Patsy T. Mink and Her Fight for Women`s Rights in the 1960s and

大賀瑛里子 “Patsy T. Mink and Her Fight for Women’s Rights in the 1960s and 1970s”
「1960、1970 年代のパッツィー・ミンクによる女性の権利獲得のための闘い」 本修士論文では、日系アメリカ人女性政治家であるパッツィー・タケモト・ミンク(1927-2002) による女性の権利獲得のための闘いを考察した。パッツィー・ミンクは、ハワイで生まれた日系 アメリカ人の政治家である。1965 年に白人以外の女性で初めて合衆国連邦議会議員となり、 1972 年にはアジア系アメリカ人として初めて大統領選挙に出馬した。24 年間の任期を通して、 1960、1970 年代を中心に、女性の権利獲得のために尽力した人物である。 本論文の目的は、有色女性の連邦議会議員のパイオニアであるミンクを事例として、有色の女 性、また日系の女性リーダーならではのフェミニズム思想の歴史的意義を探ることにある。論文 の主な一次資料には、ワシントンD.C.の議会図書館に収められているPatsy T. Mink Papers の
コレクションの中から、ミンク本人の書簡、スピーチ原稿、関連する新聞・雑誌記事などを使用
した。ミンクに関する研究はこれまでほとんどなされていないため先行研究は少ないが、二次資
料として、ミンクを題材とした唯一の博士論文であるAnn Russell の “Patsy Takemoto
Mink:Political Woman” を主に使用している。ミンクのバイオグラフィを中心にまとめられて
いるRussell の論文では、結論部でミンクのフェミニズムについて一部触れられており、ミンク
は 連邦議会議員への当選時期が1960年代の第二波フェミニズム勃興の時期よりも早いため “partial feminist” であるとしている。本論文では、ミンクの女性権利獲得のための闘いのみに
焦点を絞り、時期だけでなく生い立ちや人間関係等も踏まえ、ミンクのフェミニズムをより詳細
に考察する。 第一章では、ミンクが女性の権利獲得のための指導者となった要因を、彼女の生い立ちを中心 に考察した。まず、彼女が育ったタケモト家での男女平等の教育や、マウイ高等学校での人種差 別・性差別のない教育などによって、彼女にリーダーとしての意識が芽生え始めた。その後、彼 女は真珠湾攻撃などにより日系アメリカ人として人種差別を受け、更に女性であることを理由に 医学部への入学を拒否される。これらの経験を通して、ミンクは女性の権利を始めとする人権や マイノリティの問題に対して特に興味をもつようになった。そして、夫のジョン・ミンクによる パッツィーのキャリアや家事・育児のサポートにより、1965 年に初の有色女性議員の誕生が実 現した。 第二章では、ミンクの政治家としての女性の権利獲得への貢献を考察する。まず、ミンクは Equal Rights Amendment(男女平等憲法修正条項)の制定に賛成し、女性の権利だけでなく
男性の権利をも含めた男女平等を強く主張した。また、高等教育機関における性差別を撤廃した Title IX を始めとして、教育や労働、福祉を中心に、法律を積極的に草稿する。更に、公に意
見を発信できる政治家として、性差別的な態度をとる最高裁裁判官候補などを強く批判した。ま
た、大統領選挙への出馬など、当時の数少ない女性議員として様々な新たな試みを行い、女性た
ちを勇気付ける役割も果たし、多方面で女性の権利獲得のために尽力した。 第三章では、第一、二章の内容を踏まえ、ミンクのフェミニズムの特徴について分析する。ミ ンクは女性の権利の獲得のために尽力した一方で、「フェミニスト」と呼ばれることを避けてい た。彼女は、当時の白人中産階級の女性が主流のフェミニズム運動から独立した形で、女性の権 利の獲得を目指していたのである。実際、彼女は自身の政治家としてのキャリアを形成する際に、 女性団体からの資金援助を一切受けず、また他の女性たちにもそれをしないよう促していた。ま た、ミンクのフェミニズムの特徴として、人権という広い視野から女性の権利を見ていたことが 挙げられる。有色の女性として二重の差別を経験した彼女は、女性を特別視せず、あくまで人間 として、多くのマイノリティと同様にその権利を守るべきであると考えていた。更に、当時の主 流の白人フェミニストが貧困女性の権利を軽視していることを指摘し、福祉の法の草稿などを通 して、女性が抱える経済や労働の問題の解決にも貢献した。 以上のように、パッツィー・タケモト・ミンクは、幼少期の教育や被差別経験、また夫の協力 を得て、有色の女性議員のパイオニアとなることができた。彼女は政治家として、法の草稿や性 差別主義者への批判など、多方面において女性の権利の獲得に向けて尽力した。1960、1970 年 代のフェミニズムが白人中産階級の女性の権利の獲得に特化していたのに対し、ミンクはより広 い人権の視野をもって、貧困の女性や有色の女性も含めた女性全体の権利の獲得に努めた。ミン クのフェミニズムは、当時のフェミニズムを白人中産階級のみの運動からアメリカの全女性のも のへと拡大させたと言える。ミンクのフェミニズムを見ることで、有色の女性ならではのフェミ ニズムの視点の一部を確認することができた。