第 4 章 日本人のダイオキシン類一日摂取量推移トレンドの推計

第 4 章 日本人のダイオキシン類一日摂取量推移トレンドの推計
本章では,今までに行われたダイオキシン類の年代別推移に関する調査について分析し,
その結果から,日本人のダイオキシン類の一日摂取量推移トレンドを推計する.
4.1 食品からのダイオキシン類一日摂取量調査
日本人のダイオキシン類摂取の約 90%は食品を通してのものである(図 3-2-1 参照)
.し
たがって,食品中のダイオキシン類の濃度を知ることは,日本人のダイオキシン類摂取量
を知る上で最も重要である.これについては,厚生省が 1998 年に行った「食品からのダ
イオキシンの一日摂取量調査(トータルダイエットスタディ)」がある.この調査では,
全国 7 地区 10 ヵ所からトータルダイエット資料(14 食品群)を集め,食品中のダイオキ
シン類濃度を測定,それらの結果から,平均的な食生活において食品から摂取されるダイ
オキシン類の量を推計している.また同様に,食品からのダイオキシン類の一日摂取量の
推移を見るために,1977 年度∼1995 年度に関西地区で採取・保存された 5 時点のトータ
ルダイエット試料についてもダイオキシン類を分析しその一日摂取量を推計している.こ
pgTEQ/kg/day
の 5 時点と 1998 年度,1999 年度の調査結果から作成したグラフが下の図 4-3-1 である.
9
8
7
6
5
4
3
2
1
0
1977
1982
1987
1992
1997
年
図4-1-1 保存試料を用いたダイオキシン類一日摂取量の
1)
経年変化に関する調査
最も高い値を示したのは 1977 年度の 8.18 pgTEQ/kg/day で,その後は急激に減少し,最
も新しい 1999 年の一日摂取量は 2.27 pgTEQ/kg/day,1977 年度の 3 分の 1 以下にまで低下
している.また,最も低い値を示したのは,1992 年度の 2.07 pgTEQ/kg/day であった.
この「食品からのダイオキシンの一日摂取量調査(トータルダイエットスタディ)
」は,
現在,日本で得られる同物質の一日摂取量に関するデータとしては,唯一,直接利用可能
22
なものであるが,この調査結果だけから体内負荷量の推移を推計するには以下のようない
くつかの問題点がある.
(1) 調査対象となった時点が少なく,時間的間隔が広い.
(2) 77 年以前のデータがない.
(トレンドを見る上で最も重要になる上昇から減少への
移行点がいつであったかを確認できない.
)
(3) 一日摂取量のうち,食品からの摂取量についてしかわかっていない.
このデータを体内負荷量の推移推計に用いる場合には,これらの点を十分考慮しなけれ
ばならない.
4.2 母乳のダイオキシン類汚染
母乳のダイオキシン類汚染は,近年,非常に問題になっている.先にも述べたが,ダイ
オキシン類は人体では特に脂肪中に多く蓄積される.したがって,脂肪分を多く含む母乳
には,同様にダイオキシン類も多く含まれていることになる.抵抗力が十分についてない
乳児に,高濃度のダイオキシン類を含む母乳を飲ませることは大きな危険を伴うと言える
だろう.
ダイオキシン類は,水にはほとんど溶けないが,脂肪にはよく溶ける.したがって,ダ
イオキシン類などの有機塩素系の物質は,体内では,主に肝臓や体脂肪中の脂肪組織に蓄
積される.しかし,実際は,その場所に一定して留まっているのではなく,常に血液中の
脂肪に分配されながら体内を移動している.一方母乳は,乳腺細胞の働きによって血液中
の脂肪,タンパク質,糖質,ミネラル,ビタミンなどの栄養素や免疫抗体が濃縮されてで
きたものである.特に脂肪は約 10 倍に濃縮される
2)
ため,血液中の脂肪に溶け込んでい
たダイオキシン類も同様に濃縮される.これが,ダイオキシン類による母乳汚染の原理で
ある.したがって,母体内のダイオキシン類蓄積量が大きければ,それに伴って母乳中の
ダイオキシン類濃度も高くなると考えられる.
下の図 4-2-1 は,1997∼1998 年度に行われた,出産後 5 日目∼300 日目における母乳中
ダイオキシン類濃度の経時変化を表したグラフである.図中の曲線は,データを対数近似
したものであり,また数式はその近似曲線を表している.
このグラフから,母乳中のダイオキシン類濃度が授乳によって徐々に減少していること
がわかる.これは,言いかえれば,それだけのダイオキシン類が母乳を介して,母親から
乳児に移行しているということである.また,最近の研究では,半年間授乳すると母体内
にあるダイオキシン類の約 40%,一年間のませると 60%が乳児に移行する
報告されている.
23
1)
ということが
pgTEQ/g脂肪
20
18
16
14
12
10
8
6
4
2
0
y = -1.1834Ln(x) + 19.152
0
50
100
150
200
生後日数
250
300
350
図4-2-1 母乳中のダイオキシン類濃度の経時変化2)
下の図 4-2-2 は,大阪府公衆衛生研究所に冷凍保存されていた 1973 年∼1996 年までの母
乳脂肪中のダイオキシン類濃度を測定した結果である.分析された母乳は,同研究所が毎
年 25 歳∼29 歳の出産後 3 ヶ月未満の初産婦を対象に,その母乳を採取,凍結保存してい
たものである.
70
pgTEQ/g脂肪
60
50
40
30
20
10
0
1973
1978
1983
母乳採取年度
1988
1993
図 4-2-2 母乳中のダイオキシン類濃度の推移1)
図 4-2-2 における y 軸の単位「pgTEQ/g 脂肪」とは,母乳中の脂肪 1 g 中に含まれるダ
イオキシン類の毒性等量である.結果は,1974 年の 63.5 pgTEQ/g 脂肪が最も高く,その後
は減少がつづき,1990 年には約半分の 32 pgTEQ/g 脂肪まで減少している.ただし,グラ
フでは,1974 年にピークに達しているように見えるが,1974 年以前のデータは 1973 年の
24
ものしかないので,74 年が本物のピークであるかどうかはわからない.この点については,
後で,再び検証する.
先にもふれたように,母乳中のダイオキシン類濃度と母体の体内蓄積量との間には,密
接な関係があることから,ダイオキシン類の母体の体内負荷量推移トレンドも,この図 42-2 と同様のトレンドを示すことが予測できる.本研究では第 5 章において,この母乳中
のダイオキシン類濃度の推移トレンドを,数少ない体内負荷量の推移に関する参考データ
として使用する.
4.3 海域および湖沼の底質を利用した環境中ダイオキシン類推移トレンドの推計
ダイオキシン問題が注目されはじめたのは,近年になってからのことである.したがっ
て,ダイオキシン類の環境中濃度の推移に関するデータは,ここ数年の蓄積しかない.そ
こで,環境中のダイオキシン類濃度の推移を明らかにする目的で,最近行われたのが環境
庁による「ダイオキシン類コアサンプリング調査」3)と京都大学環境保全センターの酒井
による「琵琶湖及び大阪湾底質の歴史トレンド調査」4)である.この二つの調査は,海域
と湖沼の底質を採取し,堆積年代別に別けた層の中に含まれるダイオキシン量を測るとい
う方法で行われた.この調査結果によって,各年代にどれだけのダイオキシン類が環境中
に存在していたのかを推測することができる.
)
4.3.1 東京湾コアサンプリング調査 3)
環境庁では,我が国におけるダイオキシン類の環境中での挙動や人への暴露状況を評価
する際の参考とするため,1998 年度に,海域等の底質を柱状に採取(コアサンプリング)
する調査を実施した.これは,年代毎のダイオキシン類の濃度や単位面積当たり負荷量を
測定することによって,汚染の経年変化を把握しようとしたものである.
この調査は,全国 4 水域 6 地点(東京湾 2 地点,水島沖 1 地点,霞ケ浦 2 地点お
よび榛名湖1地点)のコアについて行われた.なお,水島沖及び霞ケ浦の 1 地点につい
ては,底質の攪乱が著しく,層別の年代測定を行うことはできなかったと報告されている.
本研究では,その 2 地点を省いた 4 地点の調査結果をここで取り上げることにする.
図 4-3-1 は,この調査結果をグラフにしたものである.横軸は堆積年代を,縦軸は堆積
層中に含まれるダイオキシン類濃度を示す.ここで使われている濃度単位は堆積層の単位
重量当たりのダイオキシン類毒性等量(pgTEQ/g)である.
25
140
120
榛名湖
東京湾 Sta.D
pgTEQ/g
100
80
60
東京湾 Sta.B
40
20
0
1960
霞ケ浦 Sta.D
1970
1980
1990
年
2000
3)
図 4-3-1 コアサンプリング調査 による
ダイオキシン類濃度推移トレンド
図 4-3-1 からは次のようになることが言える.
(1)
) 東京湾 2 地点
東京湾浦安沖(Sta.B)では,1970 年代中頃から濃度が増加しはじめ,1982 年にピーク
(71 pgTEQ/g)をむかえ,その後は,減少に転じ,1990 年代は概ね 1970 年代後半のレベ
ルで推移している.
一方,東京湾多摩川河口東沖(Sta.D)では,Sta.B より早く,1970 年代初頭から増加し
はじめ,ピークを 1981 年にむかえている(120 pgTEQ/g).その後の減少傾向は,Sta.B と
同様である.
(2)
) 霞ケ浦
霞ケ浦中央部(Sta.D)では,1960 年代初頭からわずかに濃度が増加しはじめて,1966
年にピークをむかえている(28 pgTEQ/g)
.その後は減少に転じ,1970 年代半ば以降は,
概ね 20 pgTEQ/g 前後の値で推移している.ただし,その増減は他のデータほど明確では
ない.
(3)
) 榛名湖
榛名湖では,1960 年代初頭から増加しはじめ,多少の変動はあるが,ピークを 1986 年
にむかえ(120 pgTEQ/g)
,その後は,減少に転じている.この地点が,他の地点と比べて
やや高い濃度レベルである理由としては,同湖の底質の平均重量体積速度(g/cm2)が他の
場所と比べて一桁遅いために,単位重量当たり(pgTEQ/g)で計算されるダイオキシン類
の濃度レベルが相対的に高くなったと考えられている.このため,報告書では,榛名湖に
26
ついては,単位面積当たりのダイオキシン類負荷量(pgTEQ/cm2/year)で評価する方がよ
いとしている.この単位で計算すると,榛名湖は 4.2 pgTEQ/cm2/year で,東京湾の 32
pgTEQ/cm2/year よりも一桁小さくなる.榛名湖は,もともとダイオキシン類の負荷量が少
ない地点(バックグラウンド的な場所)として選定された地点であることから,他の 3 地
点と比較する際には,単位面積当たりで評価した後者の結果の方が正しいと考えられる.
しかし,本研究では,次に取り上げる「琵琶湖および大阪湾底質の歴史トレンド」の調査
結果も単位重量当たりで計算されていること,多くの人々のダイオキシン類曝露を考える
場合,バックグラウンドとしての榛名湖のデータ価値は低いことなどから,以降の考察で
は榛名湖を省いて,使用単位としては単位重量当たり(pgTEQ/g)を使用することとする.
)
4.3.2 琵琶湖および大阪湾底質の歴史トレンド 4)
この調査は,先の環境庁のコアサンプリング調査と同様に,ダイオキシン類の環境動態
を検討するために行われたものである.調査対象地域は,琵琶湖北湖および琵琶湖南湖,
淀川河口の大阪湾周辺地域の三ヵ所である.またこの調査対象は,先のコアサンプリング
調査とは違い,コプラナ-PCB を含まないポリ塩化ジベンゾ-パラ-ジオキシン(PCDD)と
ポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)の「ダイオキシン」としている.
図 4-3-2 は,この調査結果をグラフにしたものである.横軸は堆積年代を示し,縦軸は
堆積層中に含まれるダイオキシン濃度を示す.ここで使われている単位 pgTEQ/g は,東京
湾の調査と同様に,堆積層 1 g 中に含まれるダイオキシンの毒性等量を表す.
30
pgTEQ/g
25
20
15
琵琶湖南湖
淀川沖
10
5
琵琶湖北湖
0
1840
年
1860
1880
1900
1920
1940
1960
図 4-3-2 琵琶湖と大阪湾における
4)
ダイオキシンの歴史トレンド
図 4-3-2 からは以下のようなことがわかる.
27
1980
2000
(1)
) 琵琶湖
琵琶湖北湖では 1950 年代はじめ頃までは,多少の変動はあるものの,ダイオキシン類
濃度は,5 pgTEQ/g 以下で推移している.それ以降,1980 年代初頭まで増加を続け,ピー
クを 1982 年にむかえている(21.05 pgTEQ/g)
.その後は,比較的緩やかな減少を示してい
る.
琵琶湖南湖では 1950 年代半ばまでは 5 pgTEQ/g 付近で横這いのまま推移し,その後,
急激な上昇に転じ,ピークを 1973 年にむかえている(28.25 pgTEQ/g).その後は,1988
年までは減少しているが,1994 年以降,多少ではあるが再び増加傾向にある.
同調査では,同族体分布と異性体分布の検討から,琵琶湖におけるこれらのダイオキシ
ン類濃度の上昇には,燃焼由来のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)の増加とともに,除
草剤や防腐剤として使用されていた PCP に含まれていた八塩化ダイオキシンの影響が認め
られるとしている.また,既存の発生源同族体分布を用いて,これらの底質データに対し
て主成分分析をおこなった結果,燃焼由来に加えて,除草剤クロロニトロフェン(CPC)
に由来するダイオキシン類が寄与していることが報告されている 5).
(2)
) 大阪湾(淀川沖)
大阪湾(淀川沖)
大阪湾淀川沖の底質試料は,年代の確認された期間が 30 年間程度と短い.淀川沖では
1968 年から 1980 年にかけて濃度が上昇し,ピークを 1993 年にむかえ(25.7 pgTEQ/g).
その後は,減少に転じている.
この大阪湾のデータについては,報告書において埋め立てや洪水の影響による体積速度
の変化や,地震などの影響による底質の混合などにより,若干の誤差があることが指摘さ
れていることから,本研究ではこのデータを使用しないことにする.
4.3.3 海域および湖沼の底質を利用した環境中ダイオキシン類推移トレンドの推計
本研究の目的は,日本人のダイオキシン類体内負荷量の推移を求めることであるが,そ
のためには日本人のダイオキシン類一日摂取量の推移を知ることが必要条件である.しか
し,日本人のダイオキシン類一日摂取量の推移に関して直接利用できるデータは 4.1 の「食
品からのダイオキシンの一日摂取量調査」しかなく,しかもこの調査結果には,先にあげ
たような問題点がいくつかあった.したがって,本研究ではそれを補う意味で,環境中の
ダイオキシン類濃度の推移トレンドに注目した.推移トレンドとは,図 4.3.1 と図 4.3.2 で
取り上げた,各水域の底質中のダイオキシン類濃度に関するトレンドグラフのことであり,
底質中のダイオキシン類は,各年代に環境中へ排出されたダイオキシン類が堆積したもの
であることから,その推移トレンドは,ダイオキシン類の環境中への排出量の推移を間接
28
的に表すものと考えることができる.
本研究では先ず,東京湾と琵琶湖の底質データを用いて各年代の合計値を求めることに
よって,環境中の平均的なダイオキシン類の推移トレンドを推計してみた.
図 4-3-3 は,各年代の合計値を使った場合の環境中ダイオキシン類濃度の推移を表すグ
ラフである.横軸は堆積年代を示し,縦軸は堆積層中に含まれるダイオキシン類濃度を示
す(単位は pgTEQ/g)
.グラフを色分けした目的は,合計値にそれぞれの地点のダイオキシ
ン類量が占める割合を比較するためである.
ただしこの図では,4.3 と 4.4 のデータから榛名湖と淀川沖の 2 地点を省いている.本研
究では,この二つのデータが先に述べたような理由によって,他地点のデータとの整合性
が得られなかったため,この 2 地点を省いて考えることにした.
東京湾Sta.B
東京湾Sta.D
霞ケ浦Sta.D
琵琶湖南湖
琵琶湖北湖
300
pgTEQ/g
250
200
150
100
50
0
1968
1973
1978
1983
1988
1993
年
図 4-3-3 環境中ダイオキシン類濃度の推移
底質中のダイオキシン類調査として,これらの他に横浜国立大学環境科学研究所の中西
が行った,宍道湖のダイオキシン類コアサンプリング調査の結果がある.このデータにつ
いては,グラフは入手できたものの数値データが入手できなかったため,今回は環境中の
ダイオキシン類推移トレンドのデータから省くことにした.しかし,中西はこの調査で,
ダイオキシン類の推移に影響を及ぼす要因は,環境中に残留する農薬であるということ明
らかにしている 6).
したがって,次に日本における農薬の使用量の推移について考えてみる.また,この中
西の研究結果については,本章最後で再び取り上げる.
29
4.4 農薬の動向
現在,ダイオキシン類の第一の発生源として,規制対象にあげられているのはゴミ焼却
場である.しかし,実際には,過去数十年の間に大量に使われてきた農薬の残留による影
響の方がむしろ深刻であるという意見が多い.愛媛大学の脇本教授は,現在は使用禁止に
なっているが,かつて大量に使用された除草剤 PCP や,1996 年まで使用されてきた除草
剤 CNP が,現在でも,日本人のダイオキシン類の摂取量に大きく寄与していると推測して
いる
7)
.したがって,日本人のダイオキシン類摂取量の推移を考えるうえで,農薬の影響
は無視できない.そこで,ここでは,我が国における農薬関連の歴史について振り返って
みる.
4.4.1 農薬に関する年表
最初に,農薬に関する,大まかな歴史について取り上げる.表 4-4-1 は,我が国を中心
に,農薬に関する重要な出来事をまとめた年表である.この表からもわかるように,1950
年代までは多くの農薬が開発され,使用されてきたが,1960 年代後半にはその多くが規制
や,製造中止の対象になっている.これは,この間に,農薬に関する研究が進み,それら
の毒性が明らかになったためである.そして特に注目すべき点は,1969 年と 1971 年にな
された HCH と DDT,2,4,5-T に対する規制である.2,4,5-T は,ベトナム戦争で使用された
ことで有名な「枯れ葉剤」(オレンジエード)である.この農薬は,ダイオキシン類の中
でももっとも毒性の強い 2,3,7,8-TCDD を不純物として含むことから大きな問題となった.
これらの,農薬が同じ時期に製造禁止になったことは,環境中のダイオキシン類濃度に大
きな影響を与えたことが予測できる.また,この年表から,農薬に対する対策は,ゴミ焼
却炉に対する対策よりも早かったことがわかる.表 4-4-1 中の 1999 年と 2000 年に農林水
産省が実施した「農薬に含まれる毒性のあるダイオキシン類の再確認調査」によれば
8)
,
計 104 種類の農薬にダイオキシン類が含まれていることが明らかになった.しかし,これ
らの分析結果はすべて定量下限未満であったことから,1970 年代に使用されていた毒性の
強い,大量のダイオキシン類を含む農薬や除草剤とは異なり,環境への影響は大きくない
と考えられている.
30
表 4-4-1 農薬に関する年表 9)
年 アメリカで DDT 販売開始.
年 日本で DDT が使われはじめる.
年 日本でヘキサクロロシクロヘキサン(農薬)が使われはじめる(1971 年まで)
.
年 日本でクロルデン(農薬)が使われはじめる.
.
年 日本でヘプタクロル,ヘプタクロルエポキシドが使われはじめる(1972 年まで)
年 日本で農薬の HCH と DDT の製造中止.
年 農林省が林業用除草剤「2,4,5-T」の使用を全面禁止.
年 通産省,閉鎖系での PCP 使用規制.
年 新農薬取締法の施行.
年 日本で除草剤 CPN からダイオキシンが検出される.
年 環境庁が農薬登録保留基準を強化.
年 野菜や果物に残留する農薬の量を制限する新基準が施行.
年 農水省は,7 月に,これまで農薬登録されていた農薬のうちダイオキシン類を含
む 4 銘柄を発表.9 月に 57 農薬をこれに追加.
2000 年 農水省は現在までに農薬登録されている農薬のうち,ダイオキシン類を含む 43
農薬追加発表.
1947
1948
1949
1950
1957
1969
1971
1972
1973
1980
1992
1993
1999
4.4.2 農薬の生産量の推移
図 4-4-1 は,日本における農薬の生産量の推移を示したものである.このグラフから農
薬の生産量は 1970∼75 年前後を境に,増加から減少に転じていることがわかる.この要
因としては,表 4-4-1 にあったように,この頃に DDT や HCH,2,4,5-T などの農薬が規制
生産量(万トン)
されたことが考えられる.
80
70
60
50
40
30
20
10
0
1960
1965
1970
1975
1980
1985
1990
図 4-4-1 日本における農薬の生産量の推移10)
4.5 日本人のダイオキシン類一日摂取量年代別推移トレンドの推計
31
1995 年
ここでは,これまでに紹介してきたダイオキシン類に関する各種トレンドグラフから,
日本人のダイオキシン類一日摂取量の推移トレンドを推計する.その第一歩として,乳児
のダイオキシン類一日摂取量を,母乳からの摂取という観点から,まず考えてみる.
4.5.1 母乳授乳期間のダイオキシン類一日摂取量の推計
本研究では,乳児の授乳期間中における母乳からのダイオキシン類摂取に注目し,この
期間のダイオキシン類一日摂取量を厚生省の「母乳中のダイオキシン類に関する調査」の
調査結果と,宮田の推計方法
2)
を参考にして推計することにする.本研究において,授乳
期間中におけるダイオキシン類一日摂取量の推移を推計するために設定した仮定は次の 5
つである.
(1)
) 授乳期間
授乳期間は,東京医学会学会誌で「一般には 7∼8 ヵ月頃より母乳の出が悪くなり,離
乳食も進んでいけば自然に断乳ということになる」11)ということから,6 ヵ月間とする.
(2)
) 授乳量
乳児の体重 1 kg 当たりの一日授乳量は約 150 ∼180 ml/day11)であるので,その中間の値
を取って 165 ml/kg/day とする.
(3)
) 脂肪含有量
母乳中の脂肪含有量は 3%2)とする.
(4)
) 授乳期間における乳児の平均体重の推移
授乳期間における乳児の平均体重の推移は表 4-5-1 で示すとおりである.本研究では,
日本人の平均的なダイオキシン類曝露について考えていくので,男女の区別はつけず,男
女の平均体重で考えることにする.また,その平均値が,各年の調査においてほとんど差
がなかったことから,年代によって乳児体重は変化しないと考え,平均体重を統一して使
うことにする.また,ダイオキシン類摂取量を推計するための乳児体重としては,出生時
から生後 6 ヵ月までの,各月の体重の平均値である 5.853 kg を使用する.
32
表 4-5-1 授乳期間における乳幼児の平均体重(kg)の推移 12)
1970
1980
1990
男子 女子 男子 女子 男子 女子
3.2
3.1 3.23 3.16 3.15 3.06
出生時
5
4.6 5.08 4.76
5.1 4.66
1∼2ヵ月未満
6.1
5.6
6.09
5.55
6.16
5.61
2∼3
6.9
6.4
6.84
6.24
6.88
6.32
3∼4
7.4
6.9 7.39 6.83 7.38 6.84
4∼5
7.8
7.3
7.8 7.33 7.75 7.23
5∼6
5.858
5.858
5.845
6ヶ月間の男女合わせた平均体重
(5) 母乳中のダイオキシン類濃度の推移
母乳中のダイオキシン類濃度の推移については図 4-2-2 の数値を使う.
これら(1)∼(5)で設定した仮定から,
(4-1)式を使って,授乳期間におけるダイオ
キシン類一日摂取量を求める.
乳児の体重を b (kg),乳児の一日授乳量を m (ml/day),母乳中の脂肪含有率を 3%
(
g脂肪
),母乳中のダイオキシン類濃度を d (pgTEQ/g 脂肪)とすると,授乳期間にお
ml
けるダイオキシン類一日摂取量 α (pgTEQ/kg/day)は(4-1)式から求められる
α=
0.03md
b
(4-1)
ここで(2)
,
(4)より,体重 1 kg 当たりの一日授乳量は 165(ml/kg/day)
,乳児体重は b =5.853
(kg)であるから,乳児が 1 日に摂取する母乳量 m は, m = 165 ⋅ 5.853 = 965.745 (ml/day)
である.
33
(4-1)式の d に図 4-2-2 の母乳中のダイオキシン類濃度の推移データを代入,授乳期間に
おけるダイオキシン類一日摂取量の推移を求めたのが下の図 4-5-1 である.
350
pgTEQ/kg/day
300
250
200
150
100
50
0
1973
1978
1983
1988
1993
年
図 4-5-1 授乳期間中におけるダイオキシン類一日摂取量の推移
この推計結果から,その値が最大であったであろう 1974 年に生まれた乳児は授乳によ
って 315 pgTEQ/kg/day ものダイオキシン類を摂取していたことがわかった.この値は,現
在の TDI の約 80 倍にものぼる高い数値である.一日摂取量は,その後,減少を続け,1995
年には 116 pgTEQ/kg/day とピーク時の半分以下になっている.しかしなお TDI 値と比べる
と高い数値である.
ここで問題になるのが,図 4-2-1 で示した,授乳中の母乳ダイオキシン類濃度の減少で
ある.母乳中のダイオキシン類濃度は,授乳によって母体中の同物質が体外へ排出(乳児
に移行)することで,徐々に減少していく.図 4-5-1 の元データである,母乳中のダイオ
キシン類濃度データ(図 4-2-2)は,出産後 3 ヵ月未満の母乳を対象としたものである.そ
の意味では,この値は出産後 0 日から約 90 日の母乳の平均値であると考えられる.もち
ろん出産後 0 日から 90 日の母乳中のダイオキシン類濃度平均値(14.85 pgTEQ/g 脂肪)は
0 日から 180 日(半年)の平均値(14.14 pgTEQ/g 脂肪)より高い.したがって,半年間の
授乳期間として図 4-5-1 の値を使用することは,約 5 %高めに一日摂取量を見積もってい
ることになる.しかし,授乳期間中のダイオキシン類一日摂取量を体内負荷量モデルに代
入する際には,同物質の母乳中濃度の減少と乳児の体重変化を考慮しないこととする.
34
4.5.2 日本人のダイオキシン類一日摂取量推移トレンドの推計
ここでは,これまで本章で取り上げてきたデータから,離乳後のダイオキシン類一日摂
取量の推移トレンドを推計する.
日本人のダイオキシン類一日摂取量のデータとしてもっとも直接的なものは,4.1 の「食
品からのダイオキシンの一日摂取量調査(トータルダイエットスタディ)」であるが,こ
の調査には先に述べたように,問題点がいくつかある.したがって,本研究ではダイオキ
シン類に関する別のトレンドデータから一日摂取量の推移を推計することにした.
そこで注目したのが,4.3.3 で作成した環境中のダイオキシン類推移トレンドである.こ
のトレンドは,海域と湖沼の底質中ダイオキシン類濃度の推移をもとに作成したものであ
り,底質中のダイオキシン類は,各年代に環境中へ排出されたダイオキシン類が堆積した
ものであることから,その推移トレンドは,ダイオキシン類の環境中への排出量の推移を
間接的に表したものと考えることができる.また人間は,環境中のダイオキシン類を食品,
空気,水などを通して摂取することから,環境中のダイオキシン類濃度と一日摂取量の間
には当然相関関係が成り立つと考えられる.これらの関係を利用して,環境中のダイキシ
ン類濃度から一日摂取量の推移トレンドを導くことにする.
しかし,ここで問題になるのが,コアサンプル中のダイオキシン類濃度のピークのずれ
である.サンプル間によっては約 10 年ほどのずれがある.せまい日本において,地域に
よってダイオキシン類の排出量(その増減)にこれほどの時間的ずれがあるとは考えにく
い.
そこでまず,このピークのずれがどのような原因で起こったのかを検証するために,ト
レンドに影響を与えている要因について考えてみる.
(1) トレンドに影響を与えている要因について
トレンドを分析する際にまず行わなければならないのは,環境中のダイオキシン類の推
移に影響を与えている要因が何なのかを明らかにすることである.それがわかれば,真の
ピークが何年なのかを知るうえで有力な情報になる.
これまでの研究結果から,過去の日本において環境中に排出されたダイオキシン類の発
生源として最も大きかったと考えられるのは農薬である.現在,ゴミ焼却施設からのダイ
オキシン類の排出ばかりがマスコミに取り上げられているが,これは,単に現時点におけ
る,環境中に排出されるダイオキシン類の約 90%がゴミ焼却施設を発生源としているから
にすぎない.
図 4-5-2 は,日本の一日当たりのゴミ総排出量推移を示したものである.これまでに紹
介してきたダイオキシン類に関する推移トレンドがここ十数年の間は減少していたのに対
して,この図からもわかるように,ゴミ排出量は 1976 年以降ほぼ単調に上昇している.
また,焼却施設の改善などのダイオキシン対策が取られ始めたのは,1980 年代に入っての
35
ことであることから,先に求めた図 4-3-3 の環境中ダイオキシン類推移トレンドとはまっ
たく違ったものであることがわかる.このことから環境中のダイオキシン類濃度の推移に
1000t/day
大きな影響を与えたものがゴミ焼却施設からのダイオキシン類であるとは考えにくい.
150
140
130
120
110
100
90
80
70
60
50
1975
年
1978
1981
1984
1987
1990
図 4-5-2 日本の一日当たりのゴミ総排出量推移
1993
1)
300
pgTEQ/g
250
200
150
100
50
年
0
1960 1964 1968 1972 1976 1980 1984 1988 1992 1996
図 4-3-3 環境中のダイオキシン類の推移(再掲)
そこで他の要因として考えられるのが農薬によるダイオキシン類汚染である.農薬がダ
イオキシン類摂取の一番大きな要因であることを指摘する研究者が多い.先述した愛媛大
学の脇本に加え,「琵琶湖および大阪湾底質の歴史トレンド」の調査を行った酒井は,同
調査の結果をもとにした同族体分布,異性体分布の検討から,過去のダイオキシン類の増
加は琵琶湖では燃焼由来の PCDF の増加とともに,除草剤や防腐剤に使用されてきたペン
タクロロフェノール(PCP)に含まれていた八塩化ダイオキシンの影響があることを,ま
たそれに加えて,既存の発生源同族体分布を用いて,これらの底質データに対して主成分
分析を行った結果として,除草剤クロロニトロフェン(CNP)の影響があることを指摘し
36
ている 4).
もう一つの重要なデータとして横浜国立大学環境科学研究所教授の中西の宍道湖におけ
るコアサンプリング調査がある.図 4-5-3 は,中西が行った,宍道湖のダイオキシン類コ
アサンプリング調査の結果である.このデータについては,グラフは入手できたものの数
値データが入手できなかったため,先の環境中のダイオキシン類推移トレンドを求めた時
には,データとして省いたものである.しかし,中西はこの調査から,ダイオキシン類の
推移に影響を及ぼした最大の要因は,環境中に残留する農薬であるということ断定してい
る.
図 4-5-4 は日本におけるダイオキシン類含有農薬生産量の推移を,また図 4-5-5 は,宍道
湖における各汚染源による寄与する割合を表した図である.
図 4-5-3 宍道湖におけるダイオキシン類の推移 6)
図 4-5-4 日本におけるダイオキシン含有農薬生産量の推移 6)
37
図 4-5-5 宍道湖底質中ダイオキシン類の各汚染源による寄与
図 4-5-4 に示されているように,我が国においては,1972 年に除草剤 PCP の製造と使用
が禁止されている.また,図 4-5-3 では,それと同時期に底質中のダイオキシン類が減少
に転じていることがわかる.また図 4-5-5 は,底質中のダイオキシンの全量に対する PCP
寄与のダイオキシンの割合もこの年を境に減少していることを明らかにしている.同図か
らは,現在に至るまで PCP によるダイオキシン類汚染がもっとも深刻であることがわかる.
したがって,日本の他の地域におけるダイオキシン類推移トレンドも PCP の生産量の変
化に影響を受けていたと推測できる.しかし,これまでに取り上げたダイオキシン類の推
移トレンドでは,各地のピークの間に 1972 年から 1983 年までかなりの開きがあった.そ
こで,次にこのトレンドピークのずれについて考えてみる.
38
(2) トレンドピークのずれについて
図 4-5-6,図 4-5-7 は,コアサンプリング調査が行われた各水域の容積ならびに水深とト
レンドピークの関係を表したものである.縦軸が,ピークを迎えた年,横軸がそれぞれ容
積と水深を表している.この図から,各水域の容積が大きいほど,あるいは水深が深いほ
どダイオキシン類濃度のピークが遅くなっていることがわかる.この原因としては,容積
が大きく水深が深い水域ほど堆積速度は遅くなることが考えられる.そのため,環境中に
排出されたダイオキシン類が水域に流入してから堆積するまでに時間差ができたのではな
いだろうか.
年
1984
東京湾Sta.B
1982
琵琶湖北湖
1980
東京湾Sta.D
1978
1976
1974
琵琶湖南湖
1972
宍道湖
km3
1970
0
10
20
30
40
50
60
図 4‐5‐6 水域の容積とトレンドピークの関係
年
1984
東京湾Sta.B
1982
琵琶湖北湖
1980
東京湾Sta.D
1978
1976
琵琶湖南湖
1974
宍道湖
1972
km3
1970
0
10
20
30
図4-5-7 水域の水深とトレンドピークの関係
39
40
50
これらのことから,本研究では環境中のダイオキシン類推移トレンドから一日摂取量の
推移を推計する際に,各トレンドのピークを琵琶湖南湖と宍道湖におけるピークの 1973
年に修正することにする(PCP の規制が 1972 年)
.
図 4-5-8 は東京湾 Sta.B と東京湾 Sta.D,琵琶湖北湖,それぞれのデータのピークを 1973
年にあわせて作成した環境中のダイオキシン類推移トレンドグラフである.
300
250
ピーク修正後
pgTEQ/g
200
150
100
ピーク修正前
50
年
0
1960
1963
1966
1969
1972
1975
1978
1981
1984
1987
図4-5-8 ピークを1973年に設定した環境中のダイオキシン類推移
上図には参考のために,ピーク時の補正を行わなかった場合のトレンドグラフ(図 4-3-3)
もあわせて示している.
このトレンドグラフの 1982 年の値が,4.1 で紹介した食品からのダイオキシン類一日摂
取量調査結果の 1982 年の 5.32 pgTEQ/kg/day に大気と土壌からの摂取(全体の約 7%)13)
を考慮して補正を加えた値 5.72 pgTEQ/kg/day に一致するようにして求めた一日摂取量の推
移トレンドが図 4-5-9 である.またこの図には食品からの一日摂取量のデータ(図 4-1-1)
を比較のために示している.トレンドグラフと年代的に重なる食品からのダイオキシン類
一日摂取量の推移のデータは 3 時点しかないが,トレンドとしてはほぼ同様の傾向を示し
ているといえるのではないだろうか.
40
pgTEQ/kg/day
10
8
6
4
2
年
0
1960
1964
1968
1972
1976
1980
1984
1988
1992
図4-5-9 環境中ダイオキシン類推移トレンドから求めた
一日摂取量の推移
本章で求めた授乳期間の一日摂取量の推移と離乳後の一日摂取量の推移に関するデータ
から,第 6 章では,日本人のダイオキシン類体内負荷量の推移を推計する.しかしその前
に,次章では,体内負荷量の推移を求めるために一日摂取量とともに重要である,体内負
荷量の初期値について考える.
【引用文献】
1) 厚生省ホームページ:http://www.mhw.go.jp/
2) 宮田秀明:よくわかるダイオキシン汚染,合同出版,
(1999)
3) 環境庁ホームページ:http://www.eic.or.jp/eanet/
4) 川名英之:検証・ダイオキシン汚染,緑風出版(1998)
5) 酒井伸一,出口晋吾,浦野真弥,高月紘:琵琶湖および大阪湾底質中のダイオキシン
類に関する歴史トレンド解析,環境科学,No.2, 379-390,
(1999)
6) 酒井伸一:ゴミと化学物質,岩波新書,
(1999)
7) 中西準子ホームページ:http://env.kan.ynu.ac.jp/~nakanisi/index.html
8) 脇本忠明:ダイオキシンの正体と危ない話,青春出版,(1998)
9) 農水省ホームページ:http://www.maff.go.jp/
10)安原昭夫:しのびよる化学物質汚染,合同出版(1999)
11)周産期医学:No. 28 増刊号,p.564,
(1998)
12)国民衛生の動向:財団法人厚生統計協会(2000)
13)厚生省ホームページ
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