現代語訳 恵信尼文書 ―大谷嬉子『恵信尼公の生涯』― 譲状・第1通 (表書) わかさ殿のお局言上願います ちくぜん 前に差しあげた文書(使用人の譲り状)も、火事で失われたかと存じますので、改 めてお送り申しあげます。あなたさまの方へお渡しすることになっておりますのは、 「けさ」と申します女、年は36歳。また、その娘ので「なでし」と申しますのは、今年16 歳の者。それに9歳になります娘と、親子3人でございます。また、「けさ」の継母の連 れ子。その娘の「いぬまさ」、当年12歳。「ことり」と申す女、34歳。それと、「あんとう じ」と申す男。それから「けさ」にできました、今年3歳になります男の子は、他家の使 用人の間に生まれましたので、父方へ引き取らせました。こちらの女たちが、たいて -1- い、他家の使用人と夫婦関係になっておりますのは、まことに面倒なことでございま す。 以上、合わせて女6人、男1人の、総計7人になります。 建長8年丙辰の歳7月9日 (花押) 譲状・第2通 (表書) わかさ殿言上願います ちくぜん 先ごろ、私の方から王御前(覚信尼)の方にお渡ししました使用人たちの文書を、 火事で焼かれたたと伺いましたので、前に都へ行くついでを頼んでお送り申しました が、確かに届いたかどうか分かりませんので、この度の使いは信用がおけますから、 また申し送ります。あなたさまの方へお渡しいたしました使用人は「けさ」という女。そ の娘「なでし」の16歳。その妹の「いぬおう」の年9歳。また「まさ」という女と、その娘 「いぬまさ」歳12歳。その弟で7歳の者。さらに「ことり」と申す女と「あんとうじ」という 男。以上合わせて大人と子ども8人でございます。この人たちについては、今さら、 誰も異義を申し立てることもないと思いますが、使用人たちの成り行き如何とも分かり ませんので、書き留めるのでございます。 建長8年9月15日 王御前へ 恵信(花押) (追伸) また、「いづも」のことは、私のところから逃げてしまいましたから、本当の気持ちも 分かりません上、子どもも一人もございません。それに病身で、命もそう長くはなさそ うでございますが、一昨年そのことは申しあげて、その償いを品を差しあげておきま したから、おそらくご承知と存じます。どうかお忘れにならぬように願いあげます。 -2- (花押) もう、あまりに歳をとりましたので、手も振るえて花押などもきれいに書くことはでき ないでございましょう。そうだからといって、この文書をお疑いになってはなりません。 (花押) 第1通 昨年の12月1日付のお手紙は、同月20日過ぎに確かに拝読いたしました。何は おいても、殿がお浄土にご往生あそばされましたことは間違いなく、改めて申すに及 びません。 殿が比叡山を降りられ、六角堂に100日の間お籠もりになり、後世の助かるように 祈念あそばしましたら、95日目の明け方、夢の中で聖徳太子が偈文を唱え終わら れて、菩提の道をお示しくださいましたので、すぐその夜明けに六角堂をお出ましに なり、後世の助かるご法縁にあわせていただこうと、お訪ねになって、法然聖人にお 会いになりました。そして、六角堂に100日お籠もりになっておいでになりましたとき のように、また100日の間、雨の降る日も晴れた日も、どのような大変なお差し支え のあるときでも、聖人のもとへお通いになっておりましたが、後世の助かることについ てだけは、善人であろうと悪人であろうと変わりなく、生死の苦から逃れるためには、 ただ一筋にお念仏を称えよと仰せられましたのをお聞きになり、そのお言葉を堅く守 っておいでになりましたので、「法然上人のおいでになるところへは、他の人が何と 言おうと、もし地獄へおいでになるであろうと言おうとも、お供をする。遠い過去から、 ずっと迷いの世界をさまよってきた身なのだから、そうなったとしても、もともとのこと であったろうとさえ思っている私なのであるから」と、人がお念仏について色々申しま したときにも、仰せになったのでございました。 それから、常陸の国、下妻というところに境の郷という場所がありますが、そこにお りましたとき、このような夢を見ました。お堂の落慶供養らしく、そのお堂は東向きに 建っておりましたが、宵祭りらしく、お堂の前には立て燭(たてあかし)が明るうござい -3- ますのに、立て燭の西、お堂の前に、鳥居のように横木を渡したものに仏さま御影 (ごえい)がお掛け申してありますが、一つの方は普通の仏のお顔であらせられず、 ただ光の真ん中が仏さまのお頭(おつむ)から発している光のようで、本当のお姿は 拝見することができません。光だけであらせられます。もう一つの御影は、確かに仏 さまのお顔でいらっしゃいましたので、「これは何という仏さまでおいでになりますか」 と申しますと、答える人は誰か分かりませんが、「あの光だけであらせられるのは、あ れこそ法然上人でいらっしゃいます。勢至菩薩その方でおいでになりますよ」と申し ますので、「それでは、もう一つの御影は」と聞きますと、「あれは観音菩薩であらせら れますよ。あれこそ善信の御房ですよ」というのを聞いたかと思うと、目が覚めました ので、夢であったと分かりました。 そうではございますけれども、そのような夢のことは他人などに話すものではない と聞きましたし、私がそのようなことを申しましたら、人は本当だとは思ってくれますま いから、はじめから誰にも申さず、法然上人の御事だけを殿に申しあげましたので、 「夢には色々の種類があるけれども、これは正夢(まさゆめ)である。上人が勢至菩 薩の化身であられる夢を見ることは方々で度々あるというし、勢至菩薩は至上の 智慧そのものであらせられる。その智慧はまた、光明としてあらわれておいでにな る。」 と仰せになりましたが、殿が観音菩薩の化身であられる夢を見たことは申しあげませ んでしたけれども、そのときから、私は心の中では、普通の人と思わずにお仕えして まいりました。あなたさまもこのようにお心得おきください。 ですから、殿のご臨終がどのようであられましても、お浄土へのご往生は間違いな いと堅く信じておりますし、また同様に、益方もご臨終にお会いなされましたこと、親 子の縁が結ばれていたからとは申しながら、よくよく深深いご縁がおありになったこと と思うと、嬉しく嬉しく存じます。 (追伸) この手紙は、殿が比叡山で堂僧を勤めておいでになりましたが、山を降りて六角 堂に100日間お籠もりになり、後世の助かるようお祈りになりましたとき、95日の明け 方、聖徳太子がお現われになってお告げになったときの御文でございます。あなた さまにご覧いただこうと、書き記して差しあげます。 -4- (三伸) また、当地は昨年の作物の出来が特に悪く、驚くほどでございまして、みなの命さ えも危なく思っております間に、私も住居を変わりました。凶作は私どもの所だけで なく、益方の方も、また頼りにしております人の領地なども、おしなべてみんなこのよ うでございます上、世間一般も被害を受けておりますので、とてもあれこれと頼みに 参る所もございません。 このようにしておりますうちに、長年使っておりました使用人も、男二人が正月に死 んでしまいました。どうして耕作したらよいのやら、その方法もございませんので、い よいよ人の世が心細うございます。私自身は余命いくばくもない身ゆえ、この世の中 が気にかかるはずもないのでございますが、私がひとり暮らしではございませんので ―。 こちらには親のない小黒の女房の女の子と男の子がおります上、益方の子どもも こちらにばかりおりますので、私は何となく(若返って)母親になったような気がいたし ます。みんなの命が長くはないように思われます。 第2通 この手紙を書き記して差しあげますのも、殿が存命中は申す必要もございません ゆえ、申しあげなかったのでございますが、お亡くなりになりました今は、殿がこのよ うなお方でおいでになったということも、あなたさまがお心の中だけでも、とめて置い てくださいますようにと差しあげるのでございます。字の上手な人にきれいに書かせ てお持ちになっておいでになりますよう―。 また、例の、殿の御影一幅、欲しく存じます。 あなたさまがまだ幼い、8歳でおいでになりました年の4月14日より、殿のお風邪 が大変お悪くあられましたときのことなどを書き記してございます。 私は今年82歳になりました。一昨年の11月から昨年の5月までは、病気が重くて、 今か今かと、死ぬのを待っておりましたが、今日までは命がございました。しかし、今 年の飢饉には飢え死にするかもしれないと思っております。 -5- このように幸便がございますのに、殿の往生後、何一つ差しあげることもございま せんのは、気になりますが、どうすることもできないのでございます。益方殿にも、こ の手紙の主旨をそのままお伝えくださいませ。ものを書くことも大儀でございますの で、益方殿の方へは改めて申しあげません。 2月10日 第3通 善信の御房は、寛喜3年4月14日の昼ごろからお風邪の気味で、その夕方から お休みになり、ご病状も重くいらせられますのを、腰や膝をさすらせもせず、看病人 さえも全く寄せ付けず、ただ静かに臥せっておいでになりますので、お体に触れて みますと火のように熱くあられました。頭痛のあそばすこともただごとではございませ ん。 そのようなご容態で4日ほど過ぎました明け方、お苦しみのなかで、 「本当はそうであろう。」 と仰せになりますので、 「どうあそばしました。うわごととか申すことでございましょうか。」 と申しますと、 「うわごとでもない、床について2日目から立て続けに『大経』を読んだ。目を閉じ ても経文の文字が全部はっきりと一字一字見える。どうも、これは不思議なことだ。 お念仏を喜ぶ信心以外に、心に掛かることがあるはずはないのにと思って、よくよ く考えてみると、今から17∼18年前、忠実そうに『三部経』を1000部、衆生利益 のためにと思って読み始めていたのを、これはとんでもない間違いではないか。 「自身教人信、難中転更難」というとおり、自ら信じ人を教えて信じさせることが、本 当の仏恩報謝だと信じているのに、名号を称える他に何が不足で、どうしてもお経 を読もうとするのだろうと反省してから読まなかったことがあったが、はじめからまだ 少し、そのような気持ちが残っていたのであろうか。人は、一度こうと思いつめると、 それを改めることができない。自力の信がどれほど抜け難いものであるか、良く注 -6- 意して、いつも考えていなければならないと心に誓ってからは、経を読むことはな くなった。そうして、床について4日目にあたる明け方、『本当はそうであろう。』と 申したのである」 と仰せになり、間もなくひどく汗をおかきになって、お風邪はお治りになったのでござ います。 (追伸) 殿が「三部経」を忠実に1000部読もうとされましたのは、信蓮房が4つの時、武蔵 の国か上野の国の佐貫というところで読み始められて、4∼5日ほどして、思い返し て読むのをやめ、常陸の方へおいでになったときのことでございます。信蓮房は(承 元5年辛未の年の)3月3日の昼、誕生したのですから、今年は53歳であろうと存じ ます。 弘長3年2月10日 恵信 第4通 前に差しあげました手紙の中に、先年、すなわち寛喜3年の4月4日から、殿がご 病気でおいでになりましたときのことを書き記して入れておきましたが、その時の日 記を見ましたら、「本当はそうであろう」と仰せになりました日を、そのまま「4月11日 の明け方」と記してあったのでございます。それを数えてみますと、8日に当たりまし た。それで4月の4日からは8日目に当たります。 表書 わかさ殿言上願います 恵信 -7- 第5通 もしかしたら、京都までのついでがあるかと思い、とりあえず越中までの使いにこの 手紙を頼みます。 あれから80歳になりました年に、重い病気にかかりましたが、死にもいたしません でした。しかし、83歳という年は、命が尽きる時と、学問のある人の書いたものなどに もございますので、今年は必ず死ぬことでございましょうと、覚悟をしております。そ れで、命のあるうちに卒塔婆を建ててみたいと存じ、五重の石の塔で7尺の丈のもの をあつらえましたら、塔師が引き受けてくれましたので、でき次第建ててみたいと思っ ておりますが、去年の飢饉に、どうかして益方の子どもと、こちらの子どもと、その他 の幼い子どもたち、使用人の子どもも合わせると大勢いおりますので、飢え死にさせ まいといたしましたら、衣類もなくなってしまいました上、白い衣類などに一つも手を 通しませんので(以下欠落) (欠字)一人おります。 また、「おと法師」と申しました男の子が、成人して「とう四郎」と呼ぶようになりまし たのを、あなたさまの方へ参りますよう申し付けてございます。そのおつもりでおいで くださいませ。「けさ」の娘は17歳になりました。それから「ことり」と申す女は子どもも 一人もございませぬおりから、7歳になります女の子を育てせております。その子は、 親と一緒にあなたさまの方へ参るはずになっております。 余りに申しあげたいことが多くて、書き尽くせませんので、ここで筆を置きました。 第6通 ちょうどよい便がありますので、嬉しく、お便り申しあげます。 これまで度々使いに頼みましたけれども、その手紙がお手元に届きましたでござ いましょうか。 私は今年は83歳になりましたが、昨年と今年は死に年といわれておりますから、 絶えず何事も承りとうございますけれども、確実な便もございません。 -8- さて、命のあるうちにと思いまして、五重の、7尺の石の塔をあつらえておきました のが、最近出来上がるように言ってまいりました。ところが、今は住所なども移りました 上、飢饉のため、使用人たちもみんな逃げていなくなってしまいました。頼りになるも のもは何もありませんが、それでも、命のあるうちに建ててみたいものと思いまして、 近頃仕上がりまして、こちらへ運ぶ程度にまでになりました由、聞きますので、どうに かして生きているうちに建ててみようと思いますけれども、どういうことになりますやら。 こうしておりますうちに私が死ぬようなことになりましたら、子どもたちに建ててもらい たいと思っております。 どのようなことでも、私が生きております間は、絶えずご消息を伺いとうございます が、お互いに、余りにも遠く隔たって暮らしておりますことは、親子の縁が本当に結 ばれてはいないようにさえ思われます。とりわけあなたさまは末っ子であられますから、 私には特にいとおしくてなりませぬけれども、お目にかかるほどのことは、到底ござい ますまいが、絶えずご消息を伺うことさえもできませぬのは、まことに辛いことでござ います。 5月13日 (追伸) ともかく、今お預かりしております、あなたさまの方へお渡ししました使用人たちの ことについて、お知らせ申しあげます。 前におりました「けさ」と申します者の娘が亡くなりました。今は娘が一人ございま す。「けさ」も病弱でございます。それから「おと法師」と申しました子は、成人して「と う四郎」といっておりますが、それと、「ふたば」と申します女の子で、今年16歳になり ました者を、あなたさまの方へ参上させるように申しております。とても、全てを手紙 には書きけませんので、ここで筆をおきました。 また前からおります「ことり」に、7歳になる子を育ててもらっています。 5月13日 (花押) (三伸) これは確実な便があっての手紙でございます。 -9- そこで、詳しく詳しくお知らせ申しあげたく存じますが、この使いの者が今すぐ出 発すると申して、急ぎますので、詳しくは書けません。 また、この「ゑもん入道殿」がお言葉を掛けてくださいましたことを嬉しく思っており ます。この使いは信頼できますから、どのようなことも詳しく仰せくださいませ。 第7通 幸便あがりますので、嬉しく一筆認めます。 ところで、去年の8月ごろから下痢を患い苦しみましたが、未だに快方に向いませ んのは厄介なことでございます。しかし、その他のことは、年のせいで、もう耄碌(もう ろく)して頭もはっきりしません。今年は86歳になりましたもの。寅年の者でございま すから。 またあなたさまにお渡しいたしました使用人たちも色々になりまして、「ことり」と申 します、長年おります者が、「三郎た」と申します者と連れ添っておりましたが、それ が入道になりまして「さいしん」という名になりました。入道の血縁の一人の、「むまの ぜう」とか申す、武家の家臣である者の娘で、今年10歳ぐらいになりましたのを、そ の母はたいそうおとなしく落ち着いた人でございまして、「かが」という名で、私が使 いましたが、先年熱病が流行いたしました年に亡くなりました。親もございませんし、 「ことり」も子どもがございません。そこで「ことり」にその子を預けたのでございます。 それから、また「けさ」と申しました者の娘の「なでし」と申しましたのは、まことによ い子でございましたが、熱病で亡くなりました。「けさ」はおりますが、長年頭に腫れ 物ができておりましたが、それもただ今、病気が重くて快復の見込みがないと申して おります。「けさ」にはもう一人娘がございますが、それは今年20歳になります。 それと「ことり」、また、「いとへ」。それに、そちらに参上しておりました時、「おと法 師」という名でおりましたが、今では「とう四郎」と申します者、そちらへ参上させようと 申しましたら、 「両親を残しては参るまいと心の中で決めている。」 と申しますが、それは私がどのようにでも取り計らいます。 - 10 - このように、田舎で、人に十分気をつけて、代わりの者を差し向けますことも、栗沢 が参りましたら申しましょう。この節のことでございますから、代わりは何人かあろうと 存じます。しかし、これほどよい男はなかなかいないと申します また、小袖を度々お送りいただいて、嬉しく存じます。今はこれを死に装束にして おきまして、下に着る着物もあるようでございますから、何とも申しあげようもなく、嬉 しゅうございます。余り着古しましたものでは、死んだときのことを心にかけないわけ にはゆかないのでございます。もう、死期を待っている身でございますから。また、確 かな便のあるとき、小袖をくださるように仰せになっておりましたが、この「ゑもん入 道」の便は信頼できましょうと存じます。また、宰相殿は、ご生活の道を得られました でしょうか。お子さまがたのことなど、全て何事につけても承りたく存じます。もう書き きれませんので、ここでやめました。 9月7日 (追伸) また、「わかさ殿」も、今では年も少し取られたことでございましょう。まことに懐かし く存じます。年をとりますと、余り感心しないように思っております人でも、懐かしく、会 いたく思うものでございますよ。。 「かこの前」のことはお気の毒なことで、「上れんぼう」のことも思い出されて懐かし く存じます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・切封 わかさ殿言上願います ちくぜん とひたの まきより 第8通 (表書) わかさ殿(以下欠字) - 11 - 幸便がありますので、嬉しく、一筆認めます。 ところで、私は今まで生きながらえていようとは思いませんでしたけれども、とうとう 87歳とやらになりました。寅年の者でございますから、87か88になります。もう死ぬ のを待っているのでございますが、年こそ恐ろしいほど重ねましたけれども、咳も出 ませんし、唾を吐くこともございません。腰や膝をさすってもらうことも、今日まではご ざいません。まるで犬のように動き回っておりますけれども、今年になりましてからは、 物忘れがひどくなりまして、頭も衰えたように存じます。 それにしても、去年からまことに恐ろしいことが次々と起こります。 また、「すりい(意味不明)」の者の手紙によりますと、あなたさまが、私に綾織りの 衣類をくださいましたとか。お礼の申しあげようもございません。今では死を覚悟して いる身でござしますから、この衣類が私にとりまして最後の頂き物になることでござい ましょうと存じます。今までにあなたさまからいただきました綾織りの小袖を、死出の 装束にしようと思って取ってございます。まことに嬉しゅうございます。着物の表地も まだ持っております。 また、お子さまがたのこと、まことにお懐かしく、ご様子を承りたく存じます。上のお 子さま方のことも本当に承りとうございます。ああ、生きている間に、もう一度私の方 からお目にかかりに伺うか、あなたさまが私の方へ会いにおいでくださることがござ いましょうか。もう、とてもございますまい。私は極楽へ今すぐにも参ることでございま しょう。極楽では、何ごとも明らかにご覧になれるはずでございますから、あなたさま も必ずお念仏を申されて、極楽でお目にかかりましょう。やはり、極楽へ私どもが参り 合うことができましたら、何事もはっきりすることでございましょう。 また、この幸便は、近くに住んでおります「みこ」の甥とか申す者に頼んだのでござ います。燈火が余りに暗くて詳しくは書けません。また、どうかお心に掛けられて、確 かな使いのございますときには、絹綿を少し、これは是非いただきたくお願い申しあ げます。これが最後でございます。 「ゑもん入道」の使いは信頼がおけるはずでございます。その人は、ここに帰って いるであろうということでございますが、まだ公にはしておりません。また、光寿御前 がご修行のために、都からおくだりになりますように仰せになっておりましたけれども、 - 12 - こちらへはおいでになりません。また、「わかさ殿」が今では大人びて落ち着いた年 ごろになっておいでになりましょうと存じ、本当に懐かしゅうございます。心掛けてお 念仏を申して、極楽でお互いに会いましょうとお伝えくださいませ。何はおいても、お 子ささま方のご様子、詳しくお知らせくださいませ。伺いとうございます。一昨年やら にお生まれになっておいでになりますとか、伺いましたお方のことも、まだお目にも かからぬことながら、お懐かしく思っております。 また、そちらにお渡しいたしましょうと申しました女の子たちも、先年、熱病が流行 りました折に大勢亡くなりました。「ことり」と申します者の女の子も、もう年を取りました。 父が御家人で、「むまのぜう」と申す者の娘がおりますが、あなたさまの方へお渡し いたしましょうと存じ、「ことり」と申す者に預けてございますが、顔立ちも体つきも非 常に悪く、髪などもまことに見苦しゅうございます。とりえのない子で、憎々しいような 感じがいたします。 「けさ」の娘で「わかば」と申します女の子の、今年21歳になりますのが妊娠いたし、 この3月頃に出産のはずでございますが、男の子ならば父親が引き取りますことでし ょう。前にも、今は5歳になる男の子を生んでおりますけれども、父の跡を受け継ぎま すので、父方が引き取りました。この度もどうなることでございますやら。 「わかば」の母は、頭に何か、いまわしい腫れ物ができまして、もう10年余りになり ます。それで、役も立ちませず、本人も死を覚悟しているように申します。 あなたさまの所におりました時には、「おと法師」と申す子どもでございました者、こ の度改めてそちらへ参らせようと申しておりますが、今では妻子がございますので、 とても参ろうとは申しますまいと存じます。私が死にました後には、栗沢に申しつけて おきますから、「おと法師」に上洛するように仰せくださいませ。 また栗沢は、どうしたことか、「のづみ」と申す山寺に籠もって、不断念仏を始めよ うとしておりますが、なにやら書物を著すことがあるように申しておりますとか。五条殿 (父、親鸞聖人)のためにと申しているらしゅうございます。 何やかや、申しあげたいことが沢山ございますけれども、明朝早く使いが出るとか いうことでございますので、夜のうちに書きましたため、たいそう暗うございまして、と てもごお読みになれまいと存じ、これで筆を止めました。 また、針を少しくださいませ。この使いにでも渡してくださいませ。お手紙の中に入 - 13 - れていただきとうございます。 重ねてお子さま方のご様子、詳しくお知らせくださいませ。伺うだけでも、心が慰 められることでございます。万事書き切れませんので、ここでやめました。 また、宰相殿は、まだ結婚あそばしてはおいでにならないのでございましょうか。 あまりに暗うございまして、どのように書きましたやら、とてもお読みになれますま い。 3月12日 午後10時 - 14 -
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