第25号(H22.2月)

(1)
耐久高等学校同窓会報 第25号
湯浅小学校との合同避難訓練
総合防災学習 10月13日(火)
恒例行事となった総合防災学習。今回は初めての試み
として近隣の湯浅小学校全児童との合同避難訓練を実施
した。湯浅小・耐久高両校の児童・生徒・関係者にとっ
て貴重な体験となった。
編集者:耐久高等学校同窓会 発行責任者:下野 憲英 発行日:平成 22 年 2 月
をいただいた。橋本佳己顧問︵高四期︶
山
正
互
﹁濱口梧陵と医学﹂
講演会開催
校
長
月 日︵土︶、有田医師会、耐久高校が共催して、稲
む ら の 火 の 館・ 津 波 防 災 教 育 セ ン タ ー に お い て 、 標 題 の
講 演 会 を 開 催 い た し ま し た。 同 窓 会 に も 後 援 、 運 営 に ご
協力いただきました。講師として、
﹃濱口梧陵と医学﹄を
出版された千葉県匝瑳医師会 川村純一医師と湯浅町教育
長 垣内貞先生をお招きしました。
濱 口 梧 陵 先 生 は、 東 京 大 学 医 学 部 の 前 身 に な る 神 田 お
玉 ヶ 池 種 痘 所 の 興 隆、 銚 子 に お け る 安 政 の コ レ ラ 対 策 な
ど、 幕 末 か ら 明 治 の 近 代 医 学 の 発 展 に 貢 献 さ れ ま し た。
ま た、 有 田 地 方 に お い て も 紀 州 出 身 の 吉 村 英 徴 医 師 を 招
聘 し、 西 洋 医 学 の 出 発 点 と な っ た 那 耆 病 院 を 広 村 に 創 建
さ れ る な ど、 日 本 の 近 代 医 学 の 発 展 に 多 大 な る 貢 献 を さ
れ て い ま す。 こ の こ と に つ い て あ ま り 世 に 知 ら れ て い な
い こ と か ら、 有 田 医 師 会 会 長 の 吉 村 研 先 生 が 発 案 さ れ、
今回の講演会を開催することになったものです。
川村純一先生からは主に関東地方における梧陵先生の
医 療 活 動 に つ い て、 ま た 垣 内 貞 先 生 か ら は 有 田 地 方 に お
ける医療活動について、それぞれ御講話を賜わりました。
同 窓 会 会 員、 耐 久 高 校 教
員、 語 り 部 の 会、 広 川 町 教
育 委 員 会、 千 葉 県 か ら も
余 名 な ど、 多 く の ご 出 席 を
い た だ き ま し た。 出 席 さ れ
た 方 々 か ら、 知 ら な か っ た
こ と が た く さ ん あ っ て、 良
かったとのご好評を頂きま
し た。 こ の 講 演 会 を 機 会 に、
今 後 銚 子・ 匝 瑳 医 師 会、 有
田 医 師 会、 耐 久 高 校 の 交 流
を続けていくことをお約束
会長 萩 平 勲
会長 田 辺 善 彦
会長 柏 原 政夫美
会長 九 鬼 利 郎
540-0012 大阪市中央区谷町 1-3-17-301 号
ビジネス インテグレート㈱
Tel 06-6941-8282
640-8144 和歌山四番丁 26 番地の 2
田辺法律事務所
Tel 073-431-2801
643-0004 有田郡湯浅町湯浅 1985
耐久高等学校・同窓会事務局
Tel 0737-62-4148
160-0022 東京都新宿区新宿 1-3-12-1002
株式会社 オフィス ココ 桜バンケット
Tel 03-3359-9520
支部連絡先
同窓会のホームページ URL http://www.taikyu-h.wakayama-c.ed.jp/obroom/obindex.htm
同窓会総会開催
承認され、下
に 選 出 さ れ、 初
の 乾 杯 発 声 の 後、 各 テ ー ブ ル で 懐 か し
10
平成二十一年度
告と進行
・監査報
平成二十一年九月二十七日︵日︶
、午
後一時から湯浅町地域福祉センターに
し た。 そ
周年記念事業
て、 耐 久 高 等 学 校 同 窓 会 本 部 及 び 有 田
実行委員会の
の 後、 下
第 一 部 と し て 今 年 は 趣 向 を 凝 ら し、
落 語 家・ 桂 枝 曾 丸 さ ん の 楽 し い 和 歌 山
組織結成につ
耐 久 会 総 会 が、 約 百 余 名 の 参 加 を 得 て
弁落語と古典落語で会場は笑いと拍手
いて︵案︶が
野会長よ
に 包 ま れ た。 そ の 後﹁ 耐 久 四 代 記 念 ﹂
提案され、承
盛大に開催された。
と し て 廣 田 史 郎︵ 高 十 七 期 ︶ 様 に 記 念
認された。
り創立百六十
品を贈呈し、謝辞をいただいた。
第 二 部 は、 三 校 歌 斉 唱 の あ と、 下 野
憲英同窓会長︵高十三期︶
、柏原政夫美
学校長︵高二十期︶があいさつされた。
野会長はじめ
役員改選で
は満場一致で
次 に、 西 博 義 衆 議 院 議 員︵ 高 十 九 期 ︶
、
役員全員が留
正互
阪本禎三関西耐
任した。
有田耐久会会長︵高十九期︶
、山
久会名誉会長︵旧
会計予算案が承認された。
中三五期︶
、中
続 い て 有 田 耐 久 会 議 事 が 進 め ら れ、
活動報告、会計・監査報告、活動計画案、
田實宏和歌山耐
めに本部同窓会
い 思 い 出 話 の 華 が 咲 き、 参 会 者 一 同、
10
いたしました。
関 東 耐 久 会
有 田 耐 久 会
和歌山耐久会
関 西 耐 久 会
久 会 幹 事 長︵ 高
了した。
十七期︶の方々
議 長 解 任 後、 宮 井 慶 三 副 会 長︵ 高 七
期︶の閉会のあいさつにより総会は終
が来賓として紹
介された。
議事が進められ
楽しく和やかなひとときを過ごした。
吉松敏隆氏︵高 さらに、総会終了後、懇親会が行われ
十 九 期 ︶ が 議 長 た。 下 野 会 長 や 来 賓 の 方 々 の あ い さ つ
活 動 報 告、 会 計
川村 純一 医師
垣内 貞 先生
10
(2)
耐久高等学校同窓会報 第25号
熱演の桂枝曾丸さん
耐久高等学校同窓会報 第25号
(3)
で き ま し た。 今 回 の 取 組 を 検 証
し、 避 難 す る 際 の 交 通 安 全 の 確
保 と、 よ り 迅 速 な 避 難 を 行 う た
め高校生ができることを考えて
いく必要性を感じました。
午 後、 1 年 生 は 湯 浅 広 川 消 防
組合のみなさんの協力と指導に
より防災実技訓練を行いまし
た。
クラス別に①ロープワーク、
番通報訓練、⑤担架での搬送、
⑥ 煙 体 験 の6 つ の プ ロ グ ラ ム に
「防災教育拠点校実践発表会」開催
日︵水︶午後、有田市民
敵を知
川 瀬 博 先 生 に よ る﹁ 地 震 災 害 の
続 き、 京 都 大 学 防 災 研 究 所 教 授
箕島高校 横尾英治校長︶紹介に
委 の 喜 多 嶋・ 西 畑 両 指 導 主 事、
し た。 学 校 長 挨 拶、 来 賓︵ 県 教
本年度の実践発表会を開催しま
教 員 等5 5 0 余 名 の 参 加 を 得、
たすことができた発表会となり
を高めるという当初の目的を果
﹁共助﹂の担い手としての資質
の 共 有 化 を 図 り、 地 域 に お け る
意 識 を 高 め、 減 災 に 関 す る 情 報
校 生 と の 交 流 を と お し て、 防 災
拠 点 校 の 生 徒 た ち が、 県 内 の 高
参 加 各 校 の 協 力 と 川 瀬 先 生、
県 教 委 の 先 生 方 の 支 援 に よ り、
いただきました。
発生メカニズムと対策
ました。
校の生徒
ってこれに備えよう﹂と題する
き、﹁ノウハウを次世代に伝え蓄
さ。﹂について高い評価をいただ
の 先 進 性。 地 域 連 携 の す ば ら し
関する和歌山県の高校生の取組
瀬 先 生 は 講 評 の 中 で、﹁ 防 災 に
べ 格 段 に 進 歩 し て い ま し た。 川
を 示 す 優 れ た も の で、 昨 年 に 比
レゼンテーションスキルの高さ
く わ か り、 表 現 力 の 豊 か さ や プ
ま た、3 校 の 発 表 は そ れ ぞ れ
の 学 校 の 取 組 内 容、 特 色 等 が よ
有意義なものでした。
的知見を踏まえた内容でとても
す る 備 え に つ い て、 高 度 な 専 門
害 発 生 の メ カ ニ ズ ム、 地 震 に 対
川 瀬 先 生 の お 話 し は、 過 去 の
地 震 被 害 の 例 を 挙 げ、 地 震 と 災
を発表しました。
耐久︶の生徒がそれぞれの取組
拠 点 校 3 校︵ 新 翔、 田 辺 工 業、
基 調 講 演 が あ り、 休 憩 を 挟 ん で
6
月
16
会 館 に お い て、 県 内
12
積することの大切さ﹂をご指摘
母校への、ご理解とご支援を!
後期始業式に続いて、恒例とな
った総合防災学習と避難訓練を
13
し て き ま し た。 本 校 の 2 年 生 が
途中の安全確保や引率をお手伝
い し、 小 学 校 の 先 生 方 の 的 確 な
指導もあり無事避難することが
10
② 消 火 訓 練、 ③ 起 震 車 体 験、 ④
湯浅小学校児童との合同避難訓練
清水勲先生講演「防災の原点を考える」
本校生徒会執行部の取組発表
京都大学防災研究所教授 川瀬博先生講演
119
月 日︵火︶に実施しました。 取 り 組 み、 体 験 の 中 で 実 際 的 な
午前中は全校生徒が体育館に 防災技術を学ぶことができまし
お い て、 前 広 川 町 中 央 公 民 館 長 た。
清 水 勲 先 生 か ら﹁ 防 災 の 原 点 を 今 回 の 学 習・ 訓 練 の 成 果 を 活
考 え る ﹂ と 題 す る 講 演 を し て い か し、 地 域 社 会 に 貢 献 で き る 高
た だ き ま し た。 濱 口 梧 陵 先 生 の 校 生 を 育 て る こ と を 目 指 し、 体
業績と人としての偉大な生き方 験活動を中心とした防災教育に
を 中 心 に、 学 ぶ こ と の 意 義 や 社 今 後 と も 学 校 を 上 げ て 取 り 組 ん
会 に 貢 献 す る こ と の 大 切 さ 等 を でいきたい考えています。
熱 く 語 っ て く だ さ い ま し た。 先
生 が 期 待 さ れ る﹁ 誇 り の 持 て る
学校﹂を目指していきたいと思
います。
昼 食 後、 地 震 と 火 災 の 発 生 を
想定した避難訓練を行いまし
た。 今 年 は、 初 め て の 試 み と し
て湯浅小学校との合同避難訓練
を 行 い、 湯 浅 小 学 校 の 全 児 童 が
津波を想定して耐久高校に避難
総合防災学習(合同避難訓練)
湯浅小学校の全児童が耐久高校へ避難!
躍する人物が現れることを大いに
期待したいと思います。
生 徒 感 想 記
メールアドレス t a i k y u - o @ c r e a m y . n a x . n e . j p
同窓会の支援活動の一つ﹁頑張
れ 母 校! 先 輩 が 先 生 ﹂ の 講 演 会
が、 今 回 月 日︵ 木 ︶ 本 校 体
年 斯 波 あゆみ
NPOとは?
育館で開催されました。
今 回 の 講 演 で、 私 は﹁ 責 任 ﹂ と い う こ と に つ い
︶
﹂ て 考 え さ せ ら れ ま し た。 講 演 を し て 下 さ っ た 本 下
﹁NPO
︵ NonProfit Organization
講師にお迎えした本下素子さん
さ ん の 話 か ら は、 本 下 さ ん が ど ん な 思 い で ボ ラ ン
は、現在NPOヒマラヤン・グリ とは、ボランティア活動などの社 テ ィ ア 活 動 を 行 い、 ど ん な 気 持 ち で 現 地 の 人 た ち
ーンクラブの会員として現地で活 会貢献活動を行う、営利を目的と と 向 き 合 っ て い る か と い う 強 い 決 意 が 感 じ ら れ ま
しない団体の総称です。
し た。 そ の 中 で も、 ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 を 単 な る 自
躍 中 で あ り、﹁ イ ス ラ ム 社 会 と 国
こ の う ち﹁N P O 法 人 ﹂ と は、 己満足で終わらせないためにはどうしたらよいか、
際交流︱パキスタンでの活動か という本下さん自身の考えがとても印象深かった
特定非営利活動促進法︵NPO法︶
です。
ら﹂と題してお話をしていただき
に 基 づ き 法 人 格 ︵ ※ 注 ︶を 取 得 し
ボ ラ ン テ ィ ア だ け に 限 ら ず、 教 育 や 色 ん な 仕 事
ました。パキスタンという国、イ
た﹁特定非営利活動法人﹂の一般 に お い て、 や り き っ た と い う 自 分 の 達 成 感 の み で
スラム社会とその文化、
国際支援、
終 わ っ て し ま う こ と は 多 々 あ る と 思 い ま す。 し か
的な総称です。
しそれでは本当に人のために動いたことにはなり
活動を通じて見えてきたこと等に
法人格の有無を問わず、様々な ま せ ん。 本 当 に 人 の 役 に 立 つ た め に は ど う し た ら
ついて、実体験に基づいた、生徒 分野︵福祉、教育・文化、まちづ よ い か 改 め て 考 え る こ と は と て も 大 切 な こ と だ と
達の共感を得るすばらしいお話で く り、 環 境、 国 際 協 力 な ど ︶ で、 感 じ ま し た。 そ し て 自 分 に 出 来 る こ と を、 ど ん な
した。国際理解教育を柱の一つと 社会の多様化したニーズに応える 小 さ な こ と で も、 見 つ け て 続 け て 行 け た ら、 人 の
役に立つということに少しでも近づけると思いま
して位置づけている本校の生徒に
す。 私 も 社 会 に 出 た と き に は、 自 分 に 出 来 る こ と
重
要
な
役
割
を
果
た
す
こ
と
が
期
待
さ
を見つけていきたいです。
れています。
得た内容でもありました。
19 耐久高校文化祭への参画
同窓会活動報告
28 本部役員会・新年会
……校長・会長・事務局
27 会報編集委員会(学校)
10.
10 講演会「濱口梧陵と医学」(広川町津波防災教育センター)
2010(H22)年
(同窓会テント設置・飲み物サービス他)
1. 26 「耐久の精神とこれからの教育を考える」フォーラム(学校)
27 平成21年度総会(湯浅町地域福祉センター)
25 谷口維紹先生文化功労者顕彰記念講演会(有田川町地域交流センター「ALEC」)
17 本部・有田耐久会合同会議(学校)
12. 16 会報編集委員会(学校)
10 役員会(学校) 総会資料の審議
19 創立160周年準備委員会(学校)会長・副会長
……山﨑校長・下野会長・事務局
13 和歌山耐久会総会(和歌山市華月殿)会長・副会長・会計
9. 6 関西耐久会総会(弁天町 H大阪ベイタワー)
11. 10 有田耐久会図書購入費目録贈呈(学校)柏原会長
26 四役員会(学校)
3
3
26 「頑張れ母校先輩が先生」本下素子氏講演会……会長・副会長・会計
8. 16 組織強化支援事業 高30期同窓会(民宿 松林)
26
年
NPO の中には法人格を持たず
中
前
匡
揮
今回の講演を聴いた本校生徒の 活動しているところも多数ありま 今年は、﹁先輩の講演﹂で本下素子さんの話を聞
中から将来、国際支援の分野で活 す。しかし、法人格を持たないと、 き ま し た。 本 下 さ ん の 第 一 印 象 は 若 く て 小 柄 な 女
性 だ と い う 感 じ で し た。 し か し、 と て も 濃 い 内 容
銀行口座の開設や事務所の賃借な の人生を送っている人でした。
どを団体の名で行うことができな
パキスタンにボランティアで行っているという
いなどの不都合が生じることがあ 話でしたが、その交通費は自己負担で、普段はロー
ソンでアルバイトをしているというのを聞いて
ります。
び っ く り し ま し た。 他 国 の 人 々 の た め に そ こ ま で
︵※注︶法人格 個人以外で権利や義務
自分の人生を捧げることが出来る精神がすごいと
思いました。僕も講演を聞いたりドキュメンタリー
の主体となり得るもの
を 見 た 直 後 は、 い つ か 自 分 も ボ ラ ン テ ィ ア に 参 加
講師プロフィール
し て み た い な あ と は 思 い ま す が、 実 際 は 募 金 を す
本下 素子 氏
るくらいで、異国に行くなんてことはできません。
そ の こ と に 誇 り を 持 っ て 活 動 し、 今 日 僕 た ち の 前
で講演している本下さんがとてもかっこいいと思
い ま し た。 ス ラ イ ド で 紹 介 さ れ た 写 真 の 中 の 皆 さ
ん は 楽 し そ う で 明 る い 人 た ち ば か り で し た。 こ の
笑顔のためだけに頑張っている本下さんが本当に
素敵だと思いました。
・湯浅町出身
・一九九〇年耐久高校卒業
・一九九五年帝塚山学院大学卒業
・ 一 九 九 八 年 よ りN G O ヒ マ ラ ヤ ン ・
グ リ ー ン ク ラ ブ 、 〇 四 年 か らN P O
の会員として現地で活躍中
13 総合防災学習(学校)副会長・会計
10.
2009(H21)年
11
とって大変有意義であり、時宜を
「がんばれ母校 ! 先輩が先生」
学校支援活動
(4)
耐久高等学校同窓会報 第25号
にとって、未来の生き方を見つけ出す力
生き方を見つけ出す原点であると考えて
三回、スペイン、オーストリア、ギリシ
ランスで五回、中国で二回、イタリアで
私の作品が日本だけでなく、海外でど
う受けとめられるかにも関心があり、フ
きたといえましょう。
いたからです。それは私自身の生き方と
の 奇 蹟 展 ﹂ で の グ ラ ン プ リ 大 賞、 仏 シ ャ
になるであろうし、一人の人間としての
して、彫刻家として作品を造り続ける姿
ン テ ィ 国 際 展 で の グ ラ ン プ リ、 ア ル テ 大
いたりと、指折り数えてみたら七つのク
身の方が多く、
﹁ゴンボ﹂先生はズーズー
合でした。当時の先生方の多くは県外出
の柴田先生は﹁チャボ﹂⋮⋮といった具
コ﹂音楽の川口先生は﹁モーさん﹂英語
吉先生は﹁ゴンボ﹂書道の吉田先生は﹁ネ
きました。また版画家の吉田政次先輩の
は!﹂のお話をお聞きし、泊めていただ
下 繁 先 生 の ア ト リ エ を 訪 問 し、﹁ 彫 刻 と
してきました。初入選の十月、初めて木
五十年にわたって出品を続け作品を発表
昭 和 年、 大 学 三 回 生 の 時、﹁ 二 紀 会
第 回展﹂に初出品で初入選以来、毎年
ず つ、 計 十 六 回 の 国 際 展 で 作 品 を 発 表 し
てきました。イタリア、フィレンツェ﹁美
重 ね ま し た。 最 近 で は 関 西 二 紀 展 で、
せ ん。﹁ 物 を つ く る ﹂﹁ 創 造 す る ﹂ と は、 支持を得てのカンヌ国際大賞など受賞を
現 代 と い う 社 会 の 中 で 生 き、 苦 悩 し 苦 闘
会が持つ矛盾﹂や﹁過去の歴史﹂の中で
あ る と 思 い ま す。﹁ 作 家 ﹂ と は﹁ 現 代 社
追 わ れ て い ま す。 ま た 県 内 で は 昨 年
回日本アンデパンダン展と作品づくりに
受賞作家展、3 月には二紀会春季展、
月銀座松坂屋で
回二紀展
回二紀展で会
員賞、
年度最優秀作家賞、
年
し な が ら 新 た な 価 値 を 見 い 出 し、 そ こ に
生 き る 者 で あ る と 考 え る か ら で す。 昭 和
年間つとめ、和歌山の美術文化の発展
まで県美術家協会会長を、県展審査員を
年
挑戦することで大きな意味を持つもので
初期﹁蟹工船﹂を書いた小林多喜二の小
に、
﹁ 美 術 教 師 ﹂ と﹁ 彫 刻 家 ﹂ と の 二 足
今振り返ってみると、この 年間は﹁高
校生時代﹂の貴重な体験をバックボーン
に微力をそそいできたところです。
月
説を高校時代に読んで大きな衝撃を受
け、﹁ 権 力 ﹂ や﹁ 権 威 ﹂ を た の ん で 抑 圧
人生を歩みたいと考えるようになりまし
する者に対し、抵抗して闘う︱︱そんな
た。そのような生き方は﹁自己犠牲﹂
と﹁自
己破滅﹂をも覚悟することでもあります。 のわらじをはいて全力で走ってきたよう
プロフィール
だ か ら こ そ 私 の 制 作 テ ー マ は﹁ RESIST
﹂ に思えてなりません。
=﹁自虐者﹂であり、それを彫刻として
表現しようとこの五十年間悪戦苦闘して
湯浅町出身
昭和 年 耐久高校卒業︵高8期︶
昭和 年 金沢美術工芸大学彫刻科卒業
年∼平成 年
昭和
湯浅中学・南部・耐久・日高・有田
中央・耐久 各高校教諭
現・日本美術家連盟会員
日本美術会会員・委員
貸し出し用校章小旗と名札を用意しています。同期会の集いに、ご利用下さい。(事務局)
﹁彫刻人生﹂
五十年を通して想うこと⋮
を生徒達に見せることだとも考えていま
て 昼 休 み に 中 庭 で 四 部 合 唱 の 練 習 を し、
した。
﹁和歌山のうた声大会﹂等に参加し和歌
さ て、 思 い 起 こ せ ば 私 に と っ て こ の
山大学学芸学部の講堂で声を張り上げて 五十年間は、高校生時代にお世話になっ
賞、 カ ン ヌ 国 際 展 で の 観 衆 投 票 で 多 く の
弁で何を言っておられるのかよく分から
工房を訪問したこともありました。大学
ア、イギリス、アメリカ、タイで各一回
た先生方や諸先輩方から多くの影響を受
中
井
由
純
けながらの彫刻家人生だったかもしれま
ラブと関係していて青春を思うがままに
過ごしていました。二年生の夏休みに蜜
柑の摘果のアルバイトで得たお金で油絵
の具一式を買い入れて、三年の夏休みに
本格的に油彩画を描き始め、作品を初め
なかったものです。授業以外でも放課後
卒 業 後 は 故 郷 に 帰 り、 美 術 教 師 と し て
くための﹁過程でどれだけ努力し、
63
二 紀 会 会 員
県美術家協会 常任理事
、 中 で も﹁ 彫 刻 ﹂ に 関 心
私 が﹁ 美 術 ﹂
を 抱 い た 直 接 の き っ か け は、 母 校 旧 制
耐久中学校で私の父中井長二と同級生で て県展に出品・入選したことで自信を付
あった彫刻家・木下繁先生の存在でした。 けました。その翌年、金沢美術工芸大学
私 の 高 校 生 時 代︵ 昭 和 ∼ 年 ︶ は、 彫刻専攻に入学、彫刻人生のスタートを
大抵の先生方にニックネームを付けて呼 切ることになったのです。
には柏村先生の﹁西田哲学﹂や栗原先生
三十七年間の教師生活のうち、じ
んでいたものでした。美術教師の齋藤勇
の﹁労働法﹂や﹁マルサスの人口論﹂といっ
この間、美術科の授業で訴え続け
た特別講座など各先生方が大学で研究し つ に 二 十 七 年 間 に わ た っ て 母 校
たり卒論を書かれたことなどを、私たち ﹁ 耐 久 ﹂ で お 世 話 に な り ま し た。
に講義してくれました。そんな自由で活
読書会や文芸部の雑誌﹁なっちょ﹂の表
苦闘するか﹂ということです。こ
発な雰囲気の中で、私は毎日のように放 てきたことは、単に結果を求める
課後は美術部か新聞部、図書館で過ごし、 ことだけでなく、そこにたどり着
紙やカットを描いたり、あげくに私設合
1
'09
3
63
63
50
35
'09
10
14
'10
36 36 30
31
のことを大切にすることが生徒達
自虐者 '09.RESIST.C
28
唱団﹁オタマジャクシ﹂なるものをつくっ
40
•
•
•
•
•
耐久高等学校同窓会報 第25号
(5)
八月十六日︵日︶、民宿﹁松 思 い 出 話 に 花 が 咲 き、 し ば し ま す。 た だ、 幹 事 泣 か せ は 住
林 ﹂ に お い て 三 尾 精 二 先 生、 青春時代にフィードバックし 所 が わ か ら な い 人 達 で す。 住
原秀明先生の御出席を賜り昭 ていました。
所等が変更になった場合は各
和 年 卒、 第 期 の 同 窓 会 が
そして盛り上がったまま二 クラスの幹事または母校の同
総 勢 名 で 開 催 さ れ ま し た。 次会三次会へと繰り出しまし 窓会事務局まで連絡をお願い
今年は 歳を迎える節目の年 た。 一 部 の 猛 者、 女 傑 は 時 の します。
とのことで母校の同窓会から 過 ぎ 去 る の も 忘 れ、 日 付 が 変
また次の機会に元気でお会
支 援 を し て 頂 き、 さ ら に 同 窓 わってもなおおしゃべりを楽 いできることを楽しみにして
会 事 務 局 担 当 の 白 井 先 生、 清 しみ帰ろうとしなかったそう います。
弓場
守
水 先 生 の お 力 添 え を 賜 り 盛 大 で す。 歳 に な っ て も 相 変
に 開 催 す る こ と が で き ま し わ ら ず よ く 遊 ぶ 仲 間 達 で、
た。
同じ話題で昔を懐かしむこ
冒 頭 に 今 回 の 同 窓 会 開 催 の とができる同期の輩は良い
経 緯 と 当 時 の 恩 師 の 御 存 命 に ものだなと改めて感じまし
つ い て の 報 告 を 行 い ま し た。 た。また多くの人から次の
当 時 の 担 任、 副 担 任 の 先 生 開催も早いうちにお願いし
方 名 中6 名 の 恩 師 が﹁ 千 の ます、と声をかけて頂きま
風になって大きな空を吹きわ したが次は5年後ぐらいか
た っ て い る ﹂ と の 報 告 で は 場 なと心に秘めつつ愛想笑い
内一同驚きと感嘆の声が上が をしておきました。
り ま し た。 そ の 後、 三 尾 先 生
このように無事開催する
の 御 挨 拶 を 頂 戴 し、 続 い て 原 ことができ、皆さんが同窓
先 生 の 乾 杯 の 御 発 声 を 合 図 に 会を楽しんで喜んで下さい
懇談開始の運びと相成りまし ますこと、幹事冥利につき
た。
当時からして 年間の年月
は 歳 を 迎 え た 紳 士、 淑 女 を
たいてい変貌させているもの
で、 光 源 氏 の﹁ さ か さ ま に 行
かぬ年月よ﹂を誰もが噛み締
め つ つ、﹁ え っ、 あ な た が あ
の ○ ○ さ ん、 髪 の 毛 は い ず こ
へ 置 い て き た の。﹂ と か﹁ あ
なたは僕達のマドンナだった
の に な あ。﹂ や﹁ 今 だ か ら 話
せ る 話 ﹂ も 飛 び 出 し、 当 時 の
50
31
50
同窓会への問いかけ・ご提言は、何なりとお申し出下さい。(事務局)
90
30
に文化功労者顕彰
15
高30期
昭和53年卒 同窓会「紳士淑女・猛者女傑」
期︶
東京大学大学院教授。
生理活性物質サイトカイ
ンを分子レベルでとらえ
る手法を世界に先駆けて
確 立、 年 朝 日 賞、 年
日本学士院賞他多くの賞
を受けられている。
4
谷口維紹氏 ︵高
谷口 先 生 か ら の 書 状
10
53
18
50
88
11
18
00
拝啓、秋冷の候、下野様にはご清祥のことと存じ
上げます。
この度は、私の文化功労者顕彰に際し、お祝い
を頂戴致しまして誠に有り難うございました。心
より感謝申し上げます。去る 月 日には顕彰式
に出席した後宮中にお茶会に招かれ、天皇・皇后
両陛下にご祝辞を賜りました。
今回の顕彰は身に余る栄誉と存じております
が、これも母校耐久高校で極めて豊かな素晴らし
い教育を受けられたことが大きく影響していると
確信致しておりますとともに深く感謝しておりま
す。同級生の多くの皆様とは今でも親しい交友関
係を続けておりますが、多くの同窓生の方々から
お祝いの言葉をいただきました。
東大医学部に参りましてからもう 年、ひたす
ら研究と教育に邁進してきたつもりですし、今後
と も 努 力 し て 参 り た い と 存 じ て お り ま す。 ま た 、
母校耐久のために微力ながら出来るだけのお役に
立てればと希望致しております。
耐久高等学校と同窓会の益々のご発展を心より
お祈り申し上げております。
時節柄、ご自愛くださいますよう、今後とも何
とぞよろしくお願い申し上げます。有り難うござ
いました。
敬
具
平成 年 月 日
11
耐久は私の幼少の頃からのあこがれでした。
21
(6)
耐久高等学校同窓会報 第25号
組織強化支援活動
耐久高等学校同窓会報 第25号
(7)
11
13
3
︵ 月 日 於華月殿︶
11
13
30
3
6
21
益々の活動の盛り
上がりを見せてい
る、 関 東 耐 久 会・ 関
西 耐 久 会・ 有 田 耐 久
会の活動に励まさ
れ、 今 後 と も 新 幹 事
会のメンバーのご協
力 を 仰 ぎ な が ら、 頑
張っていく所存で
す。
和歌山耐久会幹事長
中田
實宏
20 10 年 月 日、 ホ テ テレビや任天堂DS など豪華 き、 幹 事 長 高 木 君 の 終 わ り の
ルグランヴィア和歌山にて第 賞品や目玉商品以外でも個性 挨拶で 時間余りに及んだ同
期 卒 業 生︵ 平 成 年 月 卒 あ ふ れ る 商 品 を 揃 え、 み ん な 窓会を閉会しました。
業︶の同窓会を開催しました。 を わ く わ く さ せ ま し た。 再 び
今回の同窓会を開催するに
当日は同窓生が180 名ほど スクリーンを用いて番号をス あ た り、 幹 事 メ ン バ ー は 昨 年
集 ま っ て く れ、 恩 師 の 先 生 方 ロ ッ ト さ せ、 ビ ン ゴ 係 り が 面 の 夏 か ら 準 備 を 始 め ま し た。
も 名の参加をいただきまし 白おかしい絶妙なタイミング 仕 事 を し て い る、 大 学 に 行 っ
た。
でストップをかけました。
﹁我 て い る な ど 環 境 の 違 い に よ
今 回、 ホ テ ル で の 催 し と こ そ は!﹂ と 皆 ビ ン ゴ に な る り、 幹 事 の 間 で も 連 絡 を と る
あ っ て、 ス ー ツ で フ ォ ー マ ル よ う 祈 り な が ら 数 字 を 見 つ のが難しく大変なこともあり
に き ま っ た 男 子、 ド レ ス ア ッ め、 数 字 が 発 表 さ れ る 度、 歓 ま し た が、 耐 久 高 校 同 窓 会 事
プしてキラキラと輝かしい女 声がわいていました。
務局をされている先生方に非
子、 会 場 内 は と て も 華 や か で
そ の 後 は 引 き 続 い て 食 事 を 常 に お 世 話 に な り、 無 事 に 開
した。
し た り、 席 を 移 動 し て 友 達 や 催 す る こ と が で き ま し た。 当
最初に幹事長である上続さ 先生方と近況報告やたわいも 日は同窓生の微笑ましい顔を
ん が 挨 拶 を し、 続 い て 山 下 君 な い 会 話 を し た り、 写 真 を 撮 見て成功に終わることができ
の 乾 杯 の 発 声 で、 前 に あ る 大 り合ったりしました。
た と 確 信 し、 よ か っ た と い う
きなスクリーンに花火が映さ
最 後 に、 名 の 先 生 方 を ス 思いでいっぱいです。
本当に今回の同窓会に関
れ、 気 持 ち が 高 ま る 中、 同 窓 テ ー ジ 上 に 招 き、 感 謝 の 気 持
会が始まりました。
ちを込めて一人ずつ花束をわ わっていただいた全ての人に
感謝しています。
座 席 は ク ラ ス 別 で、 乾 杯 の た し ま し た。 そ し て 先 生 方 か
友理香
後はバイキング形式の手のこ らも心温まるお言葉をいただ 川端
んだ料理を皆必死になってお
皿 に 盛 り、 食 事 を し た り、
年ぶりの再会を楽しんだりし
ま し た。 大 好 き な 仲 間 と の 食
事 は、 高 校 時 代 の 昼 食 時 の 懐
か し さ が 戻 っ て、 と て も お い
し く い た だ け ま し た。 こ の 時
会場の中は皆の笑顔があちこ
ち で み ら れ、 と て も 和 や か な
様子でした。
し ば ら く し て か ら、 同 窓 会
のメインイベントであるビ
ン ゴ ゲ ー ム を し ま し た。 液 晶
最近まぎらわしい呼びかけの電話や郵便が多くなった様です。十分ご注意下さい。
年度 和歌山耐久会総会
1
年代別に記念写真を撮る
高58期
初めての同窓会 卒業以来4年目
3
18
3
4
3
2
和歌山耐久会
平成
21
21
平成 年 月 日︵金︶午後 時 分より、和
歌山市屋形町華月殿にて平成 年度・和歌山耐久
会総会が開催されました。
和歌山耐久会は、和歌山市・海草郡・旧那賀郡・
伊都郡、在住もしくは通勤の耐久高校同窓会とい
う位置づけで、 年に 回の開催規定により、昨
年 月開催の運びとなったものです。
本部事務局のご協力のもと、約 千人の校友に
案内の葉書を送付させて頂きました。
参加者総勢、
100 名弱のささやかな総会ではありましたが、
耐久高校マンドリン部のマンドリン演奏をかわき
りに、終始和やかで温かい雰囲気の総会でありま
した。
尚、総会では通信費確保のため、有田耐久会規
約に倣い、年2000円の会費制となり、役員の
留任、幹事会の充実を決議しました。
懇親会では、特にアトラクションや講演等の企
画を用意しませんでしたが、﹁生ける神、
濱口梧陵﹂
のDVD上映は好評でした。来賓として遠方より
ご参加頂きました下野同窓会会長、萩平関西耐久
会会長、柏原有田耐久会会長には心より厚く御礼
申し上げます。
11
組織強化支援活動
3
58
1
平 成 年 度 関 西 耐 久 会 総 会 が9
月 6 日︵ 日 ︶
、ホテル大阪ベイタ
章受章︶がノーベル賞に匹敵する
発明といわれるプラスチックの開
発過程を、身近な家庭用品や車部
品を例に挙げて説明され、大変よ
く分かる、また楽しい講演でした。
故郷を想いながらみんなで歌いま
した。
い﹂と述べました。
金 山 寺 味 噌、 焼 餅 な ど が 登 場 し、
は 大好評でした。
関西耐久会会長
萩平勲氏
懇親会では、卒業期別に演壇に
﹁他の和歌山県立高校が大阪では
上がり、記念写真を撮りました。
やっていない、この盛大な総会を
そこに行けば皆に会える〟をコン
〝 懐 か し い 再 会、 思 わ ぬ 出 会 い。
耐久のみんなが集まる新しい伝統 ﹁
に し て い き た い。 来 年 も、
〝ここ
セ プ ト に、 来 年 は 9 月 5 日
もっと多くの同窓生を誘って
会いましょう﹂と決意してお
旧中 期 懐かしの
﹁スタンド﹂
で
松原での軍事訓練で渡川でび
た。特に遠泳やマラソン大会、
旧中三十八期の二十回同級
会が秋晴れの十月四日に湯浅
しょ濡れになったこと、播磨
造船所での勤労奉仕のきつか
の姿、行事を思い起こしなが
たが︶を眺めつつ﹁スタンド﹂
したグランド︵埋め立ててい
五十一名の物故者の在りし日
出席者十六名で、昨年、今 った仕事⋮⋮。
なつかしい松原を背景に軍
年鬼籍に入った四名を加えて
装で銃をかかえての匍匐前進
されました。
の﹁シーサイド松宮﹂で開催
38
ら楽しい一時を過ごしまし
で記念撮影︵学校の好
意で許され︶そして
﹁耐久学舎﹂を眺めて
若き日々を思い、南広
海岸を眺望してのバ
ス行を終え、宴会では
食前訓?一つには﹁耒
耜の易からざるを思
う﹂二つには﹁節度の
適否を思う﹂三つには
﹁徒食の罪なきやを思
う﹂で木造の教室がな
つかしく、今後も老骨
に鞭うち元気で続け
たいという熱意で校
歌﹁たたふる波も那耆
の海︱︱﹂を歌い散会
をいたしました。
同窓会のホームページ URL http://www.taikyu-h.wakayama-c.ed.jp/obroom/obindex.htm
ワ ー︵ 大 阪・ 弁 天 町 ︶ の 4 階 ベ イ
タワーホールで開催され、149
名が参加して盛会となりました。
︵高
講演会では、講師の柏典夫氏
期、 日 本 学 術 会 議 会 員、 紫 綬 褒
平成21年度 関西耐久会のご報告
萩原温子氏︵高 期︶ に来れば皆に会える〟をコンセプ
合唱では、
と 菊山ひろみ氏︵高 期︶の歌唱 トに、200 人の総会を目指した
年前に作られた有田の
10
お 待 ち か ね の﹁ 紀 州 の 味 覚 ﹂で
わ ら べ 歌﹁ い こ ら い こ ら よ ﹂を、
は、 馴 れ 寿 司 や シ ラ ス の 釜 揚 げ、
関西耐久会 役員・幹事のみなさん
︵日︶、同じ場所、同じ時間に、
ホテル大阪ベイタワー
開きとなりました。
平松
厚德
谷 岡 義 則(高29期)
12
指導で、
13
1
〒 643-0032 有田郡有田川町天満 60
TEL(0737)52 − 5235
FAX(0737)52 − 5630
湯浅中央支店・湯浅支店・広川支店
統括支店長
21
50
(8)
耐久高等学校同窓会報 第25号
関西耐久会
柏 原 政夫美(高19 期)
耐久高等学校同窓会報 第25号
(9)
−平成22年度活動計画について他−
[email protected]
関東耐久会ゴルフ大会
関東耐久会のゴルフ大会も回を重
ねること6 回目となりました。今回
期生の南方由子様
も一泊二日のゴルフ大会で、前日は
ク リ オ コ ー ト︵
経営︶に宿泊させていただき、前夜
祭から大いに盛り上がりました。
こ の 大 会、 雨 に 祟 ら れ る こ と が 多
く、 毎 回﹁ 雨 男 ﹂ は 誰 か と 詮 議 さ れ
ることが多々ありましたが、今回は
空」にて幹部会を実施。
2010年1月29日(金)
ホテルメトロポリタン(池袋)にて
評議会実施。
第六回 関東耐久会バス旅行
生家の前
天 候 に 恵 ま れ、 ス コ ア の 良 し 悪 し を
2009年12月11日(金)
丸の内メトロポリタンホテル「天
関東耐久会
香りを堪
能できる
リー﹂で
した。
に出発し、東京湾アク
東京駅を8
アラインを経由して、道の駅﹁ローズマ
で、記念
天候のせいにはできない条件下でし
◆ 地元、有田耐久会にご入会を!(お問い合わせは事務局 0737-62-4148)
秋本番の 月末恒例の関東地区耐久会
のバス旅行が開催されました。行く先は
名と 名に
千葉方面で、当初は銚子での地曳網を考 ﹁ カ ン ト
えていましたが、参加者が
満たなかったため、房総観光に切り替え
シェイク
リー公園﹂に向かいました。ここは様々
撮影をし
名の参
た。 コ ー ス は 名 門 ﹁ パ ル コ ー ル 嬬 恋
ゴ ル フ ク ラ ブ ﹂ に お い て、
加者で行われました。競技方法は新
伝統の火を燃やし続け 更なる発展を
ました。
なハーブや四季の花々が植栽された異国
たり、見
対称の幾何学的な模様を描いたヨーロッ
ぺリア方式を採用した結果、優勝者
社 長 西 本 英 幸
スピアの
情緒あふれる公園です。この中に﹁シェ
シェイクスピアが晩年過ごした﹁ニュー
パの庭園を鑑賞し、それぞれハーブグッ
イクスピア・カントリー・パーク﹂
があり、 事に左右
プレイス﹂を世界で初めて復元し、他に
は 昨 年 に 続 き、 大 野 博 司 副 会 長 連 覇
母校 2年後 創立160周年
30
ズなどを買い求め、南房総の海岸に面し
九鬼
利郎
ということになり、めでたく幕を閉
じました。
阪和工業株式会社
22
生家などが建てられ、シェイクスピアの
た﹁ファミリーオ館山﹂に向かいました。
ここはJ R系の滞在型ホテルで、海の幸
をメーンにした昼食を頂きました。前郁
夫副会長の特別の計らいで海鮮三昧の料
理を堪能しました。天気次第では天城山
系、雄大な富士山も眺望できるという素
晴らしいロケーションでした。
最後の行程﹁養老渓谷﹂に向かう途中
で、海産物土産店にも立ち寄り、盛り沢
山なバス旅行でした。行楽シーズンでバ
ス移動に思ったより時間がかかり、帰路
で休憩予定に入れていた﹁海ほたる﹂に
はトイレ休憩のみということになり少し
残念でした。
九鬼
利郎
その他関東耐久会の行事
下 野 憲 英(高13期)
有田郡湯浅町吉川 195 − 7
TEL(0737)63 − 6251
11
30
10
10
四期同窓会十月四・五両日
和歌山で開催の
高校6期同窓会
インフルエンザの影響で見
合 わ せ て い た 同 窓 会、 有 馬 温
も。突然アラビア風の衣装を
談、余興、次々とカラオケ
も交えて四十数人が集まり一年振りに
卒業から
年目の集い
り心温まるお手紙とカンパを頂きました。卒業から
5
喜寿・米寿・白寿と呼ばれるまで頑張
ろうとお互いを励ましあって、来年の
再会を約して家路につきました。
永広 格
月にご結婚され
組のカップル
時間があっと言
いただきました。
風の前で発表して
の婚約報告を金屏
る
らは卒業生同士で
ました。卒業生か
報告していただき
その後先生方の
近況を一人一人ご
い、一位のWiiが中野春香さんに当たりました。
6
秋の丹波路へ
10
鮎茶屋にて平成
杯、ご馳走を頂きながらの歓
秋晴れの十月十五日に和歌山のホテ 平 成 年 月 日 ︵ 土 ︶ 有 田 市
ルアバローム紀の国で今年の6期同窓 年度卒業生同窓会を開催しました。
泉 泊、 丹 波 篠 山・ 神 戸 周 辺 を
身に着けた﹁自称アラビアの
お互いの元気を確かめ合いました。
2
卒業生 名、先生方 名の参加でした。今回、同窓
会が開催され、遠く東京からの参加者
会には御出席されませんでしたが、田中清子先生よ
巡るバスの旅。︵大阪組ホスト︶
王子﹂が登場、﹁月の砂漠﹂
爽やかな秋空の下、バスは
丹波路へ。篠山盆地の中心
地、篠山藩の城下町として繁
栄した篠山町に着く。
人
次いで﹁神戸花鳥園﹂へ。
美しい花々や珍しい鳥たち
に、熱帯の自然を満喫する。
2
う間にすぎ最後は
当時の生徒会長桐
谷君の挨拶で締め
くくられました。
幹事 鳥淵厚子
戸田冴香
宮芝 翌
宮崎美枝
「同窓会館建設」夢の実現にご理解とご協力を!
22 高 5 2
期
1
71
12
10
高 6期
を歌い上げる。座は更に盛り
年、同窓会は 回目で 年ぶりですが、懐かしい顔が
私たちはもうすぐ﹁後期高齢者﹂と
上 が る 。 会 場 い っ ぱ い に 響 き いうおかしな名の年代に組み込まれる 揃いました。
渡 る 校 歌 の 大 合 唱 で 幕 。 部 屋 ことになりますが、われわれ6期生は
まずは山中先生よりご挨拶を頂き、白井先生の乾杯
で宴は始まりました。歓談の中、ビンゴゲームを行
ボ ラ ン テ ィ ア の 女 性 の 案 内 でも夜更けまで話は尽きぬ。
で、市立歴史美術館で丹波篠
翌日は曇、最近話題の、神
戸市長田区の公園に建つ﹁鉄
観。特産の栗・本日解禁の黒
からの復興と発展を願ってと
山築城四百年記念特別展を拝
豆枝豆・松茸等を並べる店や
のこと。
号﹂の巨像を見る。震災
地酒の店が並ぶ通りを経て城
址へ。天守閣はないが石垣や
大書院も見事なもの。散策後
有馬へ。
﹁有馬御苑︱金泉の湯﹂で
南京町では、円卓を囲み美
ゆったりと疲れを癒す。
味しい広東料理の昼食。
1
高 4期
六時からは宴。まず物故者
最後の訪問先﹁手塚治虫記
に 黙 祷 。 開 会 、 会 長 挨 拶 、 乾 念館﹂では只々感服。
総勢三十名。
共に眺め共に食
し共に語る至福
の時を過ごした
二日間。
︵宮下
稔︶
らァ⋮⋮﹂
﹁連れもていこ
来年は湯浅組
が担当、また、
復興と発展を願っての鉄人 28 号
2
3
28
( 10 )
耐久高等学校同窓会報 第25号
耐久高等学校同窓会報 第25号
( 11 )
昭和 年度卒業生 年目の同窓会
57
27
有田市の橘家で行われました。
180名の参加者が集い、池下
勝也君の名司会でスタート。幹事
にご挨拶していただきました。︵御
音頭を機に会場は堰を切ったダ
が出来ました。中には、夫婦でお
雰囲気で楽しい時間を過ごすこと
中 内 祐 也
(高45期)
橋本印刷所
湯浅町山田10-13 TEL 63-3769
橋 本 佳 己(高4期)
思い出話に花が咲きました。
ま た、 思 い の ほ か 好 評 だ っ た
の が、 お 年 玉 付 き ビ ン ゴ ゲ ー ム
ム?のようにワイワイガヤガヤの
年玉を2個ゲットする強者もいま
ましたが、一度話し始めれば、気
終了しました。
長 い け れ ど も 短 い1 日 が
時 間 の 経 つ の も 忘 れ て、
て、 3 次 会、 4 次 会 へ。
を 惜 し む 仲 間 た ち。 そ し
い、 飲 み 足 り な い、 名 残
わ れ ま し た。 話 し 足 り な
所を変えての2 次会が行
そ の 後 も、 半 数 を 超 え
る 同 級 生 た ち が 残 り、 場
した。
1次会がお開きとなりま
歳 の 同 窓 会 で の 再 会 を 約 束 し て、
長︵的場︶の挨拶に続いて、恩師
二十数年の月日で、髪の毛は風 した。
の先生方を代表して垣内惇三先生 化、体はメタボな同級生も大勢い
会の終わりに、我らが母校耐久
高校校歌を大合唱し、5年後、
大宴会となりました。
おられ、びっくりです。︶そして、 でした。宮井将行君のユーモラス
2010年1月3日。卒業後
年 を 経 て 初 め て の 学 年 同 窓 会 が、 古谷仁和先生のパワフルな乾杯の な進行も手伝って終始なごやかな
27
持ちは高校生に逆戻り。懐かしい
50
最 後 に な り ま し た が、
今回の開催にあたり同窓
会事務局の方々には大変
お 世 話 に な り ま し た。 本
当にありがとうございま
した。
幹事代表
的場
久
頑張れ母校・負けるな耐久
塗装のことなら
高35期
年 歳だそうですが、矍鑠として
82
有田耐久会
第2回有田耐久会
︵第 回 耐 久 会 ︶
ゴルフコンペ開催
、有田東
平 成 年 月 日︵ 水 ︶
急ゴルフクラブに於いて、8組 名
の方々に参加していただき恒例のゴ
ルフコンペを開催いたしました。今
回はグロス で、田尻満男さんが優
勝されました。ちなみに、 はベス
トグロスで、岩崎文彦さんも同スコ
アで2位になりました。
同窓生という絆のせいか、どの組
も和気あいあいとした雰囲気で楽し
い 一 日 を 過 ご さ れ た よ う で す。
31
日︵ 水 ︶ を
82
予定していますので、皆さんお誘い
合わせの上、ふるって御参加下さい
ますようお願いいたします。
政夫美
♦申込先
柏原
℡〇七三七ー五二ー三四二六
(高 19 期)
湯浅町湯浅 1146
TEL(0737)62−3636
問い合わせ先 グリーンソサエティー
三ツ村 0737 − 63 − 0401
東 正 一
場 所 湯浅町重要伝統的建造物群保存地区
10
82
中 内 塗 装
日 時 4月14日(水)
∼18日(日) 18:30∼21:00
30
21
次 回 は、 3 月
21
24
東 表具店
第4回 ゆあさ行灯アート展
有田耐久会より図書館へ
図書購入費目録の贈呈
郵便振替口座の開設について(口座番号)00900-5-298293(口座名称)和歌山県立耐久高等学校同窓会(加入者払込局)湯浅郵便局
茶 道 部 の 巻
本 校 の 茶 道 部 は 本 館4 階
部員は3年生3名、2年生6
名、1年生2名です。大きな行
൳ௗ‫ ظ‬౭ġ
齋
藤
春太郎 ︵旧中 期︶
・病室にパステル調の春の花
贈りし人の心根にくし
長
谷
康
富 ︵旧職員︶
・まだ更に言ふことあるらむ
十余年ぶりなる友の話し止まらず
作の順序であるとか、ものの位
生徒達はお手前の一つ一つの
動作を丁寧に教えられます。動
開いての稽古が始まります。
ていて、 月になると﹁炉﹂を
畳には本格的に﹁炉﹂が切られ
数年前から、茶道部の研修旅
行として例年京都に行くのを生
しい﹂と言ってくれました。
たところ、とても喜んで﹁おい
たりもします。また、ニュージ
地域の文化祭のお茶席に参加し
た。その他の行事では、他校や
久の精神とこれからの教
日︵火︶に開催された﹁耐
玉井済夫︶三名の先生を
◎︵ 垣 内 貞、 藪 添 泰 弘、
パネリストとして
︱
月
等を
◎ 一・一 七 あ れ か ら 十 五
年。 今 年 神 戸 で の 慰 霊 式
典 に は、 皇 太 子・皇 太 子 妃
両殿下がお揃いで献花さ
れ ま し た。 被 災 し た 孫 を
引き取り湯浅小学校でお
世話になった日々を回想
し一日中関連放映された
番組に釘づけになったも
の で し た。 今 ま た 悪 魔 が
ハイチで⋮⋮。 ︵橋本︶
◆ご献金に感謝
・旧中 期同窓会様
・旧中 期同窓会様
・有田高等女学校同窓会様
・高校 期同窓会様
・廣田史郎様 ︵高 期︶
・橋本和明様 ︵高 期︶
・郵 便 振 替 に よ る 、 ご 協
力で支援下さった多く
の皆様にも御礼を申し
上げます。
▶ご投稿お待ちしています。〒 643-0004 湯浅町湯浅 1985 耐久高等学校・同窓会事務局 TEL(0737)62-4148
﹃編集後記﹄
第 号ができました。
下野会長をはじめ全役員揃って
留任していただけることが、本部
芭蕉
さまざまの事おもひ出す桜哉
桜の季節もすぐそこです。
ないでくださいよ。
します。耐久同窓会の存在も忘れ
門出を祝福し、将来の活躍を期待
卒業される生徒の皆さん。
二十一世紀の中枢となる君たちの
した。
が、二十一世紀も十年代に入りま
意味の発言は広く知られています
は 存 在 し な い で あ ろ う。
﹂という
であろう。さもなくば二十一世紀
世紀はふたたび精神的時代となる
熊野、伊勢でも感動を露わにし
たアンドレ・マルローの、
﹁二十一
せください。
ため、ご意見やアイデアなどお寄
れしいです。よりよい会報作りの
の活躍を見ていただけることがう
号、同窓生の方々の様々な分野で
たまものと感謝申し上げます。毎
物心両面にわたる皆様のご支援の
原稿の執筆、寄付や協賛広告など
この﹃会報﹄も毎年2 回滞るこ
となく発刊してきました。これも
お察しいただけると思います。
歌山各支部の活動の様子も誌面で
会 で し た。 な お、 関 東、 関 西、 和
有田耐久会総会も同時に行われ盛
ることも決議されました。今回は
向けて、記念事業の準備組織を作
2 年 後 に 迫 っ た 創 立1 6 0 周 年 に
の定期総会で決まりました。また、
25
ていないか、そういった細かい
気配りが計算され尽くしている
のであまり目立ちません
事は何といっても文化祭です
ように思われます。
が、 週 3 回、 お 手 前 の 稽
が、
まだ暑さの残る9月なので、
の作法室で活動している
古 を し て い ま す。 そ の う
生徒達はゆかたを着て雰囲気作
りをします。今年度は150名
ち1 回は箕島の表千家舛
田節子先生の指導を受けていま
置とか、細かい作法はそれぞれ
徒達は楽しみにしています。今
育 を 考 え る ﹂ フ ォ ー ラ ム。
齋
藤
雅
子 ︵高 期︶
・七十を超えて集いし同窓生
人とは問わずあの子だあれと
に意味があって理にかなったも
年度は
本校教育理念である校訓
す。
作法室は数年前に改造され、 くらいのお客さんで大忙しでし
のになっています。どうすれば
い宇治・上林記念館や資料館を
﹁ 真 健 美 ﹂、﹁ 校 歌 ﹂ に 込 め
月に宇治茶で歴史の古
40
中
内
京
子 ︵高 期︶
・老犬の逝きて五ヶ月過ぎし朝 こ や
雪しんしんと犬舎跡に消ゆ
身のこなしが自然にきれいに見
見学し、また哲学の道にある京
られた耐久精神
ーランドからの留学生を招待し
えるか、客をもてなす心に背い
都茶室棟へ行って本場のお抹茶
11
8
絆
中 心 に 熱 く 語 り 合 わ れ た。
あらためて耐久の伝統と
未来について再認識した
26
15
部活OB・OGたちの
を味わってきました。
このように、日本の伝統文化
である茶の湯の世界を少しでも
この様な企画が今後も引
次第である。
よう、少人数のクラブではあり
き 継 が れ、 母 校・ 耐 久
若い人たちに受け継いでいける
ますが、途絶えることなく活動
のますますの発展に寄
与されることを心よ
り願う。
28 17
1
を続けられたらと思っていま
す。
顧問
三木
明美
42 38
15
12
( 12 )
耐久高等学校同窓会報 第25号