小林正人 - 東京大学文学部言語学研究室

予稿集 1
インド・アーリア語における
場所格の連体修飾
~印欧祖語からヒンディー語まで
小林 正人
(東京大学文学部)
インド・アーリア語派
古期(サンスクリット語)
中期(パーリ語など)
新期(ヒンディー語など)
予稿集 2
予稿集 2
サンスクリット語の特徴
•屈折型
•無標語順は主語-目的語-動詞、形-名
•名詞は主格、対格、具格、与格、奪格、
属格、場所格の7格をもつ
•側置詞はあるが、格の意味を補う程度
問題
予稿集 1
•英語:cherry trees on the Potomac
場所の前置詞句が名詞を修飾
「連体修飾」
×
•日本語:「ポトマック川の桜」( に)
問題
予稿集 1
•初期のサンスクリット語では連体修飾しない
•ヒンディー語でも場所の後置詞句は連体修
飾しない
•インド・アーリア語は(英語など)他の印欧語
と違うのか?
予稿集 2
サンスクリット語場所格の用法
•ふつう VP(動詞句)の付加語として文中に
生起し、連体修飾することはない
•文法家パーニニ:「より抜き」等の意味のと
き例外的に連体修飾。「神々のなかの神」
•与格、具格は連体修飾の例がやや多い
後代のサンスクリット語では
場所格+名詞は可能
予稿集 2
•後代のサンスクリット語では、場所格が名詞と
結びつくことは必ずしも珍しくない:
śara-atisarge śīghratvāt
矢-発射.LOC 速さ.ABL
「矢の発射における速さゆえ」(マハーバーラタ)
予稿集 8
詩歌における「体言止め」のような用法
「夕焼や鰯の網に人だかり」(子規)
通言語的に見られる「一語化」「句複合語」
• 「寝耳に水の金融緩和」
• 「上から目線の話し方」
• “a brain in a vat’s world”
予稿集 2
初期のサンスクリット語では連体修飾しない
『リグ・ヴェーダ』 5.61.2
(kvà)
(where)
pr̥ṣṭhé
sádo
nasór
back.LOC seat.NOM nostrils.GEN/LOC
yámaḥ
bridle.NOM
「背中にある座は(どこ)?鼻孔にある轡は(どこ)?」
• 「背中のどこに座が?鼻孔のどこに轡が?」とも読め、動
詞「ある」は現在形では省略できるので、場所格の連体修
飾ではなく、主語ー述語の関係と見ることもできる。
ヒンディー語の場合
「村の家々」
gãːw keː
ghar
village GEN.PL house
*gãːw mẽː ghar
village in
house は不可
予稿集 2
予稿集 2
場所格で明示的に連体修飾したい場合は?
•場所格を関係節に入れる
yát te
diví
várcaḥ 『リグ・ヴェーダ』3.22.2a
which your heaven.LOC lustre
天における汝の輝き
•派生接辞や複合語によって場所形容詞を作る
mithilā-sthaḥ
yogīndraḥ 『ヤージュニャヴァルキャ法典』
ミティラー-に住む
大ヨーギー
予稿集 3
他の印欧語族では、場所格
は連体修飾できるか?
•そもそも場所格を祖語に再建できるかに
ついては議論がある(Benveniste 1935)
•ひとまず単数 *-i、複数 *-su を措定。
•ただし独立の場所格をもつ語派は少ない
予稿集 3
イラン語派(古ペルシャ語)
•連体修飾全般に早くから関係節が多用
tyaiy
drayahyā
REL.NOM.PL.M sea.LOC.SG
「海べりの人々」
(ダリウス・ペルセポリス碑文13f.)
バルト・スラブ語派
•スラブ語の前置格は印欧語由来だが、単
独で使うことは稀
•リトアニア語の場所格は連体修飾する:
kava puodelyje
coffee cup.LOC 「コップにあるコーヒー」
paukščiai narvelyje
birds
cage.LOC 「籠にいる鳥たち」
予稿集 3
予稿集 3
ギリシャ語派(ギリシャ語)
•場所格はなく、前置詞+対/与/属格
•ホメロス叙事詩では前置詞自体が発達して
いない
•ヘロドトス(イオニア方言)では前置詞句の
連体修飾はない
•アッティカ方言やコイネーでは前置詞句が
連体修飾する
予稿集 3
アッティカ方言とコイネーの例
ἀπὸ τῆς ἀρχῆς
τῆς ἐν Ἑλλησπόντῳ
から ART 支配権 ART で へレスポントス
「へレスポントスでの指揮権から」 (トゥキュディデス『歴史』)
ἐπὶ τὴν ἐκκλησίαν
τὴν ἐν Ἱεροσολύμοις
上にART 教会
ART で エルサレム
「エルサレムの教会に対して」 (『新約』、使徒)
予稿集 3
イタリック語派(ラテン語)
•単独の場所格はほとんどなく、ふつう前置
詞+対格・奪格で表す
•Bennett 1918: §353.5によれば、初期のラ
テン語では前置詞句による名詞修飾は見
られない
•ヴルガタ聖書: in ecclesia quæ erat Jerosolymis
予稿集 3
ケルト語派(古アイルランド語)
•場所格はなく、与格/対格+前置詞。
前置詞句は連体修飾する。
a ainm isind ebru
its name in.the Hebrew 『詩篇論』
「ヘブライ語におけるそれの名前」
予稿集 3
アルバニア語派(アルバニア語)
•前置詞句は連体修飾する
një bujku prej
Malaseji
a farmer from Malasej
ゲルマン語派(ゴート語)
予稿集 3
•前置詞句の連体修飾の例あり(ただしギリシャ
語からの翻訳)
af friaþwai gudis þizai
in Xristau Iesu
から 愛.DAT
神.GEN that.DAT に 人名.DAT
「イエス・キリストにある神の愛から」
(『新約』、ロマ8:39)
ゲルマン語派(英語)
予稿集 3
• Kellner 1913:30によれば、古英語や初期中英語では前
置詞句の名詞修飾は多くない
ða leohtan steorran on ðam heofonlican rodore
ART bright
stars
on ART celestial firmament
「それが天の蒼穹にある明るい星々だ」(Hexameron)
bi þære
sæ stronde biside
Scottlande
by ART
sea shore
by.the.side.of Scotland
「スコットランド近くの海岸べりに」(Laȝamon’s Brut)
印欧語以外の語族(1)
予稿集 4
• 場所格ではなく形容詞化して連体修飾:クルフ語
(ドラヴィダ語族) padda-ntaː eɽpaː {村-ADJ 家}
• 場所格に連体修飾辞:ムンダ語(オーストロアジア
語族) ranci-re-n hon {地名-LOC-ADJ 子供}「ラー
ンチーにいる子供」(Osada 1992)。
• 連体修飾専用の場所格形態素がある:
上代、中古日本語「沖つ白波」「天つ風」
印欧語以外の語族(2)
予稿集 4
•場所格名詞が後置されて連体修飾する:フィン
ランド語(ウラル語族)
kahvi
kupi-n
pohja-lla
コーヒー
コップ-GEN 底-ADESSIVE
「コップの底にあるコーヒー」(Sulkala&Kaljalainen)
・場所格名詞や副詞が前置されて連体修飾す
る:古典ナワトル語(ユト・アステカ語族)
nicān tlācah {ここで 人々}「ここの人々」(Sasaki)
予稿集 5
含意的普遍性は見つからないか?
•場所格を格語尾で表す/側置詞で表す
•OV型かVO型か
•関係節の縮約で場所格の連体修飾が生じ
た? (Cinque 2010)
←ゼロ関係節の存在証明は難しい
•修飾用法と叙述用法
予稿集 6
印欧語族での連体修飾の一般的傾向
• 時代が下がるにつれて連体修飾できるように(改新)
• 定冠詞の発達と並行して場所格側置詞句の連体修飾が
起こる
古英語
叙事詩ギリシャ語
ラテン語
→中英語
→アッティカ方言
→ロマンス語
予稿集 7
もともと印欧祖語の場所格は…
•VPの付加語
•インド・アーリア語ではそこからあまり変わ
らなかった
•名詞句どうしの関係は属格で
↑ リトアニア語をどう説明するか?
予稿集 7
ギリシャ語と英語
• ギリシャ語だと、指示代名詞から発達した定冠詞が、
形容詞や前置詞句といった名詞以外の要素にもつい
てそれらを名詞化:
ἐπὶ τὴν ἐκκλησίαν τὴν ἐν Ἱεροσολύμοις「エルサレム
の教会に」
• 冠詞が連体化辞として関係詞のように働き、それを
介して前置詞句の名詞化、形容詞化が発達
• Fischer (2006)によれば、中英語で後置による連体修
飾が発達。small clauseを介して連体修飾に
イラン語の場合
予稿集 7
•定冠詞は発達しなかった
•代わりに関係節が発達し、クリティック化し
た関係節で連体修飾全般を表す(エザー
フェ構文)。クルド語
zilam-ê
li.ber
derî
man-EZAFE in.front.of door
「戸の前の男」
予稿集 6
名詞句(NP)と節の相似性・対称性
•節に時制やモダリティや場所があるのとNP
内に定性や形容詞や場所格句があるのは
相似
•NPが節同様の階層的構造をもつ言語では、
NP内に場所格句や場所格側置詞句を持つ
ことができ、また定性を表す形式である定
冠詞も併せ持つ場合が多い?
予稿集 7
サンスクリット語のNPは非階層的
•NP内に出現しうる要素は属格と同格語の
み
•付加語として属格以外の斜格NPを持つこと
ができない
予稿集 7
文法家パタンジャリ(B.C.2世紀)
「動作に関与する[名詞]には動詞
の動作を介して意味連関がある
のであり、それら(名詞)相互には
ない。梯子の段が縦木によって
つながっているようなもの」
予稿集 7
ヒンディー語とサンスクリット語の微妙な違い
meːz
par kiː kitaːb
(Subbarao 1984)
テーブル 上に 属格 本
「テーブルの上の本」
aṃgreːzõː kaː bhaːrat par raːjya「イギリスのインド統治」(西岡2005)
• 語源も考慮する必要:par は不変化辞由来で連体修飾しやすい
• mẽː「中に」は madhya-「中」の場所格形madhyeに由来し、格語尾
にさらに属格後置詞をとることができず、連体修飾もできない
• サンスクリット語、ヒンディー語の現象から「インド・アーリア語は
~」という結論に飛びつくのは危険
予稿集 8
連体修飾については、形容詞と副詞は連続
• サンスクリット語は、名詞と形容詞は
形態上区別がないが、形容詞と副詞
は峻別される
名詞
形容詞
副詞
動詞