---------- 1976 年 海外----------1 月 中国の周恩来首相が死亡 1970 年代の新聞はすべて「中国礼賛」のオンパレードで、恥ずかしいぐ らい、中国のことはべたほめだ。今と全然違う。こんなことで良いのだろ うか。さて、周恩来は見た目が、穏やかなおじさんだが、猜疑心の強い毛 沢東の下で天寿を全うするぐらいだから、やはりタダモノではない。彼の ぶ じゅん 「悪者」ぶりを一つ紹介しておこう。戦後すぐ、撫 順 にある日本兵収容 所で、極端な日本兵優遇策を不思議に思った幹部の一人が、周恩来に質 問すると「落ち着いてきて、心がほぐれてきた後、『内面の改造』をするのが、本当の目的だ」と答えた という。つまり洗脳である。周恩来の期待通り、「学習」を重ね、共産主義と毛沢東礼賛など、中華人民 共和国のシンパ=「赤い兵隊」になって帰ってきた人たちを「中国帰還者連絡会=中帰連」と言うので、 知っておこう。周恩来は若い時に日本で過ごした人で、日本人の特性を知り尽くしていた。「周恩来の呪 い」がまだ効いている日本人も多い。見かけより数段、あくどい人である。 4 月 カンボジアでポル・ポトが完全に政権を握る 極端な共産主義社会への建設を行って、 「労働者として自覚が足りない」と知 識人は農村へ追いやられて強制労働させられ、従わない人は収容所へ送られ て多くの人が死んだ。ポル・ポトは、賢い人が自分のウソを見破るのが怖か ったから、先手を打って追放・殺害したのが実情だ。今でもその虐殺の後の さつりく 人骨が残されている。映画「キリングフィールド(殺戮の地)」に詳しいが、見 たくない人はやめよう。だが、いつまで人骨をそのままにしておく のか、日本人には理解できない。原始人の標本ではないのだから、 そろそろ埋葬して、写真だけにするべきだと思う。 9 月 中国の毛沢東主席が死亡 とうしょうへい 鄧 小 平 が実質的な指導者になる。 「政権は銃口から生まれる」 「戦争は血を流す政治で、政治は血を流さない 戦争だ」など、毛沢東語録は誌的で、刺激的な言葉が並ぶ。中国を引っ張 っていくには、これぐらい強引でないといけないのだろうが、晩年は迷惑 とうしょうへい が続いた人だった。周恩来が死亡した時、右の写真の人物である鄧小平は、 周恩来の側近で「改革路線派」だったので、一時閑職に回された。しかし 毛沢東の後継者が、彼を「買って」いた人だったので、鄧小平は、運良く 復活を果たす。実は毛沢東も鄧小平のことを「我々の死後、中国を引っ張っていくのは、 あのオチビさん(=小柄な鄧小平のこと)だろう」と認めていたから、実力と運が合体しただ けなのかもしれない。鄧小平は毛沢東の期待(?)に応え、満州帝國などの「日本の遺産」 を食いつぶして行き詰まった中国経済を、「力が付くまでは低姿勢」で「改革開放路線」 を実行して、日本などの外国資本を招聘し、中国に発展をもたらす。特に 1990 年にバブ ル崩壊で日本が経済的に苦しんでいる最中を見計らって、取り込んだ手腕は見事だった。 1 中学生のための現代史…これを読めばわかるかもしれない ---------- 1976 年 日本 ----------- 7 月 ロッキード事件が起きる。 航空機の導入についてわいろを受け取ったという罪で田中元首相が逮捕される。 しかし多額の保釈金を払って田中元首相は 8 月に釈放される。一般人は「保釈金」 というのを知る。彼は自民党を離党し、政界の「闇将軍」と呼ばれ、裏から操作 するようになる。ただし 1993 年に彼は死亡しているので、裁判は停止して判決 は出ないで終了した。 7 月 ベトナム社会主義共和国 建国、首都は北部のハノイ。 8 月 三木首相は総理として初めて長崎の原爆式典に参加する。 6 月 ミグ 21 事件= ソ連空軍将校亡命事件が起きる ソ連から最新飛行機でソ連軍のパイロットが函館 空港に強行着陸し亡命を希望して来た。レーダー 網をすり抜けてきたので、防空体制の不備を責め られる。なのに政府は 11 月に防衛費を国民総生産 GNP の 1%以内と決める。大丈夫でしょうか? 12 月 福田赳夫が総理になり、1978 年 12 月まで務める。 群馬出身で選挙区も群馬県。東大法学部を卒業した後、大蔵省・現 財務省文 書科に配属され、エリートコースを歩み、岸信介を政治の先生として、政界入 りした後も、蔵相・外相を歴任した。 「昭和元禄」 「狂乱物価」なども造語した 人。その風貌から「黄門様」と呼ばれた。ライバルに先を越され、中々総理に なれなかったが、田中角栄失脚、三木退陣でやっと就任した。 「全方位外交」 「心 と心の触れあい」を政治主張として、東南アジアを歴訪し、外交をリードした。台湾重視の立場から、 田中の対中外交には反対していたが、1978 年に日中友好平和条約を締結するところは、かなり現実主 義かも。筆者は「全方位外交」や「心と心の触れあい」という外交的態度は、間違っていなかったと 思う。相手が謀略を仕掛けてくるのは承知の上で、相互理解を進め、世代交代がうまく回れば、気の 長い話ではあるが、互いの利益になるからだ。 2 中学生のための現代史…これを読めばわかるかもしれない
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