世界への約束 韮山反射炉を未来へ

特別号
に 大 き な1 ペ ー ジ が 刻 ま れ
月5 日、 伊 豆 の 国 市 の 歴 史
韮山反射炉世界文化遺産登録決定
さまざまな
顔をみせる
明治日本の産業革命遺産における
﹁顕著な普遍的価値﹂
九州、山口、岩手、静 岡 に 分 布 す る 一
連 の 産 業 遺 産 群 は、 西 洋 か ら 非 西 洋
世紀半ば
国家に初めて産業化の伝播が成功し
た こ と を 示 し て い ま す。
世 紀 初 頭 に か け て、 日 本 は 製
年までのわずか
年余りという短期
の 資 産 は、 1 8 5 3 年 か ら 1 9 1 0
急 速 な 産 業 化 を 達 成 し ま し た。 一 連
鉄・ 製 鋼、 造 船、 石 炭 産 業 を 基 盤 に
から
19
市のシンボル﹃韮山反射炉﹄が
世界の宝として認められたので
遺産を評価する場合、ICOMOS
世 界 遺 産 登 録 を 決 め る
UNESCO世界遺産委員会は、文化
にある世界遺産の由緒や価値をよ
しかし、登録は決してゴールで
はありません。私たちは、目の前
﹁顕著な普遍的価値﹂を見分けるた
登 録 推 薦 書 や 管 理 保 全 計 画 を 基 に、
査を行います。各国から提出された
の先人が待ち望んでいました。
く 学 び、 そ れ ら を 世 界 の 人 々 に、
月にかけ
年9 月 か ら
て、 平 成
その審査
の一環とし
ます。
きているか︵保全︶について審査し
をしっかり保護・管理する体制がで
値 ︶、 そ し て、 登 録 以 後、 そ の 価 値
めの登録基準に合致しているか︵価
登録は私たちにとってゴール
で は な く、 あ く ま で も 新 た な 使
命 を 担 う ス タ ー ト で す。 地 元 に
住 む 私 た ち は、 そ れ ら 使 命 を 守
り 続 け る こ と を、 世 界 に 対 し 約
束したのです。
﹃韮山反射炉を未来へ﹄。世界文
化遺産への登録を機に、ここ伊豆
われました。
て、﹁ 明 治 日 本 の 産 業 革 命 遺 産 ﹂ の
り継いでいきましょう。
の 国 市 に 住 む こ と に 誇 り を 持 ち、
イコモスによる
現地調査(H26.9.26)
すべての構成資産で、現地調査が行
26
これからも韮山反射炉を大切に守
10
かなくてはなりません。
そして幾世代までも守り伝えてい
イコモスは、世界遺産委員会の前
年3月ころから約1年間をかけて審
す。この瞬間を、市民が、そして
イコモスによる調査
が達成されました。
合させることにより、本格的な産業化
的に改良して日本のニーズや伝統に適
専門知識が蓄積され、西洋技術を積極
最終段階である明治後期︵1890
∼1910年︶の第三段階は、国内に
入した時期でした。
びそれを実践するための専門知識を導
第二段階は、明治時代に入ってから
の1870年代前半で、西洋技術およ
を進めました。
統 的 な 匠 の 技 と 組 み 合 わ せ、 産 業 化
接ではなく︶二次的に知識を得て伝
洋 の 技 術 書 や 事 例 の 模 倣 に よ り︵ 直
海 防 を 強 化 す る 必 要 か ら、 各 藩 が 西
国 防、 特 に 海 外 か ら の 脅 威 に 対 す る
で、 製 鉄 や 造 船 の 試 行 錯 誤 期 で し た。
第 一 段 階 は、 1 8 5 0 年 代 か ら
1860 年代前半にかけての幕末期
た3 つの段階を反映しています。
間 で、 こ の 急 速 な 産 業 化 が 達 成 さ れ
50
に資産の評価を委託します。
世界の宝
韮山反射炉
20
韮山反射炉の保存に尽力した多く
界文化遺産登録が決定しました。
含む﹃明治日本の産業革命遺産
製鉄・製鋼、造船、石炭産業﹄の世
ドイツのボンで行われた第 回
世界遺産委員会で、韮山反射炉を
ました。
7
市役所世界遺産推進課
☎ 055-948-1425
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特別号
特別号
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世界への約束 韮山反射炉を未来へ