第8回 地球社会統合科学セミナー 2014 年 10 月 8 日 「市民の心・民族の魂――ヨーロッパ歴史意識の普遍性と個別性」 「国家と宗教の対立をいかに克服するか―マルクス「ユダヤ人論」を手がかりに」 鏑木政彦 1.課題 ①地球社会の課題としての「人類の共存」 ②近代ヨーロッパが提供する二つの歴史像(18 世紀) a)啓蒙主義:憲法制定、基本的人権、宗教の自由(政教分離) b)ロマン主義:人間の集団帰属性、有機体的な人間集団としての民族、個性という価値、多元 主義的価値観 ③この二つの「共存」理論がありながら、どうして 20 世紀の世界大戦へと至ったのか? →19 世紀における啓蒙主義とロマン主義の反発と接合 a)啓蒙主義の逆説:民族集団の独自の権利は認めない →共同体の個人への解体と多数派民族集団への統合 b)ロマン主義の変容:Volk を基盤とした「近代国家」批判 →「国民国家」の基盤である民族主義→völkisch 運動→ナチズム ④焦点としての「ユダヤ人問題」 国家と宗教の関係をめぐる近代的な共存構想(リベラル・デモクラシー)の限界を探る 2. 「ユダヤ人問題」瞥見 ①革命以前:本来ユダヤ人社会はユダヤ法の自治を認められた共同体であり、民族と宗教が渾 然一体となったもの。ユダヤ人になるということは、一つの血縁共同体に入ること。 ②革命以後:啓蒙派「民族としてのユダヤ人には何も与えるな。人間(個人)としてのユダヤ 人にのみすべてを与えよ。 」反対派「ユダヤ人は宗教集団の名前ではなく、民族の名前」 ③「ユダヤ人解放」=ユダヤ人を宗教集団(ユダヤ教徒)とみなして市民権を付与し、フラン ス国民とする(=同化) 。国家への忠誠のため、ユダヤ法自治の放棄→ユダヤ教の「宗教」化(ユ ダヤ教を信じるかどうかは個人の内面の問題) ④啓蒙路線の限界:ドレフュス事件(1894 年) →民族主義( 「自分たちは独自の民族である」 →西欧の国民国家の国民とはならない) 、シオニズム(ヘルツル『ユダヤ人国家』) :ユダヤ人問 題解決としてのユダヤ人国家建設)を生み出す *焦点:「ユダヤ教」は、 「宗教」(ユダヤ教徒)なのか「民族」 (ユダヤ人)なのか。「宗教」な らば、それは内心の問題であり、政教分離の近代国家と共存可能。しかし、民族とならば、国 民国家のなかで、少数民族として国家への忠誠に対して嫌疑をかけられる存在。 3.マルクス「ユダヤ人問題によせて」(1844) ①40 年代、プロイセン政府によるユダヤ人解放に反する政策。それを擁護するヘルメスのキリ スト教国家論(キリスト教が市民的制度の基礎。ユダヤ教徒にキリスト教徒との同権は不可。) 反ユダヤ主義的差別(単なる宗教的差別でない、人種主義的な差別) 。 ②ブルーノ・バウアー「ユダヤ人問題」(1842):「ユダヤ人問題」が「同権」(政治的解放)で 解決するとするのは誤り。「政治的解放」のためには、宗教からの人間の「普遍的解放」(人間 的解放)こそ重要。国家とは、国家公民が宗教的意識を捨て、自由な個人として参加するもの。 ③マルクス「ブルーノ・バウアー『ユダヤ人問題』」(バウアーとはライン新聞の編集方針等を めぐってすでに決裂) ・ユダヤ人が求めている「政治的解放」とは、国家によって公民権を認めてもらうこと。バウ アーは「誰が解放すべきか、誰が解放されるべきか」と問い直す→自分たち自身を解放しなけ ればならない、国家公民へと解放されるには、宗教を捨てるべし、と。 ・バウアーの「解放」の概念は曖昧。人間的解放と政治的解放の関係を追求すべし。 ・政治的解放は、宗教からの国家の解放(政教分離) 。特権的宗教はなくなるが、宗教は存続す る。政治的解放は、人間的解放(宗教からの解放)にはならない。 ・政治的解放によって人間は、市民社会の成員、つまり利己的に独立した個人となる。宗教は 公的権利から私的権利へ追放され、エゴイズムの領域である市民社会の精神になる。 ・他方で、政治的解放によって人間は、国家公民、道徳的人格へと還元される。公民 citoyen と 人間 homme の分裂。 ・人間的解放は、homme が citoyen を自分のうちに取り戻し、類的存在となることで成就する。 ④柴田寿子氏の解釈:「宗教一般」への注目(『リベラル・デモクラシーと神権政治』) ・政教分離と政治的普遍性によって、 「宗教一般」が構築され、宗教的差異をもった人々の共存 が可能となる。 (国家における異なる宗教者の共存。 ) ・「公民(citoyen)」と「人間(homme)」の分裂があるかぎり、 「宗教一般」が要請され、ここに、 (宗教的な)ナショナリズムが入り込む余地がいわば必然的に生じ、リベラル・デモクラシー はナショナリズムと相携えることとなる。 4.若干の考察 ①啓蒙主義は政治的解放のために、 「ドイツ語」や「ドイツ文化」への同化を推進し、ドイツ・ ナショナリズムと合流する。 ②バウアーの理論は、宗教や文化的アイデンティティよりも、普遍的人間を優先させようとす るものだが、その彼が後に反ユダヤ主義者となる。ここには、宗教的な差異から、「科学」的な 人種論的な差異へと強調点の移行を読み取ることができる。 ③マルクスの理論は、ユダヤ人問題の実際的な解決を示すものではない。それは、フォイエル バッハ哲学に基づく独自のヘーゲル解釈を、ユダヤ人問題に適用したもの。マルクスには、民 族理論が欠落していると批判されるが、彼の「宗教一般」に関する議論を読み解くことで、そ の欠落を埋められるかもしれない。なお、同じ時代に精神科学論を発展させたディルタイは、 人間の精神的世界の独自性の基底に「宗教的生」を位置づけている。 ④19 世紀ヨーロッパは、国民国家の市民社会における土台をつくるために文化、科学、宗教を 動員した。それは、科学的理性とロマン主義的感情との対立と接合でもあり、その具体的な形 態はそれぞれの歴史的事情によって多様であった。 ⑤学ぶべきことは、分断された市民社会に生きるわれわれは、超越的な媒介によって幻想的に 統一されざるをえないということ。マルクスの「人間的解放」も、それ自体が超越化して、あ らたな幻想となって立ち現れる可能性あり。「公民」と「人間」の分裂に注視しながらの、「公 民」あるいは「人間」の統一的幻想(宗教、国民意識等々)を乗り越え続ける実践において、 幻想がもたらす破滅を回避しうるのではないか。
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