家畜糞尿による河川水汚染がサケ科魚類の嗅覚機能に与える影響

平成19年度 環境科学院 修士論文内容の要旨
家畜糞尿による河川水汚染がサケ科魚類の嗅覚機能に与える影響
北海道大学大学院
環境起学専攻
馬場
環境科学院
統合コース
耕平
サケは、稚魚が生まれた川(母川)から海に降河する際に母川固有のニオイ物質を記憶し(母川記銘)、
親魚はその記憶を頼りに母川に回帰すること(母川回帰)が知られている。そのため、河川水中にサケの
嗅覚機能を阻害する物質が含まれると、稚魚の母川記銘および親魚の母川回帰に悪影響を及ぼし、親魚の
母線回帰率が低下する可能性が考えられる。道東の標津川は、多くのサケ科魚類が遡上する我国を代表す
るサケ遡上河川の一つである。しかし、標津川が流れる中標津町と標津町の流域は北海道でも有数の酪農
地帯であり、牧草を育てるために大量に散布される家畜糞尿による水質汚染が懸念されている。特に、家
畜糞尿中に含まれる栄養塩(硝酸性窒素、亜硝酸性窒素など)については、毒性試験によりサケ科魚類や
他の水生生物への悪影響が報告されている。そこで本研究では、家畜糞尿による河川水汚染が、シロザケ
(Oncorhynchus keta)の嗅覚機能に与える影響を調べることを目的として、標津川河川水質の分析、およ
びシロザケの稚魚と親魚の嗅覚応答を解析した。
【河川水質の分析】2006 年 10 月、および 2007 年 5 月、7 月、10 月に、標津川水系 10 地点において河川
水を採水し水質分析を行った。分析項目として水温・pH・溶存酸素(DO)、糞尿汚染の指標として扱われる
大腸菌群数・大腸菌数、および硝酸性窒素(NO3-N)・亜硝酸性窒素(NO2-N)・アンモニア性窒素(NH4-N)
の各栄養塩を測定し、水産用水基準値と比較した。また、シロザケの嗅覚応答測定に使用した家畜糞尿を
溶解させた糞尿水(5ml/l・10ml/l・20ml/l)の栄養塩濃度の測定も行った。
河川水質分析の結果、標津川に設置されている樋門からの流入水(樋門水)は水産用水基準値以下の pH
であり、また高濃度の栄養塩(NO2-N:0.03~0.07mg/l;水産用水基準値 0.03mg/l 以下、および NH4-N:0.83
~4.42mg/l;水産用水基準値 0.2mg/l 以下)が含まれていた。樋門の上流部にあるし尿処理場からの排水
が原因と考えられた。しかし、樋門より下流の採水地点では基準値を満たしていたので、樋門からの流入
水が標津川河川水に与える影響は少ないと考えられた。また、流域が酪農地に囲まれた採水地点と他地点
で栄養塩や大腸菌群数で有意な差は見られなかった。一方、糞尿水中の無機性窒素量(NO3-N・NO2-N・NH4-N
の総量)は 3.42~11.21mg/l であったが、河川水では無機性窒素量が大きく低下していた(0.09~1.57mg/l)
ので、糞尿による河川水汚染は限局されている可能性が考えられた。
【シロザケの嗅覚応答】2007 年 5 月に標津サーモン科学館で飼育されていたシロザケ稚魚を、また 2007
年 10 月には標津川に回帰したシロザケ親魚を用いて、電気生理学的手法(Electro-Olfactgram:EOG)によ
り標津川河川水、樋門水、および糞尿水(親魚のみ)が嗅覚応答に与える影響を測定した。暴露時間は 1
時間とし、暴露中の刺激水(L-serine 10-4M )に対する嗅覚応答を経時的(5~60 分)に測定し、暴露前の
測定値と比較した。
標津川河川水を暴露実験に用いた結果、稚魚および親魚ともに嗅覚応答に有意な低下はみられなかった
ため、標津川河川水が嗅覚応答に与える影響は少ないことが判明した。一方、樋門水(稚魚と親魚)およ
び糞尿水(親魚)では嗅覚応答が時間経過とともに有意に低下した。また、樋門水と糞尿水は、暴露直後
は刺激水よりも大きな嗅覚応答(最大で約 2.5 倍)が測定され、樋門水と糞尿水にはシロザケの嗅覚応答
に悪影響を及ぼす強力なニオイ物質が含まれる可能性が考えられた。
以上の結果、標津川流域での家畜糞尿散布による水質汚染、稚魚の降河時期および親魚の遡上時期にお
けるシロザケの嗅覚応答に与える影響は、現状では軽微であると考えられた。しかし、糞尿水中にはシロ
ザケの嗅覚応答に悪影響を及ぼすニオイ物質が含まれていることが明らかになり、このニオイ物質の特定
が今後の課題として残された。