祝叙勲 愛知和男理事長 いつまで続く「日本の謝罪」

会 長 挨 拶
祝叙勲 愛知和男理事長
いつまで続く「日本の謝罪」
会長 中條高德
祝
弊会の愛知和男理事長がこの春の叙勲で旭日大綬章を受章された。実にめでたき限り、嬉しい
限りである。筆者はかつて日清紡の桜田武氏の哲学に賛同し、勲章の等級制度排除の活動を続け
てきたが、国家の叙勲制度を否定したのではない。
褒め讃えることは、国家でも家庭でも大事なことである。吾々、血を流して戦っている経済活
動の実態を些かも知らないお役人が等級をつけるなど、とんでもないとの意であった。宮島清次
郎さん、桜田さん始め経済界の重鎮が受章を拒んだのはその意であった。伊藤衆議院議長と新聞
一面で論争したこともあった。そして、等級は消えた。
今度受章の愛知理事長には、ご迷惑をかけたかも知れないが、頂いた勲章は最高位であり、昔
だったら陸軍大将でなければもらえないものだ。大勲位の中曽根元首相が発起人になり、 6 月、愛
知理事長の叙勲祝いを盛大に催した。勲章をつけたモーニング姿の愛知理事長、実に輝いていた。
いつまで続く「日本の謝罪」─国家は滅多に謝罪しない─
百年前の 8 月22日。「韓国併合ニ関スル条約」が日韓両政府間で調印された日である。それ
から日本の敗戦の日まで35年間、韓国は日本の統治下におかれた。
これに先立ち 8 月10日、菅首相は「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、改め
て痛切な反省と心からのお詫びを表明する」との談話を出した。戦後日本国政府の謝罪は村山談
話、河野談話などその数30数余に及ぶ。そのマイナス効果は歴史の経過を見れば極めて明瞭で
あろう。悪くなることこそあれ、よくなる例はひとつもない。
日韓併合に至る迄の歴史を繙くと、欧米列強のほぼ500年の植民地化の嵐にさらされている
日韓両国の不幸な関係が浮かび上がってくる。
幸い近代国家造りに成功した明治政府は清国を宗主国として、冊封体制下にあった韓国に自主
独立を迫った。海洋国家のマッキンダー原則(海洋国家は対面の大陸のエネルギーが集約されて、
迫る半島の保全が出来ない国は生存出来ない)によれば当たり前の策であったが、ここに日韓両
国の反省の始まりがあった。これにロシアの南下策が重くのしかかっていた。白色人種の植民地
化の魔手に慄いていた我が民族の先人たちの苦悩が偲ばれる。
そして百年前、日韓併合条約が伊藤博文らの反対もありながら成立した。されど韓国の民族か
らすれば、屈辱の35年と見る人も多かろう。さればこそ、昭和40(1965)年に全てを清算し、
両国とも前向きに生き抜こうと日韓基本条約を結び、我が国は大金を払ったのではないのか。
国家の謝罪は極めて重い。内閣が代わるたびに謝罪を繰り返すような国は存続が危い。字数が
迫ったので最后に米国オークランド大学「ジェーン・ヤマザキ教授」の言葉を贈る。
昭和40(1965)年の日韓国交正常化以降の日本の国家レベルの謝罪の数々を列挙し「主権
国家がこれ程に過去の自国の間違いや、悪事を認め、外国に対して謝ることは国際的に極めて珍
しい」と述べている。
─1─
《巻頭言》
民主党政権に国家観はあるのか
副会長 小田村四郎
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国家の主権と名誉を守ることは一国の政府の最
得たが、この間に息を吹き返した基地反対勢力は
大の使命である。然るに昨年成立した民主党政権
沖縄全土を覆い、今や問題解決の曙光すら見えて
はこの点でわが国憲政史上(有史以来といっても
いない。いずれにせよ、わが国が明治以来営々と
よい)最低の内閣となった。
築き上げてきた国際信用は鳩山内閣によって地に
鳩山前首相に至っては「宇宙人」の呼称通り国
墜ち、米国の深刻な対日不信を招き(日米亀裂)、
家観どころか国家意識のかけらもない存在であっ
世界中が日本を軽侮する風潮を招いた罪は永久に
た。
消えることはない。去る 9 月 7 日以来の尖閣諸
島をめぐる中国の不法行為や非礼発言もこれに起
彼は就任早々、何一つ内容を検証することなく
2
独断でCO 25%削減を国連総会で公約した。オ
因するといってよい。
バマ大統領来日に際しては、普天間問題の早期解
他方、内政では麻生内閣の予算執行を停止して
決を口頭で約束しておきながら、翌日にはシンガ
景気を失速させ、子ども手当その他の党略的バラ
ポールで前言を翻した。他方、与党最大の実力者
マキを強行して財政を破綻させ、(防衛費は実質
小沢一郎幹事長(当時)は国会議員140名を含
削減、防衛計画大綱策定は延期)外国人地方参政
む600人余の大訪中団を率いて訪中し、一人づ
権や夫婦別姓などの国家・家族解体政策を実行し
つ胡錦涛主席の「謁見」を賜って悦に入るという
ようとするなど、国家否定の面では通底する行動
国辱行為をあえてした。12月には宮中のご慣行
であった。
を蹂躙して、来日した習近平副主席と天皇陛下の
後を継いだ菅内閣も、日韓併合に関する「菅談
御謁見を強行するという不敬行為を行って国威を
話」の発表や、 8 月15日の全閣僚の靖国神社不
失墜させた。
参拝など、国家域の欠如は前内閣のそれと全く変
極め付きは普天間問題である。鳩山首相は「日
わらない。菅談話は密室で起草された史実に対す
米同盟は日本外交の基軸」と国会で演説しながら、
る無知と反日思想に満ちた国辱談話であり、明治
「同盟」という語の意味すら全く解らなかった。
「海
以来の父祖の努力と功績に泥を塗りつけた。また、
兵隊が抑止力であることが漸く分った」と後に告
祖国のために尊い命を捧げた護国の英霊に感謝し
白したように、念頭に安全保障のひとかけらもな
ない政府に国防の重責が務まる筈がない。世界に
い人物が基地問題を弄んだのである。歴代自民党
例を見ない無国籍政権といってよかろう。
内閣が苦心に苦心を重ねて漸く綱渡り的に成立さ
民主党代表選においても、外交・安保問題は殆
せた日米合意を、何の代案もなく「最低でも県外」
ど触れられなかった。菅首相の続投が決まったが、
と公言し、国際公約を根底から覆した。その結果、
正しい国家観、歴史観と国防意識に目覚める政権
迷走に迷走を重ねて漸く 5 月末に一応の合意を
が成立するのはいつの日であろうか。
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─2─
【特集Ⅰ】菅内閣の本質を探る
代表選後の民主党政権の行方
評議員・拓大大学院教授 花岡信昭
民主党の代表選挙は大方が予想した通り、菅
まず幹事長就任を打診するというのが「常識」
直人首相が制し、菅政権続投となった。敗北し
ともいえた。そのことの是非は別問題として、
た小沢一郎氏はこの代表選を「政治生活の総決
菅首相がそこまでの大決断をしていたら、まさ
算、最後のご奉公」と位置づけていたが、これ
にノーサイドになったはずである。
で政治の舞台から消えると見る向きはほとんど
ない。
新しい党人事の思惑
いずれ、「菅vs小沢」の第 2 ラウンドがあり
鳩山前首相と小沢前幹事長の「同時ダブル辞
得るとみていたほうがよさそうだ。菅首相は「脱
任」によって誕生した菅政権だったが、
「脱小沢」
小沢」からの完全脱却には失敗したと見ていい。
色を前面に出す布陣となった。その象徴的存在
内外政策に多くの難問を抱えながら、菅政権の
が仙谷由人官房長官と枝野幸男幹事長であっ
前途は多難そのものだ。
た。
それにしても、党内を二分する戦いは、傍目
代表選で再選された菅首相は、党・内閣人事
で見ている分には近年にないおもしろい代表選
で、仙谷官房長官を留任させ、参院選敗北によっ
(というと語弊を招きそうだが)であった。長年、
て辞意を漏らしていた枝野幹事長を交代させる
政治記者をやってきた筆者の世代としては、か
ことで乗り切ろうとした。
つての自民党の 「福田─大平決戦」「40日抗争」
枝野氏の後任となったのが、岡田克也外相で
を思い出さずにはいられなかったのである。
ある。岡田氏は外相留任を求めていったんは固
あのとき、同じ政党から 2 人の首相候補が国
辞したが、幹事長就任を受け入れた。
会の首相指名選挙に出た。前代未聞の事態だっ
これによって、菅首相は「脱小沢」原則をさ
たが、それでも自民党は割れなかった。55年体
らに継続させる姿勢を天下に示したことにな
制下で政権党のメリットを十二分に知り尽くし
る。小沢氏がこれをどう見たか。「一兵卒とし
ていたためだ。
て民主党政権に貢献する」と殊勝な言葉を述べ
「菅─小沢決戦」は、これに次ぐ激戦として
ていた小沢氏だが、そういう表現をするときに
日本政治史に残るのではないか。コップの中の
は、ハラの中はまったく別である。
争いとして皮相的に見る向きもあるが、日本社
政治記者としてこの20年あまり小沢氏を観察
会のさまざまな側面を象徴する意味合いもあっ
し、ときにかなり濃密なお付き合いもさせても
て、筆者には興味深い選挙戦であった。
らった身としては、これからが「小沢流」の真
「代表選が終わったら、ノーサイド」と両陣
骨頂発揮の局面と見る。
営とも開票前には大人の態度を示していたが、
小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入
政治の世界の現実ははるかに生々しかった。
をめぐる政治資金規正法事件で、検察審査会の
ノーサイドという意味は、挙党態勢を築くと
2 回目の判断が10月にも出る見通しだ。再び「起
いうことだ。それは「人事」によって証明される。
訴相当」の議決となれば、小沢氏は強制起訴さ
かつての自民党的感覚からすれば、これだけ
れ、裁判所が指定する弁護士が検事役となって、
の大勝負をやったのだから、菅首相は小沢氏に
公判の場に引き出される。
─3─
小沢氏は 1 年以上も検察が捜査して、なんら
れながらも、誠実な人柄は定評がある。
の犯罪行為もないことがはっきりした、と強調
岡田氏は小泉純一郎元首相と同様、中元・歳
している。その点は小沢氏の主張にも理がない
暮のたぐいをいっさい受け取らず、送り返すこ
わけではない。
とでも知られる。若手議員を引き連れて飲みに
検察当局はゼネコンとの癒着をめぐる「小沢
行くというようなことも苦手で、要職に就いて
金脈」をあぶり出そうとして、結局は失敗した
いないころは、国会図書館の議員用ブースにこ
のであった。元秘書らが逮捕、起訴されたこと
もって政策勉強をしていたようなタイプである。
に対する政治的・道義的責任は残るとしても、
たまに食事会を開いても、会費制だったりす
小沢氏が政治資金収支報告書に不明朗な記載を
る。「政治とカネ」の問題が世間の指弾を浴び
するよう指示したという「犯罪行為」は立証さ
たことからすれば、カネをめぐるスキャンダル
れなかったのである。
などにはまったく縁のない政治家といってい
菅首相はそうした今後の展開を見据え、強制
い。菅首相はそうした岡田氏を「ニュー菅体制」
起訴となれば小沢氏の政治生命は終わると踏ん
の象徴としたいのであろう。選挙戦中は「クリー
で、「脱小沢」シフトの継続を選択したのであ
ンでオープンな民主党にする」と、小沢氏の政
ろう。だが、菅首相の思惑通りに進むのかどう
治資金スキャンダルや強圧的といわれる政治手
かは微妙な要素も残る。
法を批判していた。
「菅─小沢」の一騎打ちとなって、菅首相の
代表選の結果を受けての「人事」は、菅首相
側に、前原誠司、岡田克也、野田佳彦の 3 氏が
の今後を占うものとして注目されたのだが、政
ついた。いずれも将来の首相候補である。
権継続に向けての力を持ち得たのかどうかは疑
敢えてうがった見方をすれば、というよりも
問と言わなくてはなるまい。
そういう見方が政治の世界の常識でもあるのだ
こうして、政界の関心は小沢氏の「リベンジ」
が、前原氏ら 3 氏がこの局面で菅首相支援に
がいつ、どういうかたちで現実のものとしてあ
回ったのは、「反小沢」のリーダー格であるこ
らわれるかに集約されつつある。菅政権の前途
ともさることながら、菅政権が行き詰まった場
はまさに多難だ。
合、首相の座が転がり込んでくる可能性に賭け
たのではないか。
来春の解散総選挙説
幹事長ポストには、当初、旧民社党出身の川
参院選の結果、衆参ねじれ構造が現出した。
端達夫氏らが浮かんだという。ぎらぎらとした
衆院で多数を占めていても、参院では過半数に
「反小沢」ではないという中間派的なスタンス
達しない。安倍政権以後の自公政権も衆参ねじ
がこうした局面では効果的という菅首相側の判
れに悩まされ、これが短期政権に終わる要因と
断があったらしい。その意味では鹿野道彦氏ら
なったのだが、これの逆バージョンである。
も有力候補であった。
それも、自公政権当時は、衆院で 3 分の 2 ラ
せめてそうした中間派的な存在を幹事長に起
インを超えていた。参院で否決された法案を衆
用していれば、小沢氏の心境にも変化が生じた
院で再議決できるラインである。菅民主党政権
かもしれない。あるいは思い切って、原口一博、
はこの 3 分の 2 ラインに達していない。従って、
細野豪志、輿石東各氏ら、親小沢系を起用して
自公政権当時よりもさらに厳しい国会運営を強
いたら、状況はがらりと変わったようにも思え
いられるという見方が圧倒的だ。
る。
まず、10月の臨時国会が最初の試練の場とな
だが、そこが頑固な菅首相らしいところなの
る。何とか乗り切り、予算編成を経て年を超せ
だが、「脱小沢」シフトを放棄してしまったら、
ても、来春の予算審議はいよいよ悲観的な状況
せっかく上昇してきた支持率も逆転してしまう
となる。
と判断したようだ。
予算案本体は衆院の可決後、30日で自然成立
岡田氏は群れることを嫌い、党内でも特にグ
するが、関連法案は参院での可決が必要だ。関
ループをつくってはいない。かねて政策通で知
連法案が成立しないと、予算本体が成立してい
られ、原則を曲げない「原理主義者」と揶揄さ
ても予算の執行ができない。
─4─
このため、国会運営は完全に行き詰り、追い
が 1 ポイントを得る仕組みだ。これは小選挙区
込まれ解散─衆院総選挙に突入するのではない
制特有の現象があらわれる。得票数との乖離で
かという見方が政界に急浮上している。早くも
ある。
来春の統一地方選と衆院選とのダブル選挙すら
249ポイント対51ポイントというのは約 5 倍
想定されている。
の開きがあるが、13万票対 9 万票だと1、5倍に
代表選での国会議員票は菅氏206票、小沢氏
すぎない。
200票であった。マスメディアの世論調査では
党員は年6000円の党費を払う必要があるが、
「菅氏60%台、小沢氏20%弱」といった支持率
サポーターになるには年2000円でいい。そのう
だったのだが、それをよそに、国会議員は真っ
え、重大な問題がある。いずれも、在日外国人
二つに割れたのだ。
まで認めていることだ。
云ってみれば、巨大な「反主流派」の誕生で
民主党の規約ではこうなっている。
ある。国会議員200人が小沢氏に票を投じた意
味合いは大きい。これが小沢氏の「リベンジ」
を予感させる要因ともなっている。
第 3 条 本党の党員は、本党の基本理念およ
び政策に賛同する18歳以上の個人(在外邦人
および在日の外国人を含む)で、入党手続き
代表選の結果について、マスメディアの大半
は「菅氏大勝」と報じた。代表選は特殊なポイ
を経た者とする。
ント制で行われる。
第 5 条 地域において、民主党あるいは民主
その総合ポイントでは、菅氏721ポイント、
小沢氏491ポイントで、230ポイントもの「大差」
がついたのだから、「菅氏大勝・小沢氏大敗」
と見るのも分からないではない。
党候補者を支援する18歳以上の個人(在外邦
人および在日外国人を含む)で、定められた
会費を拠出し、総支部に登録した者(党員を
除く)をサポーターとする。
だが、結果を詳細に分析してみると、それと
は違う側面も浮かんでくるのである。
代表選は 3 段階で実施される。国会議員(衆
代表選投票規約の稚拙さ
院305、参院106、計411人)は 1 人 2 ポイント
一般の選挙権は20歳以上の日本国民に与えら
を持つ。国会議員の合計ポイントは822ポイン
れているのだが、18歳以上で在日外国人まで含
トということになる。国会議員投票の結果は、
むというのは、いかに政党の代表選挙に限られ
菅氏206票・412ポイント、小沢氏200票・400ポ
たこととはいえ、問題なしとしない。
イントであった。
政治資金規正法では外国人、外国組織からの
全国の地方議員2382人が100ポイント持ち、
寄付(献金)を厳しく禁じている。当然といえ
得票によってポイントが配分される。結果は、
ば当然だ。外国からの献金を受けていたのでは、
菅氏60ポイント、小沢氏40ポイントだった。
法案の判断に影響を与えかねない。
問題は党員・サポーター票である。全部で34
民主党が野党であった時代には問題にもなら
万2493人。うち66・9%の22万9030人が投票(郵
なかったが、いまや政権与党なのだ。特定の外
送)した。結果は、菅氏249ポイント、小沢氏
国組織が企てて、大量の在日外国人をサポー
51ポイント。これが全体の721ポイント-491ポ
ターに仕立てれば、今回のケースに見られるよ
イントという大きな差となってあらわれた最大
うに、代表、すなわち首相の選出を左右できる
の要因である。
ことになってしまう。
だが、党員・サポーターの投票数を見ると、
こうしたころから、民主党代表選の仕組みは
菅氏13万7998票、小沢氏 9 万194票である。こ
憲法違反だと断じる学者も出てきたほどだ。民
れだけ見れば、地方議員票とほぼ同じ 6 対 4 で
主党は早急にこの問題を協議し、規約改正に臨
ある。ポイントで表示された大差のイメージと
むべきだろう。
はずいぶん異なる。
この党員・サポーターのいとも寛容な資格の
党員・サポーター票は、衆院の300小選挙区
設定は、永住外国人への地方参政権付与にきわ
ごとに集計され、それぞれの小選挙区での勝者
めて熱心な党の体質とも符合するものだ。一国
─5─
の可能性を見極めることにつながるのである。
の政治を担当する首相を選出するシステムに在
日外国人が関与できる仕組みは、どう考えても
多くのメディアは、「 3 カ月で首相を交代さ
おかしい。
せるのはよくない。 1 年に 3 人の首相が誕生す
その底に、国家観の希薄さを指摘しておかな
ることになってしまう」「刑事被告人になる可
くてはならない。民主党の基本的体質にかかわ
能性のある人が首相をつとめられるわけがな
る重大事といっていい。
い」といった調子で、
小沢氏の立候補を非難した。
菅首相は「国歌はもっと元気のいいのがいい」
にもかかわらず、200人の議員が小沢氏に票
と君が代に疑問を突き付けたことがある。民主
を投じ、反小沢票と拮抗したのだ。菅氏の陣営
党が政権党であり続けたいとするのであれば、
では国会議員票で追い抜かれるのではないかと
自らの国家観をまず検証する必要があろう。
いう危機感もあったようだが、かろうじて6票
上回った。
未だ党網領のない民主党
それは 3 人が違う投票行動をしていたら、同
民主党は自民党から旧社会党の出身者まで幅
数で並んだという意味になる。さらにいえば、
広い政治勢力の出身者で構成され、党内には10
衆参両院議長が投票に加わらず、 3 票の無効票
程度のグループが存在する。自民党の派閥より
(白紙)が出た。その分を考慮にいれれば、そ
の差はさらに接近した可能性もある。
は拘束力が弱いものの、「党内はバラバラ」「選
挙互助会」などといわれてきた。
国会議員200人が小沢氏を支持した背景とし
だいたいが、政党として不可欠のものである
て、
「選挙で世話になり、恩義を感じている」「剛
はずの「綱領」がいまだに存在していない。こ
腕神話の呪縛にとらわれている」などといった
の日本をどういう国にしていくべきかといった
解説が出回った。そうした側面はあるのだろう
国家観、国家戦略を踏まえた綱領がどうしても
が、それだけでは十分な解説とはいえないよう
必要なのだが、議論しはじめるとまとまらなく
にも思える。
なってしまうのだ。
現実的に、いま民主党に必要なことは、参院
それが、皮肉というべきか、今回の代表選で
での多数派形成である。これが実現すれば、衆
は、「親小沢─反小沢」でほぼ二分され、見方
参ねじれの恐怖から脱却できることになる。そ
によっては、えらくすっきりした党内構造と
こに、小沢氏の政治的パワーの発揮を求めると
なった。「角福対立」で党内を二分してきたか
いう議員心理が働いたのではないか。
つての自民党を彷彿とさせるものがある。
早い話が、小沢氏なら、公明党やみんなの党
そうした意味では、これも皮肉なのだが、政
などとの連立工作も可能ではないかという期待
党として成熟してきたということか。
感である。小沢氏にはかつて自民党との「大連
いずれにしろ、この代表選の結果、200人規
立」を仕掛けた「実績」もある。菅首相や周辺
模の「反主流派」が誕生したことになる。その
にそうした腕力を求めても無理な話だという思
意味合いは大きい。菅新体制が進行していくう
いが民主党内に共通する思いであろう。
ちに、落ちこぼれは当然出るだろうが、それで
菅政権は発足以来、これといった政策や方針
もこれだけの巨大な「小沢容認勢力」の存在は
を打ち出せていない。菅政権続投が決まって、
無視できないだろう。
欧米市場で円高が一気に進行、 6 年ぶりの為替
マスメディアの世論調査とはまったく異な
介入を行ったのが、菅新体制の初仕事となった
り、小沢氏を200人もの国会議員が支持した背
のは、皮肉な話であったと言わなくてはなるま
景や事情をどう分析すればいいのか。そこが今
い。
後の課題だ。それによって、小沢氏の「再挑戦」
花岡信昭(はなおかのぶあき) 1946(昭和21)年、長野県生れ。69年早稲田大学政経学部政治学科卒、産経新聞
入社。地方支局、社会部を経て政治部。首相官邸、自民党などを担当。政治部長、編集局次長、論説副委員長な
どを務め、2002年退社、評論活動に入る。日本の新聞社で戦後生れの政治部長第 1 号。2009年 4 月から拓殖大学
大学院地方政治行政研究科教授。著書に「小沢新党は何をめざすか⁉」「小泉純一郎は日本を救えるか」「保守の
劣化はなぜ起きたのか」など多数。
─6─
【特集Ⅰ】 民主党政権で舵を取る
過激派人脈の正体
ジャーナリスト 野村旗守
民主党の起源
先だってJR総連・JR東労組のなかに浸透す
よく言われるように、民主党の起源は1993年、
る過激派組織・革マル派との関係を国会で追求
「自民党を引きずり下ろすためには悪魔とでも
された枝野幸男幹事長もまた、細川政権当時日
手を結ぶ」と言った細川護煕の日本新党が小沢
本新党にいて、その後新党さきがけに移った一
一郎の新生党らと組んで発足した細川連立政権
人である。
に求められる。この非自民七党連立政権に参加
したのは、日本新・新生の他、新党さきがけ、
枝野幸男氏の支援母体
社会党、公明党、民社党、社会民主連合だった。
枝野幹事長代理が平成 8 年の衆院選に立候補
新生党代表幹事だった小沢をはじめ、前首相の
した際、選挙協力などを目的として革マル派の
鳩山由紀夫は新党さきがけ結成呼びかけ人の一
関係団体と公安当局が認定するJR総連幹部(JR
人だし、当初社会民主連合にいた現首相の菅直
東労組大宮支部執行委員長)と「魔の契約」を
人もその後新党さきがけに移った。
結んでいた、と報じたのは『新潮45』(2010年
他にも前法務大臣の千葉景子(社会党)、幹
8 月号)だった。「魔の契約」(「覚書」)のなか
事長の岡田克也(新生党)、元財務大臣の藤井
には、「私はJR総連及びJR東労組の掲げる綱領
裕久(新生党)、前厚生労働大臣の長妻昭(新
(活動方針)を理解し、連帯して活動します」
党さきがけ)、外務大臣の前原誠司(日本新党
などの文言がならんでいた。この「覚書」が交
⇒新党さきがけ)、官房長官の仙谷由人(社会
わされた平成 8 年以降、JR総連とJR東労組か
党)、参院のドンとして知られる輿石東(社会党)
ら枝野氏の政治資金管理団体である「21世紀都
……等々と、現在の民主党の主だったメンバー
市文化フォーラム」への資金提供がはじまり、
はほとんどがこの細川連立政権に在籍してい
パーティ券の購入など11年までに404万円の献
た。
金があったという。ちなみに、JR総連は北海道
イデオロギーを超え、「自民党を引きずり下
から九州までのJR総連系労組を統括する全国
ろす」ことだけを目的に成立した連立政権だっ
組織であり、JR東労組はJR東日本における最
たため、この時の与党内部には、それまで野党
大労組である。JR東労組はJR総連の下部団体
でしか存在し得なかった左翼分子・極左分子が
にあたる。
政権与党に潜り込むという現象がおこり、それ
革マル派といえば、過去、中核・青解(社青
が現在の民主党でも再現されている。
同解放派)と三つ巴で凄惨な内ゲバを繰り返し、
─7─
数百の殺人・傷害事件を起こした極左過激派集
官房長官・前法相の思想的背景
団であり、JR総連・JR東労組といえばその革
革マルとの関係を指摘された枝野・田城両氏
マル派の副議長(本人は「過去の話だ」と言っ
に関しては現在のところ思想的な背景の裏はと
ているが)であり最高実力者と言われる松崎明
れておらず組織的・金銭的なつながりしか見え
氏が事実上のトップに君臨する労働組合であ
ないが、民主党内閣で思想的にはっきりと左翼
る。JR総連は革マル派の最大母体と言われてい
(極左)の影を引きずっているのが、仙谷由人
たが、この数年のうちに革マル派党中央との分
官房長官と千葉景子前法相の両名である。
離が進んでいるようだ。
仙谷氏は東大全共闘の活動家(『文藝春秋』
枝野氏の“革マル疑惑”については、知る人
2010年 1 月号によれば、社会党系の社青同構造
ぞ知る話であって、関係者のあいだでは逆に「い
改革派所属だったという)だった学生時代、そ
つ表に出るか」に注目が集まっていた。枝野氏
して人権派として活躍した弁護士時代(おなじ
が民主党の幹事長に就任し参院選で惨敗した直
弁護士事務所の後輩に社民党の福島瑞穂党首が
後、同氏の責任論が噴出していたタイミングで
いた)、そして社会党から出馬した新人議員時
出たこの記事は、まさに「満を持して」の感が
代(90年衆院初当選)、民主党時代と、一貫し
強い。
て親中、親韓、親北朝鮮であり、民主党のアジ
この「魔の契約」=「覚書」に枝野氏となら
ア重視政策を主導している。また産経新聞の阿
んで署名捺印しているJR東労組大宮支部執行
比留瑠比記者によれば、いわゆる「従軍慰安婦」
委員長は、「革マル派のJR内非公然組織『マン
問題の火付け役となった高木健一弁護士とは親
グローブ』の幹部」(公安関係者)と目される
しい友人関係にあり、日本の対アジア戦後補償
人物であり、現在法廷で争われている社員に対
問題について共著を出版するほどの間柄でも
する退職強要事件の首謀者として逮捕された刑
あった。
事被告人でもある。
仙谷氏の“左翼後遺症”を示すエピソードと
さらにJR総連・JR東労組といえば、今回の
して揶揄的に紹介されるのが、その発言のなか
参院選で民主党の公認を受け、比例区で当選し
で「文化大革命」の用語がしばしば肯定的に用
た田城郁氏もこの革マル系労働組合の組織内議
いられることだ。
員である。現在50歳でJR総連政策調査部長と
「予算編成プロセスのかなりの部分が見える
JR東労組中央本部政策調査部長を務めた田城
ことで、政治の文化大革命が始まった」(毎日
氏は、過去に先述の松崎明氏の専属運転手(兼
新聞09・11・12)、「事業仕分けで文化大革命が
ボディーガードとも言われる)だったこともあ
起こっていますよ」(テレビ朝日09・12・ 9 )
る。つまり、側近中の側近である。79年に運転
……等々。
士として国鉄に入社した田城氏は、入社とほぼ
毛沢東主義の愛好者らしい仙谷氏には、中国
同時に現在のJR総連・JR東労組である動力車
の文化大革命が人民大虐殺の同義語であったと
労働組合に加入。これは国鉄のなかの運転士た
いう認識はないようだ。
ちが所属する職能組合で、当時動労の東京地方
またネット上でその真偽が争われている千葉
本部委員長として組合活動を束ねていたのが松
景子前法相(86年、社会党から参院選に初当選)
崎氏だった。
が中央大学の学生時代、革共同(中核、革マル
など)とならぶ過激派組織・ブント(共産同)
─8─
の活動家だったという説は、同時期に同校に在
文春』に「前原民主を支援する(元)極左テロ
籍していた他セクトの活動家の証言によれば事
集団」という記事が載ったことがある。永田寿
実である。ただし、「成田闘争で火炎ビンを投
康議員(故人)のガセメール事件で民主党が大
げて機動隊員を殺害した」という、同じくネッ
揺れに揺れていた2006年の春、「がんばろう、
ト上で飛び交っている情報については、これを
日本!」国民評議会なる団体との関係が槍玉に
証言する者はいなかった。またネット上の噂で
あがった。この団体の前身はマルクス主義青年
は彼女が同和部落出身で苦学して中大に入った
同盟(マル青同)なる極左過激派集団であり、
となっているが、経歴を見ると、「横浜国立大
バリバリの武闘派だった。毛沢東思想の影響を
学学芸学部附属横浜中学校を経て東京学芸大学
受けて暴力革命を肯定し、「帝国主義打倒、社
附属高等学校を卒業し、中央大学法学部に入学」
会帝国主義打倒、万国の労働者、被抑圧民族団
となっており、苦学どころか歴としたエリート
結せよ!」のスローガンを打ち出していた。東
コースを歩んできたようだ。土井委員長時代の
京と大阪を中心に、左翼にもかかわらず軍服を
90年代前半、おなじ法曹出身の千葉と仙谷は社
着用して街宣活動に臨んでいたこともあったと
会党市民局の局長と副局長を務めていた。
いう。
元過激派といえば、大阪出身で当選 2 回の辻
最高指導者は戸田政康氏。現在の国民評議会
恵党副幹事長である。弁護士資格を持つ辻氏は
の代表でもある。過去に遡れば1974年、フォー
現在でこそ小沢一郎幹事長を擁護して「起訴相
ド大統領来日の際にアメリカ、ソ連両国大使館
当」を決議した検察審査会を批判したりなどし
に対し簡易火炎瓶を投擲したり、反発する学生
ているが、青年弁護士時代は革労協狭間派と深
を襲撃して宣伝カーでひき殺すなどの事件を起
い関係があり、同派最高幹部であった狭間嘉明
こしたこともある。
が、改造拳銃を所持していた罪で逮捕された事
その過激派集団の後継組織(しかもリーダー
件の弁護活動を行ったこともある。
が同一人物)の機関誌のインタビューや講演会
革労協といえば、小沢側近の赤松広隆前農水
に民主党議員が頻繁に登場していたというの
相がその青年組織の社青同解放派の闘士でゲバ
だ。当時の前原誠司代表、野田佳彦国対委員長、
棒組であったという情報が、前掲の『文藝春秋』
枝野幸男。原口一博、馬淵澄夫、松沢成文、上
に出ている。これについては取材の結果確認は
田清司……等々。原口氏などは代表の戸田氏か
とれなかったが、この記事の筆者は民主党を中
ら政治献金までもらっていたという。
心に政界・官界・民間に広がる極左人脈につい
その他、朝鮮総連にせよ、韓国民団にせよ、
て、かなりのところまで精通した人物と目され
部落解放同盟にせよ、左派労組にせよ、ありと
る。
あらゆる反日左派組織が、政権与党に食い込も
うと民主党工作に血道を上げていたのだ。そし
政権交代による野望実現
て2009年秋の政権交代によって、ついに彼らは
また民主党と過激派の関係といえば、『週刊
その野望を果たした。
野村旗守(のむらはたる) 1963(昭和38)年生れ。立教大学文学部卒。外国人向け雑誌編集長、フリー編集者な
どを経てフリージャーナリストに。主な取材テーマは「日朝関係」「日本アンダーグラウンド」。主な著書:「北朝
鮮送金疑惑」(文芸春秋)「我が朝鮮総連の罪と罰」=韓光煕著、取材構成=(文芸春秋)、
「北朝鮮 対日潜入工作」
(編著 別冊宝島)他多数。
─9─
【特集Ⅰ】 日韓併合100年「菅談話」検証
─主体的歴史認識を─
産経新聞ソウル支局長 黒田勝弘
朝鮮半島の運命
すべきか、に我々の関心を集中させなければな
歴史は記憶しなければならないものがあり、
らない。国を失うということは、恥をかかされ
忘れなければならないものがある。何を記憶す
るということだ。我々はその日(併合発効の 8
べきかは、我々が選択するものだ。日韓併合
月29日)を国恥日と呼んできた。
100年が過ぎたいま、我々はこの100年前の出来
その恥はすべての人々が被ったものであり、
事で何を記憶すべきか?
責任があった国王やその臣下たちだけが被った
朝鮮の滅亡は外部と内部の 2 つの要因による
ものではない。運命共同体だからである。従っ
ものだ。過去100年、我々の見方は外部に対す
て、この共同体を守ろうとするなら国民一人ひ
る恨みが優勢だった。帝国主義が活発だった世
とりが目覚めていかなければならない。
界史的立場でみれば、弱小国だった朝鮮は植民
100年が過ぎたこの時点で我々が記憶に残さ
地になるしかない運命だったかもしれない。朝
なければならないことは、まさにこの点だ。我々
鮮も独立を守るためにどの強大国に頼るべきか
は半分ではあるけれども過去半世紀の間、この
だけが関心事だった。
共同体を変化させた。我々の力で、だ。世界の
誰が、現在の韓国が昔、日本の植民地だったか
韓国の反省
わいそうな国だと思うだろうか。
しかし、朝鮮の崩壊要因は内部にもあった。
これ以上、過去の恥にこだわるのは止めよう。
権力層が無能であった上に、国への思いは置き
恥の衣を脱ぎ捨てよう。…(韓国・中央日報 8
去りだった。過去100年の間我々は日本のせい
月31日付、文昌克コラムから)
だけにしてきた。しかし我々に過ちや足りない
面はなかったのか?我々の失敗にはフタをし、
全斗煥大統領演説
他人のせいにだけすることが正しいのか。
この夏、日韓併合100年ということで韓国で
これは高宗(併合時の国王)が内部の力量を
は日本に関わる歴史回顧と日本糾弾が盛んに行
まとめようとせず、強大国に頼ろうとしたこと
われた。その中で問題を自己批判に繋げた異例
と、どこが違うのか?
の論評が上の記事だ。韓国メディアにこんな論
100年が過ぎた今、我々は見方を変えなけれ
調も登場するようになったということだ。しか
ばならない。日本のせいにすることはもう止め
しこの記事を読みながら思い出したことがあ
てもいいではないか。いつまで他人のせいにだ
る。今から29年前の1981年 8 月15日、当時の全
けするつもりか。他人のせいにするということ
斗煥大統領の「 8 ・15光復節記念演説」にもす
は他人に頼ろうとして失望したということと同
でに似たような内容があったからだ。演説はこ
じことである。
うなっていた。
これからは我々自身、何を誤ったのか、そし
我々の国恥について、日本帝国主義のせいだ
て再びそのような恥を経験しないためには何を
けにしてはいけない。当時の国際情勢に暗かっ
─ 10 ─
た我々、国内的に団結することができなかった
主体的歴史認識欠けた「菅談話」
我々、そして国力が弱かった我々一人ひとりの
ところで、「菅首相談話」は日本としての主
せいであることを、峻厳に自責する姿勢を持た
体的歴史認識を欠いた“反日文書”である。そ
なければならない。過去を真実以上に美化する
の理由は「日韓併合100年」の歴史に対する考
ことによって、空虚な自尊妄大に陥ってはなら
え方がまったくなっていないからだ。
ない…。
まず、日韓併合は1910年に始まり35年後の
1945年に終わっている。日韓併合終了からすで
日本糾弾と自己批判のバランス
に65年経っているということだ。日本支配を脱
今から考えると、この全斗煥演説は素晴らし
した新生・韓国の歴史は、日本による統治・支
かった?あれから30年、周知のように韓国にお
配の35年間よりはるかに長いのだ。さらにいえ
ける対日歴史認識は逆行し続けてきた。この30
ば1965年の日韓国交正常化以来、日韓の新たな
年の間、韓国側の要求や期待にこたえ日本は「謝
交流・協力の歴史はすでに45年間に及ぶ。
罪と反省」を、何回繰り返してきたことか。そ
1910年以来、100年間の内訳は以上のとおり
の挙句が今年 8 月10日に発表された菅直人首相
だ。日韓併合が今なお続いているのならともか
の「談話」である。
く、この内訳を見るかぎり“併合100年”は意
冒頭に紹介した韓国紙の論評は「日韓併合
味がない。もし日本政府が日韓関係100年とい
100年騒ぎ」の韓国における締め括りの一つだ。
うことで何らかの談話を出すとすれば、当然、
上記のような内訳を念頭に置いたものであるべ
「談話」の効果がこの論評の主張ということな
ら大いに結構なことだ。しかし30年前にも同じ
きだろう。
主張があり、しかもそれが大統領演説だったこ
韓国は1945年の解放・独立(大韓民国の正式
とを考えれば、この主張がそのまま韓国社会に
スタートは1948年)後の65年間、とくに日韓国
定着するかどうかは依然、分からないところだ。
交正常化後の45年間、目覚しい発展を遂げた。
「過去を日本のせいだけにするな」という自
経済はもちろん文化、スポーツなどを含めすで
己批判的発想はこれまでもよくあった。ひとし
に世界有数の発展国になった。この発展に日本
きり日本に対する非難、批判、糾弾が展開され
との交流・協力が大きく寄与したことは世界が
たあと、事態収拾の最後によく登場してきた。
認めるところである。
従って、膨大な日本糾弾(他人のせい)といさ
従って「100年談話」に盛り込むべきは、100
さかの自己批判(我々もいたらなかった)が繰
年前の出来事や日本支配下の出来事よりもその
り返されてきたというわけだ。その意味では締
後の発展ぶりであり、そのことに対する敬意や
め括りの自己批判で事態が解決したというわけ
お祝いの言葉であろう。「痛切な反省と心から
ではない。日本糾弾と自己批判の比率が逆転し
のお詫び」と同時に、いやそれ以上に現在の発
たわけでもない。
展と隆盛に対する「敬意と祝賀」を表明するこ
とくに歴史教育やマスコミ報道においてはこ
とが、日本としての主体的歴史認識であろう。
れまで日本糾弾が圧倒的だった。今後、自己批
「菅首相談話」はあまりにも韓国的な歴史認
判の比重が高まるのかどうか。韓国人の対日歴
識に偏っている。日本および日本人の歴史を蔑
史認識の根幹に関わることだけに、その変化は
ろにしている。これは“お付き合い史観”と言
簡単ではない。 われても仕方ない。実に水準が低い。
黒田勝弘(くろだかつひろ) 産経新聞ソウル支局長兼論説委員。1970年代から韓国ウォッチングを続けており、
日本人記者としては韓国滞在が最も長い。これまでの韓国報道で「ボーン上田記念国際記者賞」、「日本記者クラ
ブ賞」、「菊池寛賞」を受賞。主な著書に、『韓国人の歴史観』『韓国を食べる』『日韓新考』『韓国は不思議な隣人』
などがある。
─ 11 ─
【特集Ⅰ】 私の政治信条
衆議院議員・総務副大臣 渡辺 周
道様はちゃんと見ている、という勤勉で実直な
国民性を守り、為政者が作り上げてきた「ルー
ルを作った側にうま味がある社会構造」を壊し、
変える、という信念であった。我がスローガン
ながら、政権交代した今、もう一度この言葉を
噛みしめている。我々が最初にすべきは「国家
を護る根底の理念」は変えない、という安心の
メッセージの強い発信であった。
今回の寄稿は論文ではない。政権交代前から
の自身の政治活動を通して経験してきたいくつ
かの事実を述べ、民主党政権がいかに国民に信
頼を得ていくかを私なりに書き綴るものであ
る。それゆえ報道されて既に出ている現政権や
党の経済対策などにあえて細かく触れず、私が
常日頃、考え目指している事を述べたい。
政権交代による勘違い
今年の始めごろ、旧知の地元紙記者から電話
があった。「民主党政権が御用邸売却を進めて
いるというのは本当ですか」との内容。私含め
親しい民主党関係者に電話を掛けまくって“裏
取り”をしているようだ。そのような事実はな
いのだが、後日、天皇皇后両陛下の下田須崎御
用邸でのご静養日程が発表されるが、「鳩山政
権が御用邸も含めた国有地の売却を画策してい
るので、この事実を知った宮内庁が慌ててご静
養の日程を入れた」と極端に“誤解”された感
もあった。
その布石は確かにあった。前年暮れに中国共
産党幹部の訪日にあたり天皇の面会ルールが変
わったこと、外国人参政権導入が党幹部の口か
ら発せられたこと。これによって“政権交代”
とは聖域無く何をしてもいいのか、という漠と
した不安を多くの国民に抱かせるに至った。
昨年の総選挙結果は、国民が「政権交代」の
意志を持って一票を投じた日本で初めての政権
交代であった。長年の自民党政権と霞ヶ関が作
り上げてきた「日本人を幸せにしない」現在の
システムを変えるべきという思いに裏打ちされ
た投票行動だったが、一方で政権交代という未
知の世界に一抹の不安があったことも否めな
い。事実、選挙戦中「一度やらして駄目ならま
た代えればいい」という声も多数耳にした。
かつて自身の選挙で「守るべきもの、変える
べきもの」というスローガンをアピールしたこ
とがある。20世紀最後の選挙に臨んでの時だっ
たが、日本人が大事に護ってきた伝統や価値、
精神性、陰ひなた無くまじめに努力すればお天
─ 12 ─
我が国が誇る「日本人力」
私は講演の機会を頂くときに「日本人力」と
いう造語を好んで使う。世界の各地に行ったと
きに、誇れるメイドインジャパンの製品。私の
地元・沼津市はネジ部品を中心とした自動車関
連産業の企業が多いが、その積み上げが世界最
高の品質を創る。爪の先を真っ黒にし、油でず
るずる滑る工場内でひとつ僅か何十銭の小さな
ネジをつくっている。その積み重ねられた製品
が富を生んでいる。人様の利益の“うわずみ”
で利ざやを稼ぐ投資や金融経済とは縁遠い世界
だ。
この製造現場のひとりひとりのワーカーの凄
さの例として、何かの本で読んだが、ある零細
下請け企業で不良品が多く発生、納入先から厳
しい指摘を受け、全従業員で品質管理会議を開
いた。その際に若い女性工員が特定の時間帯に
不良率が高い事を発見し、原因はすぐ横を走っ
ている電車の振動であることを突き止め、作業
時間を変更することで改善された。このエピ
ソードを知ったアメリカの経営者が現場で働く
ひとりひとりの質の高さを絶賛したという。中
国を始めアジア諸国の成長に日本の製造業の危
機を誰もが感じている。しかし私達日本人は人
が見ていようと見ていまいと「お天道様」に恥
じぬよう真面目に仕事をする生き方を美徳と
し、手を抜くことをせず、どのような製品でも
見えぬ所にまでしっかり加工されている。これ
こそ世界の中で最も信頼されるモノをつくる原
動力である。私たち民主党政権は質の高い日本
人力を更に高めて、ものづくりを支援する。世
経った今も膨大な米軍基地が存在する。海軍力
を増強する中国、独裁者率いる先軍国家・北朝
鮮の存在は日本一国の自衛隊で対応きない事は
承知している。安全保障は米国に委ね、経済発
展に専念できた我が国の軌跡も理解している。
だからといって占領下さながらの日米同盟論で
あってはならない。わが国が守るという国家の
当たり前の安全保障論議を始めるときに来てい
る。安保論議イコール“軍事大国化”という教
条的「いつか来た道」論を本気で危惧するモノ
はもはやいまい。 2 桁の軍事費の伸びを示して
いる隣国に恐れられるのはお門違いではない
か。悲しいかな日本のような「小国」がこの近
代世界の枠組みにおいて、どうして“軍事大国”
になることなど出来ようか。
界が長寿社会になる中、日本の質の高い「他者の
ためのものづくり」の出番はまだまだ沢山ある。
歴史文化に培われた世界一の民族
数年前に英国BBCが最も好ましい国民はど
こかというアンケートを、ヨーロッパで実施し
たところ、一位は日本であった。私達日本人は
海外で騙されたり、ぼられたり、という話をよ
く聞くし体験することもある。しかし日本では、
例え一見の外国人観光客に対してでもバッタモ
ノを売りつけたり、この時とばかりふんだくっ
たりするだろうか。否である。貧富の差といえ
ばそれまでだが、私達は“恥を知る文化”の国
だからこそ、市井のひとりであっても国の名誉
を貶めることはしてはならないと思っている。
この姿が日本を世界の中でもっとも好ましい国
民として評価されたのではないか。
稚拙な言い方だが、私達日本人はもっと自信
を持っていい。その自信を強めるために日本の
よき面をもっとしっかり学ぶ機会を作り上げる
必要がある。学校教育で近代史を必修にし、歴
史を学ぶようにする。戦後教育を受けた世代と
して実感しているが、歴史は「覚えるもの」で
「学ぶもの」にはなっていない。近代日本を創っ
た人々の理想や生き様をしっかり学び、史実の
中で日本という国のよき面をしっかり伝える。
特攻兵士が命をかけて託したかったこと
今年 3 月、桜島噴火の降灰被害や離島医療の
現状を知るために鹿児島県に出向いた。その岐
路、どうしても訪ねたかった知覧町の特攻記念
館に足を運んだ。会場に飾られた若き特攻兵士
の顔、顔、顔。そしてしたためられた辞世の手
紙。言葉を呑み込みながら、時間の許す限りひ
とつひとつを丹念に心に刻み込んだ。沖縄を本
土上陸の橋頭堡にしてはならない。知覧から“死
に装束”で飛び立った精悍な青年達は、その運
命を受け入れ、非人道的作戦に参加した。疑問
を持つことが許されぬ戦時中とはいえ、聡明な
若者達が特攻作戦で劇的に戦局が好転するとす
べて信じていたとは思いがたい。しかし祖国の
発展を願い、郷里にいる幼い弟妹の頭上に降り
注ぐ爆撃を少しでも遅らせる事ができるなら、
と覚悟を決め、敵艦に突入し散って逝った。
あの特攻兵士が守ろうとした沖縄に戦後65年
防衛装備品輸入の落し穴
かつて安全保障委員会に所属していた際に、
「アメリカが外国に対して輸出許可をしていな
い夜間活動用の暗視ゴーグルが日本の航空自衛
隊に納入されている」との情報をもとに当時の
石破防衛相と防衛省を問い詰めたことがある。
防衛省の調査の結果「クロ」であった。旧東側
の精度の低い模造品であり、どういうルートか
防衛商社や代理店を通じて納入された“バッタ
もん”であった。
その後、選定・納入にあたって厳格化された
が、指摘せずに放置されれば隊員の作戦遂行は
おろか、生命に関わる事態も引き起こしたかも
しれず、米国の輸出ライセンスもなく自衛隊の
前線に配備されていたという現実的な”平和ぼ
け”に慄然とした。
信頼される政権として
今回、政府は与那国島への自衛隊配備につい
て調査費を概算要求で計上した。これは評価し
ていい。自民党政治家からは「なぜ自民党政権
でやらなかったのだろう」と嘆息が聞かれた。
世代交代が進み、多くの政治家が外交・安全
保障をタブー無く議論し頼れる政権・政党像を
確立しようとしている。繰り返しになるが、政
権交代した今「護るべきもの、変えるべきもの」
を明確にし、戦後政治と行政の総決算を断行す
べき時代となった。
信頼いただけるよう行動していきたい。
渡辺 周(わたなべしゅう) 1961(昭和36)年、静岡県生れ。早稲田大学政経学部卒。読売新聞記者、静岡県議
会議員を経て1996年、衆議院議員初当選。現在 5 期。2009年、鳩山内閣において総務副大臣。2010年、菅内閣に
おいて総務副大臣再任。2002年の小泉首相訪朝前から拉致問題にも熱心に取り組む。また、民主党が推進してい
る外国人地方参政権の反対派として、党内でも議論を展開。その他、慰安婦問題・南京事件の真実を検証する会
においても精力的に活動している。
─ 13 ─
【特集Ⅱ】
旭日大綬章受章 愛知和男
─ 14 ─
「祝 旭日大綬章受章 愛知和男君を讃う」
元内閣総理大臣 中曽根康弘
愛知和男君の旭日大綬章受章を心からお祝い申し上げます。
愛知君は、昭和51年の衆院選挙に初当選以来、一時は自民党を離れ新たな政治を模索した時期もあっ
たが、保守派の論客として常に我が国の歴史と伝統に根ざし国政に熱心に携わってこられた。近年で
は私が会長を務める憲法改正議員同盟で共に我が国の将来を考え奮闘してくれていた。
彼は大学時代はコーラス部で歌唱力を誇り、又、スキーはプロ級といった多趣多芸の人であり、彼
の軽妙洒脱な人柄、洞察力と強い信念は人を魅了し、国民の信頼を集めてきた。
昨年の総選挙で惜しまれつつも議員を引退されたが、新たに日本戦略研究フォーラム理事長に就任
されたことは、同君の実績に裏打ちされた思想と見識による才能を遺憾なく発揮できることであろう。
この度、旭日大綬章受章の名誉に輝いたのを再び元の一歩と考え、同君の更なる弛まぬ努力と日本
国への献身を期待せずにいられない。
これからの尚一層のご活躍をお願いしたい。
愛知和男 略歴
─昭和12(1937)年 7 月20日 東京都にて誕生─
昭和36年 東京大学法学部卒業 平成17年 自民党観光特別委員長
昭和36年 日本鋼管株式会社入社
平成19年 衆議院政治倫理審査会長
昭和48年 大蔵大臣秘書官
平成21年 政界引退
昭和51年 衆議院議員初当選(以降当選 9 回)
平成21年 日本戦略研究フォーラム理事長
昭和55年 外務政務次官(鈴木内閣)
平成22年 旭日大綬章受章
昭和57年 労働政務次官(中曽根内閣)
・NPO法人日本エコツーリズム協会会長
昭和61年 衆議院文教常任委員長
・NPO法人世界遺産アカデミー会長
昭和62年 自民党調査局長
・NPO法人世界遺産コンサート理事長
平成元年 衆議院安全保障特別委員長
・NPO法人日本バスケットボール振興会会長
平成 2 年 環境庁長官(第 2 次海部改造内閣)
・財団法人国際親善協会会長
平成 5 年 防衛庁長官(細川内閣) ・社団法人日本ナショナルトラスト協会会長
平成 6 年 松本歯科大学理事長
・社団法人全国地区衛生組織連合会会長
平成 9 年 日本経済研究会理事長
・関西大学顧問
平成16年 関西大学理事・客員教授
・東洋学園大学評議員
─ 15 ─
愛知和男理事長 政治家33年の足跡
衆議院大蔵委員長に就任
政治の師・田中角栄元首相邸にて
第 2 次海部改造内閣で環境庁長官に就任
国会での質問風景
来日したゴア上院
議員(後の副大統
領)と
─ 16 ─
インドネシア・カリマンタンの森林を視察
環境庁主催のパーティに秋篠宮のご臨席を仰いで
こんな側面も!リリースされたレコード
環境庁大臣室でのスナップ
海部首相とゴルバチョフ元ソ連書記長を迎える
航空自衛隊幹部の出迎えを受ける
防衛庁長官のときに陸海空自衛隊を閲兵する
─ 17 ─





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叙 勲 祝 賀 会
─平成22年 6 月14日─
(於 ホテルニューオータニ)
音楽仲間の乾杯でパーティは始まった
燕尾服で謝辞を述べる愛知理事長
当フォーラムの中條会長も得意の乾杯の歌で盛り上げた
(左)発起人を代表して挨拶する中曽根元首相
(下)JTBの田川博己社長
(下)ナショナルトラスト協会の木原名誉会長
─ 18 ─
(上)篳篥演奏でお祝いする東儀秀樹氏
(右上)元巨人軍の桑田真澄氏
(右)舞台で熱唱する愛知理事長
(下)列席の友人たちと記念撮影
(右)仲 間もソロで歌のプレゼ
ント
会場はさながら「音楽会」
─ 19 ─
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祝
旭日大綬章受章
おめでとうございます
(順不同)
祝 御受章
NPO法人 日本エコツーリズム協会
茂木賢三郎
田川 博己
副会長 〒141-0021
東京都品川区上大崎2-24-9 4F
電話 03─5437─3080
栗林総合法律事務所
日本旅行
NIPPON TRAVEL AGENCY
栗 林 勉
代表取締役会長
弁護士 金 井 耿
〒100-0011
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110-0015
1-25-5
501
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TEL 03-3833-6210 FAX 03-3833-6221
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─ 21 ─
米軍再編 幻のグアム特需
ジャーナリスト 児玉 博
米軍再編に伴うロードマップ
とする民主党政権はこの合意、つまりは日米同
2001年 9 月11日米国を襲った同時多発テロ
盟を水泡に帰すかのように普天間基地移設問題
は、米国防総省に重大な決断を促した。そのキー
で詭弁を弄し続けた。
ワードが「不安定な弧」だ。
米国防総省は北朝鮮、中国を含めた太平洋か
「グアム特需」に対する日米の不均等
らインド洋、北アフリカを含めた中東の連なる
10年 4 月 9 日、衆議院安全保障委員会で自民
地域(不安定な弧)を大量破壊兵器やテロの温
党議員浜田靖一が質問に立っていた。浜田の質
床と捉え、即応可能な指揮機能、後方支援機能
問は、普天間基地移設問題が 5 月までに決着し
など米軍再編(トランスフォーメイション)に
なかった場合、グアム移設に与える影響から、
着手した。
日本側が約 6 千億円もの巨費を負担しているこ
ジョージ・ブッシュ前政権で始まった世界的
とを米国民に知らしめる方策を、政府はどう
な米軍再編に伴い、日米両国政府は在日米軍基
採っているかなど、およそ 4 項目に渡った。
地再編のための計画をまとめた文書(ロード
しかし、質問の要諦は次の 1 点に尽きた。「真
マップ)を交わした。
水(日本政府の拠出金)の部分というのは日本
06年 5 月に両国の外相、防衛相(日本側は外
企業が取って仕事をすべきだ、と。逆に言えば、
相麻生太郎、防衛相額賀福志郎。米国側はコン
もっと沖縄の色々な会社も参加して恩恵を受け
ドリーザ・ライス国務長官、ドナルド・ラムズ
るようにすべきだ」ということである。
フェルド国防長官)による日米安全保障協議委
そして、次のように続けた。「米国企業と日
員会( 2 + 2 )で合意に至った。
本企業とが平等な扱いを受けることが当然で
その骨子は、
あって、日本企業が不利になるような各種の制
①普天間基地の代替施設として辺野古地区にV
約は完全に排除できているのか」とも。
字形滑走路を建設する②沖縄から海兵隊員約 8
麻生内閣で防衛相を努め、自民党国防族の有
千人、そしてその家族およそ 9 千人を14年まで
力議員である浜田は米軍再編問題については、
にグアムに移転させるというもの。 1 万 6 千ヘ
当事者として粒さにその経緯を見てきた政治家
クタールのグアムの基地に 2 万人近くを収容す
だ。
る施設群を含む移転費用102億 7 千万ドルのう
浜田が問題視しているのは、沖縄の海兵隊員
ち、日本側が60億 9 千万ドルを負担することも
がグアム移転に伴い生まれる「グアム特需」で、
合意した。
日本企業が米国企業と同じように恩恵に預かる
ロードマップ合意からおよそ 4 年。新たな政
仕組みができているのか、つまり日本政府が負
権を担い、本来日米合意という国際協約を速や
担する 6 千億円分に見合った仕事を受注できる
かに履行しなければならない鳩山由紀夫を首班
のか、いやできているのかと防衛当局に問い質
─ 22 ─
したのである。
約 2 千百億円。この部門の発注元は日本の防衛
浜田はロードマップ合意を受け、自民党案と
省である。民間資金活用(PFI)方式が取られ、
して立案された「グアムスキーム」に対して一
国際協力銀行(JBIC)から融資が行われる仕
貫して異を唱えていただけに浜田の危惧は当然
組みとなっている。ただ、期間50年の建設・運
であった。また、心配した通り日本のゼネコン・
用・維持管理が条件とされている。
住宅メーカーの出足は鈍く、意欲も低い。本来
先に触れた浜田の国会質問にあったように、
であれば特需に沸くはずにも拘わらず・・・。
日本側が特に問題視しているのは、②③の日本
一体なぜなのか?
の予算で施工される軍事付帯施設と住宅施設の
取り扱いである。ともに日本のゼネコンと住宅
米国流の仕組みに消極的な日本企業
メーカーに受注が期待される分野だが、大手の
当初、与党自民党幹部を中心とした視察団が
反応は冷ややかである。
グアムの地を訪れたのは07年 2 月。山崎拓(元
「日本政府がこれだけの資金、つまり血税を
自民党幹事長)を団長に町村信孝(元外相)、
出すわけだからもっと主導権を握って先導して
大野功統(元防衛庁長官)ら議員である。防衛
くれればいいのに・・・。米国側に圧倒的に有
省からは金澤博範(防衛政策局次長)、グアム
利な条件でしょ?それを乗り越えて果たして取
計画の日本側の窓口であり、グアムスキームを
りに行く事業かどうか・・・・」(スーパーゼ
実質的に取りまとめた財務省から出向の門間大
ネコン幹部)
吉(防衛省経理装備局会計課長)らが同行して
政治・文化の壁に留まらず、確かにこの幹部
いた。米国側からは駐日大使ジョン・トーマ
が指摘するように、100%のボンド、資材運搬
ス・シーファーと太平洋軍副司令官ダニエル・
には米国船籍の船舶の使用、日本の企業が共同
リーフらが参加していた。
企業体(JV)の主幹事になった場合でも下請
米国側は意気軒昂だった。シーファーは06年
けの 1 社には米国企業を使わなければならな
のロードマップ合意は日米安全保障条約改定後
い。更に入札に際して、米国企業は入札額から
の最も重要な合意と位置づけ、米軍再編の意義、
20%減価できる(日本政府支出分野では撤廃)
日米同盟に及ぼす影響、グアム島の戦略的な優
など、安全保障に係わる軍事付帯施設とはいえ、
位性を滔滔と説いた。山崎らは終始聞き役に回
とてもイーブンな条件とは言い難い。
り、シーファーらの意気に気圧されただ頷くば
明らかに不平等とも思える条件を撤廃しなけ
かりだったようだ。
れば、このままでは日本の納税者にどう説明す
日米合わせて約 1 兆円を超すグアム特需が見
るのかという声が上がっているのも当然だ。
込まれる工事は大きく 3 つに分かれる。
日本が期待を寄せる軍事付帯施設では、スー
①米国政府が拠出し、米海軍エンジニアリング
パーゼネコン 1 社を除き、士気が上がっている
本部(NAVFAC)が発注する軍事施設部門が 4
様子はない。防衛省発注となる住宅分野では大
千億円。これは飛行場・訓練施設・港湾施設な
手商社がゼネコンや住宅メーカーとグループを
どを含め、軍事上の機密事項に抵触する部分が
組み、受注に意欲を示している。しかし、50年
多い。しかし、港湾施設などは当初から日本企
にわたる維持管理のノウハウがないために、米
業の参入は難しいとされている。②日本政府が
国企業に足元をすくわれかねないのが現状であ
拠出し、やはりNAVFACが発注する軍事付帯施
る。
設は、およそ 2 千 8 百億円。純然たる軍事施設
ではなく庁舎・部隊舎・学校など。③海兵隊員
不平等な置き土産
の家族らの 3 千 5 百戸の住宅施設。予算規模は
今回のスキームの中心にいた門間は現在内閣
─ 23 ─
府審議官として、やはり国益に深く係わる拉致
ヒラリーは藤崎の労をねぎらうような言葉をか
問題を担当している。門間はかつて1度だけメ
けたものの、同盟国の大使を迎えるには態度は
ディアに口を開いたことがあった。防衛省が防
よそよそしかった。
衛専門商社「山田洋行」を巡る疑獄事件の真っ
ヒラリーの用件は明快。「米国政府は日本政
只中にあった時だ。事件の焦点は、時の事務次
府が06年に合意した米軍再編のためのロード
官で天皇とまで呼ばれていた守屋武昌にまで司
マップの一刻も早い実現を望んでいます」だっ
直の手が伸びるか否かの時であった。当然のよ
た。これは、米国の同盟国に対する強い意思表
うに、財務省からの出向者ながら守屋側近と見
示である。それをヒラリーが特別に他の外交機
なされていた門間への目は厳しさを増してい
関が一切動いていない日を選んで、日本への、
た。門間を名指しした怪文書も省内で飛び交っ
謂わば最後通牒を突きつけたかたちとなった。
ていた。
背景には、この 2 ヶ月前、米国は国防長官ロ
「何があろうともこの計画だけはやり遂げな
バート・ゲーツを訪日させ、米国の確固たる
ければならない。日米間に大きな傷を残すわけ
メッセージを伝えている。「普天間が移転でき
にはいきません」と、門間は自分に向けられて
なければ、沖縄のグアム移転は存在しない。沖
いる疑惑を払いのけるかのようにこう話し、国
縄への土地返還もあり得ない」、これについて
益最優先を何度となく繰り返していた。
の日本政府の姿勢を糾したのである。
ところが、国益最優先とはかけ離れた手続合
クリントンは既に日本政府に箍を嵌めるが如
意、殊に、その不平等とも取れる契約形態につ
く09年 2 月17日、日米協定を締結し、5 月13日、
いて問いただすと、「決して不平等とは思わな
国会で承認されていた。
い。説明をちゃんとすれば理解してもらえるは
ず・・・」と言うばかりだった。財務省幹部ら
無知がもたらした日米の亀裂
には、自民党防衛族の意向であるというような
09年 9 月、政権交代した鳩山は、当然この経
説明をしていたようであったが・・・。
緯も米国側の意向も認識していたはずだが、周
不甲斐ない自民党防衛族、米国に擦り寄った
知のとおり、解決案があると言いながら、結局
財務省官僚の合作による不平等な置き土産。枠
は政権を投げ出してしまった。
組み見直しこそが政治家の責務に他ならない。
今回の普天間基地移設問題のみならず、鳩山
しかし・・・。
の外交デビューとなった国連総会での「温室効
果ガスを1990年比で25%削減する」や、米国に
ヒラリーの最後通牒
疑心暗鬼を助長した「東アジア共同体構想」な
09年12月21日。大雪に見舞われたワシントン
ど、鳩山がいかに抗弁しようともそれらすべて
はさながら冷凍庫のようだった。連邦政府機関
荒唐無稽な話でしかなかった。要するに、単な
のみならず、各国の大使館も雪の中、ひっそり
る思いつきに過ぎなかったのだ。
としていた。唯一日本大使館だけが異例の事態
鳩山が、小沢が日米同盟をずたずたにした。
に追われ慌しさを増していた。何故ならば、何
そ れ を 引 き 継 い だ 菅 だ が、 不 平 等 を 見 直 す
の前触れもなく駐米大使藤崎一郎が国務長官ヒ
「NO」という 2 文字を、米国に突きつける勇気
ラリー・クリントンに呼び出されたからだ。
があるとは、到底思えない。
「こんな日にわざわざお越し頂いて・・・・」
。
(文中敬称略。役職は当時のまま)
児玉 博(こだまひろし) 1959(昭和34)年、大分県生れ。早稲田大学文学部卒。著書に「幻想曲」
「バブル」
(共
著)などがある。
─ 24 ─
防衛問題 戦車の話から防衛大綱へ
評議員・元陸上幕僚長 冨澤 暉
1、戦車についてのテレビ討論参加
6 月に、あるテレビ局から「10(ヒトマル)
式新戦車についての討論番組をやるので出演し
てくれ」との依頼があった。討論相手は英軍事
専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウイーク
リー』元日本特派員の清谷信一という人で、故
江畑謙介氏亡き後の軍事評論第一人者だとのこ
とである。
準備のため、この清谷氏の「防衛破綻…『ガ
ラパゴス化』する自衛隊装備」という本を先ず
読んだ。本年 1 月発行の新書には元防衛庁長
官・石破茂氏推薦という帯がついていた。
7 月の生放送日、テレビ局に着くと討論相手
は清谷氏だけでなく、元防衛庁長官・中谷元氏
と民主党の衆議院安全保障委員会筆頭理事の神
風英男氏が加わっていた。
番組名は「それでも新戦車は要るのか」となっ
ており、戦車兵出身の私は初めから被告席に立
たされていた。
2、戦車の役割
まずは、「戦車の役割とは何か」という話か
ら始まった。冷戦中、ソ連の戦車 5 万両に対し、
NATO諸国が約 2 万両強の戦車を保有していた
ことは分かるとしても、当時何故、四面環海の
日本が1200両の戦車を保有していたのか、につ
いて私は説明させられた。
冷戦時におけるソ連のSLBM(潜水艦発射弾
道弾)は、日本海から米本土までの射程を持た
なかった。そこで、米ソ戦時にウラジオストク
の極東艦隊は何としてもオホーツク海に進出し
なければならず、このため彼らは宗谷海峡南岸
と津軽海峡両岸を陸戦力により占領するだろう
と予測された。これを拒否するための日本側の
最も有効な兵器が戦車であった。その日本の防
衛態勢が、実は米ソ戦を抑止し、即ち、日本に
平和をもたらすということであった。この説明
は参席者一同の同意を得たらしく異議は出な
─ 25 ─
かった。
では「国家間決戦は当分ありそうになく、ロ
シアも西欧諸国も戦車数を削減した現在」にお
いて、日本の戦車の役割は何なのか、が次の問
題であった。
現代の戦車の役割の第一は、テロ・ゲリラ(低
強度紛争)対処における友軍歩兵の支援である。
米国はテロ・ゲリラにピンポイント砲爆撃で対
処しようとしたが、民間人を巻き込み、友軍相
撃もあって完全に失敗した。そして今や歩兵の
大増強をしているのだが、この歩兵を直接支援
するものとして戦車の存在が重要になってきて
いる。
米軍が10年ほど前に作ったストライカーとい
う軽装甲車等はテロ・ゲリラのもつ肩掛け対戦
車ロケット(RPG-7等)や即席爆発装置(IED)
で簡単に撃破されてしまうので、これらの脅威
に最も強い戦車が今要求されているのである。
すると「そういう任務を果たす戦車であるな
らば、対戦車用火砲等を持つ必要はないではな
いか」という質問が次に出る。
確かに低強度紛争専用の戦車には対戦車機能
は不要である。しかし、今なお対戦車機能を持
つ戦車が日本周辺には多数存在しているのであ
る(ロシア: 1 万 2 千、中国: 1 万、北朝鮮:
3 千 7 百、韓国: 1 千 8 百、インド: 2 千 5 百、
米国: 8 千)。
現在はこれらの国の間で、互いの国に戦車を
乗り入れるような戦争(高強度紛争)は(朝鮮
半島紛争を除き)予測されていないが、 3 ∼40
年後までの情勢変化を考えるならば、各国がそ
のような機能を有する戦車を今なお保有してい
る以上、高強度紛争対処の兵器を捨てることは
出来ない。また、その高強度紛争にも備えるこ
とが、高強度紛争そのものの発生を抑止してい
ると認識すべきである。
無論、 3 ∼40年後の事態を予測しても、その
時に必要な戦車の量は分からないし、今からそ
の量を準備するのは無駄である。だから、機能
を存続させるための必要最小限の戦車を保有
し、情勢の変化に応じて拡張(エキスパンド)
できるように準備しておけば良い。こういう防
衛力を我々は「基盤的防衛力」という。
そして「装備の質は 3 ∼40年先を見て、装備
の量は 5 ∼10年先を見て」決定されなければな
らない。防衛大綱は「 5 ∼10年」を読んでの防
衛概念だから量的にはそれで良いのだが、その
中に含まれる質の話は「 3 ∼40年」先を読んだ
ものでなければならない。
現在、漸く実用化され始めた地対空誘導弾
PAC3は1983年に開発にとりかかったものであ
るし、かの74式戦車もまだ現役の兵器なのであ
る。
3、新戦車の質
現在、世界で使われている主力戦車は口径
120mm級の火砲と複合装甲を持つ 5 ∼60トン
台の「第 3 世代戦車」と呼ばれるものであり、
我が国の90式戦車もその一つである。
各国はこの第 3 世代戦車に新しい通信情報機
能やテロ・ゲリラ対策の各種機能を付加してい
るところである。
清谷氏は「①だから日本でも90式戦車に各種
機能をつければ良い。②10式新戦車を44トンと
軽くした理由は軍事的には無意味。③10式新戦
車の対テロ・ゲリラ対策機能は不充分。④戦車
周辺の各種装甲車が不足しており、装甲車体系
のバランスが悪い」と批判したので、私は陸上
自衛隊の考え方を中谷議員とともに次のように
代弁した。
確かに90式戦車を活用できれば良いのだが、
残念ながら90式戦車は予算のこともあり、ぎり
ぎりの設計で作られた。このため、後から各種
機能を付け加える余地(空間・荷重)がなく止
むを得ず新たな設計をした。この余地を「拡張
性」というが、10式新戦車では将来に備え、十
分な「拡張性」を持たせてある。
44トンにしたのは、国内橋梁の多くを国土交
通省の決まりどおりに通行させる為、というこ
ともあったが、それ以上に重要なことはこの戦
車に「敏捷性」を持たせることであった。「敏
捷性」は新時代の戦車の戦力そのものである。
現段階で、10式新戦車が必要な全ての機能を
備えているとはいえないが、①で述べた「拡張
性」により、それらの機能は必要に応じ今後付
加できるように設計・準備されている。
装甲車体系のバランスが悪いことは認める。
修正すべきだが、拡大均衡はとれても縮小均衡
はとれない、予算枠の拡大が必要である。
私はこの10式新戦車について現職の自衛官達
から現物について詳しく教えてもらったが、確
かに素晴らしい戦車であった。あまり表向きに
宣伝されてはいないが、②の敏捷性に関して「前
進と同速度の後進能力」「スラローム(蛇行)
しつつの精密射撃」とか、更に整備性がよく「エ
ンジン交換や燃料補給が極めて短時間に可能」
といったことをもっと内外に知ってもらうべき
であろう。 7 月22日付の環球時報(中国共産党
『人民日報』が発行する国際問題専門紙)に「ア
ジア一の日本新型戦車がお目見え」と題し、写
真入りで紹介されたそうだが、国民挙ってこれ
を喜ぶことが真の抑止力になるのではないかと
思う。
─ 26 ─
4、戦車の量
冷戦時代の防衛大綱の下で自衛隊の戦車定数
は1200両と決められていた。平成 7 年の07大綱
でそれが900両に減じられ、更に平成16年の16
大綱で600両に削減された。そして今またその
600両が多いか少ないかの議論がなされている。
神風議員は「戦車そのものは必要だと思うが、
本当に600両も要るのか、については、十分な
検討を要する」と結論を留保した。清谷氏は「敵
の戦車が多数上陸することが考えられないの
で、300両で良い」と言った。
テロ・ゲリラとの闘いの原則は歩兵対歩兵だ
から、歩兵が多数いれば、必ずしも戦車は要ら
ない。しかし、神出鬼没のテロ・ゲリラ対処に
は極めて多量の歩兵を必要とする。
1996年に韓国東部へ上陸した26名の北朝鮮ゲ
リラを駆逐するのに韓国軍は 6 万の兵員を投入
したのである。
現在、日本へのテロ・ゲリラ攻撃はないが、
朝鮮動乱が生起した時、日本全国に多くのテ
ロ・ゲリラ攻撃が発生する公算が高い。何故な
らば、発電源・送電施設・上水道源・ダム・貯
油装置・各種パイプ・放送電話局・アンテナ
類・橋梁・トンネル等々、その破壊が国民生活
を脅かす、無数の脆弱施設が全国に展開されて
いるからである。彼らは難民に紛れ込んだり、
工作船で潜入したり、或いは既に日本にいる仲
間(日本人をも含む)を加えて日本人を恐怖に
陥れ、日本を基地とする米軍・国連軍への支援
にブレーキをかけようとするのである。
こうしたことは全国で分散同時発生するの
で、とても現在の陸上自衛隊の歩兵(普通科隊
員)数では足りない。その僅かな歩兵を支援す
る兵器として戦車ほど有効な兵器はない。広い
日本の某一か所に戦車を集めておいてその都度
各地に派遣することはできないから戦車を各地
形区画に分散しておかなければならない。そう
いうことを考えれば、テロ・ゲリラ対策として
の600両の戦車数はむしろ足りないものと考える。
将来、高強度紛争の可能性が出てきた時、何
両の戦車が必要になるかは予測できない。清谷
氏は多数の戦車を揚陸できる能力を持つ国はな
い、と言ったが、それは当面の話であり、将来
それを可能とする潜在能力を持つ国は幾つもあ
る。また、それをやるためには攻撃側に絶対制
空・制海能力が必要だから将来においてもあり
得ない、という視聴者の意見もあったが、局地
制空・局地制海で港湾を奪取してそこから大量
に戦車を揚陸することも可能である。何れにせ
よ 3 ∼40年先のことはよく解らない。情勢が変
化し始めた時に、これに応じ戦車数を拡張(エ
キスパンド)させなければならないのだが、拡
張基盤としての戦車数を求めるならば、技術・
生産基盤維持のための年間最小生産数や戦車大
隊レベルでの教育・訓練・整備基盤を考えなけ
ればならない。この点からも600両は多すぎる
とは言えない、と私は考える。
5、防衛大綱の話
テレビの戦車討論会はここで、どういう訳か
防衛予算の硬直性の話から防衛計画の大綱へと
展開した。神風議員が「この何十年間、陸 4 、
海 3 、空 3 という防衛予算比率が変わっていな
い。情勢の変化に応じて柔軟に変えるべきだと
思う」と言った。司会者はじめ多くの出演者が
同意のようであった。この番組は戦車予算を削
減すれば、防衛予算の硬直性を直せると思い企
画されたのだろうか、とすればとんだ見当違い
である。
「防衛予算硬直の真の原因は陸自の人件費が
高いということにある」と私は言った。陸上自
衛隊の予算の68%が人件糧食費で、これ以外の
予算を如何に削減しても海・空の予算は大して
増えない。ましてや陸上自衛隊予算の0.7%に
過ぎない戦車予算を全額海空に回したとて防衛
予算の硬直性が修正される筈もないのである。
それ故、陸自の人員を減らして海・空予算を
増やそう、という提案はこれまでにも何度とな
くあった。しかし、先述のように、全国で起こ
り得るテロ・ゲリラに対応するだけでも、陸自
の兵員数は圧倒的に足りないのである。その上、
最近ではPKOがあり、災害派遣、さらには口
蹄疫防除のお手伝いまである。長期任務につく
場合、陸自部隊は通常 8 時間交代のスリーシフ
トを組む。つまり、15万の兵力は常続的には 5
万となる。さらにその 5 万の中に補給・整備・
輸送・糧食・衛生等々の後方勤務者もいるのだ
から、本当に第一線で働ける隊員はほんの僅か
ということになる。15万 5 千人という定員をこ
れ以上減らすことは出来ない。
陸自の人員数を削減することは結局出来な
い、と歴代主計官方は認識せざるを得なかった。
それでは防衛予算の硬直性は永遠に修正されな
いのか。そんなことはない。防衛予算総枠を増
やして、その増加分を必要とあらば海・空に回
せば良いのである。
考えてみれば、防衛予算をここまで硬直なも
のにした最大の原因は「かの吉田ドクトリンを
守るために、世界情勢の変化に拘わらず、ひた
すら一定の防衛予算規模を維持し続けた日本官
僚主義だ」と言うべきである。
米国は本年 2 月に出したQDR( 4 年毎防衛
見直し)で陸軍を1.8倍に増強し、海軍の水上
艦艇、空軍の戦闘機を大幅に削減したが、厳し
い財政難の中で、10年度国防予算総額は史上最
大となった。
そして中国対応の海・空軍力については将来
を目して質の充実に努力している。つまり「量
の陸軍、質の海空軍」であり、それは「脅威対
抗即応防衛力としての陸軍、基盤的防衛力とし
ての海空軍」ということでもある。日本の防衛
大綱もこの柔軟性を見習うべきであろう。
冨澤 暉(とみざわひかる) 1938(昭和13)年、東京都生れ。芥川賞作家冨澤有為男の長男。1960年、防衛大学
校卒( 4 期)。第 2 戦車大隊長、第13普通科連隊長、北部方面総監。1993年、陸上幕僚長。数々の要職を歴任し
1995年退官。川崎重工業(株)顧問を経て、現在、本フォーラム評議員・隊友会副会長・東洋学園大学理事兼客
員教授。講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。編著書に『シンポジウム イラク戦争』(かや書房)など
がある。
─ 27 ─
講 座
祖国のために死ぬことは最高の栄誉
〜領海侵入・ハニートラップ・靖国参拝反対を
如何に乗り越えるか〜
特定非営利活動法人 公共政策総合研究所 代表理事 福冨健一
国民の抵抗心がなくなったとき、その国
は戦争に敗れる
子供の学力が世界第 1 位ということで、フィ
ンランドの小学校を訪問した時のことである。
女性の校長は話し始めるとすぐ、「フィンラン
ドでは、フィンランド語が継承されてきたこと
が誇りなのです」と胸を張って答えた。フィン
ランドはロシアやスェーデンに侵略された歴史
を持つが、その間、大国の脅威を跳ね返す「フィ
ンランド魂」という戦争に負けない不屈の精神
が継承されてきたという。「フィンランド語が
誇り」という自信にあふれた校長の言葉のせい
か、教師の話を聞く子供たちの瞳が輝いて見えた。
「フィンランド魂」のような国民の抵抗心が
なくなったとき、その国は戦争に敗れるといわ
れている。そのためドイツでは、「民間防衛隊
に関する法律」(1965年)第 1 条は、「攻撃によ
り市民を脅かす危険及び損害克服のため民間防
衛隊が編成される」と「民間防衛隊の編成」を
規定している。この民間防衛隊はジュネーブ条
約上の文民(Zivilpersonen)であり軍人ではな
い。民間防衛の精神は、家族や共同体、国家を
愛し、守りぬくという国民の抵抗心を基礎とし
ている。他方、日本の国民保護法制には、残念
ながら自国や家族は自らで守るという抵抗心が
欠落している。
祖国再建こそ現在のお前達に与えられた
大任なのだ
日本人は本来、自国は自らで守るという抵抗
心が欠落した国民ではなかった。
戦犯裁判で殉死した方々の遺書701編を綴っ
た『世紀の遺書』(巣鴨遺書編纂会)がある。
戦犯裁判で1,068名の方が死没し、裁判は巣鴨
プリズン、上海、マニラ、ラバウル、チャンギー、
グアムなどほぼ50箇所で行われた。死没者の平
均年齢は38.7歳。26歳から30歳が180人、次に
30歳から35歳が157人である。
─ 28 ─
その中に「南十字星のもとに」というタイト
ルの28歳の後藤大作海軍主計大尉の書いた遺書
がある。遺書は 4 ページに及ぶが、本稿では抜
粋を紹介する。
吉田松陰先生は29歳を最後として辞世せられ
ました。私が29歳を最後として逝かねばならぬ
のも又何等か前世からの運命のように思はれま
す。周囲には同じ処刑の日を待って居る多数の
陸海軍青年士官が居りますが不思議にも其の中
の大半は29歳です。「29歳は厄年かなあ」と冗
談口をたゝいて居ります次第です。
省みれば私の一生は御両親の懐の中で何等の
心配もなく気儘に育てられ、世の暴風雨を知ら
ず春とともに散って行く草花の様なものであり
ました。全く春の花園の生活でありました。世
界一の幸運児でありました。
御両親にもう 1 回だけでも御目に掛り度う御
座いました。もう 1 回彼の丸い食卓を囲んで弟
妹達と一緒に食事が致し度う御座いました。未
練がましい私の言葉を何卒只一言だけ御寛容下
さい。懐かしさは次々と湧き出して何程書いて
も書き切れません。
俺は日本男子である!俺は大君の御楯であ
る!と自分では思って居乍らも、祖国にあって
復員船で私の帰って来るのを今か今かと待って
居られます父上、母上の御姿を思い浮かべます
と、不覚にも自然に涙が溢れて参ります。
不幸にも祖国は戦いに敗れ連合国の統治下に
置かれては居るが、必ずや近き将来に再び立ち
直って、以前の立派な日本になるであろう事を
確信して居ります。そしてその祖国再建の大業
に当たる者は、誰でもない今御両親に寄り添ふ
て居るお前達若い者達である。祖国再建こそ現
在のお前達に与えられた大任なのである。貴様
達の兄は貴様達の奮闘を遥かに「ラバウル」の
一角から祈って居る。
国はよし薔薇の色香に染まるとも 香り忘る
な山桜花
では私は元気に散って行きます!
効なのである。
後藤大尉の遺書が「御両親にもう 1 回だけで
も御目に掛り度う御座いました」、「もう 1 回彼
の丸い食卓を囲んで弟妹達と一緒に食事が致し
度う御座いました」、「俺は大君の御楯である」
と述べるように、日本人は家族や国家を想い、
「山桜花」のように凛とした精神を受け継いだ
国民なのである。
ところが、民主党政権の閣僚は、 8 月15日に
靖国参拝を全員拒否している。『民主党政策集
2009』には、「靖国神社はA級戦犯が合祀され
ていることから、総理や閣僚が公式参拝するこ
とは問題があります」、「慰安婦問題等に引き続
き取り組みます」とある。民主党は、確信を持っ
て靖国参拝を否定しているのである。 8 月10日
に菅首相は、日韓併合100年の自虐談話を出し
たが、菅首相や仙谷官房長官にとっては念願成
就の勝利の美酒なのである。
領海侵入・ハニートラップ・靖国参拝反
対
ここで、近年の日本に起きている安全保障に
関する動向を数件見てみよう。
2003年11月、ミン級潜水艦、大隅海峡を航行。
2004年 5 月、上海領事館電信官のハニートラッ
プ事件。2006年 3 月、胡錦濤国家主席「靖国参
拝しないなら(日中関係は)発展」。2007年12月、
イージス艦情報漏えい事件。2008年10月、駆逐
艦 4 隻、津軽海峡を航行。2009年12月、習近平
副主席、天皇に謁見。2010年 4 月、潜水艦・駆
逐艦10隻、沖縄・宮古島航行。
これは全体のほんの数例であるが、日本領海
での中国艦船・潜水艦の航行、イージス艦情報
漏えいのようなハニートラップ事件、靖国参拝
問題などが繰り返し起きていることが分かる。
今、日本において問題なのは、これらの問題
が何度も起きているにもかかわらず、何ら対策
が講じられていないことである。現在、多くの
国ではハニートラップは巻き込まれたら隠さず
報告するので、有効な工作活動ではない。とこ
ろが、日本人に対しては、ハニートラップが有
祖国のために死ぬことは、最高の栄誉で
ある
今、我々が行うべきは何か。後藤大尉の遺書
にあるように、「祖国再建」である。中国艦船
の領海侵入やハニートラップになぜ対応できな
いのか。究極のところGHQの占領政策により
軍隊と靖国神社が否定され、それを回復しない
まま今日に至っているからである。
ロ ン ド ン の1797年 創 業 の 書 店 ハ チ ャ ー ズ
(Hatchards)の軍事コーナーに入ると、入口に
子供向けの絵本『バトル オブ ブリテイン』
が並んでいる。子供達は、目を輝かせてドイツ
の戦闘機を撃退する英国軍パイロットの雄姿を
見つめる。パブリック・スクールや名門大学は
教会と一体となっていて、戦死者の名簿が刻ま
れている。たとえば多くの首相を輩出している
イートン校には、燦然と輝く教会があり戦没者
記念碑がある。オックスフォード大学クライス
トチャーチにも戦死者が刻まれている。「祖国
のために死ぬことは最高の栄誉」なのである。
「Noblesse Oblige」を実践する英国では、第一
次大戦では名門校の若者の約30%が戦死してい
る。
民主党政権は、自治労、日教組、JR総連など
が支持し、マスコミや学者、プロの活動家、民
主党事務局などが支える強固な左翼の連合体で
ある。彼らは確信を持って、韓国併合の自虐談
話、外国人参政権等々、日本解体に向け着実に
布石を打っている。
それでは、本来の日本を取り戻すにはどうす
べきか。NATO標準の軍隊を創り、国家による
靖国神社参拝の恒例化を実現することである。
「祖国のために死ぬことは最高の栄誉」である
という精神を呼び覚ますことである。
軍隊と靖国神社は車の両輪であり、これを底
流で支えるのが「祖国のために死ぬことは最高
の栄誉」という精神である。戦後65年間、これ
らの課題を放置してきたことが左翼政権を生ん
だのである。軍隊と靖国神社参拝の 2 つの課題
に真正面から取り組むことこそが、日本の再生
であり保守の再生に繋がるのである。
福冨健一(ふくとみけんいち) 1954年栃木県生れ。NPO公共政策総合研究所代表理事、1977年東京理科大学卒業後、ハイデルベ
ルク大学留学、ニューポート大学大学院中退。民社党政策審議会部長、民主党政策調査会部長、保守新党事務局次長などを歴任
の後、自由民主党政務調査会副部長。一貫して有事法制を研究。ガイドライン法案、憲法調査会設置法案など、数多くの重要法
案の政策形成に参画。「ドイツの有事法制」(『POLICY BRIEF』JAN.15.2004)、「平和に対する罪、人道に対する罪はいかにつくら
れたか」
(『POLICY BRIEF』DEC.15.2009)など多くの論文を発表。著書:『南十字星に抱かれて 凛として死んだBC級戦犯の「遺
言」』(講談社、2005年)、『東条英機 天皇を守り通した男』(講談社、2008年)など。
─ 29 ─
講 座
「国連非中心主義」の勧め
政策提言委員・高知大学名誉教授 福地 惇
1、 『核兵器のない世界』と米国大統領オ
バマのノーベル平和賞
器も保有している極悪人だと難癖をつけられ
昨年の 9 月24日のニュースである。「国連安
隊にイラクは残虐に殲滅され、フセインは戦争
全保障理事会は、核軍縮・不拡散をテーマにし
犯罪人として処刑された。今はイスラエルの意
た初の首脳級会合を開いた。米国が提出した『核
向や利害を優先する米国や国連が、イランの核
兵器のない世界』に向けた取り組みをうたった
保有を阻止し、イランを弱体化しようとの工作
決議案を全会一致で採択し、米大統領として初
を巡らせている。他方で、国連も米国もイスラ
めて安保理議長を務めたオバマ氏の理念を、核
エルや北朝鮮の核保有に何ら有効な手を打とう
保有国である 5 常任理事国を含む各国が共有す
としていない。
て、挙句の果て、平和を愛する米国や諸国の軍
る形となった。決議は冒頭で『より安全な世界
私がここで言いたいことは、次の問題である。
の希求と、核兵器のない世界に向けた条件の構
国連安全保障理事会が米国の主導で核廃絶を目
築』を決意した」(ニューヨーク共同)。この会
指して「核軍縮・不拡散」を採択し、平和愛好
合で「国連中心主義」を堅持する鳩山首相(当
国のわが日本は当然のようにその驥尾に付す、
時)は、唯一の被爆国として「非核三原則」を
この構図の不気味さを言いたいのである。国連
堅持すると表明した。
が核を一手に管理する体制へと流し込む工作が
軍事超大国が世界の核廃絶への条件構築を合
米国とその影にあるシオニストに依って着々と
意するのだから、実に結構な話だ。しかし、国
進展している。「国連」が、各国の利害の調整
連で奇麗事を演説する前に、オバマは、地球人
機関である間は、大きな問題はないだろう。し
類全体を5000回以上破滅させることが可能なほ
かし、シオニストが諸民族の独立主権と自由・
ど貯め込んだ自国保有の核兵器を、半分なり 3
平和を認めるのだろうか。我々は彼らが各独立
分の 2 なり先ず率先垂範して廃棄する算段を付
主権国家の生殺与奪の権を掌握した後に予想さ
けるべきではなかったか。残念ながら、未だそ
れる事態を強く警戒する必要があるのではない
の気配は余り感じられない。それにも拘らず、
だろうか。
偉い人からご褒美を貰うが如く、早々とノーベ
3、
「国際連合」とはどのような存在か?
ル平和賞の受賞である。
さて、「国際連合」とは、日本人の常識では、
2、 現在の核武装国は何カ国か?
ニューヨークに本部を置く世界平和のための権
ところで、核兵器不拡散条約(NPT)で『公
威ある巨大な国際機構である。だが、われわれ
認』された核兵器保有国は、米、露、英、仏、
の祖父たちが戦っていた米英ソ中等26カ国が、
中国の 5 カ国だが、印度も保有した。だが、イ
1942(昭和17)年 1 月 1 日に米国の首府ワシン
スラエルも強力な核兵器を疾っくの昔に保有し
ト ン に 集 ま り「 連 合 国(the United Nations)
ている筈だ。かつて、イラク大統領フセインが、
共同宣言」を発表した時にこの機構は出発する。
イスラエルのパレスチナ人民虐待に異議をとな
わが国が降伏する 4 か月前の45(昭和20)年 4
えた時、化学兵器で同胞を虐殺し、大量破壊兵
月25日、米英ソを中心に、その他の大勢迎合の
─ 30 ─
ご都合主義の国々総勢46カ国が、サンフランシ
「七奪」(搾取・簒奪・強奪・虐殺等々)だと史
スコに集まり、「国際機構に関する連合国会議」
実無視の残酷物語つくって喧伝するやら、竹島
を開き、今後の国際秩序構想を「連合国憲章
の固有領土論、対馬もそうだ、日本海ではない、
(Charter of the United Nations)」に記したので
「東海」と言えなど、幻想的錯覚が教科書に溢
ある。敗戦直後、日本国外務省はこれが普遍的
れている。真面目な日本の歴史教科書を頓珍漢
国際機構であるかのように「国際連合」と詐称
に批判する暇が有るなら、自国のものを調査・
したため、今にわが国では、「国際連合」と慣
検討して反省する必要があるだろう。強者に卑
用し、この機構を大事にしている。だが、世界
しく取り入る韓国人の事大主義は、彼らの伝統
の平和と安全を保障する機構と喧伝される「連
的文化体質で、昔々は「シナの皇帝」、戦前は「日
合国憲章」には日独など旧敵国に対する制裁条
本帝国」、今は「国連・米国」に阿り、相手が
項(第53、77、107条)が未だに残置されている。
弱いと見れば威丈高になる。尚、反日左翼の醜
要するに「連合国」は日本の首根っこを強力に
い日本人が、「連合国会議」のNGO活動で韓国
抑え込んでいるのだ。従って、素直に「連合国
と連携しているのも大変に問題である。
会議」と呼ぶのが正しいし、我が国は素っ気な
る。
4、 国家の基本戦略を形成せずして安
易に国際世論に阿諛するとどうなるか?
さて、話は代わるが、本年 6 月15日、「連合
孫子の兵法に敵を知り己を知れば、百戦危う
国会議」の児童権利委員会なる部会が、日本の
からずとある。だが、政府閣僚、衆参両院議員
く程々に無責任に付き合うのが妥当なのであ
歴史教科書は「歴史的事件に関して日本の解釈
には、相手は疎か己すら知ろうともしない胡乱
のみを反映している」から、内容を是正せよと
者で溢れ返っている。近隣諸国や、
「連合国会議」
勧告すると言う。部会長は、李亮喜(イ・ヤン
が理不尽な勧告や苦言を呈しても、いとも簡単
ヒ)なる韓国人女性である。韓国は、潘基文(バ
に不甲斐なく迎合してその場凌ぎで過ごすの
ン・キムン)が事務総長になったように、多く
で、事態は益々苦しいものになる。それを知っ
の人材をこの機構に送り込み、今や影響力ある
ているから、自己愛の強い相手はあの手この手
位置を占めた。韓国政府は、「国連外交」を活
で、日本民族を撹乱し抑圧しようと熱心に奸策
用してわが日本を苦しめる算段を重ねて来た。
を労するのである。
竹島不法占領、わが国の国民教育、特に歴史教
我が国各界指導者たちは、自己を知り相手を
科書に対する尋常ならざる誹謗中傷は、明らか
知るために、先ず日本民族と有力諸民族の正し
な内政干渉で明白な国際ルール違反だが、「連
い歴史を学び直す必要がある。愛国心も知識も
合国会議」という巨大国際機構をとことん利用
意欲もなく、創出される世界の大勢に安易に迎
して、我が国に対する根拠なき侮蔑攻撃を国際
合し、理不尽な外圧に屈し続けていては、後世
的に正当化し、国際的圧力で領土の不当占領や
に大きな禍根を残すことになる。
内政干渉を実体化しようと必死なのである。
この人権小委員会の誹謗中傷に限らず、わが
先に示した「歴史的事件に関して日本の解釈
国にとって重大なる問題、例えば核拡散問題や
のみを反映している」とは、実に笑止千万な誹
国連軍等に関しては、国家戦略を調えて毅然と
謗である。広い世界に韓国の国定歴史教科書ほ
して対処すべきである。各民族の独立主権と自
どこの言葉に合致するものは余りないからであ
由・平等を剥奪するような怪しい出所の国際戦
る。日本文化は総て朝鮮人が教えてやった。日
略に迎合してはならない。
本帝国36年間の残虐な植民地支配、その証拠が
福地 惇(ふくちあつし) 1945年、茨城県生まれ。1969年、東京大学文学部卒。1976年、東京大学大学院人文科
学研究科博士課程国史学専攻修了。高知大学教授、文部省初中局視学官、大正大学教授を歴任。元統幕学校講師、
現政策提言委員、新しい歴史教科書を作る会副会長。著書に『明治新政権の権力構造』『木戸孝允における思想と
現実』『明治政府と西郷隆盛』『敗戦国体制護持の迷夢』『明治維新と近代日本の実相』など多数。
─ 31 ─



 特別寄稿 

スーパー耐性菌問題と
日本の医療サービスの行方
ひろし
政策提言委員 高橋 央
猛威を振るうスーパー耐性菌
猛暑が続いた日本列島で、保健医療従事者の
みならず一般国民をもヒヤリとさせる医療
ニュースが続いている。まずは、殆どの抗生物
質が効かないスーパー耐性菌、ニューデリー・
メタロβラクタマーゼ(NDM)が、欧州諸国
からインド・パキスタンへ医療ツーリズムで訪
れた患者から続々検出され、死者も出ていると
いう著名な医療週刊誌Lancetからの報道。日本
の厚生労働省も慌てて全国の医療機関に調査依
頼を出したところ、獨協医科大学付属病院でイ
ンドを訪れたことがある日本人入院患者に感染
していたことが今になって分かり、驚かされた。
もう 1 つは、全国の医療機関におけるスー
パー耐性菌の集団発生(アウトブレイク)の
ニュース。なかでも帝京大学付属病院で発生中
の事例は、日ごとに感染者と死亡者の数が増え
ており、終息はおろか制圧の目途も立っていな
いアンコントロール状況だ。高度な医療サービ
スを期待して来院された病人が、衛生管理とい
う最も基本的なサービスの欠如によって、本来
の病気以外の感染症で命を落とすことは、本当
に無念なことだろう。このような事態を主治医
からでなく、一般報道を通じて知らされれば、
ご遺族の憤懣も察するに余りある。これから大
学病院を受診する方々にも、少なからぬ不安を
与える筈だ。
日本の耐性菌対策は最先端と最後手
細菌に限らず全ての生き物は、外界からのス
トレスに抵抗性を獲得して生き長らえるものが
ある。年々強力化・広範化する抗生物質治療で
も同様で、大半の細菌は死滅するが、100万に
1 個かそれ未満の頻度で生存する菌が発生す
る。そのような抵抗性を示す菌は、耐性遺伝子
をDNAにもっている。その代表例がメタロβ
ラクタマーゼで、これは国立感染症研究所(感
染研)の荒川宣親部長らが発見したものだ。感
染研はもう10年以上前から、その上部機関であ
る厚生労働省に対して、多剤耐性菌蔓延への抜
本的な取り組みを提唱してきた。しかし、「日
本の科学研究は最先端、政策は社会問題化する
まで後手後手」のいつものパターンが今日まで
続いている。明治時代から 1 世紀続いた旧伝染
病予防法が1999年に新しい感染症法に改定さ
れ、その後も 5 年ごとに見直しが続けられてい
るが、法律による監視対象にある耐性菌は、
MRSAなど 5 種に過ぎない(表参照)。このよ
うな多剤耐性菌に対する治療には、欧米ではコ
リスチンが投与される。この薬は1950年に福島
県内の土壌から採取された菌を用いて、日本の
製薬会社が開発した日本発の抗生物質だった
が、現在厚生労働省から製造承認が下りていな
い。日本で今日使うには、輸入承認を受けて取
り寄せるしかないのだ。
医療現場のジレンマ
スーパー耐性菌の蔓延化は、医療従事者の日
常業務の中にも問題がある。度重なる抗生剤治
療によって耐性遺伝子を獲得する菌の発生より
も、一度発生した耐性菌が保菌者にくっついた
まま、時には国境を越えて病院から病院へ運ば
れ、その先で医療従事者の手指や医療器材を通
じて他の患者へ定着することが問題だ。時には
耐性遺伝子が、(例えばアシネトバクターから
大腸菌へというように)種を超えて飛び火する
ことも知られている。
従って、薬剤耐性菌対策を具体化させる際は、
「作らない、移さない、持ち込ませない」の3原
則が基本となる。非核三原則みたいで物々しい
が、院内感染が社会問題化した病院だけでなく、
全国の医療福祉機関が一致団結して厳密に実践
しないと成果が出ないので、物々しくなるのは
やむを得ない。院内感染対策は「手洗いに始ま
り、手洗いに終わる」と云われるが、この 3 原
則のもと標準予防策を職員全員へ認知させ、徹
底させるには、感染管理実務者の養成と配置が
不可欠なのだ。
院内感染対策では、インフェクション・コン
トロール・ドクター(ICD)やナース(ICN)
などが現場の感染管理の主導役となるが、日本
の医療現場ではその重要性が充分認知されてい
ない。彼らは医療施設内の感染制御を進めれば、
不要な抗生剤治療費や合併症管理費を削減で
─ 32 ─
表.日本の感染症発生動向調査(サーベイランス)で報告対象となっている耐性菌
耐性菌感染症
発生状況、調査形式
バンコマイシン耐性黄色ぶどう球 腸管内に普通にみられる腸球菌が、バンコマイシンの度重なる投与でvanA遺伝子などを獲得
菌(VRSA)
し、耐性のVREとなる。MRSAがvanA遺伝子を受け継いで耐性化した菌がVRSA。いずれも治
療に難渋するので、患者は個室管理とし、発生時には必ず地域の感染症情報センターへ即刻報
バンコマイシン耐性腸球菌(VRE) 告しなければならない。
ペニシリン耐性肺炎球菌(PRSP) MRSAは多剤耐性菌の代表例で、日本で患者から分離される黄色ぶどう球菌の 6 ∼ 7 割は
MRSAに耐性化している。高齢者が老人福祉施設と病院間を頻繁に行き来するため、福祉サー
メチシリン耐 性 黄 色 ぶどう球 菌
ビスでも施設内感染のリスクが高まっている。一度感染すると、抗生剤治療で完治させること
(MRSA)
が難しく、しばしば耐性化が進んで治療できなくなる。地域の基幹病院から発生状況を毎月報
告させている。
多剤耐性緑膿菌(MDRP)
き、人件費や対策費を差し引いても、患者と病
院の双方に利益が多いことを病院管理者へ指摘
している。しかし、近年の厳しい医療費削減政
策と人手不足で、大病院ですら数名の感染管理
実務者を配置する資金的余裕がない。たとえ配
置したとしても、ドクターは血液内科や呼吸器
内科の兼任、ナースは中央材料部や集中治療室
の兼任とされることが多い。重大な責任の割に
は中途半端な権限しか付与されないので、感染
管理態勢は自ずと消極的となり、院内感染が発
生しても隠蔽化してしまう。
日本のリーダーは耐性菌問題へどう取り
組みたいのか?
スーパー耐性菌を取り巻く問題には、国民や
政治家にも責任がある。「質の良い医療サービ
スには金がかかる」という事実を受け入れるの
かどうか?金をかけたくないならば、それに
よって増大する医療感染のリスクを承知するの
か?という議論を充分せず、責任を医療従事者
に押しつけている。TV報道で「怖いですねぇ…」
とか「まことにけしからん!」という市民や代
議士の声に、患者のために日夜働いている善良
な医療者は落胆してしまう。
高齢人口の急速な増加や先進医療技術の実用
化で、医療感染のリスクは近年劇的に増大して
いる。日本経済活性化の切り札の 1 枚として、
最近医療ツーリズムの推進が挙げられている
が、医療感染拡大の危険性が格段に大きくなる
ことも覚悟しておかねばならない。民主党が掲
げる政治主導も宜しいが、要は良質な医療サー
ビスを供給するために、先見の明がある主導者
が人材と資材を優先投資する分析力・決断力・
実行力を兼ね備えて取り組めば、それが政治家
でも行政官でも、双方のコラボレーションでも
構わないのである。医療サービスの現場でも、
今最も切望されるのは強力なリーダーシップに
他ならない。
民間の動きは活発化している。近年は日本で
も、命を守るための仕事でさえ、結果的に過失
があれば訴えられる訴訟社会になりつつある。
また、病院機能評価が定着し始め、機能評価を
パスすることをきっかけとして病原体発生動向
調査(サーベイランス)を始める施設も多い。
週刊誌レベルでは、先進医療の実践度がランキ
ングされて掲載される時代だが、今後は院内感
染の管理態勢がランキングされるかも知れな
い。このような民間からの監視と評価は、医療
者側からは不本意なことも少なくないが、徐々
に米国化している社会構造と社会意識のなか
で、当然の流れなのかも知れない。
医療サービスにおける真の平等とは?
最後に私たちがもう 1 つ考えておかねばなら
ないことは、「社会保障制度は国民に遍く平等
であるべきかどうか?」という問いである。「良
質なサービスを得るためには金がかかる」とい
う前提のもと、命と直結する医療サービスでも、
レストランや飛行機利用時の受益者自身による
選択の如く、米国流に国民に選択の幅を与える
べきか?政治は行政を通じて最低限守られるべ
き基準を示し、それが遵守されていることを監
視すれば、後は医療機関間の自由なサービス競
争を容認して良いのか?現実には混合診療の是
非についての論議程度しかなされていないが、
昨今出現したスーパー耐性菌たちが我々に問い
かけている究極命題である。
高橋 央(たかはしひろし) 1962(昭和37)年東京都生れ。長崎大学医学部・同大学院、ロンドン大学公衆衛生
熱帯医学大学院修了。医学博士。米国防疫センター(CDC)、国立感染症研究所研究員を経て、感染対策コンサル
タント。国内外で数々の耐性菌アウトブレイクの実地調査を主導した。1997年デンバーサミットでは故・橋本龍
太郎首相に随行し、後の沖縄感染対策イニシアティブにつながる提言をした。2010年の新型インフルエンザ流行
時には在京TV局のニュース番組に連日出演。積極的に政策提言を行うなど活躍が注目された。
─ 33 ─



 特別寄稿 

今夏の話題ドラマに思う
政策提言委員・国家基本問題研究所評議員 潮 匡人
NHKスペシャル「15歳の志願兵」
私は日本の夏が嫌いだ。暑い気温もさること
ながら、私が言う「反戦平和教」の恒例行事が
目白押しとなるからである。
キリスト教国において、 1 年で最も大切な祝
祭日はクリスマス(降誕祭)であろう。
他方、反戦平和教国・日本の宗教記念日は 8
月15日の終戦記念日であろう。Xマス・イブに
当たる日を探せば、広島と長崎の被爆者追悼式
典か。それらを含む夏の恒例行事こそ、反戦平
和教にとって、最も大切な宗教行事なのだ。皮
肉を込めて言えば、多くの日本人が前非を悔い、
「 2 度と過ちは繰り返しません」と誓う、厳か
な季節である。
本来なら、キリスト教国のイースター(復活
祭)にも擬すべき 4 月28日、つまりサンフラン
シスコ平和条約の締結によって日本の主権が回
復した「主権回復記念日」を、国を挙げて祝う
べきだが、この日は祝祭日にも指定されていな
い。
戦後、反戦平和教が広く流布した道程に最大
の貢献を尽くしてきた功労者は、日教組を中核
とした教育者と、「進歩的精神」を戴くマスコ
ミであろう。彼らこそ、戦後日本に反戦平和教
を広めた熱心な伝道者である。
今年の夏も、彼らの布教活動には目を見張る
ものがあった。NHKの報道については、月刊「正
論」(10月号)連載欄に寄稿したので繰り返さ
ない。ここでは 8 月15日の「NHKスペシャル
終戦特集ドラマ 15歳の志願兵」を紹介するに
留める。
このドラマは「全国屈指の進学校・旧制愛知
一中であった実話」に基づく。NHKの公式サ
イトはこう紹介した。
「太平洋戦争末期、昭和18年(1943年) 7 月
5 日。愛知一中の決起集会で、全校生徒700人
が戦争に行くことを決めた。(中略)だがその
裏には、中学生を戦場に送ることによって兵士
不足を解消したい軍部の思惑があった。軍部が
─ 34 ─
学校に圧力をかけ、中学生を『軍国少年』に変
えていった真実が今、明らかになる」
ドラマの中で、若い配属将校が、後輩の中学
生に演説する。
「我々が鬼畜米英に対し誇れるものとはいっ
たい何か。それは質である。物量をもって襲い
来る敵に対し、我々は、質的な優位を誇るもの
としなければならない。我々はみな、名刀を持
ち、名人にならなければならない。では、その
名刀とはいったい何か。それは精神である。」
文字通りの精神論をブチ上げたわけである。
確かに今や悪い意味での精神論にしか聞こえな
い。だが当時、こうした精神論を鼓舞していた
のは軍部に限らない。むしろマスコミの罪が大
きい。象徴的な一例を挙げよう。
昭和17年 9 月21日付朝日新聞は「大東亜戦」
を「米食人種とパン食人種の闘いであり、菜食
人種と肉食人種、魚食人種と肉食人種の戦い」
と規定し、パンは「米と比べものにならぬ」「肉
を食うものは、一時的に強い力を出すが持続力
がない。長距離を走れば、ライオンは麒麟に負
ける」と書いた。
これに比べれば、ドラマの中の軍人の演説の
ほうが、まだしも格調が高い。念のために言え
ば、有名な「欲しがりません勝つまでは」も、
朝日と東京日日(現・毎日新聞)、読売の大手
3 社が全国から募集した「国民決意の標語」で
ある。そのマスコミが軍部だけを悪者にするの
は卑怯ではないだろうか。そもそも、史実に反
する。
話題を呼んだドラマ「歸國」
もう一つ、今年の夏に放送されたドラマを紹
介しよう。 8 月14日、TBS系列で放送された「終
戦ドラマスペシャル『歸國(きこく)』」である。
脚本は著名な倉本聰。出演はビートたけし、長
渕剛ほか超豪華キャスト。当然のごとく話題を
集めた。ドラマの紹介は 8 月17日付産経朝刊コ
ラム「産経抄」を借りよう。
「戦後65年たった『昭和85年 8 月15日』の未明、
東京駅に軍用列車が到着する。乗っていたのは、
大東亜戦争の最中に南の海で玉砕した英霊たち
だ。▼(中略)早速靖国神社に向かった英霊た
ちは、仰天する。参拝する閣僚を、大勢のマス
コミが追いかけていた。「国の為に死んだオレ
たちを、どうして国の要人が夜中にこそこそ詣
らなきゃならないンだ」。▼脚本が書かれたの
は昨年の夏だった。全閣僚が参拝しない政権が
生まれるとは、倉本さんも予想しなかったよう
だ」
産経抄が焦点を当てた靖国神社の場面を再現
しよう。以下は「歸國」した「英霊」の会話で
ある。
「国としての公式参拝がどうやら認められて
いないそうです」
「どういうことだ」
「それが…」
「国に命じられて戦った死んだ俺たちを弔う
ことが禁じられてるのか」
「いや、自分たちが祀られてるなら、別に問
題ないらしいんです。指導者たちが合祀されて
るからまずいという人がいるらしいです」
「戦後65年も経っているのに、どうして国は
手を打たなかったんだ。国ために死んだ俺たち
を国の責任者が参拝するのは当然の義務なん
じゃないのか」
「俺に怒ったってしょうがないでしょ。自分
もまったく同感ですよ」
そして、深夜に参拝する閣僚を取材するマス
コミに対し、「やつらに愛国心はないみたいで
すよ」と嘆く。ドラマを観ながら、膝を打った
視聴者は産経抄子だけではあるまい。
だが、注意深く観察すれば、右の会話は「A
級戦犯」合祀を問題視したとも受け取れる。「終
戦の日 平和な未来を築く思い新たに」と題し
た 8 月15日付読売社説はこう主張した。
「菅首相は、靖国神社に『A級戦犯』が合祀
されているため、『首相在任中に参拝するつも
りはない』と語っている。民主党は昨年の政策
集で、新たな国立追悼施設の設置に取り組む考
えを表明していた。誰もが、わだかまりなく戦
没者を追悼できる恒久的施設の建立に向けて、
本格的な議論を進めていくべきだ」
先の会話には、こうした主張を後押しする効
果もあるのではなかろうか。だとすれば、手放
しで礼賛することはできない。
実は、 8 月15日付朝日社説も「歸國」を好意
的に紹介した。期せずして、朝日と産経が同じ
作品を賛美したわけである。
「俺たちは今のような空しい日本を作るため
にあの戦いで死んだつもりはない」などの台詞
を引きつつ「劇中の『英霊』ならずとも、こん
なはずでは、と感じている人は少なくないだろ
う。戦後、日本は戦争の反省に立って平和憲法
を掲げ、奇跡と呼ばれた経済成長を成し遂げた。
なのに、私たちの社会は、いいしれぬ閉塞感に
苛まれているように映る」と評した。
右の限りにおいて、今年は珍しく、朝日新聞
の終戦記念日付社説に頷いた。劇中で「歸國」
した「英霊」はこう嘆く。
「ずっと夢見てきた日本の平和の姿っていう
のは、こういう残酷なものだったんかい。あん
まりじゃないか」
最後は以下の会話で終わる。
「我が国の戦後の過程がどうしてそこまでお
かしくなったのか(中略)日本はあの敗戦から
立ち直り、世界有数の豊かな国家として成功し
たんじゃなかったのか」
「成功いたしました。日本は豊かな国家となっ
ております」
「家族を顧みぬ社会がどうして豊かと言える
のか。(中略)もういい。貴様と話をしている
と何だか悲しくなる。俺たちは今のような日本
を作るために、あの戦いで死んだつもりはない」
産経抄ではないが、子が親の命を年金に代え
着服する、親が「自分の時間が欲しい」と子を
虐待する、こんな日本が生まれるとは、誰も予
想しなかったであろう。
具体的な防衛政策を是正することも重要だ
が、こうした文芸作品が投げかける課題も重い。
朝日も産経も、好都合な台詞をつまみ食いする
だけでは、日本人の意識は変わらない。反戦平
和教を打破する作品が待ち遠しい。今年こそ、
真っ当な文化芸術の出番にしよう。
潮 匡人(うしおまさと) 1960(昭和35)年、青森県生れ。早大法学部卒。同大学院法学研究科博士前期課程修
了(旧防衛庁から国内留学)。旧防衛庁・航空自衛隊勤務(元 3 等空佐)、聖学院大学専任講師、防衛庁広報誌編
集長、帝京大准教授等を歴任。財団法人「国家基本問題研究所」評議員。NPO法人「岡崎研究所」特別研究員。『常
識としての軍事学』(中公新書ラクレ)、『司馬史観と太平洋戦争』(PHP新書)など著書多数。最新刊は『日本を
惑わすリベラル教徒たち』(産経新聞出版)。
─ 35 ─
地域研究 タイ
タイの民主主義はどこへ行くのか
理事・元駐タイ大使 太田 博
2010年 3 月から 5 月にかけて、タイの首都バ
ンコクは大規模な騒乱に見舞われた。タクシン
元首相の支持派(赤シャツ組)が、最高裁判所
によるタクシン一族の資産没収に抗議してバン
コクの中心部に座り込み、ついに政府治安部隊
が出動してこれを排除した。この間死者88名、
負傷者1900名の犠牲者が出、近来にない騒乱と
なった。一体「微笑みの国」に何が起こったの
だろうか。
騒乱の背景:タクシンという政治家
今回の騒乱の背景には、タクシン・シナワッ
トという政治家がタイの政治を根本から変えて
しまったという事情がある。
タクシンは中国の客家の名家出身であり、最
初は警察官僚であったが、テレコミュニケー
ション(電気通信)の利権を握って大富豪にな
り、やがて政治家に転身した。タクシンが政治
基盤として目をつけたのが、東北タイの貧しい
農民を中心とする下層階級であった。これら下
層階級は、数の上ではタイの有権者の大半を占
めるが、これまでタイの政治での発言権がほと
んどなく、サイレント・マジョリティであった。
タクシンは、彼らの関心を引くような政策を次
から次に打ち出し、首相就任後は農民の負債を
軽減し、30バーツ(約90円)で誰もが医療を受
けられるようにし、またすべての村落に100万
バーツ(約300万円)の基金を作った。
タイは階級社会である。昔から下層階級は
あったが、階級社会のなかで、自分たちが下層
階級であることを自然と考え、特に政治的不満
をあらわにしたりはしなかった。ところがタク
シンが下層階級を政治基盤とすることにより、
下層階級は初めて自分たちの利害が中央政府に
反映されるのを経験した。タクシンは下層階級
を政治的に目覚めさせたのである。これはタイ
の政治の歴史で革命的ともいえる現象である。
─ 36 ─
タクシンのもう一つの顔
そのタクシンが、2006年 9 月にクーデターで
追放された。それはタクシンがもう一つの顔を
持っていたことと関係している。
まず政治モラルの問題があった。タクシンは
自分の携帯電話会社に有利な課金制度を導入
し、巨額の納税を回避した。また、タイ政府の
ODAを増額させて自分の会社に受注させるな
ど、首相の権力を乱用して自己や一族の利益に
資した。その政治手法は専制的であり、首相府
に予算と権限を集中し、国会審議を軽視した。
さらに麻薬対策では、麻薬関係者を容赦なく
殺害するなど、人権無視の強権政治を発動した。
このようなタクシンに対する反発が次第に高ま
り、反タクシン運動が盛り上がったとしても決
して不思議ではない。
タクシンに反発したのはバンコクを中心とす
る富裕、中間層、軍、王族関係者であった。彼
らが反発したのは単にタクシンの汚職、権力乱
用だけではなく、タクシンが下層階級を基盤と
して権力を握ったことへの反感もあり、反王政
ではないかとの疑問も抱かれるまでに至った。
つまりタイのエスタブリッシュメントがタクシ
ンを自分たちの地位を脅かすものと見たのであ
る。
このような状況を背景に、2006年 9 月クーデ
ターが起き、タクシンは追放された。タイはか
つてクーデターの国と言われた。タイを絶対王
政から今日のような立憲君主制に変えた1932年
のクーデターに始まり、以後17回のクーデター
のうち10件も成功している。しかし1991年 2 月
のクーデターを最後に、タイはもうクーデター
は卒業したと考えられていたので、2006年 9 月
のクーデターは驚きであり、歴史が逆行したか
のような印象を与えたのであった。
もう一つの驚きは、クーデターが起こったに
もかかわらず、その後2007年12月に行われた総
選挙で、再びタクシン派が勝ったことである。
タイ東北部、北部の農村地帯でのタクシン派の
優位は変わらなかった。
タクシン派の切り崩しとタイ国内の対立
の構図
選挙ではタクシン派の優位が明らかになった
のに、いろいろな形でタクシン派の切り崩しが
行われた。タクシン派の政党、「国民の力党」
が組閣したが、首相のサマックがテレビの料理
番組に出演し、謝礼を貰ったのが違法であると
して解任された。また国民の力党そのものが、
2007年12月の総選挙で選挙違反をしたとの理由
で解党処分を受けた。その結果、反タクシン派
の民主党を中心に現在のアピシット政権が誕生
したのである。
タクシン派はこれら一連の動きを、選挙で正
当に選出された政権に対する司法による不当な
圧力であるとして反発した。
さらに赤シャツ組によるバンコク市内の占拠
は治安部隊で排除されたのに、タクシン派政権
時に反タクシン派の黄シャツ組が首相府、国際
空港を占拠(08年 8 月と11月)したときは強制
排除がなかったとして、タクシン派は強い不公
正感を持ち、反タクシン派の政府をダブル・ス
タンダードであると非難した。
このように今タイは二つの勢力が対立する構
図となっている。この対立の最大の特色は農村
や都市の貧困層対バンコクを中心とする都市富
裕・中間層の対立である。タイでは貧富の差が
大きい。国の上位 2 割の富裕層が占める所得と
下位 2 割が占める所得を比較すると、日本、北
欧が 3 ∼ 4 倍、他の欧州、北米が 5 ∼ 8 倍であ
るのに対し、タイは13∼15倍と大きい。日本で
格差が問題にされているが、日本は平等社会に
おける格差であって、タイは階級社会なのである。
「タイ式民主主義」から普通の民主主義へ
それにしても今回タイ情勢がこれほどこじれ
たのはなぜか。それはこれまでタイの政治の安
全弁の役割を果たしてきたものが、今回は機能
しなかったからである。
その一つは国王の介入である。タイは日本と
同じ立憲君主制であるが、国王はいざというと
きに政治に介入してきた。最も有名なのは1992
年の元陸軍司令官のスチンダ首相と民主主義運
動家のチャムロンが鋭く対立したときである。
大惨事が予想された騒乱であったが、国王の介
入で流血騒ぎが回避された。ところが今回は国
王が高齢で病身であったこともあり、介入せず、
多くの犠牲者が出るに至った。
もう一つの安全弁はクーデターであった。政
権が腐敗し民心が離れたようなとき、軍が介入
して旧政権を追放し、選挙を経て新しい政権を
誕生させた。ところが今回はクーデターにもか
かわらず、政権は変わらなかった。
国王の介入とクーデターで政治の安定を得て
いた「タイ式民主主義」は、二つの安全弁を失っ
て試練にさらされている。しかし見方によって
は、それはタイが普通の民主主義に移行しつつ
あることを示している。多少の混乱はあっても、
それはタイの政治の進化であると考えたい。
国民融和への道
本稿を執筆している時点でタイ情勢は静かで
ある。しかし流血を生んだ対決の原因は排除さ
れていない。アピシット政権は、まず赤シャツ
組が一貫して要求していた総選挙を出来るだけ
早く実施すべきである。赤シャツ組が選挙で過
半数を得たタクシン派が政権を奪われてしまっ
たと感じているのは頷ける。
しかし対立の根本要因に対処しなければ、対
立の緩和は望めない。政府は対立の原因である
貧富の格差の是正、下層階級の政治的疎外感の
除去に本格的に取り組むべきである。貧富の格
差の是正は容易ではない。富裕層・中間層の既
得権益をいじらなければならないからである。
例えばタイには相続税がない。固定資産税も
あって無きがごとくである。これにメスを入れ
るには大きな抵抗があるが、格差の是正に取り
組まない限り、対立の原因は根強く残り、何か
をきっかけに騒乱が再発しかねない。
タイは今曲がり角に立っている。取り組まな
ければならない重要課題も山積している。しか
し、タイ人は昔から妥協に長けていると言われ
てきた。知恵を絞ってこの難局を乗り切ること
を期待したい。
太田 博(おおたひろし) 1936(昭和11)年、兵庫県生れ。1959年、東京大学教養学部教養学科卒。1960年、外
務省入省。在米国日本大使館参事官・在大韓民国特命全権大使、サウディ・アラビア国駐箚特命全権大使、タイ
国駐箚特命全権大使等の要職を歴任し、現在は本フォーラム理事。タイ・カシコン銀行社外取締役。岡崎研究所
副理事長。
─ 37 ─
地域研究 中央アジア
最近のキルギス・東トルキスタン情勢
拓殖大学海外事情研究所 助教 中島隆晴
本年 4 月 7 日にキルギスで発生した政変から
といって外資を誘致する産業にも恵まれなかっ
4 ヶ月、同国ではオトゥンバエワ暫定政権が成
たキルギスは、民主化を推進することで米国を
立したものの依然不安定な状況にある。暫定政
はじめ西側各国から経済援助を引き出すことを
権内部での主導権争いに加えて、キルギス・ウ
画策したのである。
ズベク両民族の民族対立がキルギスの未来を一
民主化政策によってアカエフ政権の思惑通り
層不明瞭なものとしている。
西側各国から多額の援助が供与されたが、経済
また昨年 7 月に東トルキスタンで発生した中
は一向に好転せず「中央アジアで最悪」とも言
国政府によるウイグル人に対する大規模な弾圧
われる貧困が長期化した。一方でアカエフ大統
から 1 年 3 ヶ月、現地では依然中国政府による
領一族をはじめとする汚職・腐敗体質が強ま
弾圧の継続に加えウイグル人やイスラーム過激
り、政権末期には野党主導の反政府デモが頻発
派組織によるテロが頻発、状況の悪化が一層懸
するようになった。しかし建前上「中央アジア
念される。本稿では近年のキルギス・東トルキ
の民主化先進国」を標榜していたアカエフ政権
スタン情勢に焦点を当て、政情不安が続く中央
はこれに積極的な弾圧を加えることに躊躇し、
アジアの現状を考察してみたい。
結果的に政権崩壊を招くこととなったのであ
る。
キルギスの政変
アカエフ政権崩壊後、政権の座に就いたのが
本年 4 月 7 日、キルギスの首都ビシケクで大
今回の政変で追放されたバキエフ大統領だっ
規模な反政府デモが発生、これに治安部隊が発
た。バキエフ大統領は「経済の回復」、「腐敗・
砲し、80名以上の死傷者が出た。このデモの直
汚職体制の一層」を掲げながら皮肉にもアカエ
接的な原因は大規模な電気料金の値上げで、こ
フ前大統領と同様の運命を辿った。
れに反対するデモ隊への弾圧と、政府が野党指
バキエフ大統領は弟のシャニベク・バキエフ
導者を拘束したことが政権転覆へと繋がること
を大統領警護隊長、長男のマラト・バキエフを
となった。もっともキルギスにおける政権崩壊
国家保安局の副長官に就任させるなど一族支配
はこれが初めてのことではない。2005年 3 月、
を強め、特に次男マクシム・バキエフを国家投
当時のアカエフ政権が野党勢力から「議会選挙
資発展委員会の委員長に就任させて国家のあら
の結果を捏造した」と糾弾され、大規模なデモ
ゆるビジネスを手中に収めた。マクシム氏は他
によって政権が転覆したチューリップ革命の先
人の会社や事業を一方的に簒奪するなど専横の
例がある。
限りを尽くしたとされ、今回の政変の背景には
キルギスは独立後中央アジア各国の中で最も
こうしたバキエフ一族の国家の私物化に対する
積極的に民主化を推進した。天然資源にもこれ
国民の激しい怒りも指摘されている。 ─ 38 ─
南北対立
ルギスの憲法改正案とオトゥンバエワ暫定大統
キルギスの政変の背景にあったもう一つの重
領の2011年末までの任期の是非を問う国民投票
要な要素は、同国における「南北対立」ともい
を実施し、 9 割以上の支持を獲得して暫定大統
うべき伝統的な地域対立であった。一般的には
領に就任した。
「工業的に発展したビシケクを中心とする北
オトゥンバエワ暫定大統領はバキエフ政権内
部」、そして「産業が立ち遅れ、イスラーム的
の有力政治家の一人で、女性の大統領就任はキ
な慣習が強く残る南部」という図式で説明され
ルギスでは初となる。しかし新政権は当初から
ることが多いが、南北の伝統的な部族対立の存
大きな問題に直面することとなった。南部を中
在も見逃せない。
心に発生したキルギス・ウズベク両民族の大規
実際に旧ソ連時代、ソ連中央政府はキルギス
模な武力対立である。
を一定期間北部の部族に統治させ、その後南部
5 月19日、キルギス南部の中心都市ジャラル
の部族に統治させるなどして両部族の対立を招
アバドでキルギス、ウズベク両民族の武力衝突
かないよう安定化に苦心してきた。しかしソ連
が発生、衝突は 6 月に入り急速に拡大の様相を
崩壊後こうした図式は崩壊し、まず権力の座に
見せ、8 日、両民族の衝突によって75名が死亡、
就いたのが北部出身のアカエフ大統領であっ
1000名近くが負傷する事態へと発展した。キル
た。アカエフ大統領は一族支配の強化と同時に
ギス暫定政権は対応に乗り出したがその後も武
自らの出身部族にも権力と特権を与え、南部部
力 衝 突 は 拡 大 し、13日 に 死 者113名、 負 傷 者
族出身者を意図的に排除した。こうした処遇に
1400名、翌14日には死者124名、負傷者は1700
南部では不満が高まり、強力な野党勢力が結成
名を超え数万人のウズベク系住民がウズベキス
されアカエフ政権の打倒の原動力となったので
タンへと脱出した。一方、避難民向けに国連を
ある。
中心に米国、ドイツ、ロシアが支援に乗り出し、
今回追放されたバキエフ前大統領は南部の有
食糧支援と住民50万人向けに7100万ドルの緊急
力な政治家であった。彼は政権の座に就いた後、
支援を行うことを決定した。非常事態宣言が出
アカエフ時代と同様に北部部族出身者を権力の
されたジャラルアバドでは両民族の長老が和平
座から意図的に追放した。このため今度は北部
会談を行い、暫定政府も調停に乗り出したが14
部族出身の有力政治家がバキエフ政権に不満を
日には再度武力衝突が発生、22日、キルギス保
抱き、政権打倒を画策していたとも指摘される。
険省は「これまでに死者251名、負傷者は2192
いずれにせよ伝統的な南北の地域・部族対立の
名に達したが、実際の死者はその10倍に達する
構造が今回の政変の背景の一因であった点に着
とも考えられる」と発表した。
目しなければならない。
キルギス南部では1990年にもオシュ市を中心
オトゥンバエワ新政権の発足と民族対立
にウズベク、キルギス系の両民族が大規模な武
の再燃
力紛争を繰り広げた「オシュ事件」が発生した
今回の政変で新たに政権の座に就いたのは元
が、今回の衝突はそれをはるかに上回る惨事と
外相オトゥンバエワ女史であった。政権獲得に
なった。今回の両民族の衝突の原因には「比較
至るまでの動きは極めて迅速であり、デモ発生
的経済的に恵まれたウズベク系住民に対するキ
の翌日 8 日には国営テレビ、議会、最高検察庁
ルギス系住民の不満」や、「著名なウズベク人
などを次々に占拠し臨時政府の樹立を宣言、自
ビジネスマンがテレビでキルギス人に述べた侮
らも臨時政府代表に就任した。 6 月27日にはキ
辱的発言」、または「イスラーム過激派組織の
─ 39 ─
関与」など様々指摘されているが、はっきりと
するロシアもいち早くオトゥンバエワ新政権を
した原因は不明のままである。暴動の中心と
承認した。またキルギスには多数のロシア系住
なった若者が重武装していた点から国外の何ら
民が居住しており、その保護の名目で 4 月 8 日、
かの勢力が今回の事件に関与していた疑惑が強
150名の空挺部隊を派遣している。ロシアはキ
まっているが、元来存在していた両民族の対立
ルギスを含む中央アジア地域を自らの「影響圏
感情が今回の政変を期に暴発した点は否定でき
内」と見なしており、今回の政変においての存
ない。一方で「キルギス軍がウズベク系住民の
在感を示すことに成功したと言えるだろう。
弾圧に関与していた」とする証言もあり、事件
国境を接する中国にとってもキルギスは近年
の真相究明が急がれる。
重要性を強めてきている。中国にとってキルギ
スは中央アジアの玄関口であり進出の拠点と
米・露・中の対応
なっている。またキルギスはその貿易輸入の
一方、今回のキルギスの政変と政情不安の拡
75%以上を中国が占める有力な市場でもある。
大は米・露・中といった大国も大きく注目する
今回の騒乱で多数の中国人経営の店舗が放火・
ところとなった。
略奪にあったこともあり、中国は中国系住民を
米国は今回の政変に関し、オトゥンバエワ暫
保護するためチャーター便 4 機を派遣してい
定政権を早急に承認し、事態の収拾に協力する
る。
旨を表明した。米国はキルギスのマナスにアフ
このように米・露・中いずれもが今回のキル
ガニスタン軍事作戦遂行上の基地を保有し、多
ギスの政変に対する高い関心を示したが、三大
数の兵員も駐留している。キルギスの騒乱が長
国は共通の脅威としてイスラーム過激派の動静
期化することで万一キルギスの軍事基地を失え
を注視している。アル・カーイダやタリバン残
ば米国の地域戦略は重大な影響を被る。
党、そしてIMUなどは中央アジアを拠点に米
米国はかつて2001年の 9 ・11テロ事件を期
国・ロシア・中国に対するテロ活動を強化させ
に、ウズベキスタン・キルギスの両国に軍事基
てきた。キルギス南部における武力衝突にイス
地を設置することに成功したが、ウズベキスタ
ラーム過激派の関与が疑われているように、イ
ンのカリモフ政権との対立の結果同国のハナ
スラーム過激派は常に社会的混乱に乗じて勢力
バード基地を閉鎖され、中央アジアに残る唯一
を拡大し、テロ活動を活発化させてきた経緯を
の拠点はキルギスのみとなっている。キルギス
持つ。キルギスの混乱が長期化するほどその危
のマナス基地はアフガニスタンをはじめ、イラ
険性は増加する。三大国の共通見解は早急にキ
ン・イラク・パキスタン方面での軍事作戦に不
ルギスの混乱が沈静化することだが、一方で今
可欠となっており、またロシア・中国に対して
後のキルギスにおける影響力拡大を狙った駆け
も米国の中央アジアにおける影響力を誇示する
引きが活発化している。
と共に睨みを利かせる最重要拠点でもある。
こうした地域戦略面から米国はキルギスの新
東トルキスタン情勢
政権を承認することとなった。また近年米国は
一方昨年の中国政府による弾圧事件から1年、
中央アジアにおける影響力拡大競争において
多数の死傷者が発生した東トルキスタンでは依
露・中両国に経済面から後れをとっており、キ
然中国政府による弾圧とそれに対するテロ事件
ルギスにおける橋頭保を確固たるものにしてお
が頻発している。ウルムチでは現在も24時間体
きたいとする思惑も見える。
制でのウイグル人監視が継続されている。事件
同様にキルギスにCIS緊急展開軍の基地を有
から 1 年、中国政府は東トルキスタンを「対テ
─ 40 ─
ロ対策の重要拠点」と位置づけ、治安部隊を
ンとも安定にはほど遠く、依然中央アジアの不
5000名増強、警察も1000名が増員された。市内
安定要因となり続けることが予想される。
にも監視カメラが 4 万台設置され、年内には 6
キルギスに関しては上述した民族衝突の問題
万台に増強されるという。
に加え、政権内部の対立問題も指摘されている。
こうした一連の対策に関してウルムチ市長は
オトゥンバエワ暫定大統領には権限はなく、北
「我々はテロに対し高圧的であるべきである」
部出身の 6 名の副代表が新政権の実質的な権限
と述べたが、自らをのみ正義と見なす漢民族側
を掌握しており、暫定大統領の任期終了後の主
の傲慢な対応はウイグル人の怒りを招いてい
導権を睨んで水面下での権力争いが活発化して
る。中国政府は今年 2 月に「民族団結教育条例」
いるとの報告もある。
を施行し、政府の少数民族政策をわずかでも批
6 名の副代表はそれぞれが米・露・中の異
判すると民族団結を妨げる行為として処罰され
なった大国の支持を取り付けているとされ、三
るようになった。また東トルキスタンの小中学
大国にしても自らの息のかかった人物を権力の
校では愛国教育の時間が増え、ウイグル族の児
座に就けるべく活発な動きを展開している。現
童に「愛国歌50曲を覚えること」を義務づける
在沈静化しているキルギスの権力闘争がいずれ
学校もあるという。
再開されるとみられる。しかしどの人物が権力
一方で中国政府はウイグル人が多数居住する
の座に就いても、一定の国民生活の向上と腐
カシュガル自治区を経済特区に指定し、税制面
敗・汚職体制の改善に成功しなければ再び政変
での優遇措置や所得引き上げ政策を実施するな
によって短期間で政権が崩壊する事態に直面す
どしてウイグル人の不満解消に努めるなどの対
る可能性が高い。キルギスの国民は過去 2 度の
応を見せているが、その効果は疑問視される部
政権交代を実現しており、不満があればいかな
分も多い。
る政権であれその打倒に躊躇しない。いずれに
せよキルギスの安定化には地域・部族主義にと
また、国内外における漢民族を狙ったテロ事
らわれず、改革に強固な意志を持つ人物が必要
件も頻発している。昨年のウイグル人弾圧事件
であろう。
を「ムスリムに対する弾圧」と見なしたアル・
カーイダをはじめとする国際テロ組織は主に中
キルギスの混乱が長期化した場合、東トルキ
東、アフリカ、南西アジア地域で中国人の殺害、
スタンに与える影響は少なくないであろう。キ
拉致事件を頻発させている。また東トルキスタ
ルギス国内の混乱の拡大はイスラーム過激派組
ンでも爆発物を用いたテロ事件を発生させてい
織に格好の活動拠点を与え、国境を接する東ト
るが、こうした行動は中国政府にかえってウイ
ルキスタンへの越境武力攻撃やテロ活動が一層
グル人弾圧の口実を与える結果ともなってい
活発化することが予想される。キルギスの不安
る。
定化は単に一国だけの問題ではなく中央アジア
地域全体の安全保障に関わる重大問題なのだ。
キルギスと東トルキスタンの今後
このように現状ではキルギス、東トルキスタ
中島隆晴(なかじまたかはる) 1973年東京生れ。拓殖大学政経学部政治学科卒、トルクメン・トルコ国際大学中
央アジア研究科修了。拓殖大学海外事情研究所客員研究員・東京財団リサーチ・フェロー等を経て現在拓殖大学
海外事情研究所助教。主な著作「中央アジアと米国の反テロ連携」、「キルギスの米軍基地閉鎖問題」、「トルクメ
ニスタンで変革は起こりうるか?」(いずれも「海外事情」)など多数。
─ 41 ─
地域研究 中 国
「米中冷戦時代」到来の兆し
評論家 石 平
金総書記電撃訪中の理由
去る 8 月26日から始まった北朝鮮・金正日総
書記の中国訪問は、今や世界中の注目の的と
なっている。外国にめったに足を運ばない金総
書記は、今年 5 月の北京訪問に続いて 2 度目の
訪中を断行したというのがあまりにも異例なこ
とだからである。
この電撃訪中の理由について、海外のマスコ
ミや専門家がさまざまな分析を行っている。今
回の訪中の目的は、大水害などの発生でいっそ
う深刻な状況となった自国の経済の立て直しの
ために中国側にさらなる経済援助を求めたいこ
とと、 9 月に開催予定の朝鮮労働党大会に向け
金総書記の後継者擁立問題で中国からの支持を
取り付けたいことの 2 点、これが大方の見方で
ある。
このような見方は決して外れてはいないが、
今回の訪中実現の全体像がそれで語り尽くされ
たとはとても言えない。第一、上述の 2 つの「訪
中理由」はあくまでも金総書記にとっての訪中
理由であって、中国側は彼の訪中を積極的に受
け入れたことの理由ではない。中国国内でも水
害などの大災害が相次ぐというこの時期に、中
国側が金総書記の訪問を快く歓迎した理由は一
体何か。多忙な胡錦濤国家主席は、わざわざ地
方都市の長春市にまで足を運び金総書記との首
脳会談に応じた理由は一体何か。それこそが問
題なのである。
中国側がこの首脳会談を通じて北朝鮮側に求
めたいことは、会談においての胡錦濤主席の発
言によって明確にされている。 8 月31日付の人
民日報のトップ記事が報じたところによると、
胡主席は金総書記に対して、「今後双方は次の
3 つの仕事に取り組むべきだ」と提案したとあ
る。胡主席が挙げた「 3 つの仕事」とはすなわ
ち、①中朝上層部の往来・交流をより一層緊密
にすること、②経済・貿易の協力と交流をより
一層推進すること、そして、③国際情勢に対処
するための「戦略的な意思疎通」をより一層強
化することである。
─ 42 ─
3 提案の①と②は、今までの中朝首脳会談の
中ではいつも語られているような決まり文句で
あるので、特に興味がわくほどの新味もない。
注目すべきは、第 3 点目の「戦略的な意思疎通
の強化」である。上述の人民日報記事によれば、
胡錦濤主席はこの点に関して金総書記を相手に
次のように語ったという。
「国際情勢と地域情勢は深刻かつ複雑な変化
を見せている。中朝両国は今後、重大な問題に
ついては即時深い意思疎通を行い、共同して東
北アジア地域の平和と安定を維持していくこと
が至極重要である」と。
胡主席のこの発言からは、彼が提案している
中朝の「戦略的な意思疎通」はそもそも、「国
際情勢と地域情勢の変化」に対処するための国
際戦略レベルのものであることがよく分かる。
しかも、彼が「東北アジア地域の平和と安定」
という表現で具体的な地域名も挙げているか
ら、胡主席の念頭にあるのは、まさに朝鮮半島
周辺を巡る「国際情勢と地域情勢の変化」であ
ることが明らかだ。具体的にいえば、今年 3 月
に韓国海軍の哨戒艦「天安」が爆発し沈没する
事件が発生して以来、緊張が高まってきた米韓
と中朝との対立を指していることを意味する。
中国の「核心的利益」で強化する米韓関
係とASEAN
「天安」沈没事件発生の当初、米韓両国はむ
しろ抑制的な姿勢に徹しながら、北朝鮮の最大
の支援国である中国からの協力を取り付けて、
国連の枠組み内での問題の解決を計ろうとして
いた。しかし、
「事件にいっさい関与していない」
とシラを切り通す北朝鮮と、態度を曖昧にしな
がら陰に陽に北朝鮮を庇おうとする中国側との
連携プレイを前にして、米韓の外交的努力が結
果的に頓挫してしまった。
「天安」沈没事件の解決が事実上宙に浮いた
ままの状態で、米韓の苛立ちは募る一方である。
こうした中で、やがて堪忍袋の緒が切れた米韓
両国は、北朝鮮とその背後に控えている中国に
対して圧力をかける方策に打って出た。その最
初のステップは即ち、 7 月25∼28日に日本海で
実施した米韓両国軍の合同訓練であった。中国
の近海付近で行ったこの大規模な軍事演習は、
北朝鮮を仮想敵としたものであると同時に、中
国に対する軍事的示威の意味合いもあった。
8 月中旬になると、韓国国防省はとうとう、
米韓両国が韓国海軍哨戒艦沈没事件への対抗措
置となる合同軍事演習を 9 月初めに黄海で実施
すると発表した。実は、黄海で行われる予定の
この軍事演習こそが、中国にとって看過できな
い重大な問題なのである。東アジアの地図を広
げればすぐに分かるように、黄海という海は中
国にとって実に重要な意味を持つ海域であるか
らだ。この海域は中国海軍が海洋に出るための
玄関口の一つだけでなく、北京・天津などの中
国の中心都市が黄海につながる渤海に近い地域
にあるから、黄海が米国の海軍によって「荒ら
される」ことは、中国の国防にとっての由々し
き事態となるはずである。
米国が中国との対決姿勢を強めたのは実は
「東北アジア地域」の黄海においてだけではな
い。南シナ海においても米国は動き始めた。去
る 8 月11日、南シナ海の中国の海南島と西沙諸
島を望むベトナム中部のダナン沖で、米国海軍
とベトナム海軍が捜索救難などの合同訓練を実
施した。
ことの発端は、今年 3 月、中国を訪問した米
国の国防関係の要人らに、中国政府の要人が南
シナ海は中国の領土保全の「核心的利益」と表
明したことにある。あたかも南シナ海を自国の
「縄ばり」にするかのような中国側の横暴な発
言がアメリカ側の神経を逆撫でした。 7 月に、
ベトナムのハノイで開催された東南アジア諸国
連合(ASEAN)の関連会議で、クリントン米
国務長官は「南シナ海の航行の自由は米国の国
益であり、軍事的脅威に反対する」と明言。中
国側への強い牽制となったのである。
その直後に実行されたのは上述の米国・ベト
ナム海軍の合同訓練であるから、それが中国に
対抗するための米・越の連携行動であることは
明らかであろう。かつてのベトナム戦争時代に
は不倶戴天の敵であった両国は、まさに「中国
の脅威」に対抗する形で再び手を組んだわけで
ある。
新たな冷戦構造
このようにして、今年の夏頃から、世界最大
の軍事大国アメリカは朝鮮半島周辺の海と南シ
ナ海の 2 つの海域において、それぞれのしかる
べき相手と手を組んで、中国の海上拡張に対す
る封じ込めを始めた。それはもともと、東シナ
海での拡張を図り南シナ海を中国の内海にしよ
うとする中国の覇権主義政策の招いた当然の結
果であるが、中国側にしてみれば、今の情勢は
まさに、米国を中心とする「反中国軍事同盟」
が東の海と南の海の両方から中国に対する包囲
網を形成しつつあるという深刻なものであろ
う。
中国としては、あらゆる手段を使ってこの緊
急課題に対処して、海から迫ってくる「中国包
囲網」を打破しなければならない。そのための
戦略の一環として、胡錦濤指導部は当然、唯一
の「同盟国」である北朝鮮との連携強化により
米国と対抗し、米国による「中国包囲網」を打
ち破るための突破口を作りたいのである。
まさに米国を意識したこのような冷徹な戦略
的思考こそが、 8 月下旬に中国が金総書記の 2
度目の訪中を快く受け入れたことの最大の理由
であり、胡主席が金総書記に語った「戦略的協
力強化」の真意であろう。実際、胡・金会談が
行われた翌々日の 8 月29日、中国国防省はさっ
そく同国海軍が 9 月 1 ∼ 4 日に黄海で実弾演習
を実施すると発表した。このことから見ても、
胡・金会談と中国の対米対策との関連性が一目
瞭然である。おそらく胡主席は金総書記との会
談において、北朝鮮の後継者問題への支援を約
束した見返りとして、米・韓軍事同盟に対抗す
る金総書記の同調を得られたのだ。これにより、
中国が米国に対する対抗姿勢を一層強めること
が出来たと考える。
旧ソ連の崩壊によって米ソの冷戦構造が終結
して20数年経った今、アジアにおける中国の台
頭と軍拡が引き起こした新たな冷戦の暗影がす
でに見え始めているのである。
石 平(せきへい) 1962(昭和37)年、中国四川省生れ。84年、北京大学哲学科卒。在学中に毛沢東洗脳教育か
ら目覚め、その後中国民主化運動に没頭。四川大学哲学部講師を経て、88年に来日。日本語学校卒。89年の天安
門事件をきっかけに祖国中国と「精神的に決別」。95年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程終了。民間研究機
関に勤務の後、中国問題・日中問題評論家として執筆、評論活動を展開している。著書に『なぜ中国人は日本人
を憎むのか』(PHP研究所)、『私は「毛主席の小戦士」だった』(飛鳥新社)、『中国「愛国攘夷」の病理』(小学館
文庫)、『論語道場』(致知出版社)、『これが本当の中国の33のツボ』(海竜社)など。また、黄文雄氏、呉善花氏
との共著に『売国奴』(ビジネス社)がある。
─ 43 ─
地域研究 韓 国
李明博大統領金正日の訪中を歓迎
東京新聞記者 五味洋治
李政権、北政策転換検討中
化する可能性も出てきた。北朝鮮の今後を左右
今回の金正日総書記の中国訪問は、 5 月に続
する決定的な段階に差し掛かっているといって
くものだが、どのメディアも予想できなかった。
も過言ではない。北朝鮮は 7 月に鴨緑江周辺で
そんな中で韓国のメデイアが先行報道し、圧倒
大規模な水害も起きている。そこへ、金総書記
的な情報量で金総書記の動向を伝えた。とりも
が急きょ訪中した。韓国の新聞は連日トップ記
直さず韓国政府が、今回の訪中になみなみなら
事で報道を続け、李政権はメディアにも積極的
ぬ関心を払っていたことを意味する。
に情報を提供した節が見られる。
それはなぜか。韓国は訪中によって金総書記
今回の訪中は、これまでと大きく様相を異に
がどんな発言、行動を取るかを確認し、対北朝
した。まずルートが通常とは違った。97年に総
鮮政策の転換を検討していたためだ。
書記に就任してからの 5 回の訪中は、すべて遼
韓国は今年 3 月に起きた韓国軍の哨戒艦沈没
寧省の国境都市丹東を経由して行われた。特別
事件で、北朝鮮に対して厳しい批判を繰り返し
列車は丹東で一時停車し、中国共産党の幹部の
てきた。さらに米国とともに、朝鮮半島周辺で
歓迎式典を受ける。
軍事演習を行うなど、強硬姿勢を取った。
しかし今回は、中朝国境の慈江道満浦から中
その後韓国は、問題を国連安全保障理事会に
国の集安に入る線路が使われた。この線路は貨
も提起したものの、安保理では北朝鮮に同情的
物・客車の連結列車が 1 日 1 往復しかしていな
な中国やロシアの反対にあい、議長声明という
い過疎路線である。こんなオンボロ路線を使っ
最も弱い形の声明で終わり、しかも「犯人」で
たのは、ちょうど丹東が鴨緑江の水害被害に
ある北朝鮮の名前を議長声明の中に盛り込むこ
遭っていたため、迂回せざるを得なかったのだ
ともできず、振り上げた拳の持って行き所をな
ろう。中国東北地方の視察だけを考えていたた
くした。
め、「直行ルート」を取ったとも考えられる。
この事件で南北関係が極度に緊張したため、
この突然の訪中を最初に伝えたのは韓国の聯
李明博政権は野党や保守派からの批判にさらさ
合ニュースだった。訪中に関する記事は、通常
れた。与党ハンナラ党も 6 月の地方選挙で手痛
北京駐在の記者が確認して書くのが通例だが、
い敗北を喫した。11月には主要20カ国・地域
今回はソウル発となっていた。ニュースソース
(G20)ソウル首脳会議という大行事も控えて
は、間違いなくソウルの情報関係者であろう。
いるため、この事件の幕引きも検討していたと
数日前から兆候を把握していたというから、米
みられる。
国から特別列車の動きが伝えられていたのだろ
う。
金正日訪中報道に熱中
また、 5 月の訪中で韓国政府は、「事前に連
ー方北朝鮮は 9 月上旬に、44年ぶりとなる朝
絡がなかった」と中国側に不満をもらしていた
鮮労働党の代表者会の開催を決定。党指導部の
が、今回はそういう発言は政府関係者からは出
人事を行うと発表した。権力継承の動きが顕在
ていない。そうすると、中国が直前になって韓
─ 44 ─
国サイドに耳打ちした可能性が高い。
は自力更生のみならず対外協力とも切り離せな
突然の訪中を速報した聯合ニュースは、訪問
い。これは時代の流れに順応し、国家の発展を
当初から「(後継者とみられる) 3 男のジョン
加速させる上で避けて通れない道だ」と、これ
ウン氏が同行しているかが焦点」と伝えた。同
まで以上に強い表現で北朝鮮側に対外開放を促
行の有無は確認できなかったと思われる。中国
した。
も分からなかったと推測できる。
意外だったのは韓国の李明博大統領の反応
その後も韓国メディアは、金正日が東北地方
だった。李大統領は、金総書記の訪中が終わっ
に向かい、金日成主席ゆかりの地をめぐってい
た翌日の31日、「金総書記がたびたび中国を訪
ることを伝えた。また、胡錦濤主席が長春に入
問することについて、肯定的に評価している」
り、金総書記と会談したことも把握していた。
と語った。「中国式の経済発展を目にするチャ
日本の一部メディアは、副主席の習近平が26
ンスが多く、訪中が北朝鮮経済に良い影響をも
日に車で長春入りしたと伝えたが、習が、同日
たらすこともあり得る。中国の役割も肯定的に
午後人民大会堂で、外国との賓客と会見したこ
見ている」とも発言した。
とが伝えられ、誤りが判明した。
「李大統領が、金総書記の訪中について公の
27日、金総書記と中国の胡錦濤国家主席と地
場で、それも肯定的評価を行うのは異例のこと
方都市の長春で会談した。韓国・中央日報は「 2
だ」と翌日の朝鮮日報は伝えている。
つの点で異例かつ破格的だ」と表現した。
「まず中国最高指導者の胡主席が地方都市を
李明博大統領の本音は北の安定
訪問してまで金委員長に会ったという点が外交
北朝鮮は2012年を「強盛大国の門を開く」年
慣例と異なる。また今年 5 月に北京で会談した
として、権力の継承を進め、後継者の実績とな
2 人がわずか 3 カ月ぶりに再会したという点も
る平壌の整備なども進めている。しかし、経済
異例だ。北朝鮮内部または朝中間に何らかの緊
難のためうまく行っていないようだ。このまま
迫した事情があったのではないか」
と指摘した。
北朝鮮が権力継承を推し進めた場合、思わぬ破
中国側の説明では、今回の北朝鮮側の主要随
綻が生まれる可能性がある。なんとかそれを事
行者は金永春国防副委員長兼人民武力部長、金
前に食い止めておきたい。米国が韓国と手を組
基南朝鮮労働党書記、太鍾守朝鮮労働党中央委
んで北朝鮮問題に介入することも阻止したい、
員会部長ら14人だった。
そんな思いが透けて見える。
ところが金総書記の特別列車が計26両で、 5
これまで韓国は中国資本が北朝鮮に投資し、
月の訪中当時の17両に比べて 9 両も増えている
北朝鮮を属国化しよとする動きに警戒してきた
と中央日報は書き、「キム・ジョンウンをはじ
が、今中国は東北部の開発を先に進め、その中
めとする比重のある人物が同乗し、随行員の規
に北朝鮮を連携させていこうとしている。その
模が大きく増えたと判断できる」との専門家の
分、韓国は以前より中国の動きに安心感を持っ
分析も掲載した。
ているとみられる。
北朝鮮の後ろ盾となる中国の協力を得なが
胡錦濤主席、改革開放を促す
ら、北朝鮮を少しでも安定させたい、李政権の
長春での会見では、胡国家主席が、韓国軍哨
本音はここらへんにあると見てよさそうだ。
戒艦事件について切り出し、さらに「経済発展
五味洋治(ごみようじ) 1958(昭和33)年、長野県生れ。1982年、早稲田大学第一文学部卒。1983年東京新聞(中
日新聞東京本社)入社。川崎支局、社会部、政治部(官邸、野党担当)を経て1997年、韓国延世大学語学留学。
1999年∼2002年ソウル支局、2003∼2006年中国総局。現在、東京本社外報部勤務。今年「中国は北朝鮮を止めら
れるか」(晩聲社)出版。
─ 45 ─
地域研究 北朝鮮
党代表者会議召集で矛盾顕在化
政策提言委員・本誌編集長 佐藤勝巳
朝鮮労働党は 6 月23日、30年ぶりに党大会に
次ぐ「朝鮮労働党代表者会議」(原文は「代表
者会」となっているが、日本語になじまないの
で「代表者会議」とした)を 9 月上旬開催、党
指導部(役員)選挙を行うことを朝鮮労働党政
治局の名前で公表した。
そこで問題なのは、過去30年間も党大会が、
17年間も党中央委員会が開かれなかったのはな
ぜなのか。また、ここに来てなぜ代表者会議開
催なのか。 9 月10日現在、党代表者会議は開催
されていない。謎だらけである。
党大会の開かれなかった理由
韓国のマスメディアは、この代表者会議は金
正日の後継者を決める会議ではないかと盛んに
推測し、今でもそこに関心が集中している。
金正日にとって後継者問題ほどデリケートな
問題はない。朝鮮労働党中央委員会が金正日を
金 日 成 の 後 継 者 と し て 決 定 し た の が1974年。
1980年の第 6 回党大会に序列第 4 位で登場し、
名実共に権力を継承したのは1985年で、約10年
の歳月を要した。
金正日は、80年の党大会以後、金日成に対す
る報告書のすべてをチェック、金日成が政治に
関与できないようコントロールしてきた。例え
ば、老化を防ぐためと称して、若い女性を金日
成にかしずかせるなど、政治に関与させないた
めの色々な手が打たれてきた(筆者と四半世紀
以上交流のあった北の政治指導部に詳しかった
在日朝鮮人の話)。要するに権力の世襲は、父
子の間でも簡単なことではなかったことを物
語っているのだ。
伝統文化に自縛された権力世襲
1994年、北の核問題をめぐり、米朝間で緊張
が高まり、カーター元米大統領の訪朝で戦争は
回避された。周知のようにカーターとの交渉に
あたったのは金正日ではなく金日成であった。
金正日は著しく自尊心を傷つけられ、面子を
失った。
この事実ひとつ見ても、日本では想像もでき
ないほど儒教文化の残滓濃い北朝鮮にあって、
金日成に代表される革命第 1 世代を権力中枢か
ら引退させ、金正日ら革命第 2 世代に交代させ
ることは、これは不可能に近い難事であった。
党大会を開き金日成世代を中央委員、書記局
員、政治局員などから除外することは想像もで
きないことであった。従来のポストを与えれば、
権力の継承が遅れる。党大会と党中央委員会を
開催せず、金正日を崇拝する(ゴマをする)側
近で固め、個人独裁で政治を遂行、旧世代の死
亡を待つ、というのが金正日の権力継承策と見
て間違いなかろう。
第 6 回党大会(1980年10月10∼13日)直後の
第 1 回中央委員会(14日)で選出された中央委
員は145名、同候補103名。中央委員によって選
出された党中央委員会政治局委員は、金日成、
金ー、呉振宇、金正日、李鍾玉、朴成哲など計
20名、同候補許錟、尹基福など15名。党中央委
員会政治局常務委員は金日成、金ー、呉振宇、
金正日、李鐘玉の 5 名。金正日を除き全員が革
命第 1 世代である。政治局常務委員の中で、生
存しているのは革命第 2 世代の金正日 1 人であ
る。
金日成が死亡(1994年 7 月 8 日)することで、
金正日への求心力がー挙に高まったが、それを
党大会、党中央委員会の開催と結び付けるので
はなく、金正日個人独裁強化に利用、冒頭で紹
介したように党機能をマヒさせ、今日に至った。
この経緯を見ると金日成は自分の子どもを後
継者に据えることが出来た。しかし、金正日は、
金日成を神様に祭り上げ、革命第 1 世代を金正
日世代に交替させようとしたことが、伝統文化
(儒教)に縛られ、結局出来なかった。このこ
とが、党大会や党中央委員会を開催できなかっ
たという真の理由ではないかと推定される。
─ 46 ─
後継者は意図的に決めなかった
可欠と考えるのは当然であろう。政治局は「党
代表者会議」招集理由を、「朝鮮労働党最高指
導機関選挙のため」、つまり朝鮮労働党中央委
員145名、同候補103名(人数は第 6 回党大会)
を選出するということである。
韓国のメディアは、金正日が 3 男(正雲)を
金正日の後継者に決定したかのような報道を繰
り返し行なっているが、金正日が自分の後継者
を決めたら、自分が棚上げされることを誰より
も良く知っている。なぜなら金正日自身が父金
日成にやってきた行為であったからだ。だから
金正日は後継者を決めていない、というのが筆
者の分析である。
30歳にも満たない、しかも政治など全く経験
のない人物が、いきなり政治を司るなど不可能
な話だ。あの儒教文化の残滓濃い北朝鮮におい
て 3 男が、中国で暮らし事実上強大な中国共産
党の庇護下にある長男を差し置いて、権力継承
者になれるのか。考えにくい話である。
党規約など守られたためしがない
今、なぜ代表者会議か
北朝鮮は党大会を30年間開催しなくとも、誰
からも文句が出ない独裁政権である。ではなぜ、
今、代表者会議招集なのか。金正日が党代表者
会議を開かなければならない理由は見当たらな
い。その必要があるのは中国共産党と金正日の
側近たちだ。
5 月上旬中朝首脳会談のとき、胡錦濤は金正
日に対して、「両国の内政、外交における重大
な問題、国際・地域情勢、党・国家統治の経験
など共に関心を持つ問題について随時及び定期
的に突っ込んだ意思疎通を行う」という「内政
干渉」を公然と提案した。
北京から見た北朝鮮情勢は、後継者が決まっ
ていないから、金正日にもしものことが起きた
なら、当然混乱が予測され、危機管理を考えな
ければならない。中国が最も恐れているのは、
軍事境界線が中朝国境まで上がって来ることで
ある。それを阻止するためには朝鮮労働党の正
常化が緊急のものと考え、前述の胡錦濤提案と
なったのではないか、と筆者は見ている。今回
の代表者会議は、金正日が中国から帰国して、
約50日後の 6 月23日に招集が公表された。中朝
間で「突っ込んだ意思疎通」がなされた結果で
あろう。金正日の側近たちは金正日とー緒に死
ぬわけではないから、党機能の正常化は緊急不
金日成時代から党規約、憲法など有名無実。
金日成・金正日の「教示」(命令)が最優先す
る独裁国家である。規約など問題にしても意味
がないのだが、党代表者会議は規約では、「中
央委員会は、党大会から党大会の間に党代表者
会議を招集することが出来る。党代表者会議の
選出比率とその選挙手続きは党中央委員会が規
定する。代表者会議は党路線と政策及び戦略・
戦術に関する緊急な問題を討議・決定、自己の
義務を果していない党中央委員、委員候補、准
委員候補を召還し、委員および委員候補の補欠
選挙を行なう」と記されている。
党代表者会議を招集するのは党中央委員会で
あるが、その中央委員会は17年間開かれていな
い。今回の代表者会議を招集したのは「朝鮮労
働党中央委員会政治局」である。これは規約に
反している。党代表者会議に参加する活動家(代
議員)は中央委員会が決めるのだが、開かれて
いない。誰が、どんな基準で代表者会議に参加
する人間を選ぶのか。金正日の命令と言うこと
になるのだろうが、独裁政権の面目躍如たるも
のがある。
流動化の始まりか
9 月10日現在、代表者会議は開催されていな
い。代表者会議が開催されなければ、それはそ
れで大問題であるし、開かれれば開かれたで、
人事の中身が当然注目される。
また、従来どおり、先軍政治で行くのか、改
革開放政策にシフトするのか。党規約に基づく
選挙が行なわれた場合、金正日はかつての金日
成と同じ形でトップになるが、体調も絡んで北
朝鮮の独裁政治はー挙に流動化しだしてきた。
どちらにどう転んでも、権力の世襲など成功し
ないことが、徐々に明らかになり出したと言える。
佐藤勝巳(さとうかつみ) 1929(昭和 4 )年新潟県生れ。戦後、在日朝鮮人の北朝鮮への永住帰国運動に関与。
1965年、日本朝鮮研究所事務局長となり、北朝鮮統一政策の研究、在日韓国・朝鮮人の法的地位と処遇について
の運動と研究に関わる。1984年、現代コリア研究所所長。1998年、
「救う会」会長を経て、2010年より本誌編集長。
主な著書に『北朝鮮「恨」の核戦略』
『崩壊する北朝鮮』
『なぜ急ぐのか日朝交渉』
『在日韓国・朝鮮人に問う』
『北
朝鮮の「今」がわかる本』『わが体験的朝鮮問題』など多数。
─ 47 ─
〈連載〉
「総合安全保障の核としての環境戦略」
第 2 回 家庭発電所と屋内農場
経済学者 海上知明
環境問題への戦略的対応
化し、地球の地下で何億年か圧縮して蓄積した
VAによる発想の転換と言うと、なんとも奇
ものなのである。化石資源とは太陽光線のス
想天外な策が期待されるかもしれないが、物事
トックと考えられる。このストックを食いつぶ
の本質から眺めてみるということにすぎない。
すことから、視点を変えて、直接的利用を考え
環境問題も、その本質を探ってみると、根源
れば良いのである。
にあるのは、エネルギー問題と食糧問題となる。
これを妨げていたものは、「発想」そのもの
歴史上、エネルギー使用による汚染と、人口増
である。まず、従来と同じ発想の大規模発電形
加による食糧不足とが、環境問題を悪化させて
態をとるとみなした時に登場するのが面積の問
きた。あえて、その経緯を述べることは省くが、
題である。100万キロワット・タイプの太陽光
決定的にしたのは英国産業革命である。それは
発電では、 8 キロ四方、64平方キロメートル、
環境問題の歴史上、分岐点を形成するもので
実に東京都の山手線内に相当する面積が必要で
あった。大規模な地下資源の利用と国際分業の
あるとか、それどころか原子力発電所の360倍
徹底は、まず大気汚染と英国内の人口爆発とな
の広さが必要という説もある。日本の原子力発
り、さらに世界全体に波及したのである。つま
電所の総設備容量を太陽光発電に置き換える
り環境問題の根本的要素とは、国家安定の根源
と、高知県相当の4500平方キロメートルという
でもあり、また「経済」における最重要課題で
試算もあるから、どう考えても現実的ではない
もある、エネルギー問題と食糧問題にある。従っ
ということになる。加えて、曇りの日や雨の日
て、環境問題解決とは、国家戦略そのものと連
にはどうかという意見もある。これが「できな
動していると言えるのだ。環境問題への戦略的
い理由」である。すると、危険な原子力はやめ
対応とは、日本の国家戦略の支柱であるといっ
る「べき論」、太陽発電をおこなう「べき論」
てもよいであろう。
が出てきて、果てしない議論が続くことになる。
日本がエネルギーがないということは、エネ
ここで欠けているのは、エネルギーの本質的
ルギーの本質を見失っているに等しい。エネル
使用の視点である「エネルギーはどこで使われ
ギーとは「仕事をする能力」、具体的には利用
ているか」と、エネルギーを作る場所としての
可能な熱又は動力のことで、化石燃料やウラン
「既存物の利用」である。家庭で使用する電気は、
だけがエネルギーなわけではない。日本には膨
家庭で作る。つまりエネルギーの「地産地消」
大なエネルギーがある。太陽の光と熱・風・雨
がベストである。そうすれば新規に発電所など
水・潮流・雪解け水・地熱に至るまで、地域単
作らなくても、4000万戸ある家屋(しかも、そ
位で多様な自然エネルギーに恵まれている。石
のうち1600万戸が集合住宅)と、道路の上を太
炭や石油自体が、もともとは太陽エネルギーで、
陽パネルで覆えばいいことになる。最終的に使
これが植物と、それを捕食する動物の体で物質
用される電力の総計が等しければ、大型発電所
─ 48 ─
で作られようと、家屋で作られようと同じこと
は、農作物を作る場所のことである。生産体型
なのである。
として、革命的変化を起こしそうなのが屋内に
おけるハイポニカ農法である。ハイポニカ農法
身近でできるエコシステム
が行われている場所は、農地法などの障害に
「エコシステム」の価値は、多様性と統一性
よって、「屋内農場」ではなく「食糧工場」と
であるが、エネルギーの供給形態も、できるだ
呼ばれているが、実態は「農地」である。この
け多様な方が安定している。雨樋を伝わって落
「屋内農場」ハイポニカこそは、日本の農地法
ちる雨水もタービンを回せるし、小型化された
で言う「農地」の限界を超え、しかも遺伝子組
風力発電を屋根に乗せるのもいい、トイレにコ
み換えのような危険なことを一切やらずとも、
ンポスト兼の廃棄物発電や、近くの小川に水車
食料生産を幾何級数的に引き上げるものであ
型タービンを置くことも、やや大規模なものと
る。なにしろ水も肥料もそれほど必要とせず、
して、潮流も、雪解け水の流れも、地熱も、十
しかも収穫は一年中可能で、果菜類は土での栽
分な電気を作ってくれるということである。各
培の場合の 3 ∼ 4 倍、トマトの場合は現在36毛
家庭が全天候型(太陽、風力、雨水、廃棄物)
作が可能となっている。しかも、平屋でなく、
発電装置を備え、家庭型発電所が全国展開すれ
何十階もの建物の各階で行えるのだから、たと
ば、輸送途中の空中放電の無駄はなくなる。地
えば40階建てビルディングの各階で、トマトを
域単位の潮流、雪解け水、風、地熱、地域発生
作ったとすれば、露地物の36×40倍、つまり
の可燃ゴミ発電などと併せていけば得られるエ
1440倍の収穫が可能になってくるのである。こ
ネルギーは膨大なものになる。自動車の場合も、
れが拡大すれば、都心に存在する、借りてもな
直接、屋根で太陽発電や太陽熱発電ができるよ
く、取り壊しもできないビルディングが、すべ
うにすれば、石油の需要は低下し、二酸化炭素
て農場化される可能性が出てくるし、そこの「農
も減る。そして初期投資はかかるが、その後は、
作物」を加工する産業が発達する可能性もある。
使用しきれなかった余剰電力を売電すること
10階建てビルのオーナーが、 2 階より上で「農
で、各家庭にとってはかなりの収入を増やす
作物」を栽培し、 1 階ではレストランを経営し
チャンスとなるから、一石二鳥である。
てもいいし、加工工場としてもいい。この応用
は家畜にも生かすことができる。屋内農場で、
ハイポニカ農法のすすめ
家畜用の飼料を生産すればいいだけの話だから
エネルギーと並んで、輸入に頼らなければな
である。土地価格が安い国では、新規に投資で
らないとされていた食料も、誤った論理の上に
きないような高価な設備が、既にビルディング
「べき論」が組み立てられていた。「日本は土地
という形で整っている日本は、従来の牧畜国家
が狭い」、当然「農地が狭い」、そのために「食
を凌駕することになる。一方、鯨やマグロといっ
料の自給が困難だ」、だから「海外から食料を
た海洋資源は、牧畜の発想で向かえばいい。日
輸入しなければならない」。ここでの問題は、
本近海での商業捕鯨が認められた時に、すばや
農作物を作るのは、いわゆる農地だけなのかと
く捕捉し、それを養殖用の家畜にしてしまえば
いうことである。本質からみていけば、農地と
よいだけの話なのである。
海上知明(うなかみともあき) 1960(昭和35)年茨城県生れ。中央大学経済学部卒。2002年 3 月、博士(経済学)。
東京海洋大学海洋科学部海洋政策文化学科・芝浦工科大学人文学部・国士舘大学政経学部非常勤講師、戦略研究
学会古戦史研究部会代表・孫子経営塾理事。首都大学東京のオープンユニバシティで「環境史と文明」などを担当。
著書に『環境思想 歴史と体系』
『環境戦略のすすめ』
『信玄の戦争 戦略論「孫子」の功罪』
『新・環境思想論』
『危
機管理の経済史─環境問題としてのエネルギー』共著に『地球環境史からの問い─ヒトと自然の共生とは何か』
など多数。
─ 49 ─
《Key Note Chat 坂町》
報告と雑感
事務局 長野禮子
第17回 「日本創新党の政策を聞く」
講 師:山田 宏氏(日本創新党党首・前東京都杉並区長)
中田 宏氏(本フォーラム理事・日本創新党代表幹事・前横浜市長)
日 時:平成22年 5 月25日(火) 11:30∼13:30
参加者:32名 愛知和男・長野俊郎・佐藤丙午・川村純彦・福山 隆・丹羽文生 他(敬称略)
雑 感: 5 月28日、社民党党首福島瑞穂氏は、普天間移設問題の日米合意についての閣議決定
に署名を拒み、罷免された。国外・県外移設は社民党として、国民と沖縄県民との約束
であり、それを違えることは出来ないと「潔さ」を見せ、30日、
「政権離脱」を決定した。
こうした流れから鳩山首相は連立政権維持の責任を取るとして、 6 月 2 日午前、辞意を
表明。同時に小沢幹事長もみちづれにした。
さて、今回の日本創新党党首山田宏氏と代表幹事の中田宏氏は、地方自治体の首長を
務めただけに「思い」や「夢」ではなく、地に足のついた実に説得力のある話で「よい
国日本」を目指し活動を始めたことが明確に現れていた。
山田氏が杉並区長として就任した平成11(1999)年は約900億円の区債を抱え、貯金
は20億円程度の財政危機状態にあった。自らも含め区職員の給与カットなど所謂「杉並
改革」をやり遂げ、平成13∼22(2001∼2010)年までの 9 年間で、区債は 5 分の 1 に、
貯金は11倍の219億円となる。平成23(2011)年度末には完済予定。氏は、江戸末期備
中松山藩の財政を立て直した山田方谷の「義を明らかにして利を計らず」を紹介し、正
しい理念があれば利は自ずとついてくると説く。この確立にこそ国民の幸福が実現し、
これなくしては、いかなる教育や経済・外交・防衛政策も生きてこないと言明。「自分
の国は自分で守る」という自主憲法の制定にも極めて意欲的である。
ここ数年全国で混乱が起きている成人式にも話が及ぶ。歪んだ歴史教育を学んだ杉並
区も例外ではなかった。そこで山田氏は成人式の区長挨拶で、靖国神社本殿前に掲げら
れている「言の葉」を紹介してきたそうだ。これは若き兵士が特攻等で死地に赴く前、
家族に宛てた手紙である。両親を敬い、兄弟姉妹の行く末を案じ、己なきあとの日本に
思いを馳せ、国家存亡の礎となることにこの上ない誇りを持ちその命を捧げる。これを
天命とし、潔く散っていった彼らが残した手紙は実に爽やか、かつ崇高である。この「言
の葉」を紹介することによって、杉並区の若者の意識が確実に変わってきたと山田氏は
言う。歴史教科書採択も見直した。山田氏のこの話に参加者一同深い感銘を受け、感涙
を隠しきれなかったことをここに記しておく。
「国滅びて地方なし」の危惧から日本創新党を立ち上げたと説明する中田氏もまた横
浜市長としてその辣腕を振るったことは、メディアに登場する爽やかかつ力強い弁舌で
つとに有名である。市の借入金 1 兆円を返済した実績は党を担う若き志士として貫禄十
分であった。「国家の自立」「地方の自立」「国民の自立」を基本目標に掲げ、集団的自
衛権の行使、基礎教育はもとより道徳・歴史教育の充実、道州制導入と日本型農業立国
の創造など「小さくて賢い政府」を実現すると熱く語った。日本創新党への期待は大き
い。
(6/2禮)
─ 50 ─
第18回 「混乱鎮まぬバンコク、その真相は・・・」
講 師:太田 博氏(本フォーラム理事・元駐タイ大使)
日 時:平成22年 6 月14日(月) 14:00∼16:00
参加者:18名 小田村四郎・長野俊郎・田中伸昌・谷山雄二朗・金子良昭 他(敬称略)
雑 感: 2006年 9 月19日、タイのバンコクで当時の首相タクシン・チナワットに対するクーデ
ターが起きた。タクシンはこのとき国連総会に出席するためにニューヨークを訪問中。
首相の不在を狙った計画的クーデターと見る情報が流れた。もとより、首相本人と親族
にはインサイダー取引疑惑や汚職の疑いがあり、この事件の 1 ヶ月前( 8 月)にも陸軍
による首相暗殺未遂事件があった。
タイ最高裁は今年 2 月26日、タクシンの資産766億バーツの 3 分の 2 (約1500億円)
を没収という判決を下した。これが今回の暴動のきっかけである。 3 月14日、赤シャツ
組(タクシン支持派)が官庁街付近を占拠、大規模集会やデモを実施。 4 月 7 日、現政
権アピシット首相は被害が増大することから、バンコク市内に「非常事態宣言」を発令
した。
バンコクでのタクシン人気の元は01年 2 月、首相就任後、下層階級の人々が住む村落
すべてに100万バーツ(300万円)基金を設けたり医療を充実させたことによる。特に下
層階級の多く住む北部・東北部から今も圧倒的な支持を得ている。一方、近隣諸国への
援助を惜しまず、一族の会社を進出させ、利益を得る仕組みも作った。これにバンコク
のエリートたちは猛反発しているという。その他、タクシン排除の背景には彼の施した
多くの政策にもある。
近年我が国でも格差社会という言葉を聞くようになったが、タイのそれとは、暮らし
ぶりについても比較にならない。所謂富裕層と貧困層の割合は 2 : 8 。その所得差は13
∼15倍。欧米諸国は 5 ∼ 8 倍である。因みに我が国は 3 ∼ 4 倍。(タイには相続税・不
動産税なし)
遡れば1932年のクーデターで立憲君主制への移行を果たしたタイは、以降も17回の
クーデターが起きているが、その都度、国王の介入により沈静されてきた。しかし、最
早それも効かなくなった。民主主義国家としてはまだまだ途上にあるが、今タイはその
大事な過渡期にあるのではないかと太田大使は分析する。
首相失脚後の09年に就任したカンボジアのフンセン首相の経済顧問のポストも現在難
しい局面を迎えている。ウルグアイ・モンテネグロ・ニカラグアのパスポートを持つタ
クシンは今、どこにいるのか。
実は、クーデターの 2 年後の08年 8 月、タクシン来日の際、日本文化チャンネル桜「ア
ジア・アップデート」の番組を担当している私は、予てより約束していた番組収録のた
め、氏の滞在するホテルを訪ねた。周知の通り政治問題はまだ終結を見ず、非常にデリ
ケートな時期だったこともあり、敢えて、当時英マンチェスターFC会長であったこと
から、国際スポーツ振興について話を伺うことにしたのを思い出す。
タイの国情と民心は我々日本人の理解を超え、複雑さを増しているが、日本の皇室と
の縁も深く、日本企業の進出も多い。新たなタイ王国の建設と正常化に期待したい。
(6/24禮)
─ 51 ─
第19回 特別企画「明治神宮正式参拝」
日 時:平成22年 6 月22日(火) 中條高徳会長他11名で参拝
第20回 「新政権は日本を救えるか?」
講 師:小田村四郎氏(本フォーラム副会長・前拓大総長)
日 時:平成22年 7 月22日(木) 14:00∼16:00
参加者:15名 長野俊郎・山下美也・伊東 寛・佐藤勝巳・海上知明・谷山雄二朗 他
雑 感: 7 月11日、政権交代後初の参院選挙が行われた。結果、民主党は惨敗。自民党は大き
く躍進した。みんなの党は一挙に10議席獲得。期待された他の少数党はどれも振るわず
(得票数など詳細は割愛)。ともあれ「衆参ねじれ国会」となった。
政権交代から10ヶ月。鳩山・菅、 2 人の首相が誕生した。小田村副会長は「完全に社
会党政権となり、明治 8 年以降、最低の内閣である」と言い切る。
鳩山元首相に至っては、国家・国益を全く理解していない「無国籍政府」と切って捨
て、首相としての資質を嘆いた。
また、小沢元幹事長をリーダーとした600余名の訪中。習近平訪日に際し天皇陛下と
の謁見を強要し、自らの誤った憲法解釈を展開した不遜な態度。党の一幹事長であるに
も関わらず、その度を越えた発言や党内圧力は反小沢のみならず、国民の政治不信を一
層募らせることになった。
民主党はこうした動きの中でも、外交・安全保障については、常に日米同盟が機軸だ
と言い続けているが、 5 月28日の日米合意はその後、具体的にはどう進んでいるのか。
鳩山元首相の大失政の修復は菅首相にも期待できそうにない。これは極東アジアにおけ
る国防の重要性が理解できていないということであろう。
また、民主党は日米同盟50年を、これまで米重視であったからこれからはアジア重視
だと強調している。この感覚こそがそもそも日米同盟=軍事同盟であるということが全
く理解できてないということである、と小田村副会長。
「脱官僚」「コンクリートから人へ」「国民目線」「生活が一番」・・・などと謳い、遠
大なマニフェストを金科玉条の如く掲げ、有権者の心を擽り政権交代したが、行政改革
は掘り下げた審議もされず、ろくに質問も出来ないという空気のなかで強行採決。中国
の軍拡が日を追うが如く進むなかで、国防(防衛予算)を脇に置き、借金地獄の国家予
算にも関わらず、子ども手当や高校無償化・農家の戸別保障政策を、経済浮揚策なき現
政権はどう切り抜けるつもりか。市民運動家出身の菅首相は職業市民活動家に対し、国
家が資金援助すべきということまで言い出した。ここまでくると、逆に、長きにわたり
政権を担ってきた自民党の責任も看過できない。一体我が国は、永井陽之助や松下圭一
など、国家解体論者を師と仰ぐ首相をいつまで許すのか。
この国難に挑む救国の士となる政治家は、本当にいないのか。
─ 52 ─
(7/29禮)
第21回 「民主党代表選を占う」〜“ねじれ”をどう活かすか〜
講 師:花岡信昭氏(拓大大学院教授・政治ジャーナリスト)
日 時:平成22年 8 月24日(火) 14:00∼16:00
参加者:13名 中條高德・山下美也・大串康夫・佐藤勝巳・秋山政隆・高橋大輔 他
雑 感: 民主党代表選挙が近づいた。 9 月 1 日告示。 9 月14日には結果が出る。もしかすると
1 年間で 3 人目の総理誕生の可能性もある。そこで再び花岡氏をお迎えし、昨夏の政権
交代からの混乱と迷走の経緯、そして代表選の行方をお話いただいた。
6 月 2 日、鳩山・小沢両氏が辞任。引き継いだ菅総理は「脱小沢」を表明し組閣をし
たが、確たる政策を出せないまま参院選に突入。そして、惨敗。党内の厳しい責任追及
を受けながらも政権続投を表明し、現在に至る。それに納得のいかない親小沢派は、小
沢氏を代表選に担ごうとした。挙党一致を叫び党内割れを懸念した鳩山氏は自ら調整役
を買って出たが、うまくいかず 8 月26日、小沢氏は出馬を表明する結果となった。その
途端、それまで菅支持と党内割れ回避に動いていたはずの鳩山氏は「小沢支持」を表明。
理由は「私を総理にしてくれた人だから、そうするのが大義だ」と。まだ禊もしていな
い 2 人が表舞台に出て「お騒がせ」をするのは国民感情とかなり乖離する。ともあれ党
内は小沢氏優勢だが、世論調査では圧倒的に菅氏が優勢。
東京第 5 検察審査会の決定はどう出るのか。憲法75条には「国務大臣は在任中、首相
の同意がなければ訴追されない」規定がある。小沢氏は、首相になれば起訴を免れるた
めに出馬を決心したとの見方もある。
国民としては、社会主義国家を目指す総理も、独裁的で、談合の大親分としての疑惑
が付き纏ったり、公私のカネの分別も付かない総理もいただけない。
未だ党綱領も出せない与党民主党は、この代表選で何を争点にするのか、具体的論争
がこれから始まろうが、代表選に票を投ずる資格のあるのは、国会議員や地方議員・党
員・サポーターである。党員・サポーターは年会費を支払い、18歳以上であれば国籍に
関係なく、誰でもなれる。現在その数およそ34万人。在日外国人も投票できるこの仕組
みに関して後日、党本部に電話で尋ねると「政権交代後初めての代表選なので、この制
度を見直す時間がなかったが大きな影響はない」と言う。総理大臣になる人を選ぶのに
外国人の意見を反映することは、
「国民固有の権利」つまり、憲法15条に抵触しないのか。
外国人地方参政権を助長し、ひいては領土問題にも発展する火種になることなど容易に
想像できようものを。影響はないなどと安易に構えている場合ではない。
しかし、花岡氏はいま道義的問題は別として敢えて「必要悪」を認め、小沢氏の政治
手腕に期待するのも一考だと言う。そして短期政権の後は大連立を実現、やがて色んな
ことが淘汰されていくことでこの国の建て直しが出来ると分析。
国民は出口の見えない経済不況にも悩んでいる。円高・株価下落が進む中、菅総理の
6 月 8 日就任以降すでに16兆円もの国家資産が水泡となっているそうだ(8/26付産経新
聞)。これについても打開策は見出せないままである。
─ 53 ─
(8/28禮)
日本戦略研究フォーラム役員等(平成22年10月 1 日現在:敬称略)
会長
中條高德(アサヒビール(株)名誉顧問)
佐藤正久(参議院議員/初代イラク復興業務支
援隊長)
嶋口武彦(元防衛施設庁長官)
内藤正久((財)日本エネルギー経済研究所理事
長)
中田 宏(元衆議院議員/前横浜市長)
西 修(駒澤大教授)
二宮隆弘(元空自将補/前JFSS事務局長)
松井 隆(有人宇宙システム(株)取締役会長/
元宇宙開発事業団理事長)
森野安弘(森野軍事研究所所長/元陸自東北方
面総監)
山谷えり子(参議院議員/元首相補佐官)
山元孝二((財)日本科学技術振興財団常務理事)
山本兵蔵(大成建設(株)取締役相談役)
屋山太郎(政治評論家)
吉原恒雄(拓大教授)
渡邉昭夫((財)平和・安全保障研究所副会長)
副会長
小田村四郎(前拓大総長)
理事長
愛知和男(前衆議院議員/元防衛庁長官)
顧問
笹川陽平(日本財団会長)
竹田五郎(元統合幕僚会議議長)
田中健介((株)ケン・コーポレーション代表取
締役社長)
鳥羽博道((株)ドトールコーヒー名誉会長)
中野 博((株)グランイーグル代表取締役)
中山太郎(前衆議院議員/元外務大臣)
平沼赳夫(衆議院議員/元経済産業大臣)
山田英雄((財)ジェイ・ピー・ファミリー生きが
い振興財団理事長/元警察庁長官)
山本卓眞(富士通(株)名誉会長)
事務局長(常務理事)
長野俊郎((株)パシフィック総研代表取締役会
長)
副理事長
相原宏徳(TTI・エルビュー(株)取締役会長)
石破 茂(衆議院議員/前農林水産大臣/元防
衛大臣)
岡崎久彦(NPO岡崎研究所所長/元駐タイ大
使)
坂本正弘(中大政策文化総研客員研究員)
志方俊之(帝京大教授/元陸自北部方面総監)
田久保忠衛(杏林大客員教授)
浜田靖一(衆議院議員/元防衛大臣)
舛添要一(参議院議員/元厚生労働大臣)
宮脇磊介(宮脇磊介事務所代表/元内閣広報官)
理事
愛知治郎(参議院議員)
秋山昌廣(海洋政策研究財団会長/元防衛事務
次官)
浅尾慶一郎(衆議院議員)
新井弘一((財)国策研究会理事長/元駐東独・
比大使)
太田 博(元駐タイ大使)
─ 54 ─
常務理事
林 吉永(事務局総務部長/元防研戦史部長)
監事
川村純彦(川村純彦研究所代表/元統幕学校副
校長)
仲摩徹彌(第一ホテルサービス(株)顧問/元海
自呉地方総監)
評議員
赤星慶治(前海上幕僚長)☆新任
磯邊律男((株)博報堂相談役)
伊藤憲一((財)日本国際フォーラム理事長)
大内 厚(高砂熱学工業(株)代表取締役社長)
加瀬英明((社)日本文化協会会長)
川島廣守((財)本田財団理事長)
国安正昭((株)ウッドワン住建産業顧問/元駐
スリランカ大使)
佐瀬昌盛(拓大教授)
清水信次((株)ライフコーポレーション代表取
締役会長兼CEO)
清水 濶((財)平和・安全保障研究所研究委員
/元陸自調査学校長)
白川浩司((株)白川建築設計事務所代表取締役)
田代更生((株)田代総合研究所代表取締役)
田母神俊雄((株)田母神事務所代表取締役/前
航空幕僚長)☆新任
冨澤 暉(東洋学園大理事兼客員教授/元陸上
幕僚長)
西原 正((財)平和・安全保障研究所理事長/
前防大校長)
野地二見(同台経済懇話会常任幹事)
長谷川幹雄((株)グランイーグル顧問)
花岡信昭(政治評論家/拓大大学院教授)
原野和夫((株)時事通信社顧問)
福地建夫((株)エヌ・エス・アール取締役会長
/元海幕長)
村井 仁(前長野県知事/元衆議院議員)
村木鴻二(つばさ会会長/元航空幕僚長)
*衛藤征士郎(衆議院議員)は衆議院副議長、西
川徹矢(元防衛省大臣官房官房長)は内閣官房
副長官補就任の間離任
政策提言委員
秋元一峰(秋元海洋研究所代表)
浅川公紀(武蔵野大教授)
渥美堅持(東京国際大教授)
天本俊正((株)天本俊正・地域計画21事務所代
表取締役/元建設省大臣官房審議
官)
洗 堯(元NEC顧問/元陸自東北方面総監)
石川裕一((株)ぷらう代表取締役社長)
今井久夫((社)日本評論家協会理事長)
岩城征昭(前陸自化学学校長)
岩屋 毅(衆議院議員)
上田愛彦((財)
DRC理事長/元防衛庁技術研
究本部開発官)
潮 匡人(国家基本問題研究所評議員)
宇都隆史(参議院議員)
江崎洋一郎(前衆議院議員)
衛藤晟一(衆議院議員)
大串康夫(元航空総隊司令官)
大橋武郎(AFCO(株)新規事業開発担当部長/
元空自第 5 航空団司令)
奥村文男(大阪国際大教授/憲法学会常務理事)
越智通隆(三井物産エアロスペース(株)顧問/
元空自中警団司令)
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勝股秀通(読売新聞編集委員)
加藤 朗(桜美林大教授)
金田孝之((財)横浜港埠頭公社理事長/前横浜
副市長)
金田秀昭(NPO岡崎研究所理事)
茅原郁生(拓大名誉教授/元防研第 2 研究部長)
工藤秀憲(GISコンサルテイング(株)代表取締
役社長)
倉田英世(国連特別委員会委員/元陸幹校戦略
教官室長)
小林宏晨(日大教授)
小松三邦((株)トリニティーコーポレーション
代表取締役)
五味睦佳(元自衛艦隊司令官)
坂上芳洋(元海自阪神基地隊司令)
坂本祐信(元空自44警戒群司令)
笹川徳光(前防長新聞社代表取締役社長)
佐藤勝巳(評論家/元現代コリア研究所所長)
佐藤茂樹(衆議院議員)
佐藤丙午(拓大教授)
佐藤政博(佐藤正久参議院議員秘書)
嶋野隆夫(元陸自調査学校長)
菅沼光弘(アジア社会経済開発協力会会長/元
公安調査庁調査第二部長)
杉原 修((株)AWS技術顧問)
高井 晉(防衛法学会理事長・尚美学園大学大
学院客員教授)
高市早苗(衆議院議員/元内閣府特命担当大臣)
高橋史朗(明星大教授)
高橋 央(感染対策コンサルタント/元米国
CDC疫学調査員)
田中伸昌(元空自第 4 補給処長)
田村重信(慶大大学院講師)
堤 淳一(弁護士)
土肥研一((株)善衛商事代表取締役)
徳田八郎衛(元防大教授)
所谷尚武((株)防衛ホーム新聞社代表取締役)
殿岡昭郎(政治学者)
中静敬一郎(産経新聞東京本社論説委員長)
中島毅一郎((株)朝雲新聞社代表取締役社長)
中谷 元(衆議院議員/元防衛庁長官)
奈須田敬((株)並木書房会長)
西村眞悟(前衆議院議員)
丹羽春喜(元大阪学院大教授)
丹羽文生(拓大助教)
長谷川重孝(元陸自東北方面総監)
浜田和幸(参議院議員)
樋口譲次((株)日本製鋼所顧問/元陸自幹部学
校長)
日髙久萬男(三井造船(株)技術顧問/元空幹校
教育部長)
兵藤長雄(元駐ベルギー大使)
平野浤治((財)平和・安全保障研究所研究委員
/元陸自調査学校長)
福地 惇(高知大学名誉教授/元統幕学校講師)
福山 隆(ダイコー(株)専務/元陸自西方幕僚
長)
藤岡信勝(拓大教授)
舟橋 信((株)NTTデータ公共ビジネス事業本
部顧問/元警察庁技術審議官)
前川 清(武蔵野学院大名誉教授/元防衛研究
所副所長)
松島悠佐(ダイキン工業(株)顧問/元陸自中部
方面総監)
水島 総((株)日本文化チャンネル桜代表取締
役社長)
宮崎正弘(評論家)
宮本信生((株)オフィス愛アート代表取締役/
元駐チェコ大使)
室本弘道(武蔵野学院大教授/元陸上担当技術
研究本部技術開発官)
恵隆之介(評論家/拓大日本文化研究所客員教
授)
森兼勝志((株)フロムページ代表取締役社長)
森本 敏(拓大大学院教授)
八木秀次(高崎経済大教授)
山口洋一(NPOアジア母子福祉協会理事長/
元駐ミャンマー大使)
山崎 眞(伊藤忠(株)航空宇宙・産機システム
部門顧問/元自衛艦隊司令官)
山下輝男(第一生命保険(株)顧問/元陸自 5 師
団長)
山下美也(元富士通特機システム(株)代表取締
役社長)
山本幸三(衆議院議員)
山本 誠(元自衛艦隊司令官)
若林保男(湘南工科大学非常勤講師/元防研教
育部長)
*前原誠司(衆議院議員)は外務大臣、渡辺周(衆
議院議員)は総務副大臣、長島昭久(衆議院議員)
は防衛政務官就任の間離任( 9 月17日現在)
研究員
安生正明(埼玉県防衛協会事務局長/元技術研
究本部主任設計官)
江口紀英(元(株)太洋無線取締役社長)
木島 武(元(株)SCC代表取締役専務執行役員)
高 永喆(拓大客員研究員)
事務局
長野禮子((株)日本文化チャンネル桜キャス
ティングコーディネーター/「Key
Note Chat 坂町」・季報担当)
田中芳美(総務)
吹切栄一(総務)
編 集 後 記
9 月14日、代表選という名の愚にもつかない権力闘争が終わった。内閣を放り出し、その後の
参議院選を経て 3 カ月もの政治空白を作った。この日を境に待ちに待った秋の突然の到来。民族
の衰退に力を貸しているとしか思えない連中に対する神々のお怒りとも思える今夏の猛暑は二度
と御免蒙る。この異常な熱さの中で汗を拭き拭き原稿を認めて下さった執筆者に心より感謝した
い。殊に、民主党代表選の結果や党幹部の人事を注視しながら徹夜で校了間際まで書いて下さっ
た花岡信昭氏、また、締切り後に突然出てきた耐性菌の問題について急遽原稿依頼したにも拘ら
ず、玉稿を寄せていただいた高橋央氏に心からの御礼を申し上げる。(長野)
(校了が組閣日と重ったため、渡辺周氏及び文中の政治家の役職は 9 月17日現在のものです)
《お詫びと訂正》前号40頁の「江口紀武」は「江島紀武」の誤りでした。お詫びし訂正いたします。
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