音楽と世界史~音楽の分岐点~ 第1章 はじめに 第2章 研究の展開

音楽と世界史~音楽の分岐点~
文化・芸術系ゼミ
1 年 7 組 13 番 熊田 嵩大
第1章
はじめに
第1節
テーマ設定の理由
世界では 20 世紀後半のコンピューターシステムの発達によって、長らく人間が手作
業でやってきたことを機械が肩代わりするようになった。そのためか今まで人によって
育まれてきた音楽がコンピュータープログラムによって奏でられるようになった。つま
り、VOCALOID の登場である。このように音楽は人々の生活、歴史とともに変わっていく
ものであり、20 世紀末期から 21 世紀にかけて大きな転機を迎えたのである。
今回、現在と同じように音楽が大きな転機を迎えた中世、近代のヨーロッパの歴史、
音楽の動向を調べた。人々と音楽がどのような関わりを持ってきたかを考えるためにこ
のテーマを設定した。
第2節
研究の内容と方法
ヨーロッパの作曲家に歴史上の出来事が与えた影響を、歴史年表や音楽史を参考にし
ながら、当時の人々がどのような音楽を好み、また、どのような背景があったのかを
調べた。
第2章
研究の展開
第 1 節 近代ヨーロッパの歴史
現代のコンピュータの開発やそれを使ったソフトの開発など、音楽に影響を与えたも
のはたくさんある。それと同じようなことが 18~19 世紀の間に起こったのである。その
時のヨーロッパはどのような状況だったのだろうか。
1、 欧州の初期的成り立ち
このころのヨーロッパは 18 世紀の中ごろまで王や貴族の時代だった。多くの国で
絶対王政を行っている時期である。ヨーロッパの国のほとんどは王国で、民衆たち
は重税に苦しむ日々を送り、不満がたまりつつある、そんな時代だった。
・18 世紀のヨーロッパの国々
・グレートブリテン王国=イギリス…1707 年にイングランド王国とスコットラン
ド王国が合体して出来た国。17 世紀に民衆による革命(=イギリス革命)を経験
済みで、ヨーロッパで数少ない立憲君主制の国である。そのため民衆の力が強く、
一番初めに社会の変革を起こしていく国である。音楽が王の中に留まらず、民衆
の間に広く普及していった。
・フランス王国…1589 年にブルボン朝が興る。17 世紀、
‘太陽王’ルイ 14 世の時
代に最盛期を迎えた絶対王政の典型的な国。しかし 18 世紀になると王の権威も落
ちていった。このころのフランスで敷かれていた不平等な身分制度(=アンシャ
ンレジーム)に民衆が不満をもち、革命が起こっていく。このことが歴史に大き
な影響を与え、これをきっかけに新しい音楽も現れていった。
・神聖ローマ帝国(=ドイツ)…962 年に成立した古い帝国だが、1648 年の欧州全
土にわたった三十年戦争の講和条約(=ウェストファリア条約)で帝国内部の領邦
(いわゆる県単位の地域)が独立してしまい、帝国内はばらばらになってしまう。
ほぼ有名無実化した帝国だが、皇帝はおり、そのもとで音楽などは保護されていた。
しかし 1806 年に滅亡し、
かわってプロイセン王国がドイツの中で力を持っていく。
(図1-1)18 世紀~19 世紀初期のドイツ *図 2 も参照を
プロイセン王国
神聖ローマ帝国
(約 300 の領邦
+プロイセン
オーストリア
+オーストリア)
(図1-2)19 世紀後半のドイツ
ドイツ帝国
(プロイセン+各領邦)
オーストリア(ドイツの統一から除外)
・プロイセン王国・オーストリア(=ドイツ)…この 2 国が主として神聖ローマ帝国、
つまりドイツを形成、オーストリア王が皇帝を兼ねていた。しかし神聖ロ-マ帝国
滅亡後、プロイセンがドイツで力をもつようになっていった。19 世紀後半、プロイ
センはオーストリアなどの干渉に勝利し、オーストリアの勢力を除いた形でプロイ
センを中心としたドイツ帝国を打ち立てることになる。2 国とも、他のヨーロッパ諸
国から比べると弱小で、市民からではなく王自身から国を変えて行こうとする新し
い考えの王もこれらの国から現れていった。このような状況のドイツでは古き良き
オペラなどの音楽の伝統が無く、民族的要素を取り入れた新しい試みの入ったオペ
ラが生まれるようになったのだ。
2、 ヨーロッパの歴史の流れ
このころのヨーロッパ諸国の流れをまとめると、次のようになる。<表1>
1618~1648
三十年戦争:プロテスタントとカトリックの対立に始まるヨーロッ
パにおける大規模な戦争。神聖ローマ帝国(ドイツ)は衰退。勝利し
たフランスは繁栄を迎える。
1660 年頃~
フランス絶対王政の時代。王たちの力が最も強まる。
宮廷音楽家などが多く生まれ、王の下で音楽が育まれていく。
17 世紀中期
イギリスで産業革命。これに伴い市民が社会で力を持っていき、自
由な社会を求める動きが広まる。
フランスでの絶対王政が衰退する。絶対王政下における市民の不満
がたまっていく。
1789
フランス革命:上流階級の貴族たちからの圧迫に市民の不満が頂点
に達し、フランス絶対王政の象徴でもあった政治犯を収容しておく
パリのバスティーユ牢獄を民衆が襲撃する。これが原因でフランス
王国は滅亡し、市民の手によってフランス共和国が立てられた。こ
の市民による革命は当時の他の国の王や市民、さらにはベートーベ
ンなどの音楽家にまで大きな影響を与えた。しかし革命政府で恐怖
政治が行われたり、その中でクーデタが起こったことで、フランス
国内は混乱状態に陥る。
1789~1815
国民主義(=ナショナリズム)の広まり:国民主義とは自民族の
文化や形態を中心に捉え、民族でまとまり団結しようとする思想や
運動などのこと。このころのフランスは革命のために混乱しており、
フランス国民は平和を望んでいた。そんな中、自由と平等を唱えて
国民の人気をつかんだのがナポレオンである。
ナポレオンはフランス国内で政治の頂点に上り詰め、ついに皇帝
までなると、王に支配されていたほかの国に攻め込んだ。
王の支配に不満を持っていた他国民ははじめはナポレオンを歓迎
したが、
「自分たちは○○人なのにフランス人であるナポレオンに支
配されていいのだろうか」という考えを持ち始めた。これが国民主
義の始まりである。
(図2)
1815~
国民主義の普及を恐れた各王国は、君主を集めてウィーン会議を
開始した。これによって国民主義は抑えられ、王の力の強い革命前
のヨーロッパが理想とされた。
(図2)
当時のヨーロッパは
王国、帝国ばかり・・・
そんな中に 1 つ共和国がで
きたものだからほかの国々
デ
ン
マ
ー
ク
・
ノ
ル
ウ
ェ
ー
王
国
は革命の普及を恐れて 必
死でフランスを潰そうとす
る。
イギリス
ロシア帝国
プロイセン王国
神聖ローマ帝国
ポーランド王国
フランス
オーストリア
共和国
ポ
ル
ト
ガ
ル
王
国
スペイン王国
サ
ル
デ
ー
ニ
ャ
王
国
そこへナポレオンが現れ軍事
ナポリ王国
オスマン帝国
シチリア王国
力で各国を征服、特権階級から
の自由などの思想をばらまく。
そんな中支配された国ではフラン
スによる支配から独立しようという
動きが高まった。
第 2 節 自由主義、国民主義と音楽
さて、ここから本格的に音楽の話題に入ろう。この時代音楽に最も大きな影響を
えたのは自由主義、国民主義である。自由主義とは人間は個人として自由であり政
府からも自由、つまり民主主義の考えである。この考えがもととなり、フランス革
命が勃発した。
1、 音楽の変化
18 世紀までは音楽は貴族や王のものであり、音楽家は宮廷音楽家として生計を
立てる者が多かった。しかし 18 世紀になるとイギリスでの産業革命の結果、資
本家などの民衆たちに音楽が広まっていき音楽の大衆化が進んだ。民衆のための
演奏会が催されるようになったり楽譜の出版が増加したりと、民衆が音楽に親し
む機会も増えていった。
また、18 世紀は国際的な時代であった。例えばドイツ人の王がイギリス、スウ
ェーデン、ポーランドの王になるなどした。そのために各国の王の音楽家が様々
な国へ行き、多くの国の音楽が他国と交流することになった。このように音楽の
国際化が進んだことから、音楽は国の違いに縛られず多くの国の人が理解できる
ものが理想となっていった。
しかし国際的なものがよいと論じられる一方、民族的な音楽の価値を重視する
傾向もあった。この民族的な音楽はフランス革命後、音楽に大きな影響を与える
のである。
2、 自由主義と音楽
自由主義やその頃の時代の影響を大きく受け
た音楽家はルードビィヒ・ヴァン・ベートーベン
(1770~1827)である。彼は 1770 年に神聖ロー
マ帝国のボンで生まれた。ベートーベンは民衆の
不満が爆発し 1789 年のフランス革命
(表1参照)
神聖ローマ帝国
ボン
としてあらわれた変動期のヨーロッパで活躍し
た人である。民衆の力で起こされたこの革命はベ フランス
ートーベンにかなり大きな影響を与えた。フラン
スの民衆が持つ新しいエネルギーや社会の力は
(現在のドイツ付近)
ベートーベンの音楽にも現れ、今までの作曲家が作らなかったような曲を彼はた
くさん作っている。例えばベートーベンの作った「交響曲第 3 番」はそれが顕著
な曲である。この曲は「英雄(エロイカ)」という題名も持っているのだが、こ
れはベートーベンがナポレオンをたたえる曲としてこれを作ったためである。ベ
ートーベンは、自由と平等を掲げてフランス国内をまとめていったナポレオンに
対し、彼を、新しい時代を作っていく英雄だと感じ、この曲に「英雄」という題
名をつけたのだ。
この激動の時代に作られたこの曲は今までにない革命的な作品であった。英雄の
偉大さの理想的な姿を音楽で表現しているために前例がないほど長大で複雑で、
聴衆も理解できないほどだったという。この曲をはじめ、フランス革命の偉大な
理念を賛美したオペラを作曲するなど、ベートーベンによって時代の影響を強く
受けた音楽が生まれ、広まっていったのだ。
3、 国民主義と音楽
1、 イタリアの国民主義と音楽
18 世紀から 19 世紀にかけて、自民族の文化や形態を中心に捉え、民族で
まとまり団結しようとする思想や運動である国民主義がヨーロッパに広まっ
ていった。特に 19 世紀に入るとそれらの運動が本格化し、民族で国を統一し
ようとする動きが盛んになった。このころ分裂していたイタリアやドイツで
は統一運動が起き、民族の統一が実現されていったのである。
昔から芸術の発祥地であったイタリアはいくつもの国に分かれており、フ
ランス革命後の 19 世紀前半から統一運動が起こり始めた。イタリアの統一運
動は王も民衆も一体となって行われ、民間の秘密結社の蜂起やイタリア人国
家サルデーニャ王国による運動などが起こった。サルデーニャ王国は他国の
干渉戦争に勝利し、他勢力からの領地の献上なども受け、徐々に統一に近づ
いていった。このような運動の末、サルデーニャ王国国王ヴィットーリオ=
エマヌエーレ2世の手によってイタリア統一が成されたのであった。
フ
ラ
ン
ス
オーストリア
サ
ル
デ
ー
ニ
ャ
王
国
オスマン帝国
フ
ラ
ン
ス
オーストリア
オスマン帝国
教皇領
イタリア王国(サルデ
ーニャ王国から改名)
両シチリア王国
(1815 年のイタリア)
(1870 年のイタリア)
・イタリア統一の流れ
1800 年代前半 民間の組織(カルボナリ)による反乱、革命運動
1848~ イタリア人国家サルデーニャ王国による統一運動
オーストリアとの戦争でサルデーニャ王国は領土を獲得、中部イタリア
が住民投票によりサルデーニャ王国に併合
1860
統一運動を行う民間組織によって両シチリア王国征服
→イタリア統一を第一に考え征服した両シチリア王国をサルデーニャ王
国に献上。
1861
イタリア王国成立(国王:ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世)
1870
教皇領(ローマ法王の領地)を併合し、オーストリア領となっている地
域を除きほぼ統一完成。
このようにイタリア統一は官民一体となって行われたものであった。そのため
イタリア国民は皆統一運動に力を注ぎ、民族心を燃やしていた。そんな中イタ
リアで活躍したのが音楽家ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901)である。
ヴェルディは作品の中でもオペラに力を入れていた。なぜならイタリアはル
ネサンスが始まって以来芸術活動が盛んで、民衆から長い間愛されてきた、生
き生きとしたオペラの伝統を持っていたからである。イタリアのオペラなどに
大きな影響を与えたのは民族主義であり、ヴェルディはその考えをもとにイタ
リアのオペラを発展させていった。彼は、それぞれの民族は自ら生まれ持った
音楽を開拓しなければならない、という理念のもとに多くのオペラを作ってい
ったのである。
このため彼のオペラはこのころのイタリアの統一運動を大いに盛り上げた。
民族心に訴えかけるような彼のオペラは民衆の人気を得て、彼自身が民族主義
の象徴と呼ばれるまでになった。当時の民族主義者への呼びかけの言葉「イタ
リア王ヴィットーリオ=エマヌエーレ万歳」の代わりに「ヴェルディ万歳」が
使われるようになったほどであるから、当時のヴェルディの人気ぶりがうかが
える。
2、その他の国の音楽と民族主義
イタリアの他にも、民族主義によって音楽が変わっていった例はたくさんあ
る。当時オーストリアに支配されていたチェコでは、作曲家スメタナがチェコ
の民族心を刺激する新しい音楽を多く生み出し、祖国愛を鼓舞した。またドイ
ツではヴァーグナーがゲルマン神話に基づいた楽劇を発表し、ドイツ人の民族
意識を高めた。
このように民族主義が音楽に与えた影響は大きく、その音楽が逆に民族主義を盛り
立てて、広まっていったことがわかる。
第3章 終わりに
ここまで様々な国の歴史と音楽の関係を調べてきたが、ここで触れられたのはほんの
一部分である。
現代まで評価される 18~19 世紀の音楽を見てきても、ここに至るまで様々
な歴史的きっかけがあったはずだ。フランス革命という一つの出来事が大きく音楽を変
えていってしまうほど、音楽は人の生活やその変化を反映しやすいものだ。これから音
楽に触れていくうえで、それらの背後には多くの人たちが作ってきた歴史と人の営みが
あるのだ、という思いを持って、音楽に触れていきたいと思う。
<参考文献>
グラウト 西洋音楽史=下 D・J・グラウト著
ニューステージ 世界史詳覧 浜島書店
Wikipedia 神聖ローマ帝国/ベートーベン
http://www.sekaichizu.jp/sitemap/index.html 世界地図