンク堂書店千日前店、ジュンク堂書店天満橋
︻奈良︼くまざわ書店奈良店、啓林堂書店西大寺店、喜
店阿倍野店、大阪大学生協書籍豊中店、田村書店
たパソコンを設置していますが、なによりも適切なレイ
場面積が広くなることは普段なかなか店頭に本を並べて
坪、
多店舗展開を続けています。お店の規模も
時は
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ジ ュ ン ク 堂 書 店 梅 田 店、 紀 伊
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店、ジュンク堂書店近鉄あべのハルカス店、喜久屋書
︻大阪︼
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の業界全体の状況と同じです、の﹁一言﹂
が帰ってきまし
精神世界は 代以上の女性。様々な解釈が成り立ちます
が、男も女も 代を過ぎるといろいろ悩むようになるよ
質問でした。そんななかでも﹁文庫で読む哲学の名著﹂
な
ません。 代から定年を過ぎ、第二の人生と呼ばれる老
うです。今の時代 代までは子どもということかもしれ
30
どのミニフェアをやっている店があり、人文系の文庫棚
た。自社の出荷状況を見ればわかることでこれは愚かな
30
で、少し気分が明るくなりました。
の本が売れていると発言してくれた仕入担当者の方あり
口の多い大阪市内はまだ幸せです。人の少ない地域にあ
後の人たちを見据えての棚作りは大変です。それでも人
ミニフェア﹂など書店様も売り場にアクセントをつけ
きなフェアから店内の本を一カ所に集めての﹁丸山眞男
が多く見受けられます。しかし和歌山の
いる本はホコリをかぶり、分類はばらばらといったお店
ます。そうすると書籍の管理がおろそかになり、並んで
ガーデンパーク店様は違いました。近所の人は自
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リストを加えればより一層充実したブックフェアのお助
下さいと提案されました。人文書ベストセレクションの
出した﹁別冊人文会ニュース・フェアの手引き﹂
を作って
画だと褒められました。過去のこのシリーズだけを取り
ることを祈るばかりです。
きることがよくわかります。後は 冊でも多く本が売れ
す。棚を見ていて書店の棚の善し悪しは
﹁人﹂
の一語につ
野口拓二さんを中心に品揃えや書籍の発注を行っていま
転車で、遠くの人は自動車で来るお店です。書籍部門の
﹁十五分で読む﹂シリーズはフェアのヒントになる良い企
る た め に い ろ い ろ 工 夫 し て い ま す。 人 文 会 ニ ュ ー ス の
る郊外型書店は
﹁本﹂
だけに頼っていられませんから、文
具、レンタル、カフェなどを併設しての店舗維持になり
20
﹁平凡社百周年﹂フェア・﹁法政大学出版局のウニベル
シタス
番﹂フェア・﹁書物復権﹂フェアなどの大
30
け本が出来るかと思います。
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生協は大阪大学 ︵豊中︶と和歌山大学の 店を訪問しま
した。一店 長の力 や 努 力では困 難 な 状 況 が見 られます。
代の女性、男性は
代以上の男
していますが、もうその勢いは止められないのでしょう
年々書籍の棚が減り、生協のコンビニ化的にお店が変貌
2
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代、
代から
30
50
40
人文書購入の方は年配の方が多いというのが定説です
が、少し詳しく観察したある大型書店の店員の方がアン
代から
40
ケートに答えてくれました。哲学・思想は
性、心理は
20
2 01 4 年 特 約 店グループ訪問 報 告
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か。﹁購買﹂﹁書籍﹂﹁食堂﹂が大学生協の柱だそうですが﹁書
籍﹂
の柱はもう折れそうです。人文会会員社にとって良質
時か
時 頃ま
方が良いという書店が多かった理由はなんだろう。閉店
時間が早いのか。ジュンク堂は各店、夜
ではお店が開いているので、時間の問題だけではなさそ
うか。購入する書籍が決まっていればこれほど便利なシ
な読者が多くいる大学は大きなマーケットでもあります。
て下さい。学生の数が少ないというのは、売れない理由
ステムはない。一度利用するとクセになってしまう。
うです。会社帰りに書店によるほど体力が残っていない
にはならないと思います。先生方や学生が生協書籍部に
しかも 本を執 筆 する先 生 方 もいるという良い環 境です。
行かなくなれば﹁売上げ減↓書籍棚縮小﹂の悪循環が続く
いろいろ考えたが理由などわからない。それよりも今
は、﹁書店の危機﹂﹁現場の危機﹂
といわれている書店が生
電子書籍は一時ほど勢いがないが、ネット通販書店はど
だけです。割引の特典だけでなく大学生協の棚は一般書
き残る方法を一緒に考え行動を起こす時なのだろう。
のか。飲み屋には行くからこれも決定的な理由ではない。
店と違うなという店作りを期待しているのですが⋮⋮。
書 店 が 生 き 残 る の は、 読 者 が 現 物 を 見 る こ と が 出 来
る、 触 る こ と が 出 来 る、 納 得 し て レ ジ へ 持 っ て 行 く 本
パクトにまとめられており、また地域の特色を出して古
問が頭の中に浮かびあがってきました。答えはゆっくり
思います、と書きながら
﹁版元が生き残る方法は?﹂
の質
坪のお店ですが哲学・思想はコン
代史を多くそろえるなど、地域や客層を考慮した店作り
と考えたいと思います。
地域に関係なく、売上げが平日より土曜日・日曜日の
は好感が持てました。
了させていただきます。
ざいました。貴店のご繁栄を祈念いたし、レポートを終
れたタイプです。奇をてらわずオーソドックスな店作り
をしていました。近くには奈良大学や奈良文化大学があ
を、書店員自らが選書出来る能力を身につけることかと
一般的な書店として印象に残ったのは、近鉄西大寺駅
北口の目の前にあるサンワシティビル 階の啓林堂書店
もっとこの環 境 を 生かしたやり 方はないのでしょうか。
10
ただテキストだけを売る場でなく、いろいろ工夫を試み
9
るそうです。昔は私鉄沿線の駅前のお店としてよく見ら
西大寺店です。
2
本質的な質問を思い起こさせてくれた、今回訪問の書
店の皆様に感謝しつつお礼申しあげます。ありがとうご
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年
日︵金︶
報告 三橋直也︵紀伊國屋書店︶
月 日︵水︶
∼
13
︵みすず書房︶
、新保 ︵誠信書房︶
、水谷
こ の 間、 名 古 屋 駅 周 辺 で は 紀 伊 國 屋 書 店 名 古 屋 名 鉄
店、 三 省 堂 書 店 テ ル ミ ナ 店 が、 栄 周 辺 で は あ お い 書
店、 旭 屋 書 店 の 閉 店 が あ っ た。 こ こ 最 近 は 大 き な 動 き
が 無 く 安 定 成 長 と 思 っ て い た が、 名 古 屋 駅 前 で は 大 規
年 後 に 三 省 堂 書 店 が 新 店 を 出 店 予 定、 栄 地 区 で は
模 工 事 が 何 件 も 進 ん で お り、 そ の 一 つ 旧 松 坂 屋 の 場 所
に
●訪問書店︵訪問順︶
る。今は嵐の前の静けさなのだろうか。
された。近い将来また書店地図が大きく変わることにな
高 島 屋 店、 紀 伊 國 屋 書 店 名 古 屋 空 港 店、 フ タ バ 図 書
ワンダーシティ店、ちくさ正文館書店、ウニ
名古
タ書店、紀伊國屋書店中部営業部、リブロ名古屋店、
ジュンク堂書店ロフト名古屋店、
店、リブロ松本店、
ンをしっかりキープしている模様。
三省堂書店名古屋高島屋店は高島屋の集客が毎年右肩
上がりと、このご時世では羨ましい状況。平日昼前の時
間にもかかわらずどの棚前にも人がいた。いまや三省堂
チェーンの牽引車的な存在になっている。
松本店、改造社書
特に印象に残ったのは書籍以外の商品の開発がテー
マとなっているとの話︵本との相性が良いのか精神世界棚での
10
店松本店
﹁オラクルカード﹂がどの店も好調︶
。逆に書店以外の専門店
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●感想 人文会としての名古屋訪問は
季研修旅行以来 年ぶり。
で書籍販売をするケースが多くなっている、今夏は階下
年 月の秋
︻松本︼宮脇書店松本店、信州大学生協松本店、高美書
学ブックセンター
屋栄店、名古屋大学生協南部店、紀伊國屋書店南山大
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各店の状況だが、初日はジュンク堂書店名古屋店を訪
問。駅前再開発地に隣接しているものの周辺ビジネスマ
︻名古屋︼ジュンク堂書店名古屋店、三省堂書店名古屋
面店多層階への移転の計画があるなどの新情報には驚か
名古屋栄店が現在の丸栄デパートから路
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名古屋・松本方面
●期日
田
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︵未來社︶
、森︵青土社︶
、三橋︵紀伊國屋書店︶
●参加メンバー
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2 01 4 年 特 約 店グループ訪問 報 告
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いると感じた。
カ所を
あるが、まだまだ名古屋の繁華街として力強く存在して
など同業以外との競争が大規模になってきたという情報
のロフトにて﹁夏の文庫フェアー﹂
を大きく開催する予定
は特筆しておく。
今回は大学生協 カ所、大学ブックセンター
訪問した。
1
うものである。
信州大学生協では、人文系書籍が落ち込んでいるらし
いが市内の他書店でも学生を取り込んでいないという話を
せられた。
読んでもらいたいものが厳しいとの店長の話には考えさ
名古屋大学生協南部店では、教科書が非常に苦戦で文
系学生の教科書軽視が甚だしい、更に文庫新書等学生に
2
栄地区はジュンク堂書店名古屋ロフト店と
名 古 屋 栄 店 が 専 門 書 を 引 っ 張 っ て お り、
ちくさ正文館書店、ウニタ書店は専門書販売店の最後
の砦ともいうべき存在で、いつまでも続いて欲しいと願
ワン
紀伊國屋書店名古屋空港店、フタバ図書
ダーシティ店などの郊外店も共に安定している模様。
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屋ロフト店は名古屋市内最大の品揃えを誇り、特に土日
リブロは独自路線で頑張っている。ジュンク堂書店名古
聞いており、学生は一体どこで本を買っているのだろう。
という段階だが
年後にまたしても移転となる。現在の
名古屋栄店はようやく認知されてきた
に読んでよかった本﹂フェアーは良いアイディアと感じ
南山大学ブックセンターでは、学生に向けたミニコー
ナーを幾つか同時展開。社会人 年目社員の﹁大学時代
まとめ買いの結果なのだろう。
は客単価が大きく上がるという。広域からの来客による
全てネット書店という訳ではないだろうが非常に心配
な話である。
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店舗よりも更にジュンク堂書店名古屋ロフト店に近付く
た。南山大教員の本棚もあり工夫している印象だった。
名古屋駅周辺に人が流れ栄の地盤沈下を懸念する声も
しみである。
く厳しい状況になってしまうのではないか、そこに有っ
える。このままでは街の書店が閉店に追い込まれるが如
店多層階は以前の丸善の形に戻る計画にてオープンが楽
らしく棲み分けを意識した商品構成にするらしい。路面
2
専門書の大きな市場である大学、そこに拠点を持つ生
協や書店は専門出版社としてなくてはならない存在とい
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ていかねばならないと思う。
のは極論だろうが、我々出版社としても何とか盛り立て
て当然という状況が保障されているものでもないという
売が良いのではないか。
書は難しいが心理関係は好調とのこと。商品を絞った販
庫量を誇っているが、意外にも認知度はまだまだ低いら
を行った。
のような施策を講じることが出来るのかという点で議論
坪を文教堂の経営に移管しグループそれぞれ
松本店出店後売り上げ
リブロ松本店は
が減少しているらしく店売はかなり厳しい印象。
の得意分野で勝負していく模様。
今回お忙しいなか、お時間を作って下さった書店の皆
様本当に有難うございました。
めて感じた。
いることの間にはまだまだ距離がある。製販協業してい
郊外の宮脇書店はショッピングセンターテナントだが
駐車場すぐ前の 階に位置し路面店のイメージ。店内は
低い什器の為全体が見渡せすっきりした感じ。堅い専門
難うございました。
お会いしてこそ生まれてくる商機もあり、現場へ足を
運ぶことの重要さを改めて感じた 日間でした。誠に有
く為には外商部門との定期的な意見交換の場が必要と改
松本店の影響を受け
高美書店も同様に
ているが外商で何とか凌いでいるとの店長談。
お会いしなければなかなか聞けない本音トークもあり
大変勉強になりました。
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古くからの地元書店が軒並み閉店し地方の特色が薄れ
ていくのは何とも淋しい気がする。
売場
しくメディアを利用した認知度アップなど着々と手を
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打っている。今回のリニューアルで直営だったコミック
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図書館への販売というベクトルの向いている方向は同
じだが、出版社の望んでいること、書店外商部の望んで
トとなる大学図書館に対して書店外商部門と具体的にど
今回は書店店頭の他に紀伊國屋書店中部営業部との
ミーティングの場を持った。専門出版社の販売ターゲッ
﹁山の本﹂
駅ビルの改造社書店松本店は松本ならではの
コーナーで特色を出していた。
最 終 日 は 松 本 市 内 の 書 店 を 訪 問。 人 文 会 と し て は
年 月の訪問以来 年ぶり。
3
松本店は
前回の訪問時に新規開店した
今年 月に売場を少しリニューアル、松本市内最大の在
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2 01 4 年 特 約 店グループ訪問 報 告
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徳島・香川・高知方面
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報告 西野浩文︵勁草書房︶
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キ ャ ン ペ ー ン で 注 目 を 集 め て い ま す。 か つ て 高 齢 者 が
中心だったお遍路さんも、近年は若者が増え、時代や世
相の変化とともに、暮らしや生き方に求める価値も変わ
りつつあると言えるかもしれません。そのなかで
﹁地方﹂
は、高齢化や人口減少、中心市街地の空洞化など多くの
問題を抱えながらも、新たな地域資源を発掘・活用し、
近年増えている﹁地域おこし﹂や﹁コミュニティ・ビジネ
ス﹂などの取り組みを通じ、新たな価値創造を模索して
います。今回訪問した書店でも、地域に密着しながら、
館ショップ、紀伊國屋書店丸亀店、金高堂本店、金高堂
紀伊國屋書店高松店、宮脇書店総本店、香川大学生協学
店ゆめタウン徳島店、附家書店国府店、宮脇書店本店、
た。
していくかが、大きなキーワードであるように思いまし
はの近しい距離感を生かした書店と読者の関係づくりを
身近なお客様をどのようにお店へ呼び込み、地方ならで
朝倉ブックセンター、高知大学生協朝倉イクスショップ
いが失われ、駅前の小山助学館本店、紀伊國屋書店徳島
店 は 集 客 力 が 課 題。 前 者 は 店 長 が セ レ ク ト す る 話 題 書
けの品揃え充実を図っています。他方、郊外に店舗を展
コーナーづくりで特色を出し、後者は専門書の固定客向
七年ぶりの高知を二泊三日の旅程で訪問しました。
まわって先生方へ教育書フェアの告知を行うなど、身近
開する附家書店松茂店と国府店では、地域の小中学校を
四国は今年、弘法大師・空海ゆかりの八十八箇所霊場
の 開 創 一 二 〇 〇 年 を 迎 え、 四 国 遍 路 に ま つ わ る 様 々 な
●感想 今回のグループ訪問では、昨年秋の研修旅行で訪
れた徳島と香川、そして人文会としては二〇〇八年以来
●訪問新聞社 四国新聞社
︵計一四店舗︶
﹁阿波おどり﹂では大勢
一日目に訪れたのは徳島。夏の
の観光客が訪れる徳島市も、近年は駅前や市街地の賑わ
●訪問書店 紀伊國屋書店徳島店、小山助学館本店、徳島
大学生協常三島ショップ、附家書店松茂店、紀伊國屋書
社︶
、藤井︵筑摩書房︶
、西野︵勁草書房︶
年 月 日︵水︶
∼ 月 日︵金︶
●期日
、片桐 ︵春秋社︶
、水口 ︵創元
●参加メンバー 西 ︵大月書店︶
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そうです。市街地の空洞化の反面、集客力では郊外の大
な地域の読者に向けて積極的に働きかけをはじめている
上は今年に入り少し上向きになってきたそうです。
様が訪れるなど、充実した品揃えが認知されていて、売
はよく売れる一方、専門性の高い本はなかなか動かず、
家族連れを中心に賑わいますが、低価格で軽めの読み物
ます。しかし、駅前商店街はシャッター通りで活気があ
定 さ れ、 現 在 で も 全 国 の う ち わ の 約 九 割 を 生 産 し て い
戸時代からつづく
﹁丸亀うちわ﹂
は国の伝統的工芸品に指
二日目はその後、丸亀市へ移動。﹁こんぴらさん﹂で知
ら れ る 金 刀 比 羅 宮 へ の 参 道 口 で 歴 史 あ る 港 町 で す。 江
が優位。紀伊國屋書店ゆめタウン徳島店は休日の
郊 外 店 で 専 門 書 の 売 上 を ど う 伸 ば し て い く か は、 郊 外
り ま せ ん。 こ こ で も 人 の 流 れ は 郊 外 の 大 型
型
型の生活スタイルが進む地方での今後の課題のひとつで
へ集中
す。
ます。港近くの宮脇書店総本店は県内最大規模の売場面
フェアやツイッターを利用した情報発信に力を入れてい
連携した在庫活用を行い、後者は新刊台やエンド台での
リニューアルして専門書を縮小しました。前者は外商と
る紀伊國屋書店高松店も、課題は集客力。どちらも昨年
しも好調とは言えません。老舗の宮脇書店本店も近接す
が、その勢いにもやや陰りが見え、市街地の書店は必ず
め ざ し、 地 方 都 市 の 再 生 モ デ ル と し て 注 目 さ れ ま し た
街である丸亀町商店街も再開発事業で町全体の活性化を
たな観光資源として脚光を浴びています。高松市の繁華
二日目に訪れた香川は近年、瀬戸内芸術祭やベネッセ
アートサイト直島など、アートによる地域の活性化が新
て本を選ぶ楽しさを味わえるお店づくりをめざしている
ケーションを大切にしながら、提案型の棚づくり、そし
特徴。会話や情報交換などを通じ、お客様とのコミュニ
にスタッフがとても元気で、お客様との距離が近いのが
店街でした。その一角にある金高堂本店は、店長を筆頭
町商店街は、今回訪れた都市のなかで最も人出の多い商
三日目は高知へ。﹁よさこい祭り﹂発祥の高知市。よさ
こい節にも謡われる
﹁はりまや橋﹂
から近い中心部の帯屋
競合店が少なく専門書の固定客もついているようです。
に力を入れていますが、人文書でも宗教などは好調で、
顧客はファミリー層。雑誌、コミック、実用書や児童書
二〇〇八年の開店以来ずっと売上が伸びているお店で、
し て い ま す。 ゆ め タ ウ ン 丸 亀 の 紀 伊 國 屋 書 店 丸 亀 店 は 、
積を誇る大型店で、休日に専門書をまとめ買いするお客
2 01 4 年 特 約 店グループ訪問 報 告
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ず、教員の校費購入が多いものの、限られた売場面積で
取 り 組 ん で い ま す。 学 生 は な か な か 専 門 書 を 手 に 取 ら
が、人文書も品揃えはコンパクトながら担当者が熱心に
今回の四国訪問では三つの大学生協、そして新聞社も
一 社 訪 問 し ま し た。 徳 島 大 学 生 協 は 理 工 書 が 中 心 で す
充実を図っています。
クスな棚づくりながら、売場の広さを生かして品揃えの
金高堂朝倉ブックセンターは本店に比べるとオーソドッ
新店の今後の展開にも興味が尽きません。また、郊外の
本店は来年七月、近くに建設中のビルへの移転が決定。
なお客様を呼び込む努力をつづけています。その金高堂
恵をしぼって様々な活動やイベントを行いながら、身近
に比べて空き店舗が増え、客足は減ったようですが、知
心よりお礼申し上げます。
時間を割いてくださった書店、生協、新聞社の皆様に、
せられる、意義深い三日間でした。お忙しいなか、快く
は、これからの書店のありかたや可能性について考えさ
ならではの意欲的な取り組みにもふれた今回の四国訪問
東京をはじめとする大都市への様々な一極集中が進む
なか、地方の抱える課題を実感しながらも、地域の書店
る書籍や著者を独自に紹介する活動も行っています。
が、地域面や投げ込みの週刊情報紙では、香川に関連す
香川の四国新聞社では、生活文化部の方と情報交換を
行いました。書評面は主に共同配信記事が多いそうです
道な努力もしています。
方への研究室へ新刊やフェアの案内を定期的に届ける地
生が多く活気がありました。教員の需要を見込み、先生
るなど学生向けの工夫も見られ、訪問時は休み時間で学
の棚も大きく設置。平積みに軽めな内容の書籍を展開す
どうアピールしていくか、新刊コーナーの場所などにつ
のが印象的でした。一見すると活気を感じる商店街も昔
いて意見交換を行いました。香川大学生協は規模が小さ
く、新刊の仕入れが全般に少ない印象。先生方へのご案
内もなかなか手がまわらないようですが、大学は身近に
専門分野が明確な顧客が存在するだけに、もう少し踏み
込んだ努力が必要だと感じます。高知大学生協は今回訪
れた生協のなかで最も書籍が充実し、入口近くには新刊
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人文会会員名簿
〒113-0033 文京区本郷5-32-21 みすず書房内
社 名
担当者
〒
2014年8月現在
住 所
電 話
FAX
店
西 浩孝
113-0033
文京区本郷2-11-9
3813-4651
3813-4656
御 茶 の 水 書 房
平石 修
113-0033
文京区本郷5-30-20
5684-0751
5684-0753
113-0033
文京区本郷2-15-13
お茶の水ウィングビル9F
3830-1891
3830-5337
大
月
書
柏 書 房( 休 会 中 )
紀 伊 國 屋 書 店
三橋 直也
153-8504
目黒区下目黒3-7-10
6910-0519
6420-1354
慶應義塾大学出版会
乙子 智
108-8346
港区三田2-19-30
3451-6926
3454-7029
3814-6854
房
西野 浩文
112-0005
文京区水道2-1-1
3814-6861
春
秋
社
片桐 幹夫
101-0021
千代田区外神田2-18-6
3255-9611
3253-1384
晶
文
社
川上 勝広
101-0051
千代田区神田神保町1-11
3518-4940
3518-4944
勁
草
書
房
新保 卓夫
112-0012
文京区大塚3-20-6
3946-5666
3945-8880
青
土
社
森 卓巳
101-0051
千代田区猿楽町2-1-1
浅田ビル1F
3294-7829
3294-8035
創
元
社
水口 大介
162-0825
新宿区神楽坂4-3
煉瓦塔ビル
3269-1051
5229-7139
誠
信
書
房
小島 秀人
111-8755
台東区蔵前2-5-3
5687-2680
5687-2685
東京大学出版会
橋元 博樹
153-0041
目黒区駒場4-5-29
6407-1069
6407-1991
日 本 評 論 社
江波戸 茂
170-8474
豊島区南大塚3-12-4
3987-8621
3987-8590
白
筑
摩
書
水
社
岩野 忠昭
101-0052
千代田区神田小川町3-24
3291-7811
3291-8448
凡
社
清田 康晃
101-0051
千代田区神田神保町3-29
3230-6572
3230-6587
法政大学出版局
朝倉 哲哉
102-0073
千代田区九段北3-2-3
法政大学九段校舎1F
5214-5540
5214-5542
み す ず 書 房
田﨑 洋幸
113-0033
文京区本郷5-32-21
3814-0131
3818-6435
ミネルヴァ書房
三上 無久
101-0052
千代田区神田小川町2-4-17
大宮第一ビル6F
3296-1615
3296-1620
未
社
水谷 幹夫
112-0002
文京区小石川3-7-2
3814-5521
3814-8600
吉 川 弘 文 館
片山 伸治
113-0033
文京区本郷7-2-8
3813-9151
3812-3544
來
代表幹事
田﨑洋幸
会計幹事
平石 修
書記幹事
2014.5より青土社新規入会
2014.5より柏書房休会
新保卓夫
《◎委員長(幹事)
○副委員長》
販売・企画委員会
◎片桐幹夫 ○朝倉哲哉・三橋直也・三上無久・江波戸茂・水口大介・森 卓巳
調査・研修委員会
◎橋元博樹 ○片山伸治・西野浩文・小島秀人・清田康晃
広報委員会
◎水谷幹夫 ○乙子 智・岩野忠昭・西 浩孝・川上勝広
人文会ホームページ http://www.jinbunkai.com
(新刊情報/各社へのリンクはこちらからどうぞ)
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ISBN 978-4-915268-28-1
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3,200 点(119 社)収載。
ISBN 978-4-915268-29-8
◆ 社会図書総目録 2014−2015 年版
2,910 点(138 社)収載。
ISBN 978-4-915268-30-4
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● 人文会
〒 113-0033 東京都文京区本郷 5-32-21(みすず書房内)
http://www.jinbunkai.com/
● 人文図書目録刊行会
〒 162-8710 東京都新宿区東五軒町 6-24(トーハンビル内)
TEL 03-3266-9521(事務局)
紀伊國屋書店_人文会ニュース118号.pdf 1 2014/05/12 15:25:27
2014 年 8 月 10 日発行 年 3 回発行 第 118 号
発行所 人文会 みすず書房内
〒113‒0033 東京都文京区本郷 5‒32‒21
編集協力 アジール・プロダクション
印刷 中央精版印刷株式会社
〈非売品〉