第三世代携帯電話の普及における国際ネットワーク効果の分析

第三世代携帯電話の普及における国際ネットワーク効果の分析
京都大学・大学院経済学研究科博士課程 Maria del Pilar Baquero Forero
東京経済大学・経済学部専任講師 黒田 敏史1
本論文は日本学術振興会科学研究費若手(B)(研究課題番号 22730207)の研究成果の一
部である。
本論文は、第三世代携帯電話の普及において、一国内でのネットワーク効果、並びに国
と国の間のネットワーク効果が果たした役割について明らかにする。
第三世代携帯電話では、ITU により国際標準化が行われ、IMT-2000 として5つの無線通
信方式が国際標準として認定された。そのうち有力な技術は米国のクアルコム社を中心と
して開発された cdma2000 と呼ばれる方式と欧州の機器ベンダと日本の通信事業者を中心
として開発された W-CDMA と呼ばれる方式である。
国際標準化の恩恵により、国家間での機器の互換性が得られたことにより、ある国の通
信事業者の顧客が他の国でも当該国の通信事業者のネットワークを通じてサービスを利用
する事ができる「国際ローミング」が提供されるようになった。また、標準化によって通
信端末を共通化することができ、通信事業者は僅かなローカライズを行うだけで多種多様
な端末を調達する事ができるようになった。
これら標準化の恩恵は、経済学におけるネットワーク効果として捉える事ができる。国
際ローミングは直接ネットワーク効果として捉える事ができる。ある国のある第三世代携
帯電話技術の利用者の効用は、国際ローミングにより他国で利用が可能になれば増加する
であろう。また、他の国で同一の技術を利用する利用者の数が増加し、エリアが拡充され
れば国際ローミングの利用の価値も増加するであろう。すなわち、ローミングを通じてあ
る国の消費者と、他の国の消費者の間には直接ネットワーク効果が働くと考えられよう。
また、標準化による通信端末の共通化は端末の多様化を招いた。ある第三世代携帯電話の
利用者数が増加すれば、その技術に対応した端末の需要量は増える。端末需要の増加はよ
り多くの企業による当該技術向けの端末の供給をもたらし、製品差別化の少ない場合には
価格の低下によって、製品差別化の大きい場合には多様性の増加によって、消費者にとっ
ての当該技術の価値を増加させるだろう。すなわち、端末の標準化により、世界で同一技
術の利用者の数の増加する事は、間接ネットワーク効果と捉える事ができよう。
本論文は、これらによって生じると考えられるネットワーク効果が、第三世代携帯電話
の普及に果たした役割を、ネットワーク効果を含んだ需要関数を推定する事によって明ら
かにすることを試みる。本論文では、2007 年第 1 四半期から 2010 年第 1 四半期までの 184
ヶ国における携帯電話加入者数、並びに料金データを用いて、需要関数の推定を行う。需
要関数の推定には、Berry (1994)による集計データによる離散選択モデルの推定方法を用い
る。また、国と国の間のネットワーク効果はローミングであれば国と国の間での渡航者数、
端末の標準化であれば通信機器の貿易量の影響を受けることが考えられる。そこで、本論
文では国と国の間の距離、並びに国際連合の貿易統計(comtrade)による 2 国間の通信機
器貿易量を用いて、各国の加入者数をウエイトしたネットワーク効果指標の作成も試みる。
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本論文では、ランカスター型の財属性による効用を比較し、単一財の選択を行う消費者
を想定する。すなわち、消費者は財そのものでは無く、財の保有する様々な属性 X ijt から効
用を受けるとする。
時点 t 市場 i における消費者 l が財 j から得る効用を以下のように置く。
(1)
uijtl   ijt  X ijt '    ijt  ijtl   ijtl   ijt  ijtl
 ijt は地域毎財毎に生じる固定効果、並びに毎期の価格、ネットワーク効果によって定まる
平均効用である。また、  ijtl は分析者には観察不可能な個人 l の選好であり、極値分布を仮
定する。  ij は分析者に観察する事ができない財の属性であり、正規分布とする。分析者に
観察できない誤差項のうち、個人の選好部分を用いる事で、時点 t 市場 i における財 j のシ
ェアは、
sijt 

exp( ijt   ijt )
exp( ikt   ijt )
kJ
(2)
となる。ここで、集計された選択確率と平均効用の関係を Berry (1994)に倣い線形回帰式
に変形することができる。
(3)
ln( sijt )  ln( si 0t )   ijt   ijt
本論文では、国毎の価格、数量、ネットワーク効果の集計値のパネルデータから、(3)式の
推定を行う。
(3)式の推定を行うためには、固定効果の影響、価格・ネットワーク効果の内生性の 2 つ
の課題を克服する必要がある。そこで、国際貿易の分野などで広く用いられている
Arellano-Bond 型の 1 階差分2 GMM 推定量を用いる事とする。操作変数は各変数のラグ変
数となる。
需要関数の推定の結果は以下の通りである。
本論文で利用しているデータは四半期データであるため、季節要因を除去するため 1 年階
差を用いた。
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離散選択モデルではパラメータ自身は経済学的な振る舞いを直ちには示さないため、以
下に需要の弾力性を記す。
本論文で推定された価格の弾力性は先行研究と比べて極めて低い値である。一方、ネッ
トワーク効果の弾力性は価格弾力性よりも大きく、国内ネットワーク効果と国際ネットワ
ーク効果では国内ネットワーク効果の方が約 2 倍の大きさとなっている。
本推定結果から得られる結論は以下の通りである。まず、第三世代携帯電話の国際標準
化によって、国家間でもネットワーク効果が働いていることが確認された。また、ネット
ワーク効果による弾力性は価格弾力性に比して高い事が示された。国内のネットワーク効
果のみならず、国際ネットワーク効果も高い事は、国家間の標準化に向けた取り組みが重
要であることが示唆される。
本論文の推定結果により 2000 年台半ばまで第三世代携帯電話の普及が日本、韓国の 2 ヶ
国を除き進まなかったことについての示唆が得られる。日本や韓国では欧州や米国で広く
利用されていた第二世代の GSM と呼ばれる業界標準規格が利用されておらず、GSM の普
及による過剰慣性を受ける事が無かった。この、第二世代技術による国際ネットワーク効
果が無かった事が、これらの国で第三世代携帯電話が早く普及したことを説明しうる。ま
た、日本は総務省出身者を ITU 事務局長にする事で国際標準化の旗振り役をとったが、技
術標準を主導し、国内での普及を促進するだけでは国際的な普及には繋がらず、結果的に
海外への輸出も増えないという結果をもたらした。今後は技術の標準化の重要さのみなら
ず、国際的な普及促進策をも検討していくことが求められよう。
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