ライフサイエンス分野における インピーダンス測定の基礎

ライフサイエンス分野における
インピーダンス測定の基礎
Application Note
世界的にライフサイエンス分野は急速な発展を遂げつつあり、その成果は複雑な生命現
象の解明から、医療、創薬への応用、さらには食糧、環境問題の解決など、広範な分野で
の貢献が期待されています。
それに伴い、計測、分析技術においても新規手法の開発や既存技術の改良が進められて
いますが、
より高感度、高スループット、小型化、低価格化がなど求められており、電気的
測定はその実現手段の一つと考えられています。
電気的測定には
− 非侵襲かつラベルフリーで定量的な分析/測定が可能
− 高感度で再現性の高い測定が可能
− 長時間にわたる変化のリアルタイムモニタリングが可能
− 安価かつシステム構成も簡単。短時間で分析/測定可能
などの多くの利点があります。
電気インピーダンス測定は生体、細胞、
タンパク質などが本来持つ、物質としての電気的
性質を計測するもので、誘電率、導電率などの電気的パラメータから物質の様々な性質
を解析することができます。
このアプリケーション・ノートでは、キーサイトのインピーダンス測定器をライフサイエン
スの分野へ応用する際の測定原理、測定システムと校正手法、測定・解析手順について具
体例を示して説明します。
「ライフサイエンス分野におけるインピーダンス測定の基礎」
目 次
生体物質とインピーダンス ..................................................................................... 3
測定システム ......................................................................................................... 4
インピーダンス測定器 ........................................................................................ 4
測定用セル ........................................................................................................ 5
測定用システムの構成 ........................................................................................ 7
実際の測定の手順 .............................................................................................. 8
セルの校正 ........................................................................................................ 9
電極分極 ......................................................................................................... 12
測定例 1:イースト菌の誘電緩和 ......................................................................... 13
測定例 2:赤血球の測定 ...................................................................................... 16
まとめ ................................................................................................................. 23
参考文献 ............................................................................................................. 23
Appendix-1 誘電体の理論 .................................................................................. 24
Appendix-2 測定システムの校正 ........................................................................ 31
2
生体物質とインピーダンス
物質の電気的性質は誘電率と導電率という2つのパラメータで表されます。導電率は電
気の流れやすさ、誘電率は電気の溜めやすさに対応します。
細胞、生体組織、血液などの生体物質であっても、細胞膜やイオン、
タンパク質など、それ
らを構成する物質のもつ電気的性質や構造を反映した誘電率と導電率を示し、逆に、誘
電率・導電率を測定することで、構成物質の性質や荷電状態などを知ることができます。
さらに測定周波数を変えた時の分散特性を解析することにより、それぞれの構成要素を
分離して観測することが可能となります。
導電性と誘電性は電気回路ではコンダクタンスGとキャパシタンスCに対応し、
インピー
ダンス測定器を使えばこれらを正確に測定することができます。
例として、細胞を含む懸濁液に交流電界を掛けてインピーダンスを測定し、キャパシタン
スとコンダクタンスを測定すると、図のような特性を示すことが知られています。低周波
では細胞膜の絶縁性によって細胞内を電流が流れず、低い導電性(コンダクタンス)
を示
します。この時、細胞内のイオンは電界によって移動して細胞膜の界面に滞留し、大きな
誘電性(キャパシタンス)
を示します。周波数が高くなるとイオンは電界の変化の速さに
追随できず、全キャパシタンスは小さくなりますが、細胞膜のキャパシタンスによる交流
インピーダンスも低下するため、電流は細胞内を貫通して流れ、細胞内外の導電率を平
均した大きな導電率を示します。
これらの電気特性とその分散性は、細胞を構成する物質の誘電率・導電率、膜や細胞の形
状・サイズ、体積分率などによって変化するため、
これを利用して血液や細胞の構成の解
析やその状態変化の観察などに応用することが可能となります。
誘電率や誘電緩和現象などの理論についてはAppendix-1に簡単に説明しています。以
下では実際の測定方法や測定・解析の例を紹介します。
低周波
高周波
A
V
G
C
3
測定システム
インピーダンス測定器
誘電率を測定するには、
まず試料のインピーダンスを測定し、測定結果をセルのサイズや
形状をもとに誘電率に変換します。
インピーダンスの測定にはインピーダンス・アナライザ、
LCRメータ、ネットワーク・アナライ
ザなどを使用します。これらの測定器は、印加する正弦波の周波数を変えながら電圧と電
流を測定することにより、広い周波数にわたってインピーダンスを測定することができま
す。測定器の種類はその用途、
周波数範囲に合わせて適切なものを選ぶ必要があります。
ネットワーク・アナライザやRFインピーダンス・アナライザはMHz-GHz帯での測定に適し
ています。低周波での測定にはLCRメータやLFインピーダンス・アナライザを用います。
キーサイトでは図のようにそれぞれの用途に応じた幅広い製品群を提供しています。
生体組織などの測定においては、細胞膜での界面分極や分子の配向分極が誘電特性
を特徴付けており、数 kHzから100MHz 程度の広い範囲において高確度に測定できる
4294A(後継機種E4990A)が適しています。生体内での水分子や低分子量のタンパク
質、糖質、およびそれらが相互作用により構造化した状態を解析する場合は、マイクロ波
領域での測定となり、
E4991Bやネットワーク・アナライザが有効です。
以下この文書では主に4294Aを用いた測定について述べます。
測定システム
PNAシリーズ ネットワーク・アナライザ
ENAシリーズ ネットワーク・アナライザ
PNA
ENA
インピーダンス・アナライザ
4294A 40Hz ~ 110 MHz
E4990A 20 Hz ~ 120MHz
インピーダンス・アナライザ
E4991B 1 MHz ~ 3 GHz
E4991B
E4980A LCRメータ
20 Hz ~ 2 MHz
4294A/E4990A
4285A
E4980A
DC
0
10
1
10
2
10
3
10
4
10
5
10
4
6
10
4285A LCRメータ
75 kHz ~ 30 MHz
7
10
8
10
9
10
10
10
11
10
12
10
周波数[Hz]
測定システム
測定用セル
インピーダンス・アナライザやネットワーク・アナライザを使って試料のインピーダンスを
測定するためには、試料と測定器を接続するためのフィクスチャが必要となります。電子
部品の場合は電極構造を持ち形状がある程度一般化されているために、それらに合わせ
たフィクスチャが多数用意されています。
一方、生体物質のように、電極を持たず、血液や培養細胞のように液体と混濁した状態の
試料に対しては、電極構造と試料を保持するための測定セル(サンプルホルダ)
が必要と
なります。最適なセル構造は、測定の目的や測定対象の物理的・化学的性質、誘電率の大
きさ、
さらには利用できるサンプルの量によっても様々であるため、生体物質に適したな
測定セルは一般には市販されておらず、多くの場合、測定対象に合わせて自作する必要
があります。
一例として比較的容易に自作できるセルの作成方法を以下に説明します。
測定用セル
インピーダンス測定用Fixture
測定器
測定用セル
5
測定システム
測定用セル
試作するセルは作成が容易な平行平板型とします。
試料を保持する材質は、絶縁性が高く、誘電率とその周波数依存性の小さいものが適し
ています。ここでは入手性が良く、加工が容易でかつ透明なアクリルを用いますが、
ポリ
カーボネートやPTFEなども使用可能です。
電極は電気的特性、耐腐食性に加えて、化学的安定性、無毒性、生体適合性などの点から
白金やステンレスが用いられます。ここでは厚さ0.1mmの白金板を使用します。
セルのサイズは測定精度や使用できるサンプルの体積によって決定します。一般に電極
面積が大きい方が電極間の電界が一様に近くなり、電極外縁部でのフリンジ容量の効果
が軽減されます。実際に測定されるキャパシタンスは、誘電率に(電極面積)/(電極間距
離)で決まるセル定数を乗じたものになりますので、測定対象の誘電率が低い場合はセル
定数を大きく設計する必要があります。生体物質は比較的誘電率が大きいものが多い代
わりに、測定に利用できるサンプルの量が限られている場合があり、小さいサイズのセル
が適していると言えます。これらのことを考慮して図のような数値に決定しました。
加工は厚さ5mmのアクリル板をセルのサイズに切り出し、資料室と注入口の穴をあけ、
これに白金板を接着剤で張り付けます。白金板には後述する電極分極の影響を軽減する
ために、白金黒メッキを施しておきます。
測定用セル
アクリル樹脂
注入口
試料質
白金電極
材質:アクリル樹脂
(W)
×15mm
(H)
×5mm
(D)
サイズ:30mm
溶液部:5mmΦ
注入口:3.5mmΦ
電極:白金(表面に白金黒メッキ)
(t)
サイズ:8mmΦ × 0.1mm
試料室容積:約100uL
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6
測定システム
測定用システムの構成
インピーダンスの測定にはセル以外に次のものを用意します。
− インピーダンス・アナライザ(4294A)
− ターミナル・アダプタ
(42942A)
− スプリング・クリップ・フィクスチャ
(16092A)
測定システムの構成
4294A
42942A
インピーダンス・アナライザ
40Hz ∼ 110MHz
ターミナル・アダプタ
自作セル
7
16092A
スプリング・クリップ・
フィクスチャ
測定システム
実際の測定の手順
実際の測定の手順は概略以下のようになります。
1) 測定器の準備、接続、校正
4294Aと42942Aを接続し、校正を実行します。システムを初めて使用する時のみ必
要となります。
2) 測定条件の設定
周波数、印加電圧、掃引方法、測定点数などを設定します。
3) フィクスチャの校正
16092Aの端子で校正を行うことで、
フィクスチャに起因する誤差を補正します。
4) 空気、水の誘電率の測定
測定したインピーダンスから誘電率に変換する際の校正係数を取得します。
5) 試料の測定
実際のサンプルを測定します。
6) 測定データの解析
測定したインピーダンスと校正係数から誘電率を求めます。必要に応じてデータを
処理し、緩和パラメータ、
Cole-Coleプロット等を計算します。
測定器の使用方法や校正方法および一般的なインピーダンス測定の基礎については製
品マニュアルやアプリケーション・ノートを参照してください。インピーダンス測定システ
ムの校正手順については Appendix-2に簡単にまとめてありますのでこちらもご参照く
ださい。
ここでは主に生体物質の誘電率測定に関するもののみを説明します。
実際の測定の手順
測定の流れ
測定器の設定
測定周波数
測定器の準備、接続
( [Start], [Stop])
( [Sweep] ⇒ <Number of Points> )
Sweep Type ( [Sweep] ⇒ <TYPE> Linear or Log)
OSC Level ( [Source] ⇒ <LEVEL> )
Bandwidth, Average( [Bw/Avg] )
測定点数
↓
測定条件の設定
等の測定条件を設定します
↓
詳細は4294Aのマニュアルをご覧ください
アダプタ校正 フィクスチャの補正
ここでは以下のような設定にします。
必要に応じて変更してください。
↓
測定周波数:40Hz-110MHz、
Sweep Type:Log
空気、水の誘電率の測定 セルの校正
Number of Points:201、
↓
OSC Level:500mV
Bandwidth:3(数字が小さい方が測定が速く、大きい方がS/
Nが良く値のばらつきが小さくなります。測定
時間が許せば5をお勧めします。通常3∼5の
範囲で選んでください)
サンプルの測定
↓
測定データの解析
8
測定システム
セルの校正
Appendix 2の手順により、測定セルを使って生体物質のインピーダンスを測定する準備
ができます。
しかし、測定されるインピーダンスは誘電率・導電率といった物質の電気的性
質とセルの物理的形状の両方を反映したものとなっています。同じ物質でもセルの寸法
が違っているとインピーダンスの値が違ってくるので、異なる環境や条件で測定した結果
を比較するのには不便です。そこで、
インピーダンスから誘電率・導電率へ変換するため
の校正が必要となります。この校正手順について述べます。
アドミッタンスをY=G+jωC(
CP:キャパシタンス)と表した場合、比誘
P G:コンダクタンス、
電率ε'、導電率κはそれぞれCPとGに比例します。
ε'とCの比例定数をセル定数といい、C0
で表すと、
CP=ε'ε・
0 S/d=ε'C0
G=κ
・S/d=κC0/ε0
と表せます。C0は電極面積Sと電極間距離dから計算することもできますが、正確に測定
することは困難です。また、電極の周囲の浮遊容量Crを考慮すると、CPは
CP=ε'C0+Cr
のようになりますが、
この値も直接知ることはできません。
このC0とCrを校正によって決定します。校正にはあらかじめ誘電率のわかった2種類の標
準試料を用い、一般には空気(ε'=1)
と水(ε'≒78)を用います。
まず、空のセルをフィクスチャにセットし、キャパシタンスとコンダクタンスを測定します。
次に蒸留水をセルに満たします。この際、気泡が入らないように十分注意してください。
セルの校正にはキャパシタンスCPの測定値を用い、図の手順で校正係数を求めます。
セルの校正
インピーダンス:電気的性質と物理形状の両方で決まる
=>電極やセルの形状によらないパラメータに変換する
キャパシタンスと誘電率の関係
CP
C0 =
Cr
S
+ Cr
d
= ' C0 + C r
= '
0
S
d
0
: セル定数
: 浮遊容量
空気 ( ' =1 ) と水 ( ' = 78.3@25℃) のキャパシタンスの
測定値からセル定数 C0 と寄生容量 Cr を求める
サンプルのキャパシタンス C P とコンダクタンス G を
比誘電率 ' と導電率 に変換するには以下の式を用います。
' = (C P Cr ) / C0
= 0 G / C0
9
測定システム
セルの校正
試作したセルで空気と水、それに食塩水の濃度を0.1-0.9%に変えたものを実際に測定し
た結果を示します。
空気は比誘電率が1でほぼ絶縁体ですので、
CP、Gともに非常に小さい値となっています。
水は誘電率約78と大きいのでCPはそれに応じて大きくなります。純粋な水はほぼ絶縁体
と考えられますが、空気中の炭酸ガスや電極表面の不純物の溶け込みによりわずかに導
電性を示します。数kHz以下の低周波でCPが増加しているのは、
この導電性イオンが電
極表面に引き寄せられ電気二重層を形成する、いわゆる電極分極の効果によるもので、
測定対象の電気的性質とは言えず、その後の解析からは除外しておく必要があります。
空気、水ともに高周波側でGが増加していますが、
これはセル形状による残留インダクタ
ンスの影響と考えられます。
ε'、
κが小さい物質ではこれが問題となりますが、生体物質な
ど導電性イオンを多く含むサンプルでは導電率が大きいため、相対的に影響は小さいと
いえます。
これらの測定値からセル定数C0と浮遊容量Crを計算します。
使用したセルではC0=3.4x10-14F、Cr=0.45pF程度となっています。
本来、C0、Crは周波数によらずほぼ一定値となりますが、低周波では電極分極のために正
しい値が得られていません。また、
セル材料のアクリルの周波数特性がわずかに見えてい
ます。比較的安定に測定できている100kHzから10MHzあたりの値を用いるのが良いと
考えられます。
測定例(セルの校正)
AIR
H2O
セル定数C0、浮遊容量Cr
空気と水の測定結果からセル定数C0と
浮遊容量Crを求める
C0 ≈ 3.4x10-14 F
Cr ≈ 0.45 pF
(@1MHz)
浮遊容量
セル定数
10
測定システム
セルの校正
測定系と校正方法の確認をするために、食塩水の濃度を0.1∼0.9%に変えたものをこの
セルで測定した結果を示します。先に求めたセル定数で誘電率と導電率に変換してあり
ます。
食塩水は誘電率はほぼ水と同じですが、
イオンが導電性を示すので水と比べて導電率は
非常に大きくなり、低濃度では濃度にほぼ比例します。
導電性が大きいため電極分極の影響により、1MHz以下で誘電率が正しく測れていませ
んが、それ以上の周波数では濃度によらず水の誘電率とほぼ同じ値を示しています。
また導電率と食塩水の濃度の関係をプロットすると、文献値と非常に良く一致しているこ
とがわかり、
このことから測定システムや校正方法が妥当なものであると言えます。
測定例(食塩水)
比誘電率
Relative Permittivity, ε'
導電率
Conductivity, κ
食塩水
食塩水
水
水
食塩水(濃度0.1∼0.9%)の測定例
Conductivity .vs Concentration (NaCI) @25℃
実測値
文献値
11
測定システム
電極分極
ここで、電極分極について触れておきます。
導電性イオンを含む物質を電極ではさんで電圧を掛けると、
イオンが電界によって移動
して電極に引き寄せられ、電極表面を覆います。この時形成されるイオンの層を電気二
重層と言い、層の厚みはイオン約1個分の非常に薄いものとなっています。電気二重層で
は電荷が蓄積されるのでキャパシタンスとして働き、層が薄いためその静電容量は非常
に大きなものとなります。電気二重層により電極が遮蔽されるため、液体部分では電界
の影響を受けません。これは、液体部分の電気的性質が観測できなくなることを意味しま
す。周波数が高くなるとイオンの移動が追い付かなくなるため、周波数とともに電気二重
層キャパシタンスは低下していきます。電気二重層によるキャパシタンスは電極の材質、
表面の状態、溶液の性質などにより大きく異なることが知られていますが、その詳細につ
いてはよくわかっていません。
この原理は電気二重層コンデンサとして電気の分野で利用されているものと同じもので
すが、導電性をもった物質の誘電率測定には不都合であるため、その影響はできるだけ
小さくする必要があります。ひとつの方法は白金黒のメッキによって電極の表面積を増や
すことで、
これにより、測定可能な周波数をより低い方まで下げることができます。
電極の種類による測定結果の違いを見るために、0.1% NaCl溶液をステンレス、白金、
白金上に白金黒メッキした電極でそれぞれ測った結果を図に示します。比較のために、
Keysight 16452A液体フィクスチャの結果も合わせて示してあります。白金黒メッキした
電極では電気二重層の影響が小さく抑えられていることがわかります。
電極分極
電気二重層
電極の違いによる電気二重層の測定値への影響
(0.1% NaCl 溶液)
12
測定例1:イースト菌の誘電緩和
イースト菌の誘電緩和
最初の例としてイースト
(酵母)菌の誘電率の測定について説明します。イースト菌は入
手、培養、廃棄が容易で、細胞構造を反映した測定結果が簡単に得られるため、今回のア
プリケーションでは手軽な実施例と言えるでしょう。
パンやアルコールの発酵に利用されるイースト菌は直径5-10umの微生物であり、細胞
内に直径1um程度の大きさの核を持ち、細胞内外は細胞膜および細胞壁で隔てられて
います。
このイースト菌を温水中で発酵させた細胞懸濁液のインピーダンスを測定した例を示し
ます。試作セルにイースト懸濁液を満たし、Cp-Gを測定した結果を先ほどのセル定数を
用いて誘電率と導電率に変換してあります。
誘電率ε'で10kHz以下の領域は電極分極にマスクされてイーストの誘電率が測定でき
ていません。約10k-500kHzの領域では300くらいの誘電率を示しますが、
これはイース
トの細胞膜での界面分極によるものです。それ以上の周波数では、周波数とともに誘電
率が減少していく、誘電緩和現象が観測されています。10MHz以上で細胞膜による界面
分極はほぼ消失し、誘電率は媒質である水の誘電率に近くなっていきます。
一方、導電率κは<100kHzで導電性イオンが細胞間を通るため、媒質のもつ導電率より
も低い値を示し、それ以上では誘電率の緩和に伴って上昇していきます。
イースト菌懸濁液の測定
電極分極
媒質の導電率
イーストの誘電率
(界面分極)
イーストの
誘電緩和
13
媒質(主に水)
の誘電率
測定例1:イースト菌の誘電緩和
データの解析例
上記のようにCp-Gあるいはε-κ
(またはε'-ε")
の測定結果は測定対象のさまざまな性質
を反映した複雑な形をしており、通常は、測定の目的や対象によって種々の解析が必要と
なります。代表的なものは緩和パラメータの解析で、以下、その手順を説明します。
測定結果のうち、電極分極と媒質の導電率は興味の対象外なので、一旦これらを除去し
ます。
電極分極の補正についてはいくつかの方法が提案されていますが、
ここでは電気二重層
の誘電率が周波数のべき乗に比例するとして、測定結果より差し引くという方法をとりま
す。低周波で誘電率の周波数依存性が対数でほぼ直線になっている部分について最小二
乗法で近似すると、
ε'=5.81x108xf-1.48となり、
これを誘電率から差し引いてサンプル
の誘電率を求めます。
直流導電率κlの決定方法については、
ここでは電極分極や誘電緩和の影響が比較的小
さい75kHzの値をκlとしてこれを差し引いています。誘電損失ε(
" 複素比誘電率の虚数
部)
を単純にε"=κ/ωε0から求めると、直流導電率による損失が大きく寄与してきますが、
κlを差し引いてからε"を求めることで、緩和周波数にピークをもつ、特徴的な周波数特性
をみることができます。
データの解析例
14
測定例1:イースト菌の誘電緩和
緩和パラメータ
以上の操作により、イースト細胞の誘電特性を抽出することができ、誘電率はひとつの
誘電緩和を示していることがわかります。これをCole-Cole型緩和とみなして、緩和パラ
メータを非線形カーブフィッティングにより求めてみると、表のようになり、約1MHzの緩
和周波数を持つことがわかります。
緩和強度はイーストの体積分率にほぼ比例するので、誘電率を連続的にモニタすること
でビールやウィスキーの発酵に応用した例などがあります。
緩和パラメータの決定
1MHz
75kHz
110MHz
15
Δε(緩和強度)
235.8
εh
76.7
τ (緩和時間 )
161 nsec
f0 (緩和周波数)
989 kHz
β
0.89
測定例 2:赤血球の測定
血液は生命維持に欠かせない機能を担っているとともに、全身の状態を反映した情報を
含んでいるため、多様な検査・分析手法が研究・臨床において利用されています。誘電率
測定もその一つとして現在研究が進められています。
ここでは、血液に含まれる赤血球の誘電測定と解析例を示します。
測定に使用したのはウマの血液で、
これに抗凝固処理をした後、遠心分離で赤血球のみ
を抽出します。これにリン酸緩衝生理食塩水(PBS)を加え、遠心分離を繰り返して洗浄し
たものを赤血球サンプルとします。このサンプルの濃度や浸透圧などの条件を変えて誘
電率を測定し、緩和パラメータを求めて解析を進めていきます。
赤血球の測定
血液を抗凝固剤処理
↓
赤血球を遠心分離
↓
リン酸緩衝生理食塩水で洗浄
↓
濃度
浸透圧
溶血
↓
サンプルの測定
↓
インピーダンス
(Cp, G)
↓
複素誘電率・導電率
ε*, κ
↓
緩和パラメータ
(緩和強度、緩和周波数)
↓
サイズ、体積分率、細胞内成分、etc
16
測定例 2:赤血球の測定
濃度による誘電率の変化
最初に、赤血球サンプルを希釈して誘電率を測定します。希釈率は1:1、3/4、1/2、1/4と
しました。また、媒質のみの誘電率と導電率も測定しておきます。イーストの場合と同様
に、測定したCp-Gからセル定数を使って誘電率と導電率に変換します。濃度に応じて緩
和強度が変化すること、緩和周波数は濃度によらず変化しないことなどがわかります。低
周波での導電率は血球濃度が大きいほど小さくなっていますが、
これは電気伝導に寄与
するイオンの移動が、絶縁体である赤血球により阻害されるためです。導電率κから低周
波導電率を差し引いてから誘電損失ε"を求めると、緩和周波数にピークをもち、血球濃
度に応じてそのピークの高さが変化しています。
k [S/m]
赤血球濃度による誘電率の変化
17
測定例 2:赤血球の測定
緩和パラメータ
グラフのε' は電極分極を含んでいますが、前述の方法でその影響を取り除き、カーブ
フィッティングによりCole-Cole緩和のパラメータを求めます。測定により求めたものと、
カーブフィッティングで近似したものをCole-Coleプロット上にプロットしたものを示しま
す。複素誘電率をCole-Cole緩和で近似した時のパラメータを表にまとめました。
緩和パラメータ
Cole-Cole Plot
18
濃度
(希釈率)
1/4
Δε
583.17
εh
72.72
67.52
63.23
58.39
τ[ns]
38.2
39.4
39.6
39.9
1/2
3/4
1
媒質
1051.00 1460.33 1787.24
f0[MHz]
4.16
4.04
4.02
3.99
β
0.983
0.962
0.961
0.956
εL
655.9
1118.5
1523.6
1845.6
εh
72.72
67.52
63.23
58.39
κL[S/m]
1.210
0.912
0.622
0.393
κh[S/m]
1.381
1.198
1.005
0.857
74.402
1.533
測定例 2:赤血球の測定
赤血球モデルと相パラメータ
赤血球サスペンションを、薄い膜で内外相を隔てられた系でモデル化し、その系の誘電率
を理論的に計算する方法が提案されています。詳細は文献に譲りますが、
その理論を使う
ことで誘電分散の測定結果から膜内外の電気的性質を知ることができます。
赤血球は中央がくぼんだ円盤状で、内部に核をもたず、外側は細胞膜で覆われています。
細胞膜と内水相、外水相の二つの界面をもち、形状が扁平であるため、厳密な計算は複
雑ですが、膜の厚さが細胞半径に対して充分薄く、
かつ膜の導電率が低い、
さらに細胞内
外の相で誘電率と導電率が近い場合には球形モデルで近似することで比較的簡単に計
算ができます。
先の測定値から計算した相パラメータを表にまとめました。
Φはサンプル中の血球の体
積分率、
εi、
κiはそれぞれ血球内部の誘電率と導電率です。CMは膜の静電容量で、
ウマ赤
血球の直径は5umとして求めました。体積分率と希釈率の関係をグラフに表しています。
ε'lは低周波での誘電率で、血球濃度とのおよその比例関係がありますが、少しずれてい
ます。これは濃度が濃くなると分極した血球間で相互作用が働くためです。理論式はこれ
を考慮したものになっており、赤血球の濃度と誘電率から計算した体積分率Φが比例して
いることがわかります。
このように、誘電分散測定の結果から、成分の組成や構成要素の電気的特性を求めるこ
とができます。
血球の界面分極モデルと相パラメータ
体積分率
膜電気容量
内水相誘電率
内水相導電率
19
濃度
(希釈率)
1/4
1/2
3/4
1
Φ
0.146
0.293
0.452
0.596
CM [uF/cm]
0.645
0.604
0.572
0.560
εi
63.377
52.562
51.178
48.893
κi [S/m]
0.568
0.515
0.475
0.486
測定例 2:赤血球の測定
浸透圧による誘電率の変化
赤血球の細胞膜は半透膜であり、媒質の浸透圧を変えると低張液では膨張し、高張液で
は収縮します。この浸透圧による血球の形態変化を誘電率によりモニタしてみます。
PBS(浸透圧モル濃度0.3Osm)と、これを2/3に薄めた低張液(0.2Osm)、マンニトール
を0.3M加えた高張液(0.6Osm)の3種類の媒質を用意し、
これに遠心分離で得られた赤
血球を加えます。それぞれをセルに入れてCp-Gを測定し、
さきと同様の手順で複素誘電
率、導電率を求め、
さらに緩和パラメータを計算します。相パラメータの計算のために、別
途媒質のみの誘電率と導電率も測定しておきます。血球濃度が同じでないため緩和強度
が違っていますが、緩和周波数は低張液と等張液であまり差がないのに対し、高張液では
低い周波数に移動していることがわかります。
浸透圧による誘電率の変化
懸濁液
k [S/m]
媒質
媒質
懸濁液
低張液
膨張
高張液
収縮
20
測定例 2:赤血球の測定
浸透圧による誘電率の変化
比較のために10kHzと100MHzで複素誘電率をノーマライズすると、緩和周波数の変
化がよくわかります。フィッティングにより緩和パラメータを求めると、高張液では緩和パ
ラメータだけでなく、緩和周波数の広がりを示すβも小さくなっていることが読み取れま
す。さらに、相パラメータを計算すると、浸透圧に対して細胞内部の誘電率と導電率が変
化しています。これは細胞内の水分の変化によって、細胞内小器官の相対的な濃度が変
化し、
これがイオン電導性に影響しているためと考えられます。
なお、
この測定では血球濃度などの条件が同じでなく、実際の形状とは違う球形モデルを
使っているため、厳密な議論のためにはそれらを考慮する必要があります。
浸透圧による誘電率の変化
0.2Osm
0.3Osm
0.6Osm
Δε
1138.4
1568.5
1217.7
浸透圧
21
低張液
等張液
高張液
εh
68.3
61.7
60.4
τ[ns]
42.8
43.2
61.6
f0[MHz]
3.72
3.68
2.58
β
0.958
0.953
0.907
Φ
0.284
0.465
0.320
CM [uF/cm]
0.670
0.599
0.641
εi
48.640
48.131
34.360
κi [S/m]
0.612
0.472
0.451
測定例 2:赤血球の測定
溶血させた赤血球の誘電率
媒質の浸透圧をさらに下げると、血球内に水が浸入することにより膜が破れ、ヘモグロビ
ンなどの細胞内物質が媒質中に漏出し、溶血をおこします。溶血して細胞内外の浸透圧
が等しくなると、細胞膜は自己修復してもとの形戻ります。一方、界面活性剤などを加え
ると、
これが細胞膜の脂質二重層と結合して細胞膜が破壊されます。これらの様子をイン
ピーダンス測定により観察します。
PBSを1/4に希釈した低張液に赤血球を入れ、攪拌して溶血させた後、遠心分離で溶血し
た赤血球を取り出し、誘電率を測定します。溶血したサンプルは透明ですが、誘電率は溶
血前の赤血球と同じような緩和を示し、細胞膜のバリアが機能していて元の形状を保って
いることがわかります。相パラメータを計算してみると、溶血前とは違って内水相と媒質
で誘電率・導電率がほぼ等しくなっています。
次に、別のサンプルに1%界面活性剤(Triton-X)
を加え、その前後で誘電率と導電率を
測定すると、界面活性剤を加えることで誘電緩和がなくなり、導電率は界面活性剤を加え
る前のκhに近い値となります。これは細胞膜が消失したことにより界面分極がなくなり、
導電率が膜内外の平均値に近づくことを示しています。
以上のように、誘電率・導電率の測定結果とそこから求めた緩和パラメータ・相パラメータ
を知ることで、測定対象の体積分率や構成物質の構造、機能などをある程度知ることが
できることがわかります。これらをモデル計算や他の分析手法と組み合わせたり相関を
見る、あるいは特定のパラメータに着目してその時間的変化をリアルタイムに測定する
ことで、電気的測定が有効に活用できると考えられています。
溶血させた赤血球の誘電率
Φ
0.462
CM [uF/cm]
0.523
εi
69.684
εa
77.284
κi [S/m]
0.349
κa [S/m]
0.446
↑
内水相
↑
媒質
細胞膜は残る
κ
低張液
界面活性剤
ε
膜が消失
22
まとめ
このアプリケーション・ノートでは、
インピーダンス測定をライフサイエンス分野に応用す
る際の、測定原理、測定システムと校正手法、実際の測定手順、測定例と解析例について
ご紹介しました。インピーダンスやそこから導出される誘電緩和パラメータを解析するこ
とにより、細胞の電気的特性や形状、
さらには生体としての機能の解析に応用することが
可能となります。また、誘電緩和スペクトルを解析するだけでなく、時系列でモニタするこ
とによりダイナミックな変化を捉えることに応用することも考えられます。
これまでも電気的測定を生体物質や細胞・組織に適用した研究が幅広く行われ、一部で実
用化されつつあります。ここではイースト菌と赤血球を測定例として挙げましたが、他に
も、培養細胞、生体組織、DNA、
タンパク質分子、微生物、食品、土壌、その他多数の応用
例を見ることができます。今後ますますこの分野で電気的測定の重要性が増し、様々な測
定方法や検討、実用化されると予想されますが、
インピーダンス測定や誘電解析がその
一つとして重要な役割を果たすと考えられます。キーサイトでは電気計測分野で幅広い
製品群とインピーダンス測定技術の蓄積を持っており、
これらがライフサイエンスの分野
でも活用していただけるようソリューションを提供してまいります。
謝辞
このアプリケーション・ノートの作成にあたり、国立大学法人 京都大学化学研究所 准教授
浅見耕司先生に多大なるご指導、
ご協力をいただきました。
ここに感謝の意を表します。
参考文献
花井哲也『不均質構造と誘電率』朝倉書店 (2000)
Asami, K., "Characterization of heterogeneous systems by dielectric
spectroscopy" Prog. Polym. Sci. 27, 1617-1659, 2002
Schwan, H. P., "Electrical properties of tissues and cell suspensions:
Mechanisms and models," Proc. 16th Ann. Int. Conf. IEEE Eng. Med. Biol. Soc.,
Baltimore, MD, Nov. 1994, pp. A70–A71.
Asami, K., Gheorghiu, E., Yonezawa, T., "Real-time monitoring of yeast cell
division by dielectric spectroscopy" Biophysical J. 76, 3345-3348 (1999)
Hayashi, Y., Katsumoto, Y., Oshige, I., Omori, S., Yasuda, A., and Asami, K.,
"Dielectric inspection of erythrocytes" J. Non-crystaline solids 356, 757-762
(2010)
Wolf, M., Gulich, R., Lunkenheimer, P. and Loidl, A., "Broadband dielectric
spectroscopy on human blood", Biochim. Biophys. Acta. 1810, 727 (2011)
WEB Resources
バイオ/製薬/食品/環境アプリケーションにおける電気インピーダンス測定
関連Webページ:
www.keysight.co.jp/find/EIS
キーサイト・テクノロジー 電気インピーダンス測定製品関連情報:
www.keysight.co.jp/find/impedance
www.keysight.co.jp/find/LCRmeters
関連カタログ
インピーダンス・アナライザ セレクションガイド
http://literature.cdn.keysight.com/litweb/pdf/5952-1430JA.pdf
エンジニアのためのインピーダンス測定の8つのヒント
http://literature.cdn.keysight.com/litweb/pdf/00-2395.pdf
インピーダンス測定ハンドブック
http://literature.cdn.keysight.com/litweb/pdf/5950-3000JA.pdf
誘電体測定の基礎
http://literature.cdn.keysight.com/litweb/pdf/5989-2589JAJP.pdf
ライフサイエンス/化学分析分野における電気的測定の可能性
http://literature.cdn.keysight.com/litweb/pdf/5990-8808JAJP
23
Appendix-1 誘電体の理論
静的誘電率
外部電界が印加した時に電荷を蓄積する性質をもつ物質を誘電体といいます。物質は電
気的に中性ですが、外部から電界を印加すると、正負の電荷が変位を受け、表面に電荷が
現れます。この現象は誘電分極と呼ばれ、分極の大きさは電界の大きさと物質の性質に
よって決まります。
平行平板コンデンサに電圧を掛けると両方の極板に電荷が現れます。電圧Vと電荷量Q
の間にはQ=C0Vの比例関係があり、比例定数C0が静電容量です。
ε0
極板間に物質が無い場合、C0=ε・
Sは極板の面積、dは極板間の距離、
0 S/dとなります。
は真空の誘電率で8.854x10-12[F/m]の値を持ちます。
次に、極板間に電気的に中性な物質を挿入すると、物質表面に誘電分極により生じた電荷
Pが誘起されます。このPは先の充電電荷Qと打ち消しあい電界を弱めるので、それを補
うために極板にはQ+Pの電荷が蓄積されることになります。
この時、電圧と電荷の関係はQ+P=CVで、物質がある時の静電容量CはC0よりも大きくな
ります。この比 C/C0をその物質の比誘電率といい、
ε'で表します。
ε'=C/C0=(Q+P)/Q=1+P/Q
物質を挿入した時の静電容量Cは次のようになります。
C=ε'C0=ε'ε0S/d
さらに、挿入した物質が導電性を持つ場合、電圧Vに比例した電流Iが流れます。VとIの関
係はオームの法則により、
V=RI または I=GV
ここで、Rは電気抵抗、G=1/Rをコンダクタンスと呼びます。
コンダクタンスGは極板面積Sに比例し、極板間距離dに反比例するので、
G=κS/d = κC0/ε0
と表すことができ、比例定数κを導電率といいます。
このように物質の電気的特性は一般に誘電率と導電率によって表すことができ、電気回
路的にはキャパシタとコンダクタンスの並列回路で表現することができます。
24
Appendix-1
複素誘電率
平行平板に掛ける電圧が周波数 f で正弦波状に変化する場合、すなわち、V=V0cos(ωt)
の場合を考えます。ここで、
ω=2πf は角周波数です。
交流を扱う場合、複素表示を使うと式が簡便になります。j を虚数単位 ( j 2=-1) として、
電圧を次のように複素数V*で表します。
V*=V0 ejωt=V0 (cosωt+jsinωt)
変位電流(充電するために流れる電流)IC*は
IC*=dQ/dt=d(CV*)/dt=jωCV*
となります。全電流はこの変位電流IC*と導電電流IG*の和となり、
I* = IC* +IG*= GV*+jωCV* = (G+jωC)V*
となります。ここで複素コンダクタンスG*を
G*=G+jωC
と定義すると、
I*=G*V*
となって、直流の場合と同じ形で表すことができます。
さらに電荷Q*と電圧V*の関係
Q*=∫I*dt=∫(G+jωC)V*dt = (C+G/jω)V*
から、複素キャパシタンスC*
C* = C-jG/ω = G*/jω
のように定義すると、
Q*=C*V*
となり、静電場での電圧と電荷量の関係と同じように表すことができます。
誘電率、導電率についても、複素比誘電率ε*、複素導電率κ*を定義することができ、
ε*= ε'- jε" = C*/C0 = (C - jG/ω)/C0
κ*= κ+jκ" = G*ε0/C0 = (G+jωC) ε0/C0
となります。複素誘電率の実部は分極による電荷の蓄積を、虚部は誘電損失を表します。
ε*とκ*は
κ* = jωε0ε*
の関係があり、解析対象の特徴の表現しやすさで使い分けますが、通常、
ε'-ε"やε'-κの
組み合わせで表します。
複素誘電率
複素導電率
複素コンダクタンス
複素キャパシタンス
25
Appendix-1
電気回路との対応
交流電場での電圧と電流の関係を
I*=G*V*
として表示しました。一方、電気回路ではオームの法則を交流に拡張して、
V=RI (直流) ⇒ V*=Z*I* (交流)
という表現方法が一般的に用いられます。ここで比例係数Zがインピーダンスで、実部を
抵抗分R、虚部をリアクタンス分Xで表します。複素数であることを暗黙の了解として*を
省略します。
インピーダンス、
リアクタンスの単位は抵抗と同じく[Ω] (オーム)です。インピーダンスを
大きさ|Z|と位相角θをもったベクトル量で表す場合もあります。
Z=|Z|ejθ=R+jX
θは電流と電圧の間の位相差を表しますが、
これは回路に流れる電力の一部が消費され、
残りが回路内に蓄積されることを示しています。
また、
インピーダンスZの逆数をアドミッタンスYで表し、
I=V/Z=YV
と表示されることもあります。これらの関係から、
アドミタンスは複素コンダクタンスと同
じものであることがわかります。
アドミタンスの実部をコンダクタンスG、虚部をサセプタンスBで表します。
Y=1/Z=G+jB
アドミタンス、
コンダクタンス、
サセプタンスの単位は[S] (ジーメンス)です。
インピーダンスとアドミタンスは逆数の関係なのでどちらを用いても良いのですが、回路
が抵抗とリアクタンスの直列接続で表される場合はインピーダンスを、並列接続で表さ
れる場合はアドミタンスを使う方が簡単になります。アドミタンスは複素コンダクタンス
に対応しますので誘電解析ではこちらを用います。
アドミタンスYがコンダクタンスGとキャパシタンスCPの並列回路で表される場合、
Y=G+jB=G+jωCP
となり、Yが複素コンダクタンスを、
アドミタンスをjωで割った
Y/jω=Cp+G/jω=Cp-jG/ω
が複素キャパシタンスに対応します。複素キャパシタンスC*と複素誘電率ε*の関係は先
に述べたとおりです。
インピーダンス
抵抗
リアクタンス
アドミタンス
コンダクタンス
サセプタンス
複素コンダクタンス
複素キャパシタンス
複素誘電率
26
Appendix-1
分極の種類
物質が誘電性を示す元となる分極には以下のようなものがあります。
1)電子分極
原子は正の電荷を持った原子核と、その周りを取り囲む負の電荷を持った電子から構成
され、外部からの電界により原子核と電子雲が逆方向に変位することにより分極が生じま
す。これを電子分極といいます。
2)イオン分極
正負のイオンが結合している物質の場合、電界によって正負のイオンが逆方向に変位す
ることで分極が生じます。これをイオン分極と呼びます。イオン分極と電子分極を合わせ
て変位分極ということもあります。
3)配向分極
水(H2O)分子やある種のタンパク質のような有極性分子では、分子内の電荷分布が一様
でないため双極子モーメントを持っています。電界を印加しない場合はそれぞれの分子
が不規則な方向を向いているため、双極子モーメントの総和はゼロとなり分極を持ちま
せんが、電界を印加すると各分子が電界からトルクを受けて回転し、分子の方向が電界方
向に揃うため、全体として大きな分極を示します。これを配向分極と呼びます。
4)界面分極
エマルジョンや細胞懸濁液のように、2種以上の物質からなる不均質な系では、電界によ
り移動した電荷が界面に滞留し、それによって分極が発生します。これを界面分極といい
ます。
生体組織では有極性タンパク質やリン酸、水などの分子による配向分極と、細胞膜内外
の電解質イオンの移動による界面分極が顕著に表れ、
これらの分極による誘電率を測定
し解析することで、生体物質の構成や機能の解明につなげることができると考えられて
います。
分極
1)電子分極
外部電界E
2)イオン分極
E
無電界
3)配向分極
4)界面分極
E
27
E
Appendix-1
誘電分散
分極には電荷の移動や双極子の回転を伴うため、電界に対する誘電体の応答は時間遅れ
を伴います。そのため、誘電率は交流電界の周波数に依存し、分散性を示します。
交流電界の周波数を上げていくと、界面分極や配向分極は電界の変化に追い付けなくな
るため、分極が消失し誘電率が低下します。その周波数は可聴周波数からマイクロ波の
領域に相当します。
さらに周波数を上げていき、
イオンや電子の共鳴周波数を超えると、
イオン分極や電子分
極が消失します。共鳴周波数ではエネルギーの吸収が起こり、
イオン分極では赤外線吸
収、電子分極では紫外線吸収として観測されます。
生体物質の誘電率測定では、
細胞や組織で生じる界面分極と、
水分、
タンパク質やDNAな
どの分子の挙動による配向分極を対象とすることが一般的であり、
これらはマイクロ波以
下の周波数で観測できるため、電気的測定が適しているといえます。
誘電分散
28
Appendix-1
誘電緩和現象
界面分極や配向分極では電界が印加された時に分子が回転したり電荷が移動しますが、
その際周囲の物質からの束縛による粘性や抵抗を受けて、分極に時間遅れが生じます。
電界の変化が遅い(低周波)場合は分極の遅れはほとんどありませんが、電界の変化があ
る周波数f0を超えると、分子の回転や電荷の移動が追いつけずに分極が減少し、誘電率が
低下し、一方で交流の導電率が増加します。また、f0付近ではエネルギーの吸収が起こり、
誘電損失ε"がピークを持ちます。このような形の分散を緩和型分散または誘電緩和と呼
びます。
誘電緩和はε'、
ε"、
κを周波数に対してプロットすることで表すことができ、f0の他にεl, εh,
κl, κhのパラメータで特徴づけられます。
εl、
κlはそれぞれ誘電率と導電率の低周波での
極限値、
εh、
κhは高周波での極限値、
また、f0は緩和周波数で、
ε'が (εh+εl)/2 となる周波
数です。
Δε=εh-εlを緩和強度といいます。
これらのパラメータを緩和パラメータと呼ぶこ
とにします。
誘電緩和を表現する別の方法として、複素誘電率ε*の実数部ε'を横軸に、虚数部ε"を縦
軸にとって周波数に対する変化をプロットすることもできます。これをCole-Coleプロット
と呼びます。一般に緩和型分散は半円または円弧になります。
誘電緩和
29
Appendix-1
誘電関数
誘電緩和をモデル化する関数(誘電関数)
として代表的なものにDebyeの分散式があり
ます。これは、誘電率と周波数の関係を
ε*=εh+Δε/(1+jωτ)
という式で表すものです。ここで、
ωは角周波数、
τは緩和時間で、
ω=2πf 、
τ=1/2πf 0で
す。デバイの分散式で表される誘電緩和をデバイ型緩和といいます。
デバイの分散式を実数部と虚数部に分けると、
ε'=εh+Δε/(1+ω2τ2)
ε"=Δεωτ/(1+ω2τ2)
となり、f=0でε'=εl、f=∞でε'=εh、f=f0でε'=(εl+εh)/2、
ε"=Δε/2となることがわかります。
Debye型の分散ではCole-Coleプロット上で半円になりますが、実際の誘電緩和の測定
結果は上下につぶれた円弧上になることが多くあります。これは物質の緩和周波数があ
る分布をもって広がっているためと考えらえれます。このような誘電緩和をモデル化する
場合、次の式のようなCole-Cole型緩和で表すことができます。
ε*=εh+Δε/[1+(jωτ)β]
βは緩和周波数の広がりを表すパラメータで0から1の値を取り、
β=1の時 Debye型緩和
となります。またβが小さくなるに従って緩和が広がり、Cole-Coleプロット上では円弧が
つぶれた形になります。
媒質が培養液や生理食塩水などの場合は、直流においてもイオンによる導電性を示しま
すのでこれもモデルに含める必要があります。直流導電率κlはκl/ωε0の形で複素誘電率
の虚部に含められます。
複数の成分による緩和を含む場合はさらに複雑になりますが、個々のパラメータから求
めた誘電関数の和として全体の周波数特性をモデル化することができます。
誘電緩和のモデル式
Debye型緩和
Cole-Cole型緩和
角周波数
複数の緩和と直流導電率を含むモデル式
緩和時間
直流導電率
30
Appendix-2 測定システムの校正
校正手順
42942Aアダプタの接続と校正
1)4294A本体に42942Aターミナルアダプタを接続します
2)アダプタタイプを指定します
[Cal] ⇒ <ADAPTER> ⇒ <7mm 42942A>
3)4294Aと42942Aの組み合わせを初めてお使いになる時は、
アダプタセットアップを以下の手順で行います
(右図)、位相校正を実施します
3-1)7mm 端子にOEPN 標準を接続し
[Cal] ⇒ <ADAPTER> ⇒ <SETUP> ⇒ <PHASE COMP>
自動的に測定が始まり、
終了するとBEEP音が鳴ると
同時に、
ソフトキーの表示がPHASE COMP [DONE]に変わります。
3-2)同じ接続のまま <OPEN> キーを押してOpen校正を実行します。
3-3)同様にSHORT標準を接続し、<SHORT>キーを押してSHORT校正を実行します。
3-4)同様に50Ω標準を接続し、<LOAD>キーを押してLOAD校正を実行します。
3-5)<done> キーを押すことで42942Aの校正が完了し、校正データが本体に保存されます。
次回以降、同じ組合わせで使用する場合、
アダプタセットアップは必要ありません。
42942Aの校正の確認
校正が正しくできたかどうかは、以下のいずれか
(必要に応じて複数)の方法で確認できます。
1)50Ω標準を接続したままの状態で
[Meas] ⇒ <R-X> を押して R-X 表示にし、
R: 50± 0.1Ω、X: 0 ± 0.1Ω
程度の範囲に入っていることを確認します。
2)同様に、SHORT標準を接続し、
R: 0± 0.1Ω、X: 0 ± 0.1Ω
程度の範囲に入っていることを確認します。
3)同様に、OPEN標準を接続し、[Meas] ⇒
<more 1/3> ⇒ <G-B>を押して G-B 表示にし、
G: 0± 100uS、X: 0 ± 500uS
程度の範囲に入っていることを確認します。
31
Appendix-2
校正手順
16092Aフィクスチャの接続と補正
1)42942Aターミナルアダプタに16092Aスプリングフィクス
チャを接続します
(右上図)
2)スプリング端子が四角の中心導体に接触することを確認し、
SHORT補正を実行します(右中央図)
[Cal] ⇒ <FIXTURE COMPEN> ⇒ <SHORT>
* 端子の接触がうまくいかないときは、間に金属片などを挟
む、
クリップを押し付ける、
等して確実に接触させてください
3)端子を開いて測定セルの電極が無い部分を挟み、OPEN補
正を実行します
(右下図)
[Cal] ⇒ <FIXTURE COMPEN> ⇒ <OPEN>
フィクスチャ補正の確認
校正が正しいかどうかは、以下のいずれか
(必要に応じて複数)の方法で確認できます。
1)校正手順のSHORT補正と同じ状態にし、
R: 0± 0.1Ω、X: 0 ± 0.1Ω
程度の範囲に入っていることを確認します。
2)校正手順のOPEN補正と同じ状態にし、
G: 0± 100uS、X: 0 ± 100uS
程度の範囲に入っていることを確認します。
3)測定セルの電極をスプリングフィクスチャの端子間に
挟み(右図)、[Meas] ⇒ <more 1/3> ⇒ <Cp-G>を
押して Cp-G 表示にした時に、
Cp : 500 fF (0.5 pF)
程度になることを確認します。
32
お問い合せ先
キーサイト・テクノロジー合同会社
本社〒192-8550 東京都八王子市高倉町9-1
受付時間 9:00-18:00(土・日・祭日を除く)
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Email [email protected]
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