1 第5回 ファンタジーからネオ・ファンタジーへ イギリス

第5回
ファンタジーからネオ・ファンタジーへ
イギリス文学は「児童文学の宝庫」とも言われ、多くのファンタジー文学を輩出して
いる。そこでここではまず、「児童文学」とは何か、「ファンタジー」とは何か、さらに
は「ネオ・ファンタジー」とは何かを考えてみたい。
1)童話
世界児童文学史の源泉をどこにおくかは難しい。日本の場合と同様に、児童文学とい
う概念との係りがあるからだ。いわゆる昔話等と言う考え方からすれば『イソップ物語』
( Aesop’s Fables )はその原点ということなるかもしれない。『イソップ物語』は古代ギリ
シャのアイソポス(Aesop, 620-560 BC)によって創作されたとされている。一般的には
動物などが人間生活の諸相を描いたものとなった寓話として知られている。しかし、フ
ランスのぺロー(Charles Perault, 1628-1703)、ドイツのグリム兄弟(Jacob, 1785-1862,
Whilhelm Grimm, 1786-1859)、デンマークのアンデルセン(Hans Christian Andersen,
1805-1875)、イギリスのルイス・キャロル(Lewis Caroll, 1832-1898)あたりがその定着
に寄与したとの考えには異論はないだろう。児童文学ということになれば、イギリスな
しには考えられないのだ。
イギリスは、児童文学という文学の新しい一領域を、作りあ げ、育ててきた国であり、
いまなおさかんにそれを発展させてやまない。 ( 1 )
かつて、ポール・アザール (Paul Hazard, 1878-1944)も「子どもの本だけで、英国を再
建することもえきるかもしれない」( 2 ) と『本・子ども・大人』( Les Livers, les Enfants
et les Hommes , 1932)の 中 で 述 べ て い る 。 イ ギ リ ス に は 、 ジ ョ ン ・ ラ ス キ ン ( John
Ruskin,1819-1900) 、 オ ス カ ー ・ ワ イ ル ド (Oscar Fingal O’Flahertie Wills
Wilde,
1854-1900) 、 ビ ク リ ア ス ・ ポ タ ー (Beatrix Potter, 1866-1943) 、 ミ ル ン (Alan
Alexander Milne, 1882-1956)など児童文学を手掛けた作家には枚挙に暇がない。また、
イ ギ リ ス と 同 じ 英 語 文 化 圏 で あ る ア メ リ カ で は 、 ル イ ザ ・ オ ル コ ッ ト (Louisa May
Alcott, 1832-1888)、マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835-1910)によりリアルな小説
が生み出されていくことになる。 ( 3 ) 特にアメリカの場合には、所謂ファンタジーと言
った内容のものよりも、現実社会でこどもがどのような立場に立たされているのかとい
ったようなものが主流のようだ。世界を見ても、はっきりとこどものために書かれた文
学もあれば、そうでないものもある。
2)「児童文学」とは何か
「児童文学」は「児童」+「文学」の造語である。英語では children’s Literature と
呼ばれている。「児童」の定義が曖昧であるので、必然的に「児童文学」の定義も曖昧
なものとなる。一般的には「童話」と呼ばれることもあれば、「ヤングアダルト」とい
う名称も目にするようになった。そこで「児童文学」の定義について文芸評論家・瀬沼
茂樹(1904-1988)の示唆に富む指摘を紹介しておきたい。
普通に文学のジャンルとして児童文学を考える場合、児童の ために成人が制作した
1
文学、あるいは児童のための文学をいうことになっている。おそらくこれには二義
があるだろう。簡単にいえば、児童用の文学であり、児童の年齢に応じて教 育的意
義をも含めて、特別の配慮の加えられた文学が一方に ある。もう一つは児童のため
に、純然たる芸術意欲から制作される文学である。現実には、前者にしろ芸術意識
を根源としなければ、低次元の教化にとどまるであろうし、後者にしろまったく教
化的適応性を無視しては児童文学として成り立ちしがたいところもある。 ( 4 )
瀬沼はさらに児童文学について述べている。
文学の問題として考えると、児童文学の分化が若いという ことであろう。どこの
国の文学にも、神話、伝説、民話、民謡などがあり、それ自体に児童文学の要素を
含みながら、児童文学として成立したわけではない。わが国のお伽噺にせよ、英語
の Fairy tales, Fable にせよ、独語の Märchen にせよ、すべて児童のための文学と
して用意されたものではない。( 5 )
つまり、もともと存在していた話を児童文学と呼ぶ場合と児童のために用意するための
文学があるとういことだ。そして、児童のために用意するいわゆる「児童文学」には、
教育的な意味合いが含まれると考えられよう。
3)「ファンタジー」とは何か
ファンタジーの定義を巡って、有益な単行本がある。翻訳本であるが、まさにファン
タジーを扱った図書である。David Pringle.
The Ultimate Encyclopedia of Fantasy
(Carlton Books Limited, 1998)の翻訳、ディヴィッド・プリングル編/井辻朱美日本語
版監修『図説ファンタジー百科事典』(2002)である。その内容を一部紹介しておきたい。
はじめに―心の願望の成就
ファンタジーの類型
ファンタジー映画
テレビのファンタジー
ファンタジーの人名録
ファンタジーの登場人物・存在
ファンタジーゲーム
ファンタジーの舞台
ファンタジー雑誌
ここでは「ファンタジーの類型」を特に取り上げたい。しかしながら、「ファンタジー
とは何か」といった定義については「はじめに―心の願望の成就」のところで最もシ ン
プルな定義として「ファンタジーは〈心の願望〉の物語である」( 6 ) と冒頭で紹介してい
ることは興味深い。百科事典との名の通り、ファンタジーに関する分析が深く行われて
いる。SF との関係、古い宗教的要素などにも触れている。「はじめに ―心の願望の成
就」とあるが、その内容は1つのファンタジー論として独立しているといってもよい。
最後に次ぎのような文章で締めくくられている。ファンタジーとは
2
この古く根源的な欲求と憧憬に向かって、語りかける形式なのである。 ( 7 )
さて、「ファンタジーの類型」(Types of Fantasy)では下位項目として 9 項目取り上げ
ている。
妖精物語、動物ファンタジー、アーサー王もの、アラビアン・ナイトもの、支那趣味、
秘境もの、ユーモア・ファンタジー、剣と魔法の物語、ヒロイック・ファンタジー
もちろんすべてのファンタジーがこの 9 つに分類できるものではない。ロジェ・カイヨ
ワ(Roger Caillois, 1913-1978)の Images, Images (1966)の中では(1)妖精物語、(2)
怪奇幻想小説、(3)サイエンス・フィクションを想像の作り話として取り上げている
が、イギリスのファンタジー文学を分類すると、新たに3つの分類を加えるとよいかも
しれない。それは(4)海洋冒険小説(シー・アドベンチャー)、(5)英雄物語(ハ
イ・ファンタジー)、(6)ユートピア文学である。 ( 8 ) 英米文学で代表的なファンタ
ジー文学を紹介しておきたい。
英文学
ラスキン『黄金の川の王様』(1851)
キングズレー『水の子』(1863)
キャロル『不思議の国アリス』(1865)
米文学
バウム『オズの魔法使い』(1900)
3
以上の4作品は英米文学でファンタジーの先駆的な役割を果したと言ってよいだろう。
“ファンタジー(Fantasy)”とは欧米由来の語で、最も広い意味では、幻想的な虚
構(フィクション)を指す(カーター 1973)。カーターは、SF やホラー、おとぎ
話をここから除くことで「魔法が実際に働く大人向けの作品」をファンタジーと呼ぶ。
しかし、特に欧米ではもっと狭い用法が通用している。ル・グウィンによると、欧
米で一般的に「ファンタジー」と言った場合には概ね、(1)白人を登場人物とする、
(2)ヨーロッパの中世的な時代背景で、(3)善と悪の戦いを扱っている物語を指
す(ル・グウィン 2009)。ル・グウィン自身は、ファンタジーとは「もう一つの世界」
で「はるかな過去の」欧州という舞台を想定する。カーターはファンタジーの中心
的伝統は、中世的でしかも作者が創作した舞台である「空想世界」で展開されると
する。このように現代の欧米では一般に、ファンタジーの舞台は中世欧州風の異世
界であると前提されることに注意が必要である。( 9 )
ファンタジーにとって一番重要なことは異世界ということだろうか。
注
(1) 瀬田卓二他編『英米児童文学史』(研究社、1971 年 8 月)、p.3.
(2) ポール・アザール/矢崎源九郎・横山正夫訳『本・子ども・大人』(紀伊國屋書店、
1957 年 10 月)、p.188.
(3) Ibid., p.5
(4) 瀬沼茂樹「児童文学と近代文学」
(瀬沼茂樹他編『日本児童文学名著事典』ほるぷ出
版、1983 年 11 月)、p.2.
(5) Ibid., pp
(6) ディヴィッド・プリングル編/井辻朱美日本語版監修『図説ファンタジー百科事典』
(東洋書林、2002 年 11 月)、p.6.
(7) Ibid., p,26.
(8) 井村君江「6
ファンタジー文学」(出口保夫・小林章夫・斉藤貴子編『21 世紀イ
ギリス文化を知る事典』東京書籍、2009 年 4 月)、p.72.
(9)「ファンタージとは」
(http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82
%B8%E3%83%BC)(2015 年 2 月 28 日アクセス)
*上記は佐々木隆『保育者・幼児教育者のための文学』
( 武蔵野学院大学佐々木隆研究室、
2012 年 3 月)より
(3)「ネオ・ファンタジー」とは何か
「ネオ」(neo)とは新しいを意味する。従って、新しいファンタジーという意味にある。
『ハリー・ポッター』シリーズ以後、
「ネオ・ファンタジー」という言葉がよく使われる
ようになった。ファンタジーが異世界とのパラレルワールドを形成することが枠組みと
してあるとすれば、ネオ・ファンタジーの特徴とは何であろうか。『ハリー・ポッター』
シリーズの最大の特徴は、異世界と実世界がボーダレスになってきた点だ。本来であれ
4
ば、ロンドンの人間界、ホグワーツの魔法界という枠組み、ロンドンでのなかでも人間
界と魔法界というパラレルワールドが同時に存在、物語が展開するにつれて、魔法界が
人間界に大きな影響を及ぼすようになった。これまでのファンタジーでは人間が異世界
で冒険を果たし、再び人間に戻るという一定の流れがあった。しかし、ネオ・ファンタ
ジーはこうした一定の流れ自体がすでにボーダレス化してきた。
この状況は現実社会でインターネットやテクノロジーの発展により仮想現実と現実が
ボーダレスになるような錯覚さえ覚える状態になっていることに要因があるかもしれな
い。
(4)「ファンタジー文学の行方―文学と科学―」
「文学と科学」は想像力と実証を基礎に創造力によって現実化される科学と微妙な関
係を保ちながら今日に至っている。特に 19 世紀以後の英米文学を中心に見て行けば、
Mary Shelley. Frankenstein(1818)、Robert Louis Stevenson. The Strange Case of Dr
Jekyll and Mr Hyde (1886)、H. W. Wells. The Time Machin e(1895)Bram Stoker.
Doracula (1897)、“robot”という言葉の誕生で知られる Karel Capek. R.U.R. (1920,
チェコソロバキア)、Isaac Asimov. I, Robot (1950)など枚挙に暇がない。ファンタジ
ー文学について今後の展望について考察していきたい。
①再度、「ファンタジー」とは何か
まず「ファンタジー」とは何かを考えてみよう。手元にある『広辞苑』
(第6版)の「フ
ァンタジー」の見出し語には次のように記載されている。
① 空想、幻想。白昼夢
②幻想的な小説・童話
③幻想曲 ( 1 )
で は 英 語 の 辞 典 に は ど の よ う に 定 義 さ れ て い る だ ろ う か 。 Concise Oxford English
Dictionary (2004)の“fantasy”には次のように定義されている。
1
the faculty or activity of imagining improbable things.
imaginative fiction involving magic and adventure.
3
a fantasia
2
a genre of
(2)
ここでは“imagining”“imaginative”といった言葉が気になるところだ。上田和夫編
『イギリス文学辞典』(研究社、2004 年 1 月)の「fantastic/fantasy」の冒頭には以下
のような記述がある。
現在のところ必ずしも明確な定義はなされていないが、一説によると、広義の「フ
ァンタジー」または「ファンタスティック」は非写実的な話をさし、そのなかには
神話、伝説、民話、妖精物語、寓意物語、夢物語、SF、ユートピア物語 utopia、
さらに狭義の fantasy を含む。そして狭義の fantasy は、不可能な出来事や世界を
扱い、その内部で一貫性のある物語を指す。( 3 )
ここで「明確な定義はなされていない」という記述が気になるところだ。
「ファンタジー」とは何かを探るために、さらに佐藤さとる『ファンタジーの世界』
5
(講談社、1978 年 8 月)を開いてみよう。ファンタジーを一つのジ ャンルとして位置
づけるためには、まだまだ整理が必要である。例えば、空想物語、幻想物語として訳 さ
れているものと同一と考えてよいのか。さらには、怪談、童話、伝説(広い意味で言え
ば、神話、寓話も含まれるか)、伝奇物語、SF、あるいはメルヘンなどとどう棲み分け
していくのかといったことだ。ファンタジーはメルヘンを母体にし、分化してきたと考
えてもよいかもしれない。( 4 )
こうなると、
「メルヘン」とは何かも触れなければならない。ファンタジーの母体であ
るメルヘンについて簡単に触れておくと、1812 年に『グリム童話集』の第 1 巻が出版、
1835 年に『アンデルセン童話』が出版されていることはどうしても触れておかなければ
ならないだろう。グリム兄弟は文法の研究するために、いわゆる伝説や昔話を収集して
いたのだが、それが『グリム童話集』としてまとめられたのである。昔 話、メルヘンで
は、主人公が没個性的な類型的主人公であるのに対して、ファンタジーでは主人公はは
っきりとした個性というものを持つようになる。その意味で言えば、
『グリム童話集』の
登場人物よりも、
『アンデルセン童話』の方が、ファンタジー的要素を備えていると言っ
てよいかもしれない。
池田紘一他編『ファンタジーの世界』(九州大学出版会、2002 年 3 月)には、眞方忠
道「『ファンタジーの世界』への招待」で「ファンタジーの由来」が説明されている。英
語の fantasy からさらにギリシア語の「ファンタシア」(phantasiā)にさかのぼって説
明している。「見えるようにする」→「表す、示す」といったことから、「外見、あらわ
(5)
れ、みせびらかし」、さらには「想像力」を意味するところに辿りつくという。
Aristotle
にまでさかのぼって説明している。ギリシア語やサンスクリット語に触れ、
「ファンタジ
ー」の源泉をたどろうとしている。実はジャンル等の定義をしようとする時、こうした
分析は基礎研究として押さえておくべきものであろう。
さらに、2004 年度国際子ども図書館児童文学連続講座講義録「ファンタジーの誕生と
発展」(2005 年 10 月)では、
「 ファンタジー」の定義について Dennis Butts の Stories and
Society: Children ’s Literature In Its Social Context (1992)や Kathryn Hume の
Fantasy and Mimesis (1984)を軸に展開している。「ミメーシス」は芸術論では必ず登
場してくる Aristotle の考え方であり、模倣論であり、ファンジーだけでなく、文学は
想像力の産物である。ファンタジーは想像力なくしては成り立たないものだ。以降は「フ
ァンタジーの誕生と発展」を紹介していきたい。
『ファンタジーの誕生と発展』は、国際子ども図書館の 2004 年 10 月に開講された「児
童文学連続講義録」をまとめたものである。全体の内容は以下の通りである。
村山隆雄「刊行にあたって」/神宮輝夫「ファンタジーの周辺」/間宮史子「メルヘ
ンからファンタジー」/定松正「イギリスのファンタジー」/
白井澄子「アメリカ・カナダのファンタジー」/
井辻朱美「ファンタジーとはなにか」/千代由利「国際子ども図書館で児童文学(フ
ァンタジー)を調べる」/渡辺和重「児童書総合目録活用術」/神宮輝夫「研究報告:
イングラム・コレクションの魅力」/「講師略歴」
間宮史子「メルヘンからファンタジーへ」の中では、
「ファンタジーとは何か」をリサ
ーチしていくと、必ず辿りつくのは「メルヘンとは何か」といったことだ。つまり、
「フ
ァンタジー」≠「メルヘン」であることははっきりしているが、共通する部分もあるこ
6
とから、その関連性が問題となろう。
「メルヘンはファンタジーの源と考えられておりま
(6)
す」
この指摘はよく言われることであるが、メルヘンの中にファンタジー的要素があ
るからだ。その際たるものは
人間が人間の住む世界とは異なる世界を訪れるのは、人間が人間の住む世界とは異
なる世界を訪れたことを語る話です。( 7 )
この異界訪問譚はまさにファンタジーの得意とすることである。
井辻朱美「ファンタジーとはなにか」の中では「昔は世界が2つ、別世界と現実があ
るという世界観ではなかった」という表現は納得のいくものである。つまり、現実と不
思議の世界に境がなかったということだ。井辻はまずファンタジーを大きく3つに分類
している。
1) 1番古いタイプのファンタジー、いわゆる昔話、おとぎ話。不思議なことが起
こる話。
2) ハイ・ファンタジー。信じられないような世界に行って冒険してきた話。最初
から別世界のお話が展開している、あるいは、地球の過去の時代の話で一見歴
史小説風なのだけれども、そこにちょっと魔法が入っていたりするというような、
一元的なファンタジーです。
3) 枠物語。現実の世界があって、そこで人々が生活をしていて、それからどこか
扉を開けてみたり、あるいは、誰かがやってきて不思議な魔法を見せてくれたり、
あるいは、別の自分のパラレルワールドの世界へ行ってしまったり、と2つの
世界が描かれている。( 8 )
ファンタジーの定義を巡って、有益な単行本がある。翻訳本であるが、まさにファン
タジーを扱った図書である。David Pringle.
The Ultimate Encyclopedia of Fantasy
(Carlton Books Limited, 1998)の翻訳、ディヴィッド・プリングル編/井辻朱美日本語
版監修『図説ファンタジー百科事典』(東洋書林、2002 年 11 月)である。
「ファンタジーとは何か」といった定義については「はじめに ―心の願望の成就」の
ところで最もシンプルな定義として「ファンタジー は〈心の願望〉の物語である」( 9 )
を冒頭で紹介していることは興味深い。百科事典との名の通り、ファンタジーに関する
分析が深く行われている。SF との関係、古い宗教的要素などにも触れている。「はじめ
に―心の願望の成就」とあるが、その内容は1つのファンタジー論として独立している
といってもよい。最後に次ぎのような文章で締めくくられている。
「この古く根源的な欲
求と憧憬に向かって、語りかける形式なのである」。( 1 0 )
「ファンタジーの類型」
(Types of Fantasy)として 9 項目取り上げているので紹介し
ておきたい。
妖精物語、動物ファンタジー、アーサー王もの、アラビアン・ナイトもの、支那趣味、
秘境もの、ユーモア・ファンタジー、剣と魔法の物語、ヒ ロイック・ファンタジー
以降は具体的な作品に触れながら、ファンタジーについて考えていきたい。
7
②英米文学のファンタジー
安藤聡『ファンタジーと歴史的危機』(彩流社、2003 年 1 月)という本がある。副題
は「英国児童文学の黄金時代」とある。「序章
英国児童文学三期の黄金時代―1860 年
代、1900 年代、1950 年代」とあるが、「ファンタジー」とは何かを明確に定義して
はいない。「十九世紀後半は、一般に英国児童文学の 黄金時代と言われる」( 1 1 ) とその
冒頭には記載されている。
第一次黄金時代(1860 年代)
The Water-Babies (1863)
Alice’s Adventures in Wonderland (1865)等
第二次黄金時代(1900 年代)
Peter Pan (1902)
The Wind in the Willows (1908)等
第三次黄金時代(1950 年代)
The Chronicles of Narnia (1950-1956), The Barrowers (1952), The Children of
Green Knowe (1954), The Lord of the Rings (1954-1955), Tom’s Midnight
Garden (1958)
1859 年に Charles Darwin.
On the Origin of Species by Means of Natural Selection
が発表されたことはファンタジーの黄金時代を迎えることと決して無関係ではないだろ
う。
伝統的キリスト教に支えられた世界観を揺るがせ、当時の人々を不安に陥れるに十
分であった。( 1 2 )
定 松 正 (1933-)に よ れ ば 、 フ ァ ン タ ジ ー の 推 進 に 一 役 買 っ た 人 物 と し て John Locke
(1632-1704)を上げている。新しい人間観、新しい価値観を推し進めてい た人物である。
神と中心として価値観から、人間の本性に注目する時代に入ったのである。つまり、外
見から判断する時代が終わり、大人と子どもは違うという人間認識が生まれ、新しい児
童観が生まれた、育ってきたのである。それが、17 世紀から 18 世紀である。ロマン主
義の時代である。19 世紀のファンタジーの本格的登場の準備が整っていたということに
なる。ファンタジーについて定松は以下のように述べている。
ファンタジーの世界は現実の世界とは無縁の世界ではないということです。より現
実的な問題を照らし出す寓話的な特徴を、ファンタジー作品は秘めているというこ
とを押さえるのが重要です。( 1 3 )
こうした中で、キリスト教という宗教背景を無視することができないという。
旧教徒によるローマ・カトリックを見直そうとするオックスフォード運動が、この
ファンタジー文学にもかなりの影響をおよぼすことになり ます。牧師が筆をとると
いう風潮を促すのです。『水の子』を書いたキングズリは国教会の牧師ですし、ル
イス・キャロルは父親が牧師で彼自身もオックスフォードのクライスト・チャーチ
8
学寮(牧師養成校)を卒業し、その職には就かなかったものの、その資格を得まし
た。( 1 4 )
産業革命による貧富の差、現代で言う格差社会の問題が存在していた。時代的に は
Darwin. On the Origin of Species を発表したのが 1859 年であり、 The Water-Babies
が発表されたのが 1863 年である。定松は触れていないが、科学と宗教の問題、さらに
はそれを文学の中に持ち込んだとも考えられないであろうか。それが出来る手法はファ
ンタジーという異界を持ち込める文学ジャンルであったのではないか。しかし、いづれ
にしても、牧師がファンタジーを書いたという点は注目に値する。
アメリカの初期のファンタジーの代表は Frank Baum. The Wonderful Wizard of Oz
(1900)。ヨーロッパのお伽噺とは違う。魔法と妖精を中心とするイギリスのものと較べ
ると楽しい空想物語である。
工業化するアメリカ、科学技術が進み、いろいろな新しい機械ができているアメリ
カが見えてきます。神秘性はほとんど感じられませんが、 別世界に行ってもはやり
人間の心が大切だという点や、「頑張って何かをやればきっと成功する」というアメ
リカらしい考え方が見えるファンタジーで、ある意味で、その後のアメリカのファ
ンタジーの要素をすべて備えているように思います。( 1 5 )
Frank Richard Stockton. The Griffin and the Minor Canon (1885)という作品も見逃せ
ない作品のひとつである。
アメリカにはケルトの素材がないため、妖精等はすべてイギリスのファンタジーから
借用することになります。特に 1960 年代、1970 年代にこうした作品が発表されるが、
理由の1つの社会的なことが上げられよう。
アメリカは第二次世界大戦後、特に、ベトナム戦争が泥沼化して、それに反対する
多くの若者が平和を訴える時代に入っていきます。( 1 6 )
善や悪の問題など、 The Chronicles of Narnia , The Lord of the Rings (1954-1955)の影
響を受けたようである。また、動物ファンタジーとしては E.B. White. Charlotte’s Web
(1951)は現在でもよく読まれている。アメリカのファンタジー を幾つか紹介しておきた
い。
Frank Richard Stockton. The Griffin and the Minor Canon (1885)
Frank Baum. The Wonderful Wizard of Oz (1900)
My Father’s Dragon (1950)
E.B. White. Charlotte’s Web (1951)
Lloyd Alexander. The Black Cauldron (1965)
Ruth Stiles Gannett.
*プリデイン物語シリーズ
Ursula K. Le Guin.
A Wizard of Earthsea (1968)
*ゲド戦記シリーズ
Susan Cooper.
The Dark is Rising (1973)
*闇の闘いシリーズ
9
Norton Juster.
Phantom Tollbooth (1989)
3)最近の英米ファンタジーの映画化
映画の三大要素が「映像、脚本、音楽」とすれば、その内容は脚本に依るところが大
きい。この意味で文学作品が取り上げられるのだろう。
クリス・コロンバス監督『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001) /(J.K.ローリング原
作)(英)
ピーター・ジャクソン監督『ロード・オブ・ザ・リング』 (2001)/(J.R.R.ト―ルキン
原作)(英)
クリス・コロンバス監督『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(2002) /(J.K.ローリング
原作)(英)
ピーター・ジャクソン監督『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』 (2002)/(J.R.R.
ト―ルキン原作)(英)
ピーター・ジャクソン監督『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』 (2003)/(J.R.R.
ト―ルキン原作)(英)
アルフォンス・キュアロン監督『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004) /(J.K..
ローリング原作)(英)
宮崎駿監督『ハウルの動く城』(2004)/(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ原作)(英)
ティム・バートン監督『チャーリーとチョコレート工場』(2005)/(ロアルド・ダ―ル
原作)(英)
アンドリュー・アダムソン監督『ナルニア国物語/第1章
ライオンと魔女』(2005)/
(C.T.ルイス原作)(英)
マイケル・ニューウェル監督『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(2005)/(J.K..ロ
ーリング原作)(英)
宮崎吾朗監督『ゲド戦記』(2006)/(アーシュラ・ル=グウィン原作)(米)
シュテファン・マイヤー監督『エラゴン』(2006)/(クリストファー・パオリーニ)
(米)
クリス・ワイツ監督『ライラの冒険
黄金の羅針盤』(2007)/(フィリップ・プルマ
ン原作)(英)
デヴィッド・イェーツ監督『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(2007)/(J.K..ロー
リング原作)(英)
アンドリュー・アダムソン監督『カスピアン王子のつのぶえ』 (2007)/(C.T.ルイス原
作)(英)
デヴィッド・イェーツ監督『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(2009)/(J.K..ローリ
ング原作)(英)
ポール・ワイツ監督『ダレン・シャン』(2009)/(ダレン・シャン原作)(英)
クリス・コロンバス監督『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』(2009)/(リッ
ク・リオ―ダン原作)(米)
ティム・バートン監督『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)/(ルイス・キャロル
原作)(英)
米林宏昌監督『借りぐらしのアリエッティ』
(2010)/(Mary Norton. The Barrowers .
原作)(英)
10
現代は「ファンタジー」の世界がありえないような想像の世界であったものも、科学
の力で現実に可能になってきたこともある。そういっ た意味でファンタジーは科学の発
達と無縁ではないと思える。なぜなら、
「ファンタジーはかなわざる語るものだった」( 1
7)
からだ。これまでファンタジーといった考え方をしていたもの、あるいは SF と考え
ていたものが、科学の発達により、現実になっている傾向がある。こうしたことを考え
ると、科学と文学はともに想像力(イマジネーション)から始まることになる。
井辻朱美(1955-)は『ファンタジー万華鏡』
(2005)の中で最近のファンタジーにつ
いて次のように述べている。
ファンタジー・ジャンルの状況は、一九九〇年後半ごろに大きくさまがわりした。
言うまでもなく「ハリポタ」を象徴とするネオ・ファンタ ジー群の大流行であ
る。( 1 8 )
科学、テクノロジーの発達により、ユビキタス時代が到来してしまうと、ファンタジー
にも大きな影響を当たることとなる。前述の『図説ファンタジー百科事典』は原書の出
版が 1998 年で、Harry Potter シリーズは取り上げられていない。ネオ・ファンタジー
とは新しいファンタジー観である。これまでは現実 vs 別世界といったようなパラレル・
ワールドが構図としてあったが、現実自体が虚構化していく傾向の時代、あるいは科学
の発達と共に非現実が現実化されていく現代においては、新しくファンタジーとは何か
といったことを考えていく必要がありそうだ。
注
(1) 新村出編『広辞苑』(第6版)(岩波書店、2008 年 1 月)、p.2417.
(2) Concise Oxford English Dictionary (Oxford University Press, 2004), p.515.
(3) 上田和夫編『イギリス文学辞典』(研究社、2004 年1月)、p.123.
(4) 佐藤さとる『ファンタジーの世界』(講談社、1978 年 8 月)、p.67.
(5) 眞方忠道「『ファンタジーの世界』へ招待」(池田紘一他編『ファンタジーの世界』
九州大学出版会、2002 年 3 月)、p.3.
(6) 国立国会図書館国際子ども図書館編『ファンタジーの誕生と発展』(国立国会図書
館国際子ども図書館、2007 年 10 月)、p.22
(7) Ditto.
(8) Ibid., p.79.
(9) ディヴィッド・プリングル編/井辻朱美日本語版監修『図説ファンタジー百科事典』
(東洋書林、2002 年 11 月)、p.6.
(10) Ibid., p.26.
(11) 安藤聡『ファンタジーと歴史的危機』(彩流社、2003 年 1 月)、p.7.
(12) Ibid., p.19.
(13) 国立国会図書館国際子ども図書館編『ファンタジーの誕生と発展』(国立国会図書
館国際子ども図書館、2007 年 10 月)、p.22
(14) Ditto.
(15) Ibid., p.56.
(16) Ibid., p.59.
(17) 井辻朱美『ファンタジー万華鏡』(研究社、2005 年 5 月)、p.5.
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(18) Ibid., p.3.
*佐々木隆「ファンタジー文学の行方―文学と科学」
(『日本英語文化学会会報』第 4 号、
2010 年 6 月)より
(5)最近のファンタジー文学の特徴
最近のファンタジー文学の特徴を2つ取り上げておきたい。第1に映画化、第2に設
定としてハーフ・ブラッド(混血)であろうか。
① 映画化
文学作品の映画化について、映画化される理由についてここでは考えてみたい。
映画は「映像、脚本、音楽」が三大要素と言われるが、中でも脚本は映画のストーリ
ーを支える上で中核をなすものだ。最近の映画技術の発達により、これまで表現的にむ
ずかしいと思われていた作品が次々と映画化されている。その代表は『ナルニア国物語』
と『ロード・オヴ・ザ・リング』である。このふたつは 1945 年以降の英文学を代表す
るファンタジー文学である。その大きな特徴はキリスト教以前のケルト文化を背景して
いることであり、「善 vs 悪」がまさに大きなテーマである。
文学作品、特にファンタジーが映像化される背景には映像美が期待できること、また、
すでに知名度が高いことだが大きな理由である。映画も当然のことながら映画産業とし
て立脚しなければならないため、こうした理由は背景として根強いものがある。ディズ
ニー映画はまさにこれを一企業として取り組み大きな成果を上げたと言ってよ いだろう。
② 設定としてのハーフ・ブラッド
ここで言うハーフ・ブラッド(混血)とは単なる国籍や人種のことを問題にしている
のではなく、古くは神と人間の子、そして最近では、悪魔や魔物と人間の子、あるいは
異界の住民と人間の子、魔法使いと人間の子など、人間界以外との者とのハーフという
設定が目立ってきている。
血がひとつのキーワードとなっているのは『ドラキャラ』が最も有名かもしれない。
宗教的な儀式でも血はよく使用されるものであり、ハーフ・ブラッドの問題は現実的な
問題から文学的なものまで実はかなり奥深いことがわかる。
③ 『ハリ―・ポッター』シリーズ
タイトル・ロールになっているハリーは父親が魔法使い、母親が人間(魔法使いの世
界ではマグル)のハーフ・ブラッドである。そのために、両親はヴォルデモードに殺さ
れ、ハリー自身も命を奪われることになった。さらに、自分の生い立ちを本当に知るよ
うになったのは 11 才の誕生日の目前の時だ。ホグワーツの番人ハグリッとがハリーの
生い立ちを話し、ハリーが魔法使いであることを伝える。この設定なくしてハリー・ポ
ッターの話は成立しない。ハーフ・ブラッドであることが、非現実の世界の扉を開ける
こととなった。ハリー・ポッターのファンタジーにはさらにふたつの要素が加わってい
る。第1に孤児物語であること。人間界では虐待を受けながら、ホグワーツ魔法学校で
は友人達に囲まれ、全く別の生活を送っている。第2に善 vs 悪の問題が大きく扱われて
いることだ。
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④ 『ダレン・シャン』
悪魔や魔物と人間の子の設定として、友人を助けるために敢えて、バンパイア との血
の契約を行った『ダレン・シャン』がある。日本のマンガでは『遊幽白書』の浦飯幽助
は人間と魔族のハーフ。
『犬夜叉』の犬夜叉は妖怪と人間とのハーフ(半妖)の設定。ダ
レン・シャンは自分の意志で人間とバンパイアとのハーフとなったことがハーフ設定の
これまでのものとは大きく違う。
⑤ 『パーシ・ジャクソンとオリンポスの神々』
神話を題材にした『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』などは最近では代表
的なものである。また、神話を映画化している『トロイ』や『タイタン』なども神と人
間の子、ペルセウスを扱っており、超人的な力を発揮する源泉としてブラッド(血筋)
の問題が出て来る。
ファンタジーの世界はパラレル・ワールドになっていることが多いが、その鍵になって
いるのがブラッド(blood「血」)という設定は宿命的なものを感じさせることになる。
*上記は佐々木隆『保育者・幼児教育者のための文学』
( 武蔵野学院大学佐々木隆研究室、
2012 年 3 月)より
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