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れ、事実上の凱旋公演となった。前日には朝長市長を表敬訪問し、「自分が思っていた以上に地元の
方々が喜んでくれて、とても嬉しく、期待に応えられる様に頑張りたい。」と、意気込みを語った。
また地元 TV のインタビューで、「佐世保に戻ってきたらどんな気持ちになりますか?」との問いに、
早霧さんは「懐かしいなという思いもあれば、佐世保もどんどん変わっていくなという気持ちがあり
ます。でも、帰ってくるとやっぱり元気をもらって、がんばるぞという気持ちになります。」と語っ
ている。全国ツアー初主演で地元公演というのは珍しく、終演の挨拶では「生まれも育ちも佐世保の
私が、ここ佐世保で公演することができて、こがん嬉かことはなかよー!佐世保好いとるよー!」と、
佐世保弁を披露し会場を沸かせた。ちなみに翌日の千秋楽長崎公演では、終演後5分間拍手が止まず、
時折客席からアンコールを意味する「もってこーい、もってこい!」の声もあがり、感動的なラスト
を飾った。
宝塚歌劇団は、兵庫県宝塚市に拠点を置く歌劇団であ
る。1913 年(※大正 2 年)、箕面有馬電気軌道(現在の阪
急電鉄)の創業者小林一三が、当時東京の三越百貨店が結成した『三
越少年音楽隊』をヒントに、少女だけの音楽隊『宝塚唱歌隊』を結成
した。その後『宝塚少女歌劇養成会』と改称、後の宝塚音楽学校の前
身となる。
み
の
お
第1回公演は、翌年、同社の鉄道の終点で温泉地である宝塚におい
て、『宝塚新温泉』内の室内プールを改装した『パラダイス劇場』で
上演された。演目は昔話の桃太郎をモティーフにした歌劇『ドンブラ
コ』と喜歌劇などであった[写真右上]。
家族そろって楽しめる内容で、少女だけの歌劇という物珍しさも
手伝い人気が高まっていった。1924 年には団員は 200 名超を数え、
座席数 4 千席を誇る宝塚大劇場が新設された[写真右中]。
1927 年、日本最初のレビュー作品『モン・パリ』を上演[写真右下]。
歌やダンスが融合した壮大な物語の本格歌劇で、舞台装置や衣装の
費用もそれまでの歌劇団の予算1年分にのぼった。この時初めてラ
インダンスも披露され、歌劇団の象徴の大階段が登場した。翌年に
はその東京公演も行われ主題歌は全国に広まった。その後『パリゼット』、『ローズ・パリ』、『花詩集』
と次々とレビュー作品が誕生し、1934 年には東京宝塚
劇場が開場。1938 年にはヨーロッパ、翌年にはアメリ
カでの海外公演が実現した。
第 2 次世界大戦が勃発すると、『大日本国防婦人会
宝塚少女歌劇分会』が結成され、戦時協力体制に組み
込まれた。『宝塚少女歌劇団』は『宝塚歌劇団』に改
称され、『唱歌奉仕隊』が結成されて、日本各地や満州、そして最前線の戦地に赴き兵士たちを激励した。
やがて、宝塚・東京の両劇場の閉鎖決定となる。公演打ち切りの日、未明からファンが詰めかけ、周辺は
長蛇の列、劇場内は超満員で、警官がサーベルを抜いて整理した。劇場は軍に接収され、生徒たちは勤労
動員に励み、また『唱歌奉仕隊』は『移動隊』に変わって慰問公演を行った。
終戦とともに米軍が宝塚大劇場を接収した。生徒たちは、連合国軍最高司令部(GHQ)へ早期の接収解
除の陳情を行い占領軍への慰問公演にも赴いた。1946 年に接収は解除され、『カルメン』と『春のをどり』
から公演が再開、翌年『モン・パリ』も再演された。この頃の作品は、戦後の暗雲に一筋の陽が差し込む
ような華やかで明るいものが多かった。
1950 年代に入ると、中国の英雄“項羽と劉邦”を扱った『虞美人』や恋物語『ジャワの踊り子』など、
そののち幾度も再演される名作が誕生。創立 40 周年の 1954 年には、東宝とイタリア・リッツ社との合作
映画『蝶々夫人』において、八千草薫、寿美花代の他 15 名の生徒が撮影参加のため訪伊し、撮影後にロ
ーマのエリセオ劇場で日本物のショーを開催した。
東京宝塚劇場も 1955 年に米軍から返還され、1958 年には昭和天皇、皇后両陛下らが公演をご覧になら
れた。
1960・61 年には公演作品が芸術祭賞を連続受賞。1967 年初演の
『オクラホマ!』は、劇団史上初の海外ミュージカル作品で、アメ
リカからもスタッフを招いた。その後も『ウエストサイド物語』、
『回転木馬』と、ブロードウェイ・ミュージカル上演を行い新境地を
開く。
しかし、70 年代になると、TV の台頭や娯楽の多様化で歌劇団は
苦境に立たされる。
そんな中、当時社会現象となった池田理代子原作の漫画『ベルサ
イユのばら』を舞台化した月組公演『ベルサイユのばら』が 1974
年に上演された。上演発表の際、原作ファンから「イメージを壊す」
との反対投書が殺到したが、上演は大成功。終演後の楽屋口には、
連日大勢の人たちが集まり、生徒にサインを求めた。1976 年まで
に、花組、雪組、星組も上演し爆発的な大ヒットとなり、東京、
地方公演を合わせておよそ 140 万人の観客動員を記録。宝塚音楽
学校の受験者数も急増し倍率 20 倍となる。この一大ブームによ
り、“タカラヅカ=ベルサイユのばら”のイメージが定着した。
また、1977・78 年には、マーガレット・ミッチェル原作で映画
化された『風と共に去りぬ』が全組で上演され、『ベルサイユの
ばら』を上回る観客動員数に達した。
公演情報
現在、劇団は主に宝塚大劇場と東京
宝塚劇場で通年公演を行っており、
大阪では梅田芸術劇場、シアター・
ドラマシティ、東京では日本青年館、
赤坂 ACT シアターなどで、年に数回
特別公演を催している。また地方公
演も年に1回、中日劇場(名古屋市)
と博多座(福岡市)で行うほか、各
地の劇場・ホールで公演する全国ツ
アーを年3回開催している。
1989 年、フランス革命 200 周年記念で再演された『ベルサイ
ユのばら』は再びブームを巻き起こした。そして、1993 年には大劇場が改築されて客席、舞台装置も一新
じゅうた ん
され、通路には赤絨毯が敷かれて、格式高い劇場空間に生まれ変わる[写真]。1994(平成6)年には、宝
塚音楽学校の受験倍率は 48.25 倍と過去最高を記録。1998 年には宙組が創設されて5組体制となり、2001
年には新・東京宝塚劇場が開場した。
そして今年、劇団は 100 周年を迎えた。4月に記念式典が開催され、その前後には卒業生、現役生が出
演する祭典も行われ、先人達が培われて来た 100 年という歴史を盛大に祝った。
(記事ほか:山北敬之)
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------○主な参考文献:「宝塚歌劇 80年史」(宝塚歌劇団)、「宝塚歌劇検定公式基礎ガイド」、「宝塚パーソナルブック 2010 vol.3
早霧せいな」「歌劇」、「宝塚 GRAPH」など(阪急コミュニケーションズ)
し
ゃ
か
木寺十郎さんの「花まつり お釈迦さま
もの画たり展」[レポート] と 釈迦の生涯
木寺十郎さんプロフィール
同「もの画たり展」は木寺さんが毎
年開催してきたイラストなどの展
示会。2014 年は傘寿記念個展として
4 月 3 日~8 日に開催されました
1934 年4 月8 日生まれ。
玉屋百貨店で企画宣伝
部長を長く務めた。佐
世保美術振興会などの
役職や佐世保市民展な
どの審査員を歴任する
一方、郷土史家としても
活躍。ダルマ収集家で
もある。市教育委員会
会場(島瀬美術センター1
階)
文化功労賞受賞(2002 年)。2013
年の心臓バイパス手術を乗り越
え、佐世保楽画喜連合会(会長)などの活動を再開した。 電話:(佐世保)24-8512
■ 木寺さんに聞きました…
●花まつりとは?
「仏教では 4 月 8 日に、その開祖である釈迦の誕生を祝う儀式を『花祭り』などと呼んで祝福