日欧ジョイントコンファレンス「Frustration in Condensed Matter」会議報告 (1)京都大学大学院理学研究科 藤本聡 2009 年 5 月 12 日から 15 日にかけて、フランス、リヨンの Ecole Normale Lyon(ENL)にて、 本特定領域研究と欧州 ESF のプロジェクト ”Frustration Network”の共催による標題の国際 会議が開かれた。 名称こそ日欧ジョイントとなっているが、日本、ヨーロッパからの多数の参 加者に加えて、アメリカ、カナダからもフラストレーション磁性研究の第一人者達が参加して おり、実質的にこの分野の世界最先端の研究成果が聴ける機会となった。ただ、会議直前に勃 発した新型インフルエンザ騒動の煽りを受けて日本から多数のキャンセルが出てしまったのは 大変残念であった。この件に関する日本の多くの大学の対応の仕方については、何人かの欧米 の研究者達も皆一様に驚いていた。 リヨンは言わずと知れたフランスを代表する美食の街である。会議場の ENL は、有名なレス トラン、ブション(Bouchon, リヨン郷土料理の店)が密集するリヨンの中心地まで地下鉄で十数 分という便利な場所に位置し、会議の参加者は皆、物理の議論のみならず、毎晩、美味なフラ ンス料理とワインを楽しまれたようだ。かく言う私も星付きレストランにまでは手が届かない ものの、それなりに美食を楽しむ機会を得た。4 日間の会議のプログラムは 58 件の口頭発表+ 約 50 件のポスター発表とかなり密度の濃いものであったが、それでも昼食時間をたっぷりと 2 時間ほど取ってあり、食後にじっくりと議論できるように配慮されていた。また、前述の理由 で日本からのキャンセルが多かった分、ヨーロッパの研究者の口頭発表が増え、日本では聞く 機会がない話が聞けたのは日本からの参加者にとって、ある意味、メリットであったかもしれ ない。 会議で取り上げられたトピックをキーワードで見ていくと、全てが何らかの意味でフラスト レーションと関係しているものの、カゴメ格子物質、グラス状態、マルチフェロイック、分子 磁性、スピン液体、電荷-軌道フラストレーション、金属絶縁体転移、トポロジカル秩序、さら に超伝導まで、非常に幅広いものであった。フラストレーションというテーマが磁性のみなら ず、物性物理の様々なトピックを巻き込んで大きく発展している様を象徴しているようでもあ る。テーマがあまりに多岐にわたっていて、全体を俯瞰するなどとても私の力の及ぶところで はないが、個人的に印象に残った講演を以下に少しだけ紹介したい。まず会議は廣井善二氏(東 大物性研)によるカゴメ格子反強磁性体(AF)に関する招待講演でスタートした。Entrée(前菜)で なく、いきなり Plat(メインディッシュ)登場というような観の内容の濃いお話であった。カゴ メ物質はスピン液体が実現する可能性のある有力候補であるが、理想的な系を実現するのは大 変難しい。最近、”ideal Kagome”として、ZnCu3(OH)6Cl2 が注目を集めているが、廣井氏のグ ループはこれとは別の volborthite カゴメ物質を発見しており、今回の講演でも、この物質に 関する最近の成果を報告されていた。この系は”ideal Kagome”物質と比べて結晶構造が歪ん でいるものの、乱れの影響がより少ないという点で、相補的に新しい知見を得る格好の題材と なるかもしれない。磁化プラトーの存在など興味深い話題であったが、その発現機構等、理論 家に対して多くの宿題を提示するお話でもあった。ちなみに講演の最後のスライドで廣井氏と フランス料理界の重鎮シェフ、ポール・ボキューズ氏との2ショット写真を示されていた。会 議の始まる前日にかの有名な3つ星レストランに行かれたそうである。美食を堪能されて、き っと物理の良いアイデアも思いつかれたのではなかろうか!? カゴメ系に関する興味深い話 は他にも幾つかあった。P. Sindzingre 氏(Univ. Pierre et Marie Curie)がカゴメ系の理論 の現状についてレビューをされたが、他のグループの研究の紹介だけで講演時間の大半を費や し、ほとんどご自身の成果について話す時間がなかった。ある意味、カゴメ量子 AF がいかに理 論的なコンセンサスの殆ど無い難しい問題であるかを象徴しているようでもある。カゴメ系以 外にもスピン液体の実現が期待されている物質が最近、多く見つかっている。本会議でも鹿野 田氏(東大工)による有機三角格子磁性体、藤山氏(理研)によるハイパーカゴメ等、日本発の 優れた研究の講演があった。しかし、これらの系で見つかっている磁気秩序の観測されていな い状態が本当にスピン液体なのか、もし、そうならば、その性質は?スピンギャップは無いの か否か等、未解決の重要な問題が山積している。関連する理論の講演では F. Mila 氏(Ecole Polytec. Federale Lausanne)がフラストレーション磁性で理論的に期待されている新しい相 についてレビューをされた。その中で、スピン液体の理論として、U(1)スピン液体[いわゆるス ピノンがフェルミ面を持つ]と Z2 スピン液体[量子ダイマー・モデル(このスピン液体の有効理 論については本会議で D. Poiblanc 氏(Univ. Toulouse)によるレビュートークもあった)から 導かれる。スピノンはボゾン。vison 励起が存在]について言及されていた。スピン液体の理論 といえば、この2つが代表的であるが、Mila 氏 によれば、いずれの理論も現実的な量子スピン系 のモデルから、誰もが納得できる方法で導くのは 現時点では難しいようである。前述のカゴメ物質、 ハイパーカゴメ、有機三角格子磁性体等、スピン 液体とおぼしき実験結果が近年次々と発見され るのに対して、理論の方は、それらの実験事実を 解釈する基礎すらほとんど無いというのが現状 懇親会のレストラン のように私には思える。また、最近の理論研究の 方向性として、通常の磁気秩序が存在しないスピン液体相を新しいタイプの秩序変数「トポロ ジカル秩序」で特徴づけようという野心的な試みがある。本会議でもこのトピックに関連した 講演を初貝氏(筑波大)、Moessner 氏(Max Planck, Dresden)、Alet 氏(Univ. Toulouse)等が行 った。いずれも非常に興味をそそられる刺激的な内容であった。その他のスピン液体関連のト ピックとしては L. Balents 氏(UCSB)がスピンネマチック相(スピン四重極秩序相)について微 小な乱れの効果に着目した研究の話をしていた。この相は三角格子反強磁性体 NiGa2S4 での実現 の可能性が議論されているが、Balents 氏の話もこの系において NMR 実験で観測されているスピ ン凍結をネマチック相+微小乱れの効果で説明することを狙ったものであった。しかし、GL 方 程式に基づく現象論的な内容だったので、このストーリーが本当に NiGa2S4 に適用できるかどう かを判定するには更に詳細な研究が必要であろう。また、電荷-軌道フラストレーション系に関 する発表にも興味深いものがあった。このテーマもスピン液体の話と同様、従来の長距離秩序 状態とは異なる新しい基底状態の模索が一つの重要なトピックであるようだ。軌道の自由度が スピンの自由度と絡むことによって新奇相を生み出す可能性がいくつかの講演によって報告さ れていた。スピン、電荷、軌道が絡むテーマはマルチフェロイックにも通ずるものであるが、 このトピックに関する講演も充実していた。日本からの参加者では廣田和馬氏(阪大理)がリラ クサーに関する招待講演を行った。また、中性子実験の第一人者である Collin Broholm 氏(Johns Hopkins Univ.)がフラストレート磁性体におけるマルチフェロイックに関する講演を行ったこ とは、私には少し意外なように思えた。同氏は磁性体のみならず、超伝導研究においても中性 子による基礎物性の研究で大きな成果を挙げているが、応用としての色彩の強いマルチフェロ のテーマに取り組んでいるとは、勉強不足の私は全く知らなかった。しかし、このテーマが単 なる応用だけでなく、新奇磁気電気効果や、電荷フラストレーション、軌道フラストレーショ ンといった新しい概念と絡んでいることを思えば、このような研究の流れもまた自然かもしれ ない。ちなみに Broholm 氏は講演の最後に今後の研究に関する Agenda を述べた後、前述の廣井 氏の講演に負けじとばかりに”Cuisine Agenda”と称して「リヨンでは○×△というレストラ ンの豚の何とかという料理を是非試さないといけないと某 Tesanovic 氏が薦めていた」という ジョークで閉めくくっていた。 Conference dinner(懇親会)は、リヨンの中心街付近のフランス料理レストランで行われた。 さすがは美食の街、と唸らされる美味な料理とワインに舌鼓を打ちつつ、会議の議論で疲れた 頭をリフレッシュさせながら、参加者の方々は皆、夜遅くまで(そもそもこちらの夕食は始まる のが遅い)、フラストレーション研究の未来について語り明かしたのではなかろうか。ちなみに 今回の会議ではこの懇親会以外にも毎晩セッション終了後に aperitif(食前酒)やポスターセッ ションでの buffet dinner があったらしい。 (らしいというのは、私は、夜早々とホテルで寝て いて、これらの夜セッションには残念なことに参加しなかった。)このように本国際会議は全体 を通して、参加者の方々へのサービスが充実しており、リラックスした雰囲気の中で中身の濃 い物理の議論ができるように、会議の主催者の方々が腐心されたのだと思う。 最後にこのように有意義でかつ楽しい国際会議を運営していただいた日欧の主催者の方々と、 その補助をしていた大学院生の方々に深く感謝します。 (2)京都大学大学院理学研究科 辻本吉廣 六月上旬、本特定領域研究がフラストレーションをテーマとした国際会議を、欧州 ESF との 合同で開催した。会議場は美食の街として名高いフランス・リヨンである。陰山先生が大学の 所用で都合がつがず、筆者が代役として会議に参加することとなったが、同時に人生初のヨー ロッパ訪問の機会を得た。しかし、リヨン訪問日が刻々と近づく中、例の新型インフルエンザ が深刻化し、京大を含む複数の大学が海外渡航に対して厳しい措置をとったため、一時は会議 の先行きが危ぶまれた。筆者に至っては、学生でも大学教員でもないという身分を最大限に活 かし会議参加の意思を貫いた。いざ会議場に着いてみると、多くの研究者が参加していた欧州 組とは対照的に日本からの参加者は予想以上に激減していたので驚嘆した。さらに不幸なこと に、キャンセルされた大半の方々が実験者だったの で理論の発表が相対的に多くなり、実験者の筆者に とって相当厳しい内容の会議となった。しかし、日 本では普段お目にかかれない海外研究者の様々な 研究成果を聴ける機会が増えたという点を考慮す ると、会議に出席した意義は十分に大きかった。 会議は毎朝9時からのスタートであり、嬉しいこ とに開始 30 分前にクロワッサンとコーヒーが振舞 懇親会の料理の一つ われた。宿が会場と同じ建物にあるということもあり、誰よりも早く朝食に有り付くことがで き、満腹になるまでクロワッサンを堪能することができた。トピックスは、フラストレーショ ンと一言で言っても、カゴメ、グラス、スピン液体など伝統的なスピンの問題から、電荷、軌 道、トポロジーに関連する新しい問題まで非常に多岐に渡っていた。そのおかげで普段勉強し ないことをたくさん学べたが、あまりの情報量の多さに話についていくのに苦労したのも事実 である。勉強不足の筆者が全ての内容をフォローできるはずもなく、実験の内容で特に印象が 残った講演について少し御紹介したい。 初日の午前のセッションは、最近ホットな話題となっているカゴメの磁性であり、トップバ ッターとして廣井善二先生(東大物性研)が務められた。内容は第一回トピカルミーティング の際‘more perfect’と称された Volborthite の磁性であり、磁化プラトーをもつ物質を研究 している筆者にとっては Volborthite の磁化過程で現れる奇妙な磁化ステップに心を奪われた。 カゴメセッションの最後に、太田仁先生(神戸大)が強磁場 ESR によって他のスピン液体候補物 質(Herbertsmithite, Vesibnieite)も含めたカゴメの磁性を比較検討されていた。試料の純 良化に伴って微視的な情報が今まで以上に得られるようになってきており、どのカゴメも最低 温度まで磁気秩序が生じていないことは確からしいが、スピン液体の性質なのか外場に対する 応答がはっきりとはわかりづらく今後実験的にどのようにスピン液体を検証していくのか非常 に難しい問題のように感じた。二日目の午前に招待講演された H. Zabel 氏の話も、実験アプロ ーチが一風変わっていて興味深かった。彼はある一定のサイズの単一磁気ドメインをもつ強磁 性パーマロイ合金を正方格子上に作成することによって、向い合う4つの双極子モーメント間 に二次元版とも言えるスピンアイス状態を実現させていた。コロンブスのタマゴ的な発想で人 工的に磁気モーメント間の関係を制御した点は新鮮で面白かった。あと、構造の不均一性から 生じるリラクサー現象をフラストレーションの観点から考察された廣田和馬先生(阪大)、スピ ンギャップ物質 BaCuSi2O6 におけるトリプレットのボーズ・アインシュタイン凝縮について理論 と NMR から検討された N. Laflorencie, C. Berthier の両氏も印象に残った。 一方、ポスターについては実験に関する内容が多く、比較的楽に発表を聞くことができた。 特に印象に残ったポスターはちょうど筆者の隣で発表されていた F. Demay 氏のものである。 Demay 氏はデラフォサイト型 CuCrO2 の粉末中性子回折実験を行うことによって、面内に不整合の 伝播ベクトルをもった磁気秩序状態が発達していることを観測し、一方で c 軸方向には約 200 Å 程度の長距離秩序が発達していないことを提案していた。特に興味が惹かれたのは、比熱では 逐次相転移や二次元の磁気的相関を反映した温度二乗則が観測されており、この点において筆 者が取り組んでいるスピン 1/2 の二次元正方格子系(CuBr)Sr2Nb3O10 と共通していることである。 筆者の系に関しては 1/3 プラトー相はおろか基底状態すらまだ明らかにできていないが、CuCrO2 のような異常な磁気秩序が零磁場においても実現しているのではないかもしれない。今度予定 している中性子実験に期待したところである。ポスターの後にはブッフェスタイルの夕食会が あり、ご一緒させて頂いた P. Lemmens 氏や A. M. Oles 氏からチーズついて色々とお話が聞け たのは良い思い出である。ただ、とったチーズが意外と腹にこたえて全部食べきることができ なかったのが心残りである。 最後に、講演以外のことについて簡単に報告したい。会議場所はリヨンの中心街から近いこ ともあり、初日の会議終了後、とあるメンバーと一緒に中心街で夕食をご一緒する機会を得た。 星付きのレストランには遠く及ばないかもしれないが、それなりに有名らしい素敵なレストラ ンで食事をすることができた。当然、メニューはフランス語で書かれているので、半分博打的 な感じでオーダーしたが、無難においしい料理にありつけたのは幸運であった。次に中心街に でかけたのは会議の懇親会のときであり、店内がアンティーク調の素敵なレストランだった。 料理のほうも一言では言い尽くせないほどおいしく、美食の街を代表する味であったことは間 違いない。滞在期間は短かったが、それでもフランスの食文化を楽しむには十分な時間であっ た。 今回は初めての欧州訪問であったが、クロワッサンから様々な興味深い物理の講演、議論、 そして素敵なレストランに至るまで全てが充実しており、筆者の人生において極めて有益な国 際会議であった。最後になるが、国際会議の運営に尽力を注がれた日欧の主催者の方々に心か ら深く感謝致します。 会場
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