デジタルペンを用いた生徒の思考プロセスに着目した学び

デジタルペンを用いた生徒の思考プロセスに着目した学びの場
三浦
元喜
國藤
進(北陸先端科学技術大学院大学 知識科学研究科)
阪本 康之(筑波大学附属坂戸高等学校)
他者の意見に触れながら自分の意見を発信する活動を促進することを目的として、デジタルペン
によって学習者の筆記活動を取得しリアルタイムに教師用 PC に送信するシステム AirTransNote を
構築し、高校の数学の授業で試験運用を行った。デジタルペンが記録した筆記を、書かれた順番に
再現する様子をプロジェクタで表示したところ、他者の静的な回答に対する発言のみならず、動的
な思考プロセスに対する内省的発話が観察された。
IT 利用
1
一斉授業
デジタルペン
はじめに
一般教室は教師が黒板を使用して生徒に「知
識を伝達する」形式の授業に適している。しか
し単に知識を伝達する形式は生徒自らが考え
る機会を減少させ、授業への参加意欲が下が
る、受動的になるといった懸念が生じる。
我々は生徒が積極的に授業に関わり、他者の
意見や考え方を参考にしながら自分の考えを
発信する経験を積み重ねていく必要があると
考えている。しかし普段の授業が行われる一般
教室は、そのような経験を積み重ねるための環
境として最適とは言い難い。
そこで我々は、一般教室の機能を情報通信技
術により拡張し、他者の意見を参考にしながら
自分の意見を発信する経験を、普段の授業が行
われる一般教室にて効率良く行えるようにす
ることを目的として、生徒の筆記をリアルタイ
ムに収集し提示するシステム AirTransNote を
構築している(Miura et al. 2004、三浦他 2005)。
2
筆記集約システム AirTransNote
AirTransNote は学習者の紙への筆記情報
をデジタルペンによって取得し、PDAを介し
て教師用PCに送信するシステムである。集
めた筆記をプロジェクタに提示することに
より、生徒の考えを紹介したり、協調的な学
習を行ったりすることが可能となる。類似の
システムとして、EduClick(Huang et al. 2001)
に代表されるレスポンスアナライザがある
が、生徒が返すことのできる反応としては数
字や番号に限られる。 AirTransNote では生
徒の筆記内容を伝達できるため反応の自由
度は高い。また紙に対する筆記は生徒にとっ
て直感的かつ自然な活動であり、電子デバイ
ス上のタッチパネルやタブレットを利用し
て手書きノートを収集するシステム(Davis
et al. 1999、Yoshino and Munemori 2004、
Anderson et al. 2004、Kam et al.. 2005)に比べ
て、生徒に与える負担は少ないと考えられ
る。
動的な筆記の再現
PDA
図表1 生徒が利用するデジタルペンと PDA
図表1に、生徒が使用するデジタルペンと
PDA を示す。PDA は基本的に筆記を無線送信
するための中継役であるが、筆記を画面で確認
したり、教師からのコメントを表示したりする
機能も備えている。生徒は(1)紙とペンのセ
ンサをクリップで留める(2)PDA と接続す
る(3)PDA 上のソフトウェアを起動する(4)
紙とペン情報の位置合わせを行う、という4つ
の手順で準備を行う。準備後、ペンで紙に筆記
を行うと、ペン先から発生する超音波をセンサ
が読み取り、座標情報に変換し、ペン先が離さ
れるまで随時 PDA 内に蓄積する。ペン先が紙
から離れると、ひとふでの筆記が無線 LAN に
より教師用 PC に送信される。
教師用 PC では、生徒の PDA から集約した
筆記情報を、図表2に示すように生徒別に表示
したり、図表3に示すように特定の生徒の筆記
のみを拡大したりすることができる。また、筆
記の時刻情報を利用して、ある範囲の筆記を書
いた順番に再現しながら表示したり、スライダ
を操作して任意の時点に戻ったりすることが
できる。なおその際、筆記が行われている地点
を明確に示すために、画面上に仮想的な「ペン」
(図表3では右下の部分)を表示している。
図表2
図表3
生徒の筆記一覧表示
筆記拡大と再生
角の正方向が反時計まわりであり、象限 I → II
→ III → IV の順番であることを説明する。
4. 角のとり方を理解できているかどうかを
みるため、0~90 度以外の角(225°、510°、
-1000°) について、それぞれ角と対応する線を
書いてもらう。
5. 書いてもらった角と線を、筆記を再生しな
がらとりあげる。
6. 角のとり方と、軌跡が円になることを確認
したうえで、cos120°がどうなるかを考えるた
め、120°の線と角を書いてもらう。
7. cos120°がいくつになるか、予想し、考えを
挙げてもらう。
8. 挙げてもらった考えをとりあげたのち、解
説する。その後、sin120°と tan120°を考えて記
入してもらう。記入された内容が正しければ
「正解」と PDA 画面に表示される。
なお授業を円滑に進行するため、システム
は前日に導入し、設定や紙の位置合わせの方
法を説明した。前日の導入時に無線 LAN 接続
が不安定になる現象が生じたため、実践授業
においてはクラス 40 名のうち約半数の 24 名
を対象とし、デジタルペンを使用してもらっ
た。設定時間短縮のため授業の開始時には
PDA をランダムに配布したが、授業中に PDA
に取り付けた RFID タグを読み取りながら設
定を行うことにより、上記 5. の段階から座席
位置が表示に反映されるようにした。
図表4
3
実験授業の様子
運用実験
本システムを利用することにより、生徒の
学びにどのような変化をもたらすことができ
るかを調査するため、運用実験を行った。
①
授業内容
高校1年生の数学Ⅰ、三角比の単元におい
て 0~90°以外の角について三角比を拡張する
内容について、以下のような授業を計画した。
1. 最初に「cos120°を考える」ため、120°の角
を持つ三角形を考え、紙の左上領域内に書い
てもらう。
2. 書いてもらった三角形をとりあげながら、
様々な 120°を持つ三角形の考え方があること
を示す。
3. 120°という角のとり方を定義する。まず基
準となる 0°を 軸の正の部分とし、それから、
②
授業観察から得られた知見
角のとり方が正しいかどうかの判断におい
て、角をとる方向や 360°以上の角をとるのに
ペンが何回廻ったかを視覚化できる点で、筆
記の時間順再生は有効であった。また、筆記
の時間順再生に関しては、黒板使用では引き
出すことが困難な2つの現象が授業時間内に
観測された。1つは、初期段階における考え
の過程を詳細に再現し着目できる点である。
510°の角のとり方を確認している場面におい
図表5
授業アンケートの結果(回答の平均値)
て、180°毎に x 軸上で筆記が一時停止してい
る様子が観測できた。このことから、生徒が
ペンを紙に押しつけて 180°毎に考えながら回
答していたことが予想される。もう1つは、
筆記再生時に自分の方法を他者の方法と比
べ、自分の方法について客観的に発話する活
動が見られたことである。ある男子生徒が筆
記再現中に、前に提示された筆記を受けて「俺
は先に線を引いて、後で角を書いたんだ」と
いった発話を行っていた。黒板を使用した場
合には、このように自己の動的な活動を他者
の活動と関連付けて振り返り、補完して発話
することは難しいと考えられる。なお授業時
間外ではあるが筆記ログの再生中に、単なる
落書きのように見えた塗り潰し領域の下に、
角度を計算するための筆算が書かれているこ
とに気付くといった発見があった。これらの
ことからシステムを利用した場合、詳細なプ
ロセスに着目できることに加え、授業時間内
に他者のプロセスに着目しながら発話を引き
出すといったはたらきを生徒にもたらすこと
で、板書を越えた動的な効果を得ることが可
能であるといえる。
③
アンケート結果から得られた知見
授業後にアンケート調査を実施した。アン
ケート項目は、独立行政法人メディア教育開
発センター(NIME) が「教育の情報化の推
進に資する研究実証授業システム」
(http://it.site21.net/lec/) として提供している意
識調査用紙を参考に作成した。具体的なアン
ケート項目については付録として本節末に示
している。有効回答数は 29(男子 9 名、女子
19 名、不明 1 名、ペン使用 17 名、ペン未使
用 12 名)である。図表5に、ペン使用群と未
使用群のアンケート結果を示す。χ2 検定の結
果、「学習に満足することができた
(χ2(3)=11.91, p<.01) 」「進んで授業に参加す
ることができた (χ2(2)=9.09, p=.011) 」「自分
の答え(考え)を他の人にうまく説明できた
(χ2(3)=7.81, p=.050) 」の3項目において、人
数の偏りが有意であった。このことから、ペ
ンにより筆記内容が公開されることにより、
生徒が積極的態度で自分の考えを十分に他者
に伝えたと感じ、その結果学習に満足できた
ものと考えられる。また「他者の答えが参考
になった」の項目にはペン使用群、未使用群
とも高い評価をつけている。
また、ペン使用に関するアンケート項目(ペ
ン使用群のみ回答、図表6)の結果より「ペ
ンを使用した学習は面白い」「普段より積極
的に授業に参加できた」「またやりたい」の
3項目は、8割以上の生徒が「そう思う」と
回答した。このことから、ペン使用により自
分の回答を公開し、他者の回答を参照できる
環境は生徒の積極的態度を高める可能性があ
る。しかし「誰が書いた筆記か分からないほ
うがよい」については、ほぼ半分に意見が分
かれていた。回答の公開に対する不安感と、
誰が書いた回答なのかを知りたいという、相
反する要求が表れていると思われる。
4
まとめと今後の課題
他者の意見に触れながら自分の意見を発信
する活動を促進することを目的として、デジタ
ルペンと PDA を利用し、生徒の筆記をリア
ルタイムに取得し、時系列表示によって回答
を再生しながら提示することを可能とするシ
ステム AirTransNote を開発した。三角比の角
の拡張に関する単元で運用実験授業を行った
結果、回答プロセスといった動的な活動につ
いて他者の活動と関連付けたり、補完して発
話したりする活動がみられた。またアンケー
トから、システム使用により生徒の積極的態
度と授業満足度を向上させる結果が得られ
た。
生徒にとっては紙や黒板といった静的な筆
記を参照するのに比べ、再生筆記を参照した
ほうが思考過程を知覚しやすいため、過去に
外在化した思考を当時の思考により近い形で
鮮やかに復元できると考えられる。さらにそ
の思考過程を含む、過去に外在化された思考
を集団授業において提示することで衆目や他
者の発言、自己のふりかえりによって強化さ
れることが期待される。
デジタルペンを用いて筆記を取得する際の
問題点として、手を置いたりペンを巻き込ん
だりして筆記するなど、センサ部とのあいだ
障害物がある場合に、筆記がうまく取得でき
ない場合があった。このような技術的な問題
点については代替手段を用いることにより比
較的容易に解決できると考えられる。本報告
で示した授業例や実践をふまえ、動的筆記を
利用した協調的な「学び」をどのようにデザ
インしていくべきかについて、今後さらなる
議論が必要であると考えている。
図表6
デジタルペン使用に関するアンケー
ト結果
謝辞
本研究の一部は文部科学省科学研究費補助金
(課題番号 15020216, 17011028)の支援によ
るものです。
参考・引用文献
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computing systems, 338–345.
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Kam, Matthew, Jingtao Wang, Alastair Iles,
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Miura, Motoki, Susumu Kunifuji, Buntarou
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Collaborative Learning System”, in Proceedings
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be Applied to Various Forms”, in Claude Ghaoui
ed. E-Education Applications: Human Factors
and
Innovative
Approaches,
132–152:
Information Science Publishing.
三浦元喜・國藤進・志築文太郎・田中二郎
(2005) 「デジタルペンと PDA を利用した実
世界指向インタラクティブ授業支援システ
ム」、『情報処理学会論文誌』、第 46 巻、
第 9 号、2300–2310 頁、9 月