日本の翻訳通訳史(3) 明治・大正から昭和へ 児童文学

 日本の翻訳通訳史(3)
 明治・大正から昭和へ
 児童文学の翻訳
 戦争と通訳者
 戦後の復興と通訳者
 おまけ「現代における固有名詞翻訳をめぐる問題」
 明治のことば
文明開化と日本語
 講談社学術文庫 齋藤 毅 著
 文明開化により急激に流入した欧米文化は、それまでの日本に存在しなかった
思想、制度等をもたらした。明治の先人たちはこれらに伴う概念をいかに吸収
し、自国語として表現したか。「社会」「個人」「保険」「銀行」「主義」「自由」
等々、その後欠くべからざる語となる新しいことばを中心に、それらの誕生、
定着の過程を豊富な資料をもとに精細に分析する。
 明治大正翻訳ワンダーランド
新潮新書
 驚愕!
鴻巣 友季子
感嘆!
唖然!
恐るべし、明治大正の翻訳界。『小公子』『鉄仮面』
『復活』
『フランダースの犬』
『人形の家』
『美貌の友』
『オペラの怪人』……い
まも読み継がれる名作はいかにして日本語となったのか。森田思軒の苦心から
黒岩涙香の荒業まで、内田魯庵の熱意から若松賤子の身体感覚まで、島村抱月
の見識から佐々木邦のいたずらまで、現代の人気翻訳家が秘密のワンダーラン
ドに特別ご招待。
 明治期の翻訳文学(純文学)
 坪内逍遥(1859―1935)
 森鴎外(1862-1922)
シェイクスピア
リルケ、ドストエフスキーなど
 二葉亭四迷(1864-1909)
ツルゲーネフ
 尾崎紅葉(1868-1903)グリム、モリエール、ゾラ
 小栗風葉(1875-1926)
モーパッサン
 上田敏(1874-1916)
フランス象徴詩
 明治期の翻訳文学(大衆文学・児童書)
 黒岩涙香
『鉄仮面』
 若松賤子
『小公子』
 森田思軒
『探偵ユーベル』
 日高柿軒
『フランダースの犬』
 島村抱月
『人形の家』
庶民への翻訳文学の浸透
 最古の『ピーター・ラビット』の翻訳
 2007 年5月に「ピーター・ラビット」の最も古い他国語への翻訳が日本で発
見された。
 1906年(明治39年11月、12月)発行
日本農業雑誌
2巻
3号、
4号に掲載。
 作者ベアトリクス・ポターの名はなく、松川二郎の名で「悪戯な小兎」の題名
となっている。
 『ピーター・ラビットのおはなし』は1902年、イギリスのフレデリィック・
ウォーン社から出版されベストセラーになった。松川二郎氏の発表はわずか4
年後のこと。
 若松賤子
翻訳
『小公子』
 明治の初期に言文一致による翻訳を行い、翻訳児童文学ひいては児童を対象に
した口語体表現様式を開拓し、児童文学の近代化に寄与した。その訳文は森田
思軒や坪内逍遥などによって激賞された。
 1892 年前編
1897 年全編
 若松賤子
女学雑誌社
博文館
翻訳
『小公子』
冒頭
セドリツクには誰(たれ)も云ふて聞せる人が有ませんかつたから、何も知ら
ないでゐたのでした。おとつさんは、イギリス人だつたと云ふこと丈は、おつかさん
に聞ゐて、知つてゐましたが、おとつさんの没したのは、極く少さいうちでしたから、
よく記臆して居ませんで、たゞ大きな人で、眼が浅黄色で、頬髯が長くつて、時々肩
へ乗せて坐敷中を連れ廻られたことの面白かつたこと丈しか、ハツキリとは記臆てゐ
ませんかつた。おとつさんがおなくなりなさつてからは、おつかさんに余りおとつさ
んのことを云ぬ方が好と云ことは子供ごヽろにも分りました。
 『フランダースの犬』
 1908 年
明治の翻訳
日高柿軒訳
「清(きよし)と斑(ぶち)は世に頼る蔭なき寂しい身の上である。ふたりは
兄弟よりも親しい間柄で、清はフランスとベルギイの境を流るるミウスの川岸
に沿った田舎町アーデンスの生まれで、斑はベルギイの片田舎フランダース州
の産である。
……小屋の主は貧乏なよぼよぼした老人で、
徳爺さんといふのである。
固有名詞を分かりやすくするため日本名に。
 「豪傑訳」と「翻案小説」
 明治・大正時代の大衆小説の翻訳には原書に忠実でないものも多くあった。
 ストーリーや結末の改竄、省略や補足など、オリジナルを無視した翻訳は「豪
傑訳」と呼ばれた。
 外国の小説にヒントを得た創作もあり、これらを「翻案小説」と呼ぶ。
 故意に翻訳臭(欧文脈)を用いた文体で創作された作品も出てきた。
 翻訳文学による国語の変化
 社会、政治、経済、自然科学などに用いられる語の大幅な増加
 かつての漢文脈にかわる欧文脈の登場
中浜万次郎の英会話教科書にみられるように最初は英文も「訓読」しようとし
た。
 英文訓読では、一語一語を対応する日本語の単語に置き換える直訳法を採る。
 主語、指示語、人称代名詞、数量詞などが従来の日本文にくらべて大幅に増え
る。
「私は私の手の中にひとつのリンゴを持つ」的直訳
 大正から昭和へ
 明治時代から引き続き、外国文学の翻訳が盛んに行われた。
 昭和初期までにいわゆる「世界の名作」と呼ばれる作品はほとんど翻訳されて
いる。
 外国の推理小説、探偵小説、児童文学の翻訳により、翻訳文学が庶民に歓迎さ
れる。
 翻訳文学の影響を受け、推理小説や怪奇小説を発表する作家が出てきた。
 戦争と通訳者
 戦争、紛争時には従軍通訳者が必要。
 軍による強制的な徴用など、他律的に通訳者として使われる例と、自律的に(自
ら志願して)通訳者となる例。
 二つの文化、二つの祖国の狭間で悩むことも。
 渡辺潔(『アンクル・ジョンとよばれた男』)と
時実弘(『幻影の大連』)に描かれた通訳者の姿は「通訳」という業務範囲にと
どまらない。
 戦争と通訳者
『アンクル・ジョンとよばれた男』
リアム・ノーラン著、菅野和憲訳
 戦争と通訳者
時実弘著『幻影の大連』
関東局中国語通訳生の記録
 戦争と通訳者
(山崎豊子『二つの祖国』)
 通訳の歴史
 近現代における通訳の歴史
 日本生産性本部の視察団派遣
 世界の同時通訳の歴史
 日本の同時通訳-アポロ宇宙船の月面着陸
 近現代の通訳の歴史
 日本では第二次世界大戦後に通訳の需要が飛躍的に伸びてきた
 極東国際軍事裁判(東京裁判)
 山崎豊子の『二つの祖国』
:米軍将校となった日系人が極東軍事
裁判で同時通訳のモニターを担当
 進駐軍との折衝
 アメリカ進駐軍のために通訳を行う人材が集められた
 アメリカ大使館勤務にあった西山千氏も
 日本生産性本部の代表団派遣随行同時通訳者
 村松増美 『私も英語が話せなかった』
 東京裁判の通訳
 東京裁判では通訳者が通訳訓練を受けた専門家ではなく、また、被告と同じ国
籍の日本人、しかも外務省職員が多くいたこと、さらに通訳の正確さを確認す
る日系米人のモニター、及び、翻・通訳に関する異議の裁定を行う米軍人の言
語裁定官がいた、という特徴がある。本研究の目的はまずこの三層構造の通訳
手続きが採用された。
 映画「明日への遺言」
 映画「明日への遺言」
 第二次世界大戦の B 級戦犯として、その責任を裁判で問われた男・岡田資(た
すく)中将の、心打つ人間性に焦点をあてた『明日への遺言』(2008 年 3 月 1
日(土)公開)。
 裁判は、同時通訳を耳で聞きながら進行される。イヤホン内の通訳の声は、観
客には一切聴こえないのだが、本当に2名の同時通訳者により行われた。
 戦後の復興
日本生産性本部の視察団派遣
 1957 年、日本はアメリカの産業界視察のために大型代表団を派遣
 日本国内で日英通訳を行なう人材を募集
 通訳者はアメリカの国務省で通訳訓練を受けた
 当時、日英両国語間では語順が違いすぎるため同時通訳は無理だとの主張
 1951 年ごろ、西山千氏が進駐軍でウィスパリング形式の同時通訳をし
ていた
 生産性本部で通訳を行なった通訳者が帰国後に日本で初の通訳者養成学校を
設立
 世界の同時通訳の歴史
 同時通訳の始まり
 1926 年、IBM が同時通訳装置を開発
 1927 年、ジュネーブの国連会議で初めての同時通訳
 1928 年から、旧ソ連においてコミンテルン(共産党国際組織)で利用
 1935 年、当時のレニングラードで開催した国際生理学会でパブロフの
演説が英仏伊独語に同時通訳
 1945 年、ニュールンベルグ裁判、極東国際軍事裁判
 現在国連では公用語である英語、フランス語、スペイン語、中国語、ロ
シア語、アラビア語の同時通訳
 アポロ宇宙飛行の通訳
 NHK で 7 号から 17 号まで四年間にわたって放送
 米国で育った西山千氏が担当
 最初は同時通訳は出演者だけに聞こえていた
 その後、同時通訳者の声をそのまま放送
 アポロ 8 号から通訳者が画面に出るように
 視聴者から同時通訳をしている機械翻訳装置はどんなものかと
いう問い合わせがあったため
 このアポロの同時通訳によって日本国中に通訳者の存在が知られるこ
とになった
 西山千
『同時通訳おもしろ話』
講談社 2004 年
 鳥飼玖美子
新潮文庫
『歴史を変えた誤訳』
2004 年
原爆投下は、たった一語の誤訳が原因だった―。突き付けられたポツダム宣言に
対し、熟慮の末に鈴木貫太郎首相が会見で発した「黙殺」という言葉。この日本語は、
はたして何と英訳されたのか。ignore(無視する)、それとも reject(拒否する)だったの
か?佐藤・ニクソン会談での「善処します」や、中曽根「不沈空母」発言など。世界の
歴史をかえてしまった誤訳の真相に迫る。
現代における通訳・翻訳
 現代における通訳事情は、
講義の第2回~第7回で説明済みです。
 多言語化、国際化
 英語の翻訳通訳市場の拡大
 細分化、専門化
 業態の多様化
通訳市場の形成
--------------------------------------------------------------- おまけ
以下は次回の先出し
今でもある固有名詞の翻訳の問題
 アニメの登場人物などは現在でも異なる名前を付けられることがある
 とくに名前の音自体に意味がある場合は音訳が適切でない場合も
 たとえば、ドラえもんの登場人物は以下のとおり
のび太:康夫または大雄
スネ夫:小夫
ジャイアン:胖虎
 ドラえもん
ピカチュウ
「多啦 A 梦」 と「皮卡丘」
 ドラえもんの名前
《小叮噹》、
 《哆啦 A 夢》
(日語:ドラえもん),港译《多啦 A 夢》,舊譯《叮噹》、
《机器猫》等,此漫畫主人翁是一隻來自 22 世紀的機械貓,名为哆啦 A 梦。
 日本でも時代による変遷
 ポケモンの海外問題
 日本以外で ポケットモンスター と呼ばない理由
 海外の一部の国で商標登録されていた事や、英語圏(特にアメリカ合衆
国)においては、
「ポケット」は男性器の隠語でもあるため、
「ポケット
の化け物」では子供の遊ぶ健全なゲームのタイトルとしては不適切であ
ると言う判断から、日本国外ではタイトルの省略形「ポケモン
(POKÉMON)」を採用した。なお É の上のアクセント記号はこの E が
黙字でなく発音をもつ E であることを表す。
 書き換えられたカード(卍とハーケンクロイツ)
 再び、ドラえもんの名前……
 「哆啦 A 夢」:「DORAEMON」音の重要性?
 ドラ猫、ドラ焼き……
なぜ「ドラえもん」なのか
「ドラえもん」から連想されるものとは?
 「機器猫」
 猫型ロボット
 「小叮噹」って?
 ドラえもんがもしも中国で生まれていたら
 さらに、
固有名詞の翻訳が生んだ新たな問題
のび太、またの名は野比康夫
中国で「のび太」が大人になって総理になった、と話題に……
 形式が意味である場合
 意味と形式のどちらも保存することは不可能
実例:
 アジアの「てつじん」政治家
哲人/鉄人
 我が社の「きょうさい組合」
共済/恐妻
 説明することは可能
 形式だけ示すことは可能(意味は伝わらない)
 翻訳と受け手の関係
 翻訳には理想的な翻訳や模範的な翻訳は存在しない。
 ある時代の、ある社会の、ある読者にとって、より望ましい翻訳が存在するだ
けである
 翻訳は読み手によって評価される
 児童書、とくにアニメやマンガの翻訳において説明や注釈を加えることは望ま
しくない
 原作の力が言語あるいは翻訳における制約を超えて読み手に訴えることが重
要
 アニメキャラクターの名前をどう訳しますか?
どうしてそのように訳そうと思いますか?
 音を保存する
ドラえもん
DORAEMON
ピカチュウ
PIKACHU
哆啦 A 夢
皮卡丘
 意味内容を伝える
ドラえもん
Piglet
ROBO-CAT
コブタ
 新しい名前をつける
ドラえもん
小叮噹
鉄腕アトム
Astroboy
機器猫
小猪