第54号 - 社会医療法人 祐愛会

2008年 (平成 20年 )8月 25日 月曜 日 第 54号
ゆ うあ い 報
。
︱■■■■ ■■■目
8
6 1
3
傾 向が強ま っています 。
日本は、 昨 年 インドネ シアと の経 済 連 携
協定 ︵
EPA︶ に基づき、看護 師、 介 護 福
祉 士 の受 け 入れを 決 めました。 そして第 一
陣が、この人 月 七 日に 日本 にや つて来 まし
た。 医療 や 介 護 分 野 に外 国 人を 雇 用 す る
こと には賛 否 両 論があ り、 超 えなくてはな
らない問 題も多 くあ ります。しかし、 私は
ン
べ
行
弾
牡
掏
だ
多
付
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醇
″
∬
為
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壻
刻
朝
掛
ヽ
入
力
一〇 ∼ 二〇年 後を 見据 えると 、この解 決策
は外 国 の人 材 活 用 を 求 める 以 外 にはな く 、
ポジテイブ に捉 え る必 要が あ ると 考 え てい
ま す。 今 回が第 一回 目 の受 け 入れです が、
国際 厚 生 事 業 団 ︵
δ妥国re によるマツチ
﹂
ング の結 果、 当 院 では 二人 の看 護 師 を 受 け
入れ ることが決 定 しました ︵
写 真 1︶。 これ
から 半 年 間、 人 六 〇 時 間 におよぶ 日 本 語
研 修 はじめ生 活 習 慣 など 日本 社 会 理 解 を
目 的 と した 研 修 を 受 け、 来 年 二月 から 当
院 で仕事 を す ることにな ります 。 決 められ
た 三年 間 の滞在 期 間に、 日本 におけ る看護
師 資 格 試 験 に合 格 す れ ば在 留 資 格 の延 長
が可能 となります。 早ければ来 春 に 一回 目
の資格 試 験を 受けることにな っています。
三 . グ ロー バルに 人 材 が 集 ま る基 盤 整 備
師 増 員 を 図 り た いと
今 後 、 我 々は外 国 人 看 護 師 や 介 護 福 祉
。 。。。。。。0。
5
仙
5
5
。
。
5
0
5
考 え ていま す 。
士 の受 け 入 れ 態 勢 作 り を 急 ぐ こと にな り
4
3
32
2
1︲
ま す 。 当 法 人と 提 携 している豪 州 のハモン
二 . イ ンドネ シア人 看 護 師 の受 け 入 れ
ドケ アグ ルー プは、 イ ンド ネ シアな ど から
しかし、 日本 は前 述 したよう に 少 子 化
の影 響 を 受 け 、 看 護 師 を 目指 す 若 者 が激
減 してきており、 これから看護 師 不 足にさ
ら に拍 車 がかかるも のと 思 われま す 。 この
一、二年 医 師 不 足、 看 護 師 不 足が マスで ヽ
でも 取 り上 げ ら れ、 地 域 医療 の崩 壊 が叫
ばれるようにな って、 や つと政 府 も 理解 し、
本 腰 を 入 れてき ました。 日本 と 同 様 に少 はガタリンピツクの際 、 多 く の留 学 生 がホ
子 高 齢 化 が 進 む 欧 米 な ど の先 進 国 でも 、 ームろアイしています ので、 意 外 と 地 域 での
医療 や 介 護 分 野での人 材 不 足が深 刻 な 問 受 け 入れはスムー スにいく のかもわ かりませ
題 にな つています。 こう した国や 地域 では、 ん。 多 分 一〇
す でにホスピタリ ティに溢 れ、 高 齢 者 を 大 年 後 には、 当
法 人 は外 国 か
ら も優 秀 な 人
材 が 集 ま るグ
ロー バルなグ ル
ー プ に生 ま れ
変 わ っていると
思 います 。
皆 さ んも よ
ろ しく お 願 い
いたします 。
看 護 体 制 の実 現 に 向
け て可能 な 限 り 看 護
る急 性 期 医 療 に 対 応
す るた め、 この三 年
間 でさ ら な る 手 厚 い
一レベルの看 護 体 制 の
構 築 が必 要となりま
す。 短 期 入 院 化 す
看 護 体 制 七 対 一で は
対 応 が 難 しく 、 五 対
特 定 医療 法 人 祐 愛 会 理事 長 織 田 正道
人 ロピラミッドが壺 形に変 化している時 代にあ つて
∼グローバルな人材採 用 のスタート∼
鍾 暉
週
︲
﹁
︲︱
︲
∃¨
8月 号
発行者 祐愛会織 田病院企画室
責任者 織 田 正道
Arl…
少 子高 齢 化 の流れは勢 いを増 し、 止まる
所を 知 りません。 す でに 日本 は総 人 口の減
少とともに生産 人 口も減 少 の 一途 をたどり
始 めました。 男 女 別に年齢 ごと の人 口を 表
したグラフである人 ロピラミッドは、 名 の由
シ ド型 から壺 型 に
来 であ る 三角 形 のピ一
Zヽ
。
変わりました ︵
図1︶
このままいくと 二〇年
後 には さ ら に 少 子 高
齢 化 は 顕 著 と な り、
生 産 人 口も 著 しく 減
少 し、 コマ型 に変 わ る
時 代 を 迎 え ま す。 そ
のよ う な 時 代 が 現 実
と な る 時 が、 す ぐ そ
こまで来 ていること を
我 々は自 覚 し な く て
はなりません。
微
一. さ ら に豊 富 な 人 材 が 必 要 な 時 代
医療や介護分野の仕事は、そこで働く多く
の専門職がいて初めて成り立ちますし、その質
の向上や、安全を確保するためには、さらに
豊富な人材が必要となります。これまで当法
人は、毎年多くの人材を迎え入れ、育ててき
。 特に平均在 院 日数 の短縮 化
図2︶
ました ︵
が進む病院においては、看護師をはじめとす
る医療 専 門職 の確 保と定着 促進は、病院 運
営においてもつとも重要な課題となっています。
今 後さ らに急 性 期 医療 における在 院 日数は
〇国o∪諸国並みに短縮していくものと考えら
れます。当院でも、平均在院 日数は 一二日前
後となり新 規 入院患者が増え続けています。
そのような状 況 下において、 現場 の仕事は繁
雑、多忙となります。現在の看護体制は七対
一ですが、平均在院 日数 一〇日を切りますと、
写真1:経 済連携協定 (EPA)に 基づき当院で
受け入れることになつた2人 の看護嚇
1:aЮ 8年 人ロ ピラミ ッ ド
図
︲
︲
,
一 ﹄
YUAIKAl
月曜 日 第 54号
2008年 (平 成 20年 )8月 25日
﹁
B型 ・C型 ウ イルス肝炎 インター フエロン 内科医師
治 療 医療 費 助 成 制 度 が始 まりました !﹂ 井手 康史
平 成 二〇 年 の四 月 ょりB型 ・C型 ウ イ
この助 成 制 度 は厚 生 労 働 省 と 都道 府 県
ルス肝 炎 インター フエロン治療 医療 費 助 成 制 が主体 とな つて行 っています。 佐賀 県では県
度が始 まりましたのでご紹介 いたします 。 と契 約 した指 定 医療 機 関 によってインター
フエロン治 療 が行 わ れます。 指 定 医 療 機 関
一。この制 度 の目的 は
は 一次、 二次 、 三 次 の 二種
ウ イルス性 肝炎、 特 にC型慢 性 肝炎 は我 に分 類 さ れ てお り、 二次 も
が国で最 大 の感 染 症であ り、 また 日本 人 の しくは 二 次 医療 機 関 で作 成
死 亡 原 因 の中 でも大 きな割 合 を占 めている さ れ た治 療 計 画 書 を もと に
肝がんの最 大 の原 因とな つています。 インタ 治 療 が 行 われ ま す。 かかり
ー フエロン治療が奏 効すれば 肝炎 の根 治 も 可 つけ 医 であ る 一次 医 療 機 関
能 であ り、 その結 果として肝 硬変 や 肝がん と 連 携 して治 療 に当 た る 二
への進 行を 阻 止す ることが可能となります。 次 。二次 医療 機 関は 一次 医
しかしながらインターフエロン治療 は高額であ 療 機 関によってご 紹介 されま
る︶
︶
と から治療 に踏 み切れない患者 様がいま す。 当 院 は 二次 医療 機 関と
まで多 くいらつしやつたことも事実で、なかな して県 と 契 約 してお り、 当
か肝がんの死亡率を減 らせないでいました。 院 を 直 接 受 診 さ れた患 者 様
で、 肝がんを発症 す る前 に出 来 るだ や 一次 医療 機 関 からご 紹介
そ︶︶
け多 くの患者 様にインターフエロン治療を行 っ さ れた患 者 様 のインター フエ
ていただき、 早期治療を行 って発がんを防 ぐ ロン治療を 行 っております。
といつ目的でこの助成制度が始まりました。
四 .助 成 の申 請方 法は
二. 対象 となる方 は
各 住 所 地 の保 健 福 祉 事
県内 に住 所があり、B型 ・C型 肝炎 のイン 務 所 に申 請 書 等 を 提 出 しま
ター フエロン治療を要す ると診 断 された方が す 。申 請 書 の他 には住 民 票、
対象 です。 本 制度 による助成を 一度 受けた 市 町村 民税 課税 証 明書 、 診
方は、 再度 の申 請をす ることはできません。 断 書 、 治 療 計 画 書 などが必
この制度 は今 年 から七年 間 の期 間 限定で 要です。 診 断 書 、 治 療 計 画
あ り、 ま た 一人 の患 者 様 に対 して原 則 一 書 は医療 機 関 で作 成 す る必
年 間 のみ適 応 さ れます。 途 中 で治 療 中 断 要 が あ り ま す 。 そ の他 の書
しても 、 2 、一7 月程度 の体 薬 など の︶ 例 類 や 申 請 方 法 な ど に ついて
外 を 除 いては期 間 の終 期 に変 更 はあ りませ も 当 院 でご 説 明 してお りま
んので注意が 必 要です。 すでに治 療 中 の方 す のでま ず は内 科 外 来 にご
は四 月まで遡 って適 応 す ることができます。 相 談 くださ い。
より多 くの患者 様 にインタ
三 .助 成 の内 容 は
ー フエロン治療 を受 けていただ
具 体 的 には、 患 者 様 の世 帯 の市 町村 民 き、 佐 賀 県 の肝 硬 変 ・肝が
税 課 税 年 額 に応 じて月 一万 円 から 五 万 円 ん患 者 を ひと り でも 減 ら し
までに自 己負 担 額 を 軽 減 さ れ、 それ 以 上 たいと 私たちは願 っています。
の医療 費 が助成 されます。
A
世帯 の区市町村民税 (所 得割 )課 税年額 65,000円 未満
10,000円 まで
(月
額)
B
世帯 の区市町村民税 (所 得割 )課 税年額 65,000円 以上 235,0∞ 円未満 30,000円 まで
(月
額)
C
世帯 の区市町村民税 (所 得割 )課 税年額 235,000円 以上
(月
額)
50,000円 まで
ようにすることにあります。 対象者にさまざ
まな働きかけやアドバイスを行い、六ヶ月後に
評価することになっています。
二.禁 煙 外 来
生 活習 慣病 予防 にと って禁 煙 が重 要なこ
この四月から特 定 健康 診査 ・特定 保健 とは皆 さ んよくご存 知 のこと
指 導 が、 六 月 から禁 煙 外 来 が始 ま りま と思 います。 健康 管 理センタ
した。 いずれも健康管 理センターにと って ー にと っても、禁 煙 指 導 に関
重 要な業 務 です。 職 員 の皆 さんにはよく わ ること は 長 年 の夢 でした。
理解しておいていただきたいと思います。
一.特定健康診査 ︵特定健診 ︶・特定保健指導 帖
ρ
恣
内 臓 脂肪 症
メタボリックシンドローム ︵
候群︶ の予防 ・改善を 目的 に、 四月ょり を
さ れ 禁 煙 に 取 り 組 ま れ ていま す 。
診
受
被 保険者だ
四〇∼七四歳 の保険 加 入者 ︵
での保 健 適 応 には 下 記 のよ う に
外
来
禁
煙
特
けでなく被 扶養 者 も︶を 対象 にした ﹁
べ
要
件 があ ります 。
た
す
き
満
定 健 診 ・特 定 保 健 指 導 が導 入さ れ ま
で
百チン依 存 症 と診 断
﹂
T
D
S
一
①
した。 二〇 一三年度 からは健 康増 進 の成
五
点
以上 ︶ さ れたも の
︵
果に応じて、 医療 保険者 から 国に払う 拠
ブ
②
マン指数 ︵一日の喫煙本数 x喫煙年数 ︶
リ
ク
出金が増減 す る仕 組 みが導 入されること
二
〇 〇 以上 であ るも の
が
にな っており、 ﹁ タボ健診 対策 は地域
メ
﹂
ち に ︵一ヶ月 以内 ︶禁 煙 す ることを
③
直
にとつて大きな課題のひとつとなりました。
希
望 している
特定健診は、内 臓 脂肪 型 肥満 に着 目
﹁
禁 煙治療 のための標準 手順書﹂に則った
④
した、 生 活 慣病 予防 のための保健 指導
習
禁
煙プログラムについて説明し、 文書により
を 必要とす る人を 選び出す ための健診 で
同意 を 得たも の
す。
項 目 には、 ① 腹 囲、 ② 血 糖 ・
健
診
HDLコレろアロール、 治療 薬としては、従 来 の 百チン。
>澪、③ 中性脂肪 ・
工げ
ハツチに加
④ 血 圧、また、⑤ 質 問 表にて喫 煙 歴をチ え、チヤンピツクスとい つ内 服薬が発 売され、
。 の他、検 尿 ︵
ェッ し
す
尿糖 、蛋白︶、 治療 しや すくなつたと言われています。 しか
ま
そ
ク
ラ も測定します。① ∼⑤ し、 薬 以上 に大 切なことは、 患 者 様 のサポ
尿酸、クレアチ一
の結 果をもとに保 健指導 対象者 を 選定 し ートだと 思 います。 禁 煙 の過 程で、 不安 に
さらに階 層 化を 行 って、 実 際 の保 健 指 導 なったり、喫 煙本数がゼロにならなかったり、
へと 進 みます。 当 院 では、 七 月 末 までに 嘔気などの副作 用がでたりといろいろな問 題
二〇〇名の方が受診 されています。
が生 じています。 健 康 管 理センター は、 禁
特定 保健指導 の目的は、 対象者が自 分 煙 を 始 められた患 者 様 と電 話 などで常 にコ
の健 康 状 態 を 自 覚 し、
ンタクトをと リサポートしていますが、禁 煙
生活習慣の改善 のための
成 功 率 一〇 〇 %を 目指 しこれからも その役
自 主 的 な取 り組 みを 継
割を 果していきたいと思 っております。
続的に行うことができる
ル
紹
介
闘
今 年 四月ょり内 科
︵
肝臓 ・糖 尿病 ︶と
して当 院 で働 かせて
いただ いている 井 手
と申 します。 下っ端
だと 思 っていた のに
気がついたら 医師 にな つて九 年 目、 若 手と
も中 堅とも つかな い微 妙なキヤリアの悩 め
るお年 頃です。 若 い頃 の体 力を 失 いつつあ
る今、 それを カバー す る知 識 と 経 験 と 技
術をこれからしつかりと身 につけていきたい
と思 っています。 頼 れる中 堅となれ るよう
に頑張 つていきます のでしばらく温かい日で
見守 っていてください。
内科 医師 井手 康史
出身大学 佐賀 医科大学 医学部
専門領域 肝臓 。糖 尿病
本 年 七 月 ょり 消 化
器 内 科 医 と して勤
務 し て お り ま す。
内科 医となって 一二
年 目とな りま す が、
まだまだ学 ぶことが
多 く、 消 化 器内 科 の坂 田先 生 他、 諸 先 生
方 のご指 導 を 受け つつ診療 を 行 っておりま
す。 内視鏡 検 査や 治療を中 心に内 科診 療
を行 ってまいります ので、 消 化 器症 状 の患
者 様 や 内 視 鏡 検 査が 必要な患 者 様 がいら
っしやいましたらご相 談 くだ さ い。 まだ 不
慣れな部 分があり、ご迷惑 を おかけいたし
ますが宜しくお願いいたします。
内 科 医師 松 永 圭 司
出身 大 学 福 岡大 学 医学 部
専 門領 域 消 化 管
新任
月曜 日 第 54号
2008年 (平 成 20年 )8月 25日
佐 賀 大 学 病 院 から
参りました。 研修 医
二年 目の島 川明 子で
す。出身は熊本県で
佐賀 大 学 出身 です。
織 田病 院 で研 修 さ
せていただくのは三ケ月の予定ですが、これ
を書いている時点で、すでに 一月が経 過して
しまいました。 大学 病 院 以外で働 く のは初
めてで、シろアムの違 いに当初 戸惑 いました
が、や や なれてきたよう に感じる今 日この
頃です。 人見知りで、積極性にかける性格
なため、と つつきづらい感じを 漂わせている
かと思いますが、どうぞお気軽 にお声を お
かけください。
内 科 医師 ︵
一
研修 医︶ 島 川 明 子
出 身 大 学 佐 賀 大 学 医学部
一
﹁
押 すと退き、 引
く と 進 む こと が あ
る。 押 し の 一辺 倒
では伸 びき ってしま
い痛 がら せること に
な り、 しまいには押
しても 引 いても進 まない。 時 には押 さ ず に
じっと 待 ち、 向 ン
﹂
う が近づいてく るのを 待
つ。 ヒダとい つ障 害 をめくりながら、でき
るだけ 縮 めて距 離 を 短 縮 し、 き ち んと 先
端まで力が伝 わった状態 を確 認し押 してみ
る。﹂・・ 。ま るで ﹁
恋 の駆 け 引 き ﹂ に似
てると思いませんか? いまはその ﹁
駆け 引
き﹂を身 に付けるべくがんば つております。
内科 ︵
消 化器︶ 医師 四年 目です。
﹁
私にと つての下部 消 化管内 視鏡 ﹂
一内 科 医師 角 田 光 子 一 外 科 医師 中 野 良
一出身 大 学 大 分 医科 大 学 医学 部 一 出 身 大 学 福 岡大 学 医学 部
専 門領 域 消 化 管
好 生 館、 佐 賀 大
学 総 合 診 療 部 で勤
務 し、約 二年ぶりに
戻ってまいりました。
今 年 で医師 にな つて
六年 目にな ります。
四月から勤務しておりますが、 以前 からい
ら つしやる職 員 の方 も多 くて、 す ぐに慣れ
ることができました。 以前 の院内 ﹁工∽の番
号まで覚 えていただいている方 も いて、び っ
くりしました。 今 回は以前 できな かつたこ
と に挑 戦 しよう と、 週 一回中 島 先 生 の元
でエコーを させていただいたり、時 々皮膚 科
でも勉 強 させていただいたりしております。
余 裕 があ るとき は、 有 明 のプー ルで 一〓日
くらい泳いで、リフレツシュしています。
今 年 も 鹿 島 踊 りに参 加 したりして、 楽
しく 仕事 ができたらいいなと 思 っています。
前 回は朝 のワンポイントで私 の浴衣 姿 が写
。職員
つたらしく、びつくりしました ︵
笑︶
の皆様 、よろしくお願い致します。
外 科 医師 久 保 洋
出 身 大 学 佐 賀 医科 大 学 医学 部
専 門領 域 一般 。消 化 器外 科 領域 全 般
二 〇 〇 八 年 四 月ょ
り外科として働 かせ
て頂 いている久 保 洋
です。 今 年 で外 科
六年 目を向かえまし
た。 現在 のところ外
科 一般 何 でもや っています ので外 科 関係 で
お困りの方は気 軽に声 をかけて下さい。 最
近体がなまってメタボ 一直線な感じなので何
か運動でき そう なサークルなんかがあれば
誘 って下さい。 心よりお待ちしております。
蓬 ͡
よもぎ︶の湯
看 護部 3階 病 棟 師 長
江 口富 士 子
三階 病 棟 では、 五月ょり、 刈り取 り乾
燥 さ せた蓬 から 抽 出した液 ︵
蓬 水 ︶を 清
拭 タオルに滲 みこませたり、 乾 燥 蓬 を その
まま 浴槽 に浸けた試 みを行 っています 。﹁
進
化した ﹂
の時 代 に何 故古色 蒼 然とした蓬 な
,
の?﹂ と 思 われ る方 も多 いはず ! そも そ
もは患 者 様 アンケートで ﹁
清 拭 タオル使 用
後 に肌 のにおいが気 にな る﹂ のご意 見を い
ただき 、 不快なこの臭 いを 何と か解 消 でき
ないも のかと 取り組んだのが発端 です。
蓬 の薬 効成 分に ﹁
強 い殺 菌 力 ﹂ ﹁
抗 アレ
ルギ ー 作 用 ﹂ があ りま す。 ま た、 独 特 の
蓬 の香 りはリラックス効 果も あ ります 。 肌
を 弱 酸 性 に保 って健 康 な 状 態 に導 き 肌ト
ラブルの解 消 効 果と保 湿 力 にも優 れている
ため、 乾 燥 による肌の痒 みや アトピー性 皮
膚 炎 の改 善 にも有 効といわれています。 消
炎 作 用 も あ るので火 傷 や 日焼 け によるほ
てりを 沈 静 化 し、 しみや く す み の生 成 を
防 止し透 明 感 のあ る美 肌作 りに役 立 つと
も 。 ・・。 蓬 水 使 用 の清 拭 タオルを 使 用
し
ッ
ト
﹁
ン
た
タ
フ
コ
ス
の
は
私
アトピー があ
メ
りますが、蓬
水
使
の
オ
で清拭 した後
ル
用
タ
。 患 者 様 にも
は手がすべすべにな ります。﹂
この快 感 を 味 わ っていただき たく お風 呂 に
も 蓬 を いれ て 入
浴 を 楽 し んでい
ただ く よ う にし
ました。 浴 槽 に
浮 か んでいる 蓬
袋 を 見 て、 ま
た腕 や 首 にこす
り つけ 嬉 し そ う
に話 さ れ ている
のを 見 ると な ん
だ か私 たち がリ
:
:
:
:
:
﹃医療機器の安全教育﹄
:
:り
:
:
:委
:員
:会
:便
リスクマネ ージャー 原崎真 由美
輪液ポンプ・ シリンジポンプの個人別チェック
■統 一 。標準化
■教 育
主 任 ・医療 事 故 防 止
担当者 ・く国機器管 理
責 任者 が 中 心 と な り
を 図 るた め の 一
安 全 の確 保
教育 活動を
行 って き た。
︵
別表︶
輸液ポン
プ ・シリ ンジ
ポンプに関 し
ては、 講 義 ・
7月
6、
人工呼吸器回路のディスポ製品 (組 み立て済み回路)導 入
全
≧
:≦
:
:医
:療
:安
医療 安 全 管 理部 では、 医療 事 故 の限 り 演 習 ・個 別チ ェックの 二段階 で 一人 一人 の
な い ﹃ゼ ロ﹄ を めざ して、 教 育 研 修 会 ・ 知 識 ・技 術 の確 認と 個 別 指 導 を 行 ってい
院 内ラウ ンド ・インシデ ント報 告 の提 出 な る。 平 成 一人 年度 以降 ポンプ使 用 に関 す
どさまざ まな 取 り組 みを 行 っている。 中 で る事 故 は発 生 しておら ず 、 活 動 の効 果 は
も 重大事 故 にな る危 険 性 の 局い医療 機 器 大 き いと 思 う。 今 後 は、 そ の他 の医療 機
は、安 全 ・確 実 に使 す るための教 育 が 器 にも 個 別 チ ェックを 導 入していき 、 確 実
用
不 可欠である。
な 知 識 。技 術 で看 護 が提 供 でき るよう 活
医療 の進 歩 と 共 に医療 機 器 も 高 度 化 ・ 動 を続 けていきたいと考 えている。
精 密 化 しているため、 使 用 す る私 たち は
医 療 機 器 に ついての知
識 を深 め安 全 使 用 が
出 来ることを求 められ
ている。 医療 機 器 の使
用に当たっては、統 一。
標準化と教育 が重 要
であ ると 考 え、 平 成
一人 年 度 よ り 看 護 部
輸液ポンプ・シリンジポンプの正しく安全な使用方法を学ぶ
5月
月曜 日 第 54号
2008年 (平成 20年 )8月 25日
H18年 度
H19年 度
輸液ポンプ・ シリンジポンプの機種統 一
H20年 度
アンビューバ ック・バイバップ回路の中央管理
輸液セット20・ 60滴 統一
10月
バイバ ップの安全使用について学ぶ
心電図モニターの安全使用について学ぶ
除細動器 の安全使用について学ぶ
(選 択して実施 )
11月
人工呼吸器の安全使用について学ぶ
補助循環装置 C8P)に ついて学ぶ
また逢う 日ま で
■内 科 医師 松 延 亜紀
2 年 間 と いう 長
いよ う で短 い時 間 が
過 ぎ、 織 田病 院 を
卒 業 し大 学 院 へ進 学
す ること と な り ま し
た。 大 変 お 世 話 に
なりました。 楽 しく 過ご さ せていただいた
鹿 島 で印象 深 かったことは、 やはり鹿 島 踊
りの熱 狂ボリです。 しばらくの間、 ♪良 ∼
い踊り良 い踊 り∼ ♪が頭 から離 れませんで
した。 いかご す く いも楽 しかったです。 石
松 っち ゃんおす す めの、 門 のフオカッチヤサ
ンド、美味 しかつたあ。 や り残したこととい
えば、祐徳 稲荷 のお火たきと牡蠣焼きでし
ようか。ガタリンピツクも結 局見に行けませ
んでした。 残念。 みなさんで出場されると
きはぜひご連絡 ください。 当 直には絶 対き
ませんけど。ではではみなさん、お元気で!
■ 外 科 医 師 浦 田雅 子
9ヶ月と い っ短 い
期 間 で移 動 と な り
ました。ほぼ毎 年職
場が変 わるため、ま
だ 病 院 の電 話 番 号
も 覚 え き れ ず、 ラ
ラベルから の帰 り道 でも 迷 ってしま う 私 です
が、 早いも のでまた大 学 に戻ることになり、
前 任者 の 二宅 先 生 と 一緒 に働 きます。 外
科はキぎ フの濃 いメンバーが多 い中、 私自身
が少 し気 を つけているのは、 女 性 の立 場 か
ら 気 付 く点 を 診 療 にも 生 かせたらと いう
部 分 です が、 何 か皆 さ んに印 象 の残 る部
眉 間 のしわ﹂ って
分はあ ったでしょう か ︵﹁
言われたら悲 しいですが ⋮︶?医 局 の先 生
方 だけ でな く、 技 師 ・看 護 師 の皆 さ んか
ら学 ぶ部 分 もあ り、 また当 直 にヘルプで来
た際 には、 より働 き や す い病 院 であ って欲
しいなあと思 います。 では、 また逢 う 日ま
で∼♪
■ 耳 鼻 科 医 師 坂 田省 三
短 い間 でしたが 2
ヶ月 間 有 難 う ござ い
一 ま し た。 大 学 以 外
¨
、
の病 院 で初 めて勤 務
さ せ て 頂 き、 地 域
の病 院 と して大 き な
役割を担 っている織 田病 院 は、 田舎 出身 の
僕 にと って大 変 身 近 に感 じられ る存 在 で、
将 来 の進 路 を 決 める上 でとても いい経 験 に
なりました。 8月 からは嬉 野 医療 センター
で勤務 します。 隣 町です ので、またみなさ
まと お 目にかかる機 会 もあるかと思 います
ので、 その際はよろしくお願いいたします。
Q.
A.
料 理教 室 開 催
と が あ れば
手 を挙げ て
質 問 さ れ
た り、 以 前
の糖 尿 病 教
室 のと き に
は見 ら れ な
か った 反応
が あり ま し
た。 実 際 の
調 理 で は、
自 宅 でも で
き る方 法 や
好 き な方 法
で料 理 し て いただ き たく 、自 由 に作 っ
ても ら いま し た。献 立 には材 料 と分 量
し か書 き ま せ ん でし たが 、 みな さ ん率
先 し て調 理 にとり か か り、 そ の手際 の
よ さ には驚 か さ れ、 主 婦 のパ ワー を感
じま し た。
ま た、普段 の食事 の悩 みや困 っている
ことを聞 いたり、以前栄養指導を した方
が家 に帰 って実践 して いる ことなどを聞
くと、私自身も勉強 にな ったし励 みにも
なりま した。参加者 同士が食事を食 べな
がら悩 みを分 かち合う交流 の場も提供 で
きた のではな いかと思 います。
﹁こが ん も食 べ てよ か と ね ぇ!﹂ ﹁
勉
強 にな った﹁ 家 に帰 っても作 ってみ る﹂
﹁
絶 対 ま た料 理教 室 ば し
楽 し か った﹂ ﹁
てね﹂ 尺7度 も呼 ん でね♪﹂ など の言葉
を かけ てくだ さ った ことが と ても嬉 し
く、実 施 し てよか ったと感 じま した。
初 め て料 理教 室 を 行 って、様 々な 問 題
点 はあ り ま し たが 、 この反省 を 次 回 の
料 理教 室 へ活 か した いと思 いま す 。料
自 主 的 な食 習慣
理教 室 が 、患 者 様 の ﹁
の行 動 変 容 ﹂ のき っか け にな る よ う 、
が んば って いき た いと思 います 。
A.
栄養食事サービ ス部
牛島久美 子
今 回、初 め て糖 尿病 の方 を対 象 にし
た料 理教室 を 行 いま した。
糖 尿病 の患 者 様 に対 し ては、 以前 よ
り糖 尿病 教 室 を 行 ってき ま した。 し か
し講 義 形 式 と いう こと か ら、内 容 が 難
し い、理解 できな いと いう意 見が多く 、
参 加 者 が ど ん ど ん 減 って いき ま し た。
さ まざ まな職 種 か ら多 く の スタ ッフが
集 ま っても、 スタ ッフ の数 よ り も参 加
者 の方 が少 な い ことも あ り ま し た。講
義 を し て いても手 ご た えが 感 じら れ な
いこともあ り ま し た。 そ う いう経 緯 も
あ り、今 回は少 し趣 向 を変 え て糖 尿 病
料理教室 を 開催す る こと になりま した。
料 理教室 を行 う ことは私 自 身 を含 め
病院 自 体 でも初 め て の試 み であ り、 当
初 何 か ら 手 を つけ て い い の か 分 か ら
ず 、 ま た、 院 外 の施 設 ︵エイブ ル の調
理 実 習 室 ︶ を 借 り て行 う と いう こと
で、本 当 にう まく 行 く のか直 前 ま で不
安 で い っぱ いでした。 さ ら に、 当 日 は
あ い に く の大
雨 で参 加 者 数
を心配 して い
ま し た が、 嬉
し い こと に多
く の方 に 参 加
し て いた だ け
ま し た。 講 義
中 は真 剣 に話
を 聞 いて頂 き、
う なず いた り、
分 からな いこ
高齢者 の介護サ ー ビス施設につい ては着実に整
備されて いるので、 まずは この施設 の有効的な
運用を図 りたい と思い ます。
地域 に開かれた
「ゆ
うあい ビレッジ」 として、地域の皆様や関係機
関 とますます連 携を深め、 自らも介護サー ビス
の質 の向上に努めて、文字通 り「地域ケア」の
中核拠点 となるべ く努力 していきたい と思 って
います。
(イ ンタビュアー 松枝幸輝 )
家庭菜園や鉢 。庭植 えの花木等の手入れが好 き
です。 また、道の駅等農水産物直売所め ぐりも
楽 しみの一つ です。
A.
休 日は どのように過 ごされていますか ?趣 味な
どお 聞かせ 下さい。
最後 に、 これか らのゆ うあい ビレ ッジの目標や
展望をお聞かせ ください。
まず介護施設 がよ く整備 されているな、 と思 い
ま した。 また、職員の皆さんの勤勉 さと、接遇
の 良さに感心 しました。
Q.
約 40年 もの長 きにわた り公的機関にて豊富 な
業務経験 をされ、 (今 年 5月 か ら)ゆ うあい ビ
レッジに勤務 とな りましたが、 こち らの印象は
いかがで しょっか ?
Q.
今 回は、 ゆ うあい ビレ ッジに今 年 5月 よ り事務
部長 に赴任 され、フッ トワー クも軽 く生 き生 きと活
躍され ている坂本事務部長にお話を伺 いました。
ゆ うあい ビレッジ事務部長
坂本博昭 さん
月曜 日 第 54号
2008年 (平 成 20年 )8月 25日
今月のス
2008年 (平 成 20年 )8月 25日
月曜 日 第 54号
ιえ髪紹ご
ケアコー トゆうあい療養棟師長 市丸徳美
‘
博 ±2 各 F 数 式
■監督
小泉
■原作
/Jヽ チ
││
■出演
寺尾
深津
齋藤
吉岡
浅丘
『 あなたは、記憶 が 80分 しか もたな くな った らどうしますか ?』
天才数学者 の 博士 は、不慮 の事故 による脳損傷 のために記憶が た った 80分 し
か保 て ません。 博 士 の 着 てい る背広 にはた くさん の メモが 貼 り巡 らされてお り、
そのメモを見 なが らでなければ生 活が できないのです。 これが 、博士 の見 出 した
記憶障害 をの りきるための唯 一の術 とな ってい ます。記憶障害 であ って も、認知
症 ではあ りません。
博士は、毎 日専門 の数論 に悪戦苦闘 しなが らも解 を導 き出そ うと余念 があ りま
せん。
その博士のもとで働 くことになった家政婦の杏子 と 10歳 の息子。博士は、そ
の息子を頭の形が平べ つたいことから「ルー ト (√ 記号)」 と名づけます。まる
で本当の家族であるかのようにルー トを可愛がり、杏子を大切にします。やがて、
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キーワー ドに、医療 。福祉の現場で私たちが日々直
害をもつ人 。家族のこと、あるいは安楽死・ 終末期医
くれる (か つ面白い)映画 の紹介をしたいと思 います。
ありますので自由に ご覧下さい。なお、職員の皆様
ますので、広報委員までご一報下さい。∼
を
ま
早起き野球大会
鹿島地区大会 準優勝
初 出 場、初優勝を合言葉 に
望 んだ今 大 会 は、 シードチー
ムを 次 々に撃 破 していき、 決
勝 で前 年 度 優 勝 チー ムの強 豪
倉 崎自 動 車 に惜 しくも破れ準
優勝で幕を 閉じました。
今大会は、なんと言っても五試合を 一人で
投げ抜いた山 口賢太 の投球術 の フまさ、精
神的な粘りが光りました。その気迫の投球に
応えようと、辻、谷 日、宮崎を中心とした
しぶとい打撃陣、また年齢を感じさせないプ
里予
球
部
監
経督
塚
哲
也
レー を 展 開 した
江 口、 中 野 の同
級 生 コンビ、 そ
れに刺 激 さ れ
た、 若 い川 下、
中島 のハと フツと
した プレー、 影
でチ ー ムを 支 え
てく れ た チ ー ム
メイ ト、 そ し て
夜 の蟻 尾 山 球
場 に響 き 渡 った
大 応 援 団 の声
本 当 にすご
援 ︵
い声 援 でした ︶、
まさ に祐 愛 会 一
丸 と な って勝 ち
取 った 準 優 勝 で
した。 選 手 の皆
さ んお疲 れ様 で
した。 応 援 に来
てく だ さ った 職
員 に皆 さ ん有 難
うござ いました。
光武耕 治
通所 主任
月曜 日 第 54号
2008年 (平 成 20年 )8月 25日
ゆ うあ い だ よ
『デイサ ービスゆうあい谷所』
H20年
4月 1日 、地域密着型サ ー ビスと して嬉野市塩 田町
谷所 にデ イサ ー ビスゆ うあい谷所が開設 しま した。定員 は 1日
12名 まで の小人数 のデ イサ ー ビスです。地域密着 型サ ー ビス
とは、高齢者 の方が住み慣れた地域で地域 の皆様 とともに、 可
能 な限 りご自宅で生活 を送 る ことを目的 と したサ ー ビスです。
サ ー ビス内容は、送迎、 入浴、食事、園芸 や手芸、外 出等 の
各種の レク リエ ー シ ョン、音読、計算 の教材 を中心 と した学 習
療法で す。少人数であ り、ゆ つ<り と した時 Fo3や 環境 の 中で 他
の利用者様や職 員 と剛│1染 み の 関係 を作 つて いただ きたい と思 つ
て います。 また、食事作 りや 各種 の レク リエ ー シ ョンも利用者
の皆様 とともに行 い、 お一人 お一人が持 たれて いる能力 を発揮
し、 自信 を持ち楽 し<生 活 を送 って いただ けるよ う支援 して い
ます。今後 も利用者の皆様 に楽 しんで いた だけるサ ー ビスを目
指 して いきた い と考 えて いますので 、 皆様の ご協 力 をよ ろ し<
お願 い致 します。
見学や ご相談 も随時行 つて お ります。お気軽 に ご連絡 下さい。
ブ ツク エ ン ド
︻
病院図書室︼
・海 堂尊 著
﹁
死 因 不 明社 会 ∼ネ ーが拓 く新 しい医療 ﹂
講談 社 、 二〇 〇七
人 は、 必 ず 死 ぬ。 そ れ は宿 命 であ り 、 決 して逃 れ
ら れ ま せ ん。 年 間 一〇 〇 万 人 の死 者 のう ち 、 十 五
% が 変 死 者 数 ︵交 通 事 故 関 係 を 除 く ︶だ そ う です 。
現 在 、 死 因 不 明 な 異 常 死は警 察 による体 表 面 の検
案 が 主 流 だ そ うで、 日本 全 体 の解 剖 率 は ニパー セント
と い つ数 字 を 聞 いて驚 き を 隠 せ ま せんでした。 監 察 医
制 度 が あ る 東 京 二 三 区 ・横 浜 。大 阪 。名 古 屋 ・神
戸 の大 都 市 では費 用 。人 材 ・施 設 が 整 っていま す が、
そ の他 の地 方 都 市 では解 割 に 必 要 な 費 用 が 捻 出 でき
な い、 マンパワー 不 足 など の厳 しい現 実 が あ りま す 。 そ
こで、﹁死 亡 時 医学 検 索 ﹂ の領 域 にエー アイ ︵
>障 o覇 く
。
一
日 ∞﹄
●”>じ と い っ新 しい概 念 が 登 場 してき ま した
,
≧ と は 、 o弓 ・く 忍 ・超 音 波 装 置 な ど の 画 像
診 断 装 置 を 用 いて結 果 を 正 確 な 剖 検 に つな げ 、 死
亡 時 の死 因 解 明 に 役 立 てる 手 法 です 。 体 表 面 の検
視 だ け の死 亡 診 断 と >¨を 併 用 し た 確 定 診 断 では 、
誤 診 率 二 〇 % と 二 十 万 人 の死 因 が 間 違 わ ら れ て
いる 計 算 に な り ま す 。 当 院 で も 、 心 肺 停 止 状 態
6 ﹁>︶で 救 急 搬 送 さ れ た 患 者 様 や 入 院 患 者 様 で
死 因 が 全 く 不 明 な ケ ー スや 、 異 常 死 に よ る 死 亡 原
因 究 明 のた め に 0弓 検 査 を 行 な う 事 が あ り ま す 。
新 しい概念 のため、 まだまだ賛 否 両論があ
ハワー
りま す が 国 家 予算 から の拠 出 ・マン。
の確 保といった問 題が解 決 した時 、 各 県 に >一
センター が設 置 さ れ る 日も遠 く な いのではな
いかと思いました。 ︵
放射 線 科 尾上永 芳︶
医療の限界﹂新潮新書、二〇〇七
・小松秀樹著 ﹁
治らない時代 の医療者心得帳﹂
・春 日武彦著 ﹁
医学 書 院 、 二〇 〇 七
医者 の仕事﹂丸善、 二〇〇八
・福井次矢著 ﹁
︻
ケ ア コート 図書室 ︼
中 央 法規 一一
〇〇六
と ガ イドブック﹂
。長 谷 川 和 夫 著 ﹁
認知 症 の知 りたい ﹂
いつだって心は生きている
・認知症ケア研究会作 ﹁
∼ 大 切 なも のを 見 つけよう ∼ ﹂
中 央 法 規 一一
〇〇六
老 いを 支 え る古 屋 敷 ﹂
。中 矢 暁 美 著 ﹁
雲 母 書 房 一一
〇〇三
新 着 図書
2008年 (平成 20年 )8月 25日 月曜 日 第 54号
継 宣 の里
人 '1内 ↓
陶聰籍ネつり』
今回は、 2003年 に鍋島藩窯跡 として国の史跡指定 となった伊万里市の秘窯の里・ 大川
内山で催されている「風鈴 まつ り」を紹介 します。
大川内山へ は、鹿島か ら車で約 50分 。国道 35号 線 (山 内バイパス)を 畜産試験場前か
ら右に曲が り、 しばらくすると案 内板 があ りますので初めてでもす ぐに分か ります。
早速、伊万里鍋島焼会館に車を停めて外へ 出ると磁器特有の清 らかな音色があちらこちら
か ら響いて来訪者を迎えて くれます。狭 い谷間に形成された この地区は鍋島藩御用窯 として
栄 え、その技法は門外不出 とされていました。現在 も約 25も の窯元が軒を連ね てお り、各
窯元 で作 られた様 々な伊万里焼が並び、風鈴が店先に下げられ涼や かな音を鳴 らして客をも
てな します。その風鈴 もすべ て伊万里焼でできてお り、デザインは色鍋島や鍋島青磁、透か
し彫 りといった伝統的なものが使われてお り、大きさも様々で大きい ものになると直径 20
cmの 大風鈴 もあ ります。大 きさや厚みが違いますので音 も高音か ら低音まであ り、気に入
った音を選ぶ ことができます。
同地区には、藩窯公園や焼物広場、関所跡な どがあ り (あ の片岡鶴太郎 の工藝館 もあ りま
した)一 巡 して楽 しめます し、実際 に ロクロ体験する こともできます。お腹が減れば喫茶店
で軽食 や天 然 水 で い れ た コー ヒー を伊 万 里焼
の 器 で楽 しめ ます。 さ らに、 ICを 用 いて 風
│ もない の に美 しい音 を聞 かせ て くれ る「 め お
●大ル 山まで ‐
)伊 万■ ら
"―
と しの 塔 」 は、 日本 の 音風 景 100選 に選 ば
│ れ てお り、 これ は一 見 (一 聞 ?)の 価値 あ り
│ です。
大 川 内山 の 「風鈴 まつ り」 は 8月 31日 ま
で 開かれ ています。
(医 事課 渕上敏文 )
1内
IRか
二〇 〇 八年 度 が 始 ま り 、 早 いも の で
五 ヶ月が 過ぎ よう と し て いま す 。 新 入
職 員 の方 々 もだ いぶ 仕 事 に慣 れ てき た
頃 で は な い で し ょう か ?新 年 度 に は 、
B型 。C型 ウ イ ル ス肝炎 イ ンタ ー フ エ
ロ ン治 療 医 療 費 助 成 制 度 や 、 特 定 健
診 、 六 月 か ら は禁 煙 外 来 が は じま り ま
し た 。疾 病 の予防 から 治 療 に 至 るま で、
これ ま で以上 に地 域 に密 着 し、 多 様 な
ニーズ にあ わ せ た病 院 を 目 指 し て、 ス
タ ッフ 一丸 と な りが んば って いき ま し
よう 。
残 暑厳 し い中 にも、少 しず つ秋 の気
配が漂 い始 め て います。気温 の変 化 に
負 け る ことなく、体調管 理を 万全 に気
を引 き締 め て いきま し ょう 。
大 西 麻衣 子