第 12 回女子美パリ賞報告書 松沢真紀 フランス・パリは小さいながらも多くの民族が共存するという特長を持つ町である。移 民も多く、自然と異なった宗教と信仰が混在し、それらが互いに尊重されながら共存して いる。わたしは日本で、 「祈り」の研究をテーマにして制作活動をしていこうと考えていた。 宗教に関係なく「祈る」という行為が人の精神にどう影響しているのか。 「祈り」の力とい うものを人々がどう考えているのか。「祈りの形」というものが、宗教や信仰の違いによっ てどう変化していったのか。その意味と多様性を私の絵画で表現できないだろうか。そう 考えて、わたしは女子美術大学パリ賞に応募した。前述のような特色を持つパリは、この テーマにおいて、パリは貴重な存在だと確信したからだ。 そして世界各国のアーティストが集まるシテ・インターナショナル・デ・ザールの存在 はパリという街以上に、わたしにとって有意義な存在だとも考えた。なぜなら、シテ・イ ンターナショナル・デ・ザールは各国の財団法人や、研究機関が居を構え、パリの街以上 に様々な国の人々が生活し、世界で最もグローバルな空間となっているからだ。実際、今 回の居住先であるシテ・インターナショナル・デ・ザールが持つ国際性のおかげで、わた しは宗教や国籍の違うアーティストと、共同制作や作品批評会を通し宗教や「祈り」の考 え方について議論が行え、今の自分のテーマを深化させることができた。 また、絵画学校に通い、教授・画家として古典技法の可能性とルネサンス期を中心とし た画家たちの研究に励むアンドレ・フッシェ氏により,古典技法の魅力と、その根底にある 画家の精神を知った。これは当時の人々の「祈り」を時間軸で捉える最もいい方法である と考える。なぜ古来、画家たちが、宗教画を描いてきたのか。それは、近代以降の画家た ちとは全く違った動機からである。修道画家は画家である以上に、優れた宗教家であった。 彼らは、神に祈りを捧げるその証として絵画を描いたのだ。特に、フランスに優れた作品 が残る修道画家ピエロ・デ・ラ・フランチェスカやフラ・アンジェリコの卵テンペラ技 法と、その後ヴァン・アイクやハンス・メムリンクによって開発されたテンペラと油絵 具の混合技法を学ぶことによって宗教家と画家という二面性を彼らが、どのように結び つけ、どのような思いで制作していったのかを知ることができると考えた。 修道画家にとって、祈る行為は絵を描くことだと考える。画家が職業でなかった13 世紀に信仰の結晶として生まれた作品が21世紀のフランスで文化遺産となり、今なお 私たちの目を魅了する。わたしは、これこそ「祈り」の奇跡であると考えた。この深い 精神を、模写という方法を使い、直接感ずることで、技術の向上とあわせ、視覚芸術の 本質に迫り,彼らの領域に挑戦したいと考えた。 前述のようにわたしはパリと研究所で現代と過去の多様な[祈り]を考えることがで きる。時代間、民族性によって変化する[祈り]を多角的に見つめて、よりテーマに広が りを持たせ、このパリ在住を契機に、今後はわたしという日本人の祈りの形も含め、国 際的な見地を持つ研修・制作活動を行なっていこうと考えた。 1 ① 制作について 主として制作は、絵画学校とシテ・イン ターナショナル・デ・ザール内で行なっ た。絵画学校で学んだ制作技法をもとに 自己の作品に応用させ、シテ・インター ナショナル・デ・ザール内にて、独自の 絵画世界の確立を目指した。 具体的には、フランスを中心に発達した 卵テンペラ・テンペラグラッサ・混合技 法を使った古典絵画を、絵画学校内で、 模写中心のカリキュラムのなか研究し、 技術の向上を図るとともに 13 世紀当時活 躍した画家の精神の根幹を体感しようと 努めた。講師とともに自身の作品に洗練 ジョットの模写(金箔についての講義より) された表現力とそれに裏打ちされた深い [シテ・インターナショナル・デ・ザール] テーマ性を樹立し、自己の絵画世界に確 かな礎を構築出来ることを目指した。 [絵画学校] 作品制作過程 師・アンドレ・フッシェ、アグネスと共に 作品 2 制作のための写真資料 ② 調査について パリという場所を生かして、特に シ テ・インターナショナル・デ・ザール を通じ、 [祈り]の形について各国のア ーティストと議論の場を設けた。シテ 内で毎週行われる交流会にも積極的に 参加し、作品制作のためのモデルを依 頼した。その過程において自己のテー マ「祈り」について他国の人の考え方 を聞き、自分のテーマに新たな発見と 可能性を考察する。現代における祈り の多様性と文化的価値観の差を考えた。 国民性や時代背景といった多視点か ら[祈り]をとらえ、表現しうるよう調 査研究を行う。 制作に対する討論会 ③ 見学について シテ・インターナショナル・デ・ザ ールという場所は、住人でなくても 様々なアーティストが行き交う交流の 中継地点となっている。その場を通し て偶然に知り合ったアーティストも数 多く、わたしは、その方々のアトリエ 交流会風景 を訪問し、彼らがパリという地でどの ように制作活動を行い発表しているの かを見学させていただいた。彼らの制 作姿勢を通じて、アーティストとして 生きるということの意味・価値を肌で 感じ、自信を振り返って見る機会を得 ることができた。 彼らは、日々自身のアートのあり方 を厳しく見つめ、自己研磨を怠らずに いた。私自身彼らと会う都度、襟を正 す思いであった。 3 ミッシェル・バタイユ氏のアトリエ マリアンヌ・レイモンズさんのアトリエ 松谷武判氏のアトリエ 4 れが日本の信仰なのではないだろうか ④ シテ・インターナショナル・デ・ザ という話になった。 ール内での展示について 気と神の違い。信仰と宗教との違い。 私はこの滞在期間中に 2 度の作品展示 宗教観の違い。祈りというテーマを通し を行なった。一度目は個展という形式で た個展で、いろいろなことが見えてきた。 行い、二度目は 9 人のグループ展であっ た。全く性格の異なった展覧会となりど ちらもわたしにとって有意義であり、忘 れることのできないものになった。 1) 個展 「祈り」というテーマのもと、東北大震 災のことも念頭に入れ、作品展示のみな らず、ワークショップ「祈りの儀式」を 行う。皆が震災に対する日本の復興と安 全を願い祈る、その姿を写真に収めた。 展示準備風景 様々な国の人々が宗教・国民性の違いを 超え日本のために祈る姿に私は感動し、 ここから私のライフワークとなった、 「祈りの形」の収集は始まった。 個展中印象に残ったことは、あるベト ナム人の言葉だ。日本の宗教は神教と仏 教だと思いこんでいるコンゴ人がいた。 日本で宗教について考えることもなく、 教育も受けていなかったわたしは、日本 は神がいないのかもしれない、宗教が誤 展示風景 解されやすい国だからとしかいえなか った。 そのとき、一緒にいたそのベトナム人 は、日本人が神より《気》を信じるから ではないかと言った。行ってきます、と 言った後、気をつけてと応じるのは、 《気》を持っていれば安全だという表現 ではないかというのだ。確かに、英語や フランス語はそれに対応した言葉がな い。信じるものが具体的でないだけ、そ 展示を終えて 5 2) グループ展 ふとしたきっかけから、あるアメリカ 人アーティストに私の作品を見てもら う機会を得ることができた。彼女はグル ープ展を企画したいと考え、私に声をか けてきた。アーティスト同士の交流を希 望していた私は、すぐさま承諾し、結果 として 9 名の展覧会となった。この展覧 会で、わたしは初めてインスタレーショ 収集した祈りの形 ンを行なった。インスタレーション作品 を日本で作ったことがなかったわたし だったが、人々の反応も良く、成功した と考える。 またグループ展の良さも再発見した。 普段交流のないアーティストやアート 関係者たちともグループを通じて知り 合うことができたし、私のライフワーク となったワークショップ「祈りの儀式」 祈りの儀式 にも彼らは積極的に参加してくれた。 展示準備風景(カメラマンによる撮影) 展示風景 インスタレーション 6 展示風景 ⑤渡仏前と渡仏後の心境の変化/ 現地で得たこと、特に印象に残ったこと 1)気と神の違い、信仰と宗教の違い、宗 教観の違いについて深く考えるようにな 祈りの写真 った。このシリーズをパリで行うのを契機 に、各国の人の祈りを収集し始めたせいだ。 祈りの条件は「震災後の日本の平和を祈る こと」 「日頃行っている祈り方をする」と いうことだ。聖書を読むポーズをとるアメ リカ人。スカーフを頭からかぶり、頭をた れるチュニジア人。椅子は使わないと床に ひざをついて祈る者もいたし、無神論者の イタリア人カメラマンは、カメラを持つポ ーズで祈った。彼はカメラの中に神を感じ たのか、気を感じたのか。 他民族の共存が当然のパリで、異なった 信仰を持つ人々と交流をし、この祈りの多 様性と力の研究をした。そして、祈りの強 大な存在をこれからも表現していきた いと考える。 祈りの写真 7 2)「祈り」のテーマと並行してパリで始 ランス人はホームパーティなどの出会いの めたシリーズが Piéton /歩行者である。 場でよくチョコレートを持参する。一口サ パリで人との出会いと別れの大切さ・そ イズのプリントチョコやトリュフチョコが の奇跡に気付かされたためだ。一年という 箱いっぱいに敷き詰められ、送られたもの 限られた期間に、わたしは様々な人々と交 の歓喜を誘う。出会いの象徴であるこのチ 流し友情を深めた。数回の交流後、二度と ョコレートのフォルムを使って、小さな人 会えなくなった中国人バイオリニストは 間を手作業でひとつずつ描く表現はわたし 今どうしているだろうか?同じ黄色人種 にあった表現手段に合っていたし、よりフ の気やすさからか、彼女は何もわからない ォルムに説得力をもたらしたと考える。プ 私に、夜のパリを案内してくれたり、仕事 レゼントチョコのように額縁という箱の中 場に招待し、バイオリンの生演奏を聴かせ に一つ一つの作品を並べて展示するだけで てくれたりした。祖国に帰ったら音楽学校 なく、いろいろな場所に散りばめられた歩 の教師をすると言っていたが、今ごろは元 くチョコレートが、見るものに喜び与える 気に生徒たちの面倒を見ているのだろう ものになったらと願いこのシリーズを制作 か。別れを言えなかったことが悔やまれる。 している。 通院していた病院で働いていた、日本大好 きなフランス人の看護婦。一度きりの出会 いだったが、彼女の笑顔は今でも私の心を 癒してくれる。 こんなふうに様々な出会いと別れが私た ちの周りには存在する。なにも人生に深く 影響を与える人たちだけでなく、ただ道で すれ違っただけの見知らぬ人との出会いも やはり奇跡であるとわたしは考え始めた。 程度の差はあれ、奇跡は毎日私たちの周り でおこっている。私はその出会いの大きさ と、儚さを思わずにはいられない。 わたしは、パリでそれを表現するために アニメーションや連続写真の技法に着目し た制作を開始した。その技法を作品に応用 し、人の歩く動き通し、出会いの奇跡を再 現した。 Piéton /歩行者(インスタレーション) フォルムとして使ったのはプリントチョ コレートである。フランス滞在中、道のあ ちこちに様々な工夫を凝らしたチョコレー トのデコレーションが目に入ってきた。フ 8 ⑥ 今後国際的に活躍するための課題 「祈り」というテーマに対する自分の視 点を,的確に表現できる確かな技術・表 現力を確立するとともに, [祈り]を主題 として異なった国における,過去と現代 そして未来の人間のありようを多角的 に考察し,テーマに時間的・空間的に広 がりをもたせ,それを無限に創造する能 力を身につけるよう修練を行う。 それを通じて国内外で誇りを持って 活動できる器をもったアーティストと しての成長が望める。 9
© Copyright 2024 Paperzz