大山道 ・橋 本宿 の巻

発見!!
おおやまみち
は し もとじゅく
まき
大山道・橋本宿の巻
● はじめに
しゅくば
し
橋本には、むかし宿場があったのを知っていますか?
おおやま
まい
ひと
い
き
かいどうぞ
大山にお参りする人が行き来した大山道の街道沿いにあった宿場で、
たび
と
やす
つか
からだ
旅をする人たちはここで泊まったり休んだりして疲れた 体 を休め、
め
ざ
また大山を目指していきました。
こんかい
しら
今回はこの大山道と橋本宿について調べてみました。
かいどう
● 大山道(大山街道)
・橋本宿
まい
ひとびと
げんざい
か な が わ
とうきょう
ち
ば
さいたま
とお
ふくしま
な がの
にいがた
おとず
大山にお参りした人々は、現在の神奈川・東 京 ・千葉・埼玉だけでなく、遠く福島や長野・新潟などからも 訪 れていて、その人たちが行き来した道を「大山
よ
道」または「大山街道」と呼んでいました。
ぶしゅう
ほうめん
はちおうじ
とお
ご て ん とうげ
こ
さかいがわ
りょうごくばし
わた
つ
しょうほう
武州(埼玉)方面から八王子を通って大山参りに行く人々は御殿 峠 を越えて境 川 を両 国 橋で渡り、橋本宿にたどり着きました。橋本宿のあった橋本村は正 保
あいはらむら
わ
たんじょう
ころ
きょうほう
むらめいさいちょう
3(1646)年相原村から分かれて誕 生 しました。宿場がいつ頃できたのかは、はっきりとはわかりませんが、享 保 21(1736)年の村 明 細 帳 (※1)
まいにち て ん ま
とう
にんそく
よ うい
けん
いえ
き ろく
には「毎日伝馬4頭、人足4人が用意されていて、48軒の家があった」ことが記録されています。
こう ふ く じ ちか
さんのうやま
とくもとねん ぶつとう
あ き ば だいごんげん
ひ
のこ
あた
りょうがわ
はったつ
みなみ
かみじゅく
なかじゅく
両国橋から香福寺近くの山王山(現在、徳本念仏塔や秋葉大権現の碑が残されている辺り)まで、大山道をはさんだ両 側 に発達した宿場は、南 から上 宿 、中 宿 、
しもじゅく
下 宿 とわかれていました。
ふ きん
ば くふ
こうさつば
また両国橋付近の宿場入り口の両側には幕府の高札場(※2)があったと言われています。
ざんねん
てんぽう
お お か じ
いえ
もん じょるい
も
よ うす
し
しりょう
のこ
残念なことに天保12(1841)年、橋本宿は大火事で家や文書類が燃えてしまったため、現在はあまりくわしい資料が残っていません。
がいよう
しる
ちょうぼ
きちょう
※1:江戸時代に村の概要を書き記した帳簿。江戸時代の村の様子を知るのに、貴重な資料。
き
きんせい
いた
か
ひと どお
※2:高札場:幕府の決めたおきてや禁制などを板に書いたもので、人通りの多い場所に立てられました。
●
宿場(町)
ようしょ
りょ こうしゃ
や どや
江戸時代、街道の要所にあり、旅行者が泊まるための宿屋
きゅうそく
ち ゃや
や、 休 息 のためのお茶屋などがあった場所をこう呼びま
じ んば
か
おく
つ
せ つび
す。また人馬を替えて次の宿場まで送り継いだりする設備
もありました。
こうつう ろ
せ いび
たん
江戸時代交通路が整備されると、街道にある宿場町も単
ちゅうけいち
しょうぎょう
なる中継地としてだけでなく、 商 業 も発達しお店も多く
なら
へいせいがんねん
平成元年3 月に橋本 2 丁目の
く よ う づか
し き ち な い
供養塚の敷地内に「大山道」
ひょうちゅう
た
の標 柱 が建てられました。
立ち並んでいたようです。
た い ま じゅく
現在の相模原市内の大山道には橋本宿の他に当麻 宿 も
こうしゅう
おばらじゅく
よし
発達しました。また甲 州 街道の宿場としては、小原宿や吉
のじゅく
野宿などがありました。
(発見!!さがみはら21号「甲州街道」も見てください。
)
大山道と橋本宿
よこはません
ふみきり
横浜線の踏切には〝大山街道”の名前が残っています。
●
大山
たんざわ さ ん ち
なんとうぶ
ひょうこう
現在でも登山者でにぎわう大山は丹沢山地の南東部にある 標 高 1252
うつく
すがた
ふる
しんこう
mほどの 美 しい 姿 の山です。
「アフリサン」とも呼ばれ、古くから信仰の
ば
あが
場として人々に崇められてきました。
へいあん
さんがく
しゅぎょうしゃ
やまぶし
あつ
平安時代には、山岳信仰の場として多くの修 行 者(山伏)が集まり、ま
ほうさく き が ん
むびょう そくさい
しょうばいはんじょう
あ まご
た江戸時代には、豊作祈願・無病息災・ 商 売 繁 盛 、そして雨乞いなどの
おとず
ために多くの人々がこの山を 訪 れています。
●
精進場(しょうじんば)
ほくたん
じょうりゅう
橋本宿の北端にある両国橋の 上 流 に「精進場」と呼ばれるところがあり、
あ
大山参りの人たちがそこで水を浴びたと伝えられています。
きよ
なが
つ
武州方面からの旅人は、御殿峠を越えると清らかな流れの境川にたどり着き
ろっこんしょうじょう
とな
ます。そこで人々は川に入り、「六根 清 浄 (※3)」と唱えながら水を浴び
て体を清め、また大山を目指しました。「精進」とは体を清めることを言い
ぶっきょう
ます。 ※3:六根清浄:心身ともに清らかになるために唱える 仏 教 のことば
〈参考にした本〉
・『橋本の歴史ガイド・ブック』
橋本の歴史を知る会/編 橋本の歴史を知る会 2015 (K1-21)
・『橋本の昔話』
加藤重夫/編著 ぎょうせい 1985 (K1-20)
・『さがみはらの地名』
相模原市教育委員会/編 相模原市教育委員会 1990 (K1-29)
・『境川・柏尾川・引地川を歩こう』
久米準/著 230クラブ新聞社 2000 (K9-29/町田)
・『相模原の史跡』
座間美都治/著 座間美都治 1977 (K1-21)
だい
ごう
第47号
平成 27年3月
発行:相模原市立橋本図書館
でんわ:042-770-6600
ファックス:042-770-6601
ホームページ
http://www.lib.sagamihara.kanagawa.jp/index.html