目次 中小企業診断協会 東京支部 SCMビジネスモデル研究会 パソコンの先駆者 IBM PC(現在のパソコンのルーツ) WINTEL(Microsoft & Intel) 2004年1月24日(土曜日) 静岡産業大学 経営学部 ねぎた SSU Microsoftの覇権確立 みちひこ 禰宜田 廸彦 [email protected] [email protected] Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 日本(NEC)のパソコン史 1 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University パソコンの先駆者:Alto誕生 パソコンの先駆者:Apple Computer Alto 1973年 ゼロックス・パロアルト研究所 PARC:Xerox Palo Alto Research Center 1970年代初頭California州Palo Altに設立 ディスク内臓、ビットマップ、マウス操作、GUI 1976年 Steve Jobs と Steve Wozniac が設立 1978年 Apple Ⅱ発売→大ヒット、PCに新文化 当時のパソコン用途はゲームやマニア向け 1983年 Lisa(Altoが手本)発売 世界初のGUI(グラフィックユーザーインタフェース)搭載 高価(1万ドル以上)/処理性能が遅い 1984年 Macintosh 発売 低価格、GUIでIBM-PCに先行 DTP、CG、大学市場は独壇場 現在では唯一の非Windowsパソコン:根強いマニア 現在のパソコン、ワークステーションの基礎 高価格:商品化見送り、それほど普及せず PARCの貢献:多くのベンチャー誕生 イーサーネット オブジェクト指向言語 Small Talk WYSWYG(What You See is What You Get) Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 3 目次 4 IBM PC:1981年 巨人IBMのパソコン参入 当時IBMはメインフレームで世界シェア60%以上 パソコン開発部隊は社内では傍流 → リソース不足 他社製品採用 CPU:インテル、OS:マイクロソフト 従来の全を自社開発するという戦略を転換 BIOSインタフェースを公開するオープン戦略 ISV(Independent Software Vender)の賛同 → アプリケーションや周辺機器の充実 新戦略は当初大成功 → 互換機台頭で裏目に 後発にも関わらず、またたくまにトップシェア Compaq社 Deskpro386 → トップシェアへ パソコンの先駆者 IBM PC (現在のパソコンのルーツ) WINTEL(Microsoft & Intel) Microsoftの覇権確立 日本(NEC)のパソコン史 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 2 5 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 6 1 パソコン仕様の発展 MPU メモリー IBM-PC (1981年) 8088 4.77MHz PC-AT (1984年) 80286 6MHz 現在の家庭用 パソコンの例 PentiumⅣ 1.4〜3.2GHz 64KB 256KB 256/512MB グラフィックス ( CGA: 82 640×200) チャンスを逸したゲーリー・キルドール 外部記憶 FDD 320KB EGA 640×350 最大1600×1200 1677万色 FDD:1.2MB HDD:60〜160GB 20MB HDD CD-RW、DVD-RAM 拡張バス 8Bitバス /ポート 16Bitバス AT-BUS 32Bitバス:PCカード PCI、USB、IEEE1394 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University デジタルリサーチ(DR)社のPC用OS:CP/M 価格は1本75ドル:1970年代末までに50万本 IBMを重要視しなかったゲーリー・キルドール IBMが商談のため午前に訪問したとき不在 空を飛んでた/別の販売業者との商談を優先 午後返ってきたが、条件をめぐり商談は決裂 IBMの条件:数十万ドルで買取、名称変更 その後、IBMはCP/Mを契約したが マイクロソフトのPC-DOS:60ドル CP/M-86:240ドル Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 7 チャンスをつかんだマイクロソフト BASIC開発に始まるMicrosoftの戦略 IBMとDR社の交渉不調で、OSへの参入へ 当時マイクロソフトはOSを開発していなかった シアトル・コンピュータ社がQ-DOSを開発していた IBMとの件を明かさず、5万ドルで購入 マイクロソフトはQ-DOSをMS-DOSに IBMとの好条件の契約 著作件を確保しつつ、IBMからロイヤリティ収入 互換機メーカーにライセンス供与の権利確保 名称:IBMはPC-DOS、MicrosoftはMS-DOS Q-DOSのCP/M著作権侵害:DR社は追及せず Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University ポール・アレンがゲイツにBASIC開発を勧める ポピュラーエレクトロニクス誌1975年1月号 表紙を飾ったパソコン: MITS社のAltair8800 (ニューメキシコ州アルバカーキ) ゲイツが電話でMITS社にBASICを売込み 実機なしに、シミュレーションでBASICを開発 ポールアレンがMITS社に持込むと1度で動作 その後MITS社以外の企業向けにBASICを開発 マイクロソフトBASICが世界を制覇 未開発を売込→開発、クロス開発環境、世界制覇 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 9 Compaqの盛衰 10 1987年 IBMの反撃(クローズド政策)と挫折 1982年、Rod Canion(元TI社員)を中心に設立 戦略:最新技術をいち早く/高機能・高価格 1986年:世界初32ビットMPU搭載Deskpro386 IBMを抜き、世界一のパソコンメーカーに 先行企業利益享受:他社に数月先んじて新製品 新技術提案で業界のリーダーに EISA(32ビットバス)を他社と連携し策定 1991年:低価格化の嵐 → 業績悪化 → Canion更迭 Eckhard Pfeiffer:低価格路線へ変更→持ち直し DEC等買収→HPが買収:Carly Fiorina Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 8 11 PS/2(Personal System 2):互換機の排除政策 ISAバスに変わる32ビットバスMCA Micro Channel Architecture 従来互換性を切捨て → ISAバス1年後再採用 仕様の公開に制限:アプリケーションがそろわず OS/2 1.0:マルチタスク、ネットワーク向けOS 当時のWindows 2.0、Ms-Networkは機能不足 当初マイクロソフトと共同開発 → 決裂 その後単独でOS/2 2.0(’92)、OS/2 Warp(’94) 1995年のWindows NT 3.5により敗色濃厚に Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 12 2 目次 Wintelの強大化 情報技術分野におけるパソコンの比重拡大 1990年:Windows3.0(1991年に3.1)発売 Macintoshの独壇場であったGUIが可能に パソコンが一般の人にも普及するきっかけ クライアントサーバー、ダウンサイジング Wintel:WindowsとIntelの合成造語 OS:MicrosoftのWindows 3.0/3.1/95/98/Me・・・ MPU:Intelの386/486/Pentium・・・ Wintelによるパソコンの標準(推奨)仕様規格策定 PC95(Hardware Design Guide for Windows95)等 パソコンの先駆者 IBM PC(現在のパソコンのルーツ) WINTEL(Microsoft & Intel) Microsoftの覇権確立 日本(NEC)のパソコン史 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 13 Intel社MPUの攻防(1) Intel社MPUの攻防(2) 1971年: 世界初のMPU 4004(4ビット、108KHz) 当時ビジコン社の嶋正利氏が論理設計 1972年8ビットMPU8008(200Khz、16KBメモリ空間) 1974年: 8ビットMPU 8080(2MHz、64KBメモリ空間) 76:ザイログ社 Z80:上位互換、高速、低コスト 1977年:8086/88 IBMPCに採用(現在隆盛の基礎) 互換MPU台頭:NECのV30は8086より高速 1984年:80286 AMDにセカンドソースライセンス NEC等は互換機断念(知的所有権) AMDは低価格戦略をとり、シェア拡大 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 1986年:80386 AMDにセカンドソースせず AMDは高速低価格互換MPU開発:法廷闘争 1989年:80486 → 相次ぐ新製品で独占体制確立 知的所有権回避の新たな互換チップメーカー Cyrix(ナショセミが買収)Nexgen(AMDが買収) 1995年:Pentium 86を捨て、新しいネーミング Intel:Pentium4、Celeron、 AMD:Athlon(高機能)、Duron(低価格) Transmeta(省電力に注力):Crusoe、Efficeon 64ビット:IntelはItanium、AMDはOpteron/Athlon 64 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 15 Microsoft OSの歴史(1) 16 Microsoft OSの歴史(2) 1981年:Q-DOSを購入し、MS-DOSに 2.0(’83):HDD、3.0(’84):PC/AT、5.0(’91) Windows 1.0(’85)、2.0(’87)は普及せず Windows 386(’87):ディスクキャッシュとAP切替 (CompaqはDeskpro386にディスクキャッシュバンドル) 米国ではCompaq対抗で各社がバンドル OS/2:IBMとの共同開発 → 決裂:Windows NTへ OS/2 1.0(’87)、1.1(’88):PM付、1.2(’89) OS/2 2.0(’92) はIBM、3.0(RISC)はMSが計画 MS:OS/2 3.0(PM)をWin NT 3.1(WinのGUI)へ Windows 3.0/3.1(’92):Win 2.11とWin 386を一本化 GUI、マルチメディア、386の本格的サポート Macintoshが独壇場の分野へ参入 爆発的成功により、OS覇権の基盤確立 Windows 95:32ビット・プリエンプティブマルチタスク 家庭へのパソコン急拡大 一方でMS-DOSのしがらみ → 安定性に欠く MicrosoftはWindows NTへの一本化を目指したが NTは大きなリソースを要し、性能も今一歩 不本意なWindows 98、Meリリース、XPで一本化 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 14 17 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 18 3 Microsoft OSの歴史(3) Microsoftの強大化とその他施策 1993年Windows NT 3.1:必要リソース巨大 NT 3.5(’94)、3.51( 95) PCサーバー、PCワークステーション それまで独壇場のUNIXに比べ安価 MSの本格的NW-OS:Novellを逆転へ 1996年すべてのプロダクトをインターネット中心へ 出遅れ → 巨大企業としては稀有の大きな舵取り NT 4.0( 96):インターネット向けネットワーク Windows 2000:インターネットベース Windows Server 2003:セキュリティ強化 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University Intelも1995年NSP問題でMicrosoftの軍門に IntelはNative Signal Processingを開発中止 独禁法問題:したたかな対応で分割回避 90年代前半:ペンコンピューティング GoのPenPoint対抗としてWindows for Pen 90年代前半:ビデオオンデマンド 仕様発表はオラクルが先行 携帯情報端末:Palm Pilot 対 Windows CE ゲーム機:Playstation 対 Xbox サーバーアプリケーションの強化 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 19 目次 20 Microsoft アプリケーションの覇権 スイート・ソフト(Office)により、先行APを撃破 ワープロ:WordPerfect/一太郎 → Ms Word 表計算:Visicalc → Lotus 1-2-3 → Excel データベース:dBASE( Bolandが買収) → Access プレゼン:Presentation、Freelance → Power Point 先行した会社はスイートソフトで対抗したが 主力AP以外が非力、最新OSの仕様/現物入手問題 WordPerfect:Novellが買収 → Corelに売却 Lotus:notesを主力に → IBMが買収 Boland:1995年フィリップ・カーン解任 Competitive Upgradeで果敢に挑戦したが パソコンの先駆者 IBM PC(現在のパソコンのルーツ) WINTEL(Microsoft & Intel) Microsoft の覇権確立 日本(NEC)のパソコン史 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 21 ブラウザ戦争 1990年代初:RISCパソコンブーム 1992年 Mosaic開発:Marc AndreessenとEric Bina イリノイ大学NCSA → Spyglass社 1994年 Mosaic Communication → Netscape 設立 SGI創業者James Clark と Marc Andreessen ジム・バークスデール(元マッコウセルラー)CEO 瞬く間にブラウザ市場を制した(85%以上) Microsoft:Internet Explorer開発 ← Spyglass 無償提供 → OSにバンドル → 世界制覇 Netscapeは3.0( 96)以降急速にシェア低下 法廷闘争 → Netscape敗北 1998年 AOLがNetscapeを買収 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 22 Windows NT:x86に加えRISCのサポートを計画 ACE連合:MIPS社(後にSGIが買収)が中心 CISCであるx86に比し、高コストパフォーマンス AIM(Apple IBM Motorola)がPower PCベース CHRP(Common Hardware Reference Platform)発表 RISCパソコンが普及しなかった理由 Intel:80486(CRISCと称した)等開発加速 当時はWindows NTはOSとしてシェア小 アプリケーションや周辺機器が少ない 結果Windows NTはRISCサポート中止 23 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 24 4 1990年代後半:500ドルパソコン Javaフィーバー(1) NC(Network Computer) Reference Profile(1996年) Oracle、Sun Microsystems、AOL、IBM、Apple インターネットではクライアントはブラウザのみ 高価なIntelのMPU,大きなMicrosoftのOSは不要 → 500ドルパソコン、Javaのフィーバー 肥大化するTCO(Total Cost of Ownership)の削減策 NCはディスク無、ソフトをサーバーで集中管理 Microsoftの対抗策:Net PC、Windows Terminal 当初、NCは中途半端なものと無視 TCO議論の高まりにより対抗策 Java:インターネットを見据えた戦略的なOS 1995年Sun Microsystemsが発表:大反響 オープン環境:MPU やOSに依存しない インターネット上でインタラクティブなWebページ作成 Java Applet:Webサーバーからダウンロード Microsoft Officeに地位を奪われたISVの挽回策 Lotus、Corel、ジャストシステム等サポート表明 Microsoftの対抗策 Javaサポート:独自仕様の追加 → Sunとの紛争 Active-X強化:ソフトベンダーを誘導 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 25 目次 Javaフィーバー(2) 26 インタプリタ形式(翻訳しながら実行)のため性能が遅い パソコンの先駆者 性能問題が解決せず、汎用APのJava化は挫折 対策はJust in Time Compiler (翻訳しながら実行) とJava Chip(Javaのバイトコードを直接実行) Javaのメリット(仮想マシン)に反する Java Chipは開発挫折 Javaの現状 パソコン/クライアントではそれほど普及せず インターネットのAppletのみ サーバーのと非Windowsのプラットフォーム 現在でも人気は高い Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University IBM PC(現在のパソコンのルーツ) WINTEL(Microsoft & Intel) Microsoftの覇権確立 日本(NEC)のパソコン史 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 27 NEC:マイコン → 8ビットパソコン 16ビットパソコンPC9800の誕生 1976年:トレーニングキットTK-80発売 半導体部門が販売:MPU:μPD8080の拡販策 CPU,メモリ、16進KBがむき出しの基盤に サポートのため、秋葉原にBit-INN開設 富士通:LKit−8、日立:H68TRA、東芝:EX-80 77:精工舎:LEVEL1、 78:日立:Basic Master 1979年:PC-8001発売 N-BASIC搭載 ゲームソフトなど市販ソフトの充実 後継機種はソフト、拡張ハード資産を継承 1981年:PC-8801、PC-6001 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 28 29 1981年:国産初の16ビットパソコンは三菱のMulti16 1982年:16ビットパソコンPC-9801発売 PC-8000部隊ではなく情報処理部隊が開発 16ビットパソコンではソフトの重要性高まる。 ISV(Independent Software Vender)重視 NECパソコン上で動作するAP開発を依頼 PC-8800の資産活用:N88 Basic PC-100は技術的には優れていたが OSにMS-DOS採用 富士通はCP/M86採用 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 30 5 ソフトハウス、販売店支援 2種類あったNECの16ビットパソコン いわゆるパソコン:PC9800 (三菱:Multi16、東芝:PASOPIA16、富士通FM11) ビジネスパソコン:N5200/05(1981年) (富士通:9450(’81)、IBM:5550( 83)) ISV(ソフトハウス)対策 アプリケーションにMS-DOS(2.0まで)をバンドル 後継機開発時、互換性の確保 主要ソフトメーカーに対し、互換性検証依頼 自社で、アプリケーションの動作確認 アプリケーション開発支援:支援専門部隊 98アプリケーション情報 中小ソフトハウスにとってアピールの場 販売店技術者対策 支援専門部隊、コンテスト Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 用途は業務用とメインフレームの端末など アプリケーションは3rd Partyと自社開発 PC9800ののAP開発は基本的に3rd Party OAソフトLANシリーズは隠れたベストセラー LANWord、LANPlan、LanFile コンピュータ部隊が販売の主体 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 31 NEC対抗の動き(1) NEC対抗の動き(2) 1983年:MSX:アスキーが中心となった家庭用PC NECの他シャープも不参加、富士通は形だけ 1985年MSX2、その後MSX2+、 1987年:AX協議会:マイクロソフトが提唱 PC-AT互換機 + JEGA(日本語表示) 主要パソコンメーカは参加せず 1991年:OADG(Open Architecture Developing Group) 90:DOS/V(PC-AT互換機+日本語表示ソフト) 1992年:コンパック社の日本市場参入:低価格競争 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 1987年:エプソン互換機投入 エプソンから実機入手、BIOS調査 エプソンに著作権侵害の警告 エプソン:BIOS無機についで修正BIOS機発売 1988年:TRON 日の丸OS(東大坂村教授) 教育用パソコンのOSとしてTRON採用の動き NECは既存ソフトウェアの重要性を主張 TRONとMD-DOSの両方が動くパソコン開発 プロジェクトXなどでTORON潰しといっているが TORN以外を排除するのはフェアなの? Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 33 34 パソコンソフトウェア開発者の悩み PC-9800の変遷 1985年:PCー98XA → 1990年PC-98HA 高解像度(1024×768)、16ビットバスNESA 1985年:PC-98VM V30搭載 名機と呼ばれ、NECの絶対的優位確立 1986年:PC-98LT → 1988年:PC-9801LV21 ノートパソコン:一部互換 → 完全互換 1993年:PC-9821 MATE/FELLOW Windows対応、低価格対応 DOS/V機に対し日本語処理の優位を主張 1997年:PC-98NX PC-AT互換機 80年代:端末分野は急成長 → 開発量急増 PC-98:Microsoft製を98に移植する工数必要 技術者確保が最重要課題:社員増は望めない 協力社員で対処 → 開発ノウハウ蓄積困難 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 32 地方ソフト分身会社(子会社)で新入社員採用 新入社員を1年半受け入れ教育 管理者の地方ソフト分身会社への出向 開発体制:マトリックス組織 SBU担当(98、5200、6300、オフコン、ワープロ) 機能担当(ファイル、ネットワーク、GUI・・・) 35 Fuculty of Business Management Shizuoka Sangyo University 36 6
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