会報 Vol.121 2006.1 地 域 支 部 長 会 員 数 加 入 率 年間活動 支部長会議での支部情報は、支部運営にと 企業の少ない地区であります。法人会加入会 ても役立ちます。今後もこのような地域密着 員・非会員を合わせて約 60 の企業数であり の輪を広げて参りたいと思います。 他の支部は 200 を超える支部ばかりであり ます。小さい支部ですが、法人会加入会率は、 と呼ばれおり、そのころから職人の町として 知られていました。 押切の名は、鴛鴦(おし=おしどりの略) ます。これは歴代役員の方々の協力の賜物で の生息地に由来し、鴛鴦喜里と書いたなどの あります。 説もありますがはっきりしません。 3年前より秋になりますと中学校の学区 学区内には戦災をまぬがれた地域がありま であります4支部(榎・栄生・枇杷島・南 したが、狭い道路を改良するなど、新しいま 押切)の会員が一堂に会して税務懇談会を ちづくりが進められて、その姿を一変しまし 開催しております。その打合せに開かれる4 た。 naka o 田 tai 井 oshikiri 安部前支部長時代から第1位を維持してい 小 押 ちなみに明治以前は、この地区は押切村 ます。 中 南 minami 南押切支部は西法人会の中で、最も法人 則武新町・名西・栄生 スズキ(株) 鈴木行成 49 社 76.6 % 総会、役員会3回、 4支部合同講演会、視察研修 切 中小田井の地名は平安時代に「於田井(オタイ)」 とよばれる集落が文献上で確認されています。 庄内川が左に曲がる右岸に沿っているこの集落は幾 多の水害に悩まされてきました。江戸時代後期に治水 対策として完成した新川によって、やっと安住の地に なりました。 しかし、平成 12 年に新川の決壊による水害が起こ り、再び先人と同様な災害を体験しました。 江南市からこの地を経て枇杷島で渡河し尾張城下町 へと結ぶ道は「岩倉街道」と呼ばれ、尾張北部から農 産物を運び、戻りに生活用品を買い帰った人たちが往 来し、商店・旅館・銀行・娯楽施設等が軒を並べて賑 N わっていました。 中小田井駅から庄内川堤に至る界隈は、古風な民家 駅 田井 中小 や商家に五所社神社が加わり、懐古的な雰囲気が漂っ ています。 地 域 支 部 長 会 員 数 加 入 率 年間活動 中小田井、あし原町、こも原町、山田町中小田井、 貴生町 (株)フォーサイト 新保善朗 166 社 47.0 % 総会、役員会 医者○ ◎平手家 ○樋家 ○ヨロズ屋 タバコ屋○ ○油屋 靴屋○ 自転車○ ◎沢田家 酒屋○ ○米屋 ○八百屋 ○茶碗屋 味噌タマリ屋○ ○コンニャク屋 願王寺 東雲寺 ◎松沢家 鶏肉屋○ ○塩屋 駄菓子屋○ ○ちょうちん屋 五所社 タバコ屋○ 床屋○ 至 枇杷島問屋 ○桑問屋 25
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