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産科麻酔の最近の話題
,
What s New in Obstetric Anesthesia
独立行政法人国立成育医療研究センター
角倉弘行 Ⅰ)
阿部展子 Ⅱ)
水口亜紀 Ⅲ)
三好義隆 Ⅳ)
産科麻酔領域の最近の話題を紹介する.帝王切開時に使用する昇圧薬は,以前はエ
フェドリンが第一選択であったが,最近はフェニレフリンに代わっている.低血圧予
防の目的で術前の輸液負荷が推奨されていたが,最近では 麻酔導入直後の同時負荷
(co-loading)の有用性が検討されている.抗菌薬投与の時期は,児娩出後が推奨さ
れていたが,最近では術前に行うことが推奨されている.子宮収縮薬の投与はオキシ
トシンが第一選択となっているが,過量投与に注意すべきである.また予定帝王切開
術を脊髄くも膜下麻酔で行う場合には,ルーチンの酸素投与は必要ないかもしれない.
はじめに
以前から「医療の世界は日進月歩」と言われているが,
実際の臨床現場では古くからの慣わしがそのまま生き
は 5 年以下に短縮された印象である.産科麻酔の領域も
然りで,もはや10年前の常識は通用しなくなっている.
本稿では,産科麻酔領域の最近の話題を紹介する.
残っていることも少なくなかった.新しいアイデアが生
まれ教科書が書き変わるまでには,アイデアの正当性を
帝王切開時の昇圧薬は何を用いるか?
検証するための研究が行われ,その成果が学会発表で評
帝王切開術の昇圧薬の選択の変遷に関する話題はやや
価を受け,雑誌に投稿されて査読者の評価を受け,それ
旧聞に属するが,産科麻酔領域の常識の変遷を示す良
が論文となって他者による後追い研究がなされ,そのア
い例なので最初に紹介する.以前は,帝王切開時の低血
イデアの評価が定着して,その次の改訂版で教科書が書
圧に対してフェニレフリンなどのα作用薬は子宮胎盤
き換わるまでには優に10年以上のサイクルを要したから
血流を減少させる危険性が懸念され,α作用とβ作用を
である.しかし,インターネットの普及などの技術革新
ともに有するエフェドリンが好んで用いられてきたが,
に伴い各工程の期間が大幅に短縮された結果,新しいア
その根拠となったのは1970年代の論文である.1974年
イデアが市民権を得て定着するのに有する期間は現在で
にRalstonら1)は,妊娠したヒツジに対して同程度に母
独立行政法人国立成育医療研究センター手術集中治療部
Ⅰ)Hiroyuki Sumikura 医長,Ⅱ)Nobuko Abe 医員
Ⅲ)Aki Mizuguchi フェロー,Ⅳ)Yoshitaka Miyoshi フェロー
Anesthesia 21 Century Vol.13 No.1-39 2011 (2503) 45
体血圧を上昇させる量のエフェドリンとメトキサミンを
比較した臨床研究で,エフェドリンの使用により新生児
用いた場合,
エフェドリンは胎盤血流量を増加させるが,
アシドーシスの危険性が増加するとの報告が相次いでな
メトキサミンは減少させることを示した(図 1 ).この
され,帝王切開時の昇圧薬としてフェニレフリンを使用
報告以来,帝王切開中の昇圧薬としてエフェドリンが不
することも許容されるようになった(図 2 )3).その後,
でも95%の
Ngan Keeら10)は,エフェドリンの胎盤通過性がフェニレ
麻酔科医がエフェドリンを第一選択としていた.しかし
フリンよりも有意に高いことを示し(図 3 ),母体に投
1990年代の後半から,エフェドリンとフェニレフリンを
与したエフェドリンによる胎児のアシドーシスの原因と
動の地位を獲得し,2001年の英国の報告
2)
して,胎盤を通過したエフェドリンのβ作用により胎児
の代謝が亢進してアシドーシスを助長している可能性を
指摘した.一方で,フェニレフリンは心拍数を低下させ
点滴
母体の心拍出量を減少させるので,胎盤への酸素運搬量
が減少する可能性も指摘されている11).これらの結果を
踏まえて,現在では母体が頻脈の場合はフェニレフリン,
右心房
徐脈の場合はエフェドリンなどの使い分けが推奨される
母体静脈
インドシアニングリーン
(蛍光色素)
の常識と2011年の常識がいかに異なるかを端的に示す好
例であろう.
子宮静脈
胎仔静脈
分析モニタ
蛍光分析計
ヒツジを用いた子宮胎盤血流の研究(文献 1より
引用・改変)
1974 年に Ralstonらは,妊娠したヒツジに対して同程度
に母体血圧を上昇させる量のエフェドリンとメトキサミン
を用いた場合,エフェドリンは胎盤血流量を増加させる
が,メトキサミンは減少させることを示した.
エフェドリン
フェニレフリン
Hall 5)
LaPorta 6)
Moran 7)
Pierce 8)
Thomas 9)
Overall effect
-0.05
0.00
0.05
0.10
エフェドリンとフェニレフリンによる臍帯血pHの
比較(文献 3より引用・改変)
1990 年代の後半から,エフェドリンとフェニレフリンを
比較した臨床研究で,エフェドリンの使用により新生児
のアシドーシスの危険性が増加するとの報告が相次いで
なされた.
46
(2504) Topics
(A)
10%
p<0.001
1.5
図3
25%
50%
(中央値)
75%
90%
1.0
0.5
0.0
2.0
フェニレフリン
(B)
10%
25%
1.5
50%
p=0.001
1.0
(中央値)
75%
90%
0.5
0.0
エフェドリン
臍帯動脈血pHの加重平均差
図2
2.0
エフェドリン
Alahuhta 4)
-0.10
血漿中濃度比(臍帯静脈/母体動脈)
母体動脈
血漿中濃度比(臍帯動脈/臍帯静脈)
フローメータ
図1
ようになった12).これは,産科麻酔領域における2001年
フェニレフリン
エフェドリンとフェニレフリンの胎盤通過性(文献
10より引用・改変)
Ngan Keeらは,エフェドリン群の胎盤通過性がフェニレ
フリン群よりも有意に高いことを示した(A).また臍帯
動脈 / 臍帯静脈血漿中濃度比もエフェドリン群で有意に
高かった(B)
.
帝王切開術の術前輸液負荷は必要か?
告されている.帝王切開術におけるco-loadの是非は,今
これまで帝王切開術を行う場合には,麻酔導入後の低
血圧を予防する目的で,術前の輸液負荷が推奨されてき
後のさらなる検討が期待されるが,少なくとも現時点で
は,術前輸液負荷のデメリットも認識すべきであろう17).
た.しかし,術前輸液負荷だけでは低血圧を100%予防
できないことも事実であり,最近では術前輸液負荷に伴
うデメリットにも焦点が当てられ,術前輸液負荷を見直
す機運が高まっている.
抗菌薬投与の時期は?
周術期の抗菌薬は手術開始前に投与することが推奨さ
れているが,帝王切開術では児娩出後(臍帯クランプ後)
術前輸液負荷に伴うデメリットとして最もわかりやす
に投与することが推奨されてきた.その理由としては,
いのは医療従事者の負担の増加である.例えば,術前に
胎児に抗菌薬が移行することにより,胎児の免疫獲得が
病棟で静脈路を確保して手術室入室時間に合わせて漿質
抑制されたり胎児の敗血症の発見が遅れたりするリスク
液あるいは膠質液を1,000mL 輸液するためには,病棟看
が新生児科医により懸念されていたからである.
護師がほぼ付きっきりで看護する必要がある.また手術
しかし,最近のメタアナリシスでは,抗菌薬の投与を手
室入室後から麻酔導入までの間に定められた量の輸液負
術開始前に行うことにより,母体の子宮内膜症や創部感
荷を行うためには,手術に関わる医療従事者(麻酔科医,
染のリスクは減少するが,新生児の敗血症の発生率は変
産科医,看護師)の時間を拘束するだけでなく手術室と
わらないことが報告されている(表 1,2 )18).これを受け
いう公共医療資源を浪費することとなる.このような
て米国産婦人科学会(American College of Obstetricians
デメリットを考慮して 2007年のASAの産科麻酔ガイド
and Gynecologists:ACOG)では,2010年 9 月に「全て
ライン12)では,「術前輸液負荷は低血圧のリスクを軽減
の妊婦は,帝王切開の術前 1 時間以内に抗菌薬を投与さ
するが,あらかじめ決められた量の
術前輸液負荷が完了するまで麻酔の
開始を遅らせる必要はない.」と明
(A)
記している.さらに術前輸液負荷の
間質内
PI
ΠI
デメリットとして最近注目されてい
るのが,術前の過剰な輸液負荷が血
(B)
ΠI
ΠS
EC
EC
ΠESL
管内皮を損傷し,血管内から間質へ
PV
の水分のシフトを助長している可能
性である.Chappellら
13)
間質内
PI
血管内腔
ΠV
PV
血管内腔
ESL EG
の報告で
は,術前の過剰輸液を控え,術中の
ΠV
ΠESL
EC
EC
体液の損失分を理論的にオンデマン
ΠS
ドに補充することにより,周術期の
間質内
間質内
予後が改善することが強調されてい
る(図 4 ).このようなアイデアを
帝王切開術の麻酔管理に取り入れた
最初の研究は,2004 年に発表された
Dyerら 14)によるものであろう.彼
らは,脊髄くも膜下麻酔導入直後に
晶質液 20mL/kgを急速輸液した群
(co-load群)では,脊髄くも膜下麻酔
導入 20分前に晶質液20mL/kgを急
速輸液した群(preload群)に比べ低
血圧の発生頻度が低かったことから,
co-loadの有用性を報告した.その後,
2009年には膠質液によるco-loadの
有用性を検討した研究 15, 16)が 2 編報
図4
血管障壁とStarlingの法則(文献 7より引用・改変)
血管内から間質への水分移行(JV:
)は,静水圧と浸透圧のバランスにより規
定される.
古典的には,血管内皮細胞(EC)のみを障壁として想定し,Starling の法則により
以下の計算式が用いられてきた.
J V = K f([PV -PI]-σ[ΠV -ΠI])
K f =ろ過係数,P V = 血管内の静水圧,P I = 間質の静水圧,σ= 反発係数,
ΠI= 間質の浸透圧,ΠV = 血管内の浸透圧
しかし,実際には血管内皮糖衣(endotherial glycocalyx:EG)を下地にした内皮
表層(endotherial surface layer:ESL)も血管障壁として機能するので水分移行は
減少する.これを考慮すると,上の式は以下のように修正される.
J V = K f([PV -PI]-σ[ΠESL -ΠS])
ΠESL =内皮表層での浸透圧,ΠS = 内皮糖衣下での浸透圧
ところがEGがなんらかの機序で分解されると ESL は血管障壁として機能しなくな
り,血管内から間質への水分移行が増加する.過剰な輸液負荷は,EG の分解を促
進する心房性ナトリウム利尿ホルモンの放出を増加させるので,その結果として
ESL の破綻を惹起し,血管内から間質への水分移行を助長する危険を伴う.
Anesthesia 21 Century Vol.13 No.1-39 2011 (2505) 47
れるべきである.」との推奨を発表した22).麻酔科医に
一選択とすることが推奨されている.これまでオキシト
とっては,児娩出直後は母体の循環動態を維持しつつ子
シンの使用量に関して明確な基準はなく慣例的に 5U程
宮収縮薬を投与しなければならない時期なので,この時
度を初期投与されてきたが,2004年にCarvalhoら23)は,
間帯に抗菌薬を投与する手間が省けるのは歓迎すべきこ
十分な子宮収縮を得るためのオキシトシンの初期投与量
とである.ただし,抗菌薬の合併症として非常に稀では
は,予定帝王切開症例で 0.35 IU(95% CI 0.18 - 0.52 IU)
あるがアナフィラキシーショックが起こり得るので,も
であると報告した.さらに 2006年には,同じグループの
し抗菌薬を術前に投与してアナフィラキシが発生した場
Balkiら24)が,分娩停止による緊急帝王切開ではオキシ
合には,母体と児の救命を同時に行うために直ちに帝王
トシンに対する感受性が低下しているために2.99 IU(95%
切開を開始し児を娩出した後に母体の蘇生に専念すべき
CI 2.32 - 3.67)と増加していることを報告した.ついで
であることを銘記しておくべきである.
Butwickら25)は,慣例的に行われている 5 U以上の急速
投与は,子宮収縮を改善させることなく低血圧の危険を
子宮収縮薬は何を用いるか?
増加させるので避けるべきであると報告している(図 5 )
.
帝王切開では児娩出後に子宮の収縮復古を促進するた
実際に英国の報告 26)では,オキシトシンの過剰投与によ
めに子宮収縮薬の投与が行われる.麦角アルカロイドの
る低血圧が原因と思われる母体の死亡例も報告されてい
強力な子宮収縮作用を期待してメチルエルゴメトリンマ
る.これからは,麻酔科医は子宮収縮薬を産婦人科医の
レイン酸塩を好む産婦人科医も存在するが,ボーラス投
指示で漫然と使用するのではなく,その効果を熟知して
与により危機的高血圧や心筋梗塞,脳血管障害など重篤
安全に使用することが求められるようになるであろう.
な副作用が起こり得るので,最近ではオキシトシンを第
表 1 抗菌薬投与時期と母体の感染率(文献 18より引用・改変)
子宮内膜炎
創部感染
総感染症罹患数
参考文献
術前投与
n(%)
臍帯結紮後投与
n(%)
術前投与
n(%)
臍帯結紮後投与
n(%)
Sullivan19)
2(1%)
10(5%)
5(3%)
10(5%)
Wax 20)
1(2%)
1(2.4%)
Thigpen 21)
12(7.8%)
22(14.8%)
症例数/患者数
15 / 377
33 / 372
術前投与
n(%)
臍帯結紮後投与
n(%)
8(4.5%)
21(11.5%)
(肺炎 1 症例) (腎盂腎炎1症例)
2(4.9%)
1(2%)
3(7.3%)
6(3.9%)
8(5.4%)
18(11.8%)
30(20.1%)
12 / 377
20 / 372
27 / 377
54 / 372
1(2%)
(子宮内膜炎症例と
同一症例)
手術開始前に抗菌薬を投与することにより母体の感染症(子宮内膜炎および創部感染)は減少する.
表 2 抗菌薬投与時期の新生児への影響(文献 18より引用・改変)
新生児敗血症
敗血症精密検査
NICU入室
参考文献
術前投与
n(%)
臍帯結紮後投与
n(%)
術前投与
n(%)
臍帯結紮後投与
n(%)
術前投与
n(%)
臍帯結紮後投与
n(%)
Sullivan19)
6(3%)
7(3.6%)
35(19%)
36(18.5%)
25(13.5%)
33(17%)
Wax 20)
0
0
6(12.2%)
2(4.9%)
─
─
Thigpen 21)
7(4.6%)
7(4.7%)
11(7.2%)
14(9.4%)
14(9.2%)
8(5.4%)
症例数/患者数
13 / 387
14 / 384
52 / 387
52 / 384
39 / 338
41 / 343
手術開始前に抗菌薬を投与しても新生児の敗血症の発生率やNICU入室率は変化しない.
48
(2506) Topics
脊髄くも膜下麻酔による帝王切開の術中に
酸素投与は必要か?
帝王切開術を脊髄くも膜下麻酔で管理する場合,胎児
チンの酸素投与の必要性に疑問を投げかけた28).その後
の報告では緊急手術や全身麻酔での酸素投与の有用性は
否定していないが 29, 30),特にリスクのない予定手術では,
への酸素供給の増加を期待して母体への酸素投与が慣習
母体への酸素投与により母体の肺水腫や羊水塞栓,呼吸
的に行われてきた.しかし,活性酸素の毒性が認識され
抑制などが不顕性化される危険を考慮すると,ルーチン
るようになり,胎児や新生児に対しても過剰な酸素投与
の酸素投与は避けるべきであろう.
が必ずしも有益でない可能性が指摘されている.
この問題に関して香港のKhawらがこれまでに 4 編の
おわりに
興味深い報告をしている.彼らは2002年に,高濃度の酸
産科麻酔領域での最近の話題を紹介した.これまでの
素投与を受けた母体から出生した新生児では活性酸素が
常識を疑い,疑問を解決するための研究を行なって日常
上昇していることを報告した(図 6 )27).ついで2004 年に
の臨床を改善することに貢献している多くの臨床研究者
は,予定帝王切開で子宮切開から児娩出まで 3 分以上時
たちの努力に敬意を表するとともに,なかなか研究まで
間がかかった場合には,母体への酸素投与が新生児の酸
手が回らない臨床医としては,少なくとも彼らの努力を
素化を改善しなかったことから,予定帝王切開でのルー
患者に還元する努力ぐらいは怠らないように努めたい.
(%)
100
投
与
1
分
後
の
低
血
圧
の
発
生
率
90
80
70
60
*
50
40
30
20
10
0
0
0.5
1
3
5
(μmol/L)
1.0
新
生
児 0.8
の
静
脈 0.6
血
漿
中 0.4
活
性
酸 0.2
素
濃
度
0.0
10
オキシトシン使用量(U)
図5
オキシトシン使用量と低血圧の発生率(文献25よ
り引用・改変)
オキシトシン5Uを投与した場合,母体の低血圧の発生率
は有意に上昇する.*:p= 0.035,0Uに対して.
図6
20
30
40
母体PaO2(kPa)
50
母体のPaO2と新生児の活性酸素の相関(文献27よ
り引用・改変)
高濃度酸素の投与により新生児の活性酸素の量が増加する.
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