博 士 (情報科学) 岩 淵 ~ 禎 弘 学位論文題名 虚血・再灌流

博士 (情報 科学)岩 淵禎弘
学 位 論 文 題 名
虚血・再灌流時におけるアストロサイトの
機能動態変化と細胞外ATP―プリン受容体
シグナル伝達系に関する研究
学位論文内容の要旨
【背 景】 脳を栄 養する 血管の 閉塞や 狭窄 により 血流が 途絶す ると 、数分 で細胞 代謝活動は停止し、血
流停 止が 持続す るとエ ネルギ ー貯蔵 能カに乏しい神経細胞は死滅して早期の脳機能障害に陥る。また、
血流 再開 によル エネル ギー代 謝が回 復しても、虚血時間や虚血状態(梗塞部位や梗塞範囲)などにより
神経 細胞 の細胞 代謝活 動が回 復せず 、遅発性細胞死などが生じる。脳梗塞の治療法としてほ、早期に血
栓部 位を 治療し て血流 回復す る以外 の有 効な治 療法は なく、 血栓 溶解剤 (
tPA
)の臨床使用が海外で行
われ てい るが、 t
-P
Aの投 与によ り神経細胞が死滅するとの報告もある。したがって、脳虚血性疾患の複
雑な 発症 胎癒メ カニズ ムを解 明し、 画期 的な治 療法を 探索す るこ とは極 めて意 義のある研究である。
こ れまで は、神 経細 胞と共 に中枢神経系を構成しているグリア細胞(アストロサイト)は単なる神
経細 胞の 支持体 として 考えら れてい た。しかし近年、アストロサイトは脳虚血などの障害時には積極的
にそ の形 態・機 能を変 化させ て神経 細胞保護作用を示すことが報告されている。具体的には、虚血・再
灌流 時に おいて 、グリ ア細胞 は神経 栄養因子を放出して、残存している神経細胞の軸索突起の再伸長な
どを 促す など、 脳内ネ ットワ ークの 再構築に寄与していることが示唆されているが、形態変化したアス
トロ サイ ト自身 が正常 な血管 を圧迫 して障害をもたらす(再灌流障害)ことも報告されており、詳細は
不明 な点 が多い 。中程 度の脳 虚血後 にはアストロサイトが主役となり脳内の環境が改善されるにも関わ
らず 、こ れまで アスト ロサイ ト単層 培養系を用いた虚血ストレスへの応答、すなわちアストロサイト自
身の 虚血 ・再灌 流時の 挙動に 着目し た研 究は殆 ど行わ れてい ない 。
【 目的】
本研 究では 、アス トロサ イト におけ る虚血 耐性メ カニ ズムの 解明を 目的と し、特 にAT
P感
受性 プリ ン受容 体(P
2Yr
ec
ept
or
s)
を 介した シグ ナル伝 達機構の虚血耐性効果の関与にっいて研究を行
った 。虚 血後の アスト ロサイ ト間で は活発な情報伝達のやり取りがなされているはずであり、それらが
広範 囲に おける 虚血耐 性効果 獲得メ カニズムに寄与するものと考えた。とりわけアストロサイト問の情
報 伝達機 構であ るCa
z+wa
ve
sのdy
na
mic
sが虚血 処置前 後で 変化す る可能 性が考 えられ たの で、ca
ged
ca
lci
umi
on
oph
or
eを用 いてCa
2十wa
ves
を虚 血処 置後の アスト ロサイ ト培 養系に おいて 誘導し 、その
dy
na
mi
csの変化 と虚血 耐性と の機 能連関 を検証 した。
【結 果・ 考察】 まず、 新生児 ラット 大脳 皮質由 来アス トロサ イト 培養系 に対し て、虚血模擬処置であ
る脱 酸素 ・脱グ ルコース処置(
ox
y
ge
n
-g
l
uc
o
sede
p
ri
v
a
ti
o
n;OG
D
)を施し、虚血耐性効果の存在を確認し
―4
2―
た 。 培 養 系 に OGD処 置 を 行 い 、 通 常 培 養 す る こ と で 再 灌 流 模 擬 と し た 。 ア ス ト ロ サ イ ト に 対 し て は 4
時 間 未 満 の OGD処 置 は 非 致 死 的 な 虚 血 模 擬 (sublethal OGD; sOGD)処 置 で あ り 、 8時 間 以 上 は 致 死 的
で あ っ た 。 ま た 、 sOGD処 置 を 行 っ た 1日 後 (preconditioning; PC処 置 ) に 再 び 致 死 的 な OGD処 置 を 行
う と 、 有 意 に 致 死 的 OGDに よ る 細 胞 死 が 抑 制 さ れ た 。 し た が っ て 、 ア ス ト ロ サ イ ト 培 養 系 に お い て 確
か にPC処 置 に よ り虚 血 耐 性 効 果 が 獲得 さ れ る こ と が わ かっ た 。
ア ス ト ロ サ イ ト 培 養 系 に caged calcium ionophoreを 導 入 し 、 紫 外光 (350 nm)を 局 所的 に 照 射 す る
こ とで 、 目 的 と す る 細胞 群 に お け る 細 胞内 Ca2゛ 濃 度 ( [ Cali) を 上 昇 させ る ことが 可能 であっ た。 また、
“ [Ca2+J,の 上 昇” とぃう 情報 が、次 々と 周囲の アス トロサ イト に伝搬 され る“Ca2十waves” がcaged calcium
ionophoreを 用 い る こ と で 非 侵 襲 的 に 誘 導 可 能 で あ り 、 非 OGD処 置 群 で は 主 に 細 胞内 ギ ャ ッ プ 結 合 を 介
し た 伝 搬 経 路 で 伝 達 す る こ と が わ か っ た 。 一 方 、 sOGD処 置 後 の 再 灌 流 1時 間 ( 初 期 ) 、 再 灌 流 1日 後
( 後 期 ) で は 、 Ca+ wavcsの 伝 搬 速 度 、 伝 搬 距 離 が 非 ( ) GD処 置 群 よ り も 有 意 に 亢 進 し て い た 。 soGD
処 置 に よ り Ca2+ wavesが 亢 進 す る 現 象 の メ カ ニ ズ ム を 解 明 す る た め 、 soGD処 置 後に 細 胞 内 情 報 伝 搬 経
路 に関 連 す る ギ ャ ッ プ結 合 タ ン パ ク 質 (conne】 dn43; Cx43) の 発 現 量 、 活 性化率 など を調査 した が、sOGD
処 置 有 無 群 で 明 確 な 差 は 認 め ら れ な か っ た こ と か ら 、 細 胞 内 情 報 伝 搬 経 路 の 活 性 化 に よ りCa2+ wavcs
が 亢 進 し た 可 能 性 は 低 い こ と が 示 唆 さ れ た 。 そ こ で 、 非 Oく m処 置 群 で は Ca2+ wavcsの伝 搬 に あ ま り 関
与 し て い な い 細 胞 外 情 報 伝 搬経 路 ( ATP.  ̄ P2Yreccptorsシ グナ ル 伝 達 経 路 ) が、 sOGD処 置後 で は 活 性 化
( 誘 発 ) す る 可 能 性 が 考 え ら れ た ので 、 細 胞 外 A11P濃 度 ( D虹 P] 。 ) な ら ぴ にP2Yreceptorgの 発 現 量 を
調 査 し た 。 soGD処 置 直 後 な ら び に 再 灌 流 初 期 で は 明 ら か に 叫 司 。 上 昇 が 認 め ら れ 、 再 灌 流 中 に ArP放
出 経路 の ー っ で あ る hemich曲 nelsを 阻害 す る と 、 [ ATP] 。上 昇 が 抑 制 さ れ た。 ま た sO( m処 置 再灌流 初期
で は P2Yl′ 2Y2rcceptorsの 発 現 量 な らび に 各 種 拮 抗 剤 に対 す る 感 受 性 は 、非 O( 〕D処 置 群と 比 較 し て 有
意 に 増 加 し て い た 。 ま た P2Yrec叩 torS阻 害 剤 を 負 荷 す る こ と で 、 soGD処 置 再 灌 流 初 期 に お け る Ca2十
w轟 csの 亢 進 は 抑 制 さ れ た 。 以 上 の 結 果 よ り 、 soGD処 置 再 灌 流 初 期 で は ArPlP2Yrecepね rsシ グ ナ ル 伝
達 経路 が 活 性 化 し た 結果 、 Ca2+ wavesが 亢進 す る こ と が わ かっ た 。
最 後 に OGD耐 性 効 果 獲 得 メ カ ニ ズ ム に TP‐ P2Yreceptorsシ グ ナ ル 伝 達 経 路 の 活 性 化 が 関 与 し て い
る か を 調 査 し た と こ ろ 、 sO( m処置 再 灌 流 初 期 に おい て は 、 A11P‐ P2Yreceptors伝 達 経 路 の下 流 シ グ ナ ル
で あ る Aktや ERK1/ 2が 活 性 化 さ れ て お り 、 再 灌 流 後 期 で は 再 灌 流 初 期 に お け る EI水 1′ 2の 活 性 化 が も
た ら す 、 転 写 調 節 因 子 c一 Fos、 c ̄Junの 発 現 量 が 亢 進 して い た 。 ま た 、 P2Yreceptors、 ERKl/2阻 害 剤 を
sOGD処 置 再 灌 流 期 間 中 に 負 荷 し た と こ ろ 、 そ の 後 の 致 死 的 な 0GD処 置 に 対 す る 抵 抗 性 が 消 失 し た 。
【 結 語 】 ア ス ト ロ サ イ ト 自 身 が O( m耐 性 効 果 を 獲 得 す る た め に は EI水 1/2を 介 し た ArP− P2Yreceptors
シ グ ナ ル 伝 達 経 路 、 す な わ ち Ca2+ wavesに お け る 細 胞 外 伝 搬 経 路の 活 性 化 が 必 須 で あり 、 s0( m処 置 後
に 早 期 に 活 性 化 さ れ た ATP_ P2Yreceptorsシ グ ナ ル 伝 達 経 路に よ り 転 写 調 節 因子 の 発 現 が 亢 進 し 、様 々
な 遺 伝 子 発 現 が 変 化 す る こ と が 致 死 的 な 0GDstressに 対 す る 耐 陸 効 果 に 寄 与 し て い る こ と を 示 し た 。
OGD中 の A田 放 出 メ カ ニ ズ ム な ら び に 0GD耐 性 効 果 に 寄 与 す る 転 写 調 節 因 子 活 性 化 と 新 規 タ ン パ ク
質 産生 と の 機 能 連 関 の解 明 と が 今 後 に 残さ れ た 重 要 な 課 題 であ る 。
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学位論 文審査の要旨
主査 教 授 河原 剛一
副査 教 授 遠藤 俊徳
副査 准教授 岡嶋孝治
学 位 論 文 題 名
虚 血・再灌 流時にお けるアストロサイトの
機 能 動 態変 化 と 細胞 外 ATP
― プリン 受容体
シグナル伝達系に関する研究
脳を 栄 養す る血管の閉塞 や狭窄により血流が 途絶すると、エネ ルギー貯蔵能カに 乏しい神経細胞は死 滅し
て早期の脳機 能障害に陥る。血流 再開後も虚血時間 や虚血状態により 神経細胞の細胞代謝活動が回復せず、
遅発性細胞死 などが生じるため、 脳虚血性疾患の複 雑な発症/治癒メ カニズムを解明し、画期的な治療法を
探索 す るこ とは極めて意 義のある研究である 。これまでは神経 細胞と共に中枢神 経系を構成している グリ
ア細 胞 (ア ストロサイト )は単なる支持体と して考えられてい たが、障害時には 積極的にその形態・ 機能
を変 化 させ て神経細胞保 護作用を有すること が報告きれている 。中程度の脳虚血 後にはアストロサイ トが
主役 と なり 脳内の環境が 改善されるにも関わ らず、アストロサ イト単層培養系を 用いた虚血ストレス ヘの
応答 、 すな わち虚血・再 灌流時の挙動に着目 した研究は殆ど行 われていない。虚 血後は細胞間で活発 な情
報伝 達 のや り取りがなさ れているはずであり 、それらが広範囲 における虚血耐性 効果獲得メカニズム に寄
与す る もの と考え、特に アストロサイト間の 情報伝達機構であ るカルシウム波の 虚血処置後のdy
na
mic
sの
変化 と A
TP感受性 プリン受容体(P
2Y re
ce
pt
ors
)を介したシグナ ル伝達機構の虚血 耐性効果の関与につ いて
研究を行った 。
新 生 児ラ ット大脳皮質 由来アストロサイト 培養系に対して、 虚血模擬処置であ る脱酸素・脱グルコ ース
処置(o
xy
ge
n-g
lu
co
se de
pr
iv
at
ion
; OG
D)を施し、通常培養す ることで再灌流模擬とした。本手法によるO
G
D
処置 で は、 4時間 未満 は 非致 死的 な虚血模擬 (
su
bl
eth
al O
GD
;s
OG
D)
処置 であり、8時間以上はアスト ロサ
イトに対して 致死的であることが わかった。また、 s
OG
D処置を行って 再灌流した1日後(pr
ec
on
di
t
io
n
in
g
;
PC
処 置 )に 、再 ぴ 致死 的な OGD
処 置 を行 うと 、 P
C処 置を 施 さな いア ス トロ サイ トと比較して、有意 に細
胞死 が 抑制 された結果よ り、P
C処置により虚 血耐性効果が獲得 されることがわか った。次に虚血処置 後の
アストロサイ ト間のカルシウム波 のdy
n
am
i
cs
の変化を検証した。培養系にca
g
edca
l
ci
u
mi
o
no
p
ho
r
e (c
a
ge
d
)
を導 入 し、 紫外 光 (
350 n
m)を 局所 的に 照 射す るこ と で、目的 とする細胞内のカ ルシウムイオン濃度 を上
―44
−
昇 さ せ る こ と が 可 能 で あ っ た 。 ま た 、 こ の “ カ ル シ ウ ム イ オ ン 濃 度 の 上 昇 ”と い う情 報 が、 周 囲の アス ト ロ
サ イ ト に 伝 搬 さ れ る “ カ ル シ ウ ム 波 ” が 誘 導 さ れ 、 非 OGD処 置 群 で は 主 に 細 胞 内 ギ ャ ッ プ 結 合 を 介 し た 細 胞
内 伝 搬 経 路 で 伝 達 す る こ と が わ か っ た 。 一 方 、 sOGD処 置 後 の 再 灌 流 1時 間 ( 初 期 ) 、 再 灌 流 1日 後 ( 後 期 )
で は 、 カ ル シ ウ ム 波 の 伝 搬 速 度 、 伝 搬 距 離 が 非 OGD処 置 群 よ り も 有 意 に 亢 進 し て い た 。 sOGD処 置 後 に ギ
ヤ ッ プ 結 合 タ ン パ ク 質 (connexin 43; Cx43)の 発 現 量 や 活 性 化 率 な ど を 解 析 し た が 、 明 確 な 差 は 認 め ら れ な
か っ た 。 そ こ で 細 胞 外 伝 搬 経 路 (ATP-P2Y receptorsシ グ ナ ル 伝 達 経 路 ) が 、 sOGD処 置 後 で は 活 性 化 す る
可 能 性 が 考 え ら れ た の で 、 細 胞 外 ´ 虹 甲 濃 度 ( [ ATP] 。 ) な ら び に P2Y rec・ eptorsの 発 現 量 を 解 析 し た 。 再 灌 流
初 期 で は hemichannels由 来 で [ ATP] 。 は 上 昇 し 、 P2Yrcccptorsの 発 現 量 も 有 意 に 増 加 し て お り 、 P2YreccptorS
阻 害剤 を負 荷することでカル シウム波の亢進は抑 制された。以上の 結果より、再灌流 初期では細胞内伝搬
経 路 の 活 性 化 で は な く 、 主 に ATP・ P2YreceptorSシ グ ナ ル 伝 達 経 路 が 活 性 化 し た 結 果 、 カ ル シ ウ ム 波 が 亢 進
す る こ と が わ か っ た 。 加 え て 再 灌 流 初 期 に お い て 、 ATP‐ P2YfeceptorS伝 達 経 路 の 下 流 シ グ ナ ル で あ る Akt
や EIK1/ 2が 活 性 化 さ れ て お り 、 再 灌 流 後 期 で は 再 灌 流 初 期 に お け る EIKl/2の 活 性 化 が も た ら す 、 転 写 調
節 因 ′ 子 cー Fos、 c一 Junの 発 現 量 が 亢 進 し て い た 。 ま た P2YrcceptorS、 EI取 1/2阻 害 剤 を PC処 置 後 の 再 灌 流 期
間 中 に 負 荷 し た と こ ろ 、 そ の 後 の 致 死 的 な O( m処 置 に 対 す る 抵 抗 性 が 消 失 し た 。
こ れ を 要 す る に 、 著 者 は 、 ア ス ト ロ サ イ ト が 虚 血 耐 性 効 果 を 獲 得 す る た め に は EIuく 1/2を 介 し た ATP― P2Y
receptorsシ グ ナ ル 伝 達 経 路 、 す な わ ち カ ル シ ウ ム 波 に お け る 細 胞 外 伝 搬 経 路 の 活 性 化 が 必 須 で あ り 、 soGD
処 置後 に早 期に活性化された 細胞外シグナル伝達 経路により転写調 節因子の発現が亢 進し、様々な遺伝子
発 現 が 変 化 す る こ と が 、 致 死 的 な OGDstr・ essに 対 す る 耐 性 効 果 に 寄 与 し て い る こ と な ど 多 く の 新 知 見 を 得
た もの であ り、生体情報科学 とくに細胞情報科学 に対して貢献する ところ大なるもの がある。よって著者
は 、 北海 道大 学 博士 ( 情報 科 鈞の 学 位を 授与 さ れる 資 格あ る もの と認 め る。
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