平成 16 年度卒業研究論文 国籍変更するスポーツ選手とその理由 富山大学 人文学部 国際文化学科 比較社会論コース 4 年 学籍番号 0010020295 中川 真美 目次 はじめに ............................................................................................................................ 2 第1章 序論 ..................................................................................................................... 3 第2章 スポーツと国籍変更 ............................................................................................ 4 第1節 スポーツの定義 ................................................................................................ 4 第2節 国籍とは........................................................................................................... 7 第3節 競技団体、及びIOCのおける国籍変更に関する規定 ........................................ 9 第3章 国籍変更を行う選手の事例調査 ..........................................................................14 第4章 国籍変更を行う選手たちの理由..........................................................................21 第1節 個人的理由 ......................................................................................................21 第2節 外的理由 .........................................................................................................25 第5章 スポーツの商業主義化と選手の国籍変更の関係 .................................................28 第1節 国際的なスポーツ大会への商業主義の介入 .....................................................28 第2節 スポーツ大会の商業主義化と国籍変更選手との関係.......................................29 第3節 スポーツ選手が国籍変更をする理由 ...............................................................32 第6章 結論 ....................................................................................................................34 終わりに ...........................................................................................................................37 参考文献・資料一覧..........................................................................................................38 巻末資料 ...........................................................................................................................40 1 はじめに 2002 年のサッカーワールドカップ日韓共同開催や 2004 年の夏に行われたアテネオリンピ ックでの日本勢のメダルラッシュなど、日本代表選手の活躍で日本の国全体が盛り上がっ たのは記憶に新しい。私自身も大スクリーンを前にサッカー日本代表を応援し、アテネオ リンピックでは、深夜まで起き日本人の活躍を必死に見ていた。自分の国の選手が良い成 績を取ればとるほど大喜びし、感動したりした。 彼らはそのような大会に向けて、想像も付かないほどの努力をし、彼らの国の代表だと いう使命を掲げて出場している人も少なくない。オリンピックの表彰式では選手個人の名 前が呼ばれる前に、「〇〇国代表(The representative of 〇〇)」と言われ名前が読み上げ られる。このような国際的なスポーツ大会では、一つ一つの国を代表し出場し、選手が良 い成績を収めることがその国が良い成績を収めることにつながっている。 しかし、国家単位で競技を競う大会に出場するスポーツ選手の中には、元々違う国籍だ ったものを新たな国籍を取得して代表として出場している選手がいる。今年8月アテネで 開催された 2004 年夏季オリンピック競技大会の数ヶ月前にも、15 人の選手が IOC(国際オ リンピック委員会)の裁定により新しい国籍での出場資格を認められた(巻末資料 表1)。 また、サッカー日本代表選手の中にも三都主アレサンドロや田中マルクス闘利王選手など ブラジル出身の選手が日本国籍を取得して日本代表としてプレーしていることも良く知ら れている事実である。 私は国家という枠組みで競技を競うスポーツ大会に国籍を変えて出場する選手がいるこ とに疑問を感じ、彼らがなぜ国籍を変更したかという理由が知りたくなった。 2 第1章 序論 本論文では、国籍変更をした選手、または、国籍に関する事柄に何らかの形で関わった 選手の、国籍変更の理由を事例とし、彼らが国籍変更をした理由には、近代スポーツが抱 える何らかの潮流と関係しているのではないかということを考察したい。 調査方法としては、主にインターネットを利用した。過去に国籍変更をしたことのある 選手、国籍変更はしなかったがそれに関わった選手についての記事を調査し、彼らがなぜ 国籍変更をしようとしたのか、その理由を調べた。 第2章で、まず論文を進めていく上でキーワードとなる「スポーツ」と「国籍」という 言葉について定義し、また国籍変更するにあたり、各競技団体や IOC はどの様な規定を持 っているかを取り上げる。第2章、第1節で、 「スポーツ」をその年代と性格の違いから前 近代、近代、現代の3つに区別して述べ、第2節で「国籍」とは一体何なのか、国籍変更 にはどの様な用件が必要なのか記述し、第3節で、国際サッカー連盟(FIFA)、国際陸上連 盟(IAAF)、国際オリンピック委員会(IOC)を例に挙げ、競技選手の国籍変更にそれぞれどの 様な規定を持っているか紹介する。 その後、第3章から事例について紹介をしている。国籍変更をした選手を扱った文献が 見つからなかったため、2004 年 5 月から 12 月の間、主にインターネットを使って国籍変更 をしたスポーツ選手について調査したところ 65 人見つかった。その中には名前だけの事例 やインターネットを利用したために信憑性に欠けると思われるものもあるため、選手自身 のホームページやニュース記事やインタビュー記事としてインターネット上に載っている もののうち、国籍変更の理由について記述のあるもののみを事例の対象とした。 第4章は、第3章で先述した事例から国籍変更について発言した部分を中心にスポーツ 選手たちが国籍変更をする理由について考察していく章である。第3章で挙げたインタビ ューやニュース記事の事例から、選手によって国籍変更をする理由も複数あることが分か った。それらを、個人的な理由と外的な理由の2つに大きく分け、それらをさらに7つの 理由に分類し、記述している。 第5章は、第4章に挙げたスポーツ選手が国籍変更をする理由は、国際的なスポーツ大 会が商業主義化したことと関係があるということを考察する章である。まず、スポーツ大 会に商業主義化について説明し、その後に、第 4 章であげた個々の国籍変更の理由と照ら し合わせて、スポーツ大会の商業主義化が、どのようにスポーツ選手の国籍変更に関わっ ているのか述べていく。最終的に、スポーツ選手の国籍変更の理由はいくつかあるが、そ れらはスポーツの商業主義化に関係していると結論付ける。 3 第2章 第1節 スポーツと国籍変更 スポーツの定義 ここでは、スポーツというものがどういうものかを定義づけたいと思う。スポーツはそ の年代と性格の違いから前近代スポーツ、近代スポーツ、現代スポーツの 3 種類に分類す ることができる。 1-1 前近代スポーツ 前近代のスポーツとは市民革命と産業革命の起こる以前、つまり前近代社会下のヨーロ ッパ社会で行われていたスポーツで、今日の言うところのスポーツとは全く違ったもので あった。17 世紀のイギリスで、スポーツという言葉が示す活動は、その語源や語義の示す ような、冗談や歌、踊り、チェスやトランプなど、あらゆる楽しみが含まれ、野外の身体 活動はその一部でしかなかった。しかも、交通手段が乏しく、他地域との交流の少なかっ たこの時代のスポーツやゲームの特徴の一つは、それぞれの国や地域、民族に固有のもの (フォーク・ゲーム)として発展したことだった1。 1-2 近代スポーツ 近代スポーツの特徴は、統一ルール・統一組織をもつことにあるといわれ、その歩みは、 多くの場合、イギリスに求めることになる2。イギリスでは、18 世紀後半から 19 世紀にか けての産業革命によって近代社会が確立するが、その担い手はブルジョアジーと呼ばれる 市民階級の人々であった。宗教的に解放され、政治的・経済的主導権を確立した彼らは、 自由と平等を主張し、競争原理が支配する近代市民社会、資本主義社会を形成していった。 中世までの娯楽あるいは伝統行事としてのスポーツは、競争原理、能力主義を信条とす る近代ブルジョアジーの手によって大幅に改変され、彼らはそれを自分たちの文化として 楽しみ擁護していった。特に 19 世紀に入り、市民階級の子弟が多く入学したパブリックス クールにおいて、プリーフェクト・ファギング制度3を活用した生徒たちの自主的な課外活 動の中で、競技スポーツは性格形成のための手段として容認され、飛躍的な発展を遂げる。 そこでは、クリケットやフットボールなどの集団スポーツが行われたが、その過程で「自 由、自主、自立」あるいは「スポーツマンシップとチームスピリット」というイギリスの スポーツ文化を特徴づける行動規範が形成されていった。その後パブリックスクールのス ポーツはルールが統一され、組織化されると同時に、アメリカや西ヨーロッパへと広がり、 1 丸山富雄編著『スポーツ社会学ノート-現代スポーツ論』中央法規出版、2000 年、10 ページ。 関春南、唐木國彦編『スポーツは誰のために-21 世紀への展望』大修館書店、1995 年、199 ページ。 3 プリーフェクト・ファギング制とは、イギリスのパブリックスクールにおける上級生または監督生によ る下級生の監督という、生徒による自治制度。 2 4 さらにはクーベルタン4の教育思想にも大きな影響を与え、近代オリンピックの誕生ととも に世界に普及していった。このように近代スポーツとは、近代社会のリーダーであったブ ルジョア階級の思想や価値観を携えた競技スポーツとして誕生したのである5。 アレン・グッドマンによると、近代スポーツを伝統社会の身体競技(前近代スポーツ) と比べた違いは、①世俗性、②平等性、③官僚化、④専門化、⑤合理化、⑥数量化、⑦記 録への固執の 7 つである。 ① 世俗性 近代スポーツは、儀礼的側面を持つようになったり、強烈な感情を呼び起こしたりす る傾向を持つにもかかわらず、(前近代のスポーツがしばしばそうであったように、)霊的 なものとか聖なるものといった超自然的領域には関与しない。 ② 平等性 近代スポーツにおいては、少なくとも理論上は、何人も(人種や民族といった)個人の属 性を理由に拒否されることがあってはならず、ゲームのルールもすべて参加者に共通であ ることが求められる。 ③ 官僚化 近代スポーツは通常、聖職者の秘密会議や儀礼に通じた神官たちによって支配、運営さ れているものではなく、国家的ないし国際官僚機構(たとえば国際オリンピック委員会や国 際サッカー連盟など)によって管理されているという特徴を持つ。 ④ 専門化 近代スポーツの多くは、かつてさほど違いのなかったゲームから進化してきたのだが、 今では、クリケット、野球、フットボールのように、さまざまに専門分化した役割や競技 ポジションを分担するようになっている。 ⑤ 合理化 近代スポーツのルールは目的-手段という観点から常に吟味され、頻繁に修正される。 競技者たちは科学的なトレーニングを積み、最新の技術を駆使した用具を使用する。そし て、自らの技量を最も効率的に発揮できるよう懸命に努力する。 ⑥ 数量化 われわれの生活のほとんどすべての領域においてそうなのだが、近代スポーツにおいて 統計は、ゲームにとって明らかに不可欠な部分を構成するようになってきている。 ⑦ 記録への固執 「記録」という、すぐれて近代的な用法によって表現される数量的達成は、それを塗り 替えることによってが、人々にとって飽くなき挑戦の対象となっている6。 4 近代オリンピックの創始者ピエール・ド・クーベルタン(1853~1937)。 丸山、前掲書、10 ページ。 6 アレン・グッドマン著 谷川稔・石井昌幸・池田恵子・石井芳枝訳『スポーツと帝国-近代スポーツと 文化帝国主義』昭和堂、1997 年。 5 5 1-3 柔道と相撲の例から見る前近代スポーツと近代スポーツとの違い ここでは、柔道を近代スポーツへの変遷を特徴的に受けているもの、相撲を前近代スポ ーツとしての色合いが強いものの例とし、近代スポーツと前近代スポーツの違いについて 説明する。 柔道は日本伝来の武術(柔術)に創意改良が加えられ、嘉納治五郎により 1882 年に創始 されたものである。元来柔道は、競技や試合は想定されておらず、あくまで個人の人格の 完成という目的達成のための方法(修行)であった。この点に明確に武術の論理が生きて いる7。しかし、1997 年 10 月のIJF(国際柔道連盟)総会は、白色の柔道着に示される伝統文 化を主張する全日本柔道連盟(全柔連)の主張を退け、賛成 127、反対 38 の票数でカラー 柔道着の導入を正式に決定した。欧州柔道連盟発議によるIJFのカラー柔道着の提案倫理の 規定には、現行のままだと審判員の「判定」がしづらくテレビ映りも悪いので、柔道のス ポーツとしての娯楽性、合理性、機能性に着目して、見る面白さの追及に徹底しようとし た近代スポーツの明快な倫理がある。 このカラー柔道着以外に、次のような多くの提案が主として欧州柔道連盟からなされて いる。①IJF による賞金大会の開催、②「抑え込み」の時間短縮、③試合場をマットにする 提案、④柔道着の改良、⑤判定のポイント制の細分化、⑥柔道着による広告の容認(広告の 柔道着への縫い付け)、⑦世界ランキングの作成、⑧プロ選手の参加容認。 IJF のこうした提案の基底には、だらだらした試合は面白くなく、時間のロスは見ていて もつまらないという「スポーツの論理」があり、柔道がスポーツであるなら勝敗を明確か つ合理的にすべきだし、娯楽性(面白さ)の追求と並んで近代スポーツの論理にも従うべき であるという一貫した姿勢を見て取ることができる。競技条件の平等を保障するために「体 重制」が導入されたことも近代スポーツの特徴である「合理主義」「平等主義」を基本とし ているためである。 一方、相撲は一般に古代神道の流れを汲み、日本固有の伝統文化を継承してきたと言わ れている。今まで多くの外国人力士がいたが、彼らが引退後、「親方」として協会に残るた めには「年寄株」を得なければならず、それには日本国籍の取得が絶対要件となる。また、 1990 年の初場所前、当時の森山真弓官房長官は千秋楽に優勝力士に内閣総理大臣杯を手渡 す意思を示したが、女性が神聖とされる土俵に上がることを阻止しようとする相撲協会の 反対にあって断念した。これらの事柄を相撲協会は、日本の大相撲の伝統文化であるとし、 自文化を守ろうとする大相撲は伝統スポーツ(前近代スポーツ)としての色合いが強いとい える8。 7 池田勝・守能信次編『講座スポーツの社会科学4-スポーツの政治学』杏林書院、1999 年、124~125 ペ ージ。 8 池田・守能、前掲書、121~123 ページ。 6 3-3 現代スポーツ 近代スポーツはクラブを単位として組織されてきた。しかしその組織原理は、先に見た ように競争や効率化・合理化の原理と一体化して自らの自由を拘束してくる状況に至り、 大衆スポーツマンの敬遠するものとなった。この現象は、近代スポーツが最も発展してい る国々や地域・人びとのなかで顕著である9。 近代スポーツ(競技スポーツ)がますます高度化し、プロ化の傾向にあるのに対し、他方、 大衆化という面では、スポーツの担い手の拡がりとスポーツ活動、スポーツ類型の多様化 という特徴を持っている。生涯スポーツやニュースポーツといわれるそれらは、誰もが気 軽に参加でき、教育や訓練として、主に運動エリートによって担われた競技スポーツ、近 代スポーツとは違い、ルールの可変性、ルールを固定しないという考え方がその根底にあ る10。 このように、現在私たちがテレビやスタジアムで見るスポーツは、競技スポーツと呼ば れ、数値による平等化や合理化、効率化、競争の原理から成る近代スポーツである。本論 文で、事例として取り上げる選手たちも組織化されたクラブや協会に所属していて、それ ゆえに国際的な競技大会やスポーツイベントに出場できる近代スポーツを担っている選手 なのである。 第2節 国籍とは 本論文で事例の対象となるのは国籍を変更したスポーツ選手、または国籍変更に関わっ た選手である。そこでこの章では国籍とはどんなものか国籍変更にはどういった規定や段 階があるのかを、事例を紹介する前に記述する。 2-1 国籍-血統主義と出生地主義 国籍は「人を特定の国家に属せしめる法的な紐帯」であり、「個人が特定の国家の構成員 である資格を意味する」と説明されている。私たちにとって国籍は、原則として、生まれた ときに決定される。もちろん生まれたあとに帰化や届出によって、新たに国籍を取得した り、従来の国籍を失うこともあるが、例外的に無国籍児にならない限り、大抵の人は、生 まれたときに特定の国籍を取得している。それでは、生まれたときの国籍は、どのような 基準で決定されるのであろうか。この点について、各国の国籍法は大きく、血統主義と生 地主義に分かれる。 前者は、親の血統によって、国籍を決定する主義であり、親が自国民であれば、子ども も自国民とする。例えば、ドイツ、オーストリア、イタリアなどのヨーロッパ大陸諸国、 ならびに、日本、南北朝鮮、中国などの東アジアの国が血統主義を採用している。後者は、 9 10 関・唐木、前掲書、209 ページ。 丸山、前掲書、13~14 ページ。 7 子どもが生まれた地がどこであるかによって、国籍を決定する主義であり、自国の領土内 で生まれた子どもを自国民とする。たとえば、アメリカ、イギリス、オーストラリアなど の、いわゆる英米法系の諸国、ならびにブラジル、チリ、ペルー、アルゼンチンなどの移 民受入国が生地主義を採用している。 しかし血統主義を採用する国も、例外的に生地主義を採用したり、生地主義を原則とす る国も部分的に血統主義を採用している。さらに、カナダやメキシコのように、血統主義 と生地主義の両方を採用している国もあるため、世界各国の国籍法を、完全に血統主義ま たは生地主義のいずれかに分類することは、ほとんど不可能である11。 2-2 国籍の取得 生まれたときに与えられる国籍の取得の方法は血統主義や生地主義など、各国によって 様々である。では、生まれた後に新しい国籍を取得することについて各国ではどのような 違いがあるかを、この章では見ていくことにする。生まれたときに国籍を取得することと、 生まれてから新しい国籍を取得することを区別するため、2-2では、後者を帰化と呼ぶ ことにする。 1)日本における帰化 日本の国籍法における帰化は、法務大臣の許可を要する裁量帰化である。したがって帰 化の請求権があるわけではない。国籍法が定めているのは、あくまでも法務大臣が帰化を 許可する「条件」であって、帰化請求権の「要件」ではない。そのため、外国人による帰 化の申請は、許可の前提条件にすぎない。帰化申請には、①日本に 5 年以上住所を有し、 ②20 歳以上であり、③素行が善良であり、④自己または配偶者によって生計を営めること、 ⑤国籍を持たず、または日本国籍取得によってその国籍を失うことの5つの条件を満たし、 これらの条件を満たしていると証明する書類を提出し、それ以外にもさまざまな書類を提 出しなければならない。これは普通帰化と呼ばれ、普通帰化のほかにも、日本人と結婚し た外国人は、3 年以上日本に住んでいるか、結婚して 3 年以上たって、日本に 2 年以上住ん でいる場合、一部の条件が免除され、まだ未成年だとしても、帰化が許可されることがあ る。 日本での帰化の特徴は、条件の⑤であり、これはつまり、外国籍を持っているものは、 その国籍を失わなければならない重国籍防止条件を意味する12。 2)ヨーロッパ諸国における帰化 日本の国籍法は、国際結婚した夫婦や重国籍の子どもに対して、日本国籍か外国国籍の いずれかの選択を求めており、できるかぎり、重国籍を防止しようとしている。これに対 して、ヨーロッパ諸国の立法は、それほど厳格に重国籍の防止を求めていない。まず、自 11 12 奥田安弘著『家族と国籍-国際化の進む中で』有斐閣選書、1996 年、13 ページ。 同上、70~79 ページ。 8 国民と結婚した外国人に対して、簡易帰化を認める国のうちでは、ドイツとスペインは、 従来の国籍の喪失帰化の条件としているが、イギリス、スイス、オランダは、これを条件 としていない。また、フランス、ベルギー、イタリアは、届出による国籍取得を認めてお り、一定期間以上の結婚や居住を要件としたり、同化が不十分である場合には、届出を認 めないことがあるが、従来の国籍の喪失は、要件としていない。 次に、自国民が外国国籍を取得した場合、ベルギーは、原則として、日本と同様に、国 籍を失わせるが、ドイツとスペインは、これを外国居住者に限定している。また、フラン ス、イギリス、イタリアは、外国国籍の取得を理由とした国籍喪失を全く規定しておらず、 国籍離脱の自由だけを規定している。さらに、これらの国は、少なくとも自国で生まれた 重国籍の子どもに対しては、重国籍の解消を求めていない。これに対して、外国で生まれ た重国籍の子どもについては、一定の要件の下で、自国の国籍を失わせる国がある。たと えば、22 歳までに国籍の留保の届出がなかった場合(スイス)、成年後さらに 10 年間、外 国に居住していた場合(オランダ、ベルギー)、などである。しかし、日本のように、出生 後わずか3ヶ月というような短期間に、国籍の留保を求める国は見当たらない13。 第3節 競技団体、及び IOC のおける国籍変更に関する規定 第3節では、競技団体が国籍の変更についてどのような規定や規則を持っているかを取 り上げる。例として国際的なスポーツ大会として代表的なものと考えられるオリンピック とサッカーワールドカップを主催する IOC(国際オリンピック委員会)、FIFA(国際サッカ ー協会)、と世界で最も加盟国が多い競技団体である、IAAF(国際陸上連盟)、の3つの団 体・委員会を取り上げた。 3-1 国際オリンピック委員会(IOC) 競技者の国籍 1. オリンピック競技大会に出場する選手は、その競技者のエントリーを行う NOC(国内 オリンピック委員会、以下 NOC)の国の国民でなければならない。 2. 競技者がオリンピック競技会で代表する国を決定することに関する論争は、全て IOC 理事会が解決するものとする。 付属細則 1.同時に二つ以上の国籍をもつ競技者は、自己の判断により、どちらの国を代表して もよい。 しかし、オリンピック競技大会、大陸別競技大会、もしくは関係国際競技連盟(IF、 以下 IF)が承認した地域別選手権大会、もしくは世界選手権大会において、一方の国 を代表した後はもう一つの国を代表することはできない。但し、国籍を変更したも 13 奥田、前掲書、108~109 ページ。 9 のもしくは新しい国籍を取得した者に適用される下記第 2 項で規定の諸条件を満た しているものは例外とする。 2.オリンピック競技大会、大陸別競技大会、もしくは関係 IF が承認した地域別選手権 大会、もしくは世界選手権大会において、一方の国を代表した後 国籍を変更した 者もしくは新しい国籍を取得した者は、当該競技者が前回代表として参加した最後 の大会いらい少なくとも3ヵ年経過していることを条件として自己の新しい国を代 表してオリンピック競技大会に参加することができる。但し、この期間については IOC 理事会がそれぞれの事情を考慮して NOC と関係 IF の合意を得て、短縮または解 消することができる。 3.連邦に所属する州、行政区としての国・州・州もしくは海外県、国もしくは植民地 が独立を実現した場合、あるいは国境の変更によって一つの国は他の国に併合され た場合、または、IOC によって新しい NOC が承認された場合にも、競技者は引き続い て現在所属する国もしくは所属していた国を代表することができる。しかし、競技 者は、本人が選択を希望する場合、現在所属している国を代表するか、新しい NOC によってオリンピック委員会に参加を登録するかを選択することができる。但しこ の選択は1回限りとする。 4.この細則に明白に規定されていない全ての場合-特に、競技者が国籍を持つ国以外 の国を代表する立場におかれるような場合、もしくは競技者が代表しようと思う国 に関して選択をしなければならない立場におかれるような場合-には、IOC理事会が、 一般的及び個別的な性格を持つ決定をし、特に、競技者の国籍、市民権、住所もし くは居住場所に関する特定の必要条件を待機期間のみ提示することができるものと する14。 3-2 国際陸上連盟(IAAF) 国籍と国籍変更 1.連盟メンバーは国際試合において、所属している国や地域の代表となる。 2.一度国際試合にある連盟の代表として出場しメンバーは、その後他の連盟の代表にな ることはできない。但し、以下の事情を除く。 (a) 国や地域の合併。 (b) 条約によって批准された新しい国や地域の設立。 (c) 新しい国籍の取得。この場合、競技者は以前の国際試合に出場してから少なくと も3年間は、新しい国や地域のメンバーとして出場することができない。もし両 連盟が合意すれば1年間まで減らすことができる。 14財団法人日本オリンピック委員会訳『Olympic Charter(オリンピック憲章)』、International Olympic Committee(国際オリンピック委員会)、2003 年、72~73 ページ。 10 (d) もし競技者が2つ以上の国籍を所有している場合や、重国籍が認められている地 域や国では、最後に競技者が国際試合に出場してから少なくとも3年間は、国際 試合に出場することができない。両連盟が合意すれば1年間まで減らすことがで きる。 3.(a) IAAF から除外された連盟の競技者・メンバーがそれ以外の連盟の競技者・メン バーを希望する場合、以下の条件でその連盟内の試合に出場することができる、 -以前の国籍を放棄し、新しい連盟のある国または地域の国籍を取得し、その連 盟によって公にする。 -新しい国や地域で少なくとも1年間生活をする。 (b) 3(a)の規定に従った競技者は新しい国や地域で少なくとも3年間生活した後、 国際招待試合に出場することができる。 (c) 3(a)の規定に従った競技者は新しい国や地域で少なくとも3年間生活し、新し い国籍取得した後、その国や地域の代表となることができる。 (d) 選手が生活する期間は1年 365 日としその選手がその国または地域に到着した 日から数えるものとする。 (e) 365 日の内、その選手は合計 90 日以上他の国や地域にいてはならない。 (f) この規定の資格を希望するいずれの選手も、除盟した連盟の代表としての競技 活動を断たなければならない。 5.メンバーや、その事務員、コーチ、競技者は 5.3(f)のように除外された連盟の代表 と活動を行わない。この規定を破った場合は、除外や認可の規定が適用される15。 3-3 FIFA(国際サッカー連盟) 1.ある国の国籍を所有しているいずれの選手もその国の協会代表チームとして試合に 出場することができる。 2.一般原則として、選手は一度ある国を代表して公式試合に出場した経験がある場合 は、(それが試合の一部分であっても)他国のチームとして国際試合に出場すること はできない。 3.選手が一カ国以上の国籍を所有している場合、または、新しい国籍を取得する場合、 もしくは、競技者の所有する国籍のため複数の国代表として試合に出場できる場合 は、以下の例外を適用する。 (a) 21 歳の誕生日までに、選手は一度だけ所属協会を変更し、国際試合に出場するこ とができる。 但し、この権利は A 代表としての出場経験がない選手に限り、もし他の年代での 出場経験がある場合は他の国籍を既に持っている者でなければならない。FIFA 15 IAAF(国際陸上連盟),”Competition Rules 2004~2005” IAAF(国際陸上連盟),2003,pp20~21. 11 公式試合、大陸選手権、オリンピック競技会開催中に、それらの試合に出場して いる選手は、期間中、所属協会の変更を行うことはできない。 (b) ある国で試合に出場していたが、他の国の政府当局がその選手に国籍を与えた場 合、所属協会を変更することができる。この規定の場合、年齢制限はないものと する。 4.所属協会の変更を希望する選手は FIFA に要望書類を提出しなければならない。要望 書を提出した後は、選手は以前の所属協会で試合に出場することはできず、FIFA 委 員会でこの要望を検討し、調整や選手の移籍についてはより多くの規定を考慮する。 6.これらの規定を実行する時に、既に21歳の誕生日を過ぎていて、3(a)の条件を満 たす選手も、所属協会の変更を希望することができる。但し、実行してから12ヵ 月後に権利は消滅する。 16 また、所属協会の変更を希望する選手は以下の条件の内一つを少なくとも満たしてな ければならない。 (a) その選手の希望する国または地域で、その選手が出生している。 (b) その選手の希望する国または地域で、実の父親または母親が出生している。 (c) その選手の希望する国または地域で、祖母か祖父が出生している。 (d) その選手の希望する国または地域で、継続的に少なくとも2年間生活をしている 17 。 以上の各競技団体、IOC の国籍変更に関する規定や規則に共通することは、原則として選 手は、ある一つの国の代表として競技会や国際試合に出場することができるということ。 二つ以上の国籍を持つ選手の場合は、どちらか一方の国の団体に所属し代表として出場す ることができ、その場合、一度ある国の代表として競技会や国際試合に出場した選手は、 その後他の国を代表することはできないということだった。 しかしながら、今回例にあげた3団体ともに、選手が一定の条件を満たせば、他国の団 体に所属し、その国の代表として出場することのできる細則を設けている。その条件とし て挙げられたものは、国や地域の合併や、独立などによるやむをえない外的状況の変化と、 その選手が国籍変更を希望する国で、ある一定期間以上居住することや、親や祖父母のそ の国で出生しているなど、変更先の国と選手の間に何らかのつながりがあるかどうかであ った。 16FIFA(国際サッカー連盟)ウェブサイト、 「Media Release」、2004 年 3 月 17 日付、 http://www.fifa.com/en/media/index/0,1369,74563,00.html?articleid=74563、2004 年7月 22 日確認。 17The FIFA Congress『FIFA Statutes‐Regulations Governing the Application of the Statutes』,The FIFA Congress,20004,pp59~60. 12 IOC(国際オリンピック委員会)、IAAF(国際陸上連盟)では、国籍変更の場合に年齢に よる制限はないが、FIFA(国際サッカー連盟)では21歳以下という、一定の制限がある ことが分かった。 13 第3章 国籍変更を行う選手の事例調査 第3章では、実際、過去に国籍変更を過去に行ったスポーツ選手や、国籍変更は行わな かったがそれに関わった選手の事例を挙げたいと思う。調査は主にインターネットを利用 した。調査した対象は 1990 年から 2004 年までの間に国籍変更をした、または国籍変更に 関わった選手である。対象となる選手を探したところ延べ 65 人の選手が見つかった。その 中には名前だけの事例やインターネットを利用したために信憑性に欠けると思われるもの もあるため、本文では選手自身のホームページやニュース記事やインタビュー記事として インターネット上に載っているもので、国籍変更の理由について発言や記述のあるものの みを載せている。調査を行った段階で、国籍変更の理由について発言をしていたり、国籍 変更の理由と思われるものについての資料があった選手は以下の 10 個の事例、計 19 人の 選手であった。なお、人名の表記は調査資料がカタカナ表記、英語表記などさまざまであ ったので、資料に載っているものをそのまま表記した。 事例1 Yoko Karin Zetterlund(堀江陽子) 種目:バレーボール 1969 年サンフランシスコに生まれ、6歳から日本で育つ。日米重国籍のため 22 歳の時に 米国籍を取得し、米国ナショナルチームとしてバルセロナ、アトランタ五輪に出場。彼女 はインタビューやエッセイで米国籍を選択した理由を以下のように語っている。 「私はアメリカで生まれ日本に移り住み、日本でバレーボールを始めて、高2の時 に日米重国籍者となり、22歳の時に米国籍を選択し、米国代表としてオリンピックを 戦ったのですが、幼少の頃から、ことあるごとに『私って、日本人なの、アメリカ人な の?』と母や自分に問いかけては悩んでいました。自分でアメリカ人と思えば、日本人 として扱われ、またその逆のこともあったりと、文化と自分の行ったり来たりしていた 自分がもどかしく思えることもありました。 ところが代表選手となり、オリンピックで戦う頃には、自分の中にあった『アメリカ 人』『日本人』へのこだわりは無くなっていました。確かに代表となれる国は限定されて しまうけれども、どこの代表としてということよりも、どんなプレーヤーとして、ある いはどんな一人の人間として、オリンピックに臨むかにこだわることの方が、はるかに 価値のあるものだと思ったのです。18」 「オリンピックに出られるならどこの国でもいいって感じでした。もちろんだから といって日本やアメリカという国に、特別な思い入れがないわけじゃないですよ。でも、 18 Yoko Zetterlund公式ウェブサイト「SportsEssay #61 オリンピックに国境はいらない」 http://www/yoko2.com/ 2004 年 11 月 22 日確認。 14 父がアメリカ人で母が日本人で、アメリカで生まれて日本で育った私にとっては、どっ ちの国を選択しろといわれたらどっちでもいいという感じで。だったら、バレーボール 」 でオリンピックに出られる可能性のある国を選んだというだけのことなんです19。 「全日本から声がかからなかったら、金メダルどころかオリンピックにも出場でき ない。自分の進みたいと思った道でチャンスがつかめなければ、意味がない。“スポーツ は実力主義”と聞いて育った私は、アメリカ国籍を選択しアメリカ代表のメンバーとし てオリンピックを目指しました20。」 事例2 宇津木麗華(任彦麗)種目:ソフトボール 東堂多英子・荒井周 種目:卓球 宇津木麗華は 1988 年に来日、1995 年に日本国籍を取得した。1998 年世界選手権代表。 中国・北京出身。宇津木妙子現ソフトボール日本代表監督に憧れ、24 歳の時に来日。1996 年のアトランタ五輪でソフトボールが正式種目に決まると、母国・中国の代表入りを断り 宇津木監督との世界一を夢見て日本に帰化した。「スポーツ選手に国境はいらない。純粋に 強い選手が出られる場にして欲しい21。」 宇津木麗華がオリンピックのアトランタ五輪の候補選手として選ばれた時、同じ中国か ら帰化した卓球の東堂多英子も候補選手として選ばれていた。オリンピック憲章 46 条細則 2 は、帰化して 3 年以内の選手は他国を代表してオリンピックには出場できないと定め、 「こ の期間は関連した国内オリンピック委員会(NOC)と国際競技連盟(IF)も同意と国際オリ ンピック委員会(IOC)の行政委員会の承認によって減らされたり取り消されたりする」と 規定している。彼女らは帰化して 3 年未満であったため、オリンピックに出場するには、 国際オリンピック委員会と国際競技連盟と、この場合中国オリンピック委員会からの承認 が必要であった。東堂選手は 3 つの組織から承認が得られ出場が叶ったが、宇津木選手は 中国オリンピック委員会の承認が得られなかった22。 また、同じように中国から日本に 1999 年に帰化した卓球の新井周は国籍変更について、 「初めて日本代表のジャージをもらったときは本当にうれしかった。競争の激しい中 国にいたら、五輪は無理だった23。」 とコメントしている。 19 財団法人大阪市スポーツ振興協会企画運営管理スポパラウェブサイト「アスリートインタビュー-スポ ーツに国境はない-ヨーコ・ゼッターランド」 http://www.supopara.com/sp/cover/0002-zetter/zetter03.html 2004 年 9 月1日確認。 20 クレディセゾン会報『la Saison』2004 年 9 月号、2~3 ページ。 21 『中日新聞』 「アテネ回帰-五輪の現実4」2004 年 7 月 14 日朝刊第 11 版付第1面。 22 池田・守能 23 『中日新聞』前傾記事。 前掲書、135~136 ページ。 15 事例3 辻占建スティーブン・藤田キヨシ 種目:アイスホッケー 1998 年冬季長野五輪で、男子アイスホッケー日本代表のうち、カナダから帰化した選手 が6人もいた。開催国として出場権はあるが実力が足りず、全敗を免れようと取った措置 である。日本国内リーグに日系人選手枠を設け、計画的に選手を呼び寄せた。本番で一勝 をあげメンツを保ち、その後、枠は廃止になった24。 そのうちの一人、辻占建スティーブンは、1962 年 2 月 28 日カナダ・アルバータ州コー ルデイル生まれ。カナダ・メジャージュニアでは WHL メディスンハットで 16 歳の頃から プレーし、1981 年エントリードラフトではフィラデルフィアが全体 205 位指名。その後カ ルガリー大学、北米マイナープロ(AHL)、ヨーロッパでのプレーを経て、1994-95 年から 日本リーグ(コクド)でプレー。その後日本国籍を取得し、1998 年長野五輪には日本代表 として出場した。日系3世としてカナダに生まれた辻占にとって、日本に行って国籍を取 得することなど、思いもしないことだったらしい。 「日本語の勉強? 全然そういう話はなかったね。まさか自分が日本に行くことにな ろうとは、まったく考えてもみなかったんだ。25」 藤田キヨシも同じカナダで生まれ育った日系人である。1972 年カナダに生まれ、1997 年 12 月に帰化。カナダのジュニアホッケーのリーグでプレイしていた時に、西武鉄道の夏 季キャンプに参加。その後、日本代表の U‐23 のキャンプに参加したところ、日本に来な いかと誘われた。 「もちろんすぐには決められなかったよ。でも、オリンピックに出られる可能性があ るというのはいい話だった。自分に日本人の血が入っているということは誇りに思うし、 家族の由来がこの国にあるというのもあって決めたんだ。オリンピックは本当にすばら しい経験だった。」 事例 4 秋山成勲 種目:柔道 1996 年、全日本学生体重別2位。近畿大学を卒業後、韓国・釜山に渡り、市役所に勤務 しながら柔道を続ける。2000 年には韓国代表として、韓国国際優勝。2001 年9月、日本国 籍を取得し帰国。2002 年の柔道アジア大会決勝で祖国である韓国代表と対決。試合後、「韓 国に勝ってどうか。」と聞かれ、「国に勝ったのではなく、一人の柔道選手に勝ったと思っ ている。」と答えた26 秋山選手は、国籍変更のついて聞かれ以下のように答えている。 24 『中日新聞』前傾記事。 Hockeyworldウェブサイト「辻占建スティーブン物語」 http://hockeyworldjapan.com/jihl/2001-2002/20011022_tsujiura.html、2004 年 11 月 22 日確認。 26 京都新聞ウェブサイト「日本人としてつかんだ金」2002 年 10 月 1 日付、 http://wwwkyoto-np.co.jp/news/flash/CN200210/012002100101000607.html、2004 年 7 月 12 日確認。 25 16 「どれだけ柔道で勝負できるかということを考えた時に、やっぱり日本で挑戦したいと 考えたんです。日本と韓国のレベルを考えると、上位選手の層の厚さを比較すると、日 本の方が上かも知れませんが、トップレベルの選手の力の差はないです。でも、日本は 柔道をつくった国でもあるし、日本ならイチからやり直して挑戦する価値があると思っ たわけです。 」 「(韓国から)日本に戻るときも柔道のことを最優先に考えていたんで、国籍が変わるとい うことに気負いとか、過剰な思い入れはというものは本当になかったんです。僕にとっ て国籍が変わるということは、そんなに大げさなことではなく、日本国籍を取得するこ とも自然の流れでそうなっただけだと思っています27。」 事例5 田中マルクス闘利王・三都主アレサンドロ 種目:サッカー 田中マルクス闘利王は 1981 年ブラジル生まれ。祖母が富山、祖父が広島出身の日系 3 世。 16 歳のときに日本への留学を決意。高校卒業後、広島サンフレッチェに入団し、水戸ホー リーホックにレンタル移籍し、現在は浦和レッズに所属している。2003 年 10 月に日本国 籍取得。国籍変更について聞かれてこう答えている。 「サンフレッチェに入る時も、帰化を考えたほうがいいよと言われたんですが、当時は そんな気持ちはなかったんです。でも、時がたつにつれて日本への感謝の気持ちが高ま り、何とか恩がえしをしたいと考えるようになった。僕は日本に拾われ、助けられ、成 長できたと思うんです。そこで考えられる最高の恩返しと言えば、日の丸をつけて感動 や喜びを与えることじゃないですか。」 「一日一日を大切に、いろんな人のいいところを見て学びながら成長していきたい。 その結果として日本代表やワールドカップがついてくればという感じです。ワールドカ 」 ップは究極の目標。出たくない選手はいないですからね28。 田中マルクス闘利王と同じく、ブラジル出身で 2000 年 11 月に日本国籍を取得した三都 主アレサンドロは、帰化申請中の頃、日本への帰化について迷いはなかったかと聞かれ、 「最初は日本人になりたいという気持ちは全然なくて、何年か経ってちょっとずつ気 持ちが変わってきた。」 「ワールドカップが全てです。サッカー選手としてワールドカップに出たい気持ちが 一番高い。(日本国籍を取得すれば 2002 年のワールドカップに出場する道も開けてくる 27 財団法人大阪市スポーツ振興協会企画運営管理スポパラウェブサイト「アスリートインタビュー 山での三年間が自分を変えた」、http://www.supopara.com/magazine/interview/vol27/index.html 2004 年 9 月 2 日確認。 28 加部究著『サッカー移民-王国から来た伝道師たち』双葉社、2003 年、285~286 ページ。 17 釜 ので、)とりあえず頑張って、結果を出さないといけない。 」 と答えている29。 事例 6 サイフ・サイード・シャヒーン(ステファン・チェロノ) 種目:3000m障害 2003 年 8 月の世界陸上でカタールから参加したシャヒーン選手の国籍は大会 1 ヶ月前ま ではケニア。ケニアの待遇に不満を持ち、「前から移る国を探していた。」といい、カター ル側からの月額 1000 ドルの提供などを条件に国籍変更した30。 また今年行われたアテネ五輪で、男子重量挙げ最重量の 105kg超級で金メダルを獲得し たイランのホセイン・レザデデは、その圧倒的な強さにトルコから国籍変更の打診を受け たことがあった。月給 2 万ドル(約 220 万円)に別荘と無人島、アテネ五輪で金ならボーナス 11 億円という破格の条件をトルコ側が提示。しかし、レザデデ選手は「私はイランのため に戦う」と拒否。国の英雄はさらに人気を増したという31。 事例7 Samuel Okantey 種目:陸上三段跳び ガーナ出身のアスリートであるSamuel Okanteyはアイルランドの国籍を取得し、2002 年 11 月にIAAFによって出場資格が承認された32。 1994 年からガーナでは多くのスポーツ選手が他国に亡命し、その国の国籍を取得して活 躍している。これには、発展途上国であるがゆえに経済的な困難が理由として言われてい る。スポーツ設備も不十分で、ガーナにあるThe Accra and Kumasi stadiumという競技場 のトラックは 1973 年から使用されていて、すでにトラックとしての寿命をすぎ、改修が必 要であるが、現在もそのトラックで選手たちはトレーニングを続けている。競技会に参加 した選手たちに与えられる報酬も、他国の選手と比べて少なく充分に与えられない状況に あるという33。 29 衛星放送スポーツ専門CS放送局スポーツ・アイEPSNドキュメンタリー番組movin youウェブサイト 「movin you 放送概要-NONSTOP DORIBBLER」、 http://www.movin-you.com/sports-i/back/02_0810/01_0810.html、2004 年 9 月 1 日確認。 30 産経新聞ウェブサイト「ブラジル人3選手 契約せずカタール出国 問われる代表“輸入”」、 2004 年 3 月 11 日付 http://www.sankei.co.jp/databox/Wcup/html/0403/11soc001.html、 2004 年 7 月 14 日確認。 31 日刊スポーツウェブサイト「紙面ニュース-世界 1 持てる男レザザデV2/重量挙げ」 、 2004 年 8 月 27 日付、http://athens2004.nikkansports.com/paper/p-ol-tp7-040827-0038.html、2004 年 9 月 2 日確認。 32 IAAF(国際陸上連盟)ウェブサイト 「Summary of decisions from IAAF Council Meeting - 15 November」、2002 年 11 月 15 日付、 http://www.iaaf.org/news/newsId=20019%2Cprinter.html、2004 年 12 月 21 日確認。 33 Ghana Athleticsウェブサイト「Why DoTheyChangeNationality?」2002 年 11 月 16 日付、 http://www.ghanaathletics.com/News/news_11_26_2002.htm、2004 年 7 月 12 日確認。 18 事例8 アイウトン、デデー、レアンドロ 種目:サッカー ブラジル出身のアイウトンは 2004 年 3 月にカタール国籍を取得したことを表明した。ド イツブンデスリーガの得点王である彼はカタールから代表入り契約の準備金として 100 万 ユーロ(約 11 億 5000 万円)、年俸 40 万ユーロ(約 5400 万円)を約束された34。フィリップ・ トルシエ監督率いるカタール代表は、アイウトン以外にも同じブラジル出身でボルシア・ ドルトムントで活躍するデデー、レアンドロに国籍取得と代表入りの契約を持ちかけてい た35が、国際サッカー連盟(FIFA)が 2004 年 3 月 17 日に緊急委員会を開き、選手が出生 国以外の国籍を取得して代表チームでプレーする場合の新規定を決めた。「父母もしくは、 祖父母が当該国出身」または「当該国に 2 年以上継続して居住」を条件に加える36ものであ る。 この新規定により、3 人のカタール代表入りは白紙になった。3 人の選手たちは「ワール フドカップに出場することが夢なんだ。」と金銭目当ての行動ではないこと主張している。 事例9 デコ、エジミウソン、シルビーニョ 種目:サッカー スペインのプロサッカーリーグ、リーガエスパニョーラ 2004-05 開幕前にFCバルセロ ナは多くの新加入選手を獲得した。ブラジル代表のDFシルビーニョ(30)は移籍金推定 120 万ユーロ(約 1 億 6200 万円)で合意。しかし、EU圏外の選手枠はすでに定員に達しているた め、同選手のスペイン国籍取得が彼にとっての条件となった。国籍を取得するためには、 雇用契約の下で最低3年間、スペインでの就労実績があることも基本条件になっている37。 8月 31 日シルビーニョ選手は申請手続きをしていた裁判所にてスペイン国籍を取得し、同 日に締め切られるリーグ選出場選手登録期限に何とか間に合った。 また、ブラジルのジョゼ・ゴメス・エジミウソン(28)は移籍金 800 万ユーロ(約 11 億 円)で、同クラブへの移籍が決まり、選手の活躍によっては 200 万ユーロが上乗せされる予 定になっている。エジミウソンの加入によりFCバルセロナは定員3名の外国人枠を埋める ことになるが38、他にもEU圏外の選手を加入させる予定である同クラブは、エジミウソン のEU国籍取得を約束しているという。エジミウソンは「きちんとしたパスポートを持つこ とになるよ。リーガ開幕までにEU国籍をとることを約束しているんだ。一年前から手続き 34 日刊スポーツウェブサイト「日本代表&国際試合ニュース-カタール代表にブラジル出身アイウトン」 2004 年 3 月 5 日付、http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/p-sc-tp3-040305_0009.html、 2004 年 6 月 30 日確認。 35 同上、 「日本代表&国際試合ニュース-トルシエカタールブラジル 3 選手補強」2004 年 3 月 18 日付、 http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/p-sc-tp3-040310-0009.html 、2004 年 7 月 14 日確認。 36 同上、 「日本代表&国際試合ニュース-ブラジル 3 選手のカタール代表入り認めず」 2004 年 3 月 19 日付、http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/f-sc-tp3-040318-0024.html、 2004 年 7 月 14 日確認。 37 UEFA(ヨーロッパサッカー協会連合)ウェブサイト 「ニュース詳細-シルビーニョがバルサに移籍」、2004 年 7 月 12 日付、http://www.uefa.com/competition/UCL/news/Kind=1/newsld=206937.html、 2004 年 12 月 21 日確認。 38 Livedoorスポーツウェブサイト「バルサ、エジミウソンで獲得で基本合意」 、2004 年7月 28 日付、 http://sports.livedoor.com/marca/spain/detail?id=155621、2004 年 12 月 21 日確認。 19 をとっているんだけどね。」と言っている。 エジミウソン選手は前述のシルビーニョ選手よりも一週間早くイタリア国籍を取得した。 FC バルセロナの南米系選手の中には彼ら以外にも、ベレッティとモッタはイタリア国籍を、 デコはポルトガル国籍を所有している。 デコ(本名 アンデルソン・ルイス・ジ・ソウサ)は、昨年2月ブラジル代表監督だったフ ェリペ監督がポルトガル代表監督に就任。代表とは無縁だったデコは、同監督からポルト ガル国籍取得を進められて帰化した。 「私が欧州選手権の準備をしているなんて、10 年前はとても想像できなかった。少し 」 変な感じはするけどね39。 「国籍なんて問題ではない。大事な事はバルセロナが勝つということ40。」 ブラジルでは、1993 年に、職業上の都合で外国に帰化せざるを得なかった場合には、ブ ラジル国籍を放棄しなくてもよいという法改正が行われたため重国籍を認めている。 事例 10 金ナラ(鈴木まどか)種目:陸上中距離 金ナラ(鈴木まどか)選手は、1996 年に日本の実業団チーム「ノーリツ」を引退した後、 1998 年に一人で韓国入りし語学研修を受けるかたわら、一般人が参加する陸上競技大会に も出場して優秀な成績を出していた。 その後、韓国の男性と結婚して 10 ヶ月になる男の子の母親となったことで、「太極(韓 国旗)のマーク」をつけてオリンピックに出場したいと韓国への帰化を決心41。2003 年 12 月に帰化申請が通り、調査した段階では 2004 年中には韓国陸上競技連盟に選手登録する予 定であった。 「現役時代のレベルに戻れるか分からないが、日本国籍を捨ててまで韓国で走ること を決意したので、ベストを尽くしたい42。」 産経スポーツウェブサイト「ポルトガル、オランダと激突!地元Vはデコにお任せ」2004 年 6 月 30 日 付、http://www.sanspo.com/spccer/top/st200406/st2004063002.html、2004 年 12 月 21 日確認。 40 WOWWOWスポーツ番組Liga Espańolaウェブサイト「リーガ・エスパニョーラ最新情報-ブラジル人 が多すぎるbyヨハンクライフ」、http://www.co.jp/liga/news/n_040901-02.html、2004 年 12 月 22 日確認。 41 KBNコリアンビジネスネットワークウェブサイト「日本人女子ランナー韓国に帰化して再挑戦へ」 2003 月 12 月 3 日付、http://www.kbn-japan_com/KN031203-01.htm、2004 年 6 月 30 日確認。 42 朝鮮日報ウェブサイト「日本陸上選手が韓国に帰化」2003 年 12 月 2 日付、 http://Japanese.chosen.com/site/data/html_dir/2003/12/02/2003120200087.html、2004 年 7 月 31 日確認。 39 20 第4章 国籍変更を行う選手たちの理由 第3章で、国籍変更を行った、または国籍変更に関わった選手の 10 つ 19 人の事例を挙 げた。この第4章では、第3章で挙げた事例の中で、選手自身が国籍変更について発言し た部分や理由として考えられる部分を基にして、スポーツ選手が国籍変更をするのにはど のような理由があるのか見ていくことにする。 第 3 章で挙げた計 10 の事例から、以下の 7 つの理由が考えられた。 1) スポーツ選手として成功したい、純粋に大会に出たいという理由 2) コーチやトレーニングなどの環境や設備 3) チャンスの偏在 4) 金銭的な理由 5) 結婚や家族に関係する理由 6) 国家の誘発 7) クラブチームの誘発 1)~5)はスポーツ選手個人の理由になり、6)と7)はスポーツ選手個人の理由では なく外的なものが理由となっている。 下のグラフは、第 3 章で挙げた計 19 人の国籍変更の事例を、この章で挙げた1)~7) の理由と照らし合わせたものである。グラフから、理由1)が一番多く次に3)のチャンス の偏在、そして6)国家の誘発、4)金銭的な理由と続いていることが分かる。 ここからは、選手の発言や国籍変更の理由と考えられる部分から分かった 7 つの内容を、 一つ一つ細かく見ていくことにする。 人数(人) 国籍変更理由別グラフ 20 18 16 14 12 10 8 6 4 2 0 18 13 9 8 3 1 1 2 1 3 4 5 6 7 国籍変更の理由 (表の1から7は本文の国籍変更の理由1)から7)を示す) 筆者作成 第1節 個人的理由 1) スポーツ選手として成功したい、純粋に大会に出たいという理由 事例では、ほとんどの選手がこの理由に当てはまる。スポーツ選手であれば当たり前と いわれるかもしれないが、彼らは個人としての利益の追求手段として国籍変更を選んだ、 21 つまり、ある国の国民であるということよりもスポーツ選手としての成功の方が彼らにと っては重要であると考えているのである。 Yoko Zetterlund は米国籍を選んだことについて「オリンピックに出られるならどこの 国でもいい。バレーボールでオリンピックにでられる可能性のある国を選んだだけ。」と述 べ、宇津木麗華は「スポーツ選手に国境はいらない。純粋に強い選手が出られる場にして 欲しい。」と述べている。アイスホッケーの藤田キヨシも、日本から国籍変更の打診があっ た時、 「オリンピックに出られる可能性がある」と思い、変更を決意し、柔道の秋山成勲は 「柔道のことを最優先に考えていたので、国籍を取得することは大げさなことではなかっ た。」と言い、ブラジル出身で現サッカーポルトガル代表のデコも「国籍なんて関係ない。」 と国籍取得の理由を語っている。 サッカーの田中マルコス闘利王や三都主アレサンドロも「ワールドカップは究極の目 標。」 「サッカー選手としてワールドカップに出たい気持ちが一番高い。 」と述べ、アイウト ン、デデー、レアンドロも同じように「ワールドカップに出場することが夢。」だと言って いる。 彼らスポーツ選手にとって、国際的な競技大会に出場することは、子どもの頃からの夢 であり最大の目標であり、そのために様々なトレーニングや努力をし、技術を高めてきた。 彼らの発言から見えてくるのは、自国からのオリンピックやワールドカップ出場という夢 が叶なわず、他の国からであればそれが叶うかもしれないとき、彼らにとって、世界規模 の国際大会に出場することが、自分がある国の一員であるということよりも、より重要に なり国籍変更をしたということである。 2) コーチやトレーニングなどのスポーツ環境や設備 メディアの発達により、国際的なスポーツ大会が世界中に配信され、世界中の人々がそ の試合に一喜一憂し、先進国と途上国の別なくスポーツが幅広く受容されることが可能と なった。しかし、そのような国際的なスポーツ大会は先進国を中心に華やかに開催され、 途上国側はそれを享受するのみである。先進国の選手にとっては、潤沢な資金力を背景に 十分な時間をかけて国際競技大会に参加してくるのが当然だが、途上国の選手は慢性的な 財政不足の中で国際競技大会に参加しなければならない。先進国は、その十分な経済力の もとに国際大会を開催し、選手を育成できるが、途上国ではそれができないのである。全 ての国際スポーツ連盟が「平等な条件下における競争」を掲げて、そのもとで展開される 国際大会なのだが、平等な競争を展開するのに必要な所得、資産、知識、技術がもともと 不平等なのである。 シドニー五輪の水泳種目に出場したカンボジア競泳陣は先進国の選手たちが練習するプ ールに「あまりに遅いから」と近づかなかったり、さめ肌水着を配布されても「秒単位で 上位をねらうわけでもないので恥ずかしい。」と着用しなかった。また同じシドニー五輪で 水泳種目に参加した赤道ギニアの選手は、水泳競技の普及をはかる国際水泳連盟の特別枠 によりエントリーされた。彼の国、赤道ギニアには競泳用の水泳プールはなく、本大会で 22 はじめて、50 メートルの競泳プールで泳いだと伝えられている。 彼らは、国籍変更はしていないが、十分でないスポーツ環境にいることは Samuel Okantey と同じである。事例7の Samuel Okantey はガーナ出身の三段跳びの選手であるが、母国 が経済的に貧しいためにアイルランドで新しく国籍を取得した。 国際大会で活躍するための高度な技術を習得するためには、多額の資金や設備、優秀な コーチ、恵まれたトレーニング環境が必要となる。Samuel Okantey の母国ガーナには、競 技場はあるものの、既にその寿命を超え改修が必要であるにもかかわらず経済的に手が回 らず、十分なスポーツ環境が整っていないという。 Samuel Okantey のように実力がある選手が多くいるにも関わらず、資金力が伴わずスポ ーツ環境が整っていない途上国が多く存在し、しかし国際的なスポーツ大会に出場するに は高度なトレーニングや優秀なコーチが必要である状態にあって、そのスポーツ設備や環 境を求めて、彼は国籍変更したと考えられる。 3) チャンスの偏在 オリンピックやワールドカップといった国際的なスポーツ大会に出場したいと考えたと き、自国の選手層が厚かったりすると競技レベルが高くなり、自分が選出されるチャンス が格段に少なくなる。選手層が厚くそのスポーツが盛んに行われているならば、優秀なコ ーチや高度なトレーニングを受けることもできるが、それ以上に国内での競争が激しくな るのである。自国よりも選手層が薄かったり、競技レベルの低い国ならば、国際的なスポ ーツ大会出場の可能性を拡げることができることが理由となって、国籍変更をしたのがこ のチャンスの偏在である。 バレーボールの Yoko Zetterlund の場合も「オリンピックに出られる可能性のある国を 選んだ。」と米国籍取得の理由を述べている。 卓球の東堂多英子や荒井周は中国出身であるが、中国は卓球が盛んで、現在男子世界ラ ンキング上位3人、女子上位4人が全て中国出身の選手で占められている43。荒井周が「競 争の激しい中国にいたら、五輪は無理だった。」というように、今までよりもオリンピック 出場の可能性が高い国が他にあるならと、日本に国籍変更したのである。 また、アイスホッケーの辻占建スティーブンや藤田キヨシも、アイスホッケーが冬の国 技であるカナダ出身であり、NHL に多くの選手を輩出している。日本は長野五輪で、実力 が足りず全敗を免れようとカナダの日系人選手を呼び寄せたほどなので、競技レベルは高 くなく、カナダ出身のアイスホッケー選手であれば日本の代表としてオリンピックに出場 する可能性は、カナダにいるときよりも格段に高くなる。 田中マルクス闘利王や三都主アレサンドロ、アイウトン、デデー、レアンドロはサッカ ー王国として有名なブラジル出身である。1994 年から 2001 年を除いて、ずっと世界ラン ク1位の座を守っているブラジルで、その国の代表に選出されることは容易ではない。世 ITTF(国際卓球連盟)による 2005 年 1 月時点での世界ランキング、ITTF(国際卓球連盟)、 「WorldRankling」、http://www.ittf.com/、2004 年 1 月 13 日確認。 43 23 界ランク現在 17 位の日本は田中マルクス闘利王が日本国籍を取得した時点で 25 位、三都 主アレサンドロが取得した時点で 34 位だった。カタールはアイウトンが国籍取得を表明し たとき世界ランク 55 位だった44。ブラジル出身のサッカー選手デコも、国籍変更するまで は代表とは縁がなく、ポルトガル国籍を取得したのちポルトガル代表に選出されている。 以上のように、同じ競技種目をしていても国によって競技レベルが違い、オリンピック やワールドカップといった、国際的なスポーツ大会に出る可能性や機会は国によって異な ってくるのである。そのため、ある競技レベルの選手が、ある国では充分に国の代表とし て活躍できるのに対し、もう一方の国ではその選手よりも高い競技レベルの選手が数多く いて、代表には選出されないことが起こりうるのである。事例にあった選手の母国は、そ の競技において世界でも高いレベルを誇っているため、彼らはより国際的なスポーツ大会 に出場できるチャンスを求めて国籍変更をしたと考えられる。 4) 金銭的な理由 事例6、8、9のサイフ・サイード・シャヒーン、アイウトン、デデー、レアンドロ、 エジミウソン、シルビーニョなどが国籍変更の理由に挙げられる。サイフ・サイード・シ ャヒーンは母国ケニアの待遇に不満を持ち月額 1000 ドルの提供を条件にカタールに国籍 変更した。サッカー選手のアイウトン、デデー、レアンドロもカタールから代表入り契約 の準備金を条件に国籍変更の打診を受けた。 Samuel Okantey の場合は、自国ガーナが経済的に不安定でスポーツ設備も整っていず、 競技会に出場しても給料も十分に与えられる状況にないためアイルランド国籍を取得した。 事例9のエジミウソン、シルビーニョは EU 国籍を取得することを条件に移籍金それぞれ推 定 800 万ユーロ、120 万ユーロで、FC バルセロナに移籍している。 スポーツ選手の価値が高いほど移籍金や報酬が高くなるならば、彼らは自分をスポーツ 選手としてより高く評価してくれる場所を求めて国籍変更をしたのである。 20 世紀初め、一部のスポーツ選手はプロとしてその生計をスポーツによって立てること が出来たが、多くの選手はそうではなかった。しかし、1960 年代初め、スポーツがテレビ によって放映されはじめたことをきっかけに、一握りの選手が多額の報酬をスポーツから 得るようになる。テレビ放映権料によって、トップアスリートが多額のお金を稼ぎ、彼ら 専用のマネージャーを持ち、彼らの利益をプロのアドバイザーやエージェントが管理する システムが、今日形作られている。スポーツ選手は基本的に、①クラブと契約を結び、試 合に勝って得る賞与から補充される給料、②トーナメントに勝つことによって得られる報 酬、③スポーツイベントに参加し、競技して得られる報酬、の3つから利益を得ることが 出来る45。 FIFA(国際サッカー連盟)による男子ランキング、FIFAウェブサイト「ranking&statistics」 http://www.fifa.com/en/mens/statistics/index.html、2004 年 1 月 13 日確認。 44 45 Mike Sleap 『Social Issues in Sport』Macmillan Press LTD、1998 年、p192~193。 24 トレーニングの資金や強化合宿のための資金がまかなえず、副業としてアルバイトをし たり募金活動を行ったりする選手がいるなかで、自分をスポーツ選手としてより高く評価、 してくれる人や団体がいて、自分自身で生計を立てることのできる環境にいられ、それ以 上の利益を挙げられることは、スポーツ選手として重要なことなのである。以前よりもよ りよい報酬を提示されたり、得ることができるようになったりした、ここで挙げた事例の スポーツ選手たちは、スポーツ選手としての価値評価としての金銭をもっと得ようとして、 国籍変更したのではないか。 5) 結婚や家族に関係する理由 事例 10 の金ナラ(鈴木まどか)は、韓国籍の男性と結婚し、男の子の母親となったことで 韓国への帰化を決意した。また、1989 年に日本国籍を取得したサッカーのラモス瑠偉選手 も、周りから帰化の打診があったが家族への思いがあって日本国籍の取得を決意したとい う。彼らにとっての国籍変更の理由は、スポーツ選手としての利益だけではなく、家族や 結婚といった環境の変化による理由も含まれている。 第2節 外的理由 6) 国家の誘発 国家は、報酬を与えることで選手の国籍変更を促したり、国籍変更した選手が新しい国 の代表として出場できないように拒否権を発動したりすることがある。 事例3や6・8の例に見られるように、ある国が他の国の選手に国籍変更の打診をする ことがある。また、その見返りとして準備金、年俸を与える例もある。長野五輪の際、日 本は開催国としてアイスホッケーの出場権はあるものの競技レベルが低く実力が足りなか ったため、選手の層の厚いカナダから日系人選手を帰化させた。3000m障害の選手サイフ・ サイード・シャヒーンはカタールからの月額 1000 ドルの提供を条件に国籍変更し、サッカ ー選手のアイウトン、デデー、レアンドロや重量挙げ選手のレザザデもそれぞれカタール、 トルコから、代表入り契約の準備金や多額の月給や年俸を条件に国籍変更の打診を受けた。 国家側の思惑で出場できなかった例は、ソフトボールの宇津木麗華の場合である。彼女は 国籍変更後に母国・中国からのオリンピック出場の承認が得られず、アトランタ五輪に出 場出来なかった事があった。同時期に国籍変更し、オリンピック候補選手に選ばれた卓球 の東堂多英子は承認が得られた。 このように国家がある選手に国籍変更を促したり、国籍変更後の国の代表として出場で きないように拒否権を使う理由には、それが国家の利益と大きく関係してくるからである。 スポーツ、特にオリンピックやワールドカップのような大規模な国際大会には、世界中 の人々が注目し、高い関心を寄せるため、国家にとっては抜群の宣伝効果をもつ。スポー ツ特に高度な競技スポーツは、その本質的な性格として、攻撃性や圧倒的な力、強さを象 徴し、見るものに強く訴える。そして、勝者は絶対的な優越性を知らしめる。天災や人災 のニュース以外には、ほとんど関心の払われることのない国が、自国の存在を世界に知ら 25 しめるまたとない機会であり、どれだけのメダルを獲得したかがその国がどれだけ国力を 持っているかを示す数値になりうるのである。オリンピックで勝つこと、あるいは開催す ることはその国の様々な面での優秀性を象徴する また、オリンピックや国際大会は、対外的効果をもつと同時に、国民や民族にナショナ リズムを高揚させるという体内的な効果も併せもっている。ある個人やチームの勝利は、 同じ集団に所属する者に、ナショナリズムを高めさせ、またプライドを持たせるという機 能を持つ。2002 年日韓共催のワールドカップでも、それまでサッカーに興味もなく、日本 や日本人といったことをほとんど意識せずに暮らしていた人が、一生懸命に日本代表を応 援していたことはよく知られていることだろう。このことは政治的にみれば、集団の統合 という最も重要な政治的要件に貢献することである46。したがって、自国の選手の活躍や 成功によって、国民のナショナル・アイデンティティを高めるスポーツは、国家の統合の ひとつの手段となるのである。 このように、自国のスポーツ選手の活躍は、対外的にも対内的にも様々な利益を生み出 す。そして、活躍出来るスポーツ選手を時間をかけて育成せずに、手っ取り早く補強する ことが国籍変更によって新たな選手を獲得することであり、国はその効果をすぐに得たい と考えて、違う国のスポーツ選手に国籍変更を促したのである。 7) クラブチームの誘発 事例5や事例9の田中マルクス闘利王や三都主アレサンドロ、シルビーニョやデコ、エ ジミウソンが国籍変更した理由にプロクラブチームからの国籍変更の打診がある。 プロスポーツは、選手の卓越した技術、プレイを提供し、その対価としての報酬を得る ものである。その報酬が主に観客の入場料によるもの(プロ野球や大相撲)、観客の投機に よるもの(競馬、競輪など)、スポンサーの賞金によるもの(プロゴルフやプロテニスなど) に分けられる47が、今回挙げた事例5や6のサッカークラブチームはその収益を主に観客 の入場料に頼っている。 観客をスタジアムにより多く動員するためには、強くて魅力的なチームを編成しなけれ ばならない。 「勝利」と「結果」に対する観客の期待がクラブにとって逃れることのできな い重圧となるのである。そのためクラブは、高額の年収を保障して優秀なプレーヤーを獲 得しようとする48。確かに、スタープレーヤーが多数出場するビッグゲームの集客力は衰 えることを知らない。 しかし、観客を魅了できる選手をそれだけ集めることができても、その選手が外国人枠 に該当する選手であれば話は別である。田中マルクス闘利王や三都主アレサンドロが所属 するJリーグにも外国人枠が規定されており、同時に出場できる外国人選手数は 1 チーム 3 名以内となっている。シルビーニョやデコ、エジミウソンの所属するリーガエスパニョー 46 47 48 丸山、前掲書、56 ページ。 同上、60 ページ。 関・唐木、前掲書、82 ページ。 26 ラ、及びEU加盟諸国のプロサッカーリーグでは、EU市民に対する外国人枠はなく国内選手 と同一として扱われるが、それ以外出身の選手に対しては外国人枠の規定がある49。そこ で、クラブ側の考えとして外国人枠をより有効に使うため、より多くの魅力的な選手を集 めて、観客の集客力を高めるために、選手たちに国籍変更を勧めるのである。これが、ク ラブがスポーツ選手たちに国籍変更を促す理由である。 49 池田・守能、前掲書、132~133 ページ。 27 第5章 スポーツの商業主義化と選手の国籍変更の関係 第 4 章では、第 3 章で挙げた事例を基に、選手たちが国籍変更をする理由について7つ に分類して述べた。第 4 章から見えてきたことは、選手たちが、スポーツ設備やトレーニ ング環境、国家代表となりうるチャンス、金銭的な面であれ、何らかの利益を求めて国籍 変更をしていることであり、国やクラブも利益を期待して、スポーツ選手に国籍変更を促 していることである。この章では、それらのスポーツ選手個人の国籍変更の理由、また国 家やクラブチーム側の誘発は、実は国際的なスポーツ大会の商業主義化に影響されている のではないかという仮説について検証を行っていく。 第1節 国際的なスポーツ大会への商業主義の介入 スポーツに商業主義の考えが導入されていったのは、19 世紀の終わりといわれている。 産業化が進み、労働者が経済的に余裕をもち自由時間が拡大するにつれて、多くの文化や 活動が提供されるなかで、スポーツが大衆化し、スポーツも現代文化産業の一部となって いったのである50。その後、国際的なスポーツ大会への商業主義の介入が始まる。冠大会 と呼ばれる競技会の名前に企業や商品名を冠するものが、プロスポーツ特にゴルフ、テニ スの間で始まったのがその始まりである。 「どこから、どういう風にして運営にかかるお金を調達するか。」これは特に 20 世紀に 入って以後、盛んに行われるようになった各競技の世界選手権やオリンピックなどの大会 での一番の悩みであった。競技会を運営する理想の形は、満員の観衆が集まって入場料で すべての経費が賄えることだが、よほど人気が高いスポーツでないかぎり、簡単ではない。 やがて、国際的なスポーツ大会は、前大会に負けないようにと、回を追うごとに大会を肥 大させていき、ますます運営にお金がかかるようになった51。 そこで考え出されたのが、民間から資金を調達する方法である。この方法は 1984 年のロ ス五輪で成功したことが有名で、政府や自治体から補助を受けず、全ての面に民間資本を 導入したのが、この資金調達方法である。収入源は①テレビ放送権料、②オフィシャルス ポンサーの協賛金、③入場料収入、④その他(記念コイン販売等による収入)52の4つから 成り立ち、現在は①テレビ放映権料と②オフィシャルスポンサーの協賛金の二つがオリン ピックなどスポーツ大会の、主な収入源の二本柱となっている。 これらの方法で資本を調達することが主流になったことは、スポーツ大会やスポーツ選 手自体を大きく変化させた。テレビの放映権料から資本を調達するため、その見返りとし てスポーツ大会は、視聴率を上げるために、テレビに映ることを考え、より見栄えがし面 白く、人々が熱狂するような試合や、場面を提供しなければならなくなった。そのため高 Sleap、同上、p183。 池田勝・守能信次編『講座・スポーツの社会科学1-スポーツの社会学』杏林書院、2001 年、121 ペ ージ。 52 丸山、前掲書、154 ページ。 50 51 28 度なトレーニングを積んだ有能な選手やチームを要求するプロフェッショナリズムが高ま り、視聴者も才能があり、独創的でエンターテインメント性のある選手を求めるようにな った。 また、テレビが放映権を買い、世界中でスポーツ大会が放映されるようになり、選手た ちは一度大会で好成績を挙げると一躍英雄となる。そういった選手は、個人的なスポンサ ーがつき企業自体や企業の製品の宣伝をしたり、CMに出演することで、多額の報酬を得る ことが可能になる。多くのアスリートはスポーツ選手としての成功と同時に金銭的な収益 を求めているのである53。 第2節 スポーツ大会の商業主義化と国籍変更選手との関係 第 1 節では、商業主義がどのような形でスポーツに導入されたかについて述べたが、こ の節では、第4章で並べた国籍変更した、または国籍変更に関わった選手が、なぜ国籍変 更をしたかという理由と、スポーツ大会の商業主義化との関係について述べていく。スポ ーツ大会の商業主義が進んだことよって、スポーツ大会自体が様変わりし、そのことが選 手たちに国籍変更を起こさせていることについて考察していくことにする。 2-1 個人的理由との関係 ここでは、第 4 章の1で挙げた 5 つの理由とスポーツ大会の商業主義化がそのように関 係しているのか述べていく。スポーツ選手が国籍変更する理由のうち個人的理由として挙 げた 5 つを、スポーツ大会の商業主義化と照らし合わせてみると、5)の結婚や家族に関 係する理由は、既に、スポーツ選手としてではなく結婚や家族の思いから理由としたので、 ここでは外す。なお、下記にある数字1)から7)は第 4 章の理由1)から7)と一致す る。 1)スポーツ選手として成功したい、純粋に大会に出たい 3)チャンスの偏在 第 4 章でも述べたように、自分がどこの国の一員であるかよりも国際的なスポーツ大会 に出場することのほうが彼らにとって重要度が高いこと、国際的なスポーツ大会に出場し たいために、より出られる可能性や機会のある国に行くことを国籍変更の理由として挙げ た。では、彼らにとって、国籍変更することよりも国際的なスポーツ大会に出場すること がより重要であるのはなぜか、と考えてみることにする。彼らが目標とするスポーツ大会 に出場することでどんな利益が得られるのか? スポーツ大会にスポーツ選手が求めるものとして、これから述べる2つの事柄が考えら れ、それらは、スポーツ大会の商業主義化に関係していることが考察できる。 1つ目に、オリンピックやサッカーワールドカップなどのスポーツ大会がそのスポーツ 53 Sleap、同上、p193、197。 29 をしている選手にとって、最高峰のものであり、好成績をおさめたり、活躍したりすれば、 一躍ヒーローとなれるからである。ヒーローは勝敗の決まる瞬間や、選手の喜びや落胆、 彼らの努力や苦難の道がメディアを通して世界中の視聴者に伝わり、スポーツでの感動を 求める人々によって出来上がる54。つまりは、より面白く、より人びとを魅了するように 求められたスポーツ大会が世界中に放送されるようになったことで、スポーツ選手はヒー ローになれるのである。 また、世界中、または国中の人がその試合に注目できなければヒーローは成り立たない。 テレビが放映権を買い、スポーツ選手を英雄に仕立て、情報通信の発達によるグローバル 化によって、スポーツ大会が世界中に配信され世界中の人々がそれを目撃することができ ることで成り立つのである。 2 つ目に、国際的なスポーツ大会に国家代表として出場することで、自分自身のスポー ツ選手としての商品価値を高めることが目的としてあがってくる。スポーツ選手として商 品価値を高めることで、クラブや所属する連盟から報酬を受ける、よりよいクラブへと労 働環境を求めることできる、スポンサーがついたりCM出演をするなど、競技以外からの多 額の報酬を得ることができる55。国家代表となってスポーツ大会に出場し、より自分自身 の商品価値を高め、より多額の報酬を受けるための形式的手段として、国籍の変更をする のである。 以上のようにスポーツ選手が国際大会に求める利益は、スポーツ大会で大きな影響力を 持つテレビと言う存在と、スポンサーやクラブ、所属団体からの高額な利益を得られるよ うになったというスポーツの変化に影響されていることが見えてくる。 4)金銭的な理由 第 4 章で、スポーツ選手としての商品価値が高いほど移籍金や報酬が高くなるのならば、 自分自身をより高く評価してくれる場所を求めるために国籍変更をしたことが理由である と述べた。また、上記にあるように、スポーツの商業主義化が、スポーツ選手に高額の利 益を得られるようにした。スポーツ選手たちが、商品価値を高く評価してくれ、多額の報 酬を与えられ、企業とスポンサー契約を結び、CM 出演することを目的として国籍変更をし たと考えるならば、おのずと商業主義との関係が見えてくる。 2)コーチやトレーニング環境などのスポーツ環境や設備 整っているスポーツ環境を求めて国籍変更したことを指摘したのが、この2)である。 では、なぜスポーツ選手はより優れたスポーツ環境を求めるのか。 国際大会が企業スポンサーによる介入によってどんどんと巨大化していき、膨大な放映 権料を主な収入としている現在、メディアのスポーツ自体への介入は免れない。スポーツ 54 鈴木守・山本理人編著 『講座現代文化としてのスポーツⅡ-スポーツ/メディア/ジェンダー』道和書院、 2001 年、50 ページ。 55 井上俊・亀山佳明編『スポーツ文化を学ぶ人のために』世界思想社、1999 年、212 ページ。 30 が、放映権市場の拡大を積極的にはかるなか、スポーツ大会はテレビに映る競技としてメ ディアは視聴率を上げるため、スポーツをよりエキサイティングでスペクタクルなものに することを求められたことは既に述べた。そのため、より見栄えがし面白いパフォーマン スや、人々が熱狂するようなレベルの高い技術、記録の更新などが選手たちに要求される ようになった。視聴者も才能があり、独創的でエンターテインメント性のある選手を求め るようになった。しかし、競技レベルが上がるほど、さらに競技力を向上するため先端科 学の粋を集めた高度なトレーニングを行い、充実した設備や優秀なコーチや栄養士が必要 となってくる56。そのため、スポーツ選手は国際大会に出場するためにパフォーマンスの 向上を極限まで近づけるために、より高度なトレーニングやスポーツ環境を求めるのであ る。また、競技レベルが上がり、0.1 秒単位で記録の更新を期待される国際的なスポーツ 大会によって、スパイクやスポーツウェア、水着など選手のスポーツ用具の開発競争も企 業の間で激化し、その市場規模は日々拡大している。 以上から、スポーツへのテレビの介入が、スポーツ選手への更なる競技レベルの向上を 求めために、より優れたスポーツトレーニング環境や設備、用具を求め、そのためにスポ ーツ選手は国籍変更をするというケースも生まれてくると考えられる。 2-2外的理由との関係 第 4 章で国籍変更の理由に、外的理由として、6)国家の誘発と7)クラブの2つを上 げた。ここでは、この 2 つの理由を再びとりあげ、それがスポーツ大会の商業主義化の影 響を受けていることについて述べる。 6)国家の誘発 第 4 章で、スポーツ選手の国籍変更を国家が促すのには国外へ向けられたベクトルと、 国内に向けられたベクトルの 2 つがあることがわかった。高度な競技スポーツは、圧倒的 な力や強さを象徴し、勝者という絶対的な優越性を知らしめる。スポーツ大会で自国の選 手が活躍することは、国力の誇示として自国の存在を世界中に知らしめるまたとない機会 なのであり、また自国民に対しても、スポーツ大会で自国のスポーツ選手が活躍する場面 を、テレビをみて知ることからナショナルアイデンティティの向上を、期待できるのであ る。 ここから分かることは、スポーツ選手が国際的なスポーツ大会に出て活躍し、それが通 に世界中に伝わることが、国家に国籍変更を促すと言う流れである。では、どのように世 界中の人々に伝わるのか。 今、国際的なスポーツ大会が共時性をもって世界中で目にすることができるのも、情報 通信がグローバル化し、テレビがスポーツ大会から放映権を買い、世界中にそれを伝える というシステムが出来上がったことで、世界中の人々がどこの国の選手が活躍をし、自国 56 池田・守能、前掲書、1998 年、120 ページ。 31 の代表選手がどれだけ活躍しているかを知ることができるからである。テレビ局が放映権 を買い、世界中の人にそのスポーツ大会の模様を伝えなければ、どの国の人が強くて、ど の国の人が活躍しているを知ることもできない。自国の国力誇示や自国民の統合には、テ レビによる放映が不可欠なのである。また、これには上記の、メディアがスポーツによっ て英雄を作ることも少なからず影響しているだろう。 また、スポーツ大会自体が、商業主義によってどんどん資本を導入し、華やかで回をお うごとに巨大化していったことが、世界中の国にスポーツ大会の偉大さを知らしめるよう になったこともなった。華やかなスポーツ大会が大きな影響力を持ちはじめ、世界中に伝 わることを、国家が利用できることに気づき、それがスポーツ選手の国籍変更につながっ たと、ここでは考えられる。 7)クラブの誘発 第 4 章ではクラブが国籍変更をスポーツ選手に促すのは、より多くの魅力的な選手を集 めて、観客の集客力を集めるためだとした。つまり、観客の集客力を集めることでより多 くの収益金を得られることが国籍変更を促したと言える。 国際的なスポーツ大会だけでなくクラブも、有名で人気があるほど高額の放映権料で買 われ、世界中で放映され、クラブ放映権料から多くの恩恵を受けている。 また、より人気のある選手を獲得し、彼らを商品として売り出すこともクラブも収益の 中で大きな役割を示す。以前、筆者がイギリスにいたころに、イギリスのプロサッカーリ ーグであるプレミアリーグに所属する稲本選手についての新聞の論評記事を見かけた。彼 は、アーセナル所属時代、試合にあまり出場していなかった。しかし、クラブ側は、実は、 試合での結果だけではなく、日本から来る観客や稲本選手関連のグッズ販売による収益を 彼に期待していたという。より多くの収益を得るために、より魅力的な選手を獲得しよう とすることが、外国人枠の規定の問題までも有効に使おうとし、スポーツ選手に国籍変更 させる理由になるという流れが、ここから分かるだろう。 第3節 スポーツ選手が国籍変更をする理由 第 4 章で見てきたように、スポーツ選手が国籍変更する理由には個人的理由と外的理由 の 2 種類存在することが分かった。個人的理由には、純粋に大会に出場して成功したい、 国際的なスポーツに出られるチャンスが国によって偏在している、より優秀なコーチや高 度なトレーニング環境を求めた結果、スポーツ選手としての価値を金銭的に高く評価して くれる、結婚や家族が違う国籍という、5 つの理由が指摘でき、外的理由には、国家の誘 発、クラブの誘発という、自分自身ではなく外側からの打診があるということが指摘でき る。 そして、これらの理由の多く、結婚や家族を思い国籍変更をしたのを除きそれ以外は、 スポーツ大会が商業主義化していったことに影響を受けたものだと分かった。 スポーツ大会を開くための資金を、政府や自治体からではなく企業から求めることから 32 始まった国際大会の商業主義化がスポーツ大会やスポーツ選手、スポーツ自身を変化させ ていき、テレビ放映権から資金を求めたために、メディアがスポーツ自身に介入し、より 見栄えのする試合や場面を提供するためルールの改正が行なわれ、選手たちはより高い競 技レベルを要求された。しかし、テレビによって世界中に放映されることで、英雄として 扱われるようになったり、人気のある選手はそれまでのスポーツ界では考えられないほど 莫大な利益を手にすることができるようになった。また、スポーツをビジネスと捉え、ス ポーツ選手を商品として扱うことで、スポンサーとなった企業やクラブは、企業の宣伝や その企業の製品の宣伝で、グッズの販売で多額の期待できるようになった。 国家も、商業主義化によって巨大化したスポーツ大会を、世界中の人々に自国の名を知 らしめ、自国民にナショナルアイデンティティを根付かせるための絶好のチャンスと捉え 始めた。 以上のように、商業主義化によって大きく変化したスポーツやスポーツ大会が、スポー ツ選手に対して、さまざまな利益または要求を与えるようになり、スポーツ選手の中には それらの利益を求め、要求を満たすための一手段として国籍変更を選択したのである。 33 第6章 結論 国家という枠組みで競技を競うスポーツ大会に、国籍を変えて出場する選手がいること に疑問を感じ、彼らがなぜ国籍変更をしたかという理由を探るのが本論文の目的であった。 まず、国籍変更したスポーツ選手の事例を見ていく前に、スポーツというもの自体が何 なのか、国籍や国籍変更というものが何なのかを調べ、また、競技団体や IOC は国籍変更 をするスポーツ選手に対する規定について説明した。 第 3 章では、実際、国籍変更をしたスポーツ選手の事例を挙げた。主にインターネット を使い調査をし、65 人の事例の中から、計 19 人の事例を取り上げた。彼らのインタビュ ー記事や彼らについてのニュース記事の中から、国籍変更についての理由を示している発 言や記述を取り出し考察したところ、以下の 7 つの理由によってスポーツ選手が国籍変更 をすることがわかった。またそれらは大きく個人的理由と外的理由に分類した。 個人的理由とは、1つ目に純粋に大会に出て、スポーツ選手として成功したいという理 由が挙げられる。これは「スポーツ選手に国境はいらない。」 「国籍を取得することよりも、 自分の行っているスポーツを最優先に考えている。」「ワールドカップに出場することが、 夢であり究極の目標である。」 「オリンピックに出場できるならどこの国でもいい。 」といっ た選手の発言を基に導き出した理由である。彼らは、ある国の国民であることよりも世界 規模のスポーツ大会に出場することのほうが重要だと考えていることがわかった。2つ目 にコーチやトレーニング環境や設備を理由に挙げた。国によっては経済力が豊かな国とそ うでない国があり、それによってスポーツトレーニングやそのための設備が充分でない国 が存在している事実がある。国際的なスポーツ大会に出場するためには、より高い競技レ ベルを目指し、より恵まれたスポーツ環境が必要になるため、母国ではそれが達成できず、 国籍変更をしたのがこの理由になる。3つ目に、国際的なスポーツ大会に出場するチャン スが、国によって偏在していることを理由として挙げた。同じ種目でも、国によって競技 レベルの違いがあるために、国際的なスポーツ大会に出場できる可能性や機会が国によっ て異なってくるためである。「競争の激しい母国にいたら、オリンピック出場は無理だっ た。」という選手の発言があるように、自分がより大会に出られるような国を求めたことが、 国籍変更の理由の1つに挙げられた。4つ目は、母国にいては報酬が十分に与えられなか ったり、クラブや国が提示した報酬の代わりに国籍変更をするという契約を結んだ選手が いることから、金銭的な理由を挙げた。5つ目に、結婚した相手が違う国籍であったとき、 その相手や、自分の子供のことを考えて国籍を変更したという理由である。結婚や家族に 対する思いを理由としているので、自分がスポーツ選手であるための理由とは少し違うと いえる。以上が、個人的理由としてでたものである。 外的理由とは、スポーツ選手自身ではなく、外から国籍変更をしないかという帰化の打 診があった事を指す。事例からは、国家とクラブからの帰化の打診の事例があったので2 つの理由として挙げた。1つ目の国家の誘発は、つまり、国が国籍変更の打診をしたケー 34 スであり、事例からは5つの例が挙がった。スポーツ選手の活躍がその国の国力誇示、ま たは国民の集団統合を促す手段となりうるため、その手っ取り早い補強作戦として強いス ポーツ選手を国籍変更させたというのが、ここでの理由である。またクラブの誘発は、よ り多くの魅力的な選手を集めてより集客力を高める手段として、外国人枠をより有効に使 うために、選手の国籍変更させたものが、ここでの理由である。 第5章では、第4章に挙げた 7 つの国籍変更の理由をさらに考察し、結婚や家族に関係 する理由以外はスポーツの商業主義化と関係があることを述べた。まず、スポーツ大会へ の商業主義の介入の経緯と、スポーツ大会への商業主義がもたらしたスポーツの変化につ いて説明し、そこで起こった変化に、スポーツ選手の国籍変更が影響を受けていると考察 した。スポーツ大会の商業主義化とは、スポーツ大会を開催する資金を「どこから、どう いう風にして調達するのか。」ということに端を発する。今まで政府や自治体に頼っていた 開催資金を企業から調達することにした。これが、スポーツ大会への商業主義に介入であ る。このことにより、スポーツ大会、そしてスポーツは大きく変化を遂げた。スポーツ大 会はその資金で、回をおうごとに華やかになり巨大化していった。そして資金の調達先が、 放映権を買うメディアとスポンサーとしてつく企業であるため、彼らのスポーツ大会への 介入が始まった。 第4章で挙げた国籍変更の理由 6 つと照らし合わせると、以下のような関連性が見えて くることが分かった。 一つ目に純粋に大会に出てスポーツ選手として成功したいこと、チャンスが偏在してい る事による国籍変更は、次のことと関係がある。まず、彼らが国籍変更をするのはなんと してでもそのスポーツ大会に出たいからであることが分かる。では、スポーツ大会に中津 上するとそんなメリットがあるのか。スポーツ大会に出ることで成功することのメリット にヒーローとなれる、自分のスポーツ選手としての商品価値を高められることためである と推測できる。しかし、ヒーロー像を作るのは、放映権を買ってそれを世界中に伝えるメ ディアによってであり、スポーツ選手をヒーローにするのは、テレビの介入により、視聴 率を上げるために、より面白く見栄えのあるものを提供しなければならなくなった、スポ ーツ大会によってである。そこで、スポーツ選手が国籍変更をする理由、スポーツ選手と して成功したい、というのは、スポーツ大会そしてメディアがヒーローが生み出される状 況をスポーツ大会に作ったためだと考えられる。 また、スポーツ選手としての商品価値、つまり、高額な商品として評価されることはそ の意味からして商業主義である。よりよい成績を収めることで彼らは、クラブや所属する 団体から報酬を与えられ、より良いクラブへと労働環境を求めることができ、スポンサー や CM 出演などからの利益も得られるようになる。また、このことは、第4章で挙げた、 金銭的な理由にも同じように影響していることがわかった。スポーツの商業主義化によっ てスポーツ選手たちが寄り高額の報酬を得られるようになったことは、より商品価値を高 く評価してくれる場所を求めて国籍変更をした彼らの理由に影響を与えているのは、おの ずと分かってくるだろう。 35 3 つ目には、コーチやトレーニング環境を求めて国籍変更をすることと、スポーツの商 業主義化との関連性について述べた。ここでは、テレビの介入によって、より見栄えがし 面白い場面や、記録の更新を求められた選手たちが、より高度なトレーニングや充実した 設備や優秀なコーチを必要とされたことを、スポーツの商業主義化によるスポーツの一変 化として紹介した。そして、それらのスポーツ環境を求めるために、国籍変更したのだと 考察した。 また、国家やクラブによる国籍変更の誘発も、スポーツの商業主義化と関係があること が分かった。 国家が国籍変更を促すのも、国力を他国に誇示するためであり、国民にナショナル・ア イデンティティを持たせるためであると述べた。そこで、どのようにしたら世界中の人に その国の活躍を伝えられるのかと考えた時、それはスポーツ大会にメディアの介入があり、 彼らが世界中でスポーツ大会を同時に放映するからであると考えた。以上のことから、国 家側の誘発も、スポーツの商業主義化に関係しているといえる。 クラブの国籍変更の誘発には、クラブがより高い収益を目指しているためだとした。ク ラブは、より高い集客力、人気選手のグッズ販売、そして試合の放映権料という収益を上 げるために、人気選手を獲得しようとする。そのために、外国人枠を有効に使い、選手に 国籍変更をさせてより多くの魅力的な選手を獲得するのである。 以上のように、スポーツの商業主義が起こした変化と、第4章で挙げた、国籍変更の理 由とを照らし合わせると、スポーツ選手の国籍変更には、スポーツの商業主義が関連して いることを導き出される。スポーツの商業主義化が起こしたスポーツ大会やスポーツの変 化が、選手に莫大な利益を与えることが可能になり、テレビ放映によるエンターテインメ ントの追求が選手へのより高い競技レベルを要求した。テレビ放映は、国際的なスポーツ 大会を世界中の人が同時に見られることを可能にし、それによって選手はヒーローになり、 国家は国力誇示や国民の統合を図るようになった。企業やクラブは、企業宣伝や製品の宣 伝にスポーツやスポーツ選手を起用したり、選手のグッズ販売で多額の利益を得られるよ うになった。これらの、スポーツへの商業主義化の介入がもたらした、スポーツの変化が、 スポーツ選手に国籍変更をさせる要因となっているのが分かるだろう。 以上から、本論文の結論は、スポーツ選手の国籍変更の理由には幾つかあるが、それら は少なくともスポーツの商業主義化がもたらしたスポーツ自体やスポーツ大会、スポーツ 選手の変化と関係している、ということである。 36 終わりに 筆者がなぜスポーツ選手の中には国籍変更する人がいるのか、という疑問を持ったのは、 あるスポーツ選手が国籍変更をし、日本の代表に選ばれたというニュースをテレビで見た ことがきっかけである。それまで、スポーツ観戦が好きで色々なスポーツ大会を見ていて、 日本代表として出ている選手たちは当然、自分たちが日本の代表として参加し、私たちの ために頑張っているのだと思っていたので、その選手の行動がふしぎに思えて仕方なかっ た。国を代表するはずの選手が元々は違う国籍であることは、何かがおかしいと思ってい た。 しかし、今回卒論の題材としてこの問題関心を掲げ調査をしていくうち、スポーツはただ 熱狂したり感動したりするだけのものではなく、商業主義化という利益を求めたために急 激にその様相を変化させていったものだとわかった。また、スポーツ選手はその中で何と か自分の夢をかなえたいと考え、そのためにも国籍変更もいとわなくなっているのだと知 ったとき、筆者には分からないスポーツ選手の生き方がそこにはあるのだと知った。 今回この論文で筆者は、スポーツ選手が国籍変更する理由は、スポーツが商業主義化を 進めて行った結果のスポーツの変化に大きく影響していると結論付けた。しかし、スポー ツの商業主義化のある一部分が、スポーツ選手の国籍の理由のある一部分に少し影響して いそうだと思うことだけで、考察を続けていった感じがするので、もっとその 2 つの間の 関係性をしっかりと見出せられたら良かったと少し後悔している。また、国籍変更するス ポーツ選手についての文献が少なかったため、今回インターネットを使って調査を行った が、他にも色々といい方法があったのではないかと思う。 ただ、今回調査を進めていって 1 つ感じたのは、国民国家システムがうまく作動してい かなくなっているのではないかという疑問である。国民にその国の一員である誇りを持た せたり、他国に自国の優越性を知らしめたりする手段として、選手の国籍変更を促すのは 何か矛盾しているのではないか。そう思えて仕方ない。 今回この論文を通じて、スポーツというものを以前と違う視点でとらえられたことは、 以前よりもよりスポーツに関心が沸くきっかけと筆者に与えてくれた。テレビに映る一つ 一つの場面にも何かが隠れていないか探ってしまうだろうし、この先どのようにスポーツ が変化するのか興味がある。ただ、どれだけ金銭的なことが関わっていたり、国家が利益 を追求してスポーツに絡んでいたりしていても、スポーツ選手やそのプレイには、熱狂し たり感動してしまうことは以前と変わらないだろうと思う。 中川 37 真美 参考文献・資料一覧 池田勝・守能信次編『講座スポーツの社会科学1-スポーツの社会学』杏林書院、 1998 年 池田勝・守能信次編『講座スポーツの社会科学3-スポーツの経営学』杏林書院、 1999 年 池田勝・守能信次編『講座スポーツの社会科学4-スポーツの政治学』杏林書院、 1999 年 井上俊・亀山佳明編『スポーツ文化を学ぶ人のために』世界思想社、1999 年 奥田安弘著『家族と国籍 -国際化の進む中で』有斐閣選書、1996 年 加部究著『サッカー移民 -王国から来た伝道師たち』双葉社、2003 年 鈴木守・山本理人編著『講座 現代文化としてのスポーツⅡ-スポーツ/メディア/ジェン ダー』道和書院、2001 年 関春南・唐木国彦編『スポーツは誰のために-21 世紀への展望』大修館書店、1995 年 立命館大学人文科学研究所『現代世界とナショナルアイデンティティ』 立命館大学人文科学研究所、2002 年 橋本純一編『現代スポーツメディア論』世界思想社、2002 年 丸山富雄編著『スポーツ社会学ノート-現代スポーツ論』中央法規、2000 年 Jeremy MacClancy, ”Sport, Identity and Ethnicity”,Berg,1996. Mike Sleap , “Social Issues in Sport”,Macmillan Press LTD,1998. William J. Morgan,Klaus V. Meier, Angela Schneider, ”Ethics in Sport” Human Kinetics,2001. 財団法人日本オリンピック委員会訳『オリンピック憲章』 、国際オリンピック委員会、 2003 年版、http://www.joc.or.jp/olympic/charter/pdf/olympiccharter200300j.pdf、 2004 年 1 月 14 日確認。 FIFA(国際サッカー連盟) ”FIFA Statutes –Regulation Governing the Application of the Statutes”FIFA,2004 http://www.fifa.com/fifa/statutes/statutesdocs/FIFA_statutes_08_2004_E.pdf、 2004 年 1 月 14 日確認。 IAAF, ”Competition Rules 2004~2005” IAAF,2003/12、 http://www.iaaf.org/newsfiles/23484.pdf、2005 年 1 月 14 日確認 中日新聞「アテネ回帰-五輪の現実4-」2004 年 7 月 14 日朝刊第 11 版第 1 面 国際陸上連盟(IAAF)ウェブサイト http://www.iaaf.org 国際オリンピック委員会(IOC)ウェブサイト http://www.olympic.org/uk/index_uk.asp 日本オリンピック委員会(JOC)ウェブサイト http://www.joc.or.jp/ ヨーロッパサッカー協会連合( UEFA)ウェブサイト 国際サッカー連盟(FIFA)ウェブサイト http://www.uefa.com/ http://www.fifa.com/en/index.html 38 国際卓球連盟(ITTF)ウェブサイト http://www.ittf.com/ 財団法人大阪市スポーツ振興協会期間管理運営スポパラウェブサイト http://www.spopara.com/ 衛星放送スポーツ専門 CS 局スポーツ・アイ EPSN ドキュメンタリー番組movin you ウェ ブサイト http://www.movin-you.com/ WOWWOW スポーツ番組 Liga Espańola ウェブサイト http://www.wowow.co.jp/liga/ 三都主アレサンドロ公式ウェブサイト http://www.go-alex.net Yoko Zetterlund 公式ウェブサイト http://www/yoko2.com/ 39 巻末資料 表1:2004 年夏季オリンピック直前に出場資格を得た国籍変更選手 氏名 種目 前国籍 現国籍 1 Xeno Mueluer ボート スイス USA 2 Sofia Sakorafa やり投げ ギリシャ パレスチナ 3 Lukas Keiloch 競泳 ポーランド ドイツ 4 Natasa Janic カヌー セルビア・モンテネグロ ハンガリー 5 Andre Berto ボクシング USA ハイチ 6 Dinko Mulic カヌー ボスニアヘルチェゴビナ クロアチア 8 Nataie Harvey 陸上長距離 オーストラリア UK 9 Andrei Kravarik バレーボール スロヴァキア ギリシャ 10 Merina Kuc 競泳 ドイツ セルビア・モンテネグロ 11 Oliver Vincenzetti 競泳 イタリア ドイツ 12 Chelsea Luker 競泳 カナダ UK 13 Sergey Rozhnov ボクシング ロシア ブルガリア 14 Aleksey Shaydulin ボクシング ロシア ブルガリア 15 Davyd Bichinashvili レスリング ウクライナ ドイツ (Yahoo USA Sports 2004 年 5 月 18 日付より筆者作成) 40 表2:国籍変更を行ったスポーツ選手(新国籍取得年月日順) 氏名 種目 前国籍 現国籍 取得年月日 1 Yoko Karin Zetterlund バレーボール 日本・USA USA 1991 年 2 モニカ・セレス テニス ユーゴスラビア USA 1994 年前後 3 Philonema Menson 陸上 ガーナ カナダ 1994 年以前 4 Awuku Boating 陸上 ガーナ カナダ 1994 年以前 5 Kofi Yevakpor 陸上 ガーナ カナダ 1994 年以前 6 Tanko Abass 陸上 ガーナ カナダ 1994 年以前 7 宇津木麗華 ソフトボール 中国 日本 1995 年 8 カキャシャビリス 重量挙げ 旧ソ連 ギリシャ 1996 以前 9 東堂多英子 卓球 中国 日本 1996 年以前 10 ユール・クリス アイスホッケー カナダ 日本 1997 年 11 呂比須ワグナー サッカー ブラジル 日本 1997 年 9 月 12 藤田きよし アイスホッケー カナダ 日本 1997 年 12 月 13 アール サッカー UK ジャマイカ 1997 年以前 14 シンプソン サッカー UK ジャマイカ 1997 年以前 15 ホール サッカー UK ジャマイカ 1997 年以前 16 バートン サッカー UK ジャマイカ 1997 年以前 17 辻占建スティーブン アイスホッケー カナダ 日本 1998 年以前 18 Ulf Samelson アイスホッケー スウェーデン USA 1998 年以前 19 新井周 卓球 中国 日本 1999 年 2 月 20 モンタルボ 走り幅跳び キューバ スペイン 1999 年 5 月 21 Xeno Mueller ボート スイス USA 1996~2000 22 エマニエル・オリザベデ サッカー ナイジェリア ポーランド 2000 年 23 エレナ・ドキッチ テニス オーストラリア ユーゴスラビア(当時) 2000 年 11 月 24 Sofia Sakorafa やり投げ ギリシャ パレスチナ 2001 年以前 25 秋山成勲 柔道 韓国 日本 2001 年 9 月 26 ホセ・クレイトン サッカー ブラジル チュニジア 2002 年以前 27 三都主アレサンドロ サッカー ブラジル 日本 2002 年 3 月 28 Samuel Okantey 陸上 ガーナ アイルランド 2002 年 9 月 29 フレディ・アドゥ サッカー ガーナ USA 2003 年 2 月以前 30 デコ サッカー ブラジル ポルトガル 2003 年 2 月 31 サイフ・サイード・シャヒーン 3000m 障害 ケニア カタール 2003 年 8 月 32 田中マルクス闘利王 サッカー ブラジル 日本 2003 年 10 月 41 33 金ナラ(鈴木まどか) 陸上中距離 日本 韓国 2003 年 12 月 34 ベネット サッカー UK シンガポール 2004 年以前 35 カスミール サッカー ナイジェリア シンガポール 2004 年以前 36 グラボバッチ サッカー クロアチア シンガポール 2004 年以前 37 フランシルード・サントス サッカー ブラジル チュニジア 2004 年以前 38 フレデリック・カヌーテ サッカー フランス マリ 2004 年 1 月以前 39 ラミン・シソコ サッカー フランス マリ 2004 年 1 月以前 40 ラミン・サーコ サッカー フランス セネガル 2004 年 1 月以前 41 アイウトン サッカー ブラジル カタール 2004 年 3 月 42 エジミウソン サッカー ブラジル イタリア 2004 年 8 月 43 シルビーニョ サッカー ブラジル スペイン 2004 年 8 月 (事例調査資料より筆者作成) 表3:国籍変更に関わった又は関わっている選手 氏名 種目 国籍 希望する国籍 年月日 1 ゴルドベルガー スキージャンプ オーストリア ユーゴスラビア(当時) 1997 年 2 エメルソン サッカー ブラジル 日本 2004 年 3 月 3 ケイト・スラテリー フィギュアスケート USA 韓国 2003 年 6 月頃 4 ホセイン・レザザデ 重量挙げ イラン トルコ 2004 年前後 5 デデー サッカー ブラジル カタール 2004 年 3 月頃 6 レアンドロ サッカー ブラジル カタール 2004 年 3 月頃 7 ヤセンコ・サビチトビッチ サッカー クロアチア 韓国 2004 年 3 月頃 (事例調査資料より筆者作成) 42 43
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